大 崩 山(1644m)


2009年(平成21年)6月7日   曇り   弱風


今回は私達がまだ見た事の無い、『ササユリ』 と 『ヨウラクツツジ』 の花を見に行く事にした。

九州では 『ササユリ』 の咲く場所は少なく、『大崩山=おおくえやま』 や 『行縢山=むかばきやま』 等の小区域に限定されるようである。

5月末頃に 『行縢山のササユリが咲いた!』 との情報を得たので、『先週末に大崩山行こうかな?』 と思ったのだが、結局は 『くじゅうのミヤマキリシマ鑑賞』 に行ったのだった。

それで今回は大崩山に行く事にしたのである。



大崩山は私達が住む久留米からはかなり遠く、登山口に行く迄に4時間位の所要時間が掛かる。

それに今回私達が予定しているコースは、私達の足では大体9〜10時間掛かる予想だった。

それで前日から登山口で車中泊し、翌早朝からスタートする計画を立てた。



しかし遠くまで行って大崩山だけに登るのは少し勿体無いので?、『その近くでまだ登った事の無い山にも登ろう!』 との事になった。

それで今朝は早起きし、5時50分には自宅を出発した。

『新百姓山』 と 『檜山』 の登山口である 『杉ヶ越登山口』 に着いたのは9時25分で、188kmの距離を3時間35分の所要時間だった。

『新百姓山』 と 『檜山』 も楽しい山歩きが出来、また面白い物を色々と見掛けた。

しかし、それらも紹介すると今回の山行記が凄く長くなりそうなので都合により割愛するが、下に登山口と山頂だけを写真紹介する。

杉ヶ越トンネルを出た所が登山口
新百姓山山頂
檜山山頂

下山して来た時刻は3時35分だった。



そこから大崩山の登山口に向かう途中で、宮崎駿アニメ作品の1つで 『となりのトトロ』 と同名で有名になった、『ととろバス停』 に久し振りに立ち寄ってみる事にした。

国道326号線の途中から旧国道に入ると、下写真のような 『ととろバス停』 を通る。

停留所名横の看板の文字が薄いが、『猫バスの停まる里』 と書いてあった。

旧道沿いにある、ととろバス停
ととろバス停のUP

ととろバス停に寄った後は、途中にあった道の駅 『宇目』 に立ち寄り、特産品等を買いながら少し休憩した。

道の駅・宇目
唄げんか大橋
唄げんかの説明

大崩山の祝子川登山口(ほうりがわ)の4km位手前に、下写真のような 『祝子川温泉・美人の湯』 がある。

温泉側の御厚意で下側の駐車場(右写真のようにトイレもある)に、登山者は車中泊して良い事は知っていた。

しかし今回は早朝に移動するのは面倒なので、祝子川登山口まで行き、そこで車中泊する事にした。

『祝子川温泉・美人の湯』 の正面入り口
下側の駐車場

 祝子川登山口に着くと3台の車が駐車していて、1台の車(福岡ナンバー)の方達(私達と同年代の御夫婦)が

 車外で夕食中だった。

 他の2台の車は翌朝には無かったので、その時刻にはまだ下山していなかったようである。

 私達は登山口から更に300m程?進んだ所にある写真の大崩橋を渡った場所が明るく開けた平地だったので

 そこに車を停めて車中泊する事にした。

 祝子川登山口に到着した時刻は17時半で、 『杉ヶ越登山口』 から51kmの距離を走っていた。

 早速、車内を整理してベッドメーキングした。



 写真が当夜の宴会料理だが簡単に説明すると、上のタッパは 『筑前煮』、下のタッパは 『魚の南蛮漬け』、

 左の皿は 『えんどう豆の塩茹で』 である。

 飲み物は揉めないように同じ350ml缶のビールを1本ずつと、オバさんは 『自家製の梅酒』 、

 私は 『サントリーの安物ウイスキー』 である。(笑)

