2004年11月23日
オバさんが色々な雑用を済ませるのを待って、家を出発出来たのが8時ジャスト。
今日は久しぶりに涌蓋山(わいたさん)に登ろうと、昨日から決めていた。
この山は樹木が少なく、そのほとんどが草原の山である。 だから夏や冬は陽射しや寒風をまともに受け、辛いものがある。
私達はこんな山には春か秋の穏やかな日に登る事にしている。 昨日からの天気予報では、今日は晴れて暖かく風も無い!との予報だった。
それに先々週、三俣山に登った時に涌蓋山を何回ともなく眺め、私達の脳裏に涌蓋山の山容(三俣山の西峰写真の後方)が強く残っていたらしい。
私は涌蓋山の山容が好きである。 高千穂峰(宮崎県)と同様に端整な姿をしている。 私は何故かこの様な山容を見ると登山意欲をそそられる。
それで今日は涌蓋山に登る事にしたのであるが、どのルートで登るかまでは決めていなかった。 涌蓋山にも他の山と同様に色々な登山ルートが有る。
今までに涌蓋山にはどのルートで登った事が有るかなー?と思って、昨日自分のHPの過去の山行記録を見るが、涌蓋山の項が少ない。
確かに夫婦だけで登った筈の涌蓋山の記録が無い。 オバさんに聞くと、子供と一緒に登らなくなってからは、記録を取らなかった時期が有った!との返事である。
そう言う事で、夫婦だけの山行記録には幾つか漏れが有る様である。
車の中で今日はどのルートで登ろうかと相談しながら走る。 今までに登った事がないルートを登ってみようと言う事で、直ぐに意見の一致をみた。
しかし、車の中での夫婦の話題は色んな方面を飛び回る。
例えば、国際情勢から外交、政治、経済、領土問題、テロ対策、地球温暖化、エネルギー政策、食料問題、教育、医療、健康、福祉政策、少子高齢化社会、年金改革、
原子力、宇宙、科学、数学、考古学、文化、芸術、音楽、スポーツ、芸能、美容、 ・ ・ ・ 昨日の晩ご飯のオカズについて迄、多岐に渡って自分の意見を述べ合う。
そして、登るルートの話題に戻る度に初ルートの候補が二転三転し、最終決定したのは涌蓋山に大分近くなっての事だった。
今回はハゲの湯から登ろうと言う事になったが、もう黒川温泉近くになっており、最初に見つけた道標でハゲの湯方面に左折したが、かなり大回りした様である。
ハゲの湯温泉郷に入ったら涌蓋山への登山口案内などが、とんと見当たらなくなった。
車をゆっくり進めていると、旅館の駐車場に旅館の女将さんらしき人が出ていたので、オバさんが道などを聞きに行く。
私は曲がり角の広くなった道端に車を止めて待っている時に、すぐ横にサルナシらしき大きな蔓が目に付いた。
車を降りて蔓を見上げるが実は生っていない。 下に実が落ちてないかと地面の草を掻き分けて探すが一つも落ちていなかった。
そう言えば、今年のサルナシはとうとう耳納山で少ししか採取する事が出来なかった。
耳納山のサルナシは私がその近くを通る時に、時々確認しに行っていた。(その場所は多分私しか知らない場所である)
夏までは沢山実が生っていたので、今年は一杯サルナシ酒を造る事が出来るなーと、ぬか喜びしていたのであるが、
度重なる台風で巻きついていた樹の枝が折れたり、蔓が枝から剥がされたりして実は落ち、今は蔓がひと塊になって垂れ下がり、来年以降はどうなるか分からない様な状態にある。
オバさんが帰って来た。 この道を進むと舗装が切れた所に駐車場が有り、そこに駐車して登った方が良い!との事である。
その駐車場の先にも未舗装道は続くが道が悪いとの事であった。 又、その駐車場からは2時間位掛かるでしょう!の事でもあった。
私の車のすぐ前を一台の車が走り、その車と一緒に駐車場に着いた。
その車の若い夫婦連れは私達が身支度している間に、標識や登山道等を確かめていたが直ぐに帰って行った。
多分、今後登る時のために駐車場や登山口の下見に来たのだろう。
駐車場には既に6台の車が駐車してあった。 ナンバーを見ると福岡、北九州、久留米、熊本、大分、佐世保と全部違っていた。
車を出発したのが10時15分。 案内標識に従い舗装道を歩き始める。
歩き始めて2〜3分した所で車の音がし、ドアの閉まる音が聞こえた。 又、登山者が来たのだろう?
