四 王 寺 山(410m)


2009年(平成21年)2月21日   快晴   無風


今日は学問の神様として名高い菅原道真公を祀る 『太宰府天満宮』 近くの、四王寺山を歩く事にした。

尚、四王寺山とは一つの山を指すのでは無く、下のコース概念図にある山々の総称である。

昔、大宰府は九州の政治や文化の中心地で、周辺にはそれらに関する遺跡が多い。

今日はそれらの遺跡を巡りながら、太宰府天満宮に下山するコースを歩こうと思っている。

このように今日は 『太宰府の歴史・文化・観光』 に触れながら歩く積りなので、今回は何時もとは一味違った 『格調の高い山歩き』 を目指す予定である。(笑)

コース概念図
(緑の点線が歩いたコースで、黄色の矢印が順路)

自宅から 『大宰府政庁跡』 までの距離は33kmで、所要時間は55分だった。

『大宰府政庁跡』 には数十台が駐車可能な無料駐車場があり、そこを出発したのは10時ジャストだった。

下写真は 『大宰府政庁跡』 の入口にあった、説明書きである。

大宰府政庁跡の説明


大宰府政庁跡は公園化されていて、下写真のように広い芝生広場等では、多くの人達が子供と一緒に遊んだり散歩したりしていた。

 大城山             岩屋山
 ↓                 ↓.
政庁跡・建築群の礎石
左端の写真で1番奥に見える石碑



 順路は、政庁跡の中を通り抜けると、左に見える 『坂本八幡宮』 を右折である。


 そこから数百m歩いた道路脇で、左写真の石碑を清掃する年配のご婦人が居られたので 『これは何ですか?』 と

 お尋ねすると、『これは村に昔からあった恵比寿様で、毎年12月にお祭りがあります』 と教えてくれた。


 写真は少し見辛いが、石碑には恵比寿様が大きな鯛を持っておられる図が彫られていた。









 そこから更に数百mほど舗装道を進むと、左に直角に曲がる車両止めした舗装林道がある。


 その舗装林道を5分ほど進むと左側に小さな標識があり、そこから写真のような山道に入る。








           大城山
             ↓




 その山道を10分強進むと開けた所に出た。


 右側には高圧線の鉄塔があり、左側には左写真のような大城山が見えた。












 その後見晴らしの良い高台には左写真のような展望図があり、遠くはくじゅう連山や雲仙岳まで見えるとの事だった。


 今日は快晴だったのだが、残念ながら黄砂現象の為に遠くは霞んで良く見えなかった。











 それからこの四王寺山は霊場でもあり、左写真のような石仏様が33ヵ所に設置されているようである。


 その案内標識が登山道の至る所にあったが、その巡礼道は登山道とは少し異なるようである。


 尚、今回私達が歩くコースは巡礼の順路とは逆のようで、進むに従って札所の番号が少なくなっていった。






        福岡市        福岡空港
         ↓            ↓

 26番札所付近も開けていて、そこからは直ぐ下に大野城市の市街地が良く見えた。


 左写真はその大野城市の右方向に見えていた福岡市方面で、右奥の低い山の直ぐ向こうに福岡空港が見えていた。


 こうやって山の上から下を見ると、住宅やビルが隙間なく立ち並んでいて田畑等は殆んど見る事は出来なかった。


 そして大野城市と福岡市の境界等は全く分からないので、両市は合併した方が良いのでは?と思ったりもした。









 この写真がスタートして1時間35分で着いた、『大城山=おおきやま=410m』 の山頂である。


 この大城山が四王寺山の最高峰だが、周りは写真のように樹木で囲われていて展望は全く無かった。














 大城山から15分ほど下りると車道に出たが、そこには写真のような野外音楽堂があった。










野外音楽堂から10分ほど?下りるとその付近は開けていて、正面から右にかけて下写真のように、若杉山から宝満山までの稜線を一望できた。

そこを歩いている時に何処からか?正午を知らせる音楽が聞こえたて来たが、この日は無風で暖かく、そこではこの景色を見ながら昼食を食べている登山者もいた。


若杉山              砥石山       .
↓                  ↓         .
             三郡山  仏頂山 宝満山
               ↓       ↓ ↓





 上掲場所から10分ほど下りた所には写真のような 『百間石垣』 があった。


 その場所には案内版が幾つか設置されていたが、それらの説明写真は割愛する。









『百間石垣』 で再び車道に出たが、その車道を百m位?下りた所に右折する舗装林道がある。

その舗装林道を数百m登ると、『至勝田・土塁』 の道標があり、そこから階段を登って再び山道に入る。

その後少し進むと道は二つに別れる。

左の道には 『至勝田』 と 『宇美』 の道標があるが、右の道には何故か?行き先の案内は無かった。

しかしここでは行く先案内の無い右の道が 『大原山』 への順路である。



私達と同じ順路で歩く人達をこれまでに2組ほど追い越したが、その後の登山道では逆順路で歩いて来る多くの登山者と擦れ違った。

そんな道を25分ほど進むと下・左写真ような 『大原山=おおばるやま=354m』 に着いた。

その山頂で5分ほど休憩したが、前方の樹間からは右写真のような宝満山の山頂が見えていた。

双眼鏡で宝満山の山頂を見ると、上宮の祠と大岩の上に人が乗っているのが見えた。

大原山山頂
仏頂山 宝満山       .
↓   ↓       .