 宴会は18時少し過ぎから19時半頃まで続いた。

 翌朝が早いとは云え寝るには余りにも早過ぎるので、私は持って来ていたハーモニカで音楽を楽しむ事にした。

 周りは無人の為、今日は誰に気兼ねする事も無く、私はオバさんのリクエストに応えて20時半近くまで20曲位?吹いたように思う。



その後寝る事にしたが、先週の 『坊がつるキャンプ場=標高1250m位』 では夜中は寒かった。

しかしこの登山口は標高が低い(GPSで測定したら614mだった)ため、全く寒く無かった。

それでシュラフ(寝袋)の中には入らずに身体に掛けて寝たのだが、夜中は暑い位だった。

そのようにして祝子川登山口での夜は過ぎて行った。





2009年(平成21年)6月8日   晴れ時々曇り   弱風


今朝は4時半頃に起きた。

周りは少し明るくなり始めていたが上空を見上げると、東の空に明るく輝く 『明けの明星=金星』 だけがあった。

お湯を沸かして(コーヒー、パン、茹で卵、バナナ)で朝食にし、歯磨き・洗顔等を済ませ身支度をする。

私達は普段の山歩き時はストックを持つが、今日の大崩山は岩場が多く、岩角やロープやハシゴ等を両手で握る事が多いと思い、ストックを持たずにスタートした。



 写真が駐車地から300mほど(時間にして5分弱)下った所にある、祝子川登山口である。


 この登山口の周りには車は1台も無く、50m位下の方に昨日夕食中だった福岡ナンバーの御夫婦が

 身支度してあるのがチラッと見えた。


 この登山口を出発した時刻は5時半だった。





下のコース概念図は登山口に設置されている案内図に、私が分岐点や順路等を追記したものである。

尚、コース概念図・下部にある 『Bコース』 の緑色文字が良く見えないと思うが、そこには 『小積谷わく塚コース』 と書いてある。

コース概念図(黄色の矢印が順路)
.

登山口から山中に入ると、まだ暗かった。

ヘッドランプを点けて歩く程まで暗くは無かったが、そんな薄暗い登山道を15分ほど進むと、下・左写真のような丸太で作ったハシゴが現れた。

そのハシゴの途中の段は右写真のように腐れ掛かって細くなっていたので、今後行かれる方でちょっと太めの方は御用心ください。(笑)

丸太で作ったハシゴ  .
途中の段が折れそうだった

その後の登山道には、左写真のようにロープを伝って岩斜面をトラバースする所や、右写真のように丸太橋を渡る所等が出て来た。

ロープを伝って歩く
小さな沢に架かる丸太橋

登山口から25分ほど歩くと、下写真のような 『大崩山荘』 に着いた。

中を覘くと誰も居なかったが、一部が2段になった室内は綺麗で広く、60人位は宿泊出来るそうである。(有料で、一人300円を料金箱に入れるシステム)

大崩山荘
大崩山荘の室内

大崩山荘の前には下写真のような分岐標識があった。

右写真はその分岐標識に取り付けてあった、距離案内である。

大崩山荘の前にある分岐標識
     距離案内

 ガイド本に、下山時には 『大崩山荘』 前の 『祝子川=ほうりがわ』 を渡渉する事になるが、増水時は危険なので

 渡渉せずに林道を歩く事に成る為、 『必ず祝子川の様子を確認して置くように!』 との注意書きがあった。


 それで、祝子川の様子を確認に行ったのが左写真である。


 写真のように、祝子川の水量は少なく、下山時は危険無く渡渉出来るようだった。(ホッ!)


 渡渉時には写真のように当岸の枝にぶら下げてある、白い布切れを目指して川中の岩上を歩いて来る事になる。




大崩山荘前の分岐標識から20分ほど進むと、下写真のような分岐標識が現れた。

この分岐標識は、『コース概念図』 で 『わく塚コース分岐』 に当たり、 右写真はその標識に取り付けてあった、距離案内である。

わく塚コース分岐標識
      距離案内








 写真は上の分岐標識から2〜3分で眼前に現れた景色である。




 後方には 『小積ダキ』 の岩峰がそびえ、上空が青空であれば岩峰が映え、絵になる風景である。


 しかし当時刻は写真のように、上空には白い雲が多かった為、岩峰が映えず大変残念である。
















 写真は上写真の橋を渡るオバさんである。


 この橋を渡った後にも直ぐ、小さな丸太橋が3つ?あった。








その小さな丸太橋を渡って少し進んだ所には、下写真のように岩の下に広い空間を持つ大きな岩があった。 右写真の広い方には20人位?が泊まれそうだった。

大岩下の空間−1
大岩下の空間ー2





 その後は祝子川に流れ込む支流で、写真のような小さな沢の中を暫く進む事になった。


 その沢では小さなケルンやテープを目印に進む事になるが、それらを見落とさないよう十分な注意が必要だった。











 上写真のような小さな沢を少し進むと、写真のように大きな岩の間を通る場所が現れた。


 私達はスリムなので難なく通過したが、太った人は通れないのでここで大崩山の山頂は諦めて引き返し、

 減量に成功してから、改めて大崩山山頂を目指した方が良いだろう!(爆)







