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2007年1月9日 曇り 時々晴れ 微風
今日登る山は自宅から見えている。 その山へは本当は昨日登る予定だった。
実は昨日の朝もザックを持って玄関を出たのである。 そうしたら外では微かに霧雨が降り、冷たい風も吹いていてかなり寒かった。
一昨日の天気予報では昨日は晴れマークだったので山歩きを予定していた。
山の方を見ると、そこは山全体が薄暗い雪雲に覆われていて稜線も何も見えなかった。
それで二人とも気勢を殺がれて仕舞い、顔を見合わせて 『少し様子を見てみようか!』
と、軟弱登山隊は家の中に戻ったのである。
私はコタツに入り、『肝心な時に当たらんなー!、気象庁はまだ酔っ払ったままで予報しているのかなー?』
等と言いながら新聞を見ていた。
しかし、1番いけないのはオバさんだと思う。
一緒に家の中に戻ったオバさんは何か片付け物をしていたようだが、暫らくして
『御屠蘇がまだ少し残っているけど、どうするー?、捨てるー?』 と
私に聞いたのがそもそもの間違いだったと思う。 (そんな事は晩酌前に尋ねたら良かったのである!)
私は即座に 『バカな事を言っちゃイカンよ!、酒を捨てるなんてそんな勿体ない事をしたらイカン!、コップに入れて直ぐ持って来なさい!』
と言ったのだが
それも少し悪かったのかも知れない? そして 『御節の残り物があったら一緒に持って来てー!』 と言ったのも、少しいけなかったかも知れない?
その後暫らくしてオバさんが、御節の残り物の黒豆と数の子を小皿に入れ、御屠蘇を入れたコップと共に持って来た。
御屠蘇は小さなコップに半分位だったので、直ぐ無くなりツマミだけが残った。
窓の外を見ると、先程よりドンヨリした雲が低くなり少し暗くなったように思えた。
それで 『今日の天気予報は外れて山は大雪のようだなー!、山はどうするー?』 とオバさんに尋ねた。
寒がり屋のオバさんは今日は行きたくないようで、『山は逃げないから、天気だったら明日にしようかー?』
と返事をしたのもいけなかったと思う。
それで私も 『御屠蘇を飲んでしまったから、もう運転は出来ないしなー!』 と答えた。
そして続けて 『どうせ運転出来ないなら、まだツマミも残っているのでもう少し飲もうかなー!』
と言った。
そう云う事で、その後私はツマミが無くなるまで酒を飲む事になって、軟弱登山隊の登山計画は突然延期になったのである。
夫婦登山は、良く云えば、このように計画に縛られずに自由に変更できる柔軟さにあるが、
悪く云えば、厳しさに立ち向かって行く気力や忍耐力が無くなるのかも知れない。(笑)
脊振山 石谷山 九千部山
↓ ↓ ↓
左写真は今朝見えた 『石谷山〜九千部山』 方面の景色である。
昨日の昼過ぎに見た時は山頂部は白く雪化粧していたが、今朝はその雪はまったく見えなかった。
昨日の昼から陽が射したので、雪は融けて仕舞ったのだろう。
今日の天気予報は曇り時々晴れで、上空は写真のように雲は多かったが風も無く割りと暖かかった。
『石谷山』 や 『九千部山』 への登山口は10ヶ所以上あると思うが、
今日は自宅からも近くて標高も低い 『御手洗の滝=おちょうずの滝』 から登る事にしていた。
冬は林道が凍結して怖いので、私達はなるだけ道路凍結の無い道を選んで通るようにしているのである。
『御手洗の滝』 の駐車場までは自宅から15km位の距離なので30分弱で着いた。
その駐車場には30台近くが駐車可能だが、私達が着いた時には既に2台の車が駐車していた。
尚、この駐車場にはトイレと靴洗い場?もある。 急いで身支度をして、車から歩き始めたのは10時15分だった。
左写真は駐車場の直ぐ上にある車止めだが、夏場にキャンプ場が開いている時はキャンプ場利用者のみ
もっと奥にある駐車場まで車を乗り入れる事が出来る。
これは上の車止めから20m位の所(曲がり角部分)にある湧水である。
今日は見掛けなかったが、普段はポリタンク等を沢山持って来て水を汲んでいる人が多い。
キャンプ場までの道路は舗装されていて、その横は水深の浅い渓流で、夏休み等は右写真のようにそこで沢山の子供達が遊んでいる。
