2014年(平成26年)7月27日(日曜日) 濃霧&暴風雨
下写真が 『ほおのき平』 の駐車場である。 このほおのき平には広い駐車場が何段も有るが、この駐車場は1番上の駐車場で、そこには乗鞍(畳平)行きのバスターミナルとホテル等があった。
下・左写真はバスターミナル入口に表示されていた 『本日の乗鞍(畳平)のお天気』 である。 それに依ると、『天気=濃霧、気温=9℃、視界=不良』 になっていた。 右写真はバスターミナルの中にあった、バス発券機で畳平までは往復2300円/1人だった。 私達は5時55分発(始発は3時45分)のバスに乗ったが、乗客は5時半頃から並び始めた。
これが畳平に到着した6時40分に写した物であるが、濃霧で視界は10m位しか無かった。 着いてから二人ともトイレに行こうとしたが、建物が全く見えない。 それで警備員さんにトイレの方向を教えて貰い、指差された方向に直進したらトイレにぶつかった。(ホッ!・・・笑) 二人とも無事にトイレを済ませたが、今度は登山口が分からない。 それでまた警備員さんに登山口の方向を教えて貰い、指差された方向に歩いて行った。 そうすると数分で登山道に出たので、それからはその登山道を進んで行った。 5分強進むと標識があり、それには 『富士見岳口』 との文字があった。 そこからは富士山が見えるのかな?と思ったが、そこに行ってもこの濃霧では何も見えない!と思い、行かなかった。 登っていると、下りて来る登山者に出会った。 この人達は多分、ほおのき平の始発バス(3時45分発)に乗ったのだ?と思う。 尋ねると、山頂までこの様な濃霧で、途中の尾根は非常に風が強いので用心して下さい!との事だった。 その後、登山道を少し登ると、左側の土手に下写真の様なコマクサが幾つも咲いているのが目についた。
その後は私達を追い越して行く登山者もいたが、下りて来る子供連れの登山者が多かった。 その子供連れの人に尋ねると、余りにも風が強くて子供が吹き飛ばされそうに成り、 危険を感じて途中から引き返して来ました!と言っていた。 その様な家族とはそれ以降も数組擦れ違った。 その後の登山道脇には写真の様な標識や看板があった。 上写真から10分弱で 『肩の小屋』 の前を通ったが、ここへは帰路に入る事にして、往路時は素通りした。 更に10分ほど登ると、登山道はガレ場になり歩き辛くなった。 尚、この付近では3人の青年に追い越された。 写真はこの付近に沢山生えているハイマツを写した物だが、 濃霧には水分が多い様で、松葉の先には水滴が付いていた。 濃霧の為に遠くの景色が見えないので、近くのこんな物にしか目がいかず、 何となく?面白くないがどうしようも無い。(涙) 更に登山道を25分ほど登った所には、『キケン滑落』 の看板があったが、 濃霧の為にどの様に危険なのか?分からず、恐怖感は全く無かった。 上写真から3分ほど登った所には、写真の様な看板があった。(コワ!) そしてこの少し先から尾根歩きになっていたが、そこは風の通り道に成っているようで、物凄い暴風が吹いていた。 そこを通る時は私も前傾姿勢になって登山道の風上側を歩いて行ったが、 体重の軽いオバさんは風に吹き飛ばされそうになり、後ろから私のザックを両手で掴みながら付いて来ていた。 この尾根では風速20m近い暴風が吹いていたのではなかろうか? そんな風にかなり苦労してピークに出たら、そこには標識があった。 それで、『やっと山頂に着いた~!』 とホッ!としたら、その標識には 『蚕玉岳=こだまだけ=2980m』 との 文字が有り、乗鞍岳の山頂では無い事が分かってガックリ!した。 気を取り直して更に進んで行くと、5分程で頂上小屋の前に出た。 前を通っていると、小屋のドアが開いて従業員が声を掛けた。 それで、『帰りに寄るよ!』 と返事して山頂に向かった。 その後も物凄い暴風の中を5分ほど進むと、石垣の向うに社の屋根が見えて来た。 その石垣を回り込んだ所に、『剣ヶ峰=3026m』 の山頂標識があった。 山頂の視界は10m位で、景色は全く見えず、風が物凄かった。 山頂の社前でオバさんの記念写真を撮ろうとしたら、オバさんが吹き飛ばされそうに成り、 記念撮影は鳥居にしがみ付いての、格好悪い物になってしまった。(笑) この山頂ではその様に風が物凄かったので、数枚の写真を撮ったら直ぐに下山し始めた。 下山時も頂上小屋の前を通るとドアが開き、若い従業員がまた声を掛けるので、先ほど 『帰りに寄るよ!』 と言った手前、小屋に入ったが客は誰も居なかった。 今日はこんな天気なので、山頂まで登って来る登山者が殆んど無く、3人とも(山小屋の親父と若い従業員2人)暇そうだった。(親父は読書していた) だから若い従業員は前を通り掛かる登山者に、ドアを開けて呼び込みをしていたのだろう!と思った。 私達はホットコーヒー(500円)を頼んだ。
