琴ノ尾岳、扇塚公園〜仙吾岳〜丸田岳〜稗ノ岳〜扇塚公園と周回



2012年(平成24年)10月2日(火曜日)  晴れ  弱風


10月1日の夕方、グリーンウォーク(九州・山口の山岳誌)のバックナンバー(Vol.32)を眺めていたオバさんが、

『今頃の季節は長崎県の山に、私達はまだ見た事の無いダンギクの花が咲いているようだから行ってみようか?』 と突然言い始めた。

Vol.32の94ページから紹介してある、『ダンギクと展望の里山に遊ぶ!』 を私も早速読んでみると、私達がまだ歩いた事の無い長与町の山に

『ダンギクが咲いている!』 と紹介してあった。



天気も暫らく続きそうなので 『思い立ったが吉日!』 と、明朝から長与町に行き、紹介の長与町の山を周回し終えたら当日中に島原に移動し、

その翌日は 『今年の5月に新しい周回ルートが開通したと言う雲仙を歩こう!』 と瞬く間に両首脳の合意をみた。

それで夕食を食べ終えたら早速近くのスーパーに10月2日〜3日分の食料を買い出しに行った。

翌朝、オバさんは早起きして当日夜の宴会料理等を作っていたので、自宅を出発できたのは7時少し前だった。

GPS軌跡はHP容量節約のため省略しますので、地図はグリーンウォーク(Vol.32)をご覧下さい。




 長与町の本川内駅付近から、扇塚公園に行く途中で道を間違え、

 写真のような 『琴ノ尾公園』 に着いてしまった。

 私は 『仙吾岳〜稗ノ岳』 を周回したあとに、琴ノ尾岳にも登ろう!と思っていたので

 順番が逆になってしまった。


 公園には下方に写っている地元の幼稚園児達が遠足に来ていたのでとても賑やかだった。


 尚、この 『琴ノ尾公園』 は大変見晴らしが良く、多良山系や虚空像山等の山々や大村湾、

 大村市街地や長崎空港等が綺麗に見えていた。












 写真が 『仙吾岳』 の登山口となる 『扇塚公園』 だが、ここを出発した時刻は10時50分だった。














 扇塚公園からは舗装されている林道を200〜300mほど登って行くと、最初のT字路に道標があり、

 それに従って右折すると写真のような動物除けのゲートがあり、そこから山道に入った。













 登山道は植林地と雑木林が半々位で、雑木林内を歩いている時は写真のような山栗が方々に落ちていた。

 しかし、実が入っているものは殆んど無かった。
















 写真が動物除けゲートから15分弱で着いた 『仙吾岳=376m』 の山頂である。



 山頂の周囲は写真のような樹木で展望は全く無かった。
















 『仙吾岳』 の山頂から10分弱進むと、写真のような分岐標識が現れたので、

 ここでは右折してまず 『タンタン岩』 に行く事にした。








上の分岐標識からほんの2〜3分進むと、下写真の 『タンタン岩』 に出た。

扇塚公園には私達の他には車が無かったので、タンタン岩にも誰も居ないだろう!と思っていたが、そこには既に先客がいたのでビックリ!した。

先客は30歳前後の若い男性で、後から彼と会話すると時津町の消防士で 『長与ダム』 に駐車して登って来たとの事だった。



タンタン岩からは下写真のように見晴らしが良く、眼下に長与町や時津町のや町並みが、左手の少し彼方には長崎市の山や 『ながさき女神大橋』 等が、

そして左手には大村湾等を望む事が出来た。

それから嬉しい事に、このタンタン岩の山頂部には下・右写真のような 『ダンギク』 が方々に咲いていた。

今回の山行ではこのダンギクを見るのも大きな目的の1つだったので、私は大変嬉しく思った。

タンタン岩の先端から気取ったポーズで景色を眺めるオバさん
稲佐山             岩屋山        烏帽子岳       .
↓                 ↓            ↓         .
タンタン岩の山頂部に沢山咲いていたダンギク
後方の海は大村湾


ダンギクのUP(風でボケている)
タンタン岩の説明書き

タンタン岩の山頂部で周りの景色を眺めたり、風景やダンギクの写真を撮ったりして15分ほど休憩後は先程の分岐標識まで戻り、今度は 『丸田岳』 を目指した。

下写真がタンタン岩から5分強で着いた 『丸田岳=339m』 の山頂である。

この山頂も周りは樹木で展望は無いが、少し先に展望所があった。

しかしそこからの景色は先程のタンタン岩からの景色と殆んど同じだったので写真は割愛する。

丸田岳山頂
山頂にあった烽火台の説明書き







 その後の登山道は、写真のように片側が植林地で反対側は雑木林の所を通る事が多かったような気がする。













 丸田岳山頂から上写真のような登山道を10分強進むと、写真のような 『テレビ中継塔』 の横を通った。



 そしてその後は車が通れる広い林道を下りて行った。









 その後には道標が暫らく無く、途中の分岐では左折した道が登っていたので、『そちらが稗ノ岳方向だろう?』 と思い

 その道を登って行ったら写真のように周りを柵で囲ったミカン畑に突き当たり引き返した。(怒!)



