立 中 山


1/50000地形図上でのGPS軌跡
緯度・経度とも10秒間隔(10秒の緯度の距離=約310m、10秒の経度の距離=約250m)、水色の線は磁北線
26日=右の軌跡、27日=左の軌跡


2011年(平成23年)3月26日  曇り時々雪  冷たい弱風


今回の山行には幾つもの目的が有った。

  1. 10日前位に発売された 『Green Walk Vol.38』 で紹介の、『くたみ分かれ』 周辺にあると言う、4千本にも及ぶ山桜の下見。

  2. 今の時期が満開と予想される 『佐渡窪のマンサク』 の見物。

  3. 26日に延期されていた 『坊ガツルの野焼き』 の見物。

  4. 今の時期に男池周辺に咲くと予想される 『ユキワリイチゲ』 と 『アズマイチゲ』 の見物である。


 写真が坊ガツル等への登山口となる駐車場である。

 この駐車場はGreen Walk Vol.38の紹介記事にあるように、『レゾネイトクラブくじゅう』 の職員用駐車場との事なので、

 私達は邪魔にならないよう隅っこの方に停めさせて貰った。

 尚、自宅からここ迄は約107kmで、2時間15分を要していた。

 私達がこの駐車場に付いて準備している間にも幾組かのパーティ(合計20人前後?)が相次いで出発して行った。

 私達がこの駐車場を出発した時刻は9時50分だったが、直前に写真に写っている6人パーティも出発して行った。










 駐車場から10分強歩くと、紹介記事にある写真のような 『イタヤカエデの大木』 があった。









『イタヤカエデの大木』 周辺の登山道脇では、下写真のような 『キツネノカミソリ』 と 『バイケイソウ』 の葉っぱを見掛けた。

キツネノカミソリ
バイケイソウ




 『イタヤカエデの大木』 から5分弱進むと、写真のように見渡す限りが山桜の林が現れた。



 紹介記事にあるようにここはまだ整備中との事で、林床には山桜に絡まっていたツルや

 枯れた山桜を伐採した物等が方々に山積みされていた。



 この山桜は1997年頃に4500本植樹され、現在は4000本位が残っているとの事だが

 写真のような山桜林の中を 『くたみ分かれ』 に着くまで5分ほど歩いて行った。














 写真が 『沢水(そうみ)展望台』 からの登山道と合流する 『くたみ分かれ』 で、4千本の山桜林を抜けた所にある。









『くたみ分かれ』 から山道を20分弱登ると、下・左写真のような道標が現れたが、その周辺一帯には右写真のような黄色のマンサクが数多く咲いていた。

くたみ分かれから20分弱の所にある道標
道標周辺に咲いていたマンサク






 その後の登山道脇でも方々でマンサクを見掛けたが、写真は上写真の道標から20分ほど歩いた所で現れた

 『鍋割峠』 の標識である。








『鍋割峠』 から10分程で下・左写真の 『佐渡窪』 に下りた。

左写真では良く分からないが、佐渡窪周囲の山の斜面にはマンサクが沢山あるようで、黄色の花を付けた樹が方々にあった。

右写真は佐渡窪の登山道脇で見掛けた、ほぼ満開のマンサクの花である。

佐渡窪の木道
登山道脇で見掛けたマンサク(後方は白口岳)


 『佐渡窪』 からまた山道を25分ほど登ると、写真の 『鉾立峠』 に着いた。

 『鉾立峠』 は 『白口岳』 と 『立中山』 の鞍部となる峠である。


 標識の後方の山は 『白口岳』 で、その時はそこに登っている登山者は1人も見掛けなかった。

 しかし写真とは反対側になる 『立中山』 には20人位の登山者が列をなして登っているのが見えた。


 私達は 『立中山』 には帰路に登る予定だったので、直ぐ 『坊ガツル』 に向かった。





 写真は 『鉾立峠』 から 『坊ガツル』 に下りる途中で写したものだが、

 この時は雪が降って来て周囲の景色が良く見えなかった

 尚、正面に薄く見えている山が 『三俣山』 で、その麓に 『法華院温泉』 がある。


 その付近で擦れ違った登山者に、19日から今日に延期されていた 『坊ガツルの野焼き』 の事を尋ねると、

 『悪天候の為、30日に又々延期された!』 との事だった。(残念!)








