2010年(平成22年)3月16日(火曜日) 快晴 冷たい中風 今回の山歩きは先週(14〜15日)予定していたのだが、14日の朝に天気予報が悪くなったので急遽中止し、今日に延びてしまった。 今回の山歩きでは 『マンサク、ユキワリイチゲ、アズマイチゲ』 の花がお目当てだった。 『くじゅう連山にはマンサクスポットが幾つもある!』 との事だが、今日はその中の1つである沓掛山に登る事にしていた。 沓掛山への登山道は登山口のある牧ノ戸峠から殆んどが舗装道で、1時間もあればゆっくりと往復できる事を知っているので、自宅で昼食を食べてから出発した。 何時ものように途中のスーパーや道の駅で明日の食料や果物等を購入しながら、牧ノ戸峠までの距離(102km)に2時間半を要していた。 ナップサックに飲み物とお菓子を入れ、スニーカーのままで 牧ノ戸峠にある写真の案内標識を出発した時刻は14時50分だった。 沓掛山 ↓ 上写真から10分弱で東屋のある展望所に着いた。 写真はそこから上方を写したものだが、斜面中腹の所々に黄色く見えているのが マンサクの花である。 上写真から更に5分強登るとベンチが設置してある展望所に着いた。 写真はその場所に設置してある温度計を写したものだが、写真のように4℃を指していた。 ベンチのある展望所からは下写真のように未舗装の登山道や岩部になるが、その登山道脇には左写真のようにマンサクの花が咲いていた。
写真が登り始めて25分弱で着いた 『沓掛山=くつかけやま=1503m』 の山頂である。 尚、下方に裸地のように見えているのは長者原の 『タデ原』 である。 沓掛山ではこの写真を1枚撮っただけで直ぐ下山する事にした。 星生山 久住山 ↓ ↓ 下山時には第2展望所のベンチに腰掛け、 写真のような景色を見ながら飲み物とお菓子で5分ほど休憩した。 涌蓋山 黒岩山 ↓ ↓ 写真はその後の下山中に前方の景色を写したものであるが、 今日は平日で時刻も遅い為か?、牧ノ戸峠の駐車場には数台の車しかなかった。 牧ノ戸峠に下山すると、1枚目に掲載した牧ノ戸峠の案内標識の前に 写真のように若い4人のサイクリストがいた。 彼等と会話してみると東京のK大生で、春休みを利用し九州を自転車旅行中との事だった。 昨日、自転車と共に羽田から大分空港に着いて別府に泊まり、 今日は阿蘇のホテルに泊まるとの事だった。 彼等はリッチな家庭の子供が多いKOboyらしい雰囲気を漂わせていたが 4人とも礼儀正しくて明るく、爽やかな青年達だった。 牧ノ戸峠に下山した時刻は15時40分で、まだ時間と体力に余裕があった。 それで今度は沓掛山とは反対側にある黒岩山に登る事にオバさんと意見が一致した。 写真は牧ノ戸峠から5分ほど登った所にある東屋から黒岩山を写したものである。 下・左写真が登り始めて25分弱で着いた 『黒岩山=1503m』 の山頂で、右写真は山頂から北西方向の景色である。
黒岩山の山頂にも下・左写真のようにマンサクの花が咲いていた。 右写真は左写真に写っている温度計のUPで、この時の気温は写真のように1℃だった。
黒岩山から牧ノ戸峠に下山すると、今度は案内標識の前に1人のサイクリストがいた。 彼(N君)は今年成人したばかりで、東京のR大生だったが、私達は彼の話を聞いて驚いた。 彼は全国を自転車で旅行中との事で、1月31日からずっと旅をしているとの事だった。 既に本州を周り終え、九州はまず石垣島や沖縄等の島巡りをした後に、 現在は九州本島を回っている途中との事だった。 夏休みには富士山の8合目小屋で、その他の季節には北アルプスの山小屋でアルバイトを しているとの事であった。(何時、大学に行っているのだろう?