岩の間を通り抜けると、下写真のような道標があった。

大崩山頂への道標
      距離案内

 上の道標から少し進むと大小の岩だらけで、急角度の谷に差し掛かった。


 写真はその谷の横に立っていた樹を写したものである。


 その樹に取り付けてある道標を見ると、昭和46年(1971年)の日付と或る大学の登山同好会の文字が見えた。


 38年前に道標を取り付けられた樹は、その後に写真のように成長して自分の表皮で道標を覆い尽くそうとしていた。


 その樹は自分に降り懸かった災難にも耐え、少しずつ成長を続けているのである。(涙!)






 『涙の樹』 から10分ほど進むと、高さが20m位?ある大きな岩の下を通った。


 その大きな岩の下部にはその大岩が倒れないよう、写真のように小さな枝による突っかい棒が沢山してあった。


 オバさんはそれを見て笑いながら真似していたが、私はこのようなユーモアは大好きである。







 写真はその後の登山道で見掛けた、スミレの花である。


 大崩山の山頂まで、私達の足では5時間以上掛かるかも?と予想していた。


 それでここまで2時間以上が経過していたが、私達はまだ休憩を取っていなかった。


 私はこの付近では少し疲れていたが、このような花を見ながら撮影している時は疲れを忘れるので良いですねー!








 その後少し進むと、写真のような分岐標識が現れた。


 下段側の文字が良く写っていないが、『袖ダキ』 との文字があった。


 写真の左側に写っているが、袖ダキには仰角が45度近く?で、長さが50m位有る1枚岩をロープを掴んで登って行く。


 事前に読んでいたガイド本によると、袖ダキに登った後はまたこの分岐地点に引き返えして来るとの事だったので、

 私達はこの分岐地点にザックをデポし、空身で袖ダキを往復して来る事にした。















 私は袖ダキに登り、そこからの景色を見て思わず 『ウォー!!』 との叫び声を上げていた。



 眼前には写真のような、『下わく塚』 の岩峰がそびえ立っていた。



 少し遅れて登って来たオバさんもこの景色を見て、感嘆の声を上げていた。



 これまで休憩していなかったので少し疲れていたのだが、

 この袖ダキからの眺望に疲れ等は何処かに吹っ飛んでいた。



 それ程までにこの袖ダキからの景色は素晴らしかった。














 左写真も袖ダキの上から写したものである。

 眼前には深い谷を挟んで、写真のような 『小積ダキ』 と呼ばれる岩峰があった。

 私のデジカメは広角レンズではない為に、谷底からこの岩峰迄の全容を現すには2枚の写真を合成しないと

 無理なような深い谷だった。

 今後、大崩山に登られる方は望遠レンズよりも、広角レンズのカメラを持って行った方が絶対に良いと思う。

 それからこの袖ダキの或る場所では、オバさんが凄く綺麗なものを発見したので、二重に嬉しい岩上になった。








 私達は袖ダキには15分ほど居たようである。


 私は袖ダキでの景色をもう少し楽しみたかったが、ガイド本等に依るとこの先にもっと素晴らしい景色が待っているとの事だった。


 それで袖ダキを下りて先に進む事にしたが、写真は3つ前の写真(袖ダキの分岐標識)の左側に写っているロープを掴んで


 急角度の1枚岩を下りて来るオバさんである。







その後も幾つもの岩角やロープやハシゴを掴んで40分ほど進むと、下写真のような分岐標識が現れた。

後方に見えているハシゴを登って行くと 『下わく塚〜中わく塚』 の岩峰を経由して登って行く事になる。

それらの岩場が苦手な人は右方向の 『大崩山頂 』 の道を進むと、『下わく塚〜中わく塚』 の岩峰を巻いて行く登山道があるようだ。

私達はもちろん左折して 『下わく塚』 へのコースに進んだ。

それから左写真のハシゴの上に赤い点のような物が写っているが、それは 『ヨウラクツツジの花』 である。

下・右写真がそのUPである。

『ヨウラクツツジの花』 は、昨日登った 『新百姓山〜檜山』 で沢山見ていたので、私はここでヨウラクツツジの花を見ても、もう何の感激も湧かなかった。

(フン!、ここにも咲いてるな!位しか思わなかった・・・笑)

