2007年4月11日(水曜日) 曇り
私は子供が幼稚園に入園する時から高校を卒業するまで、入学式とか卒業式に出席した事は1度も無い。
それらの式典には何時もオバさんが出席していた。
私はそのような堅苦しい式典は、私自身が子供の時から嫌いだった。
子供の幼稚園入園から高校卒業までの学校行事で私が参加した事が有るのは、幼稚園時代の父親参観日と学芸会に渋々出席した記憶しかない。
しかし運動会だけには幼稚園から中学まで、私は毎年楽しみに出掛けていた。
子供は小学1年生から中学3年生まで、運動会ではいつも応援団に入っていた。(残念ながら進学した高校には応援団が無かった)
そして小・中学校の最上級生時には応援団長(総団長も兼務)をしていたので、その応援団長振りや応援合戦等を楽しみに見に行っていたのである。
その子供が今年の3月に高校を卒業して、この4月から東京の大学に進学する事になった。
その関係で、ここ数ヶ月間は受験勉強やプレテスト、そしてセンター試験や本試験等で何かと気忙しく、私達は山にもあまり行かなかった。
行くとしても直ぐ近くの山にしか行けなかった。
それで私は子供の受験が終わったら少し遠出しようと思っていた。
子供の受験は1本勝負で、合格しなければ浪人覚悟だった。
私達は子供のその覚悟を十分知っているので、何とかその希望を叶えさせてやりたい!と思っていた。
それで私達も最近は気が気ではなかったのである。
話は変わるが、私達は全くの無宗教派である。
しかし、子供の受験が近くなった今年の正月からは神社の前を通り掛かると 『神様、どうぞよろしくお願いします!』 と拝み、
お寺では 『お釈迦様、お頼みします!』 と手を合わせ、教会の前を通る時は
『マリア様、キリスト様、どちら様もよろしく!』 と十字を切っていた。
そして道路脇や山道等でお地蔵様を見掛けた時でさえも頭を下げていた。
しかしイスラム教寺院は少ないので今回はその前を通る機会が無かったのだが、
もしその前を通っていれば、正座をして両腕を伸ばしたままひれ伏して 『アラーの神様』 にもお願いしていたと思う。(笑)
東京での本試験が終わると今度は発表が気になって、私達は何時ものように気軽な山歩きが出来なかった。
そして、『歓喜と安堵と祝福』 の合格発表日が過ぎると、今度は諸々の入学手続きとか色々な買い物等、入学準備で何かと気忙しくなった。
しかしその気忙しさも3月31日に子供が上京して、やっと私達は一息ついた気分になった。
気分的には一息ついたのであるが、子供が居なくなると今度は少し寂しくなった。
私はそんな事は無いが、子離れの出来ていないオバさんは数日すると子供に無性に会いたいようだった。(子供が上京後は毎日、電話やメールをしてるくせに!)
子供が上京して暫らく経つと私は、子供の入学式なるものに1度位は出席してみようかなー!と云う気になり始めた。
そして入学式に出席してオバさんを子供に会わせ、そして当夜は3人で入学祝いをしよう!と思ったのである。
しかし、それだけの事で東京に行くのは勿体ないので、ついでに関東の山に登ろう!と思った。(私はこちらの方のウエイトが大きかったかも知れない・・・笑)
それで私達は急いで図書館や書店やインターネット等で関東の山の事を調べ始めた。
そして都心から近くて4月の時期に私達でも登れそうな山を探し出した。
登る山が決定したので急遽キップやホテル等の予約をする事にした。
幸いな事にこの時期は旅行する人が少ないのか?、私達が希望するようなキップとホテルが簡単に予約できた。
東京での山歩きでは山小屋泊まりを予定していたので、今回は中サイズのザックを選択し、その中には山道具や非常食等を満タンに詰め込んだ。
そして上京当日はその満タンのザックを背負い、服装や靴も完全な登山スタイルになり、手にはスーツやネクタイや革靴等を入れたキャリーバッグを持ったのである。
オバさんは飛行機が余り好きではない。
事故が有ったら絶対に助からない!と言っている。
そして、事故に遭って二人とも死んだら子供が可哀相だ!と言う。
そう云う事で、オバさんの強い要望により入学式の前日から新幹線で行く事になった。
オバさんと一緒に上京するのは久し振りである。
当日は東京に着いてからも別に用事は無いので、私達は弁当・お菓子・つまみ・缶ビールを十二分に用意して新幹線に乗った。
私は新幹線の中では九州を離れる頃から、景色を眺めながら缶ビールを飲み始めた。(このような事が出来るのは新幹線ならである♪)
スッカリ観光旅行気分の私は缶ビールでほろ酔い気分になり、そして弁当を食べ終わると今度は満腹になって眠たくなった。
それでオバさんに 『富士山が見え始めたら起こして!』 と言って、岡山市辺り?で眠ったようである。
しかし何故か?私は1時間ほど眠ると、オバさんに起こされる事なく自分で目覚めた。(エライ!・・・しかし、少し興奮していたのかも知れない?)