九州国立博物館      太宰府市の市街地
  ↓                  ↓



 大原山から更に15分ほど進むと展望の良い、『焼米ヶ原=やきごめがはら』 に着いた。


 私達はここにあるベンチに腰掛け、左写真のような景色を眺めながら昼食を食べた。


 この見晴らしの良い丘陵地では、他に数人の登山者が休憩していた。






        太宰府天満宮  九州国立博物館
               ↓         ↓




 『焼米ヶ原』 で40分ほど昼食休憩した後、数十m戻った所にある分岐標識から 『水瓶山』 へ下りる道に入った。


 その道を少し下りると舗装林道に出たが、左写真はその舗装林道を下る途中で写した景色である。













 その舗装林道を数分?下ると左側に道標あり、それに従って少し登ると、

 そこには左写真のような 『水瓶山=みずかめやま=212m』 の山頂があった。













 その後は砂防ダムの工事現場横や住宅地の中の道を25分ほど歩き、太宰府天満宮の参道まで下りたが、

 参道は左写真のように凄い人出で賑わっていて、露店も沢山出ていた。








    太宰府天満宮本殿    飛梅
             ↓      ↓



 参道の凄い人混みはそのまま数百m先の本殿まで続いていた。


 左写真が本殿前の様子だが、右側には 『飛梅=とびうめ』 も写っている。


 まだ受験シーズンのためか、受験生のような若い人達も多かった。







 どうせ菅原道真公にお願いするなら、なるべくお近くでお願いした方が良く聞いて頂けるのでは?と思ったので、

 私達は大変な数の参拝者の後ろに並び、1番前まで行ってお賽銭を弾み、以前の御礼や新しいお願い事等をした。


 本殿内では写真のように神官による祝詞が行われていた。

 私達も子供の七五三の時等に何度かこの本殿に上がって、参拝した事があった。

 そして参拝後は子供を遊び着に着替えさせ、太宰府天満宮に隣接する遊園地で子供と一緒に遊んでいた。





          飛梅のUP

 この木は2つ前の写真に写っている 『飛梅』 のUP写真であるが、

 『東風吹かば におひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ』 の短歌で有名な梅の樹である。

 天神様(菅原道真公)が京の都から大宰府に左遷される時に、京の紅梅殿の梅に別れを惜しまれて

 この歌を詠まれたそうである。

 そうするとその梅は天神様を慕って、一夜のうちに大宰府に飛来したとの伝説がある。

 この飛梅の前では記念撮影する観光客が引っ切り無しで、左写真は人が絶えた僅かの隙に写したものである。(笑)





 大宰府天満宮は約30万平方mの広さがあり、その境内には197種類・約6千本の梅の樹が有る!との事である。

 この日はお天気の良い土曜日で、境内の梅の花も見ごろの為に、境内は何処もかしこも人で溢れていた。


 境内には数多くの茶店があるが、今日はどの茶店も大変な賑わいで、

 左写真のように梅の樹の下に設けられている桟敷はどこも満席状態だった。


 私達も桟敷に上がり、名物の 『梅ヶ枝餅=うめがえもち』 を食べた。




本殿に入る山門の手前に御手洗(みたらし)があるが、その前に下・左写真のような銅製の御神牛(ごしんぎゅう)がある。

この御神牛は昔からあり、私が子供の時にも太宰府天満宮に来る度にこの牛を撫でていた。

右の説明書きのように、自分の身体の悪い部分を撫でると良くなる!との伝えがあるので、私達も子供をここに連れて来る度にこの御神牛を撫でさせていた。

もちろん私達も撫でるが、私が子供の頃は頭を撫でたり、走るのが速くなるように!と、脚を撫でたりしていた。

しかし最近は歳と共に撫でる部分が変わって来ている。(笑)

この御神牛は毎日多くの人が撫でる為、写真のように何時も全身がピカピカに光っている。

御神牛
御神牛の説明





 御手洗横の広場では、写真のような猿回し芸が行われていた。


 私達も少し見物したが、中々芸達者で面白かった。








      宝満山
       ↓


 太宰府天満宮で1時間ほどブラブラして帰路についたが、途中で通った広い有料駐車場(普通車=500円)は

 自家用車や観光バス等で写真のように超満車の状態だった。


 そして後から後から続々と押し寄せて来る車の列は、私達が駐車している 『大宰府政庁跡』 の近くまで

 数kmに渡って続いていた。






大宰府政庁跡に帰り着くと、朝は気付かなかったのだが、反対側に下・左写真のような歌碑があった。

右写真はその歌碑の説明書きである。

小野老の歌碑
歌碑の説明

それから、これも朝は気付かなかったのだが、驚いた事に大宰府政庁跡に登る石段の右側には、下写真のようなマンサクの樹があった。

私達は近い内に何処かの山にマンサクの花を見に行こうと思っていたのだが、今日ここで満開のマンサクを見たので、もう何処にも行かなくて良いようになった。(笑)

マンサクの花
マンサクの花のUP

『大宰府政庁跡』 の駐車場に着いたのは16時5分だった。 『大宰府政庁跡』 は午後も多くの家族連れで賑わっていた。



今日の山歩きをまとめると

         大宰府政庁跡(10:00)〜1時間35分〜大城山(11:35)〜1時間20分〜大原山(12:55/13:00)〜15分〜焼米ヶ原(13:15/13:55)〜

                   15分〜水瓶山(14:10)〜25分〜太宰府天満宮(14:35/15:35)〜30分〜大宰府政庁跡(16:05)で、万歩計は25724だった。



最初に書いたように、今回は 『格調の高い山歩き』 をする予定だったが、やはり何時のような山歩きになってしまった。(笑)



ところで今回は紹介出来なかったが、太宰府周辺には他にも 『九州国立博物館、観世音寺、光明禅寺、水城跡、・・・』 等、沢山の見どころがあります。

それらの説明に付いてはこちらの 『太宰府市の観光情報』 をご覧ください。

如何ですか!?、あなたも太宰府をゆっくりと訪れてみませんか?

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