岩屋山(503m=佐賀県七山村)
  


2004年12月19日


これらの山は佐賀県の七山村にある。 私達はこの七山村には以前から良く訪れている。

私はずっと前この地の長老と話した時、村名の由来は主な山が村中に七つあった事から合議の上で名付けられたと、聞いていた。

しかし現在七山村役場発行の 『ななやまトレッキングマップ』 を見ると、八山紹介してある。(そんな勝手に!、それなら八山村にしてもらいたい!!)

しかしマップを良く読むと 『亀岳』 は隣の富士町にあるとの事であり、一安心する。

私達はマップで紹介してある八山中、五山は既に登っていて、其々2回は登っていると思う。 中には4〜5回登っている山も有る筈だ。

マップに紹介してある山を列記しておくと標高の高い順に、穀地蔵山(893m)、浮岳(805m)、椿山(760m)、女岳(750m)、亀岳(740m)、

笛岳(700m)、十坊山(トンボやま=535m)、岩屋山(503m)となっている。



今日は 『椿山』 と 『岩屋山』 に登る予定でこの地を訪ねた。

私達は七山村を訪れたら必ず立ち寄る所がある。 それは 『鳴神の庄』 と言って地元で取れた果物や野菜を安く売る生産直売所である。

とにかく安いものは目茶苦茶安い。

私は野菜を自分で買った事が無いので野菜の価格比較は出来ない。 しかし、色々な野菜が50円位から有る。 100円が一番多い様に思う。

この様な店で買い物する時には夫婦間で其々役割分担がある。 オバさんが野菜担当で、私は果物担当を命じられている。 二人ともしばらく店内をうろつき回る。

同じ品物でも生産者によって値付けがかなり違う。 数量が多く入っているのに逆に安い物もある。

そんな物を見つけると前に選んだ物を元に戻して、新しくカゴの中に入れ直したりする。



この地はミカンの一大生産地で色々な品種のミカンが格別安い。 ミカンは家族みんなが好きである。

ミカン等はネットに入っているので数を数えたりする。 そんな事が他愛無く楽しい。

同じ値段で1個でも数が多い物等を見つけるとなんだか得した様な気分になり、嬉しくなってつい顔がほころぶ。 どうも生まれ付きの貧乏性らしい。



この店は何時行っても人が多い、そして皆大量に買っている。(一度15時頃その店の前を通ったので、再度店内に入ったらほとんど品物は無かった)

私達も店を出る時には、買い過ぎたかな〜?、全部は食べ切れないかも知れないな〜?等と言う位、毎回大量に買って行くのである。

久留米地区から七山村までは最近新しい道路が出来たり、広く整備されたりして大分所要時間が短縮されたので今は1時間30分前後で行ける。

以前、朝早く家を出た時に一度だけ店の開店時間(8時半か9時?)より少し早く到着した事があった。

そうしたら、もうその時には30〜40人の人達が入り口に2列に並んであり、驚いた。



そして開店と同時に、テレビで見るデパートの特売場になだれ込む様な勢いで入られたのを見て2度ビックリした。

何か特価品が有るのだろうか?、列の前にいる人に聞いたら、日によっても違うが特価品が有ったり、極・少量しか並ばない物が有るとの事、

また最前列の人達は飲食店関係の人達ではないでしょうか?との返事だった。 

今日も店内を二人して20分程うろつき回り、また果物と野菜を大量に買ってしまった。


椿山編

買い物が終わったので、店の女性に 『椿山』 へ行く道を尋ねる。(=1)

自分は分からないので店長を呼びますとの返事で、親子電話で2階の事務所に連絡を取ってくれた。

直ぐ店長が下りてきて、マップを見ながら道を教えてくれた。

赤鉛筆で通る道を書き入れながら、マップに記載されていない部落名等を書き入れてくれる。

赤鉛筆の記入跡を見ると大分遠回りしている様に見えたので尋ねると 『遠回りにはなるがこちらの方が道が広くて分かり易いですよ』 との事である。

また店長は 『椿山公園』 迄は行った事はあるが 『椿山』 にはまだ登った事は無い、また 『岩屋山』 に付いては名前は聞いた事は有るが、どの山かも知らないとの返答だった。(=2)



