発心山(698m)


2004年12月26日


自宅を出発できる時間が遅かったので、今日は急きょ地元の山 『発心山』 に登る事にした。

この山の登山口がある 『発心公園』 までは自宅から15〜20分位で行ける。

『発心公園』 はこの地方では桜の名所で知られ、また近くにはこの地の昔の豪族・草野氏ゆかりの資料を展示した 『草野歴史資料館』 がある。

登山口から少し進んだ所にある、下・左写真の様な水場で水を調達する。 登山道を少し進むと、下・右写真の様な 『一の滝』 を通る。

キャンプ場奥にある水場
一の滝

そこから少し進むと、下・左写真の様に新しく架けられたばかりの木橋があった。

そこから又少し歩くと、右写真の様な 『二の滝』 があった。 この滝の前には更衣小屋があるので、そこで白衣に着替えて滝に打たれるのだろう。

オバさんが私に 『一人で登ってくるから下りて来るまで、この滝に打たれながら色々反省してれば!』 とニクタラシイ事を言う。(二乗して返したい!)

架けられたばかりの木橋
二の滝

また少し歩くと、山茶花の花があった。 山茶花は普通、赤色と白色を多く見かけるが下・左写真の様に、一本の樹に白色と薄いピンクが混同していた。

その隣の樹には、右写真の様に紅白の山茶花もあった。

一本の木から白とピンクの花が咲く山茶花
紅白の山茶花

この山は今年2度目の登山で、前回時は 『発心公園』 が桜の花見客で大賑わいであった事を思い出す。

登山道はその時に比べ、全体的に明るくなった様な気がする。 多分、台風に因る倒木が多かった為に、日光が差し込んで明るく感じるのだろう?

