家族登山とその推移     2004年11月

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ごましお夫婦は子供が小学生になった頃から子供と一緒に山登りを再開しました。

しかし、最初は山登りが主ではなく、山の麓でキャンプしながら暇つぶしにその山に登っていました。

そんな事をしている内に性に合っていたのか段々と山登りにハマッテ行き、ある日オバさんが 『写真が綺麗だから!』 と言って買ってきた、

山と渓谷社発行の 『九州百名山』 の本が決め手でした。

その本に紹介されている近くの山の麓でキャンプしながらその山に登っている内に、

     1. 子供にもっと自然に親しんでほしい。

     2. 体力や忍耐力を付けてほしい。

     3. 何か一つだけでもクラスや学年や学校で1番になるものが有って、自信を付けてやりたい。

そんな思いから 『九州百名山』 を全部登る気になって行きました。

そうして登っている内に、周りの人達から 『親に付いて来るのは小学生の内だけだよー』 とのアドバイスを受けていましたので、

子供が時間的に余裕のある小学生の内に 『九州百名山』 を登ってしまう計画を立てました。


それで日曜・祭日は比較的近くの山の麓で前の夜からキャンプし、翌日の早朝から山に登り、夕方までには家に帰っていました。

春休み・夏休み・冬休み等は、長い時には1週間〜10日間ぐらい連続して遠征し、キャンプをしながらその地域の山を効率よく登っていました。

しかし、一時は効率よく登りすぎて一日に3つも4つもの山に登って、山登りを楽しむのでは無く、数を稼ぐだけの時期もあり、今は反省しています。

ですから、子供の夏休み時に出る自由課題の提出物はその殆んどが山関連でした。

例えば、山の麓から各合目毎に日陰の温度変化を測っていったり、標高で植物 (木、花、草) の分布がどう変化するか、

登った山の地域やその県の状況や特徴、世界遺産について等、学年に相応しいテーマを探しては一緒に (ほとんど親が・・・笑)

ふすま一枚位の大きさの紙にまとめて書いて提出していました。



登下山中には学校で習った事とか出来事、先生の事とか友達や遊びの事、テレビやゲーム等の事を話しながら登っていました。

又、山中には殆んど人がいませんので、私達も子供が学校で習っている歌やテレビアニメ等の歌を大きな声で歌ったりして童心に帰り、楽しみながら登っていました。



夜のテントの中ではトランプ、将棋、ゲーム、サイコロ、20の扉等をして何時も何かを話していました。

その頃に、山中のテントから見た 『ヘールポップ彗星』 や 『百武彗星』 の美しさは、各自今でもまだ脳裏に焼き付いているようです。

某メーカーのキャッチコピーではありませんが、『物より思い出』 の部分もあるなーと思ったりします。

そんな状況が小学生の時から約8年間続き、お互いの性格等も良く分かっていましたので、反抗期もそう心配する事はありませんでした。

そして今でも友達のような親子の関係はあまり変わらず、大概の事は気軽に話しています。


それから周りの人達からのアドバイス通りに小学校の高学年になると、親と一緒に山に行くより友達と遊ぶ方を選び始め、山行を渋り始めました。

そしてその頃になると、キャンプ中にサッカーや野球の相手 (オジさんが投げ、オバさんは玉拾い専門、子供は打つだけ) を

するのも大変に思っていましたし、子供からは他にも何かして遊ぼうとせがまれていました。

その時は子供の友達を一緒に山に連れて行く作戦を取りました。

そうしたら2つの問題とも一挙に解決しました。



私達家族が山登りに良く行っている事は子供の日記や作文、自由課題の提出物等を通じてクラス全員が知っていましたし、そのご両親方にも周知されていました。

学習参観やPTAの時等に 『自分達は子供を山登りに連れて行く事が出来ないので、良かったら自分の子供も一緒に山に連れて行って欲しい』 旨、

母親同士の会話の中で以前より数人の方から依頼があっていました。

その友達はほとんど山に登っていませんでしたので、声を掛けると面白がり喜んでキャンプや山行にも付いて来てくれました。

それに釣られて子供も又山行を承知しました。

その代わり登下山時に友達同士で色々競争しますので、それを諌める苦労や心配が新たに少し増えましたが、

サッカーや野球やその他の遊び等も子供同士で私達がビックリする程、連続して何時間も遊んでいました。

そんな時の子供達は、良く笑いながら目や表情が活き活きしていて本当に楽しそうでしたので、やはり子供は子供同士で遊んだ方が良いのだなーと再認識しました。

そして私達は 『良く飽きないなー』 とか 『友達が来てくれて良かったー、まともに相手してたら身体が壊れるところだったー』 と笑いながら、

遊びに熱中する時の子供のパワーを目の当たりにして驚いていたものでした。

そう言う事で第一次危機は友達連行作戦で見事に乗り越え、『九州百名山』 は計画通りに百山目を九州で1番高い屋久島の 『宮之浦岳』 で締めくくる事が出来ました。


中学生になると、部活や塾通いで子供がとても忙しくなりましたので、私達も中々声を掛けられずにいました。

しかし、子供と一緒に山に行きたい私達は子供のスケジュールの僅かな隙間を見つけては、

ご褒美 (欲しい物を買ってやる) 作戦や、スポット小遣い作戦で子供を釣っては第2次危機をしのいできました。

この頃から夫婦だけで山登りに行く回数が多くなったと思います。

中学3年生になると学校や塾からハッパをかけられ、周りの友達からも刺激を受けて本人がやっと受験モードになりましたので、山行はとても言い出せませんでした。



そして、高校生になった今はさらに忙しくなり、また友達も多くて休みの時は友人宅へ行ったり来たりして遊び、

テニス、野球、サッカー、バスケット、卓球、ボーリング、スケート、テーマパーク、ゲームセンター、カラオケ、映画、食事、ショッピング等に友達と一緒に出掛けています。

その上に最近はガールフレンドが出来て、山行にはチラッとも目を向けてもくれません。

私自身の同年代を思い起こしてもそうでしたし、成長の過程では仕方のない事だとは解っていますが、親としては寂しい限りです。

そう言う事で、現在は夫婦だけの山行になっています

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