2011年(平成23年)6月13日 曇り 弱風 近年は毎年のように見物に行っている、くじゅうのミヤマキリシマの季節がやって来た。 しかし九州北部も梅雨入りして雨の日が多く、中々2日続けての晴れ予報が出なかった。 それで、『今年は諦めようかな〜?』 と思っているところに、13日〜14日と晴れマークの予報が出た。(気象庁さんありがとう!・・・笑) 13日の朝から山行の準備に取り掛かり、自宅を出発した時刻は11時頃だった。 途中の農産物直売所で 『キュウリとトマト』 を買ったり、『ほっともっと弁当』 を車中で食べたりしながら、くじゅうの牧ノ戸峠に着いたのは14時だった。 自宅から102kmの距離に3時間を要していた。 写真が出発時に写した牧ノ戸峠の様子である。 今日は平日の為か?満車までは無かったが、それでも空きスペースはそんなに多くは残っていなかった。 ひと (他人の事はあまり言えないけど、まったく暇な人達が多いね〜・・・笑) ここを出発した時刻は14時10分だった。 15分ほどで沓掛山の手前に設置してある大きな温度計に着いたが、 14時25分の温度は写真のように19℃だった。 その後、沓掛山の途中では写真のようなお揃いのジャージを着た高校生達と擦れ違うようになった。 温度計から5分ほどで下・左写真の 『沓掛山=くつかけやま=1503m』 山頂に着いた。 右写真はその山頂から前方を写したものである。 写真では小さくて良く分からないかも知れないが、下山して来る一般の登山者や青いお揃いのジャージを着た高校生達が続々とこちらに向かっていた。 途中で高校生達を引率してある先生にお尋ねすると、山口市にある鴻城高校の2年生で、毎年恒例のくじゅう登山との事だった。 総人数は2百数十名との事で、私が尋ねた付近は全体の先頭部分との事だった。(ウヘ〜!)
その後、暫らくはその高校生達と擦れ違うのにかなり苦労した。 それに 『出会った登山者には挨拶をするように!』 と学校からの指導がなされているようで?、皆が大きな声で 『コンニチワ〜!』 と挨拶して呉れるので、 それを無視する訳にはいかず、私達もその都度挨拶を返していたのでその高校生の列が切れる迄は大変だった。 その付近での時刻は15時に近かった勢もあって、高校生の列が切れてからも下山して来る大勢の一般登山者と擦れ違い、 その時間に登山しているのは私達だけだった。(何だか?少し恥ずかしかった) 下・左写真が 『肥前ヶ城=1685m』 の山頂だが、到着時刻は15時20分で、牧ノ戸峠から1時間10分が経過していた。 右写真が肥前ヶ城で1番開花して場所で、他の場所は蕾の方が断然多かった。 肥前ヶ城では写真のような濃いガスの為に景色は殆んど見えなかったので、数枚の写真を撮ったら直ぐ次の扇ヶ鼻に向かった。
下・左写真は扇ヶ鼻の山頂手前から写した景色だが、満開時は山頂より左半分はピンク色に染まる。 しかし当日は満開にはほど遠く、また写真のようなガスの為、期待していた景色は全く見る事が出来なかった。 左写真と殆んど同じ場所から写した数年前の満開時の写真は 『ごましお山荘−新館、心に残る風景』 をご覧下さい。 右写真が 『扇ヶ鼻=おうぎがはな=1698m』 の山頂だが、ここにも誰もいなかった。 この山頂も濃いガスで景色は全く見えなかったので、直ぐ下山する事にした。
写真は扇ヶ鼻山頂から下山する時に1番開花していた場所を写したものである。 尚、後方に薄く見えている山が先ほど登った、肥前ヶ城である。 その後は牧ノ戸峠に向かって一気に下山した。 下写真は今日の山歩き中に良く見掛けた花達である。
今日の山歩きをまとめると 牧ノ戸峠(14:10)〜沓掛山(14:30)〜肥前ヶ城(15:20)〜扇ヶ鼻(15:55)〜牧ノ戸峠(17:05)で、 総所要時間は2時間55分、GPSの累積距離は8.82km、万歩計は15638だった。 牧ノ戸峠に戻った後は、今晩の宿泊地である長者原に移動した。 長者原に着いたのは17時半位だったが、3ヶ所ある駐車場には沢山の車が駐車していた。 私達が駐車した直ぐ近くの車だけでも 『関西・山陰・四国』 等のナンバーがあった。 少し離れた所では姫路ナンバーで同年代の?御夫婦が、椅子とテーブルを車の横にセットして宴会を始めていた。 