最近登った山・・・三股山


2004年11月7日


この頃ホームページ(HP)作りに時間を取られ、山歩きやその他の事が少し疎かになっている。 なんだか少しずつストレスが溜まっていく様な気がする。

誰に完成日を約束した訳でも無いので、いつ完成させようと自由なのだが、自身では早く終わらせて今までの様に他の好きな事もしたいのである。

しかし、HPを完成させないと何だか喉に異物が支えている様な感じで、何だかもう一つスッキリしない気分なのである。 性格だから仕方がない。

この際高い山に登り、雄大な景色でも見てこのモヤモヤを吹き飛ばそうと、今日はくじゅう連山の一角にある三俣山に登る事にした。

この山を選んだのは時間的要素が大だが、くじゅう連山の中では比較的人が少ないからでもある。

私はくじゅう連山の中では原生林の多い黒岳が一番好きである。

本当はそこに行きたかったのだが、自宅を出発可能な時刻と登山所要時間及び帰宅に要する時間の都合で、前日より三俣山に決めていた


長者原に到着したのが9時45分。 予定より早く着いたので長者原より登り始める事にオバさんと意見が一致する。

昨日の計画では長者原の上の大曲峠まで車で行き、そこから登る予定だった。 そこからだと長者原からより30分位時間の短縮が出来るのである。

それで長者原に沢山ある駐車場の一つに入り、駐車スペースを探すが見つからず、他の駐車場に移動しようと車の向きを変えて出ようとした。

すると、往路では車の影で見えなかったのが、復路では見る角度の関係で一台の駐車スペースが空いているのを見つけ、そこに駐車する。



久しぶり(調べたら10ヶ月ぶり)に長者原に来たのだが、相も変わらず凄い人出である。

長者原の駐車場だけでも数百台の車が駐車している。 くじゅう連山には他にも沢山の登山口があり、合計すると今日はどの位の人出だろう?

特に今日は、日曜日で、紅葉シーズン真っ盛りであり、風も無くて暖かく、抜けるような青空なのだ。

この時刻の長者原ではザックを背負って山に向かう登山者の姿は少なく、行楽客の方が多く目に付いた。



くじゅう連山は九州本土で一番高い中岳(1791m)や久住山・大船山等が連なる山群で、九州では登山者のメッカみたいな所である。

また九州の岳人の中では、少し大げさだが 『くじゅうの山を知らずして、九州の山を語るなかれ』 と言われる位の山群でもある。

それに久住山は日本百名山にも入っているので、平日でも全国から登山者が集まる。

しかしそんな事を全て抜きにしたとしても、多くの人を引き付ける魅力を持った山である事には間違いないと私も思う。

その証拠にこのくじゅうには毎年、季節毎に登る山好き達が多いのである。(私達もその部類に入る)

駐車してから10分程で身支度を整え、水を入れ替え、登山届けに記入してからコンクリートの硫黄山道路を歩き始めた。

長者原にあるガイド犬 『平治号』 の銅像


時刻が遅いので、私達の前には誰も見えなかったが、後ろを振り返ると3人組と4人組の若い男性だけのパーティが歩いて来るのが見えた。

歩き始めて10分位でその2組には追い越された。

私は汗かきなので半袖で登っているが、追い越した人の中には雨具らしき長袖を着てスパッツまで着けている人もいる。

ザックも背負わず腰に小さなポシェットだけの人もいたので足元を見たら、普通のズックだったので大丈夫かな?と少し心配になった。

しかし他の仲間の人達がしっかりした装備だったので要らぬ心配するのを止めた。

雨具を着ている人は途中で暑くなったのか、雨具を脱いでいるところを追い越した。 しかし、雨具の下も厚手の長袖だった。

その人達とはその後も3度程お互いが休んでいる時に、追い抜かれたり追い越したりして顔なじみになり、笑いながら声を掛ける様になった。



このルートで三俣山に登るのは2度目だが、硫黄山道路の途中から分岐する指山には去年の9月に登っている。

その分岐の少し先にある硫黄山道路の広くなった所にも10台以上の車が方向転換に相当苦労するぐらい駐車していた。(同じ仲間なら問題ないが・・・)

