清水峠〜駒返峠



2008年10月12日(日曜)  晴れ  微風


世界最大級を誇る阿蘇カルデラの規模は、東西=約18km、南北=約25kmあり、大きな楕円形をしている。

そして現在噴煙を上げている中岳を始めとした阿蘇五岳(根子岳、高岳、杵島岳、烏帽子岳)等は、その阿蘇カルデラのほぼ中央部にある。

阿蘇カルデラは周囲をグルリと外輪山に囲まれているが、その外輪山の総延長は約128kmにも及ぶそうである。

その外輪山の中で、西側から南側に連なる外輪山は 『阿蘇南外輪山』 と呼ばれている。

下のコース概念図で示すように、『阿蘇南外輪山』 の西端は 『俵山峠』 で、東端は 『黒岩峠』 になり、その距離は約40kmある。

健脚の方達はその 『阿蘇南外輪山』 を1日で縦走されているようだが、私達は部分的に少しずつ歩き、今までに3回を掛けて 『俵山峠〜駒返峠』 間を歩いていた。

今回はその続きになる 『駒返峠〜清水峠』 の部分を歩きに来た。

コース概念図


 清水峠の近くでは写真のように牛が道路に出ていたのでドキッ!としたが、

 相当お腹が空いているようで?、私達には全く目を向けずに一心不乱に草を食べていた。


 牛が夢中で草を食べている間に私は急いで牛の後ろを通り抜けたが、あんな草がそんなに美味しいのだろうか?


 不思議でならないので、私は何時の日か草にも挑戦してみようと思っている。(笑)


 もし美味しかったら 『食費が助かる〜!』 と言って、オバさんがとても喜ぶと思う。(爆)