途中で下・左写真の様な蔵跡や、右写真の様に有っても無くてもどっちでも良い様な、可愛いいハシゴの所を通る。

この辺りの杉は植林されたばかりの時から知っている。 この山には毎年数回登るが、その度にその生長には驚かされる。 今では私達の4〜5倍の高さがある。

登山道は途中で1〜2ヶ所、滑り易い岩肌部分があるが、全体的に良く整備されている。 また標識なども適所に有り、迷う様な所や危険な所は無い。

途中にある蔵跡
可愛いいハシゴ

山頂は天正時代(1573〜1592)当地の豪族・草野家清の山城跡で、今は広い草原になっている。

山頂からの展望は北側が良く、古処山、宝満山、九千部山などが見え、眼下には久留米市東部の田園風景や筑後川などが見える。

他の方向は植林で遮られ、少しだけ上陽町や星野村、黒木町の山並が見える程度である。

山頂部分には前記した山城の案内板や、下・左写真の様な耳納スカイラインと耳納連山の案内板がある。

山頂部分から5分ほど下りた所には右写真の様な夏目漱石の句碑が有るので、昼食を食べる前にその写真を撮りに行く。



ここまで読み、夏目漱石と耳納連山とどんな関係があるのだろう?と、不思議に思われる方がおられると思うので簡単に説明しておこう。

漱石は五校(現、熊本大学)の英語教授時代(明治29年4月〜明治33年6月)に耳納連山に登り(明治30年3月)、約14kmを縦走しているのである。

その時の縦走体験が後の 『草枕』 の情景となっており、『坊ちゃん』 ではこの地での体験の一部が引用されている。

漱石が縦走したその約14Kmを久留米市が 『漱石の道』 として整備し、その道沿いに句碑を設置したのである。

夏目漱石の句碑は耳納連山やその麓に、ここを含めて合計7ヶ所にある。

私は10年位前からそれらを写真に収めていたが、フイルムだったので近くデジカメで撮り直し、機会が有れば 『お国自慢』 で紹介しようと思っている。

耳納連山案内図
山頂の少し下にある夏目漱石の句碑

山頂に登り返したら、私と同年代の方が車で一人で来ておられた。

その方は自分もこの 『発心山』 に時々登るが、この山には山頂標識が無いので、自分で作って今取り付けたとの事である。

下・左写真の場所に一緒に行き、その方のデジカメで山頂標識と一緒に記念写真を写してあげた。

その方としばらく話をする。 その方も山好きで色々な山に登ってあり、お互いに山の情報を交換した。



私は山頂標識はどんなにして作ったか?を尋ねた。

そうすると、まずパソコンで文字を打ち出し、それを板に張り付け、上から彫刻刀で彫り、そこにペンキを流し込んだとの事だった。

初めて作った!との事だったが、感心する様な出来栄えだった。



その方と別れ、見晴らしの良い所にシートを広げ、昼食にする。 時々下の方からディーゼルカーがゆっくり走るのんびりした音が聞こえる。

眼下をJR久大線(久留米〜大分)が走っており、音を頼りに車両を捜すと1両だけのディーゼルカーが、黄色いマッチ箱が動く様にして走っていた。

下の方ばかり見ていたら、上の方から声が聞こえた様に思えたので上を見ると、上空をパラグライダーが飛んでいてお互いが大声で話していた。

この山の1つ向こうにグライダー山があり、天気の良い日はその付近を良く飛んでいる。 数えたら今日は5機飛んでいた。

『オーイ』 と声を掛けて手を振ったら、その内の1機が下・右写真の様に上空に飛んで来て手を振ってくれた。

今日設置されたばかりの山頂標識
上空に飛んで来てくれたパラグライダー

今日は風は無いが少し肌寒い。 それで食後のコーヒーを飲んだら帰る事にした。

下山時はいつもの様に下や周りを見渡しながらゆっくり歩いていると、暖冬のせいか下・左写真の花が咲いている所があった。

途中には右写真の様に大分前の風倒木から、何本もの新しい樹が生えていた。

スミレ
倒木更新

また少し歩くと下・左写真の様な、赤い実が蔓からぶら下がっているのが目に付いた。

ヤマボウシに良く似ているが大きすぎるし、形状も少し違う。 又、こんな時期におかしいなー?と思いつつ、写真に撮った。

そこから少し歩いた所で、その疑問は解決した。

右写真の様に、熟すると周りに付いている小さな粒(しょう果)が落ちてしまい、中の花托(かたく)だけが残っていたのだ。

名前はサネカズラ(別名・ビナンカズラ=美男葛)で、その実で造った果実酒は薬酒になるそうである。 私はまだ造った事が無いので、来年以降が楽しみである。

右の写真から周りの粒が落ちた物
サネカズラ(美男葛)

そんな所から少し下りるとキャンプ場に着いた。 最初に写真紹介した水場の横から百段?位の急登の石段が続いている。

まだ余力と時間が有ったので、その石段を登ってみる気になった。 そこを登っていると、ずっと以前に登った様な気がしていた。

その事をオバさんに言ったらこの石段は2度登った事が有り、1度は子供が小さい時に私がダッコして登ったそうで、もう1度は5〜6年前との事である。



その石段を登りながらオバさんが私に 『まだ思い出さないの? もうボケが始まってるんじゃないの!』 とニクタレ口をほざく。

私は 『自分には他に記憶して置かなければいけない重要な事が沢山有り、そんなクダラナイ事まで記憶するスペースは無いのだよ!

    いいなー そんなドーデモイイ事しか記憶しなくて良いお前は気楽でいいなー!』 と言い返してやった。

そうするとオバさんが 『そんな事を言ってると、本当にアルツハイマーになっても面倒は看てやら無いからねー!』 と又ほざく。

私はムッとした。 が、その辺りを突かれると、年を積み重ねてきた男は弱い。

今はまだジャブだけの応酬であるが、これ以上言い返すと話が他のあらぬ方面に飛び、口喧嘩から本格的な夫婦喧嘩にエスカレートする恐れがある。

それで他の事で少し弱みのある私は、グッと我慢した。

そうしなければ、早速今晩の酒の肴や食事のオカズにも影響が及ぶと思う。(寅さんではないが、男はつらいよ!、ネェ〜ご同輩)



