三俣山(1745m)


2007年10月30日(火曜日)  快晴  弱風


29日の昼過ぎにネットサーフィンをしていると、くじゅう連山にある三俣山の 『大鍋小鍋』 の紅葉がピークである事を知った。

それでオバさんと相談して急遽、三俣山に行く事にした。

三俣山には何度も登った事があるが、私達は 『大鍋小鍋』 の紅葉のピーク時に登った事はまだ無かった。

去年の秋、ネット上で凄く綺麗な 『大鍋小鍋の紅葉風景』 を見ながら、オバさんと 『来年は紅葉のピーク時に行こう!』 と話していた。

しかし29日は14時に来客の予定があったので、お客が帰った15時30分頃から大急ぎで山行の準備を始めた。

そして近くのスーパーマーケットで明日の朝食・昼食・行動食として 『パン、おにぎり、お萩、饅頭』 等を購入した。

その後ガソリンを満タンにし、トリップメーターを 『0』 にして久留米を出発したのは16時20分だった。

途中、玖珠町の 『ほっかほっか亭』 で夕食用の弁当を買ったりしたので、長者原の駐車場に到着したのは18時50分だった。

トリップメーターはちょうど100kmを示していた。



駐車場に着いた時は既に暗くなっていたが、屋外灯が灯っていたので、駐車場に停めている車等は判別できた。

7〜8月であれば20時近く迄は明るいので、その時期はこの駐車場では多くの人達がバーベキュー等をしながら夕食を食べている時刻である。

当日は私達が停めた駐車場には20台位の車が駐車していたが、標高1050m位にある駐車場の外気は冷たく、車外に人影は全く見えなかった。

かと言って、駐車中の車内に明かりを灯している車は1台も見えない。 もう既に皆さん方はお休みになっているのだろうか?と、オバさんと話していた。

私達は既に駐車している車から出来るだけ離れた所に停めたのだが、何度かドアを開け閉めしてベッドメーキングをしていると、

少し離れた両隣のキャンピングカーとミニバンの車内で、人が起き上がってこちらを見る人影が見えた。

やはり駐車中の皆さん方はお休みになっていたのである。 19時を少し過ぎた時刻なので私達は少し驚いた。

もしかしたら皆さん方は御来光や朝日に輝く紅葉を狙って、深夜に登山を開始する為に早寝してあるのかも知れないな〜?と、私は思った。

それで、出来るだけ音を立てないようにしてベッドメーキングや夕食の準備等をした。

寝る準備がすべて終わってから宴会を始めたが、周りが寝てある事を知っているので、何となく盛り上がらずに宴会を終えてしまった。

そして酔ってもいないのに20時頃には二人共シュラフの中に潜り込んで寝てしまった。

山歩きに出掛けると、自宅ではとても考えられないようなこんな早い時刻に、どうして寝る事が出来るのだろうか?と、私は不思議でならない。



それから以前にも書いた事があるが、私は普段1度寝たら翌朝までトイレに行く事は無い。

しかし、オバさんは夜中に必ず1度はトイレに行くようである。

当夜も0時頃にオバさんが起きた気配で私も目覚めたので 『トイレ?』 と聞くと、『怖いので付いて来て欲しい!』 と言う。

若い時ならいざ知らず、今のオバさんなら相手が怖がって逃げると思うが、それを言うと少し面倒臭い事になると思ったので、

その事には触れずにトイレまでオバさんをエスコートし、私はしたくもない小便を無理して出して来た。

トイレの事で思い出したが、オバさんは自宅では言わないのだが、外出して二人でいる時にトイレに行く前には

必ず私に 『オシッコに行って来てイイ?』 と尋ねる癖がある。

その事は結婚直後から始まったように思う。 恐らくオバさんは幼児の頃からトイレに行く前に、両親にそのように言っていたのだと思う。

それが長年の習慣で癖になり、今でもトイレに行く前には、自分では無意識の内にその言葉が出ているのだ!と私は思っている。

だから尋ねられる度に、私は何時も 『ア〜いいよ!』 と答えている。

しかし何時の日か、尋ねられた時に 『親の遺言なので、行かないで欲しいのだけど!』 と、答えてみようと思っている。 オバさんはどうするだろうか?(爆)