 そうしたら 『稗ノ岳』 に登ってから戻って来る先程の青年と出会ったので、5分ほど立ち話をしていたが

 『幼稚園に子供を迎えに行く時間に遅れそうだ!』 と急いで下りて行った。









 その後も道標が少ないので道路が分岐している所ではどちらに進めば良いか?迷う所が有った。



 しかし10分弱舗装道路を下りると、先程の青年から教えて貰った写真の 『稗ノ岳神社』 の赤い鳥居が現われた。

















 『稗ノ岳』 の登り口は上写真の直ぐ上にあったが、写真のように70度位は有る?

 崖のような所にロープがぶら下がっていたので、それを見ながら私達は

 『エ〜ッ!こんな所を登って行くの〜!?、ここが本当の登り口?』 と言って暫らくそこを眺めていた。



















 写真は上写真の崖を両手に2本のロープを握って登って来る、オバさんの雄姿である。









     岩屋山        烏帽子岳
       ↓            ↓


 写真が 『稗ノ岳』 の山頂で登り口から僅か5分程で着いたが、

 登山道はその殆んどがロープを握って登る急坂だった。


 山頂部は写真のようにゴツゴツした岩ばかりで狭く、5〜6人が山頂に立てば満員になる程の

 広さしか無かった。

 眺望は写真のように良かったが、見える景色は先程のタンタン岩と余り変わらなかったので

 説明は省略する。

 それから写真下部の中程に写っているが、この山頂にもダンギクが少しだけ咲いていた。

 『稗ノ岳』 から下山後は 『稗ノ岳神社』 のベンチに腰掛けて行動食を食べながら

 20分ほど休憩した。








 『稗ノ岳』 からの帰路は写真の分岐標識地点まで戻り、『JR本川内駅』 方面に下りる予定だった。



 それでここでは右折した登山道を下り始めた。













 そうするとほんの数分で周囲を柵で囲ったキウイ畑に突き当たり、写真のような動物除けゲートが有った。










 登山道はそのキウイ畑の柵沿いに有ったのでその道を下りて行った。

 しかしそれ以降は赤テープ等の目印も全く無く、途中は倒木等も有って踏み跡も段々薄くなって行った。

 それで少し苦労しながら踏み跡らしき所を10分強下りると、写真の林道終点部分に出た。

 しかしその林道は両脇を写真のような頑丈な柵でずっと囲ってあるので中に入る事が出来なかった。

 私はその柵沿いを少し先の方まで下りて行ったが、柵はずっと続いていて林道内に入る事が出来なかった。

 それでまた少し苦労して、先程の分岐標識地点まで戻り、往路と同じ道を辿って戻る事にした。

 タンタン岩で出会った青年はその登山道を通って来たのでは?と思うが、どこを通って来たのか?不思議に思った。



今日の山歩きをまとめると、

       扇塚公園(10:50)〜仙吾岳(11:10)〜タンタン岩(11:20/11:35)〜丸田岳(11:40)〜稗ノ岳(12:40/12:45)〜道迷い(13:55/14:25)〜

                     扇塚公園(14:50)で、全所要時間は4時間ちょうど、万歩計は13725だった。


         平成新山          普賢岳
           ↓              ↓

 扇塚公園に戻ったあとは早速島原に向かった。

 途中で私の好きな 『愛野展望所』 で少し休憩し、グリーンロードを通って雲仙を目指した。

 そうするとグリーンロードに入って5分程?走った所で対向車がヘッドライトを点滅させて

 この先で警察の取り締まりが有っている事を知らせてくれた。

 それで50kmにスピードを落として進んでいると、少し先でスピード違反の取り締まりを

 しており、その少し先では数台の車がスピード違反で掴まっていた。

 対向車に教えて貰わなかったら私も違反切符を切られているところだったので、

 私は対向車に深く感謝した。(深謝!、深謝!)

