2006年1月3日 晴れ 寒中風 今年最初の山歩きは地元の山である、耳納連山を縦走する事にした。 しかしほんの1週間程前まで、私は耳納連山を縦走する事等、考えた事も無かった。 と、言うのも耳納連山の尾根には自動車道(耳納スカイライン)が通っているからである。 耳納連山の中には山名が付いている山が10座以上 (支尾根も含む) ある。 私はその中の代表的な山には其々何度も登った事があり、又そこから隣の山ぐらいまでは縦走する事もある。 しかし、隣の山に縦走する時でもスカイラインを通らなくてはならず、自然が一杯 (花鳥風月、山菜、果実、木の実等が有る) で 風情のある山道が好きな私は、無粋なスカイラインを歩いて耳納連山を縦走する気持ち等、まったく持った事が無かった。 それにスカイラインやそれから分岐する沢山の林道に毎年季節毎に車で行き、山菜や木の実採り等をする私はスカイラインを歩き通す等思いもしなかった。 明治時代に夏目漱石が高良山から発心山まで縦走した事 (詳細は本HPの 『お国自慢』 を参考にして下さい) は知っていたが、 当時は当然の事ながらスカイラインは無かったので、山道歩きばかりで大変気持ちが良かっだろうな〜!と言う位にしか、思った事は無かった。 それが1週間程前から急に耳納連山を縦走する気持ちになった。 その理由は私達が先月末(12月23日)に吹雪の発心山に登った翌日に、 或る長崎の女性3人が耳納連山を縦走した事を偶然ネットで知った事に始まる。 その積雪下の耳納連山縦走レポを拝見して、私は強い衝撃を受けた。 積雪の中を地元の人では無い方達が、それも女性だけで縦走した事は私にとっては大変な刺激だった。 それで私は早速、耳納連山の資料を集めて計画を練り始めた。 耳納連山は西の方が低く、東の方に徐々に高くなっている。 西の方の高良山(312m)が1番低く、鷹取山(802m)が耳納連山の最高峰に当る。 尚、高良山への正面登山口は平地から少し登った所にある。 地図で見ると高良山〜鷹取山間が大体18km位?有る様で、今回は縦走路の近くにある山にもついでに登り、交通機関の利用は最小限に抑え、 全行程を通して出来るだけ自力歩行を目指す事にした。 全行程の歩走距離は約25kmで、標高差が約800m、所要時間が11時間位と予想した。 高良山は自宅からも見えており、車で行くと途中数ヶ所の信号で赤信号に引っ掛からなければ、高良山の正面登山口までは5分位で着ける距離にある。 高良山の正面登山口を明るくなる7時半頃に出発する予定だったので、まだ薄暗い内に自宅を出発した。 この写真は高良大社・下の鳥居であるが、ここを通る時は少し明るくなっていた。 尚、山の上方に明かりが点いている所が、高良大社のある場所である。 正面登山口に着くと既に10台位の車が駐車していた。 高良山は毎日登っている人やジョギングやウォーキングや犬の散歩をする人達等が大勢いる。 また直ぐ近くにある 『南筑高校』 や 『久留米大学』 運動部員達の絶好のトレーニング場となっているので、 何時行っても人が多い。 身支度を済ませ正面登山口の鳥居を出発したのは予定通り、7時半だった。 正面登山道は写真の様な石段で、周りは大きな樹木が多くて薄暗く、まだ街灯が点いていた。 下りて来る人達が結構多く、その方達と新年の挨拶を交わしながら登って行った。 後ろからはお揃いのジャージー姿の運動部員達が次々に駆け足で私達を追い越して行った。 登り始めて15分位経ち、もう少しで高良大社に着くと言う所で私は急に車のスモールランプの事が気になった。 自宅を出る時はまだ薄暗かったので、スモールランプを点けたが、正面登山口に駐車した時にそれを消したか?記憶に無い。 それで、その不安をこれから先も引きずって山歩きしても楽しくないし、また帰り着いた時にバッテリーが上がっていたら、その時はかなり面倒な事になる。 そこで私はザックをオバさんに預け、車を確認してくる事にした。 登山口まで駆け足で5分位?で下りたがスモールランプは消していた。 ホッ!としてまた駆け足で元の場所に引き返した時には、かなり汗を掻き既に少し疲れていた。 しかし、不安を引きずって歩くよりはマシだ!と思っていた。 下の写真は国の天然記念物に指定されている 『モウソウキンメイチク=孟宗金明竹』 の竹林である。 金網で囲ってあり中には入れない様にしてある。 国の天然記念物に指定されている竹林は全国でも 『高良山』 と 宮崎県北川町の 『祝子川=ほうりがわ』 の2ヶ所だけらしい。
