2008年5月4日 快晴 微風
コース概念図 |
今回のコースは随分前から計画していたのだが、二人の体調や気候(夏季の高温や冬季の積雪、及び陽の長さ)等が都合良く一致せずに、延び延びになっていた。
今回もオバさんの膝の具合が万全では無かったが、私達の体力は年々落ちる一方?なので、意を決して実行する事にしたのである。
今回の山域は、九州では山深い所の一つと言われていて、九州での 『月の輪熊』 は1987年にこの山域で射殺されて以来、捕獲等の記録は無い。
しかしその射殺後にも、数組の方々による熊目撃情報がこの山域で伝えられているが、熊生存の確たる証拠は無い。
それで熊の生存を信じる人達は、自動ビデオカメラを山中に設置したりして調査されているようである。
私達が以前にこの地を訪れた時には、熊に対する注意書きの大きな看板がバス停近くにあった。 しかし今回はそれは見掛けなかった。
今回の山域はそのように山深い所で、過去には遭難事故も起きている。
それで私達は慎重を期して手持ちのガイド本や図書館から借りた最新のガイド本を5冊位読み、重要な部分はコピーして持って来ていた。
その上にインターネットでも最近登った方々のレポートを読み、同山域の地図も広範囲と詳細等を3種類揃え、コース等は頭に叩き込んだ。
前日の3日朝に自宅を出発したが、当日はこの地に来る途中で、短時間で登れる未登の2山を予定していた。
1山目(尾ノ岳=1041m)は直ぐ分かったので簡単に登ったが、2山目(斧岳=1029m)は牧場の中にあり、
入り口が閉鎖されていたので登れなかった。
それで時間が余り、その後は途中にある 『滝廉太郎の荒城の月』 で有名な 『岡城址』 や、
写真の 『東洋のナイヤガラ』 と呼ばれている 『原尻の滝』 等を見物して時間を潰した。
それでも写真の 『上畑、建男社駐車場』 に着いたのは17時半位だった。
駐車場はほぼ満車の状態で、駐車場に入り切れなかった車が駐車場上方の路肩に10台近く駐車していた。
私は幸運な事に誰かが駐車場から出たばかりなのか?、2台分程の駐車スペースが有ったのでそこに駐車できた。
夕食にはまだ時間が早いので、私達はその付近や登山口周辺等を散策し始めた。
その途中でちょうど屋外に出てあった地元のお婆さんと話し込んで色々な情報を仕入れた。
そんな風にして1時間ほど時間を潰したが、もう他には時間潰しをする事が無いのでオバさんと相談し、
普段より少し早いが飲み始めよう!と言う事になった。
写真は当夜の食卓だが、全てオバさんが自宅で用意して持参した物である。
上段左は前日に道の駅で買った、今の季節物としては私の大好きな 『ウド』
で、右は 『竹輪とマヨネーズ』 である。
下段左は 『野菜の煮付け』 で、右は 『カツオのタタキと玉ねぎのスライス』
である。
オバさんはこれらを全て缶ビールと共に、保冷バッグに入れて持って来ていた。
最近は歳の為か?、二人とも若い時のように量は飲めず、そして以前より早く酔うように成って来ている。
特に最近の私は少量?で酔うようになり、そして酔うと若い時から直ぐ眠たくなるのである。
当夜も1時間以上飲んで私は酔ったが、明朝が早いから!との理由を付けて、二人とも20時前にはシュラフの中に潜り込んだ。
しかし当夜は余り眠れなかった。
理由は前日に今回のハード山行?の為に体力を温存しておこうと思い、早く寝た勢もある?と思うが、
駐車場前の道路をかなりの頻度で車が行き交い、その音で目覚めるのである。
今日は連休後半のスタート日であり、そして今日・明日は好天が予想されていた。
それでこの 『上畑登山口』 の更に上方にある 『尾平登山口』 から 『祖母山』 への登山者が多いようである?