 『清水峠=920m』 に着くと2台の車が止まっていた。


 福岡ナンバーのマイクロバスに運転手さんが残っていたので尋ねてみると、

 福岡市の山の会(25名位)の方達だそうで、私達とは反対方向にある 『高森峠』 までを歩きに来たとの事だった。


 尚、『駒返峠』 へ向かう登山道は、左側に見える狭い登りの舗装道である。


 清水峠を出発した時刻は9時55分だった。





 『清水峠〜駒返峠』 の間には他にも幾つかの峠があるが、清水峠に設置されている案内板によると、

 『清水峠〜天神峠』 間は2.2km、『天神峠〜多津山峠』 間は1.1km、『多津山峠〜駒返峠』 間は1.2kmで、

 今回私達が歩く 『清水峠〜駒返峠』 の合計距離は4.5km有るようである。


 清水峠から少し歩くと、前方に写真のようなNTT西日本の無線中継アンテナが見えて来た。


 そのアンテナまでは約15分で着いたが、そこまでは写真のような舗装道路だった。










 アンテナからは写真のようにススキ等が生い茂る登山道になったが、そこには下写真のような花が咲いていた。









ヤマラッキョウ
ウメバチソウ
シモツケソウ








 花の写真を撮りながらゆっくり15分ほど歩いていると、写真のような牛止めゲートがあった。















 牛止めゲートを過ぎると周りは雑木林になり、登山道の両サイドは写真のような熊笹になった。










 その後、駒返峠までの登山道には写真のような丸太の階段が10ヶ所位?現われた。


 復路時に階段の長い場所の段数を数えたら、300段以上の階段と300段に近い階段が2ヶ所あったので、

 『清水峠〜駒返峠』 間には合計すると1000段以上の階段があると思う。


 それに、この丸太の階段は靴を横向きにしないと着地できない、段幅の狭い部分が多かったので大変歩き辛く

 私達は階段の途中で何回も休憩して息を整えた。








 無線中継アンテナから50分ほど歩くと、写真の 『高千穂野=たかじょうや』 に着いた。


 尚、この場所が今回の山歩き中で1番高い所に当たり、標高は1101mである。














 高千穂野から15分ほど歩くと写真のような 『天神峠=1010m』 に着いた。












 その後の登山道では写真のようなキノコを見掛けた。


 大きさも色も形も、ゆで卵にソックリだった。


 又、タマゴタケにも似ているなー?とも思ったが、色が違うので私はそれを採る勇気は出なかった。












 天神峠から20分ほど歩くと、写真のような 『多津山峠=1050m』 に着いた。















 その後の登山道では、写真のようなキノコが倒木にビッシリと生えているのを見掛けた。

















 その後は写真のように植林地帯を通る所もあった。












 この写真が今回の目的地である、『駒返峠』 だが、多津山峠からは約30分で着いた。


 この場所には2年前(2006年)の9月に地蔵峠から歩いた事があった。


 尚、その時の様子は 『地蔵峠〜駒返峠』 で紹介していますので、お暇な時にでもお読み頂ければ幸いです。


 この場所に到着した時刻は12時を少し過ぎていたので、この広場に腰掛けて昼食を食べる事にした。


 しかしこの峠は見晴しは全く無く、少し陰気臭いので30分ほど昼食休憩したら戻る事にした。




尚、ここまでの山中では下写真のような花等を見掛けた。

ハガクレツリフネ
モミジガサ
ユキザサ


 中岳 高岳      根子岳
  ↓  ↓        ↓


 復路も往路と同じ登山道を花の写真を撮りながらゆっくりと歩いた。


 尚、今回の山歩き中に出会った登山者は少なく、4人だけだった。


 写真は復路時に無線中継アンテナ付近で写した、明日登る予定の 『阿蘇中岳〜高岳』 と根子岳だが

 その方面は写真のように霞んでいた。






下の写真は復路時に見掛けた花等である。

コウゾリナ
スミレ?
ミツモトソウ?


シラネセンキュウ
サラシナショウマ
シシウド


サイヨウシャジン
ハバヤマボクチ
アキチョウジ


キバナアキギリ
ノリウツギ
秋グミ


清水峠に帰り着いた時刻は2時50分だったが、車は1台も無かった。



今日の山歩きをまとめると、

  往路時は、清水峠(9:55)〜15分〜アンテナ(10:10)〜50分〜高千穂野(11:00)〜15分〜天神峠(11:15)〜20分〜多津山峠(11:35)〜30分〜駒返峠(12:05)

  復路時が、駒返峠(12:35)〜30分〜多津山峠(13:05)〜20分〜天神峠(13:25)〜20分〜高千穂野(13:45)〜45分〜アンテナ(14:30)〜20分〜清水峠(14:50) で、