目覚めてからは外の景色を眺めながら、お菓子等を食べたりしてオバさんと話をしていた。
しかし当日は曇り空だったので、静岡を過ぎてからも残念な事に富士山の姿を見る事は出来なかった。
オバさんは新幹線に乗ってからは何度も子供とメールのやり取りをしていた。
東京駅に付くと私達は飯田橋にある、予約したホテルに直行した。
子供との待ち合わせ時間にはまだ大分時間が有ったので、ホテルの部屋に荷物を置き、靴だけを履き替えてから
子供が学ぶ事になる(実際は3年生から ・・・ 1、2年生時は別の場所)大学を見学に行った。
現在新入生はオリエンテーション中で、子供は今日も別の場所にあるキャンパスに行っているとの事だった。
キャンパスは思っていた以上に広く、とても全部を見て回る事は出来なかったが大体の主要場所は見て回った。
キャンパスを見て回っている時に小さな雨が降って来たので、私達は準備して来た傘を差して歩いたが、その雨は直ぐに止んだ。
そうしている内に子供との待ち合わせ時間が近くなったので、私達は飯田橋駅に戻った。
子供は改札口を出た所の柱に身をもたげて片足をからませ、友達にメールをすると云った少し格好を付けたスタイルで待っていた。
わずか10日ぶりに見る子供であったが、少し東京人ぽく、そして少しだけ大人びて見えた。
子供は私達がザックを背負った登山スタイルで来るならば、恥ずかしいので絶対に一緒に歩かない!と言っていた。(馬鹿者めが!)
それで私達はザック等の荷物をホテルに置き、靴も履き替えていたのである。
3人でホテルに戻り子供に明日の予定を訊くと、入学式が終わるとその夜はクラス全員による 『入学式打ち上げコンパ』 が有るとの事で、
今晩しか一緒出来ない!との事だった。
それならば!と、私達は1日早いが今晩のうちに子供の 『入学祝い』 をする事にした。
それで3人とも風呂に入り、着替えてから飲みに行く事にした。
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ホテル内にバーがある事は知っていたが、そんな高級な所は私達には似合わないし、又そんな所は慣れていない勢もあり、どうも窮屈に感じて何となく居心地が悪い。
私達には気軽に飲める大衆向きの所が似合っている。
しかしこのホテルの近くの何処に、そのような飲み屋があるのか?知らないので、
私はフロント係りの女性に 『この近くで、貴女が個人的に飲みに行っている居酒屋か炉端焼き屋があれば教えて欲しい!』 と尋ねに行った。
フロント係りのその若い女性は 『直ぐ近くの大きなビルの3階にとても雰囲気の良い居酒屋さんがあり、私もその店には時々飲みに行きます!』 と気さくに教えてくれた。
早速その居酒屋さんに行った。
その居酒屋さんはかなり広くて大小の部屋が沢山あり、その各部屋は格子枠で仕切られているだけなので全体を見渡せるが、
格子の中にはガラスが入っているらしく隣の部屋の音は全く聞こえなかった。
私達の直ぐ横の大部屋は、或る会社の新入社員の歓迎会らしく?、40〜50人程の人達が次々にマイクの前に立ち自己紹介をしていたが、
その声は私達には全く聞こえなかった。
私達は生ビールと其々自分の好きなツマミを頼んだ。 そして3人で生ビールのグラスを合わせて乾杯した。
最高に美味しく感じた。
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飲みながら、子供に大学の事などを訊いた。
子供のクラスは33人(内、女子2人、留学生1人)で、その中には学部にトップ合格?した凄く成績優秀な者や、ひょうきんで愉快な者等もいて、
バラエティに富み凄く楽しい!と言っていた。(ホッ!)
