2014年(平成26年)7月26日(土曜日) 晴れ 弱風
これが第10カーブの少し上にある、中の湯登山口の駐車場である。 カーブ部分の広く成った道路の両脇に、30台前後?が駐車可能である。 私達がこの駐車場に着いた時刻は5時50分頃だったが、そんな時刻でももう数台分の空きしか無かった。 早速身支度をし、この駐車場を出発した時刻は6時5分だった。 これが出発して直ぐの登山道の様子だが、樹林帯の木陰を登る道は写真の様に狭かった。 当時刻には既に陽が射していたが、木陰の登山道は涼しく、私のザックにぶら提げている温度計は18℃だった。 出発して10分程した登山道脇には写真の様な物が放置されていた。 両側に車輪が有り、どう見ても自動車の残骸にしか見えなかった。 登山道の上部には林道や作業道等は見えなかったので、上から転落したのではなさそうだし、 かと言って、今迄の狭い登山道を自力で登って来るのは不可能だと思う。 それで私は、これは 『世界の七不思議に入れても良い謎だ!』 と思ったが(笑)、真相は何なんだろう? その後の登山道には中小の岩が現れ、徐々に険しく成ってきた。
焼岳・南峰 ↓ 出発して1時間35分程で平らな場所に出たが、そこでは大勢の登山者が休憩していた。 尚、この場所が最初のGPS軌跡図で 『休憩広場 = りんどう平』 である。 私達もここで喉を潤しながら5分ほど休憩した。 その後は下写真の様な登山道を登って行ったが、途中で喬木帯を抜け灌木帯の中を登って行った。 尚、当時刻の上空は雲一つ無い快晴で陽射しが強く、色白で餅肌が売りの私は日焼けを心配しながら登っていた。(笑)
休憩広場から上写真の様な登山道を50分ほど登ると、焼岳・北峰の下から噴き出している噴煙が見え始めた。 上写真を撮った同じ場所から下方を写した物であるが、私達の後からも登山者が列を成していた。 10分ほど登ると噴煙にかなり近く成ったが、風が強い様で噴煙は殆んど真横に棚引いていた。 更に数分登ると南峰と北峰との鞍部に出たが、南峰の直ぐ下には火口湖の 『正賀池』 があり、 水面には上空の青空が写っているのか?綺麗な色だった。 尚、南峰が焼岳の最高峰(2455m)で一等三角点も有るらしいが現在は崩落等で危険な為立入禁止に成っている。 北峰山頂 ↓ 南峰とは反対側に北峰があるが、鞍部からも北峰山頂を歩く大勢の登山者が見えていた。 ところで北峰に登る前にはあの噴煙の下を通らなくてはいけない。 今日は風向きが悪いようで、何だか?心配である。 と言うのも、あの噴煙の中には猛毒の硫化水素や二酸化流黄等が含まれているらしい?からである。 私は急いで遺言状を書いてから歩き始めた。(笑) これは噴煙の下を通る時に写した物であるが、噴煙で青空は見えず、私は息を止め早足で通り過ぎた。 1番噴煙の濃い場所は無事に通り過ぎたが、その後にも小さな噴火口があり、その周りは硫黄で黄色く成っていた。 槍ヶ岳 奥穂高岳 前穂高岳 上高地 ↓ ↓ ↓ ↓ これが焼岳・北峰山頂(2444m)だが、360度の展望で、後方は北東方向の景色である。 到着時刻は9時5分で、登山口から3時間ちょうどを要していた。 山頂には既に大勢の登山者が休んでいた。 上高地 ↓ これは東方向の景色であるが、上高地の右上には六百山~霞沢岳等が見えていた。 富士山 ↓ これは南東方向の景色だが、 遥か彼方に小さく富士山の山頂が見えた。(富士山を確認するまでは大変でした~・・・笑) 乗鞍岳 焼岳南峰 ↓ ↓ これは南方向の景色で、明日登る予定の乗鞍岳が見えていた。 この方達は山頂で一緒になり各方向の景色を教えて頂いた(感謝!)、東京・吉祥寺のまっちさん御夫婦である。 話していて実に楽しい陽気な御夫婦で、暫らくお互いに笑いながら話していた。 まっちさん御夫婦は息もピッタリで、カメラを向けると写真の様にバッチリ決まったポーズを決めてくれた。 山頂では各方向の景色を眺めて写真に撮ったり、まっちさん御夫婦と談笑して40分近くいた様である。 これは下山開始時に撮った山頂風景であるが、登山者は益々増え、そしてガスが一気に吹き上がって来た。 