地蔵峠 〜 駒返峠


2006年9月23日  晴  微風


今日は2週間ぶりに山歩きに行く事にした。

先週の連休(9月17日〜18日)も計画していたのだが、17日に台風13号が九州に上陸したので、とても山歩きどころではなかった。

現在、私が近い内に山歩きをしたい!と思っている場所は、九州北部と中部だけで十数ヶ所ある。

今日はその中の1つである南阿蘇外輪山の 『地蔵峠〜駒返峠』 を歩く事にした。



今年の4月にこの地蔵峠から 『一ノ峯〜二ノ峯〜冠ヶ岳』 と歩いた事があるので、自宅から地蔵峠までの走行距離やその所要時間は分っていた。

最近は日没時間がかなり早くなっている。 下山時間の下限を17時に設定して、少し余裕を持った所要時間で逆算すると自宅出発が6時になった。

それで今朝は久しぶりに早起きした。(オバさんに起こされてだけどね!) 歳を取ると自然と早く目覚めるらしいが、私は早起きはまだ苦手である。

その事は 『私はまだ若い!と言う事の証明である!』 と、自分に都合の良いように解釈している。(笑)




 予定通りに自宅を6時に出発し、途中で景色の良い場所に停車して、車中でパンとコーヒーの朝食を食べた。

 祭日早朝の道路は空いていたので快調に飛ばす事ができ、

 写真のような地蔵峠の下にある駐車場に着いたのは8時15分だった。

 自宅から105kmを2時間15分掛かっていた。










 この写真が地蔵峠であるが、駐車場からは距離にして200mほど登った所にある。


 地蔵峠は平らで広く、そこからは写真の説明版のように阿蘇や九重の山々が一望できた。


 写真は東方向で、案内板の彼方に薄く見えているのは 『祖母山〜傾山』 の稜線である。


 この日は暑くも寒くもない気温で、気持ちの良いそよ風が吹き、

 写真のような青空の広がる絶好の山日和だった。








 先程も書いたが今年の4月に、この 『地蔵峠』 から 『一ノ峯〜二ノ峯〜冠ヶ岳』 と歩いた。

 7年前には子供と一緒に 『冠ヶ岳』 まで歩いた事があった。

 それ以前にも南阿蘇外輪山には子供と一緒に 『俵山峠』 から 『俵山』 までを歩いていた。

 しかし、それらは地蔵峠からみると北方向ばかりだった。

 それで、以前からその反対方向を歩いてみたいと思っていたのである。

 地蔵峠にはベンチも設置されているが、その一角には写真のように峠名の由来であるお地蔵様が3体祀ってある。
                            こまがえり
 私達はそのお地蔵様に簡単にお参りしてから駒返峠に向かって歩き始めた。 時刻は8時45分だった。






 歩き始めると登山道の両脇には写真のような夏草が茂っていたが、

 その中の至る所で薄紫色の 『マツムシソウ』 が沢山目に付いた。

 地蔵峠付近は 『マツムシソウ』 が多いと聞いていたが、こんなに多く咲いているとは思わなかった。

 全体的に花の盛りは少し過ぎているようだったが、下写真のように満開の花や蕾もまだかなりあった。





マツムシソウの1株
マツムシソウのUP
マツムシソウの蕾







 この写真は地蔵峠から10分ほど歩いた所で写したものであるが、少し前を1組の御夫婦が歩いてあった。

 追い抜く時に少し話してみると、私達と同年配の方達で 『大矢野岳』 までとの事だった。













 途中には写真のようなススキの中を歩く所もあった。

 このススキの中にもマツムシソウを始め、色々な花が咲いていた。












 この写真は地蔵峠を歩き始めて30分で着いた 『大矢岳=1220m』 の山頂標識である。

 山頂と言っても草原の中を通る登山道上にあって、少し小高い場所のような感じだった。

 そこからは南方面〜西方面の展望が良かった。












 大矢岳を過ぎると、前方には写真のような樹林が見えて来た。

 そこからは草原歩きでは無く、樹林帯の中の登山道を歩くようになった。








下の花々は地蔵峠からここまでの草原の中で見掛けた花達である。(復路に見掛けた花もある)

掲載以外にも色々な花があったが、ハッキリ写っていなかった花は省略した。

それからこの草原にはリンドウも多いとも聞いていたが、不思議な事に1輪のリンドウも見掛けなかった。 草むらに隠れて見えなかったのだろうか?

ヒヨドリバナ
サワヒヨドリ
ヤマヒヨドリ

コウゾリナ
ツクシゼリ
アキノキリンソウ


ホソバノヤマハハコ
ホソバノヤマハハコのUP
シオガマギク


アキカラマツ
ウメバチソウの蕾
オトギリソウの仲間?


