稲 積 山


 1/50000地形図上でのGPS軌跡(右側の軌跡が8日分で、左側の軌跡が9日分)
緯線・経線とも10秒間隔(緯線10秒間の距離=約310m、経線10秒間の距離=約250m)、水色の斜線は磁北線


経度   .
緯度   .







32°38′00″









32°37′00″











32°36′00″
         131°          131°          131°          131°         131°          131°
          02′           03′           04′           05′          06′           07′
          00″           00″            00″
           00″          00″           00″ 


2011年(平成23年)9月8日  晴れ  微風


今回は熊本県の山でまだ登った事の無い山に登る計画を立てた。

その山名は清和村にある 『矢筈岳、稲積山、遠見山』 である。

出発前日(7日)の夜、寝る前に見た天気予報でもその地方は今迄の週間天気予報と変わらず8日〜9日は晴れ予報だった。

その様な週間天気予報が数日前からずっと続いていた為に、私達は8日〜9日と1泊2日の山行を計画したのである。

だからオバさんは7日に近くのスーパーに買い出しに行き、8日の朝は早起きして宴会料理等の準備をしていた。

オバさんの準備が済み、朝食を食べながらテレビの天気予報を見ていると、その地方の9日の天気が 『昼から雷を伴った雨になるでしょう!』

との予報に突然変わっていた。(怒!)



インターネットでその地方の天気予報を見ても同様だった。

私はその天気予報を見て 『山中で雷に撃たれ、黒コゲになって死ぬのはイヤなので、中止しようかなー!』 と一瞬思った。

しかし直後に最近はメッキリ思考能力が衰えた感のある脳ミソを久し振りにフル回転させると、『雷が発生する前に下山すれば大丈夫なのでは?』 との考えが

浮かんで来た。(我ながらとても素晴らしい!発想の転換だと思う ・・・ しかし、こんなのを楽観主義者と言うのかも知れない? ・・・ 笑)

それで 『最初の山行計画を少し変更して実行しよう!』 との事になり、自宅を出発した時刻は8時半だった。



その後は何時ものように途中の道の駅等で休憩をしながら、新鮮なトマトを仕入れたりして、上掲 『GPS軌跡図』 の 『大官山林道入口』 に着いたのは13時10分で、

約150kmの走行距離に昼食休憩等を含めて4時間40分を要していた。

その様に時間が掛かったのは、『大官山林道入口』 にある 『稲積山登山口』 の標識が生い茂った草に覆われて見えなかった事も要因の一つである。

私達はその前を2度通ったのだが分からず、とうとう近くの民家に尋ねてやっとその場所が分かった。

その場所も私はちゃんと写真に撮ったのだが、後で間違ってそれ消去した為に、その 『大官山林道入口』 の写真を掲載する事が出来ない。(切腹して謝罪・・・イテテ!)



その為にその場所を文章で説明するが、『湯鶴葉集落』 の最後の民家を過ぎると直ぐ右側にお墓がある。

更に500m位?登ると、左カーブ部分の右側にビニールで覆われた椎茸小屋があり、その直ぐ左上にはドコモの電波塔があった。

その椎茸小屋から更に500m位?登ると、左側に未舗装の林道が現れるが、それが 『大官山林道入口』 である。

その林道は暫らく車で進む事が出来るが、途中で林道が崩壊しているので、横着せずに林道の入口部分に駐車した方が無難である。

私達はその入口部分に駐車して身支度をし、歩き始めた時刻は13時20分だった。




 写真は歩き始めて5分位した所の景色だが、写真のような赤松林が道の両側に現れ始めた。



 今からの季節はその林床にもしかしたら幻の 『天然マツタケ』 が出ているかも知れないが、

 私達は先を急いでいたので、それを探す事はしなかった。(欲しい方はお急ぎ下さい!・・・笑)












