奥多摩駅~鷹ノ巣山~雲取山~酉谷山~川苔山~古里駅、縦走


1/5万 地形図上でのGPS軌跡
青色の線は1分間隔(緯線1分間の距離=約1850m、経線1分間の距離=約1500m)、水色の斜線は磁北線


 .

緯  度  .







35°53′00″










35°51′00″










35°49′00″


  138°                139°                              139°                 139°
     57′                 00′                                05′                   08′
 度  00″                 00″                               00″                  00″

2016年(平成28年)11月6日(日曜日)  快晴  弱風

 今日は日曜日だったので新宿駅発7時44分、奥多摩駅着9時17分の 『ホリデー快速』 が運行していた。

 そのホリデー快速には、奥多摩駅行きの車両は3両だけ連結されていたが、始発の新宿駅や

 途中の停車駅からその車両に乗る込む7~8割位の乗客はザックを背負っていた。


 写真が奥多摩駅であるが、駅の横にある女子トイレは長い行列が出来ていたので、

 奥多摩駅を出発出来た時刻はちょうど9時半だった。


 また駅の直ぐ前にあるバス乗り場は、大勢の登山者で凄く混雑していた。


奥多摩駅から30分ほど舗装道路を歩くと下・左写真の 『羽黒三田神社』 に出たが、境内には下・右写真の様な 『!熊出没注意!』 の貼り紙があったので、

私達はここで 『無事下山』 を祈願してから出発した。

尚、この様な 『!熊出没注意!』 の貼り紙はその後の登山道の方々で見掛けたが、数日前のテレビでは青梅市の民家に熊が2度入り込み、

二本足で立って食料を漁っている様子を放映していた。(コワ!)


それからここへ来る途中、最後の家では庭に設置されているテーブルで私達と同年代位の三人がお茶を飲んであり、

私達を見ると 『時間が有ったらお茶して行きませんか~!?』 と声を掛けられたが、笑いながらお断りして先へ進んだ。

羽黒三田神社
神社にあった貼り紙





 上写真の 『羽黒三田神社』 から舗装された道路をまた25分ほど登って行くと、

 左写真の様な標識がある登山口に出たが、そこにも 『!熊出没注意!』 の貼り紙があった。













 上写真から15分ほど登山道を登って行くと、登山道脇に 『羽黒三田神社』 の 『奥ノ院?』 があった。










 更に20分ほど登っていると、お揃いの服装とザックを担いだ写真の女子高校生三人に追い抜かれた。

 ザックの大きさは私達の1.5倍位?ありそうだったが、3人とも上体を前傾させたまま凄い早足で歩き、

 アッ!と言う間にその姿は見えなく成ってしまった。(凄かった~!)


 その後暫らくするとまた同じ格好をした男女混成の4人にも追い抜かれたが、その後に先生と思しき人が

 登って来たので、その方に尋ねてみると千葉県の高校の山岳部である事が分った。








 高校生達から追い抜かれて40分位した所で時刻を見ると、12時20分だった。


 それで左前方に写っている切り株等に腰掛け、行動食を食べながら私達はそこで20分ほど休憩した。









 休憩後は再び登り始めたが、普段の倍近い荷物を担いでいる為に、二人ともこの付近ではかなり疲れて

 いて、その後は少し登っては休憩する事が多かった。

 特に私は途中で太腿が何度も攣りそうに成り、その都度エアーサロンパスを吹き付けて凌いでいた。


 写真はそんな時に出て来た 『六ッ石山』 への分岐標識である。










 これが 『六ッ石山』 の山頂標識であるが、

 上の分岐標識から10分近く登った所にあった。

 私はこの山頂に登る途中も脚が攣りそうになり、途中で少し休憩した。


 この山頂は結構広く、私達が登った時は既に10人位の登山者が休憩していた。














 その後の登山道には、数千万年前に生息していたと云う肉食恐竜、『ティラノサウルス』 に似た樹があった。










 そしてこの山頂標識が本日登る最後の山で、かつ本日の最高峰となる

 『鷹ノ巣山=1737m』 の山頂標識である。


 この山頂への急登は結構険しく、私は何度も何度も休憩しながらやっと登った。


 尚、奥多摩駅の標高が343mとの事なので、この鷹ノ巣山までは

 1394mの標高差を登った事になる。(疲れる筈ですね~!)


