2014年(平成26年)7月23日(水曜日) 晴れ 弱風
午前3時を今朝と言って良いのか?、明け方と言うのか?良く分からないが、 とにかく午前3時頃から数人の人が起き始め、ガサゴソ!と音を立てるので私も目が覚めた。 昨夜は19時半に寝て、それ以降はトイレにも行かずに爆睡したので、私は7時間半は熟睡した事になるが、 オバさんは後から良く眠れなかった!と言っていた。 3時15分頃起床し、私のザックにぶら提げている温度計を見ると15℃を指していた。 出来るだけ物音を立てない様にして其々の寝具を片付け、そしてザックを持って足音を忍ばせながら1階に下りた。 そして昨日買った水で歯磨きだけはしたが、洗顔までは出来ないのでウエットティッシュで顔を拭いて済ませた。 その後に身支度をし、暗闇の肩の小屋を出発した時刻は3時55分だった。 ヘッドランプで照らし出された写真の屋根は、先程まで私達が寝ていた2階部屋の屋根であるが、この屋根の下には 色々な事を教えてくれた東京・八王子市の中年御夫婦を始め、大勢の登山者がまだ寝ている筈である。 これは肩の小屋を出発して20分強した所にあった分岐標識を写したものだが、周りはかなり明るくなって来た。 北岳山頂 ↓ 上写真から10分強登ると、東方向の雲が少しずつ朝焼けし始めた。 日の出直後の景色であるが、当日の太陽は 『鳳凰三山』 の下から登って来た。 これが北岳の山頂標識であるが、到着時刻は4時55分だったので、 肩の小屋からの所要時間はちょうど1時間だった。 北岳山頂から南東方向に見えていた富士山である。 こうべ 私は霊峰・富士に手を合わせて頭を垂れ、今回の山旅の無事を祈った。 山頂部にあった三等三角点である。 文字が小さくて見辛いが、名盤には北岳ではなく 『白根岳』 とあった。 当時刻の北岳山頂には私達の他に2組(二人ずつ)の人達がいた。 1組は50代半ばで会社の同僚との事だったが、御一人は長崎県出身との事だった。 写真に写っている方達は大阪からの親子で、私達と同じ行程をテント泊で縦走し、 昨日は肩の小屋、今日は大門沢との事だった。 私はお二人のお歳を聞いて驚いた。 息子さんは凄く若く見えるので30代かな?と思っていたが、54歳です!との事に驚いた。 しかし、それ以上にビックリ!したのはお父さんの方で、何と!79歳との事であった。 二人とも私達の倍以上のザックを担いであるので、私がお二人に最敬礼したら笑ってあった。 アルプスには良く来てあるそうで、お二人からは見える山々の山名を教えて貰った。(感謝!) 私にはもうあんなに大きなザックを担ぐ気力も体力も無いが、 79歳になった時にもせめて元気で山歩きをしていたい!と思った。 それにしても親子でテント泊しながら山歩きする事を、私は素晴らしい事だな〜!と思うと同時に、凄く羨ましくも思っていた。 仙丈ヶ岳 甲斐駒ヶ岳 ↓ ↓ 北岳山頂から北方向に見えていた景色である。 甲斐駒ケ岳 八ヶ岳 鳳凰三山 ↓ ↓ ↓ 上写真の右側に見えていた景色である。 間ノ岳 北岳山荘 ↓ ↓ 北岳山頂で20分ほど休憩後は北岳山荘に向かって歩き始めた。 10分近く下りると、眼下の鞍部に北岳山荘の赤い屋根が見え始めた。 その後は下写真のような所を通って行った。 左写真の様に滑れば谷底まで落ちそうな所もあったが、そこには鎖が張られていた。 北岳山頂から35分ほど下りた所には写真の様な分岐標識があり、 ここで左折すると約30分で 『八本歯のコル』 に行けるようだ。 これは上の場所から、 『八本歯のコル』 方面を写したものであるが、 写真の様な痩せ尾根で、両サイドとも急傾斜であるのが分かった。 3日前(20日)に滑落事故が起きたのはその尾根のようである。 上の分岐標識から3分ほど下りると、写真の様に手袋の形をした岩があった。 中央アルプス 仙丈ヶ岳 ↓ ↓ 更に15分ほど下りた所で、右側に見えていた景色である。 間ノ岳 ↓ 更に10分ほど下りると、北岳山荘がかなり近くに見えて来た。 北岳山頂 ↓ 更に15分弱下りた所で振り返り、北岳山頂を写したものである。 北岳山荘の全景であるが、到着時刻は6時40分で、北岳山頂からは1時間25分も要していた。 