写真が当夜の宴会料理で、全てオバさんが自宅で準備して来た物ばかりである。 簡単に説明すると 左上の容器は、こんにゃくと椎茸の煮物、 左下の容器は、水菜の胡麻和え、大根のシソ巻き、シソ入りベーコン、 ニンジン、トマト、キュウリ、 右上の容器は、山竹(サンチク)とワラビの煮物、 右下の容器は、豚足、 その下は鰹節を掛けた冷奴である。 飲み物は缶ビール1本ずつの他は、オバさんは梅酒で、私は焼酎である。 当夜の宴会は何時もより1時間ほど早い18時過ぎ位から始まり、19時半位まで続いた。 オバさんは豚足を余り好きではないが、私は嫌いではないので3本とも全部私が一人で食べた。 その豚足にはコラーゲンが大変多いので、近日中に私の顔は 『ゆで卵のようにツルツルに成っている!』 と思います。(笑) 宴会が終わった時はまだ少し明るさが残っていたが、私は既に酔っ払っていたので、当夜は当世の幼稚園児より早い20時前には寝たと思います。(エライ!・・・笑)
2011年(平成23年)6月14日 晴れ時々曇り 弱風 今朝は5時前に起きた。 写真は5時少し過ぎに写した、ビジターセンター横の駐車場の様子である。 写真のように多くの車が停まっていたが、半分以上の車には人は居なかった?ので、 その人達は法華院温泉に泊まっているか、坊ガツルでテントを張っている人達だと思う。 長者原で車内の整理をした後は吉部登山口に移動した。 驚いた事に吉部登山口の有料駐車場(千円)には既に数十台の車が駐車していた。 写真が吉部登山口だが、今回のルートは去年の『平治岳』、及び一昨年の 『くじゅう周回』 と殆んど同じなので 今回はルートの説明は省略する。 ここを出発した時刻は6時ちょうどだった。 写真はスタートして1時間5分で着いた 『小窓展望所』 と呼ばれている場所である。 私達は写真のような景色を眺めながらそこにあった倒木に腰掛け、『ホットコーヒー、パン、ゆで卵、バナナ』 を 食べながら15分ほど朝食休憩にした。 下写真はその付近で見掛けた花達である。
小窓展望所から20分ほど登ると、『平治平』 と呼ばれる場所に出た。 正面には写真のように平治岳が聳えていた。 三俣山 ↓ 平治平から35分ほど急坂を登ると、写真の 『平治岳=ひいじだけ=1643m』 本峰に出た。 山頂部の周りは少し伐採されていて、見晴らしが良く成っていた。 下写真は平治岳本峰で写したものである。
下・左写真は本峰から南峰に移動する途中で、本峰の先端部を写したものである。 右写真は南峰の岩上から本峰を写したものである。
下・左写真は南峰から下に見える大戸越を写したもので、右写真はそれとは逆に大戸越に下りてから南峰を写したものである。
写真は南峰から大戸越に下りる時に写したものだが、南峰の岩上には三脚を構えてガスが切れるのを 待っているカメラマンが多かった。 本峰〜南峰間の去年までの登山道は、擦れ違うのに少し苦労する位のミヤマキリシマのトンネルがあったが、 今年はその多くが伐採されて無くなっていた。(枯死したのだろうか?、それとも今冬の大雪で折れたのだろうか?) また南峰から大戸越への下り専用道も、多くの樹木を伐採して新しく造られていたが、 そんな必要があったのだろうか?(去年までに比べて、何だか?凄く遠回りしているような気がした!) 私達は大戸越(うとんごえ)で腰掛け、行動食を食べながら15分ほど休憩した。 休憩している間にも坊ガツルや男池方面から続々と登山者がやって来て、南峰に向かって列を成して登っていた。 南峰 本峰 ↓ ↓ 大戸越からは今度は北大船山を目指して登って行った。 大戸越から30分強登った開けた所からは、写真のように平治岳と大戸越が見えていた。 中岳 三俣山 ↓ ↓ 大戸越から55分程で写真の 『北大船山=きたたいせんざん=1706m』 に着いた。 この付近で擦れ違った、徳島から来たと言う同年代位の?女性二人から、平治岳への道を尋ねられた。 その方達は昨夜は法華院温泉に泊まったとの事だったが、百人位が宿泊していた!と言ってあった。 私は四国の人は土佐弁とか伊予弁(それらは名称だけしか知らず、実際に聴いた事は無い)等を話すと思っていたが 徳島の人は殆んど関西弁なのですね〜。(笑)