深夜でも 『尾平登山口』 へ向かう車と、『尾平登山口』 から下りて来る車がかなりの頻度で通るのだった。
熟睡できたのは酔って寝た最初の方だけで、0時以降はあまり眠れなかったように思う。
2時位からは二人とも車が通る度に目覚めて、『何時になったかな〜?』 等と話していた。
計画では6時にスタートの予定だったが、『スタート時間を早めよう!』 と言う事で意見が一致し、4時半頃に起きた。
写真は前日の夕方に写したもの
駐車場の直ぐ前には写真のような 『建男社=たけおしゃ』 へ登る石段がある。
写真にも写っているが、石段の右側にかなり勢い良く出ている湧水がある。
私達はその冷たい湧水で洗顔して気を引き締め、その後、石段の下から 『建男社』
に今日の安全登山を祈願した。
写真は駐車場をスタートした時に日の出方向の山を写した物であるが、写真のように少し明るくなり始めていた。
時刻は5時15分だった。
写真は前日の夕方に写したもの
写真は駐車場から50m位下った所にある登山口である。
写真のように案内標識が設置されている。
尚、この舗装道路は数百m続き、道路脇には数件の民家がある。
その舗装道路を5分ほど登ると、写真のような登山届けBOXが左側にあるが、登山道は右側の道路である。
尚、この直ぐ先に最後の民家がある。
最後の民家前を通り過ぎると、直ぐ薄暗い植林の山に入るが、その入り口部分には写真のような看板があった。
スタートしてから45分程すると写真のような沢を、5分位の間隔を置いて2度横切ったが、水は殆んど流れていなかった。
しかしガイド本等によると、雨季や大雨後のこの沢は、渡渉出来ない程の水量になる時もある!との事だった。
ところで、私達が駐車場をスタートする15分位前に、一人の男性が先にスタートして行った事は知っていた。
その方がこの沢付近で休んであった。
ザックに名札が付いていたので、『T』 の頭文字である事が分かった。
私達は簡単な挨拶をして通り過ぎたが、この後下山する迄、この 『Tさん』
と何度もご一緒して良く話す事になるとは
その時は思いもしなかった。
その後も薄暗い山中を登っていると、写真のようにかなり大きな足跡があった。
私の手に近い大きさがあり、何となく熊を連想させる。
周りは薄暗いし、気持ち悪くなった私は 『もう帰ろうかな〜!?』 と思ったが、
後ろに強いオバさんが付いている事を思い出し、気を取り直して前に進んだ。(笑)
その後は写真のように、木の根を掴みながら登る、崖のような岩場もあった。
スタートして1時間20分位した所で、初めて写真のような 『シャクナゲ』 を見掛けた。
どんなに疲れている時でも、花や絶景を眺める時はその事を忘れさせてくれるし、
又ちょっとした息抜きの休憩にもなるので、私は花の多い山や展望の良い山は好きである。
上掲写真から20分ほど歩いた所には、写真のように下半身がドッシリ!と安定した樹があった。
何となく近所の奥さんを思い出す。(笑)
その後5分位歩いた所から、写真のように 『モミ』 や 『カヤ』 の大木を多く見掛けるようになった。
ところで私はスタート時は元気が有るので早足で歩き始めるが、途中からスタミナが続かずにへたばる事が多い。
オバさんはその逆で、スタート時は遅いがスタミナ切れする事は滅多に無い。
その事で私は何時もオバさんから注意されている。
しかし今回の山歩きには大小のアップダウンが多く、また長時間を要する事が分かっている。
そしてオバさんの膝の調子に一抹の不安が有り、今朝も身支度時に膝にクリームを塗ったり、膝サポーターをするのを見ていた。
それで私はオバさんの事を慮って、今回はスタート時からゆっくりと歩くように心掛けていた。
そう言う事で、私は朝から気合いも入っていた勢もあるだろうが、ゆっくりと歩いたので疲れはまだ殆んど感じていなかった。
上掲写真から5分ほど歩くと尾根道に出たが、その尾根道からは下写真のように満開の 『アケボノツツジ』 を見受けるようになった。
『アケボノツツジ』 を眺めながら尾根道を更に5分ほど歩くと、『露岩=1175m』 のある見晴しの良い場所に出た。 その露岩の上には測量の棒が立っていた。
ところで私達は起きてからここまで、食べ物は全く口にしていなかった。
喉が渇いた時には二人ともザックの肩部分に入れているボトルを抜き、歩きながら飲むので休憩も全くしていない。
それでこの見晴しの良い場所で朝食(行動食=パン、ゆで卵、バナナ)を食べながら休憩する事にした。
時刻は7時15分で、スタートしてちょうど2時間が経っていた。
地図を見ると、谷を挟んだ正面には 『傾山』 と 『笠松山』 が、前方にはこれから目指す
『前障子』 とその後方左側には 『本谷山』 等が、
そして後方の少し遠くには 『くじゅう連山』 等が見えていた。
傾山 笠松山 ↓ ↓ . |
本谷山 前障子 . ↓ ↓ . |
露岩では上写真のような景色を眺めながら朝食を食べて10分ほど休憩し、再び尾根道を歩き始めた。