北岳山荘の横には雪渓があった。 北岳山荘は昨夜私達が泊まった肩の小屋に比べると大きく、そして綺麗だった。 写真は裏側の南東面を写したものであるが、窓には布団が干してあった。 私達は建物の直ぐ下にあるベンチに腰掛けて朝食を食べる事にしたが、 隣のベンチでは北岳山頂で会った、大阪のアイアンマン親子が朝食中だった。 肩の小屋で貰った弁当である。 昨夕、明朝は早出するので朝食の代わりに弁当にしてして欲しい!と受付けに申し出たところ 弁当は既に幾つも用意してあり、その場で二人分を渡された。 富士山 ↓ 山荘裏のベンチからは正面に富士山を見ながら朝食を食べたが、 空気が爽やかで気持ち良く、朝食が凄く美味しかったですね〜! 北岳山頂 八本歯のコル ↓ ↓ またベンチから左側には写真の様な景色が見えていたが、 こうして見ても八本歯のコルは急斜面ですね〜。(コワ!) 仙丈ヶ岳 ↓ 今日の行程には余裕が有ったので、私達は朝食後もお湯を沸かしてコーヒーを飲みながら、 2時間以上もゆっくりし、北岳山荘を出発した時刻は8時45分だった。 この分岐標識は北岳山荘の直ぐ上の縦走路にあった物であるが、 北岳山頂までは約1時間、間ノ岳山頂までは約1時間40分との文字があった。 甲斐駒ヶ岳 北岳山頂 八本歯のコル 鳳凰三山 ↓ ↓ ↓ ↓ 北岳山荘を出発して15分弱したところで振り返った景色。 縦走路の斜面には色々な花が咲いていた。 間ノ岳山頂 ↓ 北岳山荘を出発してから55分で1つ目のピークに出たが、目指す間ノ岳山頂には、 写真の様に途中で四つのピークを越えなくてはいけないようである。(フーッ!) 甲斐駒ヶ岳 北岳山頂 八本歯のコル 鳳凰三山 ↓ ↓ ↓ ↓ 更に30分位した所で振り返った景色だが、鞍部にある北岳山荘が小さく見えていた。 間ノ岳山頂 ↓ 二つ前の写真で間ノ岳山頂までには四つのピークを越える事は分かっていたのだが、 各ピークには写真の様に立派で大きい標識があったので、 それを間ノ岳の山頂標識と勘違いして登ってみると、それはケルンだったりして 何度もガックリ!しながら登っていた。 富士山 ↓ そしてこれがようやく着いた、『間ノ岳=あいのだけ=3190m』 の山頂である。 到着時刻は11時25分で、北岳山荘から2時間40分も掛かっていた。 これは途中で休んだり、雪渓で遊んだりしていた為である。 間ノ岳の山頂は広く、大勢の登山者が休憩していた。 私達もこの山頂部で周りの景色を見ながら行動食を食べて喉を潤し、35分ほど休憩した。 甲斐駒ヶ岳 北岳山頂 鳳凰三山 ↓ ↓ ↓ 間ノ岳山頂の直ぐ下には写真の様な雪渓があった。 私もこの様に写真を撮りにそこに行ったのだが、私が行った時には雷鳥はいなかった。 しかし農鳥小屋で一緒になった登山者の方は、この雪渓で親子三羽の雷鳥を写していた。 私の時は何処に隠れていたのだろう? 私は今回の山行では雷鳥を見るのも楽しみの一つだったので、大変残念で成らない。 尚、間ノ岳山頂から往復1時間半位で行ける、『三峰岳=2999m』 に行った人は 『雷鳥は三峰岳に沢山いましたよ〜!』 と言ってあった。 間ノ岳で35分ほど休憩後は今日の目的地、農鳥小屋に向かった。 写真は出発して3分位した所で撮ったものだが、 気取ったポーズで富士山を眺めているのはオバさんである。(笑) 間ノ岳山頂 ↓ これは上写真を取った同じ場所から反対側の間ノ岳山頂を写したものである。 間ノ岳山頂はだだっ広く、山頂の直ぐ下に雪渓が有るのを分かって頂けると思う。 農鳥岳 西農鳥岳 ↓ ↓ 上写真から3分ほど下りた所で撮ったものであるが、 明日登る予定の、『西農鳥岳』 や 『農鳥岳』 、そして鞍部には今日の目的地である 農鳥小屋の赤い屋根が小さく見え始めた。 上写真から10分強下りた登山道脇に写真の様な石碑があったので、何かな〜?と思って行ってみると それは慰霊碑だったので、私は手を合わせ黙礼してから通り過ぎた。 農鳥岳 西農鳥岳 農鳥小屋 ↓ ↓ ↓ この分岐標識は間ノ岳山頂を出発して1時間5分した所にあった物であるが、 今日の目的地である農鳥小屋の赤い屋根はまだ遠くに見えていた。(フ〜ッ!) 上写真では遠くに感じていた農鳥小屋であるが、実際には15分で着いてしまった。 到着時刻は13時20分で、間ノ岳山頂からは1時間20分の所要時間だった。