 写真はグリーンロードから国道389号線に入り、雲仙にかなり近く成った所で、

 正面に見え始めた 『平成新山』 と 『普賢岳』 を写したものである。







 写真が当夜の宴会料理だが簡単に説明すると、

          上段の左容器は、ゆで卵、サラミ、チーズ、

               右容器は、牛肉とピーマンの炒め物、

          下段の左容器は、オクラ・タマネギ・ミョウガ・大根・生姜・キュウリの甘酢漬け、

               右容器は、コンニャク、昆布、揚げ豆腐の煮物

          その他はデザートのミカンとイチヂク、そしてツマミの柿の種である。


 飲み物は缶ビール1本ずつの他は、写真には無いが私は焼酎でオバさんは梅酒だった。

 宴会は6時半前から7時半過ぎまで続き、私は8時頃には酔っ払ってシュラフに入った。






妙見岳〜国見岳〜鬼人谷口〜鳩穴分かれ〜普賢岳〜野岳と周回


2012年(平成24年)10月3日(水曜日)  晴れ  中風


 1/25000地形図上でのGPS軌跡(途中で軌跡が切れている所があります)
緯線・経線とも10秒間隔(緯線10秒の距離=約310m、経線10秒間の距離=約250m)、水色の斜線は磁北線

距離が近いので文字が重なる為、地図上に文字を書き入れる事が出来ませんが、
『紅葉茶屋』 の直ぐ上の白丸が 『鬼人谷口』 で、『普賢岳山頂』 の直ぐ上の赤丸が 『霧氷沢分かれ』 です。


経度   .
緯度   .

















  
32°45′00″
                         130°                       130°                       130°
                          16′                        17′                        18′
                          00″                        00″                        00″


 翌朝は5時に目覚めた。


 その時刻まで私は1回も目覚める事も無く9時間近くグッスリ寝たので、二日酔いも無く爽やかな目覚めだった。


 洗顔等の後は早速お湯を沸かし、ホットコーヒーを飲みながら細長く縦切りしたキュウリとソーセージを挟んだ
 
 ホットドッグもどき?を食べて朝食にした。


 写真は妙見駐車場を出発した6時ちょうどに写したものだが、西の空にはまだ満月に近い月が見えていた。




 写真は歩き始めて20分位した所で現われた、4合目標識(標高970m)地点である。

 そこを歩いていると10m位前方で 『ブルルルル〜!』 と唇を大きく震わせる動物の声が聞こえた。

 その直後、大きな猪が藪の中に飛び込むのが瞬間的に見えビックリした。

 多分、私達を威嚇してから逃げたのだろうが?、登山道脇で寝ていたのだ!と思う。


 しかし、その後の登山道では早起きの小鳥達が 『ピコ!ピコ!ピコ!ピー!』 と可愛らしい声で

 朝の挨拶をしてくれたので、とても清々しい気分になった。









 写真は仁多峠の駐車場である。


 ここへの到着時刻は6時半だったので、妙見駐車場からちょうど30分で着いた。


 ここに登って来る道路は8時開門との事で、当時刻は写真のようにまだ1台の車も無かった。


 私達はここのベンチに腰掛け衣服を調整したりして5分ほど休憩した。














 仁多峠から妙見駅までは、写真のようにススキの多い中の階段を登って行った。









ケーブルカーの妙見駅
               妙見駅・展望所から写した景色
                  矢岳 雲仙ゴルフ場    おしどり池
                   ↓     ↓          ↓