私も子供が小さい時にこの渓流に良く遊びに連れて来ていた。
キャンプ場までの道路の様子
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左写真の夏場の様子
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駐車場から5分ほど歩くと写真のようなキャンプ場の入り口に着くが、道はここで2つに分かれている。
1つは左側の手前に見えている案内板の方に曲がる。
直進するとキャンプ場の中を通り 『御手洗の滝』 を経由して、1km位先の方でここで分岐している道と合流する。
私達は往路時は直進する事にした。
この写真は上写真で直進した奥の方に見えている案内板に
記載されている地図である。
この地図にも数本の登山道が記載してあるが、
実際にはこれ以外にも数ヶ所の登山口と登山道がある。
写真の右下には距離数が記入してある。
文字が小さくて見辛いかも知れないので明記すると、
(キャンプ場) 〜 0.6km/8分 〜 (御手洗の滝) 〜
2.5km/45分 〜 (石谷山) 〜 0.3km/10分 〜
(三領境峠) 〜 2.7km/50分 〜 (九千部山) である。
下の左写真の建物はキャンプ場の炊事棟だが、その手前の道標から右に行くと 『雲野尾峠』 経由で 『石谷山』 に登れる。
尚、右写真は同場所の夏場の様子である。
当日のキャンプ場の様子
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夏場のキャンプ場の様子
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キャンプ場の中の道は下の左写真のように渓流沿いなので、夏休み等はここでも大勢の子供達が泳いだり魚獲りをして遊んでいる。
私は去年の夏もこの道を通って九千部山に登り始めたが、余りの暑さに途中の石谷山で引き返し、この渓流で右写真のような魚を獲って遊んでいた事を思い出した。
渓流には下写真のような滝もあり、去年の夏はそこで下の中写真のように若い女性も泳いでいた。
『御手洗の滝』 からは左写真のようにかなり急勾配の階段を登って行く。
階段を登った後も登山道は急登が続き、私は早くもそこで少し汗を掻き始めた。
その急登を5分ほど上った所には、写真のようなイノシシのヌタ場があった。
そのヌタ場から20m位離れた所には、写真のようなベンチがあった。
キャンプ場の入り口で2つに分かれていた登山道はここで合流する。
私達は少し汗を掻き始めていたので、ここでブラウスを脱いでザックに仕舞った。
尚、このようなベンチはその後の登山道脇に4〜5ヶ所設置されている。
上のベンチから5分ほど歩くと写真のような橋があったが、通行止めになっていた。
以前から方々の隙間から下が見えるほど丸太が傷んでいたので、私は去年の夏もこの橋は通らずに下を渡った。
尚、この付近の登山道は写真のような植林の中を通っている。
又、その付近の登山道では下写真のように大きなイノシシの足跡があったが、急坂部分では右写真のようにイノシシが50cm位滑った跡もあり、
そのイノシシが滑るところを想像すると何だか可笑しかった。
イノシシの足跡
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イノシシが滑った跡
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登山道は渓流沿いなので、途中で何度もその渓流を横切る。
その為に夏場は吹いて来る沢風が大変心地良く、冷たい水で汗も拭けるので、
このコースは特に夏場がお勧めである。
その後も小さな渓流を何度か横切っている内に、周りの木々は何時の間にか自然林になっていた。
駐車場から歩き始めて約1時間で写真のような 『九千部林道』 に出た。
キャンプ場にあった案内板によると、右に行くと山浦町で、左に行くと中原町に出るとの事だった。
この林道を横切った所には下写真のような東屋とキャンプサイトがあるが、今までにここでキャンプしているのを私は見掛けた事が無い。
