山伏(山岳修験者)との出会い   2008年3月


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3月初めに今年最後?の寒波が来た。

寒波が来た日、寝る前に見た天気予報では、夜間に平地でも5〜10cm位の積雪になるかも知れない?と言っていた。

翌朝起きて外を見ると、幸いな事に私が住む所では全く積雪は無かった。

しかし家から見える山々は何処も真っ白に雪化粧をしていた。

私達はその週末には少し遠い所に、冬の花を見物がてらの山歩きを計画していた。



週末になり、インターネットで道路情報を見るとまだ方々の山間道路で積雪や凍結の為に、通行止めやチェーン装着等の規制があった。

それで週末当日は予定を変更して、近くの山 (古処山=860m=福岡県) に登る事にした。



古処山には古処林道の終点(=5合目)にある駐車場から登り、屏山まで縦走する予定だった。

しかし古処林道に入ると、途中から積雪による倒木があった。

最初の方はその倒木をオバさんと二人で除いたり、車が通れるだけの枝を折ったりして進んでいた。

しかし少し進むと次の倒木が現れる状態が続くので、途中で諦めて引き返し、古処山の麓にある 『秋月キャンプ場』 から登る事にした。



 『秋月キャンプ場』 からの登山道では、10分ぐらい登った所から徐々に雪が現れた。

 当地方では古処山は 『オオキツネノカミソリ』 の群生地としても知られている。

 登山道脇でもその 『オオキツネノカミソリ』 の葉が、写真のように雪の間に見られる所が数ヶ所あった。

 登るに従って登山道の積雪も徐々に多くなり、積雪による大小の倒木が何ヶ所も登山道を塞いでいた。

 そんな所では倒木を巻いて通ったが、ぬかるんで滑り易い急斜面の登り下りにかなり苦労した。










 写真は古処山山頂にある大岩から、山頂広場を写したものだが、

 この山頂部の日陰ではまだ20cm位の積雪があった。









 山頂部の地面にはまだ雪が残っていたので、私達は山頂付近の平らな岩の上で昼食を食べる事にした。

 この写真はその岩の上から東方向にある 『屏山〜馬見山』 方面を写したものである。

 その岩の上で昼食の準備をしていると、どの方向から聞こえて来るのか?判らないのだが、

 或る音が一定の間隔を置いてずっと聞こえて来ていた。

 その音は人の声のようにも聞こえる時もあるし、鳥の鳴き声のようにも聞こえる時もあり、

 或る時には人がスピーカーで 『ヤッホー!』 と、叫んでいるようにも聞こえる時もある。

 そしてその音は近付いて来たように思える時もあるし、逆に遠ざかったように聞こえる時もあった。



私達は食事中も食後のコーヒーを飲んでいる時も、その音が聞こえていたので、『何の音かなー?』 と話していた。

そして、『割りと近くから聞こえて来たなー!?』 と思ってから暫らくすると、その音はプッツリと聞こえなくなった。

帰り支度をしながら、『聞こえなくなったねー!、何の音だったのだろうねー?』 等と話していた。

そうすると、それから間もなくして下・左写真のように屏山方向の樹木の下から不意に、写真のような装束を纏った山伏が次々と現れて、私達がいる岩の下を通って行ったのである。

最後の山伏が通って、少ししてから私達は後を追ってみた。

そうすると山伏達は下写真のように、古処山の山頂広場にある祠の前で祈祷と祝詞を始めたのである。

そして祈祷が終わると、その山伏達はその頂上広場で昼食休憩を始めた。

私は数年前に英彦山に出来たスロープカー駅の展示室で、英彦山山伏の修験の様子を紹介する写真展を見た事があったが、実際に山伏を見るのは初めてだった。

それで私はその山伏達の横に腰掛けて、色々と尋ねてみる事にした。

山伏は全部で16名で、私より年配?の男性が一人居られたが、他は以外に若い方達が多かった。

30代位の御夫婦が3組程?で、男女比は男性よりも女性の方が多く、女性の中には独身者が4〜5人?居られるようだった。

そしてその方達は福岡県内の各地に住んであり、普段は夫々の地方で色々な勤務をしています!との事であった。

またこの修行は毎年、春と秋に行われていて、春に行う修行を 『春峰』 と呼び、『英彦山』 を出発して 『宝満山の竃門神社』 までの山道を3日間掛けて歩くそうである。