  所要時間は往路が2時間10分、復路は2時間15分、万歩計は20971だった。





 清水峠からの帰路にも道路の横に大きな牛がいた。


 しかしその牛は有刺鉄線の向こう側にいたので、私は直ぐ横に車を付け車内から安心して写真を撮ったが、

 歩いている時にこのように鋭く尖った角を向けて近付いて来られたら、本当に恐怖である。


 下山が予定時間より少し早かったので、阿蘇山西駅に向かう途中では 『高森湧水トンネル公園』 に立ち寄った。





 明日は『阿蘇中岳〜高岳』に登る予定なので、今晩は阿蘇山西駅の駐車場で車中泊し、翌早朝から登る計画だった。

 阿蘇山西駅に着いたのは17時近くでまだ訪れる車もかなり有り駐車場や土産物店は多くの観光客で賑わっていた。

 しかし、18時半を過ぎるとその駐車場には1台の車もいなくなり、当夜は私達だけで貸し切りだった。

 写真が当夜の宴会料理だが簡単に説明すると、左の容器には 『シャケの南蛮漬け』 、

 中列・上容器の上段左は 『ムカゴ』 、その右は 『アーモンドとカシューナッツ』 、その下は 『ビーフジャーキー』 、

 中列・下容器の上半分は 『筍の煮物』 、下半分は 『キンピラゴボウ』 、右の容器は 『ハムサラダ』 である。

 飲み物は缶ビールとスキットルに入れてきたウイスキーで、デザートは 『梨と柿』 だった。



当夜は明日の晴天を約束するかのような無数の星と、満月に近い月が出ていた。

宴会を終えて二人がシュラフに潜り込んだのは20時半頃だったと思うが、その後暫らくすると暴走族(1台の乗用車)が1番広い駐車場にやって来た。

そして1番広い駐車場をスピードを出しながらブレーキを掛けて走り始めたのである。

私達は1番狭い駐車場の奥にある建物の裏側に駐車して窓も完全に締め切っていたので、車内には大きな音は入って来なかった。

しかし、それでもエンジンの排気低音とブレーキのキーキー音が0時過ぎまで断続的に聞こえていた。

何だか自動車レースの練習をしているような感じ?だったが、あれだけエンジンを吹かしてブレーキを掛けたらガソリンもタイヤも凄く消耗すると思う。

全くバカな奴である。


 阿蘇山(中岳〜高岳)


2008年10月13日(月曜=体育の日)  快晴  微風


 コース概念図





 今朝は6時過ぎに起きたが、その時刻はまだ薄暗かった。


 左写真はトイレに行く時に1番広い駐車場を写したものだが、

 その駐車場には写真のように昨夜の暴走族が付けた無数のタイヤ跡が残っていた。










 駐車場をスタートした時刻は6時45分だった。


 写真で右のレンガ色の道が専用歩道で、阿蘇山西駅から火口西駅への有料道路と平行している。


 太陽は既に少し昇っていたが、写真はその太陽が山陰になった所で写したものである。






   烏帽子岳    阿蘇山西駅  草千里ヶ浜
      ↓           ↓   ↓



 写真はスタートして15分位?した所で振り返って後方を写したものである。


 右の有料道路の先端部分に見える白い建物がスタートした阿蘇山西駅で、

 そのずっと後方に見える白い建物は 『草千里ヶ浜』 のレストハウスである。







                        色見分岐
                          ↓



 スタートしてから約20分?で火口と砂千里ヶ浜の分岐に着いたが、この場所には登山届けBOXがあった。


 尚、その場所は写真のように砂千里ヶ浜の縁を通る木道の起点で、遠くに色見分岐のケルンが写っている。


 色見分岐からの登山道は砂千里ヶ浜を左下に見ながら、砂千里ヶ浜の周囲を通っていた。











 写真は砂千里ヶ浜を過ぎて、前方に見えて来た登りの景色を写したものだが、

 写真のように岩に付けられた矢印に従って登って行った。








烏帽子岳 砂千里  草千里    杵島岳
   ↓    ↓     ↓       ↓



 この写真は上写真の登りの中程から、下方の景色を写したものである。


 杵島岳の手前側に白く見えているのがスタートした阿蘇山西駅で、私達は砂千里ヶ浜の周りを歩いて来た。


 尚、烏帽子岳の左奥に小さく写っている、尖った山は雲仙岳である。






下の写真は2つ前の写真で1番奥に見えている岩の上から、向う側の景色を写したものである。

その岩まで登ると、眼下には下写真のように見事な雲海が広がっていた。

そこに着いたのは8時10分頃?だったが、私達はその岩に腰掛け、お湯を沸かしてコーヒーを立て、眼下の素晴らしい雲海等を眺めながら朝食にした。

高森町方面
白水村方面
久木野村方面


私達は久し振りにこのように綺麗な雲海を見たので、朝食後もその場所で写真を撮ったり景色を眺めたりして30分近くも休憩していた。

これは余談になるが、この朝の雲海は翌日に九州の地方紙(西日本新聞)でも写真を掲載して紹介されたとの事だった。

尚、今回の山歩きではこのように方々で休憩して景色を眺めたり風景写真を撮る時間が大変多く、スプリットタイムは全く参考にならないと思うので、これ以降の時間は省略する。