 この前の 『六ッ石山』 には10人位の登山者がいたが、この山頂には誰も居なかった。


 それから来年は酉年なので、鳥の名称が付くこの山は登る人が多く成るかも?知れない。




『鷹ノ巣山』 の山頂から15分ほど下りると、下・左写真の様な 『鷹ノ巣山・避難小屋』 に着いたが、その時刻は16時30分だった。

入口の引き戸には下・右写真のような貼り紙があった。(コワ!)

鷹ノ巣山・避難小屋
小屋入口の貼り紙







 これが小屋の内部であるが写真の様に綺麗で、詰めれば10人位が寝れる広さがあった。

 室内には誰も居ず、今夜は私達の貸切りだった。










 写真は少しボケているが、小屋に到着時の万歩計の数字で、28087歩だった。


 尚、GPSの積算距離は13,2kmで、奥多摩駅からの全所要時間は7時間ちょうどであった。











 これが水場の写真であるが、小屋から200mほど下りた所にあった。


 水量は結構あり、飲んでみたら凄く冷たくて美味しかった。








 ラジオ放送は登山道でもこの山小屋の中でも良く入り、私達はラジオを聴きながら色々な作業をしていた。

 当日は17時位に外が暗く成り、、乾電池式LEDを灯しながらお湯を沸かして、ホット焼酎を飲み始めたが、

 暗く成ると結構寒くなって来たので、写真の様にガスバーナーを点けっぱなしで暖を取っていた。

 そして飲み終わった後に写真の 『牛飯』 と 『カップ麺』 で夕食にした。

 当夜の宴会は18時過ぎには全て終了し、ブラウスやダウンを着込んだ上に背中にホッカイロを張り付けて

 寝袋に入り込んだのは18時半頃だった。 私は直ぐに爆睡したようだった。




2016年(平成28年)11月7日(月曜日)  快晴  弱風


 今朝は5時少し前にオバさんから起こされた。

 昨夜は寒さも感じず、一度も目覚める事は無かったので、私は実に10時間以上も熟睡していた事に成る。

 お湯を沸かし、ホットコーヒーを飲んでから荷物の整理をした。

 その後、昨夜汲んだ水の残りが心もとなく感じられたので補充に行く事にしたが、外はまだ真っ暗だった。

 それで私達はラジオを大きくして時々笛を吹きヘッドランプと懐中電灯で周りを照らしながら進んで行った

 水場は写真の様に真っ暗で気持ちが悪く、今日の行動分に必要な量を汲んでから洗顔等をしたが、

 水が冷た過ぎて私は完全に目が覚めた。


下の写真は水汲みから戻ってから、小屋に設置されている温度計を写したものであるが、室外は3.5℃で、室内は7℃だった。

そしてその後、インスタント味噌汁を飲みながらパンを食べて朝食にした。(ミスマッチですが結構美味しかったですよ~・・・笑)