下写真はそんな尾根道を歩いている途中で、良く見掛けた花達である。
満開のアケボノツツジ |
5分咲き位のシャクナゲ |
露岩から15分ほど歩くと前方の木々の間から、これから目指す 『前障子』 が写真のようにかなり近くに見えて来た。
尚、左側の濃いピンク色の花は 『ミツバツツジ』 である。
その付近の登山道脇の樹には、写真のように大きな 『サルノコシカケ』 があった。
露岩から50分程で写真のような 『前障子』 の基部に着いた。
『前障子』 の山頂はこの大岩を登った所にある。
しかしその後の 『大障子』 への登山道は、この大岩の基部まで戻り、この大岩の左下を巻いている。
だから私達はこの基部にザックとストックをデポし、空身でこの大岩を登る事にした。
写真を撮る位置が近すぎた為に全体が良く分からないと思うが、前述したようにこの大岩の左下には細い登山道があるので
そんなに怖く無いが、、右下は数百m?の谷で、そこを見ると怖い。
右側に滑り落ちたら、まず命の保障は無い。
それで私達はこの大岩を登り下りする時は手袋を脱ぎ、指先の感覚を研ぎ澄ましてから、細心の注意を払って慎重に登った。
できれば、この場所には鎖等の設置が欲しいところである。
上掲の大岩は2〜3分?で登り切ったが、登り切った少し先が写真の 『前障子=1409m』
の山頂だった。
到着時刻は8時20分で、露岩からは55分程を要していた。
写真の左側に写っている山並は、この山頂部から北北西方向に見えていた 『くじゅう連山』 だが、
その右側で遠くに薄く写っている山は 『由布岳』 である。
コンパクト双眼鏡(凄く高性能)でそれらの山を見ていると、
写真の中央付近にある 『花牟礼山=はなむれやま=1170m』 の山頂では何と!、
『N県のMさん』 らしき方が缶ビールをグイグイ!飲んでいるのが見えた。(笑)
古祖母山 障子岳 祖母山
↓ 大障子岩 ↓ ↓
↓
上掲の 『前障子』 の山頂標識のある場所から、更に50m位?先に進むと断崖絶壁になっていて、そこからは絶景を望める。
左写真はその断崖絶壁から、これから進む方向を写したものである。
左手前から続く尾根筋の1番高い所がこの後に目指す 『大障子岩』 だが、その後方の稜線の山名は写真説明の通りである。
尚、後で一緒になった登山者の話だが、その人は最初にこのコースに挑戦した時、コースを良く下調べせずに挑戦したそうである。
それでその人は、この 『前障子』 から 『大障子岩』 に進む場合は、
(先程の大岩の基部まで戻って大岩の左下を巻いて行くとは知らずに)、当然この断崖絶壁を下りて行くものと思い込み、
一人で10m近く下りたが、怖くなって登り返したとの事だった。(ビックリー!)
そして大岩の基部まで下りたが、今度は大岩を左に巻くとは分からずに、とうとうそこから引き返したとの事だった。
確かに大岩の基部にある道標は目立たない場所にあり、又かなりの年数が経っている様で文字も消えかかって良く見えなかった。
私達がこの大岩の基部に下りる時に、Tさんが大岩の写真を撮ってあり、少し会話を交わした。
その後の尾根道では写真のような、スズ竹が多くなった。
大障子岩 祖母山
↓ ↓
写真は 『前障子』 から20分ほど歩いた所で、前方の景色を写したものである。
今回の山行の最高点である 『大障子岩』 が、かなり目の前に見えるようになって来た。
写真はこの付近の岩場を下りるオバさんだが、『今のところ膝は何とも無い!』 との事で安堵する。(ホッ!)
尚、この付近の尾根道にも写真のように蕾の方が多い 『シャクナゲ』 があった。
それから、この付近の縦走路には大小のアップダウンが多くて少し疲れた。
前障子
↓
写真は 『前障子』 から1時間20分ほど歩いた所のちょっとしたピークから後方を写したものである。
先ほど登ったばかりの 『前障子』 が、かなり遠くに見えていた。
それから先程から私は、反対方向から来る 『祖母山』 の山小屋泊まりの人や、
『愛山新道』 を登って来る登山者に、そろそろ会っても良い頃だな〜!?と思っていた。
そうしたら、この付近で初めて反対方向から歩いて来る登山者と出会った。
行程を聞くと、九折〜傾山〜九折越小屋泊〜古祖母山〜祖母山小屋泊〜大障子岩〜九折と、
2泊3日で 『祖母・傾山系』 を一周する方だった。 周回する場合は、この行程が一般的だと思う。
祖母山
↓
その後の登山道には写真のように2m以上もある、スズ竹のトンネルを通る所もあった。
私達は今回の登山道にはスズ竹が多い事を知っていたので、暑いのを我慢してスパッツを着けていた。
私は数年前にこのようなスズ竹の中を通った時にダニに足を数ヶ所喰われ、大変な目にあった事が有るからである。
その時は数ヶ月間痒みが治まらずに掻きむしった勢もあるが、その時の傷跡は今でも直径3cm位の薄い痣になって残っている。
それ以来、私達はスズ竹が多いと分かっている登山道を歩く時は、暑苦しくても我慢してスパッツを着けるように心掛けている。