と不思議だった・・・笑) 大きなザックにはテントも入っていて、テント泊しながら自転車旅行しているとの事だったが 色々と話している内に、私は彼の人柄と根性が凄く気に入ったので、途中のスーパーで 買ったばかりの(バナナとお菓子1袋)を食料カンパしたら凄く喜んでくれた。 今日の山歩きをまとめると 牧ノ戸峠(14:50)〜沓掛山山頂(15:15)〜牧ノ戸峠(15:40/15:50)〜黒岩山山頂(16:10)〜牧ノ戸峠(16:25)で、万歩計は8567だった。 牧ノ戸峠からは今夜泊まる事にしている長者原に移動した。 本当は明日の登山口である 『男池駐車場』 に泊まりたかったのだが、そこは谷間にある為に携帯電話やラジオ放送が受信し辛いので止むを得ず、 長者原に泊まる事にした。 長者原に着いてベッドメーキングをし終えたら後はする事が無かったので、一人で長者原内をブラブラしていたら1台の乗用車が私の横に止まり、 『道を教えて欲しい!』 と尋ねて来た。 車内には大学生らしき若い男性4人が乗っており、『法華院温泉に行きたいのですが、どう行けば良いでしょうか?』 と聞いて来た。 『何処の大学生?』 と尋ねると、『福岡市です!』 との返事が返って来たが、どうやら長者原に来たのも初めらしく、 『坊ガツル讃歌』 の曲名や 『坊ガツル』 の場所名すら知らなかった。 彼等は 『法華院温泉まで車で行けるもの!』 と思い込んでいたらしく 『そこへは2時間位は山道を歩かないと行けないよ!』 と私が地図で説明したら凄く驚いていた。 そして 『それではこの近くに温泉はないでしょうか?』 と聞いて来たので、『長者原には温泉は沢山あるけど、折角だから珍しい温泉はどうだい?』 と 私は冗談半分に応えると、彼等が話に乗って来たので、『寒の地獄温泉』 の場所を教えてやった。 そして、『その温泉に5分間入れたら、皆に自慢できるよ!』 と説明したら、彼等はニコニコしてその方向に曲がって行ったが、 果たして 『寒の地獄温泉』 に入ったかどうか?までは知らない。(笑) 翌日も長者原で若い男女・数十人の大学生らしき賑やかなグループを見掛けたが、今の時期は大学が春休みになり、暇を持て余している大学生が多いようである。 長者原をブラブラし終えたら、あとはもう何もする事がなかったので、 何時もより1時間ほど早く、外はまだ明るい18時頃から宴会を始めた。 写真が当夜の宴会料理だが、簡単に説明すると、 左は(柿ピー等) と (キャベツ)で、 中の左半分は(豚肉、大根、人参の炒め煮)、 右半分は上から(シャケのバター焼き、枝豆、鶏肉のバター焼き)、 右は(豆腐、卵、ホタテ、ニラの蒸しもの)、 飲み物は(ビール1本ずつ、焼酎、ウイスキー)である。 当夜の宴会は19時半近くに終わったが、19時のニュースで 『今夜は九州地方にも寒気団が下りて来て、かなり冷え込むでしょう!』 と言っていたので、 十分に寒さ対策をして20時頃には二人ともシュラフの中に潜り込んだ。 夜中にトイレに行ったが満天の星空の下は凄く冷え込んでいて、また広い駐車場には私達の車も入れて3台しかなかった。
2010年(平成22年)3月17日(水曜日) 快晴 冷たい弱風 翌朝は6時過ぎに起床した。 車内に取り付けている温度計を見ると写真のようにマイナス1℃で、窓ガラスの結露は霜のように白くなって凍り付き 後でその氷を取り除くのにかなり苦労した。 三俣山 ↓ 昨夜の天気予報で、『明日の日の出と日の入りの時刻は、どちらも6時27分です!』 と言っていたが、 写真は稜線から太陽が顔を出す少し前の6時34分に写したものである。 お湯を沸かし、『コーヒー、パン、バナナ、リンゴ』 で朝食にした。 朝食後は長者原から13km位?離れた所にある、『男池(おいけ)駐車場』 に移動した。 既に1台の車が停まっていたが、それは管理人さんの車だった。 写真が男池の登山口だが、1人100円の清掃協力金を払って歩き始めた時刻はちょうど8時だった。 尚、今回のコースは 『2005年4月29日・黒岳』 と 『2009年3月18日・大船山』 でも紹介しているので、ルートの詳細説明やコース図等は省略する。 下・左写真は歩き始めて10分弱の所で写したものだが、かくし水まではこのような林間で平坦な登山道が多い。 そんな登山道脇では、右写真のように瑞々しいバイケイソウが方々に顔を出していた。