小屋室外の温度計=3.5℃
小屋室内の温度計=7℃

 当朝は6時位から周りが明るく成って来た。

 私達は小屋を無料で、その上に貸切りで使わせて貰ったので、

 感謝の意を込め、備え付けのほうきで床等を清掃してから出発した。

 また万歩計は小屋を出る時にゼロクリアした。


 写真は小屋を出発する時に写したものだが、時刻は6時15分で、周りには霧が立ち込めていた。

 尚、手前の建物がトイレで、奥に見えている小屋からは20m位離れていた。







 写真は出発して10分位した所で写したものであるが、霧は進むに連れて段々濃く成り、

 この辺りでの視界は20m位しかなかった。









 出発してから35分ほど進んだ登山道脇には、写真の様に錆び掛けて斜めに成った看板があった。

 私はその看板の下部にある広告を見て笑ったが、そこには何と!、トランジスタラジオの広告があった。

 トランジスタと言えば真空管の次世代の物なので、もう50~60年位前の看板では?と思った。

 そして私は高校生の時にトランジスタラジオを買って貰って凄く嬉しかった事や、

 それで深夜放送を聴きながら勉強していた事等を思い出していた。

 また他には当時、『トランジスタグラマー』 の流行語があった事等も思い出していた。



                富士山
                   ↓


 上の看板から更に35分ほど進むと、左側の視界が開けた場所に出たが、

 そこからの景色を見て二人とも 『ワ~!』 との歓声を上げた。


 そこには写真の様に見渡す限り一面の雲海と、

 はるか彼方に雲海から頭を突き出した富士山が見えていたのである。


 私達は暫らくの間、この景色に見とれていた。


 尚、右側に見える山々は 『大菩薩連峰』 である。










 上写真から10分位進んだ辺りで、雲取山方面から下りて来る単独男性と擦れ違い、

 その後は何組もの登山者(単独か二人連ればかり)と何度も擦れ違った。














 これが 『七ッ石山=1757m』 の山頂であるが、到着時刻が7時50分だったので

 『鷹ノ巣山・避難小屋』 を出発して1時間35分を要していた。


 尚、私達がこの山頂に着いた時は誰も居なかった。














 七ッ石山から10分程で 『ブナ坂』 と書かれた標識前を通過し、その後30分ほど進んだ所の平地には

 写真の様なヘリポートがあった。












 上のヘリポートから5分ほど登ると、写真の 『奥多摩小屋』 の横を通ったが、

 この付近一帯がテント場になっていた。











 上写真から15分ほど登った所には写真の様な分岐標識があった。


 この様な分岐標識はこの前にも、この後にも幾つも見掛けたので

 この縦走路に登って来る登山道は他に幾つもある様である。






                      富士山
                        ↓




 上写真の様な登山道を登っている時にふと眼下に目をやると、

 そこには何時も見渡す限りの雲海と、富士山が見えていた。








            避難小屋  雲取山山頂
              ↓      ↓






 そして 『奥多摩小屋』 から40分程で 『小雲取山』 の麓を過ぎると、

 前方に 『雲取山避難小屋』 と 『雲取山山頂』 が見えて来た。










 この写真は上写真から20分程で着いた 『雲取山避難小屋』 の室内である。


 室内は写真の様にかなり広く、収容人数は20名との事であるが、当時刻には誰も居なかった。







 この写真が 『雲取山山頂=2017m』 に建つ山頂標識で、

 上写真の避難小屋から1分ほど登った所にあった。

 尚この山頂は、東京都と山梨県と埼玉県の境界にあるそうで

 東京都では1番標高の高い場所との事である。

 ここへの到着時刻が9時45分だったので、

 『鷹ノ巣山避難小屋』 を出発してからちょうど3時間半が経過していた。

 私達が登頂した後に、10名位と15名位のグループが登って来て、

 記念写真のシャッターを頼まれ、お返しに!と私達の記念写真を撮って頂いた。


 それから来年は2017年ですが、この雲取山の標高と同じですので、

 来年はこの雲取山に登る人がますます多くなるかも?知れません。


                富士山  大菩薩連峰
                  ↓       ↓


 この写真は、上写真で奥に見えている展望盤と一緒に、南南西方向の景色を

 写したものであるが、そこには依然として見渡す限りの雲海と、

 雲海から頭を突き出した富士山や大菩薩連峰等が見えていた。


 そして西方向には、幾重にも重なった山並みが見え、その遥か彼方の最奥に、
                            しらね
 山頂一帯を白く雪化粧した白峰三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)の姿も確認できた。