 その後の林道脇では写真のような 『マツカゼソウ』 の花が方々にあった。















 歩き始めて20分位した所では、写真のように林道が殆んど崩壊していた。















 その後は写真のように綺麗な緑の葉を付けた、気持ちの良いクヌギ林が両側に広がっていた。













 上写真のような気持ちの良いクヌギ林の中を5分ほど歩くと、右側に写真のような 『稲積山登山口』 の標識があった。



 標識は2つあったが、一つには山頂まで55分とあり、もう一つには70分とあった。












 上写真の分岐からは、クヌギ林の中の踏み跡を辿って緩やかな傾斜地を10分弱登ると、

 右側に写真のような 『石割ケヤキ』 の看板のある樹の横を通った。












 石割ケヤキを過ぎた所からは写真のような傾斜地を僅かに削った小径が続いていた。



 小径は写真のように平らでは無く、少し傾斜しているので歩き辛かった。











 上写真のような傾斜した小径を10分強登ると、右側に 『稲積山全望所』 の案内標識があったが、

 私達はそこには行かなかった。












 上写真の 『稲積山全望所』 標識から更に10分ほど登ると写真のような作業道に出た。


 この場所は 『GPS軌跡図』 の 『A地点』 になり、登山道は作業道を横切った所に続いていた。


 尚、この作業道を右折して進むと 『GPS軌跡図』 の 『B地点』 に出る。







 頂上近くで私達は間違ったテープに誘導されて、本来の登山道から外れてしまった。

 途中でテープが無くなってしまったが、そこから少し上に山頂部が見えていたので、

 私達は崖のような凄い傾斜地を何度か滑り落ちながら樹の根等を握って強引に登って行った。

 そのように私達は不覚にも間違ったテープに誘導されて進んだが、その間違ったテープを途中まで付けて

 引き返した人は、引き返す時に自分が付けた間違いテープはちゃんと回収して欲しいと思う。(怒!)

 しかし山頂に向かって強引に登った傾斜地には、写真のような 『シコクママコナ』 の花が沢山咲いていた。




そのような凄い傾斜地を5分近く登ると、下・左写真のような 『稲積山山頂』 に出た。

山頂部からは殆んど展望は無く、南東部の僅かな樹間から右写真のような 『向坂山』 が見えていた。

稲積山山頂
南東部の樹間に見えていた向坂山

稲積山の山頂は上写真のように展望が無いので私達は数枚の写真を撮り、喉を潤すと直ぐ下山する事にした。

下山する時はハッキリした踏み跡があったのでそれを辿っていくと、何故か? 『GPS軌跡図』 の 『B地点』 に出てしまった。

それでその作業道を右折して 『A地点』 に戻る事にした。



 回りの景色等を見ながら作業道を歩いていると、足元で何か動く物が目の端に飛び込んで来た。

 足元を見ると、着地した靴と5cmも離れていない所に蛇がいた。

 もう5cmほど横に着地していたら、その蛇を踏み付けていたところだった。

 私は驚いて跳び下がり、蛇を良く見るとマムシ特有の銭型模様があった。

 ビックリしながらも写真に撮ろうとしたら、マムシはゆっくりと道の端っこの方に移動して隠れてしまった。







 私は折角出合ったのだから 『袖振り合うも他生の縁』 と思い、記念写真を撮ってあげようと思った。

 それで長い枯れ枝を拾って来て、その枝でマムシを道の中央部まで引きずり出そうとした。

 そうしたらマムシが怒って、写真のようにこちらに向かって攻撃態勢に入った。

 それで私は慌てて落ち着いて後退したが、その時のマムシは怒りの為か?目が赤く光っていた。(コワ!)


 それにしても 『マムシを踏み付けなくて良かった〜』 と、私は後から自分の幸運を天にまします神に感謝した。(アーメン!)