これは山頂部の端の方にアンテナを立てていたアマチュア無線の方である。 何処と交信できましたか?と尋ねてみると、1番遠くは四国でした!との事だった。 下山時は山頂の少し下にあり、岩に 『←焼小屋』 と書いてある、この場所から焼岳小屋に向かって下り始めた。 これは山頂から下り始めて20分弱した所で右側の眼下に見えていた、 目指す上高地を少しズームアップして撮った物である。 この登山道も登山者が列を成して登って来ていた。 この看板は更に20分ほど下りた所にあった物である。 焼岳・北峰 ↓ 上の看板の場所から上を見ると、写真の様に岩ばかりの急坂が続いていた。 西穂高岳 奥穂高岳 前穂高岳 上高地 ↓ ↓ ↓ ↓ 更に3分位下りると、鞍部の 『中尾峠』 が見え始めた。 更に5分強下りると中尾峠に着いたが、にここで左折すると右写真の様に 『中尾温泉』 に至る様である。
中尾峠では私達は直進して、上写真に写っているピークに向かって登っていた。 もう少しでピークに着くと云う頃に下の方から 『久留米のオジさ~ん!』 と、大きな声が聞こえて来た。 下を見ると、中尾峠にまっちさん御夫婦とWさんがいた。 私達が 『オ~イ!』 と答えながら大きく手を振りカメラを構えると、三人ともVサインで応えてくれた。 その時の姿をかなりズームアップして撮ったのが、左写真です。 その時は近くに居た人達も聞いていたので、私はどうせなら 『久留米のダンディなオジさ~ん!』 と 呼んで欲しかったナ~!と思った。(爆) 北峰 南峰 ↓ ↓ これは上写真を撮った所から、数分で着いたピークです。 ピークからは緩やかな下りが続いていた。 10分弱下りると、眼下に焼岳小屋が見えて来た。 焼岳小屋の横には分岐標識があり、ここで左折すると 『中尾温泉』 や 『西穂高岳』 方面に至る様である。 これが焼岳小屋であるが、ベンチが設置してあり大勢の登山者が休憩していた。 私達は疲れて無かったので、休憩せずに素通りした。 焼岳小屋からほんの少し進んだ岩には、『小屋マデ→121歩』 とユーモアのある文字があった。 その後は前方に六百山~霞沢岳、そしてその麓にある大正池等を見ながら下りて行った。 焼岳小屋から20分ほど下りると長いハシゴがあったが、写真はそこを下りているオバさんの雄姿です。 ハシゴ下では登る登山者で渋滞していた。 下写真はハシゴの下で登る順番を待っている登山者であるが、その中に一人だけ裸足の外国人(アメリカ人)がいた。 同行の日本人に尋ねると彼はちょっとした有名人で、既に富士山等にも裸足で登っている!との事だった。 どんな足裏をしているのかな~?と思ったので、足の裏を見せて欲しい!と言ったら、笑いながら見せてくれたのが右写真です。 世の中には色んな人が居るもんですね~!(笑)
その後は右手に土石流跡?を見ながら下りて行った。 その後もハシゴが現われた。 その付近ではゴゼンタチバナの花を見掛けた。 その後のハシゴです。 焼岳小屋から1時間ほど下りた所では、重たそうな荷物を担いだ二人の青年と擦れ違った。 尋ねると、焼岳小屋へのボッカで、週に4回している!との事だった。(お疲れ様です!) 更に30分ほど下りると、渓流に木橋が架かっていた。 私は渓流に下りて顔を洗ったが、冷たくてとても気持ちが良かったですね~。 渓流からほんの少し下りていると、若い外国人二組のカップルと擦れ違った。 4人ともあまりの軽装だったので、上高地のホテルに泊まっている観光客が散策しているのだろう!と思った。 その付近で見掛けた物で、ブドウに良く似ていたが何の実か?知らない。(既に2粒無いが、食べれるのかな~?) 後日、花の名前を調べている時に偶然判ったのですが、これは 『サンカヨウの実 = 食べられる』 との事で、 良く熟すればかなり甘いそうです。(食べてみれば良かったナ~!) 更に下りると、大きなブナの樹等も見掛ける様に成って来た。 そして焼岳小屋から1時間55分で林道に出た。 ここでGPSの番号を押そうとしたら画面が消えていた。 その前は焼岳小屋で押したが、そこで電池切れに成ったようである。 そう云う事で焼岳小屋からこの林道出合までは軌跡が取れて無かった。(切腹してお詫び・・・イテテ!) それからはその林道を進んで行った。 途中には大正池への分岐標識があったが、そこには行かなかった。 林道出合から25分ほど進むと、下写真の様な梓川沿いの遊歩道になったが、その辺りまで来ると観光客を多く見掛けるようになった。 右写真は、澄み切った綺麗な水色の梓川と、その向こう側に見えていた六百山~霞沢岳です。