トイレから戻って又寝始めたら、車内に蚊が1匹入り込んでいて、顔の近くでブーンと羽音を立てて飛び回る。

どうやらトイレに行く時に、ドアを開けた隙に入り込んだようである。

まさかこの時期にこの気温の中に蚊がいるとは思わなかったので、今回は殺虫剤も電池式蚊取り器も持って来ていない。

オバさんに言うと、『シュラフの中に潜り込めば!』 と言うのでそうしたが、どうも息苦しくて寝付けない。

それで再びシュラフから顔を出すと、蚊は相当にお腹が空いているらしく?、私の顔の周りをブーンと云う羽音を立ててしつこく飛び回る。

オバさんはシュラフに潜り込んで顔を出さない。 それで仕方なく、私が騎士(ナイト)精神を出し、左腕だけをシュラフの外に出して犠牲になる事にした。

蚊も私の血をお腹一杯に吸えば、その後は大人しくしているだろう?と思ったからである。

そんな事をしている内に蚊が腕に止まったような気配がしたが、私はその内に寝てしまったようである。



翌朝目覚めると、左腕に蚊に刺された跡が2ヶ所あり、そこがプクッとかなり大きく膨れて痒い。

暫らく掻いてみたが、痒みが治まらないので、膨れた所に親指の爪で十文字に印を付けたりして痒みを誤魔化していた。

このように前夜は私が蚊の犠牲になってやった事も知らずに、オバさんは私のそんな様子を笑いながら見ていた。(クソー!)



それから長者原は標高が1050m位なので、この時期であれば夜中は5℃以下まで気温が下がるかも知れない?と予想していた。

それで、かなり冷え込んでもそれに対応できるように、私達はインナーシーツやシュラフカバーの他に使い捨てカイロまで用意して来ていた。

しかし実際に寝てみると、スリーシーズン用のダウンシュラフだけで少し暑く感じた位だった。




 翌朝は6時少し過ぎに目覚めた。 私は良く寝たが、オバさんは余り眠れなかった!と言っていた。

 そんな事ならば、夜中に起きて蚊を殺して欲しかった!と、私は思った。(怒)