樹林帯の中に入るとそこは杉や檜の植林ではなく、下写真のような自然林の中を歩く、とても気持ちの良い登山道だった。

クマザサも写真のように背が低く、アセビ、ケヤキ、ナラ等の樹木が多く目に付いた。

樹林帯の中の登山道風景ー1
樹林帯の中の登山道風景ー2
樹林帯の中の登山道風景ー3






 上掲のような樹林帯の中の登山道を20分ほど歩くと 『大矢野岳=1236m』 に着いた。

 尚、この大矢野岳が南阿蘇外輪山では1番高い山との事である。

 しかし、周りは写真のように樹木に覆われていて、展望は全く無かった。







その後の登山道も下写真のように相変わらず気持ちの良い自然林の中にあり、そこでは小鳥のさえずりも多く聞こえた。

しかし登山道脇のクマザサは徐々に高くなり、私達よりも背丈がある物も現れ始めた。

駒返峠に近くなると右側に少しだけ植林が見えたが、アカマツ、ブナ、ナラなどの大きな樹木を多く見掛けるようになった。

樹林帯の中の登山道風景ー4
樹林帯の中の登山道風景ー5
樹林帯の中の登山道風景ー6








 それから、これまでの樹林帯の中の登山道には、写真のようなドングリが方々に沢山落ちていた。









駒返峠に大分近くなった所で、1台のマウンテンバイクに追い抜かれた。

乗っていたのは40代位?の男性だったが、私は自然歩道をマウンテンバイクで走行される事を好ましく思っていない。

特にモトクロスバイクが走る事を大変苦々しく思っている。 モトクロスバイクが走ると登山道が深くえぐられて、酷く荒れてしまう。

それに登山者と接触や衝突の恐れがあり、非常に危険である。 それらには其々の専用コースを走ってもらいたいと思っている。

これまでに私達は自然歩道でマウンテンバイクやモトクロスバイクに出会った事は何度もあるが、

幸いな事に家族や私がそれらとの事故に遭った事も、他の登山者が事故に巻き込まれた事もまだ見聞きした事は無い。

しかし、重大事故が起きる前に関係機関には早急に対応策を立てて貰いたい!と思っている。


 地蔵峠の駐車場を出発してから3時間5分後に写真のような 『駒返峠=1060m』 に着いた。

 到着時刻は11時45分だった。

 阿蘇の外輪山にはその昔、『27越・48峠』 があったらしい。

 この駒返峠は当時、阿蘇と矢部町とをつなぐ重要道路だったようで、その当時は番所も設置されていたようだ。

 駒返峠の名前の由来としては、其々の麓から登って来てこの峠で馬を返した!とか、

 阿蘇大明神が馬でこの峠を越えようとしたが、あまりの険しさに引き返した!との伝説があるようだ。





 駒返峠は外輪山尾根上の鞍部にあり、上写真のように100坪位?の平坦地だった。

 私達が歩いて来た縦走路と交差する道(それが昔の重要道路)があり、駒返峠に設置されている道標によると、

 北方向に下ると駒返峠登山口で、その反対方向には 『丸山キャンプ場』 があるらしい。

 しかし 『丸山キャンプ場』 方向(上写真で左側)は2m位の背丈のクマザサに覆われてブッシュ化していて、

 その道を通る人は最近ほとんどいないのでは?と思えた。

 尚、この峠にも写真のようなお地蔵様が祀ってあった。




この峠は周りを写真のように樹木で覆われていて展望が全く無いので、昼食を展望の良い所で食べようと思い、少し先の方まで歩いてみた。

100m位先まで行くと登山道の左側に階段があったので登ってみた。

そこは登山道より10mほど高くなっていて以前は展望所のような感じだったが、荒れていたので駒返峠に引き返す事にした。

駒返峠には杉の巨木がある。 その下に傘シートを敷いて昼食にする事にした。

インスタント味噌汁をすすりながら弁当を食べ、食後のコーヒーを飲みながら静かな駒返峠で1時間ほど休憩した。



次の花々は駒返峠に着くまでに、樹林帯の中の登山道で見掛けた花達である。(復路に見掛けた花もある)

掲載以外にも色々な花があったが、ハッキリ写っていなかった花や名前の分らない花は省略した。

ホソバシュロソウ
モミジガサ
ヤマハッカ


ミヤマタニソバ
ツルニンジン
ガンクビソウ


ヤマシロギク
ユキザサ
シロヨメナ


ママコナ?
シラネセンキュウ?
キクイモ?