 『鉾立峠』 から約25分で写真の『法華院温泉』に下りた。



 天気が良ければここのベンチで昼食の予定だったが、 雪が降って寒いので法華院温泉には立ち寄らず、

 『坊ガツル』 の避難小屋に行って食べる事にした。












 写真は 『坊ガツル』 に向かう途中の木道だが、木道下の水溜りは写真のように凍結していた。












 写真の右側に見える建物は 『坊ガツル』 にある炊事場だが、

 その前には写真のような2張りのテントがあり、少し離れた所にも1張りのテントがあった。



 尚、登山道の奥の方に小さく写っている建物が避難小屋である。









 写真が避難小屋の室内だが、誰もいなかった。



 この避難小屋は昨年(2010年)の4月に新築されたばかりなので写真のように綺麗だが、

 小屋全体がコンクリート作りの為、トンネル内のように音が反響し、お互いの言葉が良く分からない時があった。







 写真は鍋から立ち上がる湯気の為に少し霞んでいるが、当日の昼食である。

 昼食を説明すると、上は 『ホットドッグ』 、中は 『豆腐白玉のキナコまぶし』、

 下の鍋は 『マーボ春雨(ホウレン草と焼き麩入り)』 である。


 昼食中に鹿児島から来たと言う3人の登山者がやって来て、弁当を食べ始めた。


 彼等と会話しながらふと窓に目をやると、外ではまた雪が舞っていた。




         立中山                    白口岳
           ↓                       ↓



 小屋の中も結構寒く、歩いていた方が温まるので、昼食を終えたら早速下山する事にした。


 写真は帰路の坊ガツルで写したものだが、坊ガツル内を流れる鳴子川の両岸には

 写真のように満開のマンサクの樹が沢山あった。

 私は坊ガツルにこんなに沢山のマンサクがあるとはこれ迄全く知らなかったので少し驚いた。


 今日歩いて来た登山道脇や佐渡窪周辺にも沢山のマンサクの樹があったが、

 その殆んどは登山道からかなり離れた所にあり、また高木が多かった。

 しかし坊ガツルのマンサクは殆んどが低木の為、目前で観れる物が多いのでお薦めである。










 坊ガツルから鉾立峠まで戻り、立中山に登り始めた。



 写真は登る途中に写しものだが、雪融けで登山道がぬかるんでいた為、かなり歩き辛かった。







                         大船山
                          ↓




 写真が鉾立峠から20分程で着いた、『立中山=たっちゅうざん』 の山頂である。



 山頂には誰もいなかった。



 尚、立中山の山頂部は 『平治岳』 程では無いが、かなりのミヤマキリシマの群生地で、

 写真で山頂標識の後ろに見える低木は全てミヤマキリシマである。












 その後は往路と同じ道を辿って登山口に戻った。


 写真は戻った時の駐車場の様子で、時刻は16時15分だった。


 尚、道路の向う側に見える建物が 『レゾネイトクラブくじゅう』 である。







今日の山歩きをまとめると

      駐車場(9:50)〜くたみ分かれ(10:20)〜鍋割峠(11:05)〜佐渡窪(11:15)〜鉾立峠(11:45)〜法華院温泉(12:10)〜

      坊ガツル避難小屋(12:25/13:15)〜鉾立峠(14:00)〜立中山(14:20)〜駐車場(16:15)で総所要時間は6時間25分、万歩計は26599だった。