それからその付近の岩の上に、写真のような小さな石碑を見掛けた。
何かな〜?と思ってその岩に登ると、或る遭難した方?の供養塔だった。
私はこれも何かの縁と思い、黙礼してから下りた。
上の供養塔から10分ほど歩いた所が、写真のような 『大障子岩=1458m』 の山頂だった。
到着時刻は10時15分で、『前障子』から1時間50分を要していた。
古祖母山 障子岳 祖母山
↓ ↓ ↓
大障子岩山頂の少し先にも岩場の絶壁があり、そこからの眺めも素晴らしかった。
この写真はその岩場の先端から写したものだが、私達はそこの岩に腰掛けて休憩し、
景色を眺めながら行動食(蒸かし芋、カロリーメイト)を食べた。
写真で前方に見える小高い山が 『池の原=1433m』 で、その手前の鞍部に 『八丁越』 があり、
『池之原』 を越えた所の鞍部が 『宮原』 である。
今回の山行では、この 『大障子岩』 が最高点でなので、後は基本的に下る部分が多く、また全行程の半分を消化した事になる。
事前にオバさんが作っていたタイムテーブルと見比べてみると、スタート時刻を早めた勢もあるが、それを考慮に入れても予定時刻よりもかなり早かった。
今回の山行では 『尾平登山口』 に下り、そこからは 『緒方コミュニティバス』 を利用して、車を駐車した 『上畑登山口』 まで戻る予定にしていた。
そのバスは、土・日・祝日には朝夕に其々1便しかなく、夕方は 『尾平登山口』 の出発時刻は17時28分だった。
だから早く 『尾平登山口』 に下山しても、バスの出発時刻まではどう仕様も無いのである。
それで私達は気持ちにある程度の余裕ができたので、この岩場では45分程ゆっくりと休憩した。
休んでいる途中でTさんが登って見えたので、ここでも少し会話した。
それから、この岩場からも 『花牟礼山』 の山頂が見えていたが、驚いた事に
『N県のMさん』 らしき方はまだ缶ビールを飲んでいた。(爆)
大障子岩山頂
↓
『大障子岩』 から 『祖母山』 方面に進む時は、『前障子』 の時と同様に分岐点まで少し引き返し、
その分岐点からは 『大障子岩』 山頂へとは反対方向に進む事になる。(道標は無かったので要注意!)
左写真はその分岐点から急激に下る巻き道の途中で、つい先程まで休んでいた 『大障子岩』 の山頂部を写したものである。
下写真はその後の尾根道で見掛けた花々である。
特に満開の 『アケボノツツジ』 が多く、『露岩』 の少し手前位から見掛け始めたこの花は、それ以降の尾根道でイヤ!と言うほど見掛けていた。
その尾根道では、どの方向の景色を見ても、視野の中に必ず 『アケボノツツジ』 が入る程だった。
今までに掲載した写真でも 『アケボノツツジ』 が多く写っているので、その多さは推察できると思う。
最初の方は久し振りに 『アケボノツツジ』 を見たので、『綺麗だね〜♪』 等と話していた。
しかしこの付近まで来ると、そんな満開の花を見ても何の感激も起きず、『また出て来たのか〜、も〜イイよ!』 と、ゲップ!が出そうであった。(笑)
アケボノツツジと古祖母山 |
背景の山は古祖母山と障子岳 |
ミツバツツジ |
写真は 『八丁越=1290m』 の分岐標識だが、『大障子岩』 を出発して25分が経っていた。
この分岐から 『愛山新道』 を通って 『下尾平登山口』 に下りる事ができるようである。
私達は今回の山行で、この分岐に着いた時に大変疲れていたり、又は予定より遅れていた場合は、
その 『愛山新道』 をエスケープルートに使う積もりでいた。
今回、私達は順路を 『上畑 ⇒ 尾平』 にしたが、所要時間は逆の 『尾平 ⇒ 上畑』 の方が短いようである。
色々なガイド本で調べてみると、どうやら 『尾平 ⇒ 上畑』 の方が1時間位短いようだった。
それが分かっていても、私達が 『上畑 ⇒ 尾平』 にしたのは、反対順路の終盤にはエスケープルートが無いからだった。
それにバスの出発時刻が、20分程 『尾平発』 の方が遅い事もあった。
写真は上の 『八丁越』 から1分ほど歩いた所にある標識である。
この分岐からは 『中内谷』 を通って 『白水登山口』 に下りる事が出来るようである。
上掲写真から暫らく歩くと、今度は縦走路の周辺にはブナの大木が多くなり、
上を見上げると写真のような新緑がとても気持ち良かった。
祖母山
↓
今回のメインの山である 『大障子岩』 にも登り、全行程の半分以上が過ぎたので、
もしかしたら気が緩んだのかも?知れないが、この付近で私は少し疲れていた。
それで途中にあった、或るピークで休憩する事にした。 ここで休憩しながら行動食(餡入り餅)を食べていると、
何処からか?12時のサイレンが聞こえて来た。 『大障子岩』 を出発してから1時間が経過していた。
このピークで私達が休憩していると、今日何度も会うTさんが登って来た。
ここでもTさんと会話しながらお住まいをお尋ねすると、何と!私達の隣市の方だった。
50歳代位だろうか?