正面登山口を出発して約40分で、写真の様な高良大社の駐車場に着いた。 既に20〜30台の車が駐車していた。 今回の耳納連山縦走では近くにある山もついでに登りながら縦走しようと計画していたので、 まず 『吉見嶽=よしみだけ』 に登って来る事にした。 私は今回の資料を集めるまで、この山の存在すら知らなかった。 これが 『吉見嶽』 への案内標識だが、この標識は上の駐車場写真で茶店 (2階建ての家) の直ぐ横にある。 『吉見嶽』 へは茶店横の石段をグングン下って行き、最後に少し登った所にあった。 時間にして10分弱で着いた。 山頂部からは久留米IC付近等の景色が見えた。 山頂部では少し景色を眺め、記念写真を撮ったら直ぐ出発した。
10分程で上掲の案内標識に戻ると、その正面が写真の様な高良大社への正面階段である。 この写真は上の階段を登り切った所で写したものだが、真正面に高良大社の本殿がある。 私達もここでお賽銭を上げ、『無病息災』、『家内安全』、『交通安全』、『安全登山』・・・等、今年はお賽銭に 見合った慎ましいお願い事をしてみた。(神様、出来れば金の斧の様に・・・よろしくお願いします!) 尚、高良大社の説明は本HPの 『お国自慢』 を参考にされて下さい。 本殿の斜め前に展望所があるが、この写真はそこから写した久留米市の中心部と筑後川等の景色である。 本殿前広場の右端の方に高良大社・奥の院に行く小さな登り口 (標識等は無い) があるので 私達は奥の院経由で 『高良山=こうらさん』 に登る事にした。 奥の院に行く道は写真の様に良く整備されていて、途中で中年の女性1人を追い越した。 この写真が奥の院だが、高良大社の本殿から15分程で着いた。 奥の院の直ぐ前に小さな水場がある。 ここから 『高良山』 へは奥の院の右側に案内標識がある。 奥の院から 『高良山』 へは写真の様な階段が続いている。 登山道の周辺では椎の樹を多く見掛けた。 奥の院からは10分程で下写真の様な 『高良山』 の山頂に着いた。 私は5年ぶり位に?来た様な気がする。 以前の山頂は樹木が生い茂り気持ち悪い位に薄暗らかったが、久し振りに訪れたら綺麗に整備され、下写真の様に立派な山頂標識が設置されていた。 尚、この山頂にも私の知人であるW氏の立てた山頂標識があった。
高良山の山頂は 『つつじ公園』 の上部にあるが、その 『つつじ公園』 の西端に飛雲台と呼ばれる小高い丘がある。 そこには写真の様な夏目漱石の最初の句碑がある。 この写真が 『つつじ公園』 の駐車場前にある売店とトイレである。 トイレはこの 『つつじ公園』 と200〜300m先で道路から少し入り込んだ所にあるが、 それ以降には無いので特に女性の方はそのどちらかで用を済ませて於いた方が良いのでは?と思う。 『つつじ公園』 の中を抜けると、写真の様な自然歩道の入り口標識がある。 自然歩道を歩く期間は大変短く、スカイラインと平行した自然歩道を大概5〜10分位歩くと、またスカイラインに出る。 上の自然歩道入り口から10分弱歩くと、写真の様な夏目漱石の2番目の句碑の場所に出た。 上の句碑の横からまた自然歩道を5分弱歩くと、写真の様な3番目の夏目漱石の句碑の所に出た。 この句碑の設置当時は丸い穴から後方の筑後平野や筑後川が見渡せたが、 今は写真の様に後ろの樹木が生長してその眺望が無くなっている。 現在の句碑の環境は製作者の意図に沿っていないと思うので、関係者には一考を促したい。 上の句碑から自然歩道やスカイラインを15分ほど歩くと、写真の様な 『兜山キャンプ場』 の立て看板に着く。 