またクラスでは既に何回もの 『懇親コンパ』 を開いていて、中には山梨県の富士急ハイランドに1泊してのコンパも有ったとの事だった。
その1泊した時に子供は大酒を飲んで酔っ払ってしまい、クラス全員からしっかり顔と名前を覚えられた!との事だった。(どうしようもないバカ息子である!)
それから息子は上京してまだ10日しか経たないと云うのに、もう10回以上のコンパに出席したと言っていた。
中には1日で2〜3のコンパが有る日もあり、息子はそれらのコンパにハシゴで顔を出していたらしい。(重ね重ねバカ息子である!)
私達は息子が上京する前に 『もしかしたらコンパで飲まされるかも知れないが毎年急性アルコール中毒者が出て、中には死亡事故もある!』 と十分に注意していた。
しかし 『カエルの子はカエル』 で、どうやら息子は親の酒好きを受け継いだ様である。(私も息子と同年齢の頃を思い出せば、そんなに説教は出来ないのだが!・・・笑)
居酒屋からホテルに帰っていると焼き鳥屋があり、息子が焼き鳥を食べたい!と言うので、その店に入った。
そしてその店の座敷に上がり、私達は今日2回目の 『入学祝いの乾杯』 をした。
私達はこんな風にして息子と飲むのは、自宅での 『合格祝い』、『歓送会』 に続いて3度目だった。
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話は変わるが、私は今は亡き河島英五さんがあの野太い声で唄う 『野風増=のふうぞ』
の歌が好きである。
曲も好きだが、私は特にその歌詞が好きである。
歌詞にある様に飲酒は成人してからであるが、今回はそれより2年早く実現した。(法務大臣様、おまわりさん、今回はお祝いですのでここは一つお目こぼしを!・・・笑)
多くの男親は男の子が生まれたら、その歌詞のように子供が大きくなったら一緒に飲みたい!と、思っているのではないか?と思う。
私も息子が生まれた時からそう思って楽しみにしていた。
それがこうやって祝宴として実現した事が私は凄く嬉しかった。
息子と向かい合って飲んでいる内に、私は息子が生まれた時の事やまだ幼い頃からの事を思い出すと、胸にグッ!と込み上げる物を感じた。
それで私は急いで残っていたビールをグーッと飲み干し、追加のビール等を大きな声で頼んだのだった。
呑み助一家の3人は焼き鳥屋でもしこたま飲んで食べ、3人ともかなりご機嫌でホテルに帰ったが、何時だったのか?私は憶えていない。
私達は子供が小学6年生までは1つの布団の中に 『川の字』 になって寝ていて、そして風呂にも私やオバさんと一緒に入っていた。
結局上京1日目(11日)の夜はそう云う事で、3人ともかなり酔っ払ったまま?6年ぶりに一つの部屋で寝た。
私はベッドに入ったら直ぐ爆睡したようだった。
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2007年4月12日(木曜日) 晴れ
翌朝、呑んだくれ一家3人は予定時間より少し遅く目覚めた。
私は少しだけアルコールが残っていたが、二日酔いと云う程ではなかった。
そして3人とも朝風呂に入り、スーツ等に着替えた。
息子は今日の入学式に着る為のスーツ等一式を合格後に新調していた。
私は息子のスーツ姿を初めて見たのだが、親の目から見ても中々格好良かった。(親バカです!)
ネクタイの結び方は上京前に一度教えていたのだが、忘れた!と言うのでネクタイは私が結んであげた。
オバさんは今朝は食欲が無いと言うので、息子と二人でホテルのレストランに朝食を食べに行った。
朝食を食べながら息子と色々な話をしていると、コンパ等で小遣いが乏しくなった!と神妙な顔で言うので、可哀相に思った私はオバさんに内緒で少し小遣いをあげた。
小遣いを渡す時に、もしかしたら息子はオバさんと二人だけの時もそのような事を言って、オバさんからもコッソリ小遣いを貰っているかも知れないなー?と思ったが、
親子だからマーいいや!と思って何も訊きはしなかった。(言われる前に・・・親バカです!)