写真が歩き始めて20分ほどで着いた 『かくし水』 である。 雪融け水が多いのか?、夏場に比べると水量がかなり多いように感じた。 その後は標高が上がるに連れて、登山道では下写真のような霜柱が多く見られた。
下写真はそんな登山道で写したものである。 或る場所で、前方の登山道全体が左写真のように霜柱で盛り上がっていた。 左写真が着地する前の登山道の状態で、右写真が私が着地した後に写したものだが、足跡は私が期待したような綺麗な靴跡の形には成らず、 写真のように周りの霜柱も一緒に大きく崩れて、それが靴跡とは分からないような跡形が残った。(涙) その後の登山道では下写真のように樹の根が剥き出しになっている所が多かった。 これは長年に渡って登山者の登山靴が柔らかい土をえぐり、雨がその土が流出させたものと思われるが、 このまま放置すれば近い内にそれらの樹木は枯れたり倒れたりすると思う。 それで、『登山者の手で、それらを防止する協力ができないものか?』 と私は考えた。 例えば現在、坊ガツル〜平治岳間のぬかるんだ登山道では登山者が石を投げ入れる 『 1人1石運動=2009年5月31日・くじゅう周回で紹介』 が行われている。 それと同様な方法を真似たらどうだろうか? 土ばかりだと登山靴でえぐられて再び雨で流出するので、それらを防止する為にまず土と小石等を混ぜ合わせた混合土を用意する。 そしてその混合土を小さな袋に入れてかくし水付近に沢山置き、その袋を登山者の皆さん方に運んで貰い、根が剥き出しになっている所に撒いて貰うのである。 運んだ袋は所々に回収箱を置き、再利用すれば良いと思う。 名付けて 『1人1袋運動』・・・こんな案は如何だろうか?
男池登山口から45分程で 『ソババッケ』 と呼ばれている場所に着いた。 ソババッケの地面は写真のように霜柱で真っ白だった。 ソババッケを過ぎると、写真のような大小の岩場が多くなって来る。 そして登山道脇ではシャクナゲも多く見掛けるようになって来た。 当日のシャクナゲは写真のような蕾の状態だったので、 開花するのは1ヶ月位先になるのでは?と思う。 ソババッケからちょうど1時間歩くと、『風穴』 と呼ばれる場所に着いた。 私達はここで初めて行動食を食べながら5分ほど休憩した。 写真は上から風穴内部を写したものだが、底には写真のように白い雪の塊?が見えていた。 風穴から高塚山までの間は私が嫌いな、下写真のような急坂のザレ場やガレ場が多く、かなり疲れた。
そんな急坂の途中には写真のような、『ET or キリン?』 と思うような樹木があった。 また途中には写真のように大きなタラの芽もあったが、まだ蕾だったので私は採らなかった。 あと7日〜10日位で食べ頃になると思いますので、欲しい方はその頃に行って下さい。(笑) 尚、後方の山は大船山の手前にあるピークである。 風穴から急登の連続を喘ぎながらちょうど1時間登ると、下写真の 『高塚山=1587m』 の山頂に着いた。 汗を掻きながらここまで登って来たので全く寒くは感じなかったのだが、山頂標識の裏に取り付けてある温度計を見ると、写真のようにマイナス2℃だった。
下写真は高塚山山頂からの景色を写したものである。