店長に聞いた信号から左折したら、直ぐ道が分岐していた。 直進したらどうも行きたい方向に離れて行く感じである。

道路上の道標にも違う地名がある。 それで道路脇で5〜6人の方達が話していたので道を尋ねた。 そうしたら案の定、違う道を200〜300m位走っていた。

車をUターンすると、一人の年配の方が景色が見渡せる所まで50mほど歩いて来て、あそこで曲がると近道であると教えてくれる。

その方に 『岩屋山』 を尋ねると、あの山がそうですよと指差して教えてくれた。

そして 『気を付けて登って下さい』 と帽子を取って挨拶される。 人格者のお人柄を見せて貰った様な気がして凄く嬉しかった。(=3)

丁重にお礼を言い、その場から見える 『岩屋山』 を撮ったのが次の写真である。


教えてもらった道を少し進むと、大きな道に出た。 その道を進むとT字路が有ったが、直進する。

しかし、オバさんがT字路の前の左側に 『博多』 は右折の道標が有った様な気がすると言う。

そこを少し通り過ぎた所で家の前を清掃してある年配の女性がおられた。 『博多』 はこちらの方向で良いですかと尋ねる。(=4)

すると 『博多』 はオバさんの言う通り先ほどのT字路を右折との返事である。 少し先でUターンする。



他の車が全然通らないその大きな道をルンルン気分で快調に飛ばす。 分岐する所が幾つか有ったが、大きい方の道に入る。

道端で軽トラックから農機具を降ろしている人がいたので、念の為と思って道を尋ねたら、いくつか前の分岐で道を間違えていた。(=5)

Uターンして戻り、教えてもらった目印の納骨堂から左折する。



その道をしばらく進むと 『鳴神の庄』 の店長から聞いた 『鳥巣』 の部落に着いた。 しかし 『椿山』 へ曲がる場所が分からない。

道標を探しながらそのまま進んでいたら人家が無くなった。 それで又Uターンして、人を見かけたら聞こうと思った。

その時カーラジオは12時のニュースを放送中の時刻で、車をゆっくり進めるがどの家の人達も昼食中なのか玄関の戸は閉まり、外には誰も出ていない。

仕方なくそのまま車を進めていると電気工事会社のトラックが道端に車を止めてアームを伸ばし、上空のBOXの中で電線工事をしている人がいた。

この際だからと仕方が無い思い、窓を開けて大声で尋ねる。

そうしたら 『自分も初めてこの地に来たので、良く分からないがそんな名前の公園がこの先に有りましたよー』 と上空から大声で応えてくれた。(=6)



また車を進めると、一見して別荘と分かる建物群が見え始めた。 建設中の別荘も数軒ある。

ゆっくり車を進めていると、道路より40〜50m位離れ、10メートル位高い所の家の外に、人が出ているのが見えた。

車から降りて大声で尋ねる。 そうしたらその家の奥様とおぼしき方がこれまた大声で 『その先の公園に登山口がありますよー』 と応えてくれた。(=7)

やっとその 『椿山公園』 の駐車場に車を止め、案内図を見てから急いで身支度をし、歩き始める。 歩き始めたら直ぐに、下写真の様な所に突き当たった。


両方に矢印が有ると言う事は周回できるのだなーと思い、どっちから登った方が楽なのかなー等と思案している時に、左の道から4人の家族登山者が下りて来た。

早速 『どっちの方から登ったが良いでしょうか?』 と尋ねる。

しかしその方達は 『周回する道はありませんでしたよ!』 と言われる。 そして、『こちらの道は良い道でしたよ!』 と言われるので左の道へ行く事にした。

少し歩いた所に登山口の標識が有り、登山道に入る。 登山道は下写真(左)の様に広く整備された道で、その道を進むと写真(右)の所に辿り着いた。


案内標識のある場所は林道で、その林道はまだ先の方に続いており、先程の写真の所から右の方に進むとその林道のどこかに出るのではなかろうか?

その場所から10分も歩かぬ内に下・左写真の様な山頂に着く。

山頂には誰もいなかった。 早速シートを広げて靴を脱ぎ腰を降ろす。 湯を沸かし、インスタント味噌汁をすすりながら弁当を食べる。

今日はこの後にもう一つ 『岩屋山』 に登る予定なので、私は音楽も楽しまず、オバさんもスケッチ無しである。 何だか気ぜわしい!