その後は 『A』 地点まで戻り、往路と同じ道を通って駐車地に戻った。


稲積山の山歩きをまとめると、

         大官山林道入口(13:20)〜稲積山登山口(13:45)〜石割ケヤキ(13:55)〜A地点(14:15)〜稲積山山頂(14:40)〜B地点(15:00)〜

                           A地点(15:10)〜大官山林道入口(15:55)で、総所要時間は2時間35分、万歩計は11739だった。




 稲積山から下山後は、明日登る予定の 『遠見山』 の登山口に向かった。

 一度 『清流館』 の近くまで下り、今度は 『栗林集落』 を経て 『川ノ口集落』 に出た。

 そこで道が分からなくなったので、民家に教えて貰った細い道を進むと 『遠見山』 方面への林道入口には写真のような

 『全面通行止』 の看板が立っていた。

 それで再度尋ねに行くと、その看板は随分前から立っているそうで、

 『途中に数ヶ所の崖崩れ部分等が有るが、何とか車は通れますよ!』 との事だったので進んでみる事にした。






 林道の最初の方は真ん中部分に写真のような草が茂っている程度で、大した事は無かった。


 しかし途中からは崖崩れした場所や、岩が割れたばかりで尖ったままの破片や、水でえぐられた道路等が暫らく続き、

 私はそれらを避けて運転するのに必死で、それらの景色を写真に撮る余裕も無かった。









 そのような悪路を15分近く進むと写真の三叉路に出た。

 その角に標識があり、『左=遠見山登山口、車で5分』 、『右=矢筈岳登山口、車で3分』 の記入があった。

 私達はまず矢筈岳登山口を歩いて見に行ったが、林道の途中は水流で深くえぐられた所等が有り、

 4WDでは無い私の車での走行はとても無理である。

 15分程登るとスーパー林道に出たので、矢筈岳の登山口を確認後はまた写真の三叉路に戻り、

 今度は写真で直進した道(遠見山登山口方向)を車で進んだ。




 上写真で直進した道は中央部分に草が茂っている程度で、車の走行には別に問題は無く、

 5分程でスーパー林道に出た。(尚、この場所は矢筈岳登山口から1km位スーパー林道を登った所に当たる)

 『遠見山登山口』 はそのスーパー林道を横切った所に有った。

 『遠見山登山口』 の直ぐ横にも駐車地があったが、スーパー林道を500mほど登ると、写真のような広場が有り

 そこは見晴らしも良かったので、今夜はこの場所で車中泊する事にした。

 この広場の山側には写真のように材木が集積されていたが、左側は開けていた。

 尚、この広場の標高はGPSでは1068mと表示された。




 写真が当夜の宴会料理で、殆んどオバさんが早朝から自宅で料理したものである。

 宴会料理を簡単に説明すると、

       上段の左容器は、酢豚、

            右容器は、自家製の乾燥タケノコの煮付け、

        中段の両端は、 冷奴とミョウガ、

            真ん中は、サラミとタラ(これらはオバさんが作った物ではありません・・・笑)

        下段の左容器は、トマトとゴーヤのごま味噌炒め、

            右容器は、キュウリの塩もみとサバの塩焼きである。

 飲み物はビ−ル1缶ずつの他は、私は焼酎で、オバさんは梅酒である。





宴会は18時半頃から1時間ほど続いたが、最近私はアルコールに弱くなったようで?、何時もは殆んど飲んでしまう焼酎が今夜は半分位しか減らなかった。(悲!)

しかしオバさんは写真の梅酒を殆んど飲んでいた。(クソー!・・・怒!)



当夜私達は20時少し過ぎに寝てしまったが、寝る前に車内の温度計を見ると20℃で、シュラフを広げて身体に掛ける位でちょうど良い気温だった。

下写真は0時頃に尿意で起きた時に写したものだが、外が意外と明るいので上空を見ると月が出ていた。

左写真は殆んど満月のように写っているが、これは手振れの勢で実際は半分より少し大きい位の月だった。

また上空には満天の星が輝いていたが、南東方向の上空に移動している星が見えた。

それを双眼鏡で見てみると、その物体はグルグルと回転しながら移動していた。

それを私のデジカメで最大にズームアップ(10倍)して撮ったものが右写真である。

これも酷く手振れして写っているが、もしかしたらそれは現在も日本人の 『古川 聡 宇宙飛行士』 等が乗っている 『国際宇宙ステーションでは?』 と思った。

しかし後からもそれを確かめた訳では無いので、自信は全く無い。

0時頃の月
国際宇宙ステーション? or UFO?


