四 王 寺 山(410m)


2010年(平成22年)1月10日(日曜日)   曇り時々晴れ   微風


        大城山       焼米ヶ原
         ↓          ↓


 今日はグリーンウォーク(Vol.33)で紹介の 『四王寺山』 を歩く事にした。


 しかし同誌で紹介のコースとほぼ同じコースを、私達は去年の2月に歩いているので(四王寺山で既報)、

 今回の山行記ではその詳細は割愛する。


 写真の 『大宰府政庁跡』 を出発した時刻は、9時20分だった。











 『大宰府政庁跡』 を抜け、『市民の森』 を通り、写真の 『高橋紹運公墓』 に着いたのは10時ちょうどだった。















 『高橋紹運公墓』 からは左手に、これから向かう 『岩屋山』 の山頂が見えていた。









下・左写真が 『岩屋山=いわややま=281m』 の山頂で、 『高橋紹運公墓』 からは5分程で着いた。

右写真は眼下に見えていた、『大宰府政庁跡』 を少しズームアップして撮ったものである。

岩屋山の山頂部
眼下に見えていた、大宰府政庁跡







 『岩屋山』 からは途中で車道を横切り、写真の 『馬責め』 や 『四王寺県民の森センター』 等を通った。









 写真が四王寺山の中での最高峰、『大城山=おおきやま=410m』 の山頂で、到着時刻は11時10分だった。

 尚、この山頂は写真のよう周りは樹木で、展望は無い。

 その後は 『野外音楽堂〜百間石垣』 と下りて行った。

 百間石垣まで下りた所で、前回には歩いていない 『北石垣』 の案内標識が目に付いたので、その道に入った。

 北石垣への道は急階段の連続で、その途中で正午を告げる鐘の音(12回?)が聞こえて来た。

 私はその鐘の音を聴きながら空腹を覚え、そして急階段の登りに二乗に疲れた。

 その北石垣の急階段を登り切った所で道が分岐しており、私達はそこで道を間違えた。



後で分かったのだが、その分岐では左折して 『小石垣分岐』 方面への小道を下りなくていけなかったようである。

しかし私達は直進した広い道を歩いて行った。

その広い道を暫らく進むと段々下り始め、遂には車道に出てしまった。

今度はその車道を登っていると、周囲を猪よけの柵で囲った畑の中で同年代の女性が八朔の収穫中だった。

その方に道を尋ねると、その方はとても親切な方で道の説明をされた後で、

その分かり辛い分岐点には 『適切な分岐標識を設置するように、四王寺県民の森センターに言っておきましょう!』 と言っておられた。


 その方と暫らく会話した後に、私は少し期待しながら 『あの〜、収穫中の八朔は私の大好物なのですが〜!・・・』 と

 笑いながら言ったところ、『美味しいかどうか?分かりませんが、良かったらどうぞ!』 と

 写真の八朔を5個も頂いた。(若くてスタイルの良い、凄く優しい美人だった・・・笑)

 『もっと上げましょうか?』 と言われたが、今日は二人とも小ザックを背負っていた為に

 それ以上はザックに入らなかったので断ったが、『こんな事なら大ザックを背負ってくれば良かった!』 と、

 私は凄く後悔した。(笑)




その後その方は 『次の分岐点も分かり辛いので、そこまで御案内しましょう!』 と、次の分岐点まで私達と一緒に5分ほど歩いて案内して頂いたのだった。(大感謝!)

私達が道を間違えた勢で、そのように親切な女性に会え、そして私の大好物の八朔を5個も頂戴する事ができた。

もし正しい道を進んでいたら、こんな幸運にめぐり合う事は無かった!と思う。
                                                              じんかんばんじさいおう
このように 『何事も何が幸いして、何が災いに成るか分からず?』、少し大袈裟であるが私はまさに 『人間万事塞翁が馬だな〜!』 と思った。


 写真が 『大原山=おおばるやま=354m』 の山頂で、到着時刻は12時30分だった。


 『大城山』 からは1時間20分も掛かっていた。


 この山頂では女性二人が昼食中だった。


 私達は昨年と同様にここよりもっと見晴らしの良い 『焼米ヶ原』 で食べる事にしていた。





下・左写真が昼食を食べた 『焼米ヶ原』 の山頂部にあるテーブルで、『大原山』 からは15分程で着いた。

この山頂部には写真のようなテーブルが他に幾つもあるが、その多くのテーブルで登山者が昼食中だった。

今日は余り風が無かったが、ザックに自作の風防を入れていたので、折角だから写真のようにガスコンロの周りをその風防で囲って昼食を作った。

今日のお昼は写真の雑炊だったが、とても味が良く、また風が無い割には寒かったので身体がとても暖まって良かった。

昼食を食べた、山頂部のテーブル
昼食に食べた雑炊







 昼食後は前回と同様に、写真の 『水瓶山=みずがめやま=212m』 を経由して太宰府天満宮に下りた。









今日は正月明けの最初の日曜日でもあり、また受験シーズンを間近に控えている勢か?、太宰府天満宮は参道も境内も下写真のように大混雑だった。

太宰府天満宮の本殿の前では、右写真のように正面からお参りする為の長い行列ができていた。

しかし今年の私達は差し迫ったお願い事が無かったので、その長い行列には並ばずに本殿の横部分まで進み、手を叩き頭を垂れて簡単にお参りを済ませた。(笑)

参道
本殿入口
 本殿前の行列





 写真は境内に沢山ある茶店の一つだが、どの茶店も大勢のお客で大賑わいだった。


 私達は天満宮名物の 『梅が枝餅=1個105円』 を2個買い、それを食べながら歩き回った。








 写真は手等を清める手水舎(ちょうずしゃ)の前にある 『御神牛』 である。

 『御神牛』 の一部を撫でながらお願い事をすると、願い事が叶うと言われている。

 例えば、

   『頭を撫でながら、頭が良くなりますように!』 とか、 『目を撫でながら、目が良くなりますように!』 とか、

   『腹を撫でながら、内臓が良くなりますように!』 とか、『脚を撫でながら、走るのが速くなりますように!』 等である。

 皆がそのように御神牛を撫でながら願い事をするので、この御神牛は何時も写真のようにピカピカと黒光りしている。

 私も或る部分を撫でながらお願い事をしたが、私が撫でた部分は秘密である。(笑)










 それから手水舎横の広場では、今年も大道芸をしていた。



 去年来た時は 『猿廻し』 だったが、今年は 『南京玉すだれ』 をしていた。












太宰府天満宮から大宰府政庁跡へは裏道を歩いて帰った。

下写真はその道脇にあった歌碑である。

歌碑
左歌碑の解説

歌碑の解説文を読むと、子を思う親の気持ちは世界中、何時の時代も同じである!と思う。

世界中の親達が、その気持ちの対象を自分の子供以外にもう少し広げられたら、

この地球上の争い事や目を覆いたくなるような悲惨な事(子供の飢餓や無治療等)は随分と少なくなる!と思う。



大宰府政庁跡の駐車場に着いた時刻は15時20分で、総所要時間は6時間ちょうど、万歩計は25983だった。

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