下わく塚の分岐標識
ヨウラクツツジのUP




 上の分岐で下わく塚方面に左折してハシゴの下に行くと、何と!ここのハシゴは写真のように3段になっていた。


 大崩山ではこのようなハシゴ場やロープ場や岩角を掴んで登る所は、この後も本当に数え切れない程出て来るので、


 登山する時は滑らない手袋が絶対に必要である。









 写真は 『下わく塚』 に登った所からの景色だが、谷底からガスが湧き上がり始めていて眺望は余り良くなかった。


 右の岩峰は先程、『袖ダキ』 で深い谷の対岸に見えていた 『小積ダキ』 である。


 それから大崩山で良く出て来る 『ダキ』 とは、登山用語で 『岩壁』 の事である。









 写真はガスの為に眺望が余り良くなかった 『下わく塚』 を後にして

 『中わく塚』 に向かう途中、見晴らしの良い大きな岩上で休憩した時に写したものある。


 私達はその大きな岩で行動食を食べながら喉を潤おし、

 景色を眺めたり地図を広げて山座同定をしたりして10分ほど休憩した。


 その休憩した岩から後方の 『下わく塚』 はガスが掛かり始めて良く見えなかったが、

 前方に見えていた 『中わく塚』 の岩峰は写真のように堂々たる姿を見せていた。








         傾山        .
          ↓        .






 写真は、その岩から北方向の景色を写したものである。














 写真は休憩後に 『中わく塚』 に向かう途中、『下わく塚〜中わく塚』 の鞍部付近で写したものである。


 右の岩峰は先ほど紹介した 『小積ダキ』 だが、段々濃いガスが掛かり始めていた。


 私はこの付近では、『私達が山頂に着くまで、どうかガスが濃くならないで欲しい!』 と思っていた。














 写真は 『ウツギ』 の花?だと思うが、『中わく塚』 に登る途中の岩場に沢山咲いていた。


 私のデジカメは時々調子が可笑しくなる時があり、この写真も少しボケている。(何しろ安かったからね〜!・・・笑)













 写真は 『中わく塚』 に着いてから、前方に見え始めた 『上わく塚』 の岩峰である。


 『次はあんな所に登れるのだろうか!?』 と、私はワクワク!して来た。












 『中わく塚』 付近は目印が少なく、また岩に書いてある矢印等も消え掛かかって良く見えず、

 私達は次の目印を探してその付近を少しウロウロした。


 写真はそんな風にして私が 『中わく塚』 の頂上付近まで目印を探しに登った時に写したものである。

 何故か?、頂上近くにアルミハシゴが放置してあった。


 そんな事をしている内に、オバさんが岩場の少し下の方で、ロープを伝って下りる登山道を発見した。










 写真は 『中わく塚』 から5分強下りた所にあった道標である。










 写真は上写真から更に少し下りた所にあった、鋼鉄製の橋である。


 橋の右側は、崖のような急坂がかなり下の方までずっと続いていた。


 この橋は昔は丸太橋で、当時は怖さの余りにその前で暫し 『行こか?、戻ろか?』 と思案していたそうである。


 それで、『思案橋』 の名称が付いているとの事だったが、

 現在は目を瞑って片足でケンケンしながら渡れそうな広さがあった。(笑)







 『思案橋』 から少し進むと、写真のようにちょうど満開の花を沢山付けた大きな 『ヨウラクツツジ』 の樹があった。


 私は感激の余り、落涙した。(笑)













 『落涙のヨウラクツツジ』 から涙目で、涙に霞んだ景色を眺めながら更に少し下りると、写真のような場所に出た。


 この場所で 『下わく塚の分岐標識』 で分れていた、『下わく塚〜中わく塚』 の岩峰を巻く登山道と合流した。











 上の合流地点から更に数分進むと、2006年のトリノオリンピック・女子フィギアスケートの金メダリストである

 荒川静香さんの得意技、『イナバウアー』 をしている樹があった。(笑)


 念の入った事に、オッパイのような物まで付いていた。(爆)