遠見山、矢筈岳

2011年(平成23年)9月9日  曇り  弱風



 今朝は5時少し前に起きたが、その時に車内の温度計を見ると6℃だった。

 お湯を沸かし、『コーヒー、パン、バナナ、ゆで卵』 で朝食にした。

 その後に広場から500mほど下った、写真の 『遠見山登山口』 に移動した。

 尚、ここで右折した林道を車で5分ほど下りると、昨日通った三叉路に出る。

 又、この地点からスーパー林道を1kmほど下りると、昨日下見をした 『矢筈岳登山口』 に出る。

 遠見山には写真の左側に登っている狭い舗装林道を登って行くが、ここを出発した時刻はちょうど6時だった。








 上写真の林道を5分ほど登ると、左側に写真のような 『遠見山山頂40分』 と 『那須往還入口』 の案内標識があった。



 そこから山道に入った。













 写真は山道に入って5分弱登った所から見えていた北方向の景色だが、右側奥の山が 『矢筈岳』 である。















 山道に入ると暫らくは写真のような植林地の中を登って行った。















 3つ前の標識写真から山道に入って20分ほど登ると、右側に写真のような 『遠見山山頂』 への分岐標識が現れた。















 そこから左折した登山道は、写真のようなスズタケの中にあった。









上写真のような登山道を5分強登ると、下・中写真の 『遠見山=とおみやま=1268m』 山頂に着いた。

山頂からの展望は余り無く、下写真のように北方向と南東方向の景色が樹間から見える程度だった。

北方向に見えていたスーパー林道と矢筈岳
遠見山山頂
南東方向の景色





  遠見山山頂では写真を数枚撮り、景色を眺めたら直ぐ下山し、また那須往還に戻った。



 その後の登山道は写真のように良く手入れされた植林地の中を歩いて行った。(この付近は国有林らしい?)













 上写真のような植林地の登山道を15分ほど進むと、右側に写真のような 『鴨猪谷林道終点』 の分岐標識があった。









その後の登山道には下写真のような倒木が多かった。

これらの倒木はその朽ち具合から、平成2年に九州等を直撃した超大型の台風19号に因るものではないか?と私は思った。(あの時の風台風は本当に凄かったですね〜!)

倒木−1
倒木−2
倒木−3







  『鴨猪谷林道終点』 の標識から20分強歩くと、写真のような 『源氏夫婦ブナ』 が登山道の両側に立っていた。





















 そしてその地点には写真のような地図があった。



 九州脊梁山地では今年もトレイルランが行われるようである。



 去年の9月2日に小川岳に登った時もこのトレイルランの準備を

 見た事があった。(その時の様子はこちらから



 尚、帰宅してからこのトレイルラン大会の事を調べたら、

 今年は9月23日〜24日に行われるようである。

























 その後の登山道脇では、写真のように立枯れた樹に付いた大きなサルノコシカケも見掛けた。











 上写真の少し先位から道が広くなった。


 そして源氏夫婦ブナから15分程進むと、写真のような 『稲積山分岐標識』 が現れた。

 尚、この分岐地点には 『久保の憩(または息?)』 の地名が着いているようである。


 今回の当初の山行計画ではこの分岐地点から 『稲積山』 を往復する積もりだった。


 しかしその往復時間は90分位の所要時間が予想された。


 今日は午後から荒天になるとの予報だったので、午前中には下山したい!と思い、

 この時間の掛かる 『稲積山』 は昨日の内に別な登山口から登ったのである。





その後の那須往還は下写真のように広い所が多く、そして殆んど平坦な道が続いていた。

広い那須往還−1
広い那須往還−2




  『久保の憩』 から15分ほど進んだ所にある左折できる道にはトレイルラン大会に出場する選手がコースアウトしない

 ように写真のような進入禁止のテープが張られていた。(このような進入禁止のテープはその後に幾つもあった)