それから、これまでに掲載した写真で分かるように、上空は昨日の天気予報通りに快晴だった。

しかし上掲写真の雲海の下に住む人達は上空を見ると雲ばかりなので、中には 『天気予報が外れた!』 と怒って、

気象庁に文句の電話を掛けている人もいるかも知れないなー?等と私達は笑いながら話していた。



尚、下の写真は下山時に同じ場所から写したもので、上掲写真と大体対応した?同方向の写真である。

その時の時刻は12時を過ぎていたので既に雲海は消え、上空は気象庁の予報通りに快晴になっていた。

今朝、怒って気象庁に文句の電話を掛けた人はきっと今頃は赤面しているだろうなー!と思った。(笑)

雲海が消えた高森町方面
雲海が消えた白水村方面
雲海が消えた久木野村方面






 写真は朝食休憩した場所から方々の風景写真を撮っている私の影である。


 影を見ると良くご理解頂けると思うが、私はこのように大変脚が長いのである。(爆)








         中岳
          ↓






 写真は中岳に向かう途中にあった遭難碑である。









 俵山 烏帽子岳 雲仙  草千里
   ↓  ↓   ↓      ↓
 これが 『阿蘇中岳=1506m』 の山頂標識である。


 この時の中岳火口の噴煙は、写真のようにかなり薄かった。


 尚、火口の左側に見える白い建物が、ロープウェイの火口西駅である。


 この山頂にいる時に、火口東駅から登って来たと云う広島市と熊本市の二人の男性が登って来た。


 広島市から来た若い男性は夕方までに広島に帰らなくてはいけないとの事で、記念撮影を済ませたら急いで下りて行った。



           天狗の舞台   高岳東峰
              ↓        ↓


 中岳から高岳へ向かう時は、私達はまだ歩いた事のない大鍋の中を通る事にした。


 コース概念図の月見小屋分岐で右折し、写真のような大鍋の中を通った。


 大鍋の中は平坦だが大小の岩が多く、また大鍋のどこからでも尾根道に登れるような感じだったが、

 私達は写真のようなケルンや岩に付けられた印等に従って大鍋の中を縦断した。









 大鍋の中央付近の中腹には写真のような月見小屋が建っていた。


 小屋の中を覗いたら、綺麗な10畳位?の広さの土間で、中には誰も居なかった。











 小屋の近くには写真のように古い、高校生の遭難碑があった。


 ガイド本にも注意書きがあったが、この山頂付近でガスに巻かれると全く方向が分から無くなるとの事なので、

 今後登山される方は十分の注意が必要である。







          天狗の舞台
             ↓






 大鍋の中を縦断して、大鍋の東端から高岳の東峰に登る時は、写真のようなブッシュ部分が少しだけあった。















 しかし、そんなブッシュの中には写真のようなリンドウが沢山咲いていて、蕾も多かった。









    根子岳    祖母・傾山群
      ↓        ↓




 高岳の東峰に着くと、そこには4〜5人の登山者が三脚を構えて風景写真等を撮っていた。


 東峰からは東方向に左写真のような根子岳と、その後方には薄くなった雲海に浮かぶ祖母・傾山群が見えていた。








万年山 涌蓋山     九重山群
↓    ↓           ↓






 この写真は北東方向の景色だが、一の宮町や阿蘇北外輪山の後方には九重山群が見えていた。












 東峰からは天狗の舞台に移動したが、天狗の舞台から眼下を見ると左写真のように

 アメリカのグランドキャニオンを一瞬思い出させるような深い谷があった。


 高い所が苦手な私は背筋がゾクッ!として思わず後退りした。







          人    鷲ヶ峰
          ↓     ↓


 天狗の舞台から高岳に歩いていると、北東方向に見える鷲ヶ峰の基部に数人の登山者の姿が見えていた。


 もしかしたらロッククライミングする姿が見られるかも知れない?と思い、私達は岩に腰掛けて栗やミカンを食べながら

 暫らく眺めていたが、準備に手間取っているようで私はとうとう痺れを切らし、見るのを諦めて歩き始めた。

 (見ている人の都合も考慮に入れて、迅速に行動して貰いたいものである!・・・怒!・・・笑)