下山後はくじゅう周遊道路を通り、明日登る予定にしている 『黒岳』 の登山口である 『男池』 に向かった。

その途中で何ヶ所かに立ち寄った為、『男池』 に到着した時刻は18時近くになり、入場係りの方は既に帰っていて入口にはチェーンが架かっていた。

しかし、ちょうど中から出て来る登山者がいたので、男池周辺に咲く 『ユキワリイチゲ』 と 『アズマイチゲ』 の事を尋ねると、

『今年は開花が遅いようで?、まだどちらの花も咲いていない!』 との事だった。



今晩、私達は男池駐車場に泊まり、明日の朝から黒岳に登る積もりだったのだが 『そのような事ならば出直そう!』 との事になった。

男池駐車場は携帯電話が良く繋がらないので、緊急連絡等が有った時に困るのである。 そう云う事で長者原駐車場に移動する事にした。

尚、男池駐車場で車中泊するような車はその時刻は1台しか見当たらなかったが、長者原駐車場に行くと車中泊するような車が沢山停まっていた。

 長者原で車内の整理を行ってからベッドメーキングをし、写真の宴会料理を食べ始めた時刻は19時10分頃だった。

 今日の宴会料理を簡単に説明すると

 左上の皿は(塩クジラ)と(小魚の甘露煮)、左下の皿は(厚揚げとコンニャクの煮物)、

 右上の皿は(筑前煮)、右下の皿は(ビーフン)で、全てオバさんが自宅から持って来た物を鍋で温め直した。

 飲み物は缶ビールを1本づつの他は焼酎とウイスキーである。


 当夜の宴会は20時半頃まで続き、色々な防寒対策をしてシュラフの中に潜り込んだのは21時位だった。





牧ノ戸峠〜久住山〜中岳〜星生山〜牧ノ戸峠


2011年(平成23年)3月27日  晴れ時々曇り  冷たい中風


今朝は7時に起床した。

昨夜の0時頃にトイレに行った時、車内の温度計を見たらちょうど0℃だった。

しかし起床して温度計を見るとマイナス2℃で、ガラス内側の結露はガチガチに凍結していた。

それでエンジンを掛けて室内を暖め、結露を融かしてから拭き取った。

その後は車内の整理整頓を行ってからお湯を沸かし,、『ホットコーヒー、パン、ゆで卵、バナナ』 で朝食にした。

朝食を食べながらオバさんと、『今日はどの山に登ろうか?』 と相談していたが、何となく 『久し振りに牧ノ戸峠から久住山に登ろう!』 との事になった。




 朝食後に長者原から牧ノ戸峠に移動した。


 写真が牧ノ戸峠の駐車場で、写真のごとく既に数十台の車が停まっていた。


 この駐車場を出発した時刻は8時50分で、上空は写真のような快晴だった。











 沓掛山までの日陰の登山道には写真のような残雪があり、凍結している所も多かったので

 滑らないように注意しながらゆっくりと登って行った。








八丁原の地熱発電所      涌蓋山
         ↓          ↓






 スタートして15分強で展望所に着いたが、写真はそこから眼下に見える牧ノ戸峠駐車場を写したものである。














 沓掛山の途中には大きな温度計があるが、9時10分の気温は写真のように2℃だった。













 沓掛山の少し手前の登山道脇にはマンサクの樹が数本あるが、そこのマンサクは殆んどが写真のような蕾だった。



 去年は3月16日に登っているが、その日のマンサクは盛りを少し過ぎていたので(その時の写真はこちらから

 今年は開花がかなり遅れているようである。






スタートしてから25分強で 『沓掛山=くつかけやま=1503m』 の山頂に着いた。


沓掛山山頂

沓掛山山頂から写した前方の景色
三俣山        星生山  .
↓           ↓ . 

その後の登山道にも写真のように残雪があり、凍結した所が多かったが 『今日は快晴なので、帰路には雪が融けて凄くぬかるんでいるだろうな〜?』 等と

オバさんと話しながら歩いていた。

登山道脇の土手では10cm位ある霜柱が、陽に当たって右写真のように崩れ掛けていた。

残雪が凍結していた登山道
崩れ掛かっていた、土手の霜柱

今朝は二人とも何だか?疲れを感じる事が多く、何度も小休憩しては行動食を食べて喉を潤していた。

下写真は 『久住分れ』 にある、トイレ(冬季は閉鎖)と避難小屋である。

久住分れにある、トイレと避難小屋
避難小屋の内部(誰もいなかった)





 久住分れからは久住山に向かったが、写真はその途中で写した、麓で行われていた野焼きの様子である。



 尚、煙の後方に薄く見えているのは 『阿蘇五岳』 である。












 私達が久住山山頂に到着する時は、山頂標識部分には写真のような登山者がいて、

 山頂周辺では多くの登山者が景色を眺めながら休憩したり昼食中だった。








硫黄山の噴煙        三俣山              天狗ヶ城
    ↓             ↓                  ↓





 写真が 『久住山=1787m』 の山頂である。


 私達も山頂部で景色を眺めながら行動食を食べ、25分ほど休憩した。


 久住山に登った後はどのルートを歩くか決めていなかったので、

 行動食を食べながらサミット会議を開いた結果、『次は中岳に登ろう!』 との事になった。










   天狗ヶ城       中岳     大船山
     ↓         ↓        ↓


 写真は久住山から稲星山方面に下りている時に、左側の景色を写したものだが、

 中岳の手前に見える、なだらかな山(山名は分からない)にはまだ登った事が無いので、

 『そこに登ってみよう!』 との事になった。



 尚、写真では良く分からないが、山頂部分に石碑が見えていた。





久住山から稲星山に下りる途中には下写真のような雪渓があり、急坂部分では上手に体重移動すると靴底が50cm近くズルーッと滑って身体全体が滑り落ちる。

それで、『これは楽チンだね〜♪』 と笑いながら二人ともその急坂部分の雪渓滑りを楽しんで下りていた。

しかし雪渓の途中には、右写真のように30cm位ある深さの足跡もあった。

稲星山                      .
↓                      .