硫黄山道路はまだ上に延びていて、道路の広くなった所には1〜2台が駐車している。

歩き始めて30分位の所に砂防ダムの工事現場があり、そこに車止めがあったがその横にも駐車している。

そして、その少し先にある下の様な分岐から左折して山道に入った。

山道への分岐点

そこからは急坂になったが、15分登ると広い所に出たので、そこにある大きない岩の上でザックを下ろして麦茶を飲みながら行動食を少し食べた。

そこで休んでいる時に6人グループが降りて来たので、話し掛けて情報を聞く。

その人達は昨日、大船山に登って法華院温泉に泊まり、今朝早くから三俣山に登ってきて、その帰りとの事だった。

又、昨夜の法華院温泉は満員で、そこの従業員から聞いた話として、紅葉は10日位前の方が綺麗で、今年は度重なる台風によって葉が吹き飛ばされ、

紅葉する葉自体が余り無いとの事だった。

もっと上の方に綺麗に紅葉している場所が有り、そこでゆっくり写真を撮ろうと思っていた私は、そんな事情ならば選り好みしている様な場合ではない!と少し焦った。

そこで、紅葉している所が少しでもあれば直ぐ写そうと思い、辺りを見回した。

そうすると、向こうの谷に紅葉している所が有ったので、早速写したのが次の写真である。


それから山道を15分程登ると、また硫黄山道路に出た。

そこを歩いていると私達と同年代の御夫婦が一見しただけで年代物と分かり、上から覗いて見るクラシックタイプのカメラで撮影されていたので話し掛けてみた。

その他にも最近見掛けなくなって久しい、蛇腹式のカメラも持って有ったので見せて貰う。

レンズの飛び出し方と擦り傷だらけで分厚い茶色の皮ケースが懐かしく、また格好良く見えた。

そのご夫婦は山登りではなく紅葉写真が目的との事で、お二人とも話して楽しい方達だったので、ひと笑いしてからまた歩き始めた。

その先の硫黄山との分岐点で、下山して来る30〜40人位の中高年ばかりの団体にすれ違ったので、尋ねてみると昨夜は法華院温泉に泊まったとの事だった。

それで昨夜の法華院温泉は満員だったのだなー!と納得した。

そこから硫黄山の噴煙を右手に見ながら、大小の岩ばかりの所を20分ほど登るとすがもり小屋に着いた。

小屋の内外で休憩している登山者が20人位いた。 私達もそこでザックを下ろして10分ほど休んだ。

すがもり小屋

そこから先は岩ではなく草や笹、灌木の生い茂った中の急坂を登って行く。 今年の初めに確かこの三俣山で?転落死亡事故があったのを思い出す。

30分ほど登ると三俣山の西峰に着いた。 そこでは2組の方達が昼食中だった。


三俣山の西峰、後方に見えるのは涌蓋山 .

彼方の中峰を眺めるオバさん
 一見、高尚な事(人類の行く末とか・・・)を思案している様に見えるが
案外、今晩のオカズの事だったりして・・・

そこからは今までの急坂に比べると、緩やかな起伏の尾根道を20分ほど歩くと中峰に着いた。 そこでは20人位の人達が三々五々に昼食中だった。


そこから今日の目的地である南峰はすぐ隣に見える。 そこへはなだらかな尾根筋を遠回りして行くのが一般的だが、南峰に直登する小さな道が見えた。

その道は私達は通った事が無かったので、そこを登ってみようと言う事になった。 距離的には尾根道の半分位に見える。

そこを登り始めるがかなりの急坂で、途中で後ろを振り向くと中峰で昼食中の人達からは一部始終が丸見えの状況になっており、注目されている様な感じで少し恥ずかしかった。



中峰から15分位で急坂を登り切ると、いきなり南峰の標識が見える山頂だった。

そこには40〜50人位の人達が昼食中で、中には真っ赤になった顔に帽子を被せて、寝転んでいる人もいる。 少し羨ましく思う。

時計をを見ると12時45分で、長者原を出発して2時間45分が経過していた。

私達も昼食にしようと、見晴らしの良い場所を探して少し下りる。



50m位離れた所に見晴らしが良く、平らな絶好な場所を見つけ、シートを敷き靴を脱いでそこに腰を降ろす。

くじゅうの峰々を一望しながら昼食を食べ終わり、湯を沸かしてコーヒーを飲みながら、見える峰々に子供と一緒に登った時の事などを話す。

オバさんは双眼鏡を取り出して、久住山、中岳、大船山・・・の頂上を見ながら、どこも人が多いと言っている。

私達がいる近くまで久住山をバックにした記念写真を撮りに来る人達がいたので見てみると、登る途中で3度ほどお互いに追い越しあった人達だった。

白口岳     中岳        久住山
久住山、 北千里ガ浜、噴煙を上げる硫黄山

下の方を見ると、芹洋子さんが唄う 『坊がつる賛歌』 でも知られる、坊がつるキャンプ場が見える。

今日は二張りのテントが見える。 私達も数年前に子供と一緒にそこにベースキャンプを張り、幾つもの山に登った事を思い出す。

こうして坊がつるを見ると、歌詞通り(3番)に 『四面山なる坊がつる』 なのが良く分かる。

そして右の方に目を移すと、温泉を良くお世話になる法華院温泉が見えた。 そこの風呂場は去年広い檜風呂になって新築されている。

坊がつる
法華院温泉

風は無く、暖かく、青く澄んだ青空、そして気持ちの良い景色を見ながら、私はしばし音楽を楽しむ。

今日の曲 = 故郷の人々、ケンタッキーの我が家、峠の我が家、コンドルは飛んで行く、秋でもないのに、etc.