1日目の昨日は朝6時に 『英彦山』 を出発して 『釈迦ケ岳〜大日ヶ岳〜行者堂〜小石原』 までの 『峰入り古道』 と呼ばれる山道を歩き、

2日目である今朝からは 『小石原』 から入山して 『馬見山〜屏山〜古処山』 と歩いて、今日は秋月の 『不動の滝?』 に泊まるとの事だった。

そして3日目である明朝からは 『夜須高原〜大根地山〜仏頂山〜宝満山〜竃門神社』 と歩く予定で、長い時は1日に12〜13時間ぐらい歩くとの事だった。

『英彦山〜宝満山の竃門神社』 迄の距離を地図で見ると、直線距離で40km位あるので、実際に歩く距離は山道や道路の曲がりくねりやアップダウン等を考慮すると、

その1.5倍位になるのではないか?と思う。


また秋に行う修行は 『秋峰』 と呼び、その時は小倉の 『皿倉山』 から 『英彦山』 までの山道を3日間掛けて歩き通すそうである。

地図を見ると 『秋峰』 の方が距離があるので、今回以上に大変だと思う。

そして 『春峰』 と 『秋峰』 の修行が終わってから、英彦山でお祀りが行われるとの事だった。

尚、 『春峰』 や 『秋峰』 の日程は天気には関係なく、毎年決まった月日に行われるとの事である。



足元を拝見すると、全員がふくらはぎ迄ある長い?地下足袋を履いてあった。

そして今回は積雪の上を歩く事になった為に、縄で作った自作の滑り止めを地下足袋に装着してあった。

地下足袋はゴム底だったが、その他の部分は布地の為に、今回の積雪の上や雪解け道を歩いてすっかり濡れていた。

私はこのような山道を歩くならば、せめて靴だけでも登山靴を履いてはいけないのですか?と尋ねてみた。

そうしたら山伏の装束や持ち物は、頭から爪先まで全部決まっているそうで、登山靴を履く等はとんでもない事で、それでは修行になりません!との返事だった。

そして山伏の装束や持ち物の一つ一つに重要な意味があり、それらは実用的であると同時に其々に神様が宿っている!との事であった。

尚、山伏の装束に付いては下記URLに説明がありましたので、興味のある方はそれを参考にされて下さい。

   URL = http://www.d6.dion.ne.jp/~zenkou/yamabusi/yamabusi.htm



それから 『春峰や秋峰の修行には、私達でも参加できますか?』 と尋ねたところ、『それらには誰でも参加出来る訳ではありません!』 との返事だった。

私はその返事を聞いて、『この山伏の方達は、もしかしたら神社や寺院の従事者やその家族の方達では?』 と、ふと思った。



山伏の方達は簡単な昼食(行動食)を終えると、3〜4人ずつのグループに分かれて、或る場所?に行かれていた。

そして一つのグループが帰って来てから次のグループが出発する事を何度か繰り返されていた。

不思議に思っていた私は最後のグループが出発する時に、『私達も同行出来ませんか?』 と申し出てみた。

私達はそれまでに1時間近く?山伏の方達と話していたので、少し親しくなっていた勢なのか?、リーダーの方から同行のお許しが出て、私達も最後のお二人と一緒に出発した。



 私達は古処山にある幾つもの登山口から、色々な道を通って何度も登り下りしているので殆んどの道は知っていると思っていた。

 しかし山伏の方達が進む道は私達が全く知らない道で、また登山道のような踏み跡がある訳では無かった。

 やっと人一人が通れるような狭い急坂や岩の崖を、木の幹に掴まったり枝にぶら下がったりしながら数百m下りた。

 その場所に着く途中も積雪していたので、私達の前を歩く若い女性の山伏の方は地下足袋の勢なのか?、

 急坂部分で2度も滑って尻餅を付いていた。

 時間にして10分程?下りた所にそれはあった。

 そこには高さが5m位ある大きな岩に、写真のような 『不動明王?』 が浮き彫りされていた。

 『不動明王?』 前の、石のお供え台には酒とお賽銭が供えてあった。

 山伏の方がお賽銭を上げてあったので、私もそれに倣った。

 その後に山伏の祈祷と祝詞が始まったので、私はその間は頭(こうべ)を垂れて手を合わせ、

 お賽銭に見合う、ささやかなお願い事をしていた。(笑)