 尚、この場所の立ち樹には 『地図上の久保の憩=標高1434m』 と記入された標識が取り付けてあった。












 その後も 『那須往還』 を進んでいると、前方から黒い雲が早い速度でこちらに流れて来るようになった。















 上写真から5分ほど進むと写真のような広場に出たが、周りはガスに覆われ始めた。












 上写真の広場から少し先にあったぬかるみ地には、写真のようにまだ真新しい猪の深い足跡が暫らく続いていた。



 又そこにはつい最近の靴跡も残っていたので、トレイルランの関係者がコースの下見をしながら

 進入禁止のテープを張ったり、地図を設置したのだろう!と思った。









 上写真から5分弱進むと、『切剥(きりはぎ? or きりはげ?)』 との地名の付いた

 写真のような分岐地点に出た。


 写真で左の道が 『天主山』 に向かう道で、私達は右の道(那須往還)を歩いて来てこの場所に

 辿り着いた訳である。


 当初の計画ではここから20分ほど先にある 『三方山』 まで往復しようと思っていた。

 しかし今にも天気が崩れそうだし、それに昨年の9月12日にその区間は歩いた事があったので

 今回はこの場所から引き返す事にした。(昨年の9月12日の様子はこちらから






引き返す時は下の花等の写真を撮りながら、往路と同じ道を戻って行った。

オトギリソウ?
シコクママコナ
アケボノソウ





 ガマズミの実も写真のように赤く色付いていた。



 登山道脇ではサルナシらしきツルも沢山あったのだが、実は1個も見掛けなかった。












 『遠見山登山口』 近くまで下りると、次に登る予定の 『矢筈岳』 に写真のようなガスが押し寄せていた。










ところで今日歩いた『那須往還』の事を簡単に説明すると、自動車が普及する前の山間地の物資の輸送や人の往来は最短距離である山道を切り開いて行われていた。

この 『那須往還』 もその当時は 『熊本県の清和村』 と 『宮崎県の椎葉村』 間の物資を馬等で運ぶ主要な交易路であり、また生活道路でもあったようである。

又この 『那須往還』 の5km〜6km位東側には 『那須往還』 とほぼ並行して走る 『霧立越』 があるが、その 『霧立越』 も昔は当地方の重要な交易路だった。

『霧立越』 の方はそのロマンチックなネーミングもあり、登山道も良く整備されて花や見所も多く、また扇山小屋がある勢か?人気が高く、そこを訪れる登山者は多い。

しかしこの 『那須往還』 は余り知られていない勢か?、ここを歩く登山者は少ないようである。



『遠見山〜切剥』 の山歩きをまとめると、

          遠見山登山口(6:00)〜遠見山山頂(6:25)〜源氏夫婦ブナ(7:15)〜稲積山分岐(7:30)〜切剥(8:15)〜遠見山登山口(9:55)で、

          総所要時間は3時間55分、万歩計は21918であった。





 遠見山登山口に戻った後は直ぐ、昨日下見をしていた 『矢筈岳登山口』 に向かった。


 遠見山登山口から車でスーパー林道を1kmほど下ると、写真のような車両通行止めのロープが張ってあった。


 そのロープの先の林道が数十mに渡って道路が1mほど陥没していた。










 上写真を撮った同じ場所から、右横を写したものがこの写真で、正面に見えている山が 『矢筈岳』 である。



 私達はこの場所に駐車して 『矢筈岳』 に登り始めた。











 上写真で左奥に見えている黄色い看板のUPがこの写真である。



 この看板の右横に小さな赤テープがあり、そこから植林の中の山道に入る。











 山道は細い踏み跡を辿って登って行くが、ジグザグではなく直登なので、かなりの急傾斜である。