前障子 大障子岩
↓ ↓
写真はそのピークから、既に歩いて来た方面を写したものである。
1時間前までいた 『大障子岩』 と、遠くには 『前障子』 が見えていた。
『あの山に登って来たのかー!』 と、少し感慨深いものがあった。
このピークでは20分ほど休憩した。
下写真はその後の登山道で見かけた花達である。
咲きかけのシャクナゲ |
険しい岩場の途中に、健気に咲いていた幼木の花 |
写真は 『鹿ノ背』 と呼ばれている岩場の難所である。
この写真も近すぎて全体が良く分からないと思うが、滑り易い岩肌のナイフエッジで、両サイドは数百m?の谷である。
私達は滑らないような足掛かりを探してから、1歩1歩慎重に歩を進めた。
岩場の距離はせいぜい十数m位?だが、その部分には樹木が無いので風の抜け道になっている。
だからこの場所は、風の強い日や、雨や雪で濡れている時は大変危険である。
出来れば、この場所にも鎖が欲しいところである。
その後の登山道では前方の樹間に時折、写真のような 『祖母山』 を望む事ができた。
又、この付近の登山道にもスズ竹が多く、私は疲れて足が余り上がっていなかったのか?、
写真のように、罠みたいになっているスズ竹の根に何度も足を引っ掛け、その度に倒れそうになった。
この写真もその付近の登山道の直ぐ横で見掛けた物である。
写真のように芸術的なアーチ状の樹の上に 『アケボノツツジ』 が咲いていた。
この様子は私には 『自然の活け花』 に見えた。
洒落た樹の花器にピンク色の 『アケボノツツジ』 を挿し、
その根元を深緑色のスズ竹の葉で飾る!ように見えたのである。
『自然界の神様も粋な事をするな〜!』 と、私は感心しながら見ていた。
写真は 『池の原=1433m』 展望所の絶壁から撮った写真である。
眼前は数百m?の谷で、左側に見える岩壁には 『緑色の松』 と 『ピンク色のアケボノツツジ』
が咲き、
真正面にはどっしりした 『祖母山』 が見える絶景だった。
ここに到着した時刻は13時ジャストで、『大障子岩』 からはちょうど2時間が経過していた。
ここでも写真を撮ったり、行動食(ドーナツ、レーズン)を食べながら休憩した。
ここで休憩していると、Tさんが少し遅れて到着したので、また色々と話した。
今回の山行では、私達は其々2リットルのアクエリアスを持って来ていた。
私はこの時点でその残りが0.5リットル程しかなく、少し心細くなり掛けていたところだった。
そんな事をオバさんと話していると、Tさんから 『水はまだ沢山残っていますから分けて上げますよ!』
とのお言葉を頂き、有り難く0.5リットルだけ分けて頂いた。(感謝!)
Tさんは毎月、鹿児島県の湧水を宅配便で送って貰っているとの事で、分けて頂いた水もその湧水だった。
それから私はこの場所で動きまわる度に両方のふくらはぎに少し痛みを感じていた。 乳酸が溜まったのだろう?と思う。
それで私は持参していた 『エアーサロンパス』 を両ふくらはぎに吹き掛けた。
この 『エアーサロンパス』 の効き目は私には絶大で、かなりの筋肉疲労も大概は短時間で直る。
念の為に書いて置きますが、私は別に久光製薬から頼まれて宣伝している訳ではありません。(笑)
しかしこの文が久光製薬の宣伝広告部のお目に留まった時には、宣伝料を少し送って貰って、ちっとも構いませんよ!(爆)、 『アクエリアス』 のコカコーラ社も!(爆)
上掲の 『池の原展望所』 で20分ほど休憩してから少し歩いた所で、こちらに歩いて見える写真の方に出会った。
どこかで見た事が有るような〜?と思いながら、『今朝はどちらから歩いて見えたのですか?』 と、尋ねてみた。
そうしたら 『九折(つづら)からです!』 との答えが返って来た。
私の予想外の場所だったので、私は理解できずに一瞬ポカーン!としていると、
『九折登山口=380m』 から 『傾山=1602m』 に登り、その後は、『笠松山=1522m』
〜 『本谷山=1643m』 〜
『古祖母山=1633m』 〜 『障子岳=1703m』 〜 『祖母山」=1757m』
と、歩いて来て
これから 『大障子岩』 〜 『前障子』 と歩いて 『上畑』 に下り、『九折』
に戻る予定です!との答えに
私達はやっとこの方が 『あの浜口さんだ!』 と言う事を思い出したのだった。
話しは変わるが、九州と山口県の山岳を紹介する季刊誌で、『 Green Walk 』 と言う山岳専門誌がある。
以前は図書館から借りて読んでいたが、17号からは毎号購入して愛読している。
その雑誌に数年前から私達にはとても思いも付かない山歩きが度々掲載されるようになった。
例えば 『祖母・傾・大崩、8の字大縦走=2泊3日のテント泊』、『祖母・傾山系周回=13時間45分で』、『くじゅう連山周回=14時間8分で』、
『多良山系周回=11時間で』 等、私達にはビックリ!するような山歩きの記録ばかりだった。
そんな山歩きをされている方達が長崎県の浜口さんご兄弟なのである。
今日はお一人なので尋ねてみると、『兄は他のコースを調査しています!』 との事だった。
今日は前回の 『祖母・傾山系周回』 の時とは逆の順路で周回しているとの事だった。
『今朝は何時に出発されたのですか?』 とお尋ねすると、『4時』 との事だったので、ここまで9時間20分の所要時間である。(ただ唖然!)