 妙見駅のあとにも展望所があり、そこには写真のような方位板があった。












 妙見駅から10分弱で写真の妙見神社に出た。


 この妙見神社は登山者に大変御利益をもたらしてくれますので、私達はお賽銭をはずみ、安全登山を祈願した。


 尚、神社の後方に見えるのが妙見岳である。










 折角なのでこの際、妙見岳にも登って来る事にし、神社の直ぐ右横から細い登山道に入った。



 そうすると直ぐ写真のような看板があり、その先の崖が崩落し登山道が狭く成っていた。











 妙見岳へは登る人が少ないのか?、登山道は写真のようなススキ等で覆われていた。



 そしてそれらは朝露が付いていたので、私はズボンがかなり濡れて気持ちが悪かった。

















 写真が 『妙見岳=1333m』 の山頂で、正面の山は 『平成新山=1483m』 である。

















 妙見岳の山頂に登った後はまた妙見神社に下り、10分強進むと写真のような 『国見分かれ』 の分岐標識に出た。



 それでここでは左折して、今度は国見岳をちょっとピストンして来る事にした。







                    国見岳
                     ↓






 上写真から1分程グングン下りると前方が開け、正面に写真のような国見岳の山頂が見えて来た。









   妙見岳 国見分かれ
      ↓ ↓





 写真は 『国見分かれ』 と 『国見岳』 の鞍部を過ぎ、国見岳に少し登った所でふと振り返ると

 妙見岳が写真のように綺麗に見えていた。











 登山道には写真のようなフクオウソウの花もまだ少し咲いていた。



 国見岳の登山道にも笹や草が結構有りそれらも朝露が付いていたので、

 私のズボンは太ももから下がますます朝露に濡れて冷たかった。












 また国見岳の山頂までは、写真のようなロープや鎖を握って登る場所が2〜3ヶ所有った。









下写真が 『国見岳=1347m』 であるが、国見分かれから15分弱で到着した。

尚、右写真は山頂標識に取り付けてあった温度計を写したものであるが、当時刻は写真のように9度だった。

それから7年前(2005年11月3日)に登った時の自分の山行記に写っている国見岳山頂の山頂標識を見て気付いたのだが、

もしかしたらこの山頂標識は当時の物がそのまま残っているのではなかろうか?

山頂標識の傾き具合、及び山頂標識上部の損傷具合が7年前と全く同じように見える。

この山頂標識はどこが管理しているのか知らないが、新しい物に取り換えても現物を見せれば、誰も 『無駄遣いだ!』 等と文句は言わないと思うけどネ〜!(笑)

国見岳山頂
平成新山

国見岳山頂の温度計




 これは国見岳の山頂で写した私のズボンだが、妙見岳と国見岳に登る時にススキや笹や草等に付いていた

 朝露で写真のように太ももから下がスッカリ濡れてしまっていた。



 しかしオバさんは私の後から歩いているので殆んど濡れて無く、

 私がこの写真を撮っている時には横で笑いながら見ていた。(クソー!・・・怒!!)




            平成新山 普賢岳
               ↓    ↓




 国見岳山頂では風景を眺めたり風景写真を数枚撮ったりして5分ほど休憩後は再び国見分かれに戻り、

 今度は鬼人谷を目指した。



 写真は平成新山と普賢岳を正面に見ながら、写真のような急階段を鬼人谷にグングン下り始めた所である。





国見分かれから上写真のような急階段を10分ほど下りると、下・左写真の 『鬼人谷口』 に着いた。

下・右写真は左写真の案内板にあった地図を写したものだが、この場所は赤い文字で現在地と書いてある所である。

今年の5月から開通した新ルートはこの 『鬼人谷口』 から 『西の風穴』〜『北の風穴』〜『鳩穴分かれ』〜『立岩の峰』〜『霧氷分かれ』〜『普賢岳』〜『紅葉茶屋』 と

平成新山の麓近くまで大きく周回できるようになったのである。



尚、地図上で太い青線で描かれている、『鳩穴分かれ』〜『立岩の峰』〜『霧氷分かれ』 間だけは一方通行になっている。

新ルートの開通前は4番の 『鬼人谷口』 から3番の 『紅葉茶屋』 にしか行けなかった。

その距離はわずか100m位で、時間にするとほんの数分で歩けた。

それが新ルートでは地図に記入して有る区間の所要時間を合計すると、何と!140分にもなっていた。

新ルート開通前は、『池の原園地』〜『仁田峠』〜『妙見岳』〜『国見岳』〜『紅葉茶屋』〜『普賢岳』〜『紅葉茶屋』〜『仁田峠』〜『池の原園地』 と歩いても

少し歩き足りないような気がしていたが、今度は随分と歩き応えが有るようになった!と思う。

鬼人谷口の分岐
左場所にあった地図

上写真の 『鬼人谷口』 から新ルートに入ると、登山道の両脇でいきなり下写真のような花達が出迎えてくれた。

新ルートに入って直ぐの所
野菊

                        国見岳
                         ↓






 新ルートに入って5分位した所でふと振り返ると、先ほど登ったばかりの国見岳が写真のように右手に見えていた。









上写真から2分ほど歩くと下写真の 『蚕の保存小屋跡』 や 『西の風穴』 に着いた。

風穴からは冷たい風が出ているとの事だったが、私達が着いた時は何故か?全く出ていなかった。

養蚕
西の風穴







 上写真の 『西の風穴』 の右側部分に小さく写っているが、そこの岩肌には写真のような 『大文字草』 が咲いていた。














 風穴の左横から風穴の上に行けるようになっていたので、登ってみると小さな隙間が有り、

 そこから風穴内部が少しだけ見えたが、やはり冷風は出ていなかった。








その後の登山道には下写真のような花が沢山咲いていた。

アキノキリンソウ
ミカエリソウ




 また登山道脇には写真のように色付き始めた小さなモミジの樹があった。



 人間界にも小さいくせに早くも色気付いたマセタ子供をたまに見掛けるが、
                     たぐい
 このモミジも樹木界のその手の類だろう!(笑)










 その後には写真のように、垂直な岸壁からほぼ直角に幹が伸び、地面と平行に成長したヤマグルマの樹があった。



 この樹はこれ以上大きく成長したら、自重で岩から剥がれ落ちるのでは?と、私は心配しながら眺めていた。










 ヤマグルマの樹から1分ほど進むと、登山道脇には写真のような岩があったが、そこには何の説明板も無かった。


 この岩をこうして見ると、『スッポン』 に似ているとは思いませんか?