このキャンプ場には飲料水もトイレも無いので現在は利用されていないようである。
下のキャンプ場にあった案内板によると、下のキャンプ場の標高が230mで、この上のキャンプ場の標高は554mとの事である。
その標高差は324mでその距離は3kmらしいが、私達はそこを1時間で歩いた事になる。(何だか距離数が多いような気がする?・・・案内板や道標で距離数が異なる)
尚、この付近から下の右写真のように薄く雪が残っていた。
それからこのキャンプ場を少し過ぎた辺りを歩いている時に、前方で 『ブルブルブルー』 と鼻か唇を震わせるような音が聞こえて来た。
音のした方を見てみると、一瞬だが暗褐色の大きなイノシシが山の中に走り去るのが見えた。
前夜のテレビで静岡県の主婦がイノシシに襲われて重傷を負ったとのニュースを見たばかりだったので、その時はこちらに突進して来なくて良かったーとホッ!とした。
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上写真から10分弱歩くと写真のような道標に出た。
右に行くと 『雲野尾峠』 経由で下のキャンプ場に出るが、
その途中で分岐道に入ると 『城山』 への登山口でもある 『筑紫神社』 下の駐車場に行く事も出来る。
上のキャンプ場から先は結構急坂が多いのだが、
登山道周辺は写真のように、カエデ、ネジキ、ブナ、リョウブ等が多く、気持ちの良い自然林である。
この写真が 『石谷山=754m』 の山頂だが、上のキャンプ場からここまで約25分を要していた。
この山頂部には写真のようにテーブルやベンチが設置されているが、周りは樹木に囲まれていて展望は無い。
尚、上のキャンプ場との標高差は200mで、距離数は1.5kmのようである。
この山頂部には誰もいなかったが、私達はここでスパッツを着けて行動食を食べた。
それからこの山頂部には写真のようにまだ真新しいマウンテンバイクのタイヤの跡が残っていた。
どうやら九千部山からこの石谷山まで走行して来て、ここでUターンしているようだった。
石谷山からは、少し急登を5分ほど歩くと下写真のような 『三領堺峠』 に着いた。
ここで左折すると 『七曲峠』 の登山口に出るが、私達はその 『七曲峠』 からも良く九千部山に登る。 尚、ここから以降の登山道は
『九州自然歩道』 になっている。
上の 『三領堺峠』 から 『九千部山』 までは2.7kmの距離があるようだが、その標高差は100m弱しかないのでアップダウンは少ない。
そしてその間の縦走路は割りと広くて、周りは下写真のように、アカシデ、コナラ、ブナ、リョウブ等の気持ちの良い自然林が続き、この縦走路は私達のお気に入りの1つである。
それにこの縦走路は自宅からも近く、そして四季折々に楽しめるので私達は良くここを歩いている。
上の中写真にも写っているが、私達のお気に入りの縦走路には左写真のようにタイヤの跡がずっと続いていた。
それを見ると何だか綺麗な風景の一部にペンキのいたずら書きが見えるような感じ、
或いは部屋の中を土足で歩き回られたような感じで、私は少し不快感を覚えていた。
しかし山に住む動物達からみると、私達登山者は同じようなものかも知れないなー?等と思ったりもした。
『三領堺峠』 から30分ほど歩くと、前方の木々の間からは九千部山の山頂部にあるテレビアンテナが見えて来た。
この付近で下りて来る単独行の男性と2回擦れ違った。
多分、駐車場に2台駐車していた人達だろうと思う。
この付近から積雪は段々多くなって来た。 積雪の上を歩くと少し靴が沈み込むが、その時の感触が私は好きである。
また、その時に生じる 『サクッ、サクッ』 と云う踏み付け音も小気味良くて好きである。
誰も歩いていない縦走路では私達が雪を踏み付ける 『サクッ、サクッ』 と云う音だけが聞こえていた。
それからその付近の登山道脇からは下・左写真のようにフユイチゴの葉が多く目に付くようになって来た。
フユイチゴの実は今の季節に生る筈だが、しかし今年は何故か?、その実は中写真のように殆んど見掛け無かった。(もう遅いのだろうか?)
