2009年(平成21年)2月8日 晴れ 弱風 今日は下のコース概念図で、林道・南嘉穂線の登山口(スタート)から、宇土浦越〜屏山〜宇土浦越〜馬見山〜馬見山キャンプ場〜登山口と歩いた。 今回のコース中、『登山口〜屏山』 は過去にも何度か歩いた事があり、平成17年1月の 『屏山』 でも紹介しているので、 今回はその部分を省略し 『宇土浦越〜馬見山〜馬見山キャンプ場〜登山口』 の部分だけを紹介する。 尚、下の右写真は地図の古処山系を筑後川の土手から写した写真で、今回は山並の向こう側にある登山口から登り、写真の 『屏山〜前屏〜馬見山』 部分を歩いた。
この写真は 『宇土浦越』 はと呼ばれる場所で、古処山系の縦走路中にあって、馬見山と前屏の鞍部に当たり、 写真の左側が馬見山方面で、右側が屏山方面になる。 尚、この 『宇土浦越』 は十字路になっており、向こう側に下りる登山道が 『鮎帰りコース』 で、江川ダムに下りる。 私達はこの 『宇土浦越』 で5分ほど休憩し、屏山に行った。 屏山の山頂では4人の登山者が昼食中だった。 私達は屏山の山頂で5分ほど風景写真を撮りながら休憩し、再びこの 『宇土浦越』 に戻って来たが、 その時刻は12時10分だった。 写真のベンチで昼食にしようか?相談したが、満腹になると動きたくなくなる!ので、馬見山山頂で食べる事にした。 馬見山への登山道にもかなりの急登部分があり、そして屏山への道と同様に、 写真のような 『やぶ椿のトンネル』 を歩く所が多くあった。 下の写真は馬見山へ登る途中の、或るピークで撮った写真である。 左写真は後方に見えていた景色で今まで歩いて来た 『屏山〜前屏』 が、右写真は前方の景色でこれから目指す 『馬見山』 が見えていた。
馬見山に着く少し前では、写真のような 『福岡かんだ猿』 の標識を久し振りに見掛けた。 この写真が三角点のある馬見山の山頂で、この山頂は北方向の展望が開けている。 ここに2つあるベンチでは2組が昼食中だった。 1週間前に 『蛤岳〜脊振山』 を歩いたが、その時はまだ残雪がかなりあった。 今回の山歩きではここが1番高い所であるが、ここまでの日蔭部にも残雪はまったく無かった。 これからはもう寒くならずに、このまま暖かくなると良いなーと思う。 馬見山には山頂標識が二つあり、もう一つは上掲写真の50mほど先にある。 こちらの山頂では数年前に南面の樹木が伐採され、南方向は180度位の展望が開けている。 こちらの山頂でも二組のグループが昼食中だった。 私達も早速、写真のベンチに腰掛けて昼食を食べた。 下の左写真は山頂部から西方向に見えていた景色で、右写真は下方に見えていた景色である。 尚、この山頂から東方向には英彦山等が見えるはずであるが、今日は霞んでいたのでそれらは見えなかった。
馬見山の山頂で50分ほど昼食休憩をしてから、馬見山キャンプ場に下山する事にした。 三角点のある山頂部に、写真のような馬見山キャンプ場への分岐標識がある。 左が私達が歩いて来た古処山からの縦走路で、右が 『御神所岩』 を経由して馬見山キャンプ場へ下りる道である。 下の写真が上の分岐標識から5分強で着いた 『御神所岩=ごしんじょいわ』 で、上部は左写真のようにピラミッド形をしている。
下の左写真は上掲の御神所岩の基部にあった 『馬見山水場』 の案内板で、その30mほど先に右写真のような水場があった。
古処山はキツネノカミソリが咲く事でも知られているが、馬見山からの下山中にも写真のような葉を少し見掛けた。 馬見山キャンプ場へ下りる道はあまり整備されてなく、所々に崩壊場所があり、登山道が不明瞭な部分もあった。 午前中に登った宇土浦越までの登山道は良く間伐されているので大変明るく、気持ち良く歩けたが、 馬見山キャンプ場へ下りる登山道は間伐があまりされて無く、写真のようにかなり暗い山中を歩く所が数ヶ所あった。 現在、アフリカのソマリア沖には海賊が出没する為、自衛隊戦艦の派遣が検討されているが、 ここでは 『山賊が出るのでは?』 と思うほど気味が悪かったので、ここにも自衛隊を派遣して欲しいと思った。(笑) 馬見山山頂から1時間15分で写真のような馬見山キャンプ場の登山口に着いた。 この林道も南嘉穂線で、私達が今朝登り始めた登山口はこの林道を10分弱登った所にある。 今日の山歩きをまとめると、 登山口(10:00)〜50分〜宇土浦越(10:50/10:55)〜45分〜屏山(11:40/11:45)〜25分〜宇土浦越(12:10)〜 55分〜馬見山(13:05/13:55)〜1時間15分〜林道(15:10)〜10分〜登山口(15:20)で、万歩計は20676だった。 今日は天気が良かった勢か?古処山系を縦走する登山者が多く、幾つもの大小グループと擦れ違ったが、その殆んどは私達と同年代前後の中高年だった。 しかし、馬見山山頂では小学校低学年の男児を連れた若い夫婦と一緒になった。 その夫婦も子供と一緒に九州の山々を登っているとの事であった。 その家族と話していると、往年の私達を見ているような懐かしさを感じた。 そして、もし出来る事ならば 『あの頃に戻りたい!』 と思った。 |