2015年(平成27年)7月28日(火曜日) 雨のち曇り 弱風
これは昨夜車中泊した 『道の駅・しちのへ』 であるが、今朝のラジオ天気予報を聴くと今日は雨との事だった。
今日は 『八甲田山』 に登る予定だったが、首脳会談を開いた結果、下北半島を一周しよう!との事になった。
朝食後、車外に出ていると同年代の男性が、自分は筑後地方の出身で、30年位前から妻の出身地である当地方に
住んでいるが、久留米ナンバーを見て懐かしくなりました〜!と話し掛けて来られた。
暫らく話をしたが、その方は玄関の前にサンルームの様な物を建てる仕事をしている!との事だった。
その後、道路を走っている時に注意しながら住宅を見ていると、
殆んどの住宅の玄関前にガラス張りでサンルームの様に見える小さな建物があった。
私はその様な建物を初めて見たが、この地方は九州人の私達では想像も出来ない降雪があるのでしょうね〜?
下北半島の北東端にある 『尻屋崎岬』 への入口まで行くと、道路に写真の様なゲートがあって通れなかった。
それでどうすればいいのかな〜?と思いながら、その前の広場で少し待機していると、
8時に1台の車がその前に進むとゲートが開いた。
あとからその車は監視員さんの車である事が分ったが、8時に電源が入り、
それ以降にゲート前に行くと、重量で車を感知してゲートが開くとの事だった。
尻屋崎岬の先端には、『尻屋崎灯台』 があった。
この馬は尻屋崎岬にしか生息せず、岬に放牧されている 『寒立馬=かんだちめ』 である。
ここで監視員さんがこの馬の写真を撮っていたので、色々と教えて貰った。
平成7年には9頭まで減少したそうだが、現在は47頭まで増えたそうである。
その内、去年生まれた仔馬は12頭で、今年は6頭しか生まれなかったとの事だった。
そして親馬は全部で29頭いるそうが、驚いた事に、その内の28頭がメス馬で、
オス馬はたった1頭との事であった。(羨ましい様な?、大変そうな? ・・・ 笑)
そのオス馬が、私達が見ている目の前で、メス馬に乗ったのがこの写真です。
去年生まれた仔馬?は、写真の様に立ち上がって蹴り合う遊び?を何回も繰り返していた。
私は怖くてとても近付けなかったが、右端に傍で写真を撮っている監視員さんが写っている。
海岸には 『魚介類を無断で獲ると、密漁になる!』 との看板が方々にあった。
この海岸にはコンブが打ち上げられるそうで、しかし観光客がそれを拾うと密漁に成り、逮捕されるとの事だった。
尻屋崎岬に入る道路は1本しか無く、このゲートは反対側の入口にあるゲートである。
こちら側のゲートは8時半にしか開かないそうで、この写真の撮影時刻は8時24分だったが、
ゲートの前にはコンブを拾う人達の車がもう何台も並んでいた。
尻屋崎岬のあとは日本三大霊場の一つである
『恐山=おそれざん』 に行った。
恐山の少し手前には 『三途川』 が流れていて、そこには写真の赤い橋が架かり、
橋の手前が 『現世』 で、橋を渡った所が 『あの世』 との事であった。
その 『三途川』 の前には、写真の 『奪衣婆=だつえば』 と 『懸衣翁=けんねおう』 がいた。
私はお賽銭を弾み、この二人によ〜く挨拶をしましたので、私はもう何時死んでも天国に行けると思います。
『三途の川も金次第』 と、昔からの言い伝えがありますからね〜!(笑)
恐山のあとは下北半島の最先端になる 『大間崎』 に行った。
ここに着いた時は雨が酷く、私達は傘を差しながら歩いていた。
このモニュメントの前では親切な観光バスのガイドさんと一緒に成り、これらのモニュメントの前で何枚もの記念写真を撮ってくれた。(感謝!)
大間崎のモニュメント群
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まぐろ一本釣りのモニュメント
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大間崎のあとは 『仏ヶ浦』 に行った。
駐車場にあった説明板
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駐車場から眼下に見えた仏ヶ浦
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駐車場から仏ヶ浦に下りようとしたら、その下山口にこの様な看板があったのでドキッ!とした。
熊は海岸近くにも下りて来るんですね〜!(コワ!)