オバさんは例のごとく、気に入った風景のハガキ絵を描いている。

私は何だか胸のつかえが取れスッキリした気分になり、また湯を沸かしてコーヒーを飲む。

時計を見ると14時を少し過ぎており、帰り支度をする。



山頂に戻ると男性が2人だけ残っていた。

その内の1人には見覚えがあり赤い帽子を被った割合若い男性で、すがもり小屋からずーっと私達の後ろを歩いていた男性だった。

登る途中で私達が休むとその赤い帽子の男性も休み、つかず離れずで私達を追い越さないので何とはなしに記憶に残っていた。



下山時は今までに通った事の無い、雨ヶ池ルートを歩く事にしていたので案内板に従いそちらへの道へ向かう。

下りはじめて5分位?の所に小さな角柱の案内標識があった。 その標識は鋭角に右折する曲がり角の手前側の目立たない所に立ててあり、

私は見落として通り過ぎてしまったがオバさんが気付き、遭難せずに済んだ。

もし、その事でオバさんがオジさんの命の恩人と言う事を主張されれば、オジさんはもう一生オバさんに頭が上がらなくなる。(大変だ!)

正しい道をしばらく下りると、見晴らしの良い平らな場所に出た。



そこから風景を見渡しながらふと今下りて来た道の方を見ると、100m位後ろの斜面を先ほど山頂にいたあの赤い帽子の男性が下りて来るのが見えた。

『ナンダー・・・!?』 と、思ったが気にしても仕方がないので、また下り始めた。

それから少し下りた所に下写真の様な分岐があり、北峰からも降りれると分かった。 今回は北峰には行かなかった。


雨ヶ池越ルートは、ガイド本によってはベテランでも二の足を踏む難コースとか、あまりお勧め出来ないルートとして紹介されている。

確かにそのルートのほとんどが小さな崖の様な所の連続で、樹の幹や枝を掴んで下りたり、両手を伸ばし下方の樹の枝等に体重を掛けながら下りて行く所が多い。

途中で太ももが少し凝って来た。 今は下りだから少しは楽だろうけど、こちら側から登ったら大変だろうなーと思った。

しかし、今日登ったすがもり小屋からのルートは背丈より高い樹はまったく無いので木陰が全然無く、真夏時の登山は、また別の辛さがある。

それに比べ、雨ヶ池越ルートは直登の大変さはあるけれども、背丈の2〜3倍の樹の生い茂った中を通るので日陰ばかりである。

それに人が非常に少ない事も気に入った。

それでもし今後、真夏に三俣山に登る機会があれば、汗かきで暑さに弱いオジさんとしては、この雨ヶ池越ルートにしようかなーと思ったりした。



高度が下がってくると、石楠花の樹が多く目に付く様になって来た。 そんな所から10分程で草原みたいな所に下りた。

それで、もしこちらから登る場合に何か目印になる様な物がないかなーと思って、二人で辺りをキョロキョロして見るが目印になる様な物は何も見つからなかった。



そして草原みたいな湿原の様な所の踏み跡を辿って歩いていると、向こうからストックだけを持った登山者が二人、空身で歩いて来る。

『アレー?』 と思っていると、相手から 『何処から歩いて来られたんですか?』 と先に尋ねられた。 私が経緯を話す。

その後、その人達が言うには 『自分達は大船山に登り、坊がつる経由で帰る途中に池に立ち寄ったのだが、道が先の方に続いているので

                   何処に行くのだろう?』 と思ってザックを池塘にデポし、道を歩いてきたら私達に出合ったとの事である。

その人達と一緒に池塘に行くと、別に二人の方が三脚を構えて池塘の写真を撮っていた。

この一帯は湿原で色々な花等が咲くので知られているが、私はこの池塘は初めてある。

私は花の写真を撮ろうと思って辺りを見渡すが、枯れ草ばかりで花などは見つける事が出来ず、仕方がないので池塘の写真を撮った。

それが次の写真である。


その人達と一緒に池塘の周りを一周してから、メイン登山道に向かって歩き始めた時に、あの赤い帽子の男性が池塘のむこう岸に現れた。

その男性の存在などスッカリ忘れていた私は、その男性について考えた。

         もしかしてその男性は年増好みで、オバさんに一目惚れして後を付き回すストーカーではないか?、

イヤイヤそうでは無く、実はその男性はオカマで、オジさんに一目      〃      〃     〃      ?等、

おバカな事を一瞬思ったが、直ぐにその男性の存在自体を忘れた。