間近で身体を拝見するとウエアーの下に盛り上がっている胸が凄いのでお尋ねすると、以前はウエイト・リフティングをしていた!との事で、納得する。
『山歩きは40歳になってから始めました!』 との事だったので、年齢をお尋ねすると
『現在55歳です!』 との事だった。
他にも色々と話したが、それは割愛する。
本当はまだ他にも色々とお聞きしたかったのだが、浜口さんにはこの後にまだかなりの距離が残っている事が分かっている。
永く引き止めて時間が足りなくなったり、ペースを乱してはいけないと思い、最後に写真撮影だけをお願いしたが、
左写真のようにオバさんとの記念撮影にも気軽に応じて頂いた。(感謝!)
『この後も頑張って下さい!』 とエールを送って別れたが、浜口さんはとても気さくな方であった。
それにしても浜口さんご兄弟は、『平成の鉄人』 又は 『平成の怪物』 あるいは
『平成の天狗』 と、呼びたいような凄い方達である。
浜口さんと別れてから10分弱歩くと、写真のような分岐標識があった。
この分岐からは 『メンノツラ沢』 を通って、『白水登山口』 や 『神原登山口』 に下りる事ができるようである。
上の分岐から更に20分強歩くと、写真のような 『宮原=みやばる=1402m』
に着いた。
到着時刻は13時55分で、『池の原展望所』 出発直後に浜口さんと立ち話をした時間(5分位?)を入れても
『池の原展望所』 からの所要時間は35分だった。
尚、この分岐から1時間位?真っ直ぐ進むと、『祖母山山頂』 に立てるようである。
又、この分岐から左に下る道が、これから私達が歩く 『尾平登山口』 への登山道である。
事前の調査では、この 『宮原』 から 『尾平登山口』 までは2時間位の所要時間だった。
このまま下りたら16時位には 『尾平登山口』 に着いてしまうので、この広場で少し休憩するする事にした。
それで、ここで腰掛けて休んでいたらTさんもここに到着したので、話しながら一緒に休んだ。
ところで、『前障子』 や 『大障子岩』 及び上空が開けた尾根道等では携帯電話は通じるようだった?が、この
『宮原』 でも感度は良かった。
それでオバさんが明日の天気予報を調べてみると、当地方は70%の雨予報だった。
平地で70%の確率ならば、山では100%雨だろう!と言う事になり、その時点で私達は、『明日の予定を変更して帰宅しよう!』 と決めた。
そんな風にして休んでいると、『祖母山』 の方からは大小の団体が次々と下りて来て、この広場で少し休んでから
『尾平登山口』 の方に下りて行った。
『祖母山』 から下りて来る人達は日帰りの方も多いだろうが、昨日から 『祖母山』
に登って 『9合目小屋』 に泊まった方達もいるだろう?と思っていた。
と言うのは、昨日(3日)が 『祖母山の山開き日』 だったからである。
昨夜が小屋泊まりだったのでは?と思える方に、昨夜の小屋の様子をお尋ねしたところ、『イヤ〜、大変でした!』 との返事が返って来た。
私達はこの広場で15分ほど休憩してから下り始めた。
写真は 『宮原』 から少し下りた所で撮ったものだが、やはりこの道は登山者が多く通るようで
先程まで歩いていた尾根道よりも良く踏み込まれていた。
写真は 『宮原』 から下り始めて10分で着いた、『標高1300m』 の風景である。
私達は 『尾平登山口』 に早く下りても仕方が無いので、ゆっくり歩いていた為に、
後から下りて来る登山者に次々に追い抜かれた。
これは上写真から10分で着いた、『標高1200m』 の風景である。
これは上写真から5分ほど下りた付近の風景だが、写真のように 『モミ、カヤ、ヒメシャラ』 等の大木が多かった。
尚、この付近では爽やかな風が顔に当たり、とても気持ちが良かった。
これは上写真から更に5分ほど下りた所にあった水場だが、写真のように涸れていた。
これは上の水場写真から5分で着いた、『標高1100m』 の風景である。
この付近でも私達はゆっくり歩いていたので、後ろから下りて来る登山者に次々に追い抜かれた。
下写真はその後に見掛けた 『珍木』 だが、写真のように直角に折れ曲がった樹や、色と木肌がとても綺麗で芸術的な形をした樹もあった。
直角主義 |
芸術派 |
『宮原』 から 『標高1100m地点』 までは100m毎に標高標識があったので、
その後も標高標識は同間隔であるだろう!と、私は思っていた。
しかし私の予想に反して、次に現れた標高標識は写真のように、『標高800m』
の標識だった。(怒!)