もう10年位前になるが、11月末にここでフユイチゴの実を沢山採り、それで作った果実酒がまだ残っている。
尚、右写真は2年前の11月末に他の山で写したフユイチゴの実である。
『三領堺峠』 から40分ほど歩くと、左写真のような分岐標識に出た。
標識の 『四阿屋=あずまや』 の方向に下ると、5kmで鳥栖市の四阿屋登山口に出る。
上の分岐標識から3分ほど歩くとまた分岐標識があった。
今度はそこから1.2km下ると 『グリーンピアなかがわ』 の登山口に出る。
上の分岐標識から2〜3分歩くと、道は写真のように2つに分かれている。
右に行くと直接 『九千部山』 の展望台下に行ける。
私達は往路時は左の道を通り、復路時に右の道を通る事にした。
左の道はアンテナの裏の方を通り、5分弱で舗装道路に出た。
左写真のアンテナにはNHKテレビを始め民放テレビ各局の名前があった。
舗装道路に出たら上の方から車が下りて来た。
その坂道部分は木陰なのでアイスバーンのように見えた。
それでスリップして突っ込まれたら大変だ!と思い、私達は道の外に避けていた。
しかしその車はスリップする事も無く私達の前を通り過ぎたが、その後部にはマウンテンバイクを積んでいた。
私は急いでデジカメを出して写したのが左写真である。
私達の前を通過する時に運転手を見たが、若くて身体もでかく、格闘技のK1選手のように怖くて凄く強そうだった。
それで私はその車に向かって、運転手には絶対に聞こえない位の小さな声で 『バカヤロー!』 と言ってやった。(笑)
この写真は九千部山山頂部にある駐車場である。 向こうの方に見える建物はトイレである。
この山頂部まで舗装道路が通じている為に、普段はドライブがてらに登って来る人の方が登山者より多いのだが、
流石に今日は積雪の為にドライブで訪れている人達は見掛けなかった。
駐車場に1台の車が見えるが、この車はアンテナ保守作業の人達だった。
この写真が九千部山の山頂である。 後方に見えるのは3階建ての展望台である。
山頂部の広場にはかなりの足跡が残っていたが、誰もいなかった。 着いた時刻は12時55分だった。
広場には写真のようなベンチとテーブルが4台あるが、私達は1番奥のテーブルで昼食を食べる事にした。
オバさんが昼食の準備をしている間に私はその付近を散策した。
今日は雲が多いが殆んど風が無かったので、時々陽が射す時は暖かく感じる程だった。
下写真は山頂部にある九千部山の名前の由来と祀ってあるお地蔵様です。
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私は食べ物に好き嫌いは全く無く、味付けにも殆んど無頓着なのでオバさんは大変楽だと思う。(笑)
『甘い物、辛い物、苦い物、酸っぱい物』 等、出された食べ物は何でも
オバさんが笑うほど私は良く食べる。(しかし上品な私の食べる量は少ない・・・笑)
今日の昼食はチャンポンだった。
私は毎日1回は食べても良い位に麺類は大好物なのでニッコリしながら食べていた。 そして身体も暖まった。
それから味の方はリンガーハットのチャンポンよりずーっと美味しかった事を付け加えておきます。(笑)
食後のコーヒーを飲んでから下山前に展望台に登り、周りの景色を見て来る事にした。
展望台からは360度の眺望なので、今回はその全方向の景色を紹介する。
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北方向で、福岡市や玄界灘方面
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北西方向で、後方の山は脊振山 .
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北東方向で、筑紫野市や宝満山方面
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西方向で、遠くに天山
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北
西 + 東
南 |
東方向で、朝倉市や古処山地方面 .
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南西方向で、佐賀市や柳川市や有明海方面 .
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南東方向で、鳥栖市や小郡市方面 .