 それでこの岩には私が 『スッポン岩』 と命名しましたので、関係機関の方達はどうぞ宜しくお願いします。(笑)






上の 『スッポン岩』 から更に1分ほど進むと、今度は下写真のような 『北の風穴』 に出た。

この穴からも説明板に書いてあるような冷風は何故か?全く吹いて無かったので、二人でどうしたのかな〜?等と話していた。(地下で異変が起きているのかも?)

風穴前には右写真のようなベンチが有ったので、ここからの景色は良いのだ!と思うが、当時刻は写真のようにガスが次々に流れて来て景色は全く見えなかった。

北の風穴
風穴前の景色







 また風穴の前には写真のような 『シシウドの花』 が咲いていた。














 その後の登山道には平成新山の爆発時に噴き飛ばされて来たのでは?と思える

 写真のような岩がゴロゴロしていてかなり歩き辛かった。













 『北の風穴』 から3分ほど進んだ所には写真のような 『湯江川源流』 との標識が有ったが、

 岩間からも1滴の水も滴り落ちてはいなかった。








上写真から更に1分ほど進むと、今度は 『鳩穴分かれ』 に着いた。

この場所が新ルートの最奥になるようである。

この場所にも下・右写真のようなベンチが有ったが、当時刻も写真のようなガスが次々に流れて来ていたので、眼下の景色を望む事は出来なかった。(涙)

尚、この 『鳩穴分かれ』〜『立岩の峰』〜『霧氷沢分かれ』 の区間は、こちら側からしか通る事の出来ない一方通行になっていた。

鳩穴分かれ
鳩穴分かれからの景色





 『鳩穴分かれ』 から 『霧氷沢分かれ』 迄の区間は、今回の新ルート開拓時に環境省が新しく造った事になっているが

 (本当は地元の土木会社の作業員の人達が汗水流して造ったのだ!と思う・・・笑)

 写真のような石段部分が多くあった。










 階段を登っている途中ではススキに朝露の水玉が付き、その水玉が日光に輝いて凄く綺麗だったので

 写真に撮ったのだが、こうして写真を見ると私が肉眼で見たような輝きが無く、全くガッカリ!である。



 私の腕は良いのだがデジカメの性能が余り良く無いようである。(もう随分長いこと辛抱して使っているからネ〜)