そう言う事でその男性の姿は今日一日良く見かけたが、結局その男性とはとうとう一言もしゃべらず仕舞いだった。



その後は池で会った4人の方達とは少し一緒に歩いた。 話してみるとその人達は同じ筑後地方の直ぐ隣の市に住む方達だった。

山に付いて色々聞かれたので、その事で知る限りの情報を伝えて別れた。



少し歩くと、かって知ったる馴染みの登山道に出た。

そこにはベンチが有り、年齢がバラエティに富み同会社の方達と思える団体、男女20人程が休んでいた。

挨拶を交わし先に行ったが、その団体とは長者原に着くまでに、お互いが休んでいる時に2度前後した。



長者原へ戻る道を30分?程歩いた所で三脚にカメラを構えている人がいたので、対象物を見てみると楓の紅葉だった。

その人のカメラはカタログでしか見た事のない様なゴツクて大きな本格的な物で、見ただけで高額カメラと分かる物だった。

そしてその人は、絞りとか露出とかシャッタースピードとか、その外にも私が知らない様な事を頭の中で色々考えているのか、

それとも光の当たる角度による微妙な変化を期待して待っているのか、前を向いたまま動かず、中々写す気配がない。

それで私はその横で胸ポケットから小さなデジカメをサッと出し、スッと構え、無造作にパチリと1枚だけ写して、ソッとその場を離れた。

その時、撮ったのが下の写真である。


それからほんの少し行った所に、今日初めて見る紅葉の綺麗な所があった。

この辺一帯は大きな樹木が多く生い茂り、その樹木達に守られたお陰で、度重なる台風からも葉っぱが吹き飛ばされずに済んだものと思われた。

結局、長者原に戻るまでにそこ以上の紅葉は見る事は出来なかった。 今日出合った一番の紅葉風景が次の写真である。


長者原駐車場に着く前に湿原(タデ原)を回遊する木道を歩きながら、後ろを振り返ったら今日登った三俣山が綺麗に見えたので、写したのが次の写真である。

長者原駐車場前のタデ原湿原を回遊する木道
木道から写した三俣山
右から登り左に下りた。 手前の山は指山

長者原の駐車場に着いたのが16時40分で、車にタッチして万歩計を見たら22519だった。

結局、帰りの所要時間は三俣山の南峰から雨ヶ池までが50分、そこから木道入り口までが1時間15分、木道回遊が25分だった。

オバさんが登山届けに、無事下山の記入をしてくる。

久しぶりにハードな山登りをしたので、太ももがかなり凝っていた。 ヘルスセンターの前に足湯があるので、そこで脚の疲れを少し取ろうと思った。

足湯

足湯に行ったら誰もいなかった。

二人でズボンの裾をまくり、足を入れたらもの凄く熱い、3秒位足を入れたら直ぐに出して30秒位してからまた入れる事を何度か繰り返していたら、

皮膚の感覚が麻痺したのか、そんなに熱さを感じなくなってきた。



そんな事をしている内に若い夫婦がやって来た。 私はその夫婦が最初に湯に足を入れた時のリアクションに期待していた。

特に 『婦』 の方に期待していたが、私の期待を裏切り二人とも平気な顔をして湯の中に足を入れたままである。

私は 『エー・・・!?』 と思い、思わず 『熱くないの?、やせ我慢してない??』 と尋ねた。

そうすると 『自分達は熱い湯が好きで、家でもこの位の温度の湯に入っている、この温度は42度位だと思う』 等と笑いながら答える。

そんな事を話している内にも、すぐ横の通路を下山して来た登山者達が次々に通って行き、その中の数人が足湯に立ち寄る。

そして、その人達が最初に足を入れる時、ほとんどの人が 『熱っー!』 と声を上げたりして、身体で何らかの反応を示す。

それを見て先に足湯に入っている人達が笑い、足湯場は和んだ雰囲気になり、会話が弾んできた。



そうしている内に、どこかで見たような顔の御夫婦が私の隣に座ったので良く見ると、登る途中で会話したクラシックカメラの御夫婦だった。

その御夫婦と足湯に浸かりながら会話していると、その後紅葉を求めて色々な所を歩いたが綺麗な所は無く、木道から30分位登った所がベストだったとの事。

その場所を詳しく聞くと、そこは結局私が写真に撮った所で、私はなんだか嬉しくなった。

そんな事で結局、私達は足湯には20分位浸かっていた様に思う。

足の疲れが大分取れたので帰る事にした。

長者原を後にしたのは17時25分、辺りはいつの間にか薄暗くなっていた。

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