その立て看板から左折する道を100m位歩くと、写真の様なキャンプ場の入り口に着く。 キャンプ場開放期間や特別日を除いて門扉には施錠してあるが、左側に人が通れる小さな扉があり、 その扉は手動で開ける様になっている。 そこから中に入れるが、出る時等は必ず閉める事を忘れない様に! (勝手に入って良いのか知らない!) 中には炊事場等もあるが、普段は水は出ない! (念の為!) この兜山(別名けしけし山)には久留米出身の洋画家・青木繁の歌碑があり、毎年3月下旬に青木繁を偲んで碑前祭(けしけし祭り)が行われている。 尚、『兜山=かぶとやま=316m』 の山頂は青木繁の歌碑から反対側に200m位?歩いた所にある。
耳納山=368m の山頂 兜山の山頂から20分弱歩くと 『耳納山=みのうさん=368m』 に着いた。 この山頂に登る時は少し急坂があった。 私達はこの山は2度目だが、耳納連山と同じ山名なのでもう少し整備をしても良いのでは?と思う位、質素な山頂だった。 この写真はその付近の自然歩道の様子だが、写真の様な雑木林の中を通る。 この季節は花を見掛ける事は殆んど無く、全行程を通して花はサザンカを数ヶ所で見掛けただけだった。 実も下写真の様な実を2〜3ヶ所で見掛けただけである。 この時期は花等は少ないが、その代わり蛇や虫がいないのは嬉しい事である。
その後も何回もスカイラインと交差しながら、途中で大変見晴らしの良い所等を通り、 花の季節になれば色々な花が咲く場所 (誰かが手入れしている様な?) を歩いて行く。 先程の 『耳納山』 からそんな自然歩道を1時間10分ほど歩くと、『耳納平=みのうだいら』 と呼ばれ、 駐車場のあるビューポイントに着いた。 写真の右側が駐車場だが、そこには1台の車も無かった。 ここでは出発して既に4時間近くが経っていたが、ここで初めて少し休憩し、景色を見ながらテルモスに入れてきた 暖かいココアと行動食を少し食べた。 写真の様にここで道は3つに分岐しているが、鷹取山への縦走路は 真ん中の道を進んで写真から少し先で自然歩道に入り、先の方に見えるアンテナの直ぐ後ろを通る。 これは 『耳納平』 から20分ほど歩いた所にある 『桝形山=ますかたやま=607m』 である。 山頂には三角点と、小さな登山記念板が樹の枝に結び付けてあった。 耳納連山の山開きは主な山頂で其々行われているが、左写真はその中の一つの会場で毎年4月の第2日曜日に この場所で行われている。 この会場ではライブ演奏と豚汁やカッポ酒の無料サービス等が行われるので その日に都合が付く方はご来場頂ければ、主催者側も喜ぶのでは?・・・と思います (御祝儀を少し!) 自然歩道は上写真の石碑の後ろを通ってグライダー山に登るが、これがかなりの急坂で大変疲れた。 しかし山頂部からの景色は大変良い。 山頂ではかなり風が強くて寒かった。 この山頂で空を見上げると、下写真の様に1機のハンググライダーがジェット旅客機とニアミスを起こしていた。(笑) そして山頂部には以前にこの場所でグライダーによる日本新記録が樹立された事を記念する石碑が立っていた。 この山頂まで 『桝形山』 から約40分掛かっていた。
グライダー山を通り過ぎて10分位で下写真の様な 『白山=しろやま=677m』 に着いた。 この山頂部には近くの枝に下の様な記念板があった。 その中の1つは 『福岡県無名山301山』 の本を書いたグループの方達だった。 『白山』 を通り過ぎ、10分位で下写真の様な4番目の夏目漱石の句碑前に出た。 その句碑の前には数日前に作ったと思われる雪ダルマが溶けて、映画のETの様に見えて可笑しかったので写真に撮った。
自然歩道は上写真の句碑の横に続いているが、そこは日陰部分で写真の様にまだ雪がかなり残っており、急坂のそこを登るのは大変辛かった。 『発心山=ほっしんざん=698m』 の山頂部からは北面の展望が良く、眼下には筑後平野や筑後川、久留米市東部の田園風景が広がっている。