5分も歩かぬ内に下の写真の様なゲートに突き当たった。
今までの経験では普通、登山道に指定されているこの様なゲートの横には人一人が通れる様な狭い通路が有るのが一般的である。
それで、両サイドを見たが有刺鉄線が何段にも張りめぐらされ、通路が無い。 それで、仕方なくゲートの上を乗り越えて行くことにした。
脚の長い私はいとも簡単に乗り越えたが、極端に脚が短いオバさんは乗り越えるのに相当苦労している。 私は横でその奮闘のさまを笑いながら見ていた。
最後はゲートからほとんど転げ落ちる様にして降りたオバさんは、登り始めたばかりと言うのに既に相当息が上がっている。(大丈夫かな〜♪)
駐車場から直ぐの所にあるゲート
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そのゲートを越した所で道が二つに別れている。普通こんな所には案内標識が有るか、道脇の樹木等にテープや紐等の目印が有る筈だが見当たらない。
それで、どちらかの道の少し先に目印が有るかも知れないと言う事で私は左の道へ、オバさんは右の道を20〜30m進んでみるが、どちらにも目印は無い。
そこで、さっき登山者が来た筈だから、その人が来るのを待ってみようと言う事になった。 少し待ってみるが人が歩いて来る気配が無い。
それで私が更にその辺りをキョロキョロしていると、生い茂った草むらの中に全然目立たない案内標識を見つけた。
下の写真は案内標識の周りの雑草をかき分けたり、なぎ倒したりした後に写した物である。 あまり役に立たなかった案内標識に従い右の道を進む。
草むらの中に隠れていた案内標識
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その後は標識や目印が適所に有り、舗装道を歩いて行く。
しかし、その道には所構わず至る所に、大きな牛の糞が転がっている。 この牧場も牛の躾がまったく成っていない!(しっかりと躾をして貰いたい!・・・怒!)
そんな道を10分も歩くと下の写真の様な標識が有り、そこからは細い山道になった。
山道に入る案内標識
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その道は直ぐ下の様な草原になり、正面に涌蓋山を見ながらススキの中の登山道を進んで行った。
草原の中の登山道と涌蓋山
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この様な道を20分ほど歩くと林道に出た。 その林道を5分ほど歩くと広場が有り、一台の車が駐車していた。 その広場には10台近く駐車出来る様に見えた。
時計を見ると10時55分、ここまでちょうど40分だった。 そして、その広場の直ぐ前には下の写真の様な案内板が有った。
駐車場前にある案内板
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そこから少し植林の中を歩く。 その植林は直ぐに終わり、今度はアセビ等の潅木が多い急坂に出た。
そんな所で下山して来る5人程の人達に会ったので 『もう下山されているのですか、早いですねー』 と声を掛けたら
『そんな事はないですよ。自分達が登る9時位には既に下山する人達にすれ違いました。その人達は登山口のハゲの湯温泉で温泉に浸かってゆっくりすると言ってありましたよー』
と
笑いながら応える。 しかし、私達はその人達とはすれ違わなかったので、私達が登り始める前には下山され、既に温泉に浸かってあったのだろう。
多分、前の日からハゲの湯温泉の旅館に泊まり、早朝から登られたのだと思う。
その急坂には方々に滑った跡があり、脚に一番堪えるような角度の坂がしばらく続く。 日陰の部分には下写真の様な霜柱がまだ残っていた。
急坂の日陰部分に残っていた霜柱
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そんな急坂部分を過ぎると、ミヤマキリシマの樹が所どころ目に付くようになる。