駐車場からは山道や木の階段を10分ほど下りると海岸に出た。
私達が海岸に着いた時に遊覧船がちょうど到着し、私達はその乗船客と一緒になった。
その乗船客にはガイドが付いていて、岩の説明をするので私達も便乗して聴いていた。
写真の様な色々な形をした奇岩が沢山あったが、それらには 『如来の首』、『一ツ仏』、
『十三仏観音岩』、『蓮華岩』 等の名前が付いていた。
私達はその乗船客の中の同年代の御夫婦と話しながら、お互いのカメラで記念撮影を
撮り合ったりしていた。
そのご夫婦は 『暑いぞ!熊谷』 で有名になった熊谷市在住との事だったが、そのご主人と
話していると、大学時代の友人が太宰府市にいるそうで、『田主丸』 とか 『浮羽町』 とか
『星野村』 等と、久留米の直ぐ近くにある超ローカルな地名が出て来たのでビックリ!した。
仏ヶ浦から次の目的地に向かっていると、道路上に出ている猿に何回も遭遇した。
少し調べると、下北半島に生息しているニホンザル(ホンドザル)は、人間以外の霊長類では世界で最も北に生息しているので 『北限のサル』 と呼ばれ、
天然記念物に指定されているそうだが、小さいですね〜。
道路に猿が出ていた
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左写真のUP
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18時位に下写真の 『道の駅・浅虫温泉・ゆ〜さ浅虫』 に到着した。
この道の駅は、道の駅としては珍しい5階建てのビルで、温泉はその最上階にあった。
道の駅・浅虫温泉・ゆ〜さ浅虫
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5階からの眺め
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これが最上階にある温泉だが、入湯料は350円で、浴槽の眼下には青森湾が広がり、
そこでは何の漁をしているのか?分からなかったが、漁火が幾つも見えていた。
この日も口唇ヘルペスが完治していないので、温泉から上がってもビールが飲めず、辛かったですね〜!(涙)
尚、東北北部は今日梅雨明けしたとの事であった。
2015年(平成27年)7月29日(水曜日) 晴れ時々曇り 弱風
昨夜は 『道の駅・浅虫温泉・ゆ〜さ浅虫』 で車中泊し、今朝のラジオ天気予報を聴くと本日は 『晴れ時々曇り』 の事だったが、今日は津軽半島を観光する事にした。
昨日は下北半島を反時計回りに一周したが、今日は津軽半島を時計回りで一周する事にした。
9時半前に写真の 『道の駅・十三湖高原』 に到着したが、ここでは 『キュウリ、トマト、プラム』 等を購入し
写真の左奥に写っている展望塔に登ったり、東屋で休憩しながら購入した物を食べたりして50分近く居たようだ。
その後も 『道の駅・こどまり』 で休憩しながら、津軽半島の最先端にある竜飛崎灯台に向かっていると、
その直ぐ手前に下写真の、日本唯一の車が通れない国道339号線(通称=階段国道)があったので、ちょっと立ち寄ってみた。
その階段を下りると漁港に出るが、どうもこの国道の存在と名称は観光目的のようである。
竜飛崎灯台 .
↓ .
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日本唯一の、歩いてしか通れない国道
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その後は津軽半島の最先端・竜飛崎にある 『竜飛崎灯台』 に行った。
灯台の少し先まで行け、そこから見える景色の説明板があった。
しかし当時刻は雲が多くて、津軽海峡の彼方に見える北海道の陸地は霞んでいた。
竜飛崎灯台
↓
竜飛崎灯台から少し下りると、演歌歌手の石川さゆりさんが唄って大ヒットし、
竜飛岬の地名を全国的に有名にした 『津軽海峡冬景色』 の記念碑があった。
記念碑には歌詞が刻まれ、ボタンを押すと石川さゆりさんの唄声が流れる様になっていた。
私もこの唄は知っているので、ボタンを押して石川さゆりさんとデュエットしながら唄ったら、
近くにいた観光客達がうっとりして聴き惚れていた。(笑)
ちなみに、この記念碑の前に軽トラックでお土産を売っているオバさんがいたが、
この人が若い頃の都蝶々さんにソックリだった。
津軽半島一周後は、明日登る予定の 『八甲田山』 の登山口に向かった。
その途中には 『八甲田山』 の次に登る予定にしている 『岩木山』 が良く見えると言う、下写真の 『岩木山展望所』 があった。
しかし、その時刻は雲が多くて岩木山を望む事は出来なかった。(残念!)
その展望所の一角には右写真の、『八甲田除雪隊の歌』 が刻まれた石碑もあった。
岩木山展望所
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展望所の一角にあった歌碑
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これが 『岩木山展望所』 から車で20分ほど登った所にあった、『酸ケ湯温泉』 の建物である。
この酸ケ湯温泉は豪雪地帯としても有名である。
今年の冬もテレビで全国の積雪量の順位を報道していたが、酸ケ湯温泉の積雪量は何時も日本一で、
2013年の2月26日には566cmを記録したとの事である。(驚!)
これは酸ケ湯温泉の入口にある入湯券販売機である。
オバさんは 『玉の湯=男女別の小さな浴室=600円』 に入ったが、
私は 『ひば千人風呂(混浴)+玉の湯=1000円』 に入ってみる事にした。
温泉の入口には写真の様な、『混浴を守る会・三ヶ条』 が置いてあった。
私はまず混浴である、『ひば千人風呂』 に行った。
浴室を覘くと女性は誰も入って無かったので、ちょっと失礼して写真に撮った。
写真の様に浴槽は2つあり、いずれも中央部分に小さな看板があって、
左半分が男性領域で、右半分が女性領域との文字があった。
そして右側部分に見える仕切り板の奥には、女性専用の浴槽があるようだった?
私が奥の浴槽に入っていると、小学低学年位の男の子を連れた外国人親子が入って来た。
暫らくして外国人父親が仕切り板に向かって話し掛けると、仕切り板の向うから
中年の母親が首から上だけを湯から出し、足をアヒルの様に動かして?静々と姿を現した。
写真の様に湯が白濁しているので首から下は全く見えない。
ふたことみこと
その母親は二言三言、夫婦で会話をしたが、時間にして1分程でまた首から上だけを出して、静々と仕切り板の向うに戻って行った。
その後、私が手前の浴槽に入っている時も父親が呼んだのでまた母親が入って来たが、その時はバスタオルを巻いたまま入り、バスタオルを巻いたまま出て行った。
尚、左奥部分に見えるのは 『打たせ湯=3本有った』 で、私は暫らくこの打たせ湯に打たれながら、日頃の反省をしていた。(笑)
この浴室が 『ひば千人風呂』 の後に行った、男女別の 『玉の湯』 である。
『ひば千人風呂』 には身体を洗う場所が無いので、ここで洗髪をして身体を洗った。
酸ケ湯温泉で入浴後は温泉の少し上にある、『酸ケ湯公共駐車場』 に行った。
この駐車場にはキャンピングカーを始め、車中泊する車がその後も続々とやって来た。
私はこの日も口唇ヘルペスが完治して無かったので、ビールも飲まずに夕食を食べてから就寝した。(エライ!)
このあとは7月30日の 『八甲田山』 に続きます。
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