 尚、その白峰三山は2年前に縦走しましたが、その時の記録は下記URLです。

 URL=http://gomasiosansou2.web.fc2.com/2014_07_22_kitadake_jyuusou.html








 私達は雲取山の山頂では景色を眺めたり、各方向の風景写真を撮ったりして10分ほど居た様であるが、

 少し肌寒く感じるように成って来たので、先に進む事にした。


 雲取山の山頂からは割と急坂の多い坂を20分近く下りると、眼下に 『雲取山荘』 の屋根が見えて来た。






下写真が雲取山荘やそこにある施設等であるが、私達はここで水を補充し、テーブルに腰掛けて行動食を食べながら15分ほど休憩させて貰った。

山荘の横では山荘の御主人(新井晃一氏)と思しき人が、鋸で材木を切断する作業をしていた。

雲取山荘・正面
山荘の前にあるテーブルと水道
山荘の前にあるトイレ





 雲取山荘から15分強、緩やかな坂道を下って行くと、写真の様にベンチが設置されている鞍部に出た。


 そこには 『大ダワ』 と書かれた標識があった。











 上の 『大ダワ』 から20分ほど小さなアップダウンを繰り返しながら登って行くと、

 写真の様な看板が設置されている場所に出た。


 私達はその注意書きを読んで、今日は凍結の心配はいらないが、

 これから先は急登が続くのだろう?と思い、そこの岩に腰掛けて5分ほど休憩し、

 息を整えてから出発した。








       雲取山  雲取山荘
           ↓    ↓
 この写真は上写真から登り始めて30分位した所で右側に見えていた景色を写したものであるが、

 先程登った雲取山の山頂と、雲取山荘の屋根が見えていた。


 尚、この付近の登山道は切り立った岩場が多く、4本の手足を使って登っていたが、

 私達はこの急坂部分でかなり疲れた。

 昨日の私は太もも等の筋肉が何回も攣りそうになったが、一晩熟睡して筋肉がほぐれたのか?

 今日は脚の筋肉が攣りそうに感じる事は全く無かったので良かった。





 更に10分ほど岩場を登ると、そこには写真の様な山頂標識が建っていた。


 この場所が標識に書かれているように 『芋ノ木ドッケ』 と呼ばれているピークの

 山頂標識で、標高表記は無かったが地図を見ると標高が1954mも有った。


 ここに到着した時に時計を見ると11時50分だった。 そして先程の注意書き看板

 から約40分間の急登で疲れていたので、この場所で昼食休憩をとる事にした。


 私達は付近の岩や倒木に腰掛けて行動食を食べながら25分ほど休憩した。












 『芋ノ木ドッケ』 の先は写真の様な樹の根が剥き出しの痩せ尾根が暫らく続き、歩き辛かった。














 その後の登山道の両側には、写真の様なシャクナゲの樹が多い場所が暫らく続く所もあった。
















 この写真が先程の 『芋ノ木ドッケ』 から1時間20分程で着いた 『長沢山』 の

 山頂標識で、標高表記は無かったが地図には1738mとあった。















 その後の登山道では、登山道が崩れるのを防止する為に登山道脇に並べた木材や、それを止める

 杭の頭等に写真の様な苔が生えていたが、その苔の黄緑色が蛍光塗料の様に光って見えて綺麗だった。













 その後は写真の様に綺麗に紅葉したモミジも見掛けた。













 また 『長沢山』 から1時間20分ほど進んだ所には、

 写真の様な 『滝谷ノ峰へリーポート』 と書かれた看板があるヘリポートがあった。








      酉谷山     避難小屋
       ↓        ↓




 写真が小さくて良く分らないと思うが、上のヘリポートから10分ほど進むと、

 前方に見える山の鞍部に今日泊まる予定の避難小屋が見えて来たので、
                                             とりたに
 左側に見える山が本日の最後の山となる 『酉谷山』 である事が分った。