遊歩道を数分進むと、ウエストン碑があった。 私はレリーフの前で軽く頭を下げて黙礼し、ウエストンに敬意をはらった。
更に遊歩道を歩いていると、道端に猿が居た。 そこに腕章を付けた監視員さんがちょうどやって来て、袋に入れた小石をその猿に投げて追い払った。 尋ねると、『人間は怖い!』 と言う事を猿に覚え込ませないと、日光の様に成りますから!と言ってあったが、 日光はどの様な状況に成っているのだろう? アッ!、以前にテレビで日光の猿の様子を放映していた事を今思い出しましたが、 日光では猿が観光客の食べ物や荷物を取って逃げたりしてましたね~。(コワ!) 私は上高地は涼しいだろう!と思っていたが、大変暑かった! 私のザックにぶら提げている温度計は何と!36℃を指していた。(九州より暑いぞ!、アッチッチ~!) ウエストン碑から更に25分ほど進むと、梓川に架かるあの有名な河童橋に着いた。 河童橋周辺は大勢の観光客で賑わっていた。 私達は河童橋のすぐ前にあるお土産屋でアイスクリームと良く冷えたスポーツドリンクを買ってから梓川の川原に下り、木陰で行動食を食べる事にした。 暫らくその木陰で休憩していたが、木陰の温度は28℃だった。
奥穂高岳 前穂高岳 ↓ ↓ これは河童橋を渡る時に、上流側に見えていた景色です。 河童橋を渡った後は、それ迄とは反対側の遊歩道を梓川の下流側に向かって歩いて行った。 そして15分ほど歩くと、バスセンターに着いた。 これがバスの切符ですが、バスセンターから中の湯までは770円/1人だった。 これはバスが大正池の横を通った時に写した物です。 ちなみに、このバスの運転手さんは若い女性で、愛嬌も良くてとても可愛かったですよ~♥ これが中の湯のバス停であるが、バスセンターから15分位で着いた。 中の湯バス停の直ぐ上には小屋があり、『卜伝の湯=700円/1人』 との看板があった。 バス停から道路を10分弱登って行くと右に分岐した道路があり、そこには 『中の湯温泉旅館』 の看板があった。 そこからは右折して登り始めたが、その道路は今朝、中の湯登山口の駐車場まで車で登って行った道路である。 その道路は、最初のGPS軌跡で分かる様にジグザクに登っている。 これは第7カーブの少し上にあった、『中の湯温泉旅館』 の立派な建物である。 尚、この少し先の広く成った路肩で、人が大の字に寝ていた。 私はそれが人とは気付かず、近付くと私達の足音でムックリ!起き上ったのでビックリ!した。 顔を見ると、今朝駐車場で隣同士に駐車した、神戸から来ている単独の中年登山者だった。 尋ねると、私達と全く同じ行程だったが、疲れたのでここで寝てました~!と笑っていた。 これが第10カーブの少し先にある、中の湯登山口の駐車場である。 出発時は30台位あったが、私達が到着した時は5台位しか残っていなかった。 尚、このあと車で下山時に、ここから三つ前の写真(中の湯温泉旅館の看板)までの距離を測ったら約4kmあった。 奥穂高岳 前穂高岳 ↓ ↓ 駐車場の正面には、この様な景色が見えていた。 今日の山歩きをまとめると、 中の湯登山口(6:05)~休憩広場(7:40/7:45)~焼岳山頂(9:05/9:45)~焼岳小屋(11:00)~ 林道出合(12:55)~上高地(13:50/14:55)~中の湯バス停(15:10)~中の湯登山口(16:25)で、 総所要時間は10時間20分、万歩計は36265だった。 この後は翌日(7月27日)の 『乗鞍岳』 に続きます。 |