下の写真も樹林帯の中の登山道で見掛けたキノコ達である。 見るからに美味しそうなキノコもあったが、残念な事に私はキノコの知識が全く無い。

毎年毒キノコによる中毒や死亡事故が報道されるので、私はキノコを自分で採取した事は今までに1回も無い。

食べて即死なら良いが、血などを吐いたりして何日も苦しんで死ぬのはイヤなので、私は今回もそれらを採る事はしなかった。





 以上で、『地蔵峠〜駒返峠』 間の登山道の様子や見掛けた花などの紹介はし終わったが、

 場所をまた地蔵峠に戻して、今度は 『地蔵峠〜駒返峠』 間にある道標を紹介したいと思う。

 この写真は地蔵峠にある道標である。

 写真では少し見辛いかも知れないが、その道標には駒返峠までの距離は6.1kmと記入してある。

 私はその距離数を見て 『・・・ん!?』 と、思った。

 ガイド本にはもっと長い距離が書いてあったように記憶していたからである。(7.3kmと書いてある本もある)






 地蔵峠からは登山道脇で目に付いた花などの写真を撮りながら10分ほど進むと、また写真のような道標が現れた。

 それに書いてある距離を見て、また 『・・・ん!?』 と、思った。

 それには駒返峠まで6.3kmとなっており、合計距離も6.8kmと増えているではないか!

 『これはどうなっているんだ〜?、もしかしたら他にも間違っている物があるかもしれないな〜?』 と、思ったので

 これから先に道標が現れたら写真に撮りながら歩こうと思った。





その後は次のような道標が現れた。 どうやらここの道標は500m毎に設置してあるようである。

写真で峠名を指す方向が違うのは、登山道の右側と左側のどちら側に道標を設置してあるかで向きが異なるからである。

しかし、どの道標も 『地蔵峠〜駒返峠』 間の合計距離は6.8kmになっているので、『地蔵峠の道標が間違っていたのだな〜!』 と、思っていた。








 しかし、次に現れた道標を見て、また 『・・・ん!?』 と、思った。

 今度は500mではなく、600m増減していたからである。









 そこからしばらく進み、次に現れた道標を見て、また 『・・・ん!?』 と、思った。

 今度は400mしか増減していないのである。

 『それなら先程の道標は500mの増減にすれば良かったのに〜!?』 と、思った。

 『しかし、わざわざ増減距離を変えたのは、当局の深〜い考えがあるのでは・・・?』 と、思ったので

 私はその後も歩きながら、500m地点には設置できなかった理由などを色々と考えていたが、

 私のくたびれた頭では当局の深〜い考えは思い当たらなかった。




その後に現れた道標は次のように、また500mの増減で合計距離も6.8kmだった。





 しかし、次に現れた道標を見て私は 『ニヤリ!』 とした。

 駒返峠への残距離は一気に1kmも減っていて、地蔵峠への距離は500mしか増えていないのである。

 そして、両区間の距離は写真のように6.4kmに減ったのである。

 『しかしこれもミスではなく、当局の深〜い考えによるものだろう!』 と、また私は思った。






 その後私は 『今度はどんな道標が出て来るかな〜♪』 と期待しながら歩いていた。

 そして次に現れた道標を見て私は、またも 『ニヤリ!』 とした。

 当局がまたも私の期待に応えてくれたからである。

 今度はどちらの距離も400mずつ増えて、合計距離が7.2kmになっているではないか!

 しかし、『これも当局の大勢の人達が何回も会議を重ねた末に結論を出したもので、

       私のように浅はかな者には思いも及ばぬ深〜い思慮が有るのだろう!、

       そして何回もの厳重な検査を経た末に設置されたものであろう!』 と、私は思った。



 その後も私は 『今度はどんな道標が出て来るかな〜♪』 と期待しながら歩いていた。

 この標識も少し手前の方から見えていたので 『オッ! 当局は今度から道標の形を変えて来たな〜♪』 と思いながら

 近づいたら写真のように禁煙を促す標識だった。 タバコの投げ捨てによる山火事が方々で有るようので、登山者には

 絶対に止めてもらいたい! ちなみに私はタバコを止めてから20年になる。 以前の私はヘビースモーカーだった。

 特に若い時に麻雀に凝っていた頃は、リーチする度、上がる度、振り込む度にタバコを吸っていたので、徹夜麻雀を

 すると1晩に3箱位吸っていた。 だから朝、歯を磨く時はゲーゲー!と言いながら磨いていた事を思い出す。

 しかし、ある日からピタリ!とタバコは止めた。 今度は近日中に酒を止めようと思っている。(笑)



