原発被災者の方とお会いして                   2012年5月25日

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 4月中旬に東京に2週間ほど滞在した。


 その間、私達は東京散策や山歩き等をして過ごした。(その様子は04/1304/1904/21、山の便り等で既報)












 或る日、東京散策をしている途中で 『少し休もう!』 と、或る公園のベンチに腰掛けて景色を眺めていた。


 隣のベンチには、私達より少し御年配と思しき御夫婦が休んであった。












 暫らくするとその御夫婦が私達の方に来て、

 『私達は福島原発事故の避難者ですが、少し話を聞いて頂けませんか?』 と話し掛けて来られた。













 話を伺うと、その御夫婦は事故を起こした福島第1原発から僅か1.5km離れた所に住んでいた!との事である。


 その地域は強制避難区域になったので、現在はこの公園近くのマンションで避難生活をしているとの事だった。














 子供夫婦がこの近くに住んでいるので今のマンションに引っ越して来たとの事である。














 しかしそのマンションも近隣にあるマンションも海に近い為、3月11日にあの大津波が襲った後は

 4階以下に住んでいる人は誰も無く、多くの部屋が会社の事務所や倉庫等に成っているとの事だった。











 それから子供夫婦は共働きの為に日中は居ないそうで、また近所にも誰も知り合いは居ないとの事だった。


 その為にマンションの部屋の中で1日中夫婦二人きりで顔を突き合わせているとお互いに息が詰まるので、

 弁当を作って殆んど毎日のように出歩いているとの事である。









 しかし、『話し相手が居なくて、とても寂しい!』 との事で、

      『もし良かったら、私達の愚痴を少し聞いて貰えませんか?』 と尋ねられた。


 私は、『私達は九州人で今は東京散策をしている途中ですが、こんな私達で良かったらどうぞ思い切り喋って

      日頃の鬱憤を晴らして下さい!』 と応えた。







 そうすると原発事故勃発から現在に至るまでの避難生活の様子から話しが始まった。


 そしてその間に於ける、東京電力と政府の対応や救済策に対して色々な不備や不満等を話された。


 が、その内容に付いては私達には良く理解できないところが有ったので紹介する事は出来ない。


 しかし、事故直後から始まった全国からの救済活動や支援物資等に付いては凄く感謝して有った。









 この文を書いている今日は、その方達とお会いしてからもう1ヶ月以上経つので記憶に少し曖昧な点もあるが、

 今年の3月になって?初めて数時間だけの一時帰宅が許されたそうである。


 勿論、完全防護服を着込んでの一時帰宅であるが、玄関に行った途端に驚いた!との事だった。


 強制避難命令の時は本当に 『着の身着のまま』 の状態で飛び出したが、それでも玄関等の施錠はして行った!との事である。









 その玄関ドアはバールのような物で強引にこじ開けられている為に、ドアや鍵は壊れていたそうである。


 そして家の中に入ると全部の部屋は滅茶苦茶に荒らされ、『本当に足の踏み場も無かった!』 との事だった。


 『タンスの引き出し、扉、押し入れ』 等は全て開いていて、『金目の物は全て無くなっていた!』 との事である。


 また、『テレビ、冷蔵庫、電子レンジ』 等の電気製品は全て無かったそうである。










 更に話をお聞きすると、隣近所の多くがそのような状況との事だった。


 そのような報道は今まで見聞きした事が無かったので、その話を聞いて私達はビックリ!した。


 その旨を伝えると、 『報道では表面上の綺麗事報道が多いが、実態はこうなのですよ!』 と言ってあった。












 そして話しは更に続いた。


 1回目の帰宅時がそのような状況だったので、家を出る時には各部屋の窓等はしっかり施錠をし、

 玄関ドアの周りにはガムテープを張って、その後に誰かが入ったら直ぐ分かるようにしたそうである。













 その後、1〜2週間して?2回目の一時帰宅が許されたとの事である。


 玄関に行くと前回張っていたガムテープが剥がされていたので、家の中に誰かが侵入した事が直ぐ分かった!との事だった。


















 家の中に入ると、前回時に大体片付けていた各部屋が再度滅茶苦茶に荒らされていて、

 またもや足の踏み場が無い状態に成っていた!そうである。
















 その上に今度の侵入者は、『この家には以前に空き巣が入っていて、もう盗る物が殆んど無い!』 と分かったのか、

 その腹いせに?部屋の角隅3ヶ所に大便をしていたそうである。












 『踏んだり蹴ったり』、『泣き面に蜂』、『弱り目に祟り目』、『痛む上に塩を塗る』 等とはこの様な状況を言うのだろうか?


 その話を聞いて私達はただただ驚くばかりで、被害者のその時の心境を思うと慰める言葉も出無かった。











 東日本大震災と福島原発事故の被災者には殆んどの国民が暖かい支援の手を差し伸べたが、

 このような鬼畜のような人間が極一部に居る事も大変残念ながらまた事実のようである。


 現在は警察や自警団等がその地域を警邏しているので、その後の空き巣被害は無く成った!との事であった。









 私達は 『悪い事ばかりは続きません!、今度はきっと!何か良い事が有ると思いますので、どうか元気を出して下さい!!』

 と言ってお二人を励まし、握手してお別れした。



 私達は福島原発被災者の方と初めてお会いしてその実情を聞く事が出来たが、

 認識を新たにした事や色々と考えさせられる事が多かった出会いでした。




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