 『鳩穴分かれ』 から 『立岩の峰』 の途中では写真のように警戒区域の直ぐ横を通る所もあった。















 上写真から2分ほど進むと前方に 『立岩の峰』 が見えて来たが、当時刻はこの付近にもガスが次々に流れて来て

 『立岩の峰』 が写真のように少し霞んで見えていた。











 この写真は 『立岩の峰』 山頂部から 『平成新山』 を写したものだが、平成新山の斜面からはまだ水蒸気や

 火山性ガス?が吹き出していた。



 またこの時刻は雲が次々に流れて来ていたので、平成新山が鮮明に写って無く残念である。















 『立岩の峰』 から普賢岳に向かう途中には写真のような景色が見える所に

 写真の説明板が設置してあった。















 上写真から4分ほど進んだ写真の場所では正面に国見岳が見えていた。


 写真に撮ろう!とカメラを出している間にまた濃いガスが流れて来て国見岳の姿は全く見えなくなった。


 しかし、その付近の登山道にも写真のように花が沢山咲いていた。










 この分岐標識地点が 『霧氷沢分かれ』 で、『鳩穴分かれ』 からここ迄の区間が一方通行である。



 この地点で右折すると普賢岳だが、私達はまず左折して 『霧氷沢』 に行ってみる事にした。








 この写真が上の 『霧氷沢分かれ』 から2分程で着いた 『霧氷沢』 である。


 この場所は非常に風が強く(10m以上の風速が有ったかも?)、スリムな私達は真っ直ぐ立っている事が出来ず

 よろける程だった。


 尚、この場所が平成新山に1番近付ける場所のようで?、

 平成新山の斜面からは写真のような白い物(水蒸気 or 火山性ガス?)が数ヶ所から絶えず出ていた。








 『霧氷沢』 からはまた 『霧氷沢分かれ』 に戻り、今度は 『普賢岳』 を目指した。



 その途中には写真のような 『秩父宮殿下御登山記念碑』 があった。











 上写真から2分程で写真のような 『普賢神社』 の小さな社のある場所に出た。



 尚、この場所は普賢岳山頂の直ぐ下の広場である。







下・左写真が普賢岳の山頂だが、到着時刻は9時40分だった。

私達が着いた時は誰も居なかったので、多分当日の初登頂者は私達ではないか?と思った。

私達は誰も居ない山頂部に腰掛け、四方の景色を眺めながら、菓子パン・栗・柿・ミカン等を次々に食べながら30分以上も休憩していた。

私達が山頂を後にする少し前に単独の若い女性と、単独の若い男性が続けさまに登って来た。

尚、『鬼人谷口』 に有った地図の区間タイムを合計すると、『鬼人谷口』〜『普賢岳山頂』 間の合計タイムはちょうど2時間になっていた。

私達は別に早足で歩いた訳では無いのだが、その区間を1時間20分(休憩無し)で歩いていたので、地図上の所要時間はかなり余裕を持った時間のようである。

普賢岳山頂(後方が平成新山)
山頂部から西方向の景色






 普賢岳の山頂からは 『紅葉茶屋』 に向かって下り始めたが、

 そこは写真のようにロープが張ってある急坂部分が多く、かなり歩き辛かった。














 写真が 『紅葉茶屋』 だが、そこには私達と同年代の10人近いグループが休憩していた。









『紅葉茶屋』 からは 『仁田峠』 を目指して歩いて行ったが、その途中には下写真のような所があった。

またその区間では登って来る、老若男女の大小グループと次々に擦れ違った。

ベンチの沢山有る休憩広場
登山者カウンター
大きなモミの樹群

下・左写真が 『紅葉茶屋』 から40分弱で着いた 『仁田峠』 にある妙見神社である。

私達の周回中に平成新山が爆発もせず、無事に戻って来れた事を感謝し、私はお賽銭を弾んで感謝の意を表した。

私達が朝登る時は1台の車も無かった 『仁田峠』 だが、当時刻は50台位の自家用車やマイクロバス等が駐車していて、観光客や登山者が次々に歩き始めていた。

    妙見岳          普賢岳 平成新山.
     ↓               ↓↓    .
東方向の景色で、説明板によると
阿蘇山、祖母山、市房山等が見えるそうだ

                野岳山頂
                  ↓

 私達は 『仁田峠』 に戻ったあと、今度は野岳に登る予定にしていた。


 前回時も野岳の山頂を目指したのだが、その時は登山口が分からずに未登になっていた為である。


 それで今回はそのリベンジを果たしたいと思っていた。


 写真は 『仁田峠』 の直ぐ上にある 『野岳展望所』 から野岳山頂を写したものである。











 野岳への登山道は写真のように広く良く整備されている。












 『仁田峠』 から上写真のような登山道を20分弱登ると右側に東屋があり、

 その少し先に写真のような 『野岳』 への登山口を示す案内板があった。



 前回はこのような案内板が何も無かったので、登山口が分からなかったのである。












 上写真からの登山道は狭く、写真のような急坂を樹の枝等を掴んで登って行った。









下・左写真が 『野岳山頂=1142m』 で、上写真のような狭い登山道を5分弱登ると、あっ気なく山頂に出た。

しかしそこには山頂標識等が何も無かったので、もしかしたら他の場所に有るのでは?と思い、周辺を少し探したがやはり他の場所にも無く、ここが山頂のようだった。

右写真は左写真の少し奥の開けた所から見えていた景色である。


野岳山頂
       妙見岳           普賢岳    平成新山     .
        ↓              ↓       ↓        .

   矢岳     雲仙ゴルフ場   オシドリ池
    ↓         ↓         ↓



 野岳から下りた私達は野岳展望所まで戻り、

 そこのベンチに腰掛けて行動食等を食べる事にした。



 写真は普賢岳とは反対方向の景色で、次に登る予定にしている 『矢岳』 等の

 景色を眺めながら行動食等を食べていた。



 その時の時刻がちょうど12時で、何処からか?『ウェルナーの野バラ』 のメロディが

 風に乗って聞こえて来た。











 野岳展望所で20分ほど休憩後は、スタート地点の妙見駐車場に向かって一気に下り始めたが、

 その途中では登る時には気付かなかった、写真のようなアキチョウジが目に付いた。









 妙見駐車場に戻ると直ぐ近くで写真のような青年がラーメンを作って食べていた。

 バイクの後ろに日本一周と書いてあったので、話し掛けてみた。


 そうすると川崎在住の青年で、勤めていた会社を辞め、3ヶ月の予定で日本一周をしている!