その後は私が期待するような道標は現れず、次の写真のようになっていた。


 これは私が最後に見た、駒返峠にあった道標である。 写真のように地蔵峠までの距離は6.8kmになっていた。

 これらの道標は、何処が計画して、何処が作り、何処が設置しているのだろう?  その中の関係者が1人でも

 もう少し注意を払えば、計画時や発注時、製作時や納品時、設置時などに誰かが気付くはずである。

 このような距離の間違いは他の登山道でも何回か目にしている。 距離の間違いは方向や地名の間違いに比べたら

 登山者に与える危険度や迷惑度は低いのかも知れない。 しかし、道標は我々の税金で作られている筈である。

 折角税金を使って道標を作るのであれば、当局にはその辺りにも細心の注意をして頂き、

 そしてもっと気合いを入れた仕事をして貰いたいと思う。



今回の山歩きで各地点の標高と、その区間の大体の距離を説明すると、

(地蔵峠=1086m)〜0.8km〜(大矢岳=1220m)〜1.5km〜(大矢野岳=1236m )〜4.5km〜(駒返峠=1060m) と、なっている。

地蔵峠から大矢野岳の距離は2.3km位であるが、その標高差は150mで、徐々に登って行く。

大矢野岳が今回の山歩きの最高地点だが、大矢野岳からは今回の山歩きの最低地点である駒返峠までは4.5km位で、その標高差は176mである。

その区間にはある程度のアップダウンはあるが、急な坂は無かった。 

復路に駒返峠から大矢野岳までの区間で、アップダウンの回数を数えてみたら12回だった。(数回の数え間違いがあるかも知れないが・・・!)




 この写真は復路に草原の中にある大矢岳を少し過ぎた見晴らしの良い場所から、阿蘇方面を写したものである。

 『阿蘇五岳』、『夜峰山』、『御竃門山=おかまどやま』 などが綺麗に見えていた。

 尚、1番右の山が阿蘇五岳の中の 『根子岳=1433m』 である。

 写真では良く分らないが肉眼では 『天狗岩』 もハッキリ見えていた。










 復路の樹林帯の中でも往路では気付かなかった花などを撮りながらゆっくり歩いたのだが、

 予定時間に大分余裕が有ったので、草原では花を探しながら、そして撮影しながらゆっくり歩いていた。

 この写真はそんな時に下の方に見えていた、地蔵峠(左側)と地蔵峠駐車場(右側)を写したものである。







駐車場に帰り着いた時刻は16時30分だった。 駐車場に駐車している車は朝より多くなっていて、まだ十数台の車が残っていた。

先程、地蔵峠を通った時には1組のカップルがベンチに座って話していただけなので、他の車の人達は冠ヶ岳方面から帰って来ている途中なのだろう。



今回の所要時間をまとめると、

               往路時は、 (地蔵峠駐車場)〜5分〜(地蔵峠)〜25分〜(大矢岳)〜20分〜(大矢野岳)〜2時間15分〜(駒返峠) で、小計は3時間5分。

               復路時は、 (駒返峠)〜2時間15分〜(大矢野岳)〜40分〜(大矢岳)〜45分〜(地蔵峠)〜5分〜(地蔵峠駐車場) で、小計は3時間45分。

               合計所要時間(昼食休憩は含まず)は6時間50分、万歩計は28436だった。



冒頭の方でも書いたが、地蔵峠より北の方面はこれまでに3回歩いた事があった。

そちら方面はいずれも草原歩きの方が多かったので、今回の山歩きも草原歩きが多いのだろう!と思っていた。

しかし、実際に歩いてみると自然林の中の素晴らしい登山道歩きの方が断然多かった。

そして急坂部分は無く、また倒木も少なくて危険な所も無かったので、子供と一緒に歩く家族ハイクや、自然林の中を歩く事が好きな方には格好のコースだと思う。

また今コースの山歩き中に出会った登山者は3組と少なかったので、駐車場にあった車の台数から考えると、地蔵峠からは冠ヶ岳方面に歩く人達が多いのだと思う。

今回私達は 『地蔵峠〜駒返峠』 を歩いたが、ガイド本によるとその先の 『駒返峠〜清水峠』 も良いらしいので、機会があれば何時の日か歩いてみたいと思っている。



それから、今回私達は 『地蔵峠〜駒返峠』 をピストン(往復)したが、ピストンがイヤな方は車2台で行き、地蔵峠駐車場と駒返峠登山口に駐車すれば良いと思う。

車1台で行き、片道だけ歩けば十分とお考えの方には、まず地蔵峠に自転車を降ろしてから駒返峠登山口に駐車し、

そこから地蔵峠に登れば、帰りは駐車場前のような下りばかりの道路を自転車で快適に走れるのでは?と思います。

しかし逆にすると、上り勾配がきつくて長いので、登山よりも何倍も疲れると思います。(笑)



 この写真は平地に下りてから、阿蘇山を写したものである。

 田んぼの稲穂は写真のように黄金色になっており、まもなく稲刈りが始まるのだと思う。

 これから山も 『実りの秋』 になります。

 私達は今回も山歩きで、心身ともにリフレッシュ!出来ました。

 あなたも爽やかな秋の日に、『山でリフレッシュ!』 してみませんか?





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