 写真は山道の真横の傾斜を写したものだが、写真のように30度近い傾斜があった。













 上写真のような傾斜地を10分強登ると、写真のような尾根道に出た。















 尾根道を5分弱進むと、前方には写真のように2m程あるススキが生い茂っていた。









そのススキを数十m掻き分けて進んだ所が、下左写真の 『矢筈岳山頂=1113m』 だった。

山頂の周囲は立ち樹やススキに覆われていて展望は無く、僅かに南方向の景色が見える程度だった。

私達は山頂のベンチに腰掛け、行動食やトマト等を食べて5分ほど休憩してから下山し始めた。

矢筈岳山頂
南方向の景色

この山で見掛けた花は少なく、僅かに下の二つだけだった。

キンミズヒキ
何かの花?の実

下写真はキノコかな〜?と私は思ったが、何だかサンゴのような形をしていた。

サンゴのような紫色のキノコ?
サンゴのような白色のキノコ?


『矢筈岳』 の山歩きをまとめると、

          矢筈岳登山口(10:05)〜矢筈岳山頂(10:25/10:30)〜矢筈岳登山口(10:45)で、総所要時間は40分、万歩計は2520だった。



これで今回計画していた山行は全て終了した。

8日〜9日と平日だった勢もあるかも知れないが、今回の山行ではついに一人の登山者とも出会う事はなかった。

それにしても9日朝に、ラジオの天気予報で聞いた当地方の天気でも 『昼位から雷を伴った雨になるでしょう!』 と言っていたのに、

実際には雨も雷も全く無かった。(僅か6時間先の天気予想が出来ないのだろうか?、気象庁はもっと確かな予報をして欲しい!・・・怒!)

しかし山の上にいる時に大雨にでもなれば、崖崩れが発生したり、土砂や岩や倒木が林道を塞いだりして、車で下山できない可能性がある。

今回は幸いにも天気予報が良い方に外れたので、私達はホッ!としながら平地まで下りたが、その時の時刻はまだ昼前だった。









 帰宅時には蘇陽町や白水村の農産物直売所に立ち寄り、今が旬で私の大好物である

 写真のように大きな 『地とうきび』 を15本買って帰った。













 写真は今からが旬の栗である。

 栗はオバさんも好きなので、私は帰宅時に地とうきびと共に買って帰る積もりでいた。

 ところが8日〜9日と清和村を車で移動していると、方々の道路上に栗が落ちているのである。

 清和村はかなり標高の高い所にあるので、道路はその山間を通っている。

 だから道の片側の土手上に畑があり、反対側の土手下にも畑が有るといった道路が多い。

 そして清和村は昔から栗栽培が盛んなようで?、方々の道路脇に栗畑があるのである。

 その殆んどの栗畑の周囲には猪等が入って来れないように、高圧の電気柵が張り巡らされて

 いるので、人間も中に入る事は出来ない。

 しかし土手上の栗の樹からは弾けて自然落下した栗の実が、土手を転がる時に勢いが付き

 道路上まで転がり落ちているのである。





清和村の中を車で移動しているとそんな所が何ヶ所もあり、私達はその都度車から降りてそれらの栗を拾っていた。(拾っている時に、目の前に落ちてきた栗もあった)

この辺の道路を通る人達は自宅で栗を栽培している人が多いのか?、栗が落ちていても誰も拾わず中にはタイヤで踏み潰されている栗も沢山あった。(勿体ない!)

帰宅して拾ってきた栗を選別すると、虫喰いや傷んだものが半分近くあり、大きくて新鮮なものだけを残して計ったら写真のようにまだ600g以上もあった。


そう云う事で現在私は、新鮮で美味しいタダの栗を食べたり、朝と昼には大好物の地とうびきを1本ずつ食べたりして、とても幸せな日々を過ごしています。(笑)

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