私達はこの 『発心山』 には昨年末 (12月23日 )に発心公園から登っている。 その時は雪が凄く、下写真の様に膝までの積雪だった。 尚、5番目の夏目漱石の句碑は、この山頂から下りた所にある発心公園内に設置されている。
この 『発心山』 の山頂にはちょうど1時に着いた。 ここが今日の行程の半分位で、想定範囲の下限だった。 私達はこの山頂の日なた部分に傘シートを敷き、お湯を沸かしてインスタント味噌汁をすすりながら弁当を食べた。 食事中に私達の上空に下写真の様なハンググライダーが飛んで来て、しばらくの間私達の上空を旋回していた。 その中でも赤色のハンググライダーは私達の目の前で急旋回のパフォーマンスを何回もサービスしてくれた。 いつもはこの付近ではパラグライダーが飛んでいるのだが、不思議な事に今日は1機も見えなかった。 今日の縦走計画では暗くなる前に鷹取山の麓に下りる予定である。 現在の時刻はその想定時間内ギリギリだったのでテルモスに熱いココアを満タンにして、早速出発する事にした。 時刻は1時半だった。 事前に調べた限りでは発心山を過ぎると、そこから先には自然歩道は無く、発心山から鷹取山まではずっと耳納スカイラインの舗道歩きになる様である。 ウンザリするが計画を遂行する為には仕方が無い。 尚、これまでの登山道 (高良山正面登山口から発心山まで) の、90%以上?は自然歩道歩きだったと思う。 それから自然歩道からスカイラインに出る度に、その回数をオバさんと数えていたが発心山まで合計23回だった (数回の数え間違いがあるかも知れない?) 発心山を過ぎると自然歩道の標識はまったく見掛けない様になり、写真の様な舗道歩きばかりになる。 他の季節で天気の良い日はこのスカイラインはドライブ等でかなりの交通量があるが、 今日は正月で雪が残っている為か、ほとんど車が通らない事がせめても救いだった。 スカイラインの道路脇には写真の様に洗濯機やマットレス等が捨ててあった。 この様な物品の放置は、これまでにも道路から谷に投げ捨ててあるのを数ヶ所で見掛けていた。 何処の山でも良く見掛ける光景だが、山好き人間としては大変残念に思っている。 上掲の様な舗道をしばらく歩いていると、下写真の様に白いテープが枝にぶら下がっていて、そこから登る階段が作ってあった。 それでこんな所に新しく自然歩道を作ったのかな〜?と思い、その道に入ったら下写真の様に竹を短く切ったばかりの尾根道で、もの凄く歩き難かった。 どうやら測量をする為に最近切り開いた様だった。 しばらくの間は大変苦労してそこを歩き、やっとの事で舗道に出た。
スカイラインの横には何のアンテナか知らないが、写真の様に大きなアンテナがあった。 ここまで発心山を出発してから50分程が経っていた。 上のアンテナから更に30分程スカイラインを歩くと、写真の様なハンググライダー発進基地に出た。 駐車場には車が10台以上停まっていて、山頂部には沢山の人達が見えていた。 私は少し見学して来ようと思いオバさんに相談したら、『時間が無いからダメ!』 と叱られた。 しかし、『ちょっと見たら直ぐ下りるから・・・少しだけ・・・』 と言って、私はその山頂に登り始めた。 山頂に登る途中では写真の様に10機近くのハンググライダーが並べてあった。 そのハンググライダーの横にいる人の中で、私と同年代位の方を見掛けたので話し掛けてみた。 今日は風が強くて飛ぶのが大変難しいらしく、順番待ちとの事だった (後方の吹流しが真横である) その方はハンググライダー歴20数年の大ベテランでこの付近では草分け的な方らしかった。 北九州地区のハンググライダー基地としてはこの山は絶好との事で、福岡県では米の山、皿倉山、 佐賀県では鏡山、大分県では伐株山やくじゅう、熊本県では阿蘇近くの俵山にハンググライダーの基地があるらしく その日の風向きによって飛びに行く場所が違うとの事だった。 上空を見ると様々な色彩のハンググライダーが5機飛んでいた。 今日は風が強くて飛ぶのが大変難しく、現在飛んでいる人達は皆ベテランとの事だった。 