食後のコーヒーを一杯だけ飲み、山頂からの景色を撮る。

山頂からの展望は北側のみで、他の方向は植林である。 北側からは右から順に、女岳、浮岳、十坊山等が見える。

そして十坊山の左は玄界灘(唐津湾)で下・右写真の様に、浜玉町、虹の松原、唐津市街が良く見えた。


山頂の先にも行ける様な案内板が有ったので、周回コースかなと思ってそちらの方に歩いて行った。

しかし、そこは以前の展望所跡と岩上から天山が見える所があるだけで、行き止まりだった。

しかし下写真の様に小さくて可愛いい、さくらんぼの様な赤い実が目に付いたので写真に撮り、先程の山頂に引き返し下山し始めた。



帰りはアッと言う間に車に帰り着いた。 所要時間は登りが25分。 下りは15分。 万歩計は4303だった。

駐車した 『椿山公園』 は今日は日曜日と言うのに誰もいない。 とても静かな良い公園だったので、最後に 『椿山公園』 の案内図と風景写真を紹介しておこう。




 岩屋山 編

上で紹介した 『椿山公園』 の案内図の写真を撮ろうと思い、案内板の前に行ったら既に一人の女性が案内図を見ていた。

デジカメを構えようとした時にその人が笑いながら話しかけてきた。 良く見ると椿山に登る時に話した4人家族の一人の方だった。

先ほど会った後に帽子を取ってあったので、私は気付かなかったのである。

その方と話していると、他の3人の方達も車の中から笑いながら出て来た。 それで 『岩屋山』 へはどこから登ったら良いか?を尋ねた。

そうしたら車の中から山の本を持って来て調べられていた。 最近出たばかりの 『佐賀県の山の本』 にも記載されていないとの事である。

その本はまだ新しく、私は初めて見たので写真に撮らせてもらった。 それが下写真である。(佐賀新聞社からつい最近出版されたそうである)


結局 『岩屋山』 への方向は誰にも分からず、現在いる前の道を右に行くか左に行くか、どちらも5割の確率ですねーと笑いながら話していた。

私は左の方に行ってみます!と言って、その方達と笑いながら別れ、左の方向に車を走らせた。(=1)

そして、先ほど登った 『椿山』 登山口があった林道に入り込む。 そうしたらその林道は登山口の少し先で行き止まりになっており、Uターンする。

大きな道に戻り、その道を走りながら二人して道脇に標識などがないかを注意して進む。



しかし、かなり山を下りてもそんな標識などは無く、浜玉町が見え始めた。 これは絶対に道を間違えたと分かり、人がいたら尋ねようと思った。

すると、ミカン畑で一人で摘果作業中のお婆さんを見掛けたので、車を止めて私が尋ねに行った。

そうしたら 『そんな山は知らん、誰か他の人に聞いてくれ!』 と、けんもほろろである。 何だか怒られている様な気になった。(=2)

車に戻ると、ちょうどそこに年配の男性が運転する軽トラックが登って来た。 私が頭を下げて合図すると、少し通り過ぎてから車を止めてくれた。

尋ねると今右に見える山の向こう側に、その 『岩屋山』 は有るとの事である。(=3)

車をUターンし、今下って来た道を今度は登り始める。

先ほど尋ねた軽トラックは登る途中で小さな林道に入って行った。 荷台に小さなチェーンソウが積んで有ったので林業関係の方だろう。



『椿山公園』 を通り過ぎ、別荘地の前を通りかかると、先ほど分かれた4人家族の方達が道端に車を止め、建設中の別荘を見学に行くところだった。

私が車を止め窓を開けた時にはその方達はもう一切を飲み込み、顔を見合わせた瞬間には 『ワハハハッー・・・』 と笑い出して私達の車に近寄って来た。

『大分下の方まで行きましたー』 とか 『まだ探して登られる積もりですかー』 等と、お互いに笑いながら話して別れた。



そこから少し行った所で、道の大分上の方の畑を歩いているご夫婦が目についたので、また声を張り上げて 『岩屋山』 を尋ねる。

奥様の方が道の方に近寄ってみえ、大声で 『知りませーん』 と応えられた。(=4)

更に車を進めていると、道脇で切り倒した杉の丸太を機械で吊り上げ、一箇所に集める作業をしてある年配のご夫婦を見掛けた。

車を止め、マップを持ってご主人に尋ねる。 その方は 『岩屋山』 を知ってあり、少し戻った所にある林道を進んで行きなさい!と言われる。

その林道入り口の前は今通って来たばかりである。 その林道入り口には工事中の車止めがしてありましたよ!と、私が言うと、

もう道路工事は終わっているから、車止めをずらして入っても構いませんよ!と教えてくれた。(=5)