今日の山歩きをまとめると、 肩の小屋(3:55)〜北岳山頂(4:55/5:15)〜北岳山荘(6:40/8:45)〜 間ノ岳山頂(11:25/12:00)〜農鳥小屋(13:20)で 総所要時間は9時間25分、万歩計は写真の様に19761だった。 この方がネット上で有名な農鳥小屋の名物親父・深澤さんである。 年齢は私と同じ位だろうか? 深澤さんが持って来た宿帳に住所・氏名等を記入し、『7000円/1人 = 1泊2食』 を支払った。 それからこの農鳥小屋では 『1L/1人』 迄の水はタダだが、それ以上は 『1L=100円』 等との説明があった。 尚、この農鳥小屋の宿泊定員は120名らしいが、当日は深澤さんの他にスタッフは誰もおらず、 受付けから売店での販売、食事の用意や後片付け、あらゆる掃除や雑用等、一切を一人で切り盛りしていた。(驚!) この部屋が私達が泊まった大部屋である。 当夜はこの部屋には30人近く?が泊まったと思う。 農鳥岳 西農鳥岳 ↓ ↓ テントサイトは小屋奥の一段低く成った所にあり、当時刻には3張りのテントがあった。 トイレは小屋奥からテントサイトに下りる途中にあって3つの個室があり、手前2つが男性用で奥の1つが女性用との説明があった。 私もトイレを使用させて貰ったが、下・右写真の様に急傾斜になったトタン板で一旦受け、その後は自然に崖に垂れ流す方式に成っていた。
農鳥小屋には私達が泊まった大部屋の他にも小部屋の建物が幾つかあり、 団体等は人数に応じて他の建物に泊まっているようだった。 当日はNHKのスタッフ5〜6名が他の建物に泊まっていた。 この文書は同室の登山者がそのNHKスタッフから貰った物である。 それに依ると、この番組(新日本風土記)は現在放送されている日本百名山や 各テレビ局で行っている、実際に登山道を登りながらの山の紹介では無く、 山小屋の主人やそこに泊まる登山者に視線を当てた内容のようである。 放送予定日は下方に書いてある様に、2014年11月28日(金)、NHK BSプレミアムで 午後9時〜9時59分との事ですので、皆様も覚えていたら見てみて下さい。 もしかしたら私達が写っているかも知れません。(笑) 夕方にガスが下から湧き上がって来た。 そして太陽が反対側にあるので、ブロッケン現象が見れるかも知れない?との事で皆が外に飛び出し、下・左写真の様に並び始めた。 暫らくすると、薄くであるが右写真の中央部に写っている様なブロッケン現象が何回か現れた。 写真では薄く写っているが、肉眼ではもっとハッキリ見え、そして人が手を上下させたり広げたりするのを確認できた。 途中からテレビカメラを肩に担いだNHKのスタッフがその様子を撮影し始めたので、もしかしたら放映されるかも?知れません。 下の左写真が当日の夕食であるが、各自に配られた丸い皿はヒジキの煮付けで、中央部は共同のおかずで佃煮類と梅干である。
撮影時刻は18時50分になっていたが、ここでも稜線に沈む綺麗な夕陽を見る事ができた。 この農鳥小屋でも19時半には消灯になったが、その前に深澤さんがやって来て、明朝は3時45分に起こしに来るが、朝食は4時10分頃から!と告げて行った。 深澤さんはネット上で色々と批判されている?ようだが、この方の言動は 『登山者の安全を最優先に考えた上にある!』 と私は思った。 深澤さんが私達に何度も言った言葉は、『登山者の基本は、早寝・早立ちにある!』 であった。 深澤さんは前記したように、色々な事を全く一人でこなしている訳であるが、そんな事は何時やっているのだろう?と思う位、時々は私達とダベリングしたり、 犬を散歩に連れていったり、間ノ岳から下りて来る登山者を双眼鏡で眺めたりと、怪人二十面相の様な方で、本当に凄い働き者である。 私は当夜も直ぐに爆睡したようである。 下に今日の山歩き中に見掛けた花をまとめて掲載します。 尚、花名には自信は有りませんので、予め御承知置きください。
この後は翌日(7月24日)の 『白峰三山縦走・三日目(農鳥小屋〜奈良田)』 に続きます。 |