 写真は駐車場を出発する6時40分頃の様子である。 駐車場後方の山で、手前の山が 『指山=ゆびやま』 で、

 その後ろに3つの峰が見えているが、それがこれから目指す 『三俣山』 である。

 昨夜は私達の左の方に駐車していたミニバンを始め、4〜5台の車がいなくなっていた。

 しかし写真のようにまだ15台前後の車が駐車していたが、その人達はまだ寝ているようだった。

 それらの車の中で寝ている人達は一体何時間寝ているのだろうか?と、私達は笑って話していた。






 長者原には3ヶ所の駐車場があるが、それらの中を歩きながら車のナンバーを見てみると、

 九州各県ナンバーは勿論の事、山口ナンバーや四国ナンバーの車もかなり多く見受けられた。

 写真はヘルスセンター裏にある手洗い場だが、私達はここで洗顔と歯磨きをし、水を補給した。













 この写真は上掲の手洗い場の20〜30m横にある、くじゅう登山口である。









下の 『登山道概略図』 は上掲のくじゅう登山口写真で、橋を渡った所の左側にある案内板である。

私達は今回はどのルートを歩いて三俣山に登るか、まだハッキリ決めていなかった。

私達は今までに歩いた事のない道を出来るだけ歩くように心掛けている。

下の地図を見ながら、『指山』 に登ってから、以前に下りに利用した事のある 『雨ケ池』 から『大鍋小鍋』 を通って三俣山に登ろうか?等とオバさんと相談をしていた。

しかし結論が出ないまま又歩き始めた。






 その後も、どのルートを歩いて三俣山に登ろうか?等と色々な事を相談しながら

 写真のような硫黄山道路を歩いていた。


 そんな道路脇の木々にも写真のように紅葉し始めているものがあった。










 前掲のくじゅう登山口写真から15分ほど歩くと、写真のような指山との分岐に着いた。


 ここでもどのルートを歩くか迷ったが、もしかしたら雨ケ池からの直登ルートが崩壊しているかも知れない?との

 意見が出て、結局多くの登山者が利用する 『すがもり小屋経由』 のルートを通る事になった。










 この写真は上掲写真の直ぐ先にある駐車場であるが、一般車両もここまでは乗り入れが許可されている。


 この駐車場には上手に駐車すれば10台位の駐車は可能である。


 尚、写真に写っている看板部分にはゲートがあり、施錠されているので一般車両はそれから先の進入は出来ない。












 その後も更に硫黄山道路を15分弱歩くと、写真のように山道に入る分岐標識があった。












 この写真は山道に入ってから少し経ってから後方を振り返った時に、

 下方に見えていた出発地の長者原方面を写したものである。


 長者原一帯は写真のようにガスに覆われていた。













 山道に入って5分強歩くと、写真のように立派な水路?を造っている工事現場の横を通った。















 山道は細くてススキに覆われている部分が多く、そこには写真のように虎ロープがずっと張ってあった。












 上掲写真のような山道を25分ほど歩くと、また左写真のような硫黄山道路に出た。


 私達が歩いて来た長者原からの登山道では、前後には一人の登山者の姿も見る事は無かったが、

 この硫黄山道路に出る少し前から大曲登山口から登って来る登山者を多く見掛けるようになった。











 この硫黄山道路を歩くのは約1年半ぶりだが、以前は硫黄山道路上には大小様々な落石が多かった。


 それが何時の間にか写真のように立派な落石防護柵が出来ていたので、かなり安心して歩けるようになっていた。













 しかし、上掲写真のような落石防護柵が出来ている所はまだ一部分で、未工事の所の方が多かったので

 今後は少しずつ延長されるのだろう?と思った。













 上掲写真のような硫黄山道路を早足で10分ほど歩くと、登山道は硫黄山道路の左側にある砂防ダムを渡って

 写真のような大小の岩場を歩く事になるが、この岩場は何度歩いても歩き辛くて好きになれない。








 上掲写真のような岩場を20分ほど歩くと、写真のような 『愛の鐘』 のある 『すがもり小屋』 に着いた。


 時刻は8時10だった。 駐車場を出発してからここまで1時間30分程を要していた。


 ところで私達はまだ朝食を食べていなかったので、ベンチに腰掛け、最初の休憩を兼ねて朝食を食べる事にした。


 パンを食べながらジュース飲んで簡単な朝食とし、15分ほど休憩した。


 この小屋では殆んどの登山者が休憩するようだった。






 この写真は 『すがもり小屋』 から 『三俣山』 に登り始めて15分程して 『すがもり小屋』 方面を写したものである。


 噴煙を上げているのが 『硫黄山』 で、『三俣山』 との鞍部に小さく見えている建物が 『すがもり小屋』 である。


 尚、『硫黄山』 の左側に平らな砂地が見えているのが 『北千里浜』 である。









 この写真は三俣山の 『西峰=1678m』 で、後方の雲の上に山頂を覗かせているのは

 『涌蓋山=わいたざん=1500m』 である。


 尚、この付近まで登ると雲は写真のように低空にしかなく、上空は写真のような快晴だった。







それから下写真は西峰から見えていた風景だが、左写真が東方向に見えていた 『大船山=たいせんざん=1786m』 で、

右写真は北東方向に見えていた、これから目指す三俣山の 『W峰(中ノ峰)=1740m』 である。

  大船山
     W峰(中ノ峰)