高塚山の山頂では行動食を食べながら景色を眺めて10分近く休憩してから、上・右写真の天狗岩に向かった。 高塚山と天狗岩の鞍部が 『天狗分れ』 だが、私達はその場所の樹の枝にザック等をぶら下げ、空身で天狗岩に向かった。 天狗岩の山頂付近には険しい岩場もあり、下写真の天狗岩の山頂まで高塚山から30分程を要した。
天狗岩から再び天狗分れに戻った時刻は12時に近かったが、そこで昼食を食べると身体が重くなり、あの急坂のザレ場やガレ場が怖かったので 風穴に下りてから昼食にする事にした。 天狗分れからは急坂でコケないように慎重に下りている途中で、登って来る登山者(若い2人連れの女性)と今日初めて出会った。 天狗分れからは2人とも1度もコケル事無く、35分程で無事に風穴に下りた。(笑) そして誰も居ない風穴の岩に腰掛けて、『いなり寿司、インスタント味噌汁、バナナ、リンゴ、コーヒー、お菓子』 等を次々に飲食しながら40分ほど昼食休憩した。 復路も往路と同じ道を通ったが、 下山時には写真のように樹の根が剥き出しになり、グルグルと捩じれているのに気付いた。 その様子は私には木の根がもがき苦しんで、のた打ち回っているように見えた。 私はそれを撮影しながら 『これは登山者に起因しているので、登山者の手で助けてあげねば!』 と、改めて思った。 その後の登山道脇では下写真のような赤味掛かった物を数ヶ所で見掛けた。 最初は 『何かの花の蕾かな〜?』 と思っていたのだが、近づいて良く見るとそれはドングリが発芽している物だった。
それから登る時にも気付いていたが、登山道脇には下写真のような花があった。 登る時は早朝だったので、『ユキワリイチゲ』 は蕾ばかりだったが、午後からは右写真のように少し開き掛けた花もあった。
男池まで下りると、そこにはカメラを持って地面ばかりを見ながら歩いている人達が大勢いた。(笑) 皆さん方のお目当ては下写真の花達で、あちらコチラでそれらを撮影している方達がいたので、私達も早速それに倣って撮影を始めた。 これまでの登山道脇では殆んどが蕾だった 『ユキワリイチゲ』 は男池周辺では左写真のように綺麗に開花した花が多かった。 また去年は1輪しか見掛けなかった 『アズマイチゲ』 だが、今年は10輪以上も見る事が出来たので大変嬉しく思った。
男池周辺で15分程?花撮影を堪能した私達は駐車場に戻る事にした。 今日の山歩きをまとめると 男池登山口(8:00)〜かくし水(8:20)〜ソババッケ(8:45)〜風穴(9:45/9:50)〜高塚山山頂(10:50/11:00)〜 天狗岩(11:35)〜風穴(12:25/13:05)〜男池登山口(15:30)で、万歩計は26608だった。 高塚山 平治岳 ↓ ↓ 写真は長者原に向かう途中で後方に見えていた景色だが 今日登った高塚山等が綺麗に見えていたので写した。 今回の山行計画では今夜は阿蘇の道の駅に泊まり、明日は阿蘇地方の山に登る予定にしていた。 長者原で荷物や車内の整理をしながら、ラジオの天気予報を聞いていると、阿蘇地方は明日の午前中は雨との予報だった。 携帯電話でも明日の阿蘇地方の天気予報を調べてみると、やはり午前中の降水確率が高かった。 それで、その情報を基に直ちに車内でオバさんと緊急閣僚会議が開かれ、30秒後には 『明日の山歩きは中止して直ぐ帰宅しよう!』 との決断が下されていた。 そしてその決断は1分以内に実行に移されたので、久留米の自宅にはまだ明るい内に帰り着いた。 このように、優柔不断な鳩山政権とは違って、ごましお政権には迅速な決断力と実行力が有るのである。(財力は無いけどネ!・・・笑) そう云う事で今回は計画通りの山行には成らなかったが、大きな目的の1つだった 『マンサク、ユキワリイチゲ、アズマイチゲ』 の花を見る事が出来たので、 まぁ!大体満足の行く山歩きであった。 |