標高1100m地点からは35分掛かっていた。
これは上写真から10分で着いた、『標高700m』 の風景である。(怒、治まる)
これは上写真から15分ほど下りた所で渡った沢である。
写真のように、この沢も水量は少なかった。
これは上写真から5分ほど下りた所にあった吊橋である。
高さが無いので怖くは無かったが、歩くとユラユラ揺れるので少し気持ちが悪かった。
これは吊橋から5分程で着いた、『標高600m』 の風景である。
この付近一帯は遊歩道になっていて、所々にベンチが設置されていた。
尚、この標高600m地点が 『尾平登山口』 では1番低い所のようである。
だから、この 『尾平登山口』 から 『祖母山=1757m』 に登る場合の、標高差は約1160m有る事になる。
天狗岩
↓
これは上写真から少し歩いた所で、後ろを振り返った時に見えていた天狗岩方面を写したものである。
何時の間にか曇り空になっていて、上空には早い雲が流れていた。
写真は 『尾平登山口』 の有料駐車場(500円)だが、直ぐ横にはトイレもあった。
無人で、駐車する人は自主的に写真の料金箱に入れるシステムになっていた。
私達がこの駐車場に着いた時はまだ10台位の車が駐車していた。
ナンバープレートを見ると、九州ナンバーの他には 『千葉』、『神戸』、『広島』
等のプレートがあった。
『祖母山』 は 『日本百名山』 に入っているので、やはり全国から登りに見えるようである。
尚、写真道路の少し上方(右手)のヘアピンカーブの所がかなり広くなっていて、そこにも数台が駐車していた。
ところでこの後は 『上畑』 の駐車場に戻らなくてはいけないが、そこにはバスを利用して戻る予定なので、今回の山歩きの記録はこの駐車場に到着した時刻迄にする。
この駐車場に着いた時刻は、ちょうど16時だった。
今日の山歩きをまとめると、
上畑原駐車場(5:15)〜2時間〜露岩(7:15/7:25)〜55分〜前障子(8:20/8:25)〜1時間50分〜大障子岩(10:15/11:00)
〜25分〜八丁越(11:25)〜1時間15分〜池の原(13:00/13:20)〜30分〜宮原(13:55/14:10)
〜1時間50分〜尾平駐車場(16:00)
総所要時間は10時間45分で、その内訳は歩行時間の合計が8時間45分、休憩時間が2時間で、万歩計は31866だった。
それから今回の山歩きは、歩行時間が長く、その上にかなりのアップダウンがある事が分かっていた。(距離は12km位?で、累積標高差は3000m前後?)