                阿蘇山東駅
                   ↓


 左写真では小さくて良く分からないと思うが、高岳に向かって歩いていると

 阿蘇山東駅(仙酔峡)の方から多くの登山者が続々と登って来る姿が見えていた。


 以前の記録を調べると、私達は11年前(1997年11月)に子供と一緒に、

 この仙酔尾根ルート(通称=馬鹿尾根)を登った事があった。









 これが 『阿蘇高岳=1592m=阿蘇山で1番高く標高は語呂合わせで肥後国(ひごくに)と憶えると良い』 の山頂標識だが

 写真のようにかなり古くて字もハッキリしないので、できれば立派な山頂標識に変えて欲しいと思った。


 この山頂部では多くの登山者が休憩していたが、私達もここで周りの景色を眺めながら休憩する事にした。









 中岳や東峰と同様にこの山頂も360度の展望で、今日は天気が良い勢か、かなり遠くの山々まで見渡す事ができた。


 私達はお湯を沸かし、コーヒーでパン等を食べながら遠くの山々を双眼鏡で覗き地図と見比べて山座同定をした。


 これまでに説明した山名の他には、西から北方向に掛けて 『矢護山、鞍岳、八方ヶ岳、御前岳、釈迦岳、英彦山』 等、

 南から西方向に掛けては九州脊梁の山々が無数に見えていた。





天狗の舞台 東峰 根子岳   祖母・傾山群
  ↓    ↓    ↓        ↓
          大鍋   月見小屋
          ↓      ↓




 高岳山頂で暫らく休憩してから、再び中岳に向かって歩き始めた。


 左写真は直ぐ左下に見えている大鍋を写したものだが、大鍋の中央部の右側高台には月見小屋も写っている。








烏帽子岳   中岳     杵島岳   往生岳
 ↓       ↓       ↓      ↓






 左写真は上掲写真の撮影位置付近から、これから向かう中岳方向の景色を写したものである。









 烏帽子岳 雲仙   火口噴煙   杵島岳
   ↓    ↓      ↓       ↓
         ヘリコプター
           ↓
 この写真は再び中岳山頂に着いて中岳火口を写したものだが、午前中と比べると噴煙の量も多く色も濃くなっていた。

 私は10年位前?に噴煙に含まれる亜硫酸ガスに因って観光客が死亡した事を思い出し、

 噴煙の量と色が濃くなったのは、もしかしたら大爆発する前兆では?と、ドキッ!とした。(笑)

 山頂で休憩していると、今日は観光客が多い様で2機の観光ヘリコプターが引っ切り無しに火口上空等を飛んでいた。

 左写真にもその観光ヘリコプターが雲仙の右横に小さく写っている。

 予定では中岳山頂からの下山は東展望所を経由し旧マウントカー専用道路を歩く積もりだったが、昨日警備員の方に

 確認した処、その道路は現在は通行禁止との事だったので私達は往路と同じ道を通って下山する事にしていた。



白人女性  中岳山頂
  ↓       ↓

 中岳山頂から下山している途中で、二人の若い白人女性に出会った。


 顔を見ると二人とも真っ赤だったので、『ビールを飲んだのかい?』 と聞いたら、『違う!』 と答えたので、

 身振り手振りを加え、『そんなに日焼けしたら、後でシミだらけになっても知らないよ!』 と冷やかしたら冗談が通じた

 ようで二人とも 『Oh,no!、Oh My God!!』 等と言って、キャッキャッ!笑いながら歩いて行った。


 外国人女性も若い内は可愛いものである。(歳取ったら凄く変わるけどねー!?・・・笑)