ホテルから入学式の会場である 『日本武道館』 までは歩いても15分程度と聞いていたので、私達はゆっくり歩いて行く積もりでいた。
しかし今朝が予定よりも遅く起きたせいもあるが、何やかやの準備で歩いては間に合いそうもない時間になったので、フロントに頼んでタクシーを呼んで貰った。
『日本武道館』 には入場制限時間の10分程前に着いたが、まだ大勢の父兄がその建物の前で新入生と一緒に記念撮影をしていた。
私達も息子と一緒に記念撮影をした。
それから 『日本武道館』 の入場口近くにはテント場があって、そこには大勢の人達が集まっていた。
そこでは大学生協が写真のような物を販売していたのだが、私はそこで販売している物を覘いて思わず笑った。
そこには 『本日の日付け、大学名入りで限定販売』 と銘打ち、お祝い返し、恩師への御礼、ご報告等に
ご利用下さい!とあった。
そして 『御入学記念品』 として、入学せんべい、合格饅頭、お祝いケーキ、○○大学クッキー、図書カード、
テレホンカード、文房具等を販売していた。
私は大学生協も商魂たくましいなー!と感心した。
私達は荷物になるので何も買わなかったが、中にはそれらを大量に購入して幾つも紙バッグを持っている人もいた。
そこを覘いた後に息子と別れ、私達は入場券を渡してから係員に案内されて父兄入場口から武道館の中に入ったが、私は中に入って驚いた。
写真のように内部は既に新入生とその父兄で一杯だったのである。
尚、写真の1階全部と2階正面が新入生の席で、2階の両サイドと3階以上が父兄の席になっていた。
今年の入学生は3150人(内、女子585人)だそうである。
父兄席を見渡すと、私達のように夫婦で出席されているところが多く、
中には祖父母連れや家族全員で出席されているところも見受けられた。
その他には大学関係者やテレビ局や新聞社等の報道陣も多かったので、
この建物の中には1万人近い人が入っていたのではなかろうか?
入学式は定刻の10時20分に始まった。
大学の管弦楽団による演奏が始まり、その演奏をバックにして写真のように総長や教養学部長を先頭に
教授陣が入場された。
そして壇上に上がったその40〜50人?の教授一人一人の紹介があった。
その後、現役とOBとの合同合唱隊による校歌斉唱があった。
そしてその後に総長と教養学部長の式辞があったが、その要旨は
『本大学は世界の知の頂点を目指している、教授陣も其々の分野で超一流の方々ばかりであり一緒に研究して
行こうではないか!、また本大学は色々な分野で其々が世界のトップランナーに成る事を目指しているので、
諸君を共に研究するアクションプラン遂行の一員として暖かく向かえ入れる!』、
又、『昔、ガリレオやニュートンはその当時の常識を覆した、諸君も現在の常識を疑う確かな力を付けて欲しい!』 、
『異分野で同世代の友人も多く作って欲しい!』 又、『目先の事だけでは無く、20年〜30年後の自分を見据えて
知識を獲得する為の知識を身に付けて欲しい!』 等と言われたように思う。
私は 『息子がそうなるように、息子自身が今まで以上に勉学に励み、また大学でも導いて欲しい!』
と、切に願った。
総長と教養学部長に続いて、3人目の方の祝辞があった。 私はこの方の祝辞に深い感銘を受けた。
この方は現在、準教授なので壇上には居ず、壇上横の扉から女性に手を引かれて壇上に登場された。
何と!、この方は小学3年生の時に全盲になり、その数年後には今度は耳が全く聞こえ無くなったとの事だった。
それでも指点字?で勉強し、そのような境遇の日本人では初めて大学〜大学院で学ばれたの事である。
そして現在はバリアフリーの最先端研究をされているそうである。
その方は今までの自分の経歴等を話された後に、新入生に対しては 『夢を持って挑戦しなさい!』、
又、『困難に向かって挑戦する心構え』 等を話して頂いた。
尚、この方は自分が喋る声も全く聞こえない為、時々かん高い声になったり、抑揚が私達とは異なる部分が何回もあった。
しかしそんな事には全く関係なく、会場に居る全聴衆は熱心に聴き入った。
そしてその方の祝辞が終了して、再び女性から手を引かれて壇上から降りられ、そして扉でその姿が見えなくなったその後も、
暫らくの間はこの会場にいる全員の拍手が鳴り止む事は無かった。
あかし
私はその事を、会場に居る全聴衆がこの方の祝辞に深い感銘を受けた証であると感じていた。
続いて写真のように応援部から 『新入生に対するエール』 が送られた。
マイク無しだが、応援団長の凛とした声によるエールは広い会場の隅々まで良く響き渡り、私はとても清々しく感じた。
その後に会場に居る全員が起立して、合同合唱隊と共に校歌を歌った。
私も入場する時に貰った紙バッグの中の楽譜を見ながら一緒に歌った。
そして最後に会場内全員による万雷の拍手の中を、写真のように壇上の方々が退場された。
こうして今年が大学創立130周年の当日に当たる、平成19年度の入学式は厳粛な雰囲気の中に滞りなく終了した。
私は出席して本当に良かった!と思った。
終了した時間は12時5分位だったので、約1時間45分の所要時間であった。
入学式が終了し、学生と父兄が一斉に外に出ると 『日本武道館』 の周りは、下写真のように大変な混雑ぶりになった。
そして建物前の駐車場には大学を見学に行く大型の無料バスが10台ほど待機していて、見学を希望する父兄等を乗せて次々に発車して行った。
しかし私達は昨日の内に大学内を見学していたので、そのバスに乗る事はしなかった。
私達は外で息子が出て来るのを待っていたが、中々現れないので携帯で連絡を取ろうとしたが、ほとんどの人がそうやって連絡をとっている為なのか?