それで今回は体力の消耗を防ぐ為に、出来るだけ荷を軽くするように心掛けた。
と言うのも、(前記したが)今回は二人とも其々2リットルの飲料水を持つ予定だったからである。
2リットルの飲料水はかなりの重量があったので、何かを外す必要があった。
雨具とヘッドランプは絶対に外せないが、オバさんと相談してツェルトを外した。
その代わりに、ツェルトの数分の1の重量しかない、とても軽いエマージェンシーシートを其々1枚ずつ持った。
(私達のツェルトはポール付きの二人用で、テントの代用にもなり、かなり重量が有る)
それから、飲料水の事に付いて少し説明しておくと、前記したように私達は2リットルずつ持った。
結果的には私が2.5リットル、オバさんが1.5リットル飲み、下山時には全部がちょうど無くなった。
今日は快晴だったが、気温はそんなに高く無かった。
今日位の暑さでこれだけの量の飲料水を飲んだので、気温の高い夏場にこのコースを歩く人はもっと汗を掻くはずだから、
もっと十分な量の飲料水を持つ必要があるだろう。(但し、必要量には個人差がある)
それから今回の尾根道付近にも水場があるように説明したガイド本やコース地図があるが、最近は涸れている事が多いらしいのでそれは当てにしない方が無難だろう。
ところでこの駐車場に着いた時刻は、前記したように16時だった。
『尾平登山口』 を出発するバス時刻は17時28分である。
私達はこの 『尾平登山口』 に早く下山し過ぎたので、1時間半近くも待つハメになった。
駐車場の横で腰掛けてオバさんと話していると、Tさんもこの駐車場に到着した。
それからは3人で色々な事を話しながら、30分近く?時間を潰していた。
ところで、私達がいる駐車場にはバスの停留所が見当たらないので、『何処にあるのでしょうね〜?』 等と話していた。
それで、私が前を通り掛った登山者の方にお尋ねすると、『通り道だから上畑まで乗せて行きますよ〜!』 との有り難いお言葉が返って来た。
その乗用車の方達は広島県から 『祖母山』 に登りに来られていた私達と同年代の御夫婦だった。
その御夫婦は後部座席の荷物を片付けてから、私達3人を乗せられた。
『上畑』 までの道は曲がりくねっている上にそんなに広くなかったので、途中では対向車と擦れ違う為にバックする時があった。
『上畑』 までは20分位?掛かったので、その間は九州や中国地方の山の話等をしていた。
その御夫婦も明日が雨予報なので、私達と同様に 『予定を変更して帰宅します!』 との事だった。
私達も帰宅する事にしていたので、明日の山行時等に食べる予定の菓子類やツマミ類がひとまとめにして車内に残っていた。
『上畑』 に着いた時に、それらをまとめて入れた袋ごと、感謝の気持ちとしてその御夫婦に差し出した。 かなりご辞退されたが、お願いして何とか受け取って頂いた。
これは駐車場で荷物を片付けている時に、ちょうど目の前を通って行った、私達が乗る予定だったバスである。
今この 『上畑』 を出発したので、あの御夫婦の車に乗せて貰わなければ、
私達は40分後位にしかこの駐車場には戻って来る事は出来なかった。
本当にあの御夫婦のご親切には感謝!であった。
その後も車内を片付けながら帰宅準備をしていたが、私がふと車の前を見ると、何と!、途中で出会ったあの浜口さんが石段横の湧水を飲んであるのが目に飛び込んで来た。
ビックリ!した私達は急いで駆け寄った。 浜口さんもまた私達に会った事を少し驚いてあるようだった。
その時の時刻が17時15分位で、『池の原展望所』 付近で浜口さんと別れた時刻が13時25分位だったので、あれから3時間50分しか経っていない。
私はまずその事に驚いていた。 私達の場合は逆回りだが、同じ区間を8時間10分も掛かっていた。
浜口さんは 『あの後暫らく歩いたところで水が無くなり、かなり苦しみました〜!』 と言ってあった。
浜口さんの今回のコースは距離的には35km位との事だったが、累計標高差はどの位になるのか?私には見当も付かない。
浜口さんは 『今日はそのコースを14時間強で歩く予定です!』 と言ってあった。
蛇足になるかもしれないが 『 Green Walk 』 の23号に、2006年の5月に浜口さんご兄弟が
『祖母・傾山系』 を一周した記事がある。
その時は今回の私達と同じ順路であり、『上畑』〜『宮原』 間は全く同じルートである。
それで、その区間だけを単純比較をしてみると、その区間の所要時間は私達は8時間40分だが、浜口さんご兄弟は3時間44分だった。
大体だが、浜口さんご兄弟は私達の2.3倍位のスピードで歩いてあるようだ。
『登山道では走りません!』 と言われていたが、1度登山道を歩いてある様子をゆっくり拝見したいものである。
浜口さんご兄弟が今後予定してあるコースとか、その他にも色々な話を4人でしたが、その詳細は割愛する。
前記したが改めて書くと、浜口さんご兄弟は本当に、『平成の鉄人』 又は 『平成の怪物』
あるいは 『平成の天狗』 と、呼びたいような凄い方達である。
そのご活躍振りは、私達中高年登山者に取っては、『中高年登山者の神様あるいはアイドル』』
であり、『中高年登山者の憧れ又は星』 のような存在である。
(浜口さん、前行の文章には少しゴマが入っています・・・爆)
尚、今回に限り、読者の方への特別サービスとして、『健男社』 前で浜口さんと一緒に記念撮影した、私達の写真を掲載します。
なにしろ下山直後の為、私達はザックと登山靴を外したばかりと言うむさ苦しい状態であり、普段のダンディ振りや上品さは無い。(笑)
それでこのような写真しか掲載できない。
信じて貰えないかも知れないが、オバさんは若い頃には 『オードリー・ヘップバーンかグレース・ケリーの再来か?』 と騒がれていたし、
私は私で 『ジェームス・ディーンやアラン・ドロンに良く似てる!』 と騒がれたものである。(爆)
しかし現在の私は、『ヨン様とガッツ石松を足して2で割った顔と体形』 になった事を付け加えておこう。(爆)