 この写真は上掲の右写真、 『W峰(中ノ峰)=1740m』 の山頂標識だが、

 標識が壊れていて山名等は見えなかった。


 この 『W峰(中ノ峰)』 には 『西峰』 から1度下ってから登り返すが、20分程で着いた。

 この山頂には誰も居なかった。


 尚、後方に見える峰が三俣山の 『本峰』 である。







 この写真は 『W峰(中ノ峰)』 から 『本峰』 に向かう途中で写したものだが、

 真正面(北東方向)の雲上に 『由布岳=ゆふだけ=1584m』 の特徴である、双耳峰の山頂が見えた。


 写真は霞んでいて見辛いが、写真の中央部に薄く見えている。










 この写真が三俣山の 『本峰=1745m』 である。


 『W峰(中ノ峰)』 からは10分弱で着いた。


 この山頂では10人近い人達が写真を撮っていた。







 この写真は上掲写真の山頂標識の後方から下を覗いた景色である。

 そこは昔の爆裂火口跡で、手前の草地を底とする所が 『大鍋』 と呼ばれている場所で、

 その先の上方で、すり鉢状に見える所が 『小鍋』 と呼ばれている場所である。

 私はこの景色を上から見た瞬間に、正直言って少し落胆した。

 去年、私はこの 『大鍋小鍋』 の写真を見た時に 『ワ〜綺麗だな〜!』 と、本当に思った。

 それで私は、今年もそれと同じものを期待していたのだが、少し期待外れだったのである。

 そんな事をそこにいる登山者の方達と話してみると、その方達も 『去年の方が綺麗でした!』 との見解だった。


部分的には綺麗な所もあるのだが、何だか其々の色に鮮明さが無く、少しくすんだように見えるのである。

色の鮮明さは、もしかしたら時刻で光線の具合による陰影や今年の猛暑や少雨等が、少しは影響しているのかも知れない?