雪渓の途中にあった、30cm位ある深さの足跡

           白口岳
            ↓




 写真は久住山と稲星山との鞍部にある、南登山口への分岐標識である。



 そこからは東千里浜の中を通って、山頂に石碑の建っている山に向かって登り始めた。













 写真がその山への登山道の様子だが、急坂部分は少なかった。









南登山口分岐標識から15分弱で 『御池=みいけ』 の上部に建つ、写真の避難小屋(池の小屋)に着いた。

池の小屋内には誰もいなかったが、右写真のようについ最近焚火をした跡が残っていた。

          池の小屋         石碑
            ↓            ↓
池の小屋の内部


星生山                   天狗ヶ城
  ↓                       ↓






 池の小屋の下方には写真のように凍結した 『御池』 が見えていた。









私達は池の小屋にザックをデポし、空身で石碑の建つ山頂部を往復して来る事にした。

池の小屋から石碑までは5分弱で着いた。

石碑には漢字ばかりの文字が刻まれていたが、表面が長年の雨風等で黒ずみ、刻まれている文字が良く判別出来なかった。

しかし判読できた文字によると、昭和5年8月11日に二人の青年がこの近くで遭難した事を何とか理解できた。

この石碑は山頂標識等では無く、遭難慰霊碑だったのである。



気になったので帰宅してからこの遭難慰霊碑の事をで調べてみると、蔵書の 『九重山博物誌=梅木秀徳著=葦書房』 に少し説明があった。

そして何と!Green Walk Vol.38 の53ページと127ページに、この遭難慰霊碑に付いての記事が掲載されていた。

更にインターネットで調べると、大分合同新聞九重山池の小屋遭難碑池の小屋遭難碑復旧、等にこの慰霊碑の事や復旧作業の様子が詳しく説明されていた。

   久住山                 星生山
   ↓                    ↓
遭難慰霊碑のUP






 遭難慰霊碑を後にしてからは再びザックを背にし、今度は中岳に向かった。



 写真は中岳・山頂直下の岩場の様子だが、大きな岩が多く登り辛かった。







下・左写真は中岳山頂から北東方向の景色で、平治岳の下方に裸地のように見える草原が昨日行った坊ガツルで、山頂標識の直ぐ右横の低い山が昨日登った立中山である。

下・右写真は中岳山頂から南西方向の景色で、白く凍った御池の左山頂部に先程行った遭難慰霊碑が小さく写っている。

         平治岳               大船山
         ↓                  ↓
小屋   慰霊碑  久住山      扇ヶ鼻        天狗ヶ城.
↓     ↓     ↓         ↓            ↓ .