この周辺では電波障害が発生?しているようで、中々息子の携帯と繋がらなかった。
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息子と出会えたのは式が終了して約30分後だった。
息子はここに来るのに何でそんなに時間が掛かったのか?、その時は何も言わなかったがその理由は後から分かった。
私達は息子と出会った後に再度、『日本武道館』 の前で記念撮影をしてから歩いて帰る事にした。
近くの地下鉄の駅までは歩く人達が大変多かったが、私達は飯田橋までゆっくりと歩いて行く積もりだった。
入学式に出席した人達は入場する時に貰った紙バッグを提げているので、お互いに新入生とその父兄だと直ぐ分かった。
その方達は道路沿いにあるレストランや食堂や喫茶店に次々に入っていた。
昼食時と重なっていたので、どの店も大変混雑していた。
それで私達はゆっくり歩いて30分位の所にあるレストランに入ったのだが、しかしその店でも同じ紙バッグを持った家族を2組見掛けた。
昨日の項にも書いたが、息子は今晩はクラス全員による 『入学式打ち上げコンパ』
が有るとの事だった。
しかし、その集合時間である6時半までは私達と付き合っても良い!との事だった。(大変有り難い事です!・・・笑)
食事した後も3人で当ても無く、目に付いたお店を冷やかしながら歩いていると、何と!神楽坂に出てしまった。
神楽坂には色々なお店があって、かなりの人出で賑わっていた。 私達はそこでも色んなお店を冷やかして歩いた。
その途中で、少し休もう!と云う事で喫茶店に入り、今日の入学式の事に付いても話した。
そうしたら息子は入学式が終わって建物から出て来た時に、待ち構えていたテレビ局の2社から立て続けに色々なインタビューを受けたそうである。
そう云う事で入学式が終わってから30分近くも息子が来なかった訳が、その時初めて分かった。
そのテレビ局は息子の前後にも数人の新入生にインタビューしていたと云う事だった。
私達は当日も翌日もテレビを見なかったので、息子がインタビューに答えている様子が放映されたかどうかは知らない。
しかし、もしそれが放映されていたら、インタビューに答えている何人もの新入生の中で、スタイルや服装等が1番格好が良くて、木村拓哉に良く似たハンサムボーイが
うちの息子です。(この部分は特に親バカ!だと云う事は、自分でも良く分かっておりますです。ハイ!・・・爆)
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私達は明日から2日間(13日〜14日)と山に行く予定なので、山から下りて来た14日(土曜)の夕方に又一緒しようか?と息子に尋ねたところ、
その夜は絶対に欠席できない 『新歓コンパ』 が有るとの事だった。
それで15日(日曜)の朝からの再会を約束した。
喫茶店を出た後も色々な事を話しながらその付近をブラブラ!と歩き、色々なお店を冷やかした。
そんな事をしている内に、今晩渋谷であるクラスメイトとの 『入学式打ち上げコンパ』 の集合場所に出向く時間になったので、息子とは飯田橋駅で別れた。
私は入学式の夜にまでコンパをしなくても良さそうなものを!・・・と、思っていた。
入学式の会場を見ても分かる様に、殆んどの新入生の親は上京しているので、どこの親も 『当夜は子供と一緒に祝いたい!』 との心境に違いないと思っていたからである。
『親の心、子知らず!』 である。(怒 & 涙)
息子と別れた後、私達は飯田橋駅の駅員さんに明日の電車の時刻を訊きに行った。
明日、奥多摩駅から奥多摩湖に行くバスの時間だけは事前にインターネットで調べていた。
それによると、奥多摩駅発8時4分が最適だった。
それで、そのバスに間に合うように奥多摩駅に着くには飯田橋を何時の電車に乗れば良いか?、を逆算で調べて貰ったのである。
駅員さんは時刻表を見ながら調べて、乗り換え駅等を親切に教えてくれた。(感謝!)