猛暑や少雨等、それらの異常気象は樹木の体力を奪い、葉が其々の鮮明な色に紅葉(又は黄葉)する前に葉を枯れさせている?ような気が私はしてならない。

そしてその上に全体的に緑色が少ないので、其々の色が映えず、大変残念ながら私が期待していた極色彩による錦繍のような景色は見れなかった。


 ところで私は 『大鍋小鍋』 に行った事が無いので、この機会に火口跡に下りて、鍋底から写真を撮ろうと思った。

 それで崖のような岩場を、そこに生い茂る潅木の枝を掴んだりしながら急激に下って行った。

 途中で写真のような尖った岩の上に乗って写真を撮っている、凄い方達を見掛けた。

 その方達を見ながら、他人とは違ったアングルから綺麗な写真を撮るのは本当に命懸けだな〜!と、思った。

 こんな危険を冒してまで撮った写真には、当然 『著作権法』 の保護が有って良いな〜!とも思った。

 高所恐怖症気味の私は、こんな真似はとても出来ない。








 又、火口跡に下りる途中には写真のように綺麗な色の紅葉がある所もあった。


 尚、後方の山は 『ミヤマキリシマ』 で有名な 『平治岳=ひいじだけ=1643m』 である。









 ところで私はオバさんは何時ものように、私の後ろから付いて来ているものとばかり思い込んでいた。

 しかし、オバさんは何時の間に私からはぐれたのか?、後ろから付いて来ていなかった。


 その事に私が気付いたのは写真のように大鍋の底にかなり近付いてからだった。

 今更、あの崖のような所を登り返して、オバさんを迎えに行く気にはとてもなれない。


 それで仕方なく、そのまま私だけ下りて行った。






 この写真は大鍋の底に着いてから、下りて来た方向を写したものだが、

 先程の尖った岩の頂上から撮影していたのは上の岩である。


 尚、『本峰』 からこの大鍋の底までの所要時間は、下りる途中で何回か写真を撮った時間も入れて約30分だった。


 それから本峰部分を目を凝らして見ると、オバさんがこちらを見ている姿が確認できた。









 これは大鍋の底から 『三俣山の北峰=1690m』 の山頂部とその斜面を写したものである。


 この付近の紅葉はかなり綺麗だった。














 この写真は大鍋の底を縦断して、小鍋の縁を写したものである。















 そしてこの写真は上掲写真で小鍋右端の小高い岩部から、小鍋の底を写したものである。










 そしてこの写真は上掲写真と同じ撮影場所から。三俣山の 『北峰』 を写したものである。

 『北峰』 には大鍋と小鍋の間の尾根にあたる、写真の岩部分を通って登れるようである。

 写真では小さくて判別し難いが、この時も5人位の登山者が 『北峰』 に向かって登っていた。

 私達はまだ 『北峰』 に登った事が無いので、オバさんが一緒であれば挑戦したのだが、

 今はオバさんが 『本峰』 で私が戻って来るのを待っている事が分かっているので、

 残念ながら今回は断念した。


 尚、この付近で撮影している方と話してみると、

 その方はここ数週間は1週間に2度程この場所に通っているとの事で、

 その方の話によると、『今はピークを少し過ぎたかも知れません?』 との事だった。








 『本峰』 へ登り返す時は、下りて来たのとは反対側の尾根を登る事にした。


 こちらは大鍋に下って来た傾斜に比べると、かなり緩やかな尾根道だった。












 そしてこちらの尾根道の左側の眼下には、写真のように 『坊がつる』 が見えていた。


 尚、後方の山は 『大船山』 である。








 それからこの写真は 『本峰』 近くまで登り返した所から写した 『大鍋小鍋』 の写真である。

 『小鍋』 から 『本峰』 まで登り返すのに、約30分を要した。 『本峰』 に戻ると、オバさんが私を待っていた。

 二人が離ればなれになってからわずか1時間15分程だったが、その間オバさんは余程寂しかったのか?、

 目に一杯涙を浮かべながら近寄って来て、私をグッと抱き寄せたのである。

 そしてジェンキンスさんが北朝鮮から日本に来た時、タラップ下で待っていた曽我ひとみさんが

 ジェンキンスさんをグッ!と引き寄せて熱烈なキスをした様に、オバさんも私に同じ事をしたのだった。

 この時は残念ながらテレビカメラは来ていなかったが、登山者が大勢見ていた。(真っ赤なウソ!・・・爆)



 その後はオバさんと一緒に 『本峰』 から 『南峰』 に向かって歩きながら話を聞くと、

 大鍋小鍋の風景写真を携帯で撮っていたら、何時の間にか私の姿が見えなくなっていたとの事であった。

 それでコンパクト双眼鏡で私を捜していたら、大鍋の底で私を発見し、

 その後はずっと私の行動を双眼鏡で見ていた!との事だった。

 私はまさかオバさんが私の行動を双眼鏡で監視していたとは露知らず、

 あとからあの時は途中で若い女性の手を握ったりしなくて良かったナ〜!と思った。(危なかった〜、ホッ!・・・爆)