そこでは右手に下の写真の様な、阿蘇の涅槃像 【ねはんぞう = お釈迦様が横たわっておられる姿 = 白い雲の帯の中 =
阿蘇五岳 = 根子岳(頭部)、高岳(胸部)、中岳、烏帽子岳、杵島岳】
が遠望できた。
尚、涅槃像は阿蘇町の大観峰から真正面にパノラマ状で綺麗に見る事ができる。
登る途中で見えた涅槃像
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そんな所から一つのピークが見えるが、時計を見ると時間的に早いので、そのピークを越えると涌蓋山の山頂が見え始めるのだろうと思っていた。
しかし、そのピークに着いたら涌蓋山の山頂広場のほぼ中央部で、下写真の様な山頂標識がいきなり目に飛び込んで来た。
時計を見たら11時50分で、登りの所要時間は1時間35分だった。 何だか呆気なかった。
涌蓋山の頂上標識
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山頂は下写真の様に広い草原で、既に40〜50人程の登山者が左右に広がって昼食中だった。
私達はこの山頂には気に入った休憩場所が有るので、そこに真っ直ぐ向かう。
そこは広場の東端で斜面途中に平らになった場所が有り、そこに座ると上からは死角になって見えない。
その場所には誰もいなかったので、シートを広げ靴を脱ぎ腰を降ろす。
頂上の広場
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山頂広場からはどこからでもくじゅう山群が目の前に一望出来る。
この涌蓋山もくじゅう連山の一つに入るが、少し離れた西北部にあるため、下写真の様にくじゅう山群の中核部が一望出来るのである。
11月7日に登った三俣山と硫黄山の噴煙
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昼食にしようと思ったら、オバさんが350mlの良く冷えたビールを出した。
以前(1年前位まで)は山頂で酒を飲み、昼寝するのが山登りの大きな楽しみの一つだった。
夏には良く冷えたビールをまず1本(時には2本)ずつ飲んでいた。
その後に6オンスのスキットルに入れたウイスキー(時にはブランデー)を、広口テルモスに持ってきた氷と、冷やした山水で割って飲んでいた。
色んなつまみを食べ、時には肉や餃子を焼きながら30分以上掛けてゆっくり飲んでいた。 そして、その後に昼食を食べていた。
冬には鍋物や豚汁や雑炊等をしながらウイスキーのお湯割りや、日本酒の熱燗を楽しんでいた。
そして、その後に二人とも30分〜1時間ほど昼寝をしていた。
私は若い時から特に酒を飲むと(飲まなくても)、どこでも直ぐに寝れる特技を持っている。
(若い頃に酔って眠り中央線の高尾駅まで何回乗り過ごしたか分からない。 郷里に帰ってからも以前の福岡駅・博多駅・公園のベンチで何度寝た事か!?)
しかし、1年位前にアルコールを少し控えた方が良いと医師から忠告された私は、山頂での飲酒を断っていた。
それで、思いもしていなかったビールをオバさんが持って来ていたので、少し驚いた。
350mlなのでマグカップに一杯づつしかなかったが私は嬉しくなり、つまみ無しではあったが5口程に分けて少しづつ良く味わって飲んだ。
山頂では飲まなくなっても、何かあった時の気付け用として、又は怪我した時の消毒用にとウイスキーをスキットルに入れて何時もザックの中に入れている。
そのウイスキーを飲もうかなー?と一瞬思ったが、グッ!と我慢した。
目の前のくじゅう山群を見ながら、昼食を食べる。 食べ終わったらマグカップにたった一杯しか飲んでないのに気持ちが良くなり、眠くなってきた。
それに上写真の硫黄山の噴煙を見ても分かるように、今日は前回の三俣山の時以上に風も無くポカポカして汗ばむ様な暖かさである。
雨具の入った袋を枕にして寝転んだら、直ぐに寝入った様である?