それで車をUターンし、車止めをずらして林道に入り、元通りに車止めをしてからその林道を進む。

林道はアスファルト舗装したばかりで表面が黒々としている。 少し進んだ所で道が二つに分かれていたが新しく舗装された方の道を進む。

しばらくその道を進むと舗装が切れ、細い砂利道になったので引き返す事に決めた。 Uターンが出来る所までバックで後退し、何度も切り返してUターンする。

先ほどの分岐まで戻り、もう一つのコンクリート舗装の道を進む事にする。 その道はずっと下りでしばらく進むと大きな道路に突き当たった。

その道を右に行くか左に行くか迷ったが、私は何とは無しに右の下り道を選択した。



その道を少し進むと道が分岐している広い所に、軽4WD車を止めて道に出ている若い父親と小学男児の二人連れがいたので車を止めて尋ねた。

この地元の人でない限り尋ねても分からないと思ったので、まず 『地元の方ですか?』 と聞くと、『はい、そうです』 との返事が返ってきた。

それでさらに 『岩屋山の登り口を知ってますか?』 と尋ねると、『知っている』 との返事。

『しかし言葉では説明し難く、岩屋山の方向に行く分岐まで案内するので、自分の車の後を付いて来て下さい』 と、ありがたい言葉である。

またUターンしてその車の後に続く。 そうすると先ほどコンクリート林道を出た所で右か左か迷った所の前を通り越して (結局、左方向である) 進む。

そして下写真の場所で止まり、『この道を行った先で又、尋ねた方が良いですよ』 と親切だった。(=6)

下写真の道標は小さく写って字が良く見えないいが 『岩屋の下』 と書いてある。


その道をしばらく進むと、また分岐があった。 行き易い左の道を選択したら少し走った所で茶畑に突き当たり、その先には道が無い。

またUターンして先ほどの分岐に戻り、もう一方の道に入る。

今日は徹底的に勘が悪い。 普段はこんなに勘は悪くないのだが、今日は日が悪いのだろう。 何かの祟りだろうか?(悪い事は何もしてないのに!?)

オバさんは 『時間も遅くなったので今日はもう登るのは諦めたが良いかも知れないよー?』 と心配顔で言い始める。

しかしその時は私は少し意地になっていて(何に意地になっているのか、自身でも分からない?)暗くなっても今日絶対に 『岩屋山』 に登ると決めていた。



その道を進んでいると、ビニールハウスの前に若い人が出ていたので、また尋ねる。

まだ下の方で左の林道に入って行くが、言葉では説明し難いのでもう少し先の方で、また聞いて下さい!との事である。(=7)



道を更に下っているとビニールハウスの前に車が止まっていたので、車を降りてビニールハウスの中を覗き、声を掛ける。

年配の方が出て見え、ここから少し行った所にカーブミラーがあり、その先の分岐を左に進めば良いが登山道などは無いよ!と言われる。(=8)



その教えられた林道を進むと舗装が切れた所にまたビニールハウスが有り、車が止まっている。

車を降りてビニールハウスの中を覗くと、ラジオ放送をスピーカーでガンガン鳴らしながら、

大きなビニールハウスの一番奥で母親と息子さんとおぼしき人達が作業をしていた。

頭を下げると息子さんが走って来た。 まだ若い青年である。 尋ねると母親の方に走って聞きに行き、また直ぐに走って戻って来た。

きびきびした対応や言葉にも好感の持てる、好青年である。 今時珍しい。

ここから少し戻り、最初のカーブミラーの横が登山口だがこの山には最近は誰も登らず、また台風に因る倒木で行けるかどうか分かりませんよ?と説明してくれる。

帰り際にビニールハウスでは何を作っているのかを尋ねたら 『菊の花』 との事だった。(=9)