上写真の壁に写っているが、頂上小屋では風景写真や雷鳥の写真等を販売していた。 雷鳥の実物をまだ見た事の無い私は、その写真を写させて貰ったが、本当はダメ!との事だった。 若い従業員達と話していると、雷鳥はハイマツの中に住んでいるそうで、雷が鳴り、雨風が吹き荒れる様な悪天候時に良く現われるとの事だった。 だから 『雷鳥』 との名前が付いているとの事で、またそんな悪天候時には天敵であるキツネ等が出て来ないから!とも言っていた。
下山時も暴風の中を歩きながら、もしかしたら雷鳥が出てるかも?と思い、登山道の両側に目を凝らしながら 歩いていたが、下山するまでとうとう1羽の雷鳥も見る事は無かった。(残念!) 私達が下山する時も、登る時と同じ様な濃霧と暴風だったが、 そんな悪天候でも写真の様に、私達と同類項の山バカ達が登って来るのに数組擦れ違った。(笑) 下山時は 『肩の小屋』 に立ち寄った。 この山小屋は大きく、室内には大勢の登山者が休憩していて、中写真の様に杖、バッジ、笛、熊鈴等も販売していた。
畳平近くまで下りると、写真の様な分岐標識があり、 ここで左折すると 『お花畑経由畳平』 との事だったのでそちらに向かった。 お花畑に行く途中で女性の監視員さんに出会った。 それで数年前に畳平の建物内に熊が侵入して怪我人などが出る騒ぎが有った事を思い出したので、 今でも熊は出ますか?と尋ねたところ、お花畑に花が沢山咲く頃にそれを食べに来る!との事だった。(コワ!) 10分弱でお花畑を周回する木道に着いた。 木道の下には花が咲いていたが、まだ沢山咲いている!と言う程では無かったので、少し安心した。(笑) もう少しで木道の1番奥に着く!と云う頃に突然、強風と共に大粒の雨が降って来て、 顔と言わず身体中を横殴りの雨が打ちつけて来た。 その横殴りの雨は顔に当たると、一瞬しびれた様に感じる程の強さだった。 前方からは子供が駆けながら戻って来た。 木道を周回していた団体も一斉に戻り始めた。 尚、右後方の白い物は雪渓である。 そして皆が畳平の建物に避難しようとして木道は写真の様な長蛇の列に成ったが、 私はこんなに大勢の人達は木道の何処にいたのだろう?と不思議だった。 これは木道を過ぎて、畳平のバスセンターに入る直前の階段を写した物であるが、 階段横の側溝では凄い勢いで水が流れ下っていた。 この様な局地的な大雨をゲリラ豪雨というのだろう? 今日の山歩きをまとめると、 畳平バスセンター(6:45)~肩の小屋(7:30)~頂上小屋(8:25)~剣ヶ峰(8:30)~ 頂上小屋(8:35/8:50)~肩の小屋(9:20/9:25)~お花畑(9:55/10:15)~畳平バスセンター(10:20)で 総所要時間は3時間35分、万歩計は写真の様に16292だった。 私達がバスセンターに着いた時、ほおのき平に戻るバスがちょうどバス停に停まっていた。 幸運な事に、そのバスにはあと2席の補助椅子しか空いて無く、私達で満席になり、次の人はバスに乗れなかった。 私は1番前の補助椅子だったので、写真は乗鞍スカイラインを下りている時の物だが、相変らず濃霧は続いていた。 ところで私達は先程の雨で全身がズブ濡れに成っていた。 雨の予報では無かったので雨具ズボンは履いて無かったが、代わりにロングスパッツを着けていた。 しかし上着は一応GORE-TEX製の雨具を着ていたのだが、あれだけの強い雨風になると、どんなに性能の良い雨具でも役に立たない様である。 雨具のちょっとした隙間から雨が入り込んだ様で?私達は下着まで全身がズブ濡れ状態で、暫らくすると寒く成って来た。 靴も一応GORE-TEX製の物だったが、どこからか水が入り込み、水の中に足を突っ込んでいる様な状態だった。 ほおのき平に着いてから靴を脱いで逆さまにすると、大量の水がドバ~!と流れ落ちて来た。 私はほおのき平に戻るまでの乗車時間(45分間)の途中からは寒気を感じていたので、もしかしたら風邪をひいたかも知れない?と思っていた。 それで、ほおのき平に着いたら二人とも直ぐに、着替えだけを持ってホテルの2階(男性)と3階(女性)にある温泉に飛び込んだ。 私達は身体が温まるまで、随分長い時間温泉に入っていましたので、お陰さまで二人とも風邪をひかずに済み、翌日からも旅を続ける事ができました。