段原で5分ほど休憩し、その後は20分程で下写真の 『大船山=たいせんざん=1786m』 の山頂に着いた。 下写真はどちらも山頂から写した景色だが、この山頂部周辺のミヤマキリシマはまだほんの少ししか開花していなかった。 大船山の山頂では多くの登山者が休憩していた。 私達もホットコーヒーを飲みながら行動食を食べて25分ほど休憩した。
大船山で休憩した後は再び段原まで戻り、今度は立中山を目指した。 写真はその途中で見掛けたキクラゲ?だが、写真のように色も形も触感も凄く気持ちが悪かった。 このように凄く気持ちの悪いキクラゲを最初に食べた人と、ナマコを最初に食べた人は 『ノーベル勇気賞をあげたい位に偉い人!』 だと思いますが、皆さん!どうでしょうかネ〜?(笑) GPS軌跡図で 『分岐』 地点から立中山に下りる登山道は余り人が通らない為か?、写真のように枝葉が登山道を 塞いでいて、それらを掻き分けながら進む所が多く、また途中には登山道がハッキリしない所もあった。 そんな登山道で、登って来る単独の中年女性に出会ったのでビックリ!したが、途中で道に迷った!と言っていた。 北大船山 段原 大船山 ↓ ↓ ↓ 写真が 『立中山=たっちゅうざん=1464m』 の山頂だが、 大船山の山頂から1時間30分を要していた。 山頂には単独の若い女性が、坊ガツル等の景色を見ながら休憩していた。 この女性から記念撮影のシャッターを頼まれたので会話するようになったが、 私達の隣市に住んでいる女性だった。 私達も山頂で景色を眺めながら 『行動食、トマト、キュウリ』 等を食べて30分ほど休憩した。 写真は1番開花している所を写しているが、去年と比べると花がかなり少ないように感じた。 またこの山頂部でも伐採したミヤマキリシマが広場に山積みされていた。 (ついでに登山道を塞ぐ枝等も伐採して呉れたら良いのに〜!) 立中山で休憩後は鉾立峠に下り、そこからは法華院温泉を目指して下りて行った。 下・左写真は法華院温泉に着く少し手前にある、『白口谷』 を通って中岳等に登る入口だが、土石流が多発しているらしく写真のように通行禁止になっていた。 右写真は左写真を写した同じ場所から、反対側の 『平治岳〜北大船山〜大船山』 を写したものである。 立中山の山頂から見た時もそう思いましたが、こうして 『平治岳〜北大船山〜大船山』 の稜線を見ると、何だか?お釈迦様が横たわっておられる涅槃像の上半身に見えませんか?
写真が法華院温泉である。 ここでは法華院温泉の上の方に更に砂防ダムを造るとの事で、大型重機が通る橋や道を新しく造っていた。 私達はここで水を補充し、テーブルをお借りして行動食を食べながら20分ほど休憩した。 平治岳 北大船山 ↓ ↓ その後は坊ガツルの横を通っった。 今朝、平治岳の山頂から見た時は40〜50張り位の?カラフルなテント群が見えていたが、 この時刻は10張り位に減っていた。 その後は大船林道を歩いて吉部登山口に戻った。 下の花は大船山からの下山中に見掛けた花達である。
今日の山歩きをまとめると、 吉部登山口(6:00)〜小窓(7:05/7:20)〜平治岳(8:15/8:40)〜大戸越(9:00/9:15)〜北大船山(10:10)〜段原(10:20/10:25)〜 大船山(10:45/11:10)〜段原(10:25)〜立中山分岐(11:50)〜立中山(12:40/13:10)〜 法華院温泉(13:35/13:55)〜吉部登山口(15:20)で、 総所要時間は9時間20分、GPSの累積距離は18.56km、万歩計は34709だった。 以上のように今回の山歩きではくじゅうのミヤマキリシマ群生地を数ヶ所見て回ったが、今年は去年に比べると全体的に花付きが悪いように感じた。 話は変わるが、写真は昨日(6月15日)漬けた来年用の梅酒10リットルである。 この梅酒も来年はその殆んどをオバさんが一人で飲んでしまうと思う。 唄の題名等は忘れましたが、私達が若い頃に流行ったフォークソングの中に 『大きなおむすび10個持ち、ケメ子が八つに、僕二つ ・・・ 』 との歌詞がありましたね〜。 我が家の梅酒の場合はそれより酷く、 『美味しい梅酒をグイ!と飲む、オバさん9杯、僕1杯 ・・・ 』 になると思います。(怒!) |