それによると飯田橋を5時少し過ぎの電車に乗り、立川駅で6時10分発の青梅線に乗り換えて下さい!との事だった。
しかしその時間帯には、まだ快速電車は走っていないので全て各駅停車になり、奥多摩駅に着くまでの所要時間は約2時間半になると云う事も分かった。
そしてその後に奥多摩駅発8時4分のバスに乗らなくてはいけないので、登山口の 『峰谷』 に着く迄、飯田橋を出発してから約3時間半も掛かる様だった。(フ〜ッ!)
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ホテルに帰り、フロントに天気予報を調べて貰うと、13日は晴れ後曇りで、14日は曇りでもしかしたら午後から小雨が降るかも知れない?との事だった。
その天気予報ならば!と、私達は予定通りに明日からの山歩きを決行する事にした。
私達は山での非常食は九州で既に準備していたが、山中で食べる13日の 『朝食、昼食、夕食』
と、14日の 『朝食、昼食』 の、合計5食分は何も用意していなかった。
それで近くのスーパーマーケットを訊き、そこに買い出しに出掛けた。
そして、稲荷寿司と巻き寿司の弁当、おにぎり、ちまき、酒饅頭、パン等を5食分買い込んだ。
スーパーマーケットの帰りに夕食を済ませてからからホテルに戻り、部屋で全部の荷物を広げ、ホテルに預けて置く物とザックに入れて持って行く物とに整理した。
それが済んでから風呂に入り、風呂上りにスーパーマーケットで買って来ていた缶ビールをキューッ!と飲んだ。
そして明朝は4時に起きよう!と云う事で、携帯電話の目覚ましを4時にセットし、二人とも9時頃にはベッドに入った。
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この後の、4月13日〜14日は 『奥多摩三山縦走』 に続きます。
そして 『奥多摩三山縦走』 の後に、下の4月15日となります。
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2007年4月15日(日曜日) 曇り 微風
今朝は二人とも6時前に起きた。 荷物の整理等は昨夜の内にしていたので、洗顔して着替えるとする事は何も無かった。
それでザックを背負い、キャリーバッグを転がしながら、6時少し過ぎにはホテルを後にした。
しかしこのようにザックを背負った格好で、いつまでも街中を歩いたり乗り物に乗る訳にはいかない。
それでザックとキャリーバッグを東京駅のコインロッカーに預ける事にした。
コインロッカーに荷物を入れ、身軽になった私達は近くの喫茶店で朝食を食べた。
そして息子に連絡を入れてみると、まだ寝ているとの事で、東京駅に出て来れるのは11時頃になる!との事だった。
私は息子と早く合流出来れば、はとバスに乗って都内の簡単観光をしようかなー!と思っていた。
しかし息子は中途半端な時間にしか出て来れないようなので、私達はその時間まで時間潰しをする破目になってしまった。
オバさんと如何しようか?と話し合っていると、何とはなしに浅草に行ってみようか?と云う事になった。
早速、電車と地下鉄を乗り継いで浅草に行ったが、写真の雷門に着いた時間はまだ8時少し前で
観光客も少なく土産物店もまだ開いていなかった。
これが浅草寺の本堂だが、写真のように参拝する人はまだまばらだった。
私達も本堂に入って参拝したが、参拝する所の横では写真のようにテレビカメラを構えた
外国人ばかりのスタッフが4〜5人待機していた。
そして私達が参拝しているとライトを照らし始めたので、もしかしたら私達を撮影したのかも知れない。
しかしその映像は外国のテレビでしか放送されないと思うので、大変残念である。(笑)
この写真は境内をブラブラしている時に写した物だが、左の建物が五重の塔で右の建物が本堂である。
その後、浅草の街をウロウロしていると、写真のようにビルの上に金色で異様な形をした物が目に付いた。
金色で巨大な 『ウ○コ』 のような形をした物を見ながら、あれは何だろう?とオバさんと話していた。
それで私が写真に写っている自転車の方にお尋ねしたところ、
『あれはAビールの広告物で、ビールの泡を表しているそうです!』 との返事が返って来た。