急登の石段が終わったら、今度は山道が続く。 そこを少し進むと見覚えのある本殿に着いた。

その本殿の直ぐ後ろで、台風で壊れたのか?、下・左写真の様に新しいお堂を建て直していた。

林道がまだ上に続いているので、どこに続くのか少し歩いてみた。 しかし直ぐずっと下り始めたので引き返した。

そんな林道の途中に他の場所でも何度か見かけた事のある、下・右写真の様な花が一株だけ咲いているのが目に付いたので、写真に撮る。

建設中のお堂
ベニバナボロギク







 又その近くには倒木に左写真の様な綺麗なキノコがあった。











 下りは急階段ではなく、迂回する山道を下りた。


 そうすると、キャンプ場の炊事棟の前で若者達20人位(男女半々位)が、

 今時の音楽をガンガン鳴らしてバーベキューをしていた。






早速近づき 『楽しそうだねー』 と声を掛ける。

そうすると若者達が 『オジさん達は、夫婦で何処の山に登って来たの?』 と聞いてきた。

それで私が 『登って来た山は発心山だが、私達は夫婦では無いよ〜』 と言ってやる。

若者達はオバさんを見てから 『それなら、その人はダレ〜?』 と聞いてきた。

    私 ・・・ 『この人は近所の奥さんだよ』

  若者 ・・・ 『・・・・・???』

    私 ・・・ 『分からないの! まだ子供だね〜』

  若者 ・・・ 『・・・・・???』

    私 ・・・ 『フリンだよ フ・リ・ン』

  若者 ・・・ 『・・・・・???』

私は両手の人差し指と中指で 『2つのV字』 を作りながら
                      ニブイ
     『まだ分からんの! 君達は2Vネ〜 不倫だよ不倫! 私達は不倫の関係なのだよ!』 と言ってやる。

ここで若者達がドッと笑い、少し打ち解けた。

私が 『君達はここでバーベキューを良くやってるの?』 と聞く。

そうすると 『いや、今日が初めてです』 と言う。

そして私に 『オジさん、僕達はどんな風に見える?』 と聞いて来た。

それで私が 『そうだね〜 みんな頭が良さそうな顔をしているので、みんな東大生か京大生で、正月を故郷で迎えるために帰省して来てるのだろう!』 と、言ってやる。 ドッと受ける。

話を聞くと近くの中学校の同窓生で、社会人と学生が半々位との事だった。



そんな事を話していると、バーベキューを食べていけと言い始めた。

これまでの会話のやり取りは標準語に直して書いているが、実際の会話は筑後弁丸出しで話している。

この文を読んだ、他地方に住む方達に分かって頂けるかどうか、以下に少しだけ筑後弁でのやり取りを忠実に紹介してみよう。(分かるかな〜♪)

  若者 ・・・ 『おっちゃんな 面白かの〜 良かなら 肉ば食べていかんの〜 まだがばり 肉ん残っとっとた〜い』

    私 ・・・ 『おっちゃんな もう年やんけん 肉ぁーあんまり食べちゃいかんとばってんね〜 魚か刺身は無かとかい?』

  若者 ・・・ 『ごめ〜ん そげんかつぁ無かばい そりばってん そげんかこつぁ言わんで 肉でん良かやんの 肉ば食べていかんの〜 良かじゃんの!?』

    私 ・・・ 『あんたどんがバーベキューはしけとんの〜 そんかつも ちゃーんと用意しとかやこて〜 良かたい!そんならしょんなかけん 肉ば食べちゃろだい!』

  若者 ・・・ 『肉だけで すんまっせ〜ん!』

肉の焼ける途中で若者達がHな事も言ってきたが、私が切り返してやる。 またドッと受ける。 しかしその内容はここで紹介する事はできない。

   ナウいヘアスタイルの陽気な好青年


 グループの中に少し目立つヘアスタイルをした青年がいたので

 『オ〜!、カッコん好かナウい頭しとんの〜、アメリカのマイケルんごたるじゃんかい!?』 と、私が言うと喜んで

 『おっちゃん 写真に撮って良かばい!』 と言って私の前に来て、写真の様にポーズを取ってくれた。

 見た目はヤバイ様な格好をしている青年もいたが、話せば陽気な良い青年達だった。

 途中で追加して肉等を焼いて貰い、満足した私は帰る事にした。




   手を振って別れを惜しむ好青年達




 帰り際にデジカメを構え、写真を撮ってやるよーと言ったら、

 声と手を上げてポーズを取ってくれたのがこの写真である。








そう言う事で、私は若者達に頼まれて焼肉を食べたのだった。(どうもご馳走さんでした。今度は私の好きなエビやカニや貝も用意しといてね〜♪)



公園の駐車場に戻り、車にタッチして万歩計を見ると15793で、登りの所要時間が1時間30分。

下りはキャンプ場まで下りてから更に神社までの往復時間、及びバーベキューを食べている時間まで入れると約2時間だった。

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