またUターンする。 そのカーブミラーは200〜300m戻った所に有った。

しかしそこに駐車するには道が狭くて私が駐車すると、他の車が通れない事は無いだろうがかなり通り難くなる。

それで、駐車して他の車の邪魔にならない所を探しに下り始める。

少し下った所の左側に今は使っていない様な林道跡が有るのをオバさんが見つけた。 しかし、オバさんが言ったのはそこを少し通り過ごした後だった。

バックして戻るには鋭角な曲がり角などがあって面倒なので、そのまま下の広い所まで前進し、そこでまたUターンする。



今日は何回Uターンしたのだろうか? こんなに一日でUターンした記憶は無い。 多分去年1年間にしたUターン回数に匹敵するだろう。

車のわだち跡も付いていない古い林道跡に車をバックで入れ込む。

急いで身支度し、麦茶だけを入れたナップサックを担ぎ、ポシェットだけの軽身で下写真の所から、けもの道の様な道に入り込んだ。


その道は上写真の様に雑草だらけで、少し入り込むと倒木が多かった。

途中で下・左写真の様に杉の葉がまだ生い茂った倒木の横を通る時、数日前に 『米山』 で嗅いだ事が有る、あの猪独特の臭いが強烈にした。

その場所につい今先まで猪が潜んでいたのだろう。 そこから少し進むと、下・右写真の様な猪のヌタ場に突き当たった。


写真で見ての通り、猪の足跡が無数に有る。 そして真新しい。 そこは突き当りで、右か左に行かなくてはいけない。

踏み跡が有るように見える左へ進み始めたが直ぐに踏み跡が無くなる。(多分、獣道だろう) 

引き返し反対の方向へ進み始める。 そちらの道は倒木が多く、苦労しながら乗り越えたり迂回したりして進む。

そんな事をしながら進んでいると登山道らしき道に出た。 そこを少し進むと先ほど道を尋ねた菊の花のビニールハウスの真上に出た。



そこで40〜50m下のビニールハウスの屋根に向かって 『この道で良いですかー』 と大声で叫んだ。

そしたら下から 『その道で良いですよー』 とあの好青年が応えてくれた。

私が 『猪がいる様ですねー』 と言うと、『この山は猪が多いから気を付けてくださーい』 と応えてくれた。

本当に好青年である。(この好青年が七山村にいる限り七山村の未来は明るい!) お互いに姿が見えないまま、大声で会話した。



そこから10分位進むと、次の写真の様な岩屋宮(白山神社)に着いた。

岩屋の中の神殿は写真の様にまだしっかりしていた。 しかし、何の神様を祀ってあるのかは知らないが、岩屋宮の周りは荒れ放題である。

七山村や地元の人達はこのままで良いのだろうか?、この地の先人達の歴史や伝統や文化が忘れられる様な気がして、何とも惜しい!

岩屋宮の正面
岩屋宮の側面


       岩屋の中にある神殿
 
 土や落ち葉に埋もれていた
鳥居に飾ってあったと思われる、岩屋宮の石碑

私達はここが目的では無い。 この岩屋山に登りに来たのである。 しかし、その岩屋宮の先にも道はない。 だから上を目指して進むしかない。

かなりの急坂を樹の幹や枝などを掴んでトラバースして行った。

途中で今掴んでいる樹の次に有る、腕位の大きさの樹を掴んだら枯れていて、力を入れた途端に根元から折れ、10mほど急坂を落ちていった。

私はその樹にまだ体重を掛けていなかったので、一緒に落ちるのを免れた。 危なかった。



その斜面を過ぎた所にある大きな岩の横の樹に赤テープをしておいた。 上の方に見える、樹が無くて明るい部分を目指し、道なき急坂を登る。

この時ふと 『やぶこぎ探検隊』 を思い出した。 あの方達は毎回こんなに風に登ってあったのだろう。(ご苦労様です、後から登る者として感謝しています!)

その急坂を登り切ると、下写真の様に開けた所に出た。

その切り開かれた斜面部分には杉が植林されていた。(樹の大きさから推察すると多分、1〜2年前に植林されたのだろう?)