それを聞いて私達は、『ビールと一緒ならそう見えるかも知れないけど、あれだけではとても泡には見えないねー!』
とか、『どう見たって巨大なウ○コだねー!』 とか、『やっぱり東京人の感覚は少しズレてるねー!』
とか、
『悪い空気を吸い過ぎてるからねー!』 等と言いながら笑って歩いていた。(笑)
その後も息子と連絡を取りながらウロウロし、私達が東京駅に戻ったのは11時近くだった。
しかし息子はもう少し遅れるとの事だったので、私達は30分近く東京駅の中のお土産店等を冷やかして回った。
結局、息子と出会えたのは11時半頃だった。 息子は少し青白い顔色をして現れた。
尋ねると、昨夜の 『新歓コンパ』 で酔って吐いたらしく、まだ少し吐き気がする!と言っていた。
私はそんなに成るまで、飲ませる方も飲ませる方だが飲む方も飲む方だ!と言って少し叱った。
しかし私も同年齢の時にはそのような経験が何度も有るので、そんなに強くは言えなかった。(苦笑)
呑み助はそんな事を何回も繰り返して強くなっていくのである。(笑)
息子に何処か行きたい所があるか?と尋ねると、東京タワーに登ってみたい!と言う。
息子は家に居た時にテレビドラマの 『東京タワー』 を毎週欠かさず見ていたので、私はその影響だろう!と思った。
地下鉄で最寄りの駅まで行き、東京タワーへ歩いていると、道路横の境内で大勢の人達が写真のように
法被を着て御神輿を担ぎ、ワッショイ!ワッショイ!と境内を練り歩いていた。
法被を着た人に尋ねると、今日は年に1度の大祭です!との事だった。
その境内を歩いていると、写真のように赤い頭巾を被り風車を持ったお地蔵さんが沢山あった。
東京タワーは沢山の人達で賑わっていた。
入場券を買うのに並び、そしてエレベーターに乗るにも行列だったので、展望台に上がるまで20分位?掛かった。
外国人の団体観光客も多かった。
東京タワーに登るのは、オバさんは2回目で私は3回目だった。
私は久し振りに東京タワーの展望台から東京の街を見て、高層ビルが凄く多くなっているので少し驚いた。
下写真は展望台から写した東京の景色である。
この写真は1階下の展望台にある、下が透けて見える所で写した物である。
息子は展望台にある土産物店を見ていたが、記念に東京タワーの置物が欲しい!と言うので買ってあげた。
背丈は見上げるほど高い(身長=178cm)が、まだまだ可愛いところが残っている。(笑)
東京タワーを見物してから、また東京駅に戻った。
もう2時を過ぎていたが、私達は東京駅の近くで遅い昼食を食べた。
昼食後は喫茶店に入り、色々な話をした。
その中で息子が、今週は毎日コンパが有ると言うので、
『コンパには皆勤しなくて良いので、授業に皆勤するように!』 、そして
『本末転倒の事をしてはいけない!、自分が学生である事の本分を忘れないように!』
等と、私は小言を言った。
息子は、『ウン!ウン!、分かってる!』 と言っていたが、恐らく馬耳東風だと思う。(苦笑)
東京を離れる時間が近くなったので、私達は東京駅に戻りコインロッカーからザック等の荷物を取り出しに行った。
その中に山で食べなかった非常食(レトルトご飯、ミニカップのラーメンやうどん、餅、乾燥果実や木の実、カロリーメイト等)がそっくり残っていたので、
『夜中にお腹が空いた時にでも食べるように!』 と言って息子に全部あげた。
それから私達は新幹線の中で食べる弁当を購入したが、その時息子は何故か?オバさんからおにぎりを4個も買って貰っていた。
そして私には理解不能だったが、オバさんは息子に何かお菓子を買ってあげるけど何がイイ?と聞いていた。
そうしたら息子もまた不思議な事に、九州のお菓子である 『ひよこサブレ』 を買って貰っていた。
息子とは東京駅の構内で別れる事にした。
『身体に気を付けて勉強に頑張るように!』 と言ってから別れた。
私達はその場で息子が構内を歩いて行くのを見ていた。
息子は物凄い人混みの中を歩いて行きながら途中で2度振り返り、そして階段に消えた。
私は缶ビールとツマミを買ってから博多行きの最終便に乗った。
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