 『イナバウアーの樹』 から15分ほど進むと、写真のような 『上わく塚展望台』 の案内標識があった。


 『上わく塚展望台』 に登った後は又この地点に戻ってから進む事になるので、

 私達は写真のように、そこの枝にザックをぶら下げて空身で行く事にした。







 『上わく塚展望台』 へは写真のような大きな岩の途中までハシゴで登り、

 途中からはロープを掴んで狭い岩の間を登って行く。


 岩の間は非常に狭く、少し太った人は本当に通り抜ける事は出来ないと思う。

 岩の途中では背中を片方の岩壁に押し付けて上半身を固定しながら、両足を動かす事等も必要だった。


 そして岩の上に出る時は上半身を捻ったような状態にして、せり上がらねばならず、

 スリムな私達でもその時に肘を岩で擦り、擦り傷を作った程だった。



   木山内岳           下わく塚     桑原山  中わく塚           小積ダキ
     ↓                ↓        ↓      ↓               ↓


 しかし 『上わく塚展望台』 は、少しぐらい怪我しても登るだけの

 価値を持つ場所だった。



 写真がその展望所からの眺望だが、

 今まで歩いて来た 『下わく塚〜中わく塚』 等が一望出来た。



 私はこんな素晴らしい景色は初めて見たような気がして、

 時間が有れば暫くこの場所で景色を眺めていたい心境だった。



 この時もガスが掛かって後方の景色が鮮明で無く、

 『これが青空ならば、もっと素晴らしい風景写真だったのに!』 と、

 私は大変残念でならない。






この展望台からの景色はどの方向も素晴らしかったが、下にその一部だけを紹介する。

左写真は少し下方に見えていた岩であるが、私にはカッパがベレー帽を被ったように見えた。(笑)