 しかし上写真から 『酉谷山』 の登山口までは結構時間が掛かり、

 写真の酉谷山・分岐標識が現れるまで35分も要した。


 尚、右側の道は酉谷山に登らずに直接、酉谷山避難小屋に行く巻き道である。







 上写真の分岐標識から早速、酉谷山に登り始めたが意外に急坂の連続で、

 これまで既に朝から9時間半ほど歩いて来ている私達には、この登りは結構堪えた。


 その上、あれが酉谷山の山頂では?と思える所まで登ると、そこには山頂標識は無く、

 写真の様に更に奥の方にまた新しいピークが見えて来る事が3度か4度あり、

 ここの登りで肉体的にも精神的にも本当に疲れた。




 その様にして3度目か4度目のピークにヘトヘトに成って辿り着くと、そこには写真の
   とりたに
 『酉谷山=1718m』 の山頂標識が有り、私は本当にホッ!としたのだった。

 しかし山頂には写真の様なテントが張られ、単独の中年男性が夕食の準備をしていた。

 その男性と少し会話すると、『今晩はこの山頂に泊まる!』 との事であった。

 私は今日のお昼位に聴いたラジオニュースで、今朝、兵庫県の70歳男性が

 出勤途中の山林で熊に襲われ、頭と顔に大ケガを負ったニュースを憶えていたので、

  『この付近に熊は居ないんですか?』 と尋ねてみた。 

 そうすると 『住んでますよ、今日、日原から登って来る途中でも1頭見掛けました!』 との

 返事が返って来た。

 この人は熊が怖くないのだろうか?、 世の中には色んな人が居るものである!



結局、雲取山荘からこの酉谷山山頂まで、6時間近くは人に会う事は無かったので、平日にこの区間を歩く人は少ないようである。

尚、来年(2017年=平成29年)は 『酉年』 なので、この酉谷山に登る人が多くなるかも?知れません。







 そしてこれが酉谷山山頂から15分ほど下りた所の鞍部に建っている、『酉谷山避難小屋』 である。











 水場は小屋の直ぐ前にあり、チョロチョロとしか出てなかったが、その流出口に鍋を置いて水を溜め、

 その溜めた水を右上に見える小さなコップですくい取る様になっていた。


 鍋に溜まった水は写真の様に澄み切って綺麗だったが、鍋底の隅には小さな砂が少しだけ見えていた。









 写真は小屋に到着時の万歩計で、40477歩だった。


 GPSの積算距離は20.3kmで、小屋への到着時刻が16時35分だったので、

 鷹ノ巣山避難小屋からの全所要時間は、10時間20分であった。






       鷹ノ巣山                    富士山
         ↓                        ↓
 この写真は、小屋の窓を開けると正面(南方向)に見えていた景色である。

 最初のGPS軌跡図を見ると分るが、鷹ノ巣山と酉谷山は今回の周回道上では、

 南側に鷹ノ巣山があり、そのトイメンの北側に酉谷山がある。

 そして東側が川苔山で、そのトイメンの西側に雲取山がある位置関係である。

 私はこの景色を見ながら、今日私達は、遥か彼方に見えている鷹ノ巣山から、

 その右側に連なる山々(七ッ石山、雲取山、芋ノ木ドッケ、長沢山、酉谷山)を経て

 この避難小屋まで歩いて来た事を思うと、『我ながら良く歩いて来たな~!』 と、

 少し感慨深いものが有った。

 この写真は16時45分に写していたが、正面に見える稜線の上空があかね色に染まり、

 まもなく奥多摩の山々に夜の帳が下りようとしていた。



 ところでこの写真の4人の方達は、私達が小屋に到着した時に、既に中に居られた方達である。

 私達が到着した時は夕食の準備中だったので、私達も早速宴会の準備に入った。

 その後、この方達と談笑したり山談義をしながら一緒に飲んだり食べたりしていたが、

 私達が九州から登りに来ている事が分ると凄く驚いてあった。

 しかし話している内に、この埼玉の4人の方達も私達に負けず劣らずの山好きである事が分った。

 私と同年代と思える男性達は九州の有名山には既に登ってあり、その方達からは今後私達が登りたいと

 思っている関東の山の情報を色々と教えて貰った。(感謝!)