 との事だった。


 既に太平洋側を北上して北海道を周ったあと、日本海側を南下しながら九州に入り、

 北九州〜大分〜宮崎〜鹿児島〜沖縄〜屋久島〜熊本と周って

 昨夕に雲仙に着いたが今夕までには長崎市内に入るとの事だった。


 九州を周ったあとは四国を一周してから太平洋側を北上しながら11月中旬までには

 川崎に戻る予定との事だった。



私は大変羨ましく思うと同時にその行動力に感心したので、昨日の山歩き中に拾った新鮮で大きな栗を10個ほど食料カンパしたら凄く喜んでくれた。


矢岳駐車場〜矢岳〜地獄巡り〜矢岳駐車場と周回





 午前中の山歩きから下山したあと、今度は池の原園地の1番下の 『矢岳駐車場』 に移動し、

 今度は 『矢岳駐車場』 の真正面に見える、写真のような 『矢岳』 に向かって歩き始めた。



 『矢岳駐車場』 をスタートした時刻は13時5分だった。












 『矢岳駐車場』 内にある写真のような道標に従って歩いて行くと、直ぐ国道57号線に出た。














 国道57号線に出たら左折して雲仙ゴルフ場方向に数百m?登ると、

 道路の右側に写真のような矢岳への道標があった。














 登山道は写真のように広く、車の通った跡もあった。













 上写真のように広い林道を5分強登ると右手に写真のような標識があり、そこから登山道に入った。



 尚、この場所がGPS軌跡で 『矢岳・地獄分岐』 地点である。







下写真はその後の登山道の様子である。

登山道の様子−1
登山道の様子−2
登山道の様子−3





 上写真のような登山道を20分強登ると、写真のような標識地点に出た。



 前回(2008年5月18日)、矢岳に登った時は登山口と書いて有る方向の 『宝原園地』 から登ったので

 今回は違う登山道で登って来たのである。





下写真は 『矢岳=971m』 の山頂から眼前に見えていた景色だが、今日歩いた峰々がパノラマ状に見えていた。

雲仙の山々にミヤマキリシマが咲き誇る5月中旬から6月上旬頃に登れば、この山頂からはもっと素晴らしい景色が広がっている。(2008年5月18日がそうだった)

     
九千部岳                      .
       ↓                        .
国見岳 妙見岳 普賢岳 平成新山  野岳
  ↓     ↓ ↓   ↓        ↓

私達は矢岳山頂の日陰に腰掛け、お菓子や果物等を食べながら10分ほど休憩したあと、下山し始めた。

下山中に単独の同年代男性と、若い夫婦?に擦れ違ったが私達は女性の服装を見て驚いた。

男性の方は普段着だったが、女性の方は黒いワンピースの喪服を着て真珠のネックレスしていたので恐らく葬儀からの帰路だと思う。

足下を見ると、何と!黒色のハイヒールを履いたままだった。



大分前に、『背広を着て革靴を履き、手にはビジネスカバンをぶら提げ、街中では普通に見掛けるスタイルの若い男性が、その格好のまま山に登っていた!』 と

雑誌か何かに書いてあったのを読んだ記憶がある。

しかし、『若い女性が喪服でハイヒールを履いたまま山に登っていた!』 等とは今迄に聞いた事も読んだ事も無かったので、

私達はビックリ!しながらその女性の後ろ姿を暫らく見ていた。(遠くから来た、山好きの方なのでしょうか?)



 矢岳からの下山時は、地獄巡りしてから 『矢岳駐車場』 に戻る予定にしていた。



 それで、GPS軌跡の 『矢岳・地獄分岐』 までは往路と同じ道で下りて行った。



 その分岐で左折して広い道を5分ほど下りて行ったら、下方に写真のような雲仙温泉街と地獄の蒸気が見え始めた。







 上写真から5分ほどグングン下りて行くと、写真のような 『大叫喚地獄』 に出た。



 『大叫喚地獄』 にはグツグツ!と煮えたぎったお湯と水蒸気が吹き上がっていた。



 その地獄を見ていると、私は石川五右衛門の 『釜ゆでの刑』 を思い出していた。





話しは変わるが、私はこの世では余り悪い事はしていないので 『多分あの世では、綺麗で優しい若い女性の多いに天国へ行ける』!と信じている。

しかし 『三途の川を渡る時に、もし閻魔大王の虫歯が痛んで機嫌が悪い時だったら、間違って地獄に落とされるかも知れないな〜?』 との心配もある。

その様に運悪く、万一間違って地獄に落とされたその時は、私は地獄に有ると言う名山、『針の山』 に毎日登って楽しんでやろう!と思っている。(笑)



『大叫喚地獄』 から更に下りていると、『雲仙宮崎旅館』 の玄関前に下写真のような 『北原白秋歌碑』 があるのが目に付いた。

しかし歌碑の文字が良く読めないので、碑の裏側に楷書で説明が書いて有るかも?と思い、裏を覘いたが何の説明も無い。

それで仕方なく、雲仙宮崎旅館のフロントに尋ねに行った。

そうしたらフロントにいた中年男性が歌碑の前まで出て来て色々と説明してくれた。(感謝!)