                   無線中継アンテナ
                       ↓



 その後は登る時に朝食休憩をした岩で再び休憩をした。


 今朝の雲海は写真のようにスッカリ消えて、昨日登った阿蘇南外輪山等も見えていた。


 それで清水峠近くにある無線中継アンテナを双眼鏡で探したら、左写真の位置に見付ける事ができた。






 俵山   烏帽子岳   砂千里 木道起点
 ↓        ↓      ↓    ↓






 私達は見晴しの良い岩の上で暫らく休憩してから、下方に見える砂千里に向かって再び下り始めた。









 半分ほど下りた所で若い白人夫婦?と出会った。

 この時の時刻は13時を過ぎていたので、オバさんがこれからの予定を尋ねると、

 『中岳に登り、火口東駅からロープウェイで下り、バスで帰る』 との事だった。

 『時刻が遅いから少し急いだ方が良い!』 と忠告してから 『Have a nice day!』 と言ったら

 『Thank you!』 と言ってニコニコしていた。

 少し下りた所で振り返ったら、女性がこちらを向いて手を振っていたのでカメラを構えた。

 そうしたら男性も一緒になって手を振ったのがこの写真です。



 砂千里の端まで下りたら、砂千里の中を数人の観光客がこちらに歩いて来ていた。


 私は木道があるので砂千里の中は立入禁止とばかり思っていたのだが、そのような注意書きの看板も見当たらないし

 それに写真のように無数の足跡が残っていたので、私達も砂千里の中を歩いてみる事にした。


 砂千里の中は海岸の砂と殆んど同じような感じで、そんなに歩き辛くはなかった。


 それに二つ前の写真を見ても解るように、砂千里の中を通った方が断然近いし、アップダウンも無いのである。







 この写真はその砂千里の中を歩いている時に周りの景色を写したものである。


 草も殆んど無く、写真のように昔の地層が縞状に見えているので、

 私は何だか?月や火星を歩いているような気分になっていた。(まだ実際に行った事は無いのだけどネ!・・・笑)













 これは砂千里を縦断後に、砂千里とその縁を通る木道を写したものである。










 木道の起点部分には登山届けBOXがあるが、そこからは数百mの専用歩道を通って火口西展望所に行った。


 火口西展望所は写真のように沢山の観光客で賑わっていた。


 外国人観光客も多く、また露店が幾つも出ていた。


 九州の観光地では、やはりこの阿蘇山が世界的には1番知られているのでは?と私は思った。






 観光客に配る火山ガス警告のパンフレットを見ると、現在火口は7ヶ所あるようだが、

 噴煙を上げているのは写真の第1火口だけのようである。


 その第1火口には雨水が溜まり、化学変化を起こして写真のようにエメラルドグリーン色をしていた。


 私達は火口をゆっくり見物した後、火口西駅のベンチに腰掛けてお菓子や果物等を食べたりして、

 ゆっくり休憩してから下山した。







 阿蘇山西駅の駐車場にゴールした時刻は14時15分だった。


 私達が今朝出発する時は1台も無かった駐車場には沢山の乗用車や観光バスが停まっていた。


 そして火口に向かう車もまだ続々と来ていたし、ロープウェイも多くの観光客を乗せて運行していた。






今日の山歩きはこれまでに記述してきたように、方々でゆっくり休憩をしているので、スプリットタイムを書いても殆んど参考にならないと思うので省略する。

スタート時刻は6時45分で、ゴール時刻が14時15分だったので、総所要時間は7時間30分だが、その内の2時間30分位は休憩時間なのでは?と思う。

尚、万歩計は25940だった。



私達は久し振りに 『阿蘇中岳〜高岳』 に登った。

今回の山歩きはお天気に恵まれた勢も有ると思うが、やはり阿蘇山は九州だけではなく日本を代表する山であり観光地である!と思った。

どうです!、あなたも阿蘇山へ山歩きに来ませんか?

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