 この写真は凄く楽しかった宴会が終了し、寝る前に小屋と棟続きにあるトイレに行く時に写した夜空である。

 撮影時刻は19時20分で、上空には三日月と無数の星が瞬いていて、流れ星も見る事が出来た。

 そして19時半頃には全員其々の寝袋に入って寝た。


 私は疲れと酔いの為に直ぐに爆睡した様で、翌朝まで目覚める事は無かったが、
                              う る さ
 翌朝オバさんからイビキが五月蠅かった!と叱られた!(反省!)




それから、この 『酉谷山避難小屋』 の情報を発信するサイト(酉谷山避難小屋ノート)が下記URLにありますので、

今後この避難小屋を利用される方は、事前にそこで色々な情報を確かめてから行かれた方が良いと思います。

URL=http://6408.teacup.com/kamuibiranji/bbs/t1/l50


2016年(平成28年)11月8日(火曜日)  晴れ時々曇り  弱風


 大岳山     御前山        鷹ノ巣山        富士山
    ↓        ↓             ↓             ↓
 今朝は5時半頃に起きた。

 そして朝食後に全員で床や土間やトイレ等の掃除をしたので、

 小屋の中は凄く綺麗に成った。

 写真は小屋を出発する時(6時45分)に写した南方向の景色であるが、

 埼玉の男性からは、鷹ノ巣山の左の方に見えている山が、

 御前山や大岳山である事を教えて貰った。(感謝!)