その説明によると、1935年(昭和10年)5月に北原白秋がこの雲仙宮崎旅館に泊まった時に詠んだ短歌との事だった。

歌碑は北原白秋の死去後にそのお弟子さん達が建てたそうで、

『色ふかく つつじしづるも 山の原 夏向かふ風の 光りつつ来る』 と刻まれているそうである。

白秋が投宿した5月には雲仙の山々にはミヤマキリシマが咲いていたと思われるので、多分その光景を見て詠んだのでは?と思う。



また白秋は大変な酒好きで、全国を旅しながら歌を詠んでいたとの事である。

当旅館に泊まった時も朝から酒を飲んでいたらしく、また宿代は色紙に短歌を書けば済んだとの事だった。

(イイナ〜!、そんな事で済むなら私は10枚位書いて上げるけどネ〜!)

今でも当旅館にはその時に白秋が書いた色紙が残っている!との事である。

雲仙宮崎旅館の前にある北原白秋歌碑
北原白秋歌碑のUP







 『雲仙宮崎旅館』 の直ぐ横には写真のような 『足湯広場』 があり、

 私達がそこに行った時は写真のように若い夫婦が足湯に浸かっていた。



 私達もその若い夫婦と談笑しながら10分ほど足湯に浸かって、

 今日も頑張ってくれた自分の両足を労わってやった。













 足湯後も写真のような 『八万地獄』 等の中を通りながら戻って行った。



 尚、写真の右奥に写っているのが 『雲仙宮崎旅館』 である。













 その後の或る地獄では、写真のように5〜6人の人達が地獄の中で保守作業?をしていた。















 地獄巡り後は写真のような 『河野稲荷神社』 の赤い鳥居の前を通って登山道に入った。















 登山道は写真のような広い林道?で、そこを15分ほど歩いたら国道57号線脇にある 『矢岳登山口』 に出た。










今日の山歩きをまとめると、

        妙見駐車場(6:00)〜仁田峠(6:30/6:35)〜妙見岳(7:20/7:25)〜国見岳(7:50/7:55)〜鬼人谷口(8:20)〜普賢岳山頂(9:40/10:15)〜

                     〜仁田峠(11:15/11:20)〜野岳(11:40/11:45)〜野岳展望所(11:55/12:10)〜妙見駐車場(12:30)で、

                     所要時間は6時間30分、万歩計は21407だった。



        矢岳駐車場(13:05)〜国道57号線脇・矢岳登山口(13:15)〜矢岳・地獄分岐(13:20)〜矢岳山頂(13:40/13:50)〜

                      〜地獄巡り(14:15/15:00)〜矢岳駐車場(15:25)で、所要時間は2時間20分、万歩計は7528だった。



雲仙からの帰路には 『諫早湾潮受け堤防』 上の道路を通った。

下写真はその中央付近にある陸橋上から写したものである。

前方にはなだらかな裾野を持つ五家原岳や多良山系の険しい峰々が、そして後方には今日登って来た雲仙の山々が写真のように綺麗に見えていた。

前方の景色
五家原岳 多良山系  .
                 ↓     ↓                  .
後方の景色
平成新山 普賢岳      .
                ↓ ↓                    .

今回の山歩き中では、或る所に下・左写真のような大きな山栗が落ちていた。

沢山の殻が落ちていたが、その殆んどは既に誰かが拾った後だった。

しかし良く見ると、その後に落ちたと思われる実が所々に有ったのである。

私達が探している時にも、風で落ちて来た栗が幾つか有った。

そこの栗は私が今迄に見た事の無いような大きさで、下・右写真のようにその殆んどがゴルフボールよりも少し大きく、1番大きな栗の重量は何と!50gもあった。

今迄に見た事の無いような、大きな栗が落ちていた
帰宅して写した物で、拾った栗は全部で1.6kg有った

翌日から私達はこの新鮮で大きな栗をご飯代わりに食べながら(オバさんが食費が助かる〜!と言ってとても喜んでいます・・・笑)、次の山行を考えているところです。

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