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南方向で、久留米市や耳納連山方面
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九千部山の山頂部で1時間ほど昼食休憩したので下山する事にした。
下写真は下山時に見付けた、登山時の私達の靴跡です。
オバさんは2ヶ月ほど前に足の小指をベッドの角にイヤと云う程ぶっつけて骨にひびが入り、それがまだ完治していないようである。
骨にひびが入る少し前にオバさんは新しい登山靴を買ったのだが、それを履くとまだ骨にひびくとの事で、今日も履き慣れた古い登山靴を履いて来ていた。
そう云う事で、こうしてオバさんの靴跡を見ると私の靴跡と比べて、靴底の模様がかなり擦り減っているようである。
私の靴跡
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オバさんの靴跡
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下山時は積雪した山を歩く時の私達の楽しみでもある、動物達の足跡を探しながらゆっくり歩いた。
下写真は下山時に見付けた動物達の足跡である。
正月なので動物も酒を飲んで酔っ払っているのかなー?と思えるような、そして私が時々なるような千鳥足の足跡もあった。(笑)
野ウサギが跳ねた跡 - 1
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野ウサギが跳ねた跡 - 2
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鳥の足跡
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尚、動物の足跡に興味の有る方は、2005年(平成17年)3月26日の 『矢護山』 をご覧下さい。
テン、アナグマ、野ウサギ、キツネ、タヌキ、イノシシの足跡を紹介しています。
この写真は石谷山から500mほど下りて来た所にある道標である。
2ヶ月程前に違ったコースで石谷山に登った時の下山時に、この分岐道に入った事があった。
そうしたらこの道は高圧線の鉄塔で行き止まりだった。 しかし鉄塔の少し前に、下りている細い分岐道があった。
その時は時間が無かったのでその分岐道には入らなかったが、今日は時間的に少し余裕があるので、
気になっていたその分岐道に入ってみる事にした。 その分岐道までは写真の道標から5分位で行けるので、
早速その細い分岐道に入ってみたが、その道はけもの道で?数十m進んだ所で踏み跡は消えていた。
左側を見ると急激な崖だったので、怖くなって軟弱登山隊はスゴスゴと引き返して来たのだった。(笑)
その後もまだ少し時間の余裕が有ったので、気になっていた上のキャンプ場の前を通る九千部林道からの登山口も確かめに行く事にした。
その登山口は15分ほど歩いた所で確認できた。
前回そのピンクのリボンは二人とも林道から見えていた事を憶えていたが、あと5mほど中に入り込めば写真のようにハッキリした道が見えていたのである。(反省!)
しかしそこまで歩いて来たお陰で、その付近からは下の右写真のように夕日に輝く美しい有明海と、その向こう側には薄く雲仙普賢岳等の景色を見る事が出来た。
九千部林道から石谷山への登山口
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有明海と雲仙普賢岳
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写真は 『御手洗の滝』 の駐車場である。 私達がここに到着した時刻は16時50分だったが、もう誰もいなかった。
今日の山歩きをまとめると、
(駐車場)〜60分〜(九千部林道)〜30分〜(石谷山:休憩=10分)〜5分〜(三領堺峠)〜60分
〜(九千部山:昼食休憩=60分)〜60分〜(石谷山)〜1時間55分〜(駐車場)
で、
万歩計は28750だった。
しかし上記所要時間で下山時の (石谷山)〜1時間55分〜(駐車場) の時間には、
他の登山道確認に要した45分程の時間も含むので、それを引くとその間の実際の所要時間は1時間10分である。
今日の山歩きで見掛けた花は写真の椿だけだった。
冬の山歩きでは、心を和ませ、目の保養にもなる、綺麗で可憐な野の花等を見る事が少なくて残念である。
しかし冬の山歩きでは蛇は出ないし虫も少なく、他の季節では多くの登山者で賑わうような人気山でも
冬だけは登山者が極端に少なくなりますので、静かな山歩きが楽しめる等の良いところが有ります。
冬はコタツの中が多いアナタ!(周りをキョロキョロ見ないでもヨロシ!、この山行記を読んでいるアナタの事ですから・・・笑)、
どうぞ冬の山歩きも楽しまれて下さい。
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