中写真は南西方向に見えていた、大崩山の山頂である。

右写真はその展望台で見掛けたドウダンツツジの蕾である。

それからこの展望台で四方の風景写真を撮っている時に、反対側からも登れるルートが有る事が分かった。

そのルートは正面の岩間を登るルートより高さのある岩壁だったが、そこには長いロープがぶら下がっていた。

それで少し太めの方で正面の狭い岩間を通れない場合は、反対側に回り込んでそのロープを伝って登れば良い。

カッパがベレー帽を被った岩
大崩山山頂方向
ドウダンツツジの蕾




 私達は展望台から下りる時も、正面の岩間のルートに挑戦した。


 写真は展望台から苦戦しながら岩間を下りて来るオバさんである。


 ここの岩は砂岩や礫岩のように岩肌がザラザラしているので、肌を擦ると擦り傷になり易い。


 私もこの岩間の往復時に肘を擦り、少し血が滲み出る位の擦り傷を作ったが、

 オバさんは下りる時に肘を強く擦り、血が出ていたので岩から下りてから直ぐ、消毒液を噴射して幅広の絆創膏を貼って上げた。












 その後の登山道は、写真のようなスズタケのトンネルが多かった。









『上わく塚展望台』 から下りて、上写真のようなスズタケの中を10分ほど歩くと、下写真のような分岐標識が現れた。

この分岐標識は、『コース概念図』 で 『りんどうの丘分岐=わく塚側』 に当たる。

山頂に行かずに坊主尾根を下りる場合や、持ち時間が少なくなった場合等のエスケープルートとしても使える。

又、りんどうの丘には水場があり、テントを張れるような場所があるようだ。

今回の私達は大崩山の山頂を目指しているので、ここでは直進した。

りんどうの丘分岐標識
距離案内




 上の 『りんどうの丘分岐』 からスズタケの中を15分強進むと、左写真のような分岐標識が現れた。


 この分岐標識は、『コース概念図』 で 『坊主尾根分岐』 に当たる。


 私達は山頂に登った後はこの地点まで戻り、坊主尾根を下りる予定である。












 その後の登山道も、写真のようなスズタケ部分が続いていた。









『坊主尾根分岐』 から上写真のようなスズタケの道を5分強歩くと、下・左写真のように開けた尾根道に出た。

その尾根道では右写真のように、左側に大崩山山頂が見える所もあった。

開けた尾根道
尾根道から左方に見えた大崩山頂




 上写真のような尾根道を5分弱進むと、写真のように樹に取り付けた分岐標識があった。


 標識の文字は消え掛かっていたが、『←もちだ谷へ』 の記入があった。


 この分岐標識が、『コース概念図』 で 『モチダ谷分岐』 に当たる。






 『モチダ谷分岐』 から尾根道を5分強進むと、左写真のような分岐標識が現れた。


 この分岐標識は、『コース概念図』 で 『上鹿川登山口分岐』 に当たる。


 大崩山に登る場合、この上鹿川登山口からが1番短時間で登れるようだ。


 私達は11年前に登山口のある鹿川キャンプ場にテントを張り、そこから子供と一緒に登った事があった。


 その時の記録を見ると、2時間半で山頂に着いていた。









 その後の登山道も、左写真のように生い茂ったススタケを掻き分けながら進む所が多かった。









 写真が 『上鹿川登山口分岐』 から10分程で到着した、『大崩山=おおくえやま=1644m』 の山頂である。

 到着時間は11時15分で、駐車地を5時25分にスタートしたので、休憩時間も入れて5時間50分を要していた。

 山頂には誰も居なかった。


 11年前に子供がこの三角点の前に記念の小石を置いていたので、探したが分からなかった。


 この山頂部は写真のように周りは樹木で覆われている為に、展望は無い。

 それで 『山頂〜上鹿川登山口分岐』 の中間地点にある、平らで開けた岩場の 『石塚』 まで戻って休憩する事にした。






 山頂からまたスズタケを5分ほど掻き分けながら 『石塚』 まで戻った。



 そこでザックを下ろして休憩しようとしたところ、何処で何時付いたのか分からない?が、

 私のザックに写真のような青虫がくっ付いていた。










 晴れていれば この 『石塚』 の岩の上からは、『わく塚』 や 『小積ダキ』 辺りの景色も良く見える筈?だと思うが、

 当時刻は写真のように濃いガスが掛かり、その方面の展望は全く無かった。









私達が 『石塚』 で腰掛けて行動食を食べながら休憩している時に、今朝私達が登山口を出発する時に準備中だった福岡ナンバー車の御夫婦と、

上鹿川登山口から登って来たと云う御夫婦が、相次いでこの 『石塚』 を通過して山頂に行かれた。 二組の御夫婦とも私達と同年代だった。

下写真は私達が腰掛けていた岩の、目の前に咲いていた花を写したものである。

ピンク色のドウダンツツジ
赤色のドウダンツツジ




 『石塚』 で25分ほど休憩した後、またスズタケの多い登山道を10分強下りて、写真の分岐標識地点まで戻った。


 この分岐標識は登る時にも紹介したが、『コース概念図』 で 『坊主尾根分岐』 に当たる。


 私達はここで右折して、『坊主尾根』 への登山道を下りて行った。












 『坊主尾根』 の登山道を10分ほど下った付近では、左側に写真のような 『わく塚』 等の岩峰が見える所があった。









 『坊主尾根分岐』 から15分弱下りると、左写真のような分岐標識が現れた。

 この分岐標識は、『コース概念図』 で 『りんどうの丘分岐=坊主尾根側』 に当たる。

 分岐標識にも(水場)の文字が見えるが、私達はりんどうの丘に水場がある事を知っていたので、

 水はそこで補充する積りでいた。

 それで、二人とも飲料水は1リットルずつしか持って来ていなかった。

 私はここまででその全部を飲み終え、おばさんは0.5リットルを飲んでいた。

 それでザックをこの地にデポし、空身で水場まで往復して来る事にした。