ほおのき平でも一時は土砂降りの雨が降った!との事だったが、私達が着いた時には晴れていた。 それで私達は靴や雨具やシャツ・ズボン等を天日で乾かしていた。 しかし、すっかりズブ濡れに成ったそれらの物は短時間ではとても乾きそうに無かった。 予定では明日は 『白山』 に登る予定だった。 それで急遽首脳会談を開き、今日で6日連続で山に登っている事だし、ちょうど良い機会だから明日は休養日にして能登半島に行こう!と、両首脳の意見は一致した。 そう云う事で、ほおのき平で昼食後も付近を散策しながらゆっくりしていた。 そしてシャツやズボン等が半乾きしたので、それ以降は車内に紐を架け、それに干して乾かしながら道の駅・アルプ飛騨古川に向けて出発した。 2014年(平成26年)7月28日(月曜日) 快晴 弱風 昨夜は写真の道の駅・アルプ飛騨古川で車中泊し、6時前に車外に出ていたら同年代の男性から声を掛けられた。 会話すると同郷の方で、同年代である事、お互いにリタイヤして夫婦で山歩きしている事、今回も山が主目的だが 時々観光もする事、息子が東京にいる事、旅に出発した日が同じ19日でお互いに東京の息子が盆に帰省するので それまでに帰宅すれば良い事等、あまりにも共通点が多すぎ、お互いに驚いて笑っていた。 その上に奥方同士も若々しくて美人でスタイルが良く、旦那同士もダンディで格好良い事等、余りにも似ていた。(爆) この方達が美人の奥様と、ダンディなYさん御夫婦である。 奥様は20kg近くあるザックを担いで、Yさんと一緒にアルプスの山々をテント泊縦走したり、 単独で1ヶ月間にも及ぶ北海道への自動車旅行をされたりと、 その武勇伝には本当に驚かされた。 Yさん御夫婦とはお互いに 『また何処かの山で再会しましょう!』 と言いながらお別れした。 その後は下写真の道の駅で休憩しながら、能登半島一周に向かった。
この写真は能登半島・最先端の少し手前にあった、海辺の旅館である この旅館にはわざと電気を引いて無いらしく、 『ランプの宿』 の名称で、特に若者に人気が有る!との事だった。 その後は能登半島の最先端に行った。
その後は 『道の駅・すず塩田村』 にも立ち寄った。 転落した車 ↓ 昨日も 『ほおのき平』 から 『道の駅・アルプ飛騨古川』 に向かっている時に、乗用車同士が正面衝突し、 警察が片側通行規制をしていたが、今日は写真の様な河口に車が転落していた。 野次馬の私は車を停めて眺めていたら、そこに地元の野次馬連中がやって来て、 その中のお一人が久留米ナンバーを見て、久留米には友人がいるが懐かしいな~!と声を掛けて来た。 上の事故を見て、旅先で事故を起こしたら凄く面倒な事に成る!と思い、私は今まで以上に慎重に運転して行った。 写真はその後に立ち寄った、『道の駅・千枚田ポケットパーク』 で、 下写真の 『千枚田』 を見物に海岸まで下りてみた。(疲れた~!)
その後は、『道の駅・ふらっと訪夢』 に向かって行ったが、 その途中では日本海に沈む夕陽も見る事ができた。 当夜、『道の駅・ふらっと訪夢』 では写真の様なお面を被った人達に依る、太鼓演奏があった。 2014年(平成26年)7月29日(火曜日) 快晴 弱風 この写真が 『道の駅・ふらっと訪夢』 の建物で、駐車場は奥の方に写っている。 この道の駅で車中泊した私達は、有名な 『輪島朝市』 に行こう!と思い、ここを5時少し過ぎに出発した。 尚、今朝も車内に干している登山靴をチェックしたが、まだ内部が湿っているので、今日も観光をして過ごす事にした。 10分弱で朝市が開催される写真の 『朝市通り』 に着いたが、奥に見える2軒の店がテントを 設営している状況で、他の店はまだこの場所に来てもいなかった。(まだ寝てるのだろう!) テントを設営していた威勢の良いオバさんに尋ねると、朝市は8時位から!との事だった。 そんな時刻から開くのを、『朝市』 と称して良いのだろうか? 朝市と称するからには5時位から開くのだろうと!私は思っていたので、 それを聞いた時には、折角早起きしたのに~とムッ!としていた。(怒!) その後は 『道の駅・赤神』 に立ち寄り、トイレ休憩してから次の目的地に向かった。 下写真が能登半島では有名な 『ヤセの断崖』 である。 このヤセの断崖は松本清張の推理小説 『ゼロの焦点』 の映画化時、日本海に向かってそびえ立つこの断崖絶壁が舞台になり、一躍有名に成った場所です。 駐車場から5分位でヤセの断崖に着いたが、そこにはこの様な看板があった。 これがヤセの断崖で、断崖の上に立っているのは日本を代表する美人女優さんです。(爆) ヤセの断崖にはハマゴウの花が沢山咲いていた。 ヤセの断崖見物後は金沢市に行き、兼六園を見学した。
兼六園の後は隣接する金沢城を見学した。
白山山頂 ↓ 金沢城見学後はいよいよ明日登る 『白山』 の登山口に向かっった。 写真は前方に目指す 『白山』 の姿が見え始めたので写した物である。 これが白山登山口の一つである、『別当出合』 の駐車場である。 ここへの到着時刻は17時頃だったが、沢山の車が駐車していた。 この後は翌日(7月30日)の 『白山』 に続きます。 |