又、現在はパラグライダーの人達とは基地が分かれて、パラグライダーの人達は先程私達が通って来たグライダー山から飛ぶとの事だった。 しかし、今日の様に風の強い日はパラグライダーで飛ぶのは大変危険らしい。 それからハンググライダー1機の値段は100万円前後で、パラグライダーの方は60〜70万円位との事だった。 京都ナンバーの車が山頂近くまで登っていて、若い男女が4〜5人いたので話してみると、彼らは京都の学生で正月に故郷に帰って来ていて、ここで飛行を楽しむとの 事であり、大変羨ましく思った。 しかし今日は風が強いので自分達の技術では危険と判断して飛ばずに帰る!との事で、車の上に機材を積んでいた。 そんな事を話している内に1機のハンググライダーが飛ぶ準備に掛かったので、私達も山頂に登ってみた。 私はこの山頂には今まで登った事が無かった。 山頂に登り、そこから見える景色に驚いた。 眼下には今まで耳納連山のどの山頂からも見た事の無い様な、雄大な景色の広がりがあった。 見える範囲は180度位だがその景色は本当に見事なので、スカイラインを通られる時は1度その山頂に登られる事をお薦めします。 そのハンググライダーは下写真の様に飛び出す体勢に入り、風の状態をうかがっていた。 私は飛ぶ瞬間を写真に収めようと下の方で10分ほど待機していたが、 飛び出すに適した風に成らないらしく諦めて下がってしまった。 残念!だった (しかし、本人の方が私より何倍も・・・) 各ハンググライダーの横で飛行服姿で待機している人達の中には若い人達が結構多く、又その中には若い女性も何人か見掛けた。 それから飛行中はぶら下がった袋の中に入るので、両手は自由に使えるらしく、仲間と無線で会話したり双眼鏡で下を見ているらしい。 そう言う事ですので、登山者の皆さんは注意して下さいね〜! (悪い事をしてると、上から覗かれたり証拠写真を撮られているかも知れませんよ〜・・・笑) 時間に余裕は無いし、オバさんから叱られるのは恐い! ので(強いからね〜・・・笑) 、先に進む事にした。 ここで20分位時間をロスしたかも知れない。 ハンググライダー山 (私が勝手に命名) から下りて、早足で10分ほど進むと左写真の様に アイスバーンで身動きのとれない車に遭遇した。 左のタイヤはあと2〜3cmで側溝に落ちそうである。 若いお母さんが運転手で、後ろの座席には2歳位の男児がチャイルドシートに乗っていた。 写真の様に若いお母さんの両親?が、タイヤが側溝に落ちないよう車を押したりタイヤを止めたりしている所だった。 私達は先を急いでいたが、黙ってこの横を通り過ごすような、そんな薄情な事は出来ない。 それに私達が困っている時に何度も人に助けて貰っているので、早速私達も手伝う事にした。 しかし道路はツルツルに凍っていて、後ろから押そうとしても足が滑って力が入らない。 それでまず足場を作ろうと、氷を削り取る事から始めた。 しかしタイヤがスリップして全く動かない。 今度はスリップするタイヤの前後の氷も削り取って押してみたが動かない。 そんな事をしている内に上の方から車がやって来て停まり、運転手の男性が手伝いに来てくれた。 その方も協力して押すが、煙が上がりゴムが焼ける臭いがする程タイヤが空回りしてまったく動かない。 運転席の若いお母さんは、かなり動揺してある様だった。 その内に2台の車が上と下からやって来た。 その内の1台がタイヤチェーンを持って来てくれたが、タイヤサイズが合わない。 それでそのチェーンをスリップするタイヤの前に敷き、皆で後ろや横から何度か押したらやっと少しずつ動き始めた。 そんな事をして車の周りを動き回ると皆、氷に足を滑らせて何度も転んでいた。 私も10回近く転んだり尻餅を着いたりした。 5〜6歳位の男児がもう1人、車外に出ていたが、その男児は事情が良く理解出来て無い様で、私達が転ぶ度にキャッ!キャッ!言って喜んでいた。 そんな事を何度も何度も繰り返してやっと車を20m位押上げ、やっと凍結していない場所まで移動させた。 私は満身の力を入れて押していたので、最後の方は足がガク!