 水場は小さなアップダウンを数回繰り返して10分弱進んだ、写真のような谷間にあった。


 上部の岩間から、水が岩上を伝い落ちていた。


 ここで水を汲んでいる時に谷の向こう側から、私達と同年代の御夫婦がこの水場に来られた。


 少し会話してみると福岡在住との事で、その御夫婦もこれから坊主尾根を下りるとの事だった。


 それから谷向こうの上が 『りんどうの丘』 との事で、『そこでは今一人の男性が昼寝してました!』 との事だった。







 『りんどうの丘分岐標識』 から水場まで、往復で約20分掛けて水を補充後、再び坊主尾根を下り始めた。


 その後少しの区間は、写真のように割となだらかな場所もあった。








上のような場所を少し下りると開けた所に出、そこからは谷の向こう側に私達が登って来た 『わく塚』 の尾根が見えていた。

そこから 『下わく塚〜中わく塚〜上わく塚』 を写そうと私は暫くカメラを構えていたが、右写真のようにガスが段々濃くなり遂には何も見えなくなってしまった。

大変残念だった。

谷向こうの、わく塚の岩峰
段々ガスが濃くなり、遂には見えなくなった





 上の開けた場所から5分弱進むと、左写真のような案内板があった。


 登る時に 『袖ダキ』 や 『わく塚』 から、谷向こうに見えていた 『小積ダキ』 の岩上にこから登れるようである。










 上の案内板から踏み跡を辿って50m位?進むと、大きな岩の上に出た。


 私達は今、登る時に 『袖ダキ』 や 『わく塚』 から見えていた、あの凄い 『小積ダキ』 の岩峰の上にいるようである。


 しかし残念な事に、 『小積ダキ』 の左側の深い谷底からは次々に濃いガスが湧き上がって来るので、

 写真のように 『袖ダキ』 や 『わく塚』 等の全容を綺麗に望む事は出来ず、又々大変残念だった。





しかしラッキーな事に、『小積ダキ』 の右側の谷にはまだガスが掛かっておらず、この 『小積ダキ』 を下りた後に通る事になる 『象岩』 は、

下写真のように綺麗に見る事が出来た。

象岩の遠望
象岩部分のUP







 この花は 『小積ダキ』 を下りて象岩に向かう途中で、1輪だけ見掛けた 『ニガナ?』 である。














 写真は 『小積ダキ』 から10分ほど下りた所で、後方に見えていた 『小積ダキ』 を写したものである。
















 この写真も象岩へ向かう途中で写したもので、上写真のような1枚岩をロープを使って下りて来るオバさんである。









下写真はいずれも、象岩部分で写したものである。

『小積ダキ』 の上から写した 『象岩部分のUP』 写真で、象の足部分の下に張られたワイヤーロープを握ってトラバースする事になる。

『象岩の遠望』 写真で分かるように、象岩の下は岸壁で深い谷に続いており、そこに落ちたらまず命は無い!と思う。

私は高い所は少し苦手なので、渡る時は谷の方を見ずに前だけを見ながら一気にそこを歩いた。

しかしオバさんは高い所や高速のジェットコースターや他のスリルのある乗り物等が大好き人間なので、こんな所は平気で歩いて来る。

(オバさんは何処かの神経が一本切れているのでは?と、私は時々思う時がある・・・笑)

象岩トラバース時の救いは、その岩が玄武岩や流紋岩等のようにツルツルした岩肌では無く、礫岩や砂岩のように滑り難い岩肌である事である。

象岩部にあった看板
象岩の左側は深い谷に続いている
象岩の下を平気で歩いて来るオバさん

下写真は象岩の下をトラバースしてから、眼前に見えていた 『小積ダキ』 を写したものである。

『小積ダキ』 の岩壁は相当の高さがあるので、その場所から岩壁の全容を写すには、私のカメラでは数枚の写真が必要な程だった。

下・左写真は 『小積ダキ』 の上部を写したもので、右写真は下部の谷方面を写したものである。

右写真のように谷底からは次々に濃いガスが湧き上がって来ていたので、『この小積ダキも、まもなく見えなくなるな!』 と私は思った。

小積ダキの上部
小積ダキの下部







 登る時もハシゴ場やロープ場は岩場は無数にあったが、下山時にもそれらは無数にあった。



 写真は或るハシゴ場をスイスイ!と下りて来る、オバさんの雄姿である。(笑)














 象岩を過ぎて5分強進むと、前方に写真のような岩が見え、その岩の上にロープが張ってあるのが見えた。


 それで今度はその岩の上を歩く事が分かった。








上写真から5分位でその岩に着いたが、左写真はその岩の上を歩くオバさんの雄姿で、右写真はその岩からハシゴを下りて来るオバさんの雄姿である。(笑)




その後の登山道には下のような場所もあった。
岩の下をくぐる
岩の隙間を歩く










 左写真はその後に出て来た或るハシゴ場だが、ハシゴ段の間から 『ササユリ』 が顔を覗かせていた。

























 写真はその後の登山道の或る場所だが、周りは樹木が大変多くなって来た。












その後も樹林帯の中の登山道を下りていると、下写真のような分岐標識が現れた。

この分岐標識は、『コース概念図』 で 『林道分岐』 に当たる。

登る時に 『大崩山荘』 前の 『祝子川の渡渉地点』 で水量を確かめたが、そこが増水で渡渉が危険な場合は、この分岐点で右折して林道を歩いて下りる事になる。

私達は登る時に水量を確かめたが、危険無く渡渉できそうだったので直進した。

林道分岐標識
      距離案内







 その後の登山道にも、まだしつこくハシゴ場や写真のようなロープ場が出て来た。









その後は緩やかになったり、また急坂になったりする登山道を20分ほど下りていると、下写真のように2本の樹に挟まれながら成長しているヒメシャラの樹があった。

それは丸で女姉妹に挟まれて育った私の境遇に良く似ていたので、私が勝手に 『苦労の樹』 と命名した。(お互いに苦労するな〜!・・・笑)