5分程の祝詞が終わってから山伏の方から、このような所は私達にとってはとても神聖な場所です、多くの人が知ると荒らしたり傷を付けたりする人がいるので、

一般の人には詳細な場所は教えないで欲しい!との要望があった。

このように、私は 『不動明王?』 の前で山伏と約束したので、詳細な場所を皆様方に教える訳にはいかない。

この文章の中でもその点はぼかして書いていますので、皆様方はその意を汲んでその場所を探さないで欲しいと思います。

皆様方には、英彦山周辺の山中にはこのように山伏にとってはとても神聖な場所があると云う事だけを知って頂ければ、と思います。

このように山伏しか知らない神聖な場所は方々の山中にあるとの事で、『春峰』 や 『秋峰』 の道中ではそれらに祈祷しながら修行して行くとの事だった。



外国の多くでは、古来の山は悪魔の住む所として恐れられていたようだが、日本では逆に古来から神様や先祖の霊が住む所として崇められていたようである。

そのような理由により、日本各地では多くの山が信仰の対象になっていたようだ。

私は詳しい事は知らないが、7世紀に実在した 『役小角(役行者)』 が修験道の開祖と云われていて、この方が日本各地の霊山を歩きながら修行を積んだようである。

その後は 『役小角』 の修験道を受け継いだ人達が日本各地の山中で修行をしながら脈々と次世代に受け渡し、現在に至っているようだが、

日本三大修験の山としては、出羽三山(山形県)、熊野三山(和歌山県)、英彦山(福岡県)が挙げられるようである。

尚、既に皆様もご存知のように2004年に熊野三山を巡る 『熊野古道』 が世界文化遺産に登録された。

ですから、英彦山を中心にして周辺の山々を巡る修験の道も、世界遺産に登録される可能性が有るのかも知れない?



古処山からは山伏の方達と一緒に下山し始めたが、少し歩いた所で 『お先をどうぞ!』 とのお言葉に甘えて、私達が山伏の方達を先導するような形になった。

山伏の方達は私達の100mぐらい後方を歩いて来られたが、少し下りた所から 『六根清浄』 の言葉を唱え始められた。

その言葉の唱え方は、まず先頭の男性の方が一人で 『六根清浄』 と唱え、それに続いて後方の方達が声を合わせて 『六根清浄』 と唱えるのである。

その言葉の発音は聞こえた通りに平仮名で書いてみると 『ろっ〜〜こ〜ん しょ〜じょ〜〜』 である。

文字ではその発音の微妙なアクセントやメロディまでは表現出来ないが、そのメロディとハーモニーは聴いていて何とも言えないほど心地良かった。

皆で唱える時は、男性が発する低音域から中音域の音声、そして女性が発する中音域から高音域の音声がハーモニーして、凄く綺麗な音に成るのである。

そして全員がピタリと息の合った発声によるハーモニーの綺麗さは、まるで超一流の合唱団の歌声を聴いているようであった。


この日は快晴で風が全く無く、山の中はとても静かだった。

そして下写真のように山中にも積雪していたので、空気はかなり冷たかった。

そんな静かで凛とした山中の空間を、まず先頭の男性一人がバリトンで唱える 『ろっ〜〜こ〜ん しょ〜じょ〜〜』 の音声が響き渡り、

その後、一瞬の間が空いてから、皆で唱える 『ろっ〜〜こ〜ん しょ〜じょ〜〜』 の合唱が響き渡るのである。

そして少しの間を置いてから、また男性一人の声から始まるのである。

その後もずっと同じ間合いによる単調なメロディの繰り返しであるが、しかしその音声を聞いていると本当に心地良いのである。

特に皆で合唱する声が何とも言えぬハーモニーで、本当に綺麗な音声であった。

私はこのままずっとこの心地良い音声を聞いていたい!と思っていたので、時々後ろを振り返り、一定の距離を保ちながら下りて行った。

そのようにして30分近く?下りていたが、途中で音声が聞こえなくなったので、休憩されたのだろうと思い、私達は山伏の方達と別れて下山した。



私達が古処山山頂での昼食の前後に、不思議な音を1時間近く?聞いたのは、この山伏の方達が唱える音声だったのである。

その音声が時々異なった音に聞こえたり、近くなったり遠くなったりしたのは、こだまやアップダウンや山陰等の影響ではないか?と思う。



尚、歩いている時に唱えてある 『六根清浄』 はどう云う意味なのですか?と、山頂にいた時に山伏の方にお尋ねしたところ、

六根とは、目・耳・鼻・口(舌)・身・意(心)で、『六根清浄』 を唱える事により、六根が清らかになります!との事だった。

『六根清浄』 に付いては、Wikipediaの下記URLに簡単で解り易い説明がありましたので、興味のある方はそれを参考にされて下さい。

    URL = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%A0%B9%E6%B8%85%E6%B5%84



最後に、私の六根は元々から綺麗であったが、今回は山伏の方達が唱える 『六根清浄』 の綺麗なハーモニーを長時間に渡って聞いたので、

私の六根は益々清らかになったと思います。(笑)

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