ガク!になった。 救出途中で女性2人が先程のハンググライダー山に応援を求めに走って行ったが、押し上げるまでにはその応援部隊は間に合わなかった。 その車の救出に30分位?掛かり、その時点では既に予定より1時間近く遅れ、もう絶対に明るい内には下山出来ない事がハッキリしたので、私達は覚悟を決めた。 その後の道路も日陰部分は写真の様にアイスバーン状態で、道路の端っこの方を滑らない様に 注意しながらゆっくり歩いた。 道路の雪は先に進む程 (標高が高くなる程)、写真の様に深くなって来た。 そんな所では側溝部分に雪が無いので、側溝部分に下りてその中を歩いた。 その付近から私は足が少し痛くなって来ていた。 私は足が痛くなる時、普通はふくらはぎ部が痛くなるのだが、 今回はそれ以外にも太ももや付け根辺りも痛くなり始めていた。 久し振りの感覚だった。 この辺で私は相当疲れていたのだろう? スリップする車を押し上げてから1時間10分程歩いた所で 『鷹取山=たかとりやま=802m』 の山頂に着いた。 時刻は4時半を少し過ぎていた。 思ったより早く着いたので嬉しかった。 この山頂には何度も来ているので景色等は見ずに写真を数枚撮ったら、ベンチに腰掛けて足を揉みながら暖かいココアと行動食を食べた。
足が痛かったので山頂でもっと休憩したかったのだが、少し薄暗くなって来たので10分程休憩して下りる事にした。 下り始めると山頂付近にはまだ積雪があり滑りそうで歩行速度が上がらない。 下山道は植林の中で、また山影に当る事から下り始めて30分位すると周りは暗くなった。 そんな所に掲示板がり、そこには写真の様に地元の 『田主丸山の会』 が立てた新年の挨拶を書いた板があった。 高良山正面登山口から鷹取山までは多少のアップダウンはあるが、基本的に登りである。 しかし、鷹取山からは下りばかりである。 下り始めると足は益々痛くなって来た。 我慢出来ない程では無いが両足とも付け根まで全体的に痛く、足を持ち上げるのが辛い。 倒木があるとそれを跨ぐのに足が良く上がらない。 ふくらはぎや太ももはパン!パン!で、両膝はガク!ガク!の状態だった。 特に急坂では足の踏ん張りがきかず、ストックを持っているので倒れまではしないが自分の思った様に自分の身体がコントロールできない。 登山の事故や怪我で、それが下山中に多い訳が少し分かった様な気がした。 下山時にはそれまでの疲労が蓄積している。 今回の下山中にも本当に足が上がらずに、何かに良くつまずいた。 そして何かにつまずくと足がもつれた様になり、倒れてはいけないと身体が反射的に反応するのか?、少し駆けた様に何度もなった。 駆けた様になった時に前方に崖が無かったから良かったが、崖があったら転落していただろう。 周りは暗かったが何故か山道は白い砂の様な感じで肉眼でも分かりヘッドランプを点けるまでには至らなかった (取り出すのが面倒だった勢もあるけどネ!) 舗装林道を歩き始め、キャンプ場のある 『ふれあいの家』 に着いたのは6時ちょうどだった。 今までこの鷹取山からの下山では、早い時にはそこまで40分で下りるコースを80分も掛かっていた。 『高良山 正面登山口』 を上り始めて 『ふれあいの家』 に下山するまで、ついに1人の登山者にも出会う事は無かった。 今回の耳納連山縦走計画では出来るだけ交通機関を使わずに、可能な限り自力で歩く事にしていた。 交通機関を利用するのはJR久大線の 『田主丸駅〜久留米大学前駅』 間のみと決めていた。 それで 『ふれあいの家』 からも 『田主丸駅』 まで歩き始めた。 しかし、私はこの道は車でも通った事は無かった。 その道は暗くて民家も少ない。 道路から少し入り込んだ所に民家が数件あったが、そんな家では私達の足音に反応し、連鎖して犬が次々に吠える。 そんな暗い道を沢山の犬達に吠えられながら歩いていたが、行けども行けども駅らしい建物は見えない。 そんな風にして暗い夜道を痛い足を引きずりながらストックに寄り掛かる様にしてトボトボと歩いていたが、 その様子は他の人が見たら戦国時代の傷付いた落ち武者の様であったろうと思う (涙!) 