植林の間の道無き所を少し進んで上を見ると、一つのピークが見えた。 そこを目指して最短距離を一直線に登る。

そこには直ぐに着いた。 しかし、ピークの一番高いと思われる所に測量の赤いプラスチックが打ち込んであるだけで、山頂標識等は何も無い。

それでその少し先まで行ってみたが、手入れが余りされていない薄暗い植林で、ずっと先の方まで下っている。

それで下写真の様に測量用プラスチックに 『岩屋山?』 と書き入れてきた。

下・右写真はその山頂と思える所から写した景色である。 この方向しか展望は無かった。 尚、正面に見える山は十坊山である。


時計を見ると16時に近い。 直ぐ下りる事にした。

植林の所を通り過ぎた所でもしかしたら尾根筋に道が有るかも知れないと思って少し進んでみるが道は無く、引き返して岩屋宮の方へ向かう。

帰りは早く、15分位でビニールハウスの上の崖に出た。 登る時にはあの好青年の車が見えていたが、今は車が無いので仕事を終えて帰ったのだろう。

帰りは踏み跡を辿りながら下りたら、私たちが入り込んだカーブミラーの50m位上に出た。

この山行記を見て、もし 『岩屋山』 に登る気になった人がいれば、カーブミラーの50m位上から登れば、獣道もヌタ場も通らずに済みます。



尚、『岩屋山』の登山口へは 『鳴滝の庄』 の下の信号を左折したら直ぐに右折し、小学校のグラウンドの横を通り、5分も登れば 『井手の上』 昭和バス停がある。

そこから200〜300m位進むと、アスファルト幹線道路が左に鋭角にカーブする反対側に右に鋭角にカーブしながら登る細いコンクリート道路が有る。

それを登って行くと、舗装部分で最後のカーブミラー付近が上記の登山口である。

結局、所要時間は登りは 『岩屋宮』 までが17分、そこから山頂?までが13分で合計30分。 下りは合計25分。 万歩計は3978だった。


ここで 『岩屋山』 について七山村の関係者の方にひと言、言っておきたい。

七山村役場・総務課 発行の 『ななやまトレッキングマップ』 には写真入りで 『岩屋山』 を紹介してある。

そのマップでは紹介している山々は其々違った魅力が有り、マップを片手に散策してみませんか!?と誘ってある。

これを見れば私達の様な山好きは、当然登りたくなる。

又そんなに山好きでなくとも、村が紹介する山だからと安全だろう?と、軽い気持ちで登りに行く人も出てくるだろう。



しかし実際に登りに行ってみれば、その山の存在は地元の人達でさえ殆んど知らず、登る人も殆んど無い状態である。

尋ね回って何とか登山口に辿り着けば駐車場も無い。 そして登山口案内も道標も山頂標識も何も無いのである。 これは余りにも無責任ではなかろうか?

マップには問い合わせ先として村役場の電話番号が印刷して有るので、問い合わせてから登れと言う意味だろうか?

マップを見て子供や女性や年配者が登り、事故が起きたら七山村役場はどう対応する積もりだろうか?

もしその人達の登山中に、不整備が原因で事故が生じれば、現状では行政の責任は絶対に免れる事は出来ないと思う。

万一の時のその費用は、登山道などの整備に要する費用の何十倍、何百倍に達すると思う。 早急な対策を望む。



しかしマップに紹介されている 『岩屋山』 以外の山は良く整備されている。(穀地蔵山にはまだ登っていないので分からない)

岩屋宮の荒廃に付いては私は部外者なのでその経緯を知らないし、厄介な費用問題も有ると思うのであえて言及はしない。(が、何とも惜しい!)


これで、七山村の山は紹介の8山中、7山までは登った。後は一番高い 『穀地蔵山』 だけになった。

穀地蔵山よ!、近い内に会いに行くから楽しみにして待っててくれ! しかし、その時は優しく迎えてくれよなー!


今回の山行をまとめてみた。

人に尋ねた回数は 『椿山』=7回、『岩屋山』=9回で、合計16回。 Uターン回数が何と!合計12回。 

登下山時間は2山の合計で1時間35分位。 山頂にいた時間が合計30分位。

車に乗っている時間は合計5時間30分位。 その内登山口を探してあっちウロウロ、こっちウロウロの時間が2時間位だろう。

とにかく今日は、肉体的よりも精神的に疲れた一日で、時々体感する心地良い疲労感や、爽やかな満足感は今回はまったく味わえ無かった。



しかし、この地の人の親切心と優しい人情を何度も味わう事が出来た。

山好きであれば今回の私達の様に、登山口や登山道が分からずに探し回った事は程度の差があれ、似たり寄ったりの経験が誰でも数回はあると思う。

しかし、山歩きに興味の無い人達には信じられないだろう。


                          さん                                       さん
それで今日の事は、ご同輩からは お疲れ山 と言って貰えそうな気がするが、興味の無い人からは お馬鹿山 と言われそうな気がする。

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