 私達はそれらの山々は9年前に縦走した事が有ったので、

 私は当時の事を懐かしく思い出しながら、それらの山々を眺めていた。

 尚、その時の記録は下記URLにあります。

 URL = http://gomasiosansou2.web.fc2.com/2007_04_13_okutama3zan.htm








 私達は埼玉の4人パーティより一足先に出発したが、写真は 『酉谷山避難小屋』 を上から写した物で

 左側に見えている部分がトイレである。








 私達はまず 『一杯水避難小屋』 を目指して進み始めたが、登山道は写真の様に狭く、

 また斜面の中腹を削った様にして出来た登山道部分が多かったので、少し歩き難かった。


 またその付近の登山道には枯れ葉がかなり積もっていたので、そこを歩いている時は、

 私達が枯れ葉を踏み付けて歩く、ザッ!ザッ!と云う音と、私達が其々のザックの後ろに付けている熊鈴の

 チリン!チリン!と云う音だけが聞こえ、何となく気持ちが良かった。









 出発して1時間近く進んだ登山道では木道が崩落し、新しく木道を設置してある所があった。













 又、『一杯水避難小屋』 への途中には 『七跳山=1651m、大栗山=1591m、天目山=1576m』 等へ

 登る写真の様な分岐標識があったが、私達はそれらの山頂へは登らず、下の巻き道を進んで行った。











 そしてこの建物が 『酉谷山避難小屋』 を出発して1時間40で到着した、

 『一杯水避難小屋』 である。


 尚、手前のドアが小屋への入口で、奥のドアはトイレである。











 これが 『一杯水避難小屋』 の室内であるが、昨夜の 『酉谷山避難小屋』 の倍位の広さが有った。










 写真が 『一杯水避難小屋』 から200mほど進んだ所にある、『一杯水』 との名称が付いた水場である。

 ここの水源は写真で分る様に谷のかなり上部にあり、そこからこの場所までホースで水を引いていた。


 今回の奥多摩縦走を計画する時に、つい最近ここを歩いた人のホームページを読んでいたが、

 それに依ると、その時は水は出ていた!との事であった。

 しかし当日は1滴の水も出て無く、ペットボトルの底に砂利と濁った水が少しだけ溜まっている状態だった。






                             かわのり
 一杯水を過ぎると、今度は 『川苔山』 を目指して進み始めた。


 川苔山への途中にも 『蕎麦粒山=1473m、日向沢ノ峰=1356m』 等の山があったが、今までと同様に

 それらの山にも巻き道があったので、私達はそれらの山頂にも登らず、巻き道を進んで行った。








 一杯水から45分ほど進んだ辺りの登山道は、

 写真の様にかなりの急斜面の中腹を削って出来た登山道が暫らく続いていた。


 もしここで足が滑べったら、50m位下の谷底まで、まず自力では滑落を止める事は出来ない急斜面が

 ずっと続いたので、私達は慎重にそのトラバース道を歩いて行った。







 そして 『一杯水避難小屋』 から1時間10分進んだ所で、写真の分岐標識が現われた。


 私達は左方向にある 『踊平まき道』 方面に進んで行ったが、昨夜 『酉谷山避難小屋』 でご一緒した

 埼玉の4人パーティの方達はこの分岐から、『踊平まき道』 の下に見えている

 『鳥屋戸尾根・川乗橋』 方面に下りると言ってあった。









 今回の山歩きでは花を見掛ける事は殆んど無かったが、このリンドウの蕾は上の分岐標識から

 30分ほど進んだ所の登山道上に、1輪だけあったものである。








 上のリンドウの花から40分ほど進んだ所に写真の様な格好をした、中年に近い男性がいた。

 その人と会話すると、文化庁からの依頼でこの周辺に生息しているカモシカの生態調査をしている人で、

 近年、カモシカは数が増えすぎて、樹木等に害が出ているとの事だった。

 また私達がこの場所に近付いて来ている事は、私達の熊鈴の音で大分前から分っていたとの事であった。

 それから、私は東京等に行った時は標準語で話している積もりであるが、どうしても私の言葉には時々

 筑後弁が混じるようで、その人から九州はどちらですか?と尋ねられた。

 私が久留米です!と答えると、その人からは私は佐世保市出身です!との言葉が返って来た。






 カモシカ調査の人と別れて、10分位進んだ所の下方には林道終点が見えていた。


 写真では小さくて良く分らないが、そこには先程の人が乗って来た白色の自動車が停めてあった。











 そしてその林道終点の直ぐ上には写真の様な分岐標識があり、

 その標柱には、この場所が 『踊平』 との文字が刻んであった。












 上の 『踊平』 からは、中小のアップダウンを繰り返して40分ほど進むと、

 写真の様な川苔山への分岐標識が現われた。












 私達はその場所で少し休憩した後、ザックを上写真の分岐標識にぶら下げた状態でデポし、

 空身でちょっと川苔山に登って来る事にした。















 写真が上の分岐標識から20分ほどで着いた、
   かわのり
 『川苔山(川乗山)=1364m』 の山頂である。


 私達が登頂した時は若い男性が一人だけ居た。

















 この景色は山頂から南西方向に見えていた、富士山である。













                     雲取山
                      ↓








 この景色は西方向の景色で、遠くに昨日登った 『雲取山』 が見えていた。















 ザックをデポした分岐標識から川苔山までを約45分で往復して来た後、

 今度は古里駅に向かって下り始めた。


 写真は30分ほど進んだ所にあった樹木の幹であるが、そこには熊が爪で引っ掻いた様にも見える

 まだ真新しい傷が有ったので、私はドキッ!として周りを見渡した。(笑)










 その後の登山道は写真の様な所が多かったが、そこにはオフロードバイクの様なタイヤ跡が残っていた。












 上の様な登山道を暫らく進むと、前方に舗装林道が見えて来た。


 私達はこの場所で切り株等に腰掛けて、行動食を食べながら少し休憩する事にした。











 上写真の右側に右折する小さな道が写っているが、その道の少し奥に、

 左写真の様に字も良く判別できない様な古い標識があり、それを良く見ると 『古里駅』 との文字があった。


 上写真の場所で休憩しなければ、私はこの標識は見落としていたと思う。(休憩してラッキー!だった)