 中岳山頂で5分ほど周りの景色を楽しんだ後は、御池を経由して下山する事にした。



 写真は御池にかなり近づいた所から写したものだが、池の左岸を多くの登山者が歩いていた。







私達も御池の氷上に乗ってみたが、氷はかなり厚いようで私達が乗ってもミシッ!とも云わなかったが、かと云って中央部分まで進んでみる勇気は出なかった。

御池の左岸を歩いていると、下・右写真のように誰かが氷に穴を開けていたが、氷の厚さは10cm弱だった。

御池の上に立つ、オバさん(後方は天狗ヶ城)
氷の厚さは10cm弱だった

   星生崎
    ↓






 御池で10分近く遊んだ後は写真の 『久住分れ』 を経由して、避難小屋の上を通り 『星生崎』 に登り始めた。









 天狗ヶ城                  久住山
   ↓                     ↓





 写真は星生崎の少し手前から、眼下の久住分れを写したものだが、

 広場の周囲には多くの登山者が阿蘇五岳等の景色等を眺めながら休憩していた。








   西千里浜          星生山
     ↓              ↓



 久住分れから星生崎まで10分程で登った。


 写真は星生崎の山頂部から、この後に向かう星生山方面を写したものである。


 私達は星生崎の山頂部で周りの景色を眺めながら行動食を食べ、10分ほど休憩した。






下写真は星生山に向かう途中で写したものである。

大きなチョックストーンの下を潜った
右下に見えた、硫黄山の噴煙
左下に見えた、ニタの窪

三俣山 平治岳            大船山           中岳
 ↓    ↓               ↓             ↓





 写真は星生崎から25分ほどで着いた、『星生山=ほっしょうざん』 の山頂である。



 山頂部では一人の男性が昼食中だった。



 山頂部は風が強くて寒かったので、私達は風景写真を数枚撮ったら直ぐ下山する事にした。












 星生山の少し下に 『大曲』 に下りる 『星生新道』 の分岐があるが、そこには写真のような立入禁止のロープが張られ

 環境省と林野庁名で 『植生保護及び事故防止のため、通行をご遠慮下さい』 との看板が立っていた。



 星生山の北西斜面にはミヤマキリシマの大群生地があり、近年私は毎年観賞に行っていた。(その様子はこちら

 その大群生地は星生新道からしか間近に見る事は出来ないので、そこが通行禁止になった事は大変残念である。





     星生山                星生崎
       ↓                   ↓


 その後は星生山の下にある 『ニタの窪』 に下りた。


 ニタの窪の池塘も写真のように凍っていたので、私がその氷上に乗ったら、乗った瞬間に割れ、

 両足がズボッ!とくるぶしの上位まで沈んだ。(驚!)


 しかし、スパッツをしていたお陰で靴の中に水が入らなかったので助かった。(ホッ!)





その後の扇ヶ鼻分岐〜沓掛山間の登山道は、登る時に心配したように残雪が融け、下・左写真のような状態だった。

そこでは泥が右写真のように靴底等にくっ付いて大変歩き辛く、その区間の歩行に1時間近くも掛かった。

雪が融けて、ベチャベチャになった登山道
泥が靴底等にくっ付いて重たかった

下山途中で若い単独の山ガールと一緒になり、3人で話しながら牧ノ戸峠まで下山したが、何と!その山ガールは割と近くに住んでいた。


今日の山歩きをまとめると、

         牧ノ戸峠(8:50)〜沓掛山(9:15)〜久住分れ(10:40)〜久住山(11:20/11:45)〜南登山口分岐(12:10)〜遭難慰霊碑(12:30/12:40)〜

                     中岳(12:55/12:55)〜御池(13:05/13:15)〜久住分れ(13:30)〜星生崎(13:40/13:50)〜星生山(14:15)〜

                     ニタの窪(14:40)〜牧ノ戸峠(16:00)で総所要時間は7時間10分、万歩計は28631だった。


自宅への帰路、国道442号線で瀬の本高原を走っていたら、左前方に野焼きの煙が立ち登っていた。

それで、急遽そちらに方向転換して駆け付けると、消防車が停まっていて、30m位下?の草原を野焼き中だった。


そこには先客が一人いて、その人は一眼レフカメラとビデオカメラの両方で撮影中だった。

野焼きは既に終盤に近く、私がその高台に着いた時は風向き通りに右から左に向かって、下・右写真のような炎が目の前に近づいて来るところだった。


私は 『下手な鉄砲も数打ちゃ当たる!』 とばかりに、炎に向けてバシャバシャ!とシャッターを切った。

私達がいる高台は野焼きの端から30m位?離れていたのだが、炎が目の前を通り過ぎる時はそんなに離れているにも関わらず、熱く感じて少し後退りする程だった。

炎の移動するスピードは風速にも因るだろうが?、思っていた以上に早く、アッ!と言う間に目の前を通り過ぎて行った。(左写真)

炎はアッ!と言う間に目の前を通り過ぎて行った
炎が目の前に来た時は、かなり熱かった

今回の山行では 『ユキワリイチゲ』 や 『アズマイチゲ』 の花を見れなかった事が残念だったが、『マンサク』 は思いがけない坊ガツルで間近に見る事ができた。

また目的の一つだった 『野焼き』 は坊ガツルでは見る事が出来なかったが、これも帰路に思いがけない所で間近に見る事が出来たので満足した。

それから 『くたみ分かれ』 周辺にある4千本の山桜が一斉に満開になれば、それはそれは壮観!だと思うので、

『今度はその時期に訪れてみよう!』 と思いながら私は車を走らせていた。

inserted by FC2 system