 写真は 『南峰=1743m』 の山頂だが、『本峰』 から15分程で着いた。




 私達はこの山頂の少し下で風の当たらない場所を探し、そこに傘シートを敷き、

 写真のような 『坊がつる』 や 『大船山の紅葉景色』 等を見ながら休憩する事にした。

 お湯を沸かしてインスタント味噌汁を作り、景色を見ながら、おにぎりとお萩を食べた。

 その後はコーヒーを飲んだりしながら40分程ゆっくりと休憩した。ところで私達は下山するルートも決めていなかった。

 それでオバさんとサミット会議を開き、まだ時刻も早いし(この時は11時25分)、時間的にも余裕が有ると云う事で、

 この際にまだ歩いた事の無い、『南峰』 から 『坊がつる』 に下りるルートを歩く事に決定した。









 それで 『坊がつる』 への下り口を探し始めると、道標等は見掛けなかったが、

 写真のように小さな木の枝に黄色や赤色のビニールテープが巻いてある小径が見付かった。








私達は早速その小径を歩き始めたが、その小径は1本道で、途中の所々にはテープが巻いてあったので迷う事は無かった。

しかし、その登山道は下写真のように潅木の枝や草に覆われている所が多く、また急坂部分が多かった。

途中には岩ばかりの急坂が何ヶ所かあったが、粘土質の黒土部分が多かった。

どうやら今日か昨日に、この道を歩いた人がいるらしく、その粘土質の急坂部分では真新しい滑った跡を何ヶ所も見掛けた。



そんな所では私達も滑らないように慎重に下りていたのだが、二人とも2〜3度ずつ滑ってしまった。

アッ!と思った時には既に滑っていて、背中から仰向けになって倒れたが、背中にザックを背負っているのでそれがクッションになり、身体に衝撃が来る事は無かった。

しかし、ザックの後部とズボンのお尻部分に少し泥が着いた。

そのようにお互いが滑った時は一応相手に、『大丈夫?』 と聞きながらも、お互いに滑った相手の事を笑っていた。



 そのように何度も滑ってコケながら下りていたが、私は大船林道が近付くにつれて

 『坊がつる』 のどの場所に出るのだろうか?と思っていた。

 そうすると大船林道に出た場所は、写真のような案内板の真ん前だった。

 この場所に出るまで、遂に一人の登山者とも出会う事はなかった。

 どうやら、この登山道は利用者が極端に少ないようである。

 又、この山行紀の最初の方で紹介した 『登山道概略図』 には、この登山道の所要時間は40分とあるが、

 私達はその登山道を下りに利用し、それも全く休憩していないにも関わらず、65分も掛かっていた。




 この写真は上掲の案内板の前から、今下りて来た三俣山の 『南峰』 を写したものである。


 ここの入り口にも道標等は無く、良く注意して見ると、大船林道の土手の上に小さなケルンが2つあった。


 その土手をよじ登ると、土手の上の草原に小さな踏み付け道があり、その所々にも小さなケルンがある。


 その踏み付け道を辿って行くと 『南峰』 への登山道に入れる。


 私達は写真を写した場所から、何処を下りて来たのだろう?と思って山の斜面を見ていたが、

 道が細く又、樹木の下を通っているようで、その登山道らしき道筋を見付ける事は出来なかった。





 私達は 『南峰』 から下りる時に全く休憩しなかったので、上掲案内板の直ぐ横にある、

 テーブル付きのベンチに腰掛けて休憩する事にした。

 そこでお湯を沸かしてコーヒーを飲みながら饅頭を食べたりして30分ほど休憩した。


 この写真はそのベンチから坊がつるキャンプ場方面を写したもので、後方の山は 『大船山』 である。

 この景色を見ていると、キャンプ場の直ぐ後ろに紅葉の綺麗な所が見えていたので、

 時間的にも余裕が有ったし、私達はキャンプ場まで散策してくる事にした。



以下の写真はキャンプ場に近付きながら、順次撮影した写真である。

キャンプ場には今日は2張りのテントがあった。 そしてキャンプ場広場のあちこちには10人位の登山者が休んでいた。

そこで写真撮影をしていると、登山者が次々に大船山から下りて来ていたので、その中のお一人に 『大船山の紅葉はどんな様子でしたか?』 と尋ねてみた。

そうすると、『綺麗な所もありましたが、全体的にピークは少し過ぎた感じでした!』 との返事が返って来た。

今年の 『三俣山』 と 『大船山』 は、もう紅葉のピークは過ぎたのかも知れない?