目覚めると30分程が経過していた。 オバさんも少し眠った!と言っている。
左手を見ると下写真の様に山容に双耳峰の特徴を持つ、由布岳が遠望できた。
由布岳の遠望
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湯を沸かしてコーヒーを飲み、そして眼下に広がる景色を眺めながら私は音楽を楽しんだ。 至福のひと時である。
今日の曲 = 思い出、浜辺の歌、谷間のともしび、誰もいない海、白いブランコ、etc.
オバさんもハガキ絵を描き始めた。
もし、くじゅう連山に初めて登る人は最初にこの涌蓋山に登り、目の前に見えるくじゅう山群の山座同定をしておいた方が良いかもしれない?
山座同定をした上でここからの眺めをしっかり記憶しておけば、次にくじゅう山群の中核部に登って縦走する時に自分が今、どの山からどの山に歩いていて、
山群全体のどの辺りに居るのかが良く分かると思う。 万一の場合でも、その対応に少しは余裕が出来ると言うものである。
左前方の風景
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真正面に見えるくじゅう山群の中核部
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14時になったので帰り支度をして頂上に戻ると、まだ30人前後の人達が残っていた。
中には10人近くの中高年ばかりの男女グループが、まだしばらくは終わりそうも無い雰囲気で宴会をしている。(大丈夫?)
下り始めると、段々加速が付いて来て半分駆けている様な状態になり、ストックを突いて時々ブレーキを掛ける。
途中、霜柱が溶けて少しぬかるんだ急坂では滑った跡があっちこっちに幾つも有る。
そんな所では先行する私が 『ここは滑るよー』 とオバさんに声を掛けながら下りるが、ある急坂でとうとうオバさんが派手に滑って尻餅を付いてしまった。
お尻部分とザックの底部分が泥だらけである。 私が笑いながらタオルで付いている泥を取ってやる。
その後も笑いながら下りていると、今度は私が少し滑って転びそうになった。 しかし、危うい所で何とか片手を付いて尻餅だけは免れた。
それを見て、オバさんが非常に残念そうな顔をしていた。(運動神経の差だから仕方がアーリマせんね〜だ!)
そこから少し下りた所では前方に万年山(はねやま)が下写真のように綺麗に見えていた。
万年山
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下りはかなりのスピードが出、林道広場の駐車場に着く迄に次々と先行する人達を5組程(10人位)追い越して行った。
林道から草原に出、そこからは下を見ながらゆっくり歩いていると、下の写真の様な花を見つけた。
これらの花はお互いに離れた場所にそれぞれ一つだけ、まるで ごましおオジさんみたいに可憐に ひっそり咲いていた。
車に着いたのが15時ジャスト。(帰りの所要時間=55分)
車にタッチして万歩計を見ると、これまた12000ジャストで止まっている。 こんなに区切りの良い数字は記憶に無い。 初めての様な気がする。
私は縁起等は全然担がない方だが、こんなにジャストが続くと何か良い事が有りそうな気がして少し嬉しくなった。 しかし直ぐに忘れた。
私達より早くから駐車していた車は既に帰って無かったが、私達より後に駐車した車が6台ほど有った。
帰り支度をしていると、駐車場の先に続く未舗装道路から私達と同年代のご夫婦が歩いてみえた。
どこから歩いて来たのか?を聞くと、一番最初のゲート写真から左の道を進むと、山裾を大回りしてこの場所に辿り着くとの事だった。
帰路、ハゲの湯を通っている時に横を見たら、今日登った涌蓋山がその端整な姿を見せていた。
道路の広い所に駐車して撮影したのが次の写真である。
ハゲの湯から見た涌蓋山
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