時々、後ろから車が来るので 『田主丸駅』 に行くのはこの道で良いのか尋ねようと思って何度か手を上げたが皆、私達をヒッチハイクと勘違いしている様で 誰も停まってくれなかった。 最近は物騒な事件も多いし、正月早々から変な奴に関わりたくない!と思っているのだろう (また涙!) それに片手にはストックを持っているので危険と思ったのだろうか? 車の中には対向車線にまで大きくはみ出し、私達を避ける様にして通り過ぎる車もいた (そこまでして避けなくて良いと思うけどね〜・・・男心が傷付いた〜) もしかしたら暗いから私の顔が良く見えなかったのかも知れない (昼間で私の顔が良く見えたら、直ぐ停まってくれただろうけどね〜・・・笑) 1時間近く歩いた所でやっと人に出会い、この道で間違い無く、あと20分程で 『田主丸駅』 に着く事が分かった。 しかしそこから10分位歩いた所で1両だけのディーゼルカーが久留米方面に走って行くのが見えた。 久大線の時刻表は事前に調べておいたが、大体1時間に1本しか走っていない。 『田主丸駅』 に着いたのは7時10分で、『ふれあいの家』 から1時間10分掛かっていた。 『田主丸駅』 は写真の様に豆電球で飾り付けがされていた (手振れして見辛く、スミマセン!・・・切腹!) 駅の時刻表を見ると先程行ったのが7時1分のヤツで、次はなんと8時3分だった。 暖房も入っていない寒い駅で1時間近くも待つ訳にはいかない。 それでバス停に行き、時刻表を見たら少し待つとバスが来る事が分かり待つ事にした。 バスはほとんど定刻に来たが、誰も乗っていなかった。 バスの中ではずっと痛い足を揉み続けていた。 そして高良山に近い旗崎のバス停で降りた。 そこからは空タクシーも時々見掛けたので、乗ろうかと思ったがここまで来て計画通りに実行しないと、後日思い出した時に後味が悪いので歩く事にした。 最後の力を振り絞り、約30分掛けて駐車していた 『高良山正面登山口』 に着いたのは8時半を少し過ぎていた。 私の車だけが駐車していた。 駐車場前の鳥居には写真の様に灯りが点いていた。 今日の山歩きをまとめると、 高良山正面登山口〜45分〜吉見嶽登山口〜10分〜吉見嶽山頂〜10分〜吉見嶽登山口〜10分〜奥の院入り口〜15分〜奥の院〜10分〜高良山山頂〜 5分〜夏目漱石句碑(1番)〜15分〜夏目漱石句碑(2番)〜5分〜夏目漱石句碑(3番)〜25分〜兜山山頂〜20分〜耳納山山頂〜70分〜耳納平〜 20分〜桝形山山頂〜40分〜グライダー山山頂〜10分〜白山〜70分〜夏目漱石句碑(4番)〜10分〜発心山山頂(昼食休憩30分)〜60分〜 ハングライダー山山頂〜120分〜鷹取山山頂〜80分〜ふれあいの家〜70分〜田主丸駅〜バス利用〜旗崎バス停〜30分〜高良山正面登山口 で、歩行時間は約11時間 (休憩時間や登山以外の時間は含まず) になっており、万歩計は60296だった。 歩行距離は地図で測ると約25kmあった。 1日の歩行時間や距離、万歩計はいずれも今までの山歩きでは1番か2番だろう。 しかし今回の山歩きでは現在の自分の体力の限界を思い知らされた (気力は萎えていないのだが、足が付いて行かなかった) 言い訳を探せば、幾つかある。 1.前日まで風邪を引いていて、体調が完全に戻っていなかった。 2.動きの取れなくなった車を長い時間、全力で押して大変疲れた。 3.後半の登山道はアイスバーン状態で、滑って大変歩き難く足に変な力が入った。 等であるが、今回はそれらの勢にはせずに、これが現在の自分の体力だと素直に受け入れようと思う (100%では無いけどネ!) 自宅前で近所の奥さんと出会った。 新年の挨拶もそこそこに、どうしたの?と訊かれた。 理由を説明すると、お腹を曲げ下から私の顔を見ながら笑い転げてあった。 私は相当疲れた顔をして足を引きずって歩いていたのだろうと思う (反省!・・・何時もダンディな私のイメージが壊れたかも知れない!・・・ザンネ〜ン!・・・笑) |