2本の樹に挟まれてに成長しているヒメシャラ
左写真の反対側

『苦労の樹』 から10分弱進むと、下写真のような 『祝子川の渡渉地点』 に出た。

下写真のように岩の上に設置されている、小さなケルンやテープ等を目印にして、川の中を50m近く?下って行った。

そうすると右写真に写っているように、対岸に白い布がぶら下がっているのが見え始めたので、今度はそこを目指して川に落ちないように注意しながら岩の上を歩いて行った。

渡渉開始地点
渡渉の中間地点
対岸に渡渉する地点(白い布が目印)

対岸に渡り、100m位?進むと、今朝もちょっと立ち寄った 『大崩山荘』 の前に出た。

後学の為に 『大崩山荘』 のトイレと水場を確認しに行った。

トイレは山荘の裏から50m?ほど奥に行った所にあり、オバさんが中を覘いて来たがバイオトイレでは無く、また綺麗では無かった!と言っていた。

水場は小屋の直ぐ裏にあったが、その時は何故か?、水は止まっていた。

大崩山荘
50mほど奥にあったトイレ
水が出ていなかった水場






 『大崩山荘』 からは登る時に歩いた道を20分ほど下りると、写真の 『祝子川登山口』 に着いた。


 登山口の前には2台の車が増えていた。








今日の山歩きをまとめると

   (登り)      駐車地(5:25)〜5分〜登山口(5:30)〜25分〜大崩山荘(5:55/6:00)〜1時間45分〜袖ダキ(7:45/8:00)〜

                       45分〜下わく塚(8:45/8:50)〜25分〜中わく塚(9:15/9:20)〜35分〜上わく塚(9:55/10:20)〜

                       10分〜りんどうの丘分岐(わく塚側=10:30)〜15分〜坊主尾根分岐(10:45)〜15分〜モチダ谷分岐(11:00)〜

                        5分〜上鹿川登山口分岐(11:05〜大崩山山頂(11:15))で休憩時間等を入れて、合計5時間50分



   (下り)  大崩山山頂(11:15)〜5分〜石塚(11:20/11:45)〜10分〜坊主尾根分岐(11:55)〜15分〜りんどうの丘分岐(坊主尾根側=12:10)〜

                       10分〜水場(12:20)〜10分〜りんどうの丘分岐(坊主尾根側=12:30)〜20分〜小積ダキ(12:50/13:00)〜

                       10分〜象岩(13:10)〜1時間10分〜林道分岐(14:20)〜40分〜祝子川渡渉(15:00/15:05)〜

                        5分〜大崩山荘(15:10/15:15)〜20分〜登山口(15:35)〜5分〜駐車地(15:40)で、合計4時間25分

   総合計時間は休憩時間等も全て含めて10時間15分、標高差は1030m、歩いた距離は約12km、万歩計は31894だった。

それから携帯電話(au)は、大半の場所で感度が良かった!と、オバさんが言っていた。



最後に今日撮影したササユリの花の一部を掲載する。

最近ササユリは、盗掘等の為にメッキリその個体数が減った!と聞く。

それで盗掘予防の為、場所が特定できないようにまとめて掲載する。

これらのササユリは登下山時に数か所の岩場で見掛けたものである。

ササユリー1
ササユリー2
ササユリの蕾

この岩場だけで50本位咲いていた
ササユリのUP

下写真は大崩山を去る時に写したものである。

帰路にふと横を見ると、山頂付近は濃いガスで見えなかったが、『袖ダキ』 か 『小積ダキ』 辺り?の岩峰が、薄いガスのベールの向こうにそのシルエットを見せていた。

右側に見えていた景色を車内から写す
段々遠くなって来た
ここを最後に見えなくなった

今回の山行では目的の一つであった 『ササユリ』 と 『ヨウラクツツジ』 が見れて大変嬉しかったが、最後の方の景色がガスの為に良く見えなかった事が残念であった。

しかし大崩山の山歩きでは、余りの絶景に感動さえ覚えた。

景色を見てこのような感覚になった事はこれまでに余り記憶が無く、今思い出すのは外国では 『カナダのナイアガラ瀑布』 と 『アメリカのグランドキャニオン』 位で、

国内では子供と一緒にザックを担いで、山小屋泊まりしながら10日間に渡って屋久島の山中や島を一周した時以来のような気がする。

『今度は、秋晴れの紅葉時に訪れよう!』 と、私は思いながら大崩山を後にした。

inserted by FC2 system