『坊がつるキャンプ場』 をゆっくり散策していたが、時計を見ると13時50分になっていたので、帰路につく事にした。


 『坊がつる』 から 『長者原』 へのメイン登山道を歩くのは私達は久し振りだった。

 調べてみると、7年前に子供がまだ小学生の時に子供の級友を連れて 『坊がつる』 でキャンプした時以来だった。

 『雨ケ池』 から 『長者原』 までは3年前(2004年)に 『三俣山』 に登った帰路にオバさんと二人で歩いていた。

 しかしその翌年(2005年)の台風で土石流が発生し、この登山道は凄く荒れたと聞いていたが歩いた事はなかった。

 この写真がその時に土石流が流れた跡で、この土石流跡はその後もかなりの長い区間に渡って続いていた。

 それからこの付近まで下りる迄に、大きなザックを担いで登ってくる4組(6人位)の登山者と擦れ違った。

 恐らく彼らは今晩は 『坊がつる』 にテントを張るのだろう。






 長者原の平地まで下りてからは、写真のような 『タデ原』 の中の木道上を歩いた。


 しかし、今の季節は写真のようなススキばかりで、花は何も目に付かなかった。












 木道の途中で今日登った 『三俣山』 の方向を振り返ると、山頂部には写真のように雲が掛かって良く見えなかった。


 尚、左の方に見える山は 『指山』 である。








それから今回の山行で、見掛けた花は少なかった。

下の花は登山道の至る所で見掛けた 『リンドウ』 である。 この花は本当に色んな所で沢山見掛けた。





 この写真の、左の花は所々で見掛けた 『アキノキリンソウ』 で、

 右の花はここ(長者原)だけで見掛けた 『サイヨウシャジン』 である。


 『サイヨウシャジン』 は写真のように1輪の花しか付いていなかった。













 この花も1ヶ所だけで見掛けたのだが、何を勘違いしたのか?、狂い咲きしていた 『ミヤマキリシマ』 である。













 長者原の駐車場に着いたら、ちょうど目の前を写真のような観光馬車が通った。


 湯布院温泉では観光人力車を見掛けた事があるが、この長者原にこのような観光馬車がある事は知らなかった。









今日の山歩きをまとめると、

        長者原駐車場(6:40)〜1時間30分〜すがもり小屋(8:10/8:25)〜20分〜三俣山西峰(8:45)〜25分〜三俣山四峰(9:10)

                       〜10分〜三俣山本峰(9:20)〜30分〜大鍋(9:50)〜10分〜小鍋(10:00)〜30分〜三俣山本峰(10:30)

                       〜20分〜三俣山南峰(10:50/11:25)〜1時間5分〜大船林道ベンチ(12:30/13:00)

                       〜坊がつる散策(13:00〜13:50)〜1時間50分〜長者原駐車場(15:40) で、

        歩行時間の合計は7時間40分、休憩時間が1時間20分、総所要時間は9時間ちょうどで、万歩計は30454だった。



2年前の夏に、私は熱中症で体調を崩した経験があったので、今夏の猛暑は山歩きを控えていた。

それなのに私は8月下旬に腰痛になり、治療等の為に今度は山歩きに行けなくなった。

それで暫らくの間は大人しく静養していたが、最近は痛みも殆んど感じないようになったので、私は徐々に山歩きを再開し始めた。

この頃はザックの重量を出来るだけ軽くして歩くように心掛けているが、それでも今回はかなりの歩行時間と、自分でもビックリ!するような歩数だった。

これだけの山歩きをしても、今回は腰痛も疲れも全く感じなかった。

それで私の体調は殆んど以前の状態に戻ったのではないか?と、私は少し自信を取り戻したところである。

そのような事で、今回の山行は私に取って大変意義深いものであった。



中高年の山好きの皆さん、気力の方はお互いにまだまだ若いと思いますが、体力の方は確実に低下しています。

中高年の山好きの皆様方も、どうぞお身体をご自愛下さい。

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