上写真で右折した登山道は、下写真の様な登山道が続いていた。

古里駅へ下りる登山道
ススキ等が生い茂っている所もあった
途中には川井駅との分岐標識もあった






 先程の 『古里駅』 標識から上写真の様な登山道を1時間20分ほど下りていると、

 右横の樹間に鳩ノ巣駅周辺?の集落が見え始めた。


 しかし、この大分前から登山道は下り一辺倒の急坂がずっと続いていたので、

 この辺りでは二人とも両膝が少し痛く成っていた。














 そして見落としそうになった 『古里駅』 の標識から1時間40分で、やっと古里駅の登山口に下りる事が

 出来たが、この登山口にも熊出没注意の貼り紙があった。








                          こ り
 上写真から6分ほどで 『古里駅』 が見える所まで下りた。

 この写真を撮った時刻が16時3分で、ちょうどその時刻に古里駅を出発する

 電車が目の前で発車して行った。(涙)


 次の電車は古里駅発が16時33分なので、30分も待つ事に成った。


 ところで、上写真の登山口に下りる少し前で二人とも水を飲んで仕舞っていた。

 それで、左写真に写っている跨線橋を渡って反対側にあるコンビニでサイダーと

 アイスクリームを買ってからまた古里駅に戻り、駅のベンチでそれを食べた。

 そして、古里駅発16時33分の電車に乗って新宿に戻った。







 写真は古里駅に到着した時の万歩計で、45029歩だった。


 またGPSの積算距離は22.4kmで、古里駅への到着時刻が16時5分だったので、

 酉谷山避難小屋からの全所要時間は9時間20分であった。






これで今回の奥多摩縦走は、無事に予定通り完了した。

3日間の累計を取ってみると、登った山が 『六ッ石山、鷹ノ巣山、七ッ石山、雲取山、芋ノ木ドッケ、長沢山、酉谷山、川苔山』 の8山。

GPSの積算距離累計は55.9kmで、万歩計の歩数累計は113593歩、所要時間累計は26時間40分だった。


それにしてもこの3日間、良く歩きましたね~。

初日だけは途中で私の脚が何度も攣りそうになり、その都度休憩したり、エアーサロンパスを吹き付けたりして凌ぎましたが、

その時は計画通りに歩けるか?、本当に心配しました。

しかし、2日目からは身体が慣れたのか?、脚が痛くなる事は全く無く、予定通りに歩き通す事が出来ました。


それから、登る時は滑ったり転んだりする事は余りありませんが、下る時は石車、枝車、枯れ葉、樹の根、岩の表面等で滑ったり転んだりする事が多々あります。

今回私達もそれぞれ2~3度ずつそれらで滑って尻もちを付きましたが、幸い軽い擦り傷が出来た程度で済み、大事に至らなかったので良かったですね~。


それから縦走路の方々で 『熊出没注意』 の貼り紙を見掛けましたが、私達は熊に出遭う事は一度も無く、本当に良かった!と思っています。

しかし少し離れた安全な場所からだったら、1度位は野生の熊を見てみたい!との気持ちが有りますね~!


それにしてもこの3日間、快晴等の良いお天気に恵まれ、また風も殆んど無い暖かい日が続き、本当に幸運に恵まれました。(感謝!)


2016年(平成28年)11月9日(水曜日)  晴れ時々曇り  弱風





 上京時の飛行機は富士山から離れた所を通りましたので、

 富士山は遠くに小さく見えただけでした。


 しかし帰路の飛行機は富士山の直ぐ近くを通りましたので

 写真の様に綺麗な富士山を撮る事が出来ました。


 それにしても、冠雪した富士山は本当に綺麗ですね~!

 やっぱり富士山は 『日本の宝』 だと思います。






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