押戸石の丘(845m)


2010年(平成22年)4月5日(月曜日)   曇り時々晴れ   弱風


今回の山行には4つの目的があった。

    1番目は、阿蘇に行く途中にあり、グリーンウォーク(VOL18)で紹介されていた 『押戸石の丘』 に行ってみる事。

    2番目は、先日偶然に見たテレビで紹介していた 『内牧温泉』 を探索してみる事。

    3番目は、これも先日テレビで紹介していた 『免の石』 を見る事。

    4番目は、地蔵峠から俵山に登る事である。



今日の予定は1番目と2番目だったので、そんなに時間は掛から無いと思い、自宅で昼食を済ませてからゆっくり出発した。

久留米から阿蘇に行く場合は幾つかのルートがあるが、今回は 『押戸石の丘』 と 『内牧温泉』 を通る国道212号線(日田市で分岐)を走る事にした。


 南小国町を過ぎ、左手にあるコスモス村から1.5kmほど進むと 『第一赤馬場橋』 がある。

 そこで右折し、そこから始まる 『南小国西部農免道路』 を約2km進んだ所で現われる橋の手前・左側に

 『←押戸石』 の小さな道標があり、そこからは舗装された牧野道が分岐している。

 その牧野道を道なりに約600m進むと、紹介記事に掲載してある写真の作業小屋が現われた。

 その前には写真のように2~3台が駐車可能なスペースがあった。

 紹介記事に 『この部分から歩いた方が良い!』 とあったので、私達はここに駐車して歩く事にした。



下写真は 『押戸石の丘』 へ向かう途中で写した道や風景である。

未舗装部分も多かったが普通乗用車でも走れる程度の砂利道だった。

『押戸石の丘』 へ向かう途中の風景-1
『押戸石の丘』 へ向かう途中の風景-2

上のような道の横には下写真のような歌碑があったが、苔むしていて文字が良く分からない所もあった。

作者の文字は 『耕春』 だと思う。

歌碑として残る位だから、有名な歌人の有名な短歌だと思うのだが、私達は恥ずかしながらそんな歌人も短歌も知らなかった。(涙)

道の横にあった歌碑    
左歌碑のUP






 景色や道端に咲いている花等を撮影しながらゆっくり25分ほど歩くと、

 写真のように20台位?が駐車可能な広場とテーブルやベンチが幾つか設置されている場所に着いた。













 そこからは有刺鉄線が張られ、写真の標識部分から写真のように緩やかな丘を登って行った。








そんな緩やかな丘の途中には下の写真のような花が所々に咲いていた。

ハルリンドウ
キスミレ

5分程で丘の上に出たが、その丘の山頂部には下写真のような大きな岩が幾つもあった。

下・左写真がその中で1番大きな 『押戸石』 である。

私はその石のどの部分にあるのか分からなかったが、シュメール(古代)文字で 『神、雨、祈る』 等が刻まれているとの事である。

尚、『押戸石の丘』 に付いては次のURL(URL-1URL-2)で詳しく説明されていますので、興味のある方はそちらをご覧ください。

押戸石、後方は説明板
説明板のUP

丘の山頂部からは360度の展望で、周囲には下写真のような景色が広がっていて人工物は殆んど目に付かなかった。

尚、この場所は以前に 『風のダドゥ』、『まぼろしの邪馬台国』、『裸の大将』 等のロケ地になったとの事である。

ちなみに、私は2005年5月24日に阿蘇山へ山歩きに行った時、別な場所での 『風のダドゥ』 の撮影現場に出合った事があった。

当時はその映画のタイトルも良く知らなかったのだが、その時の様子は 『ごましお山荘新館・山行記』、『阿蘇山』 をご覧ください。

東方面の景色で、遠くにくじゅう山群
南方面の景色で、遠くに阿蘇五岳

それから少し時期が早かったのか?、紹介記事に掲載されているような 『キスミレの群生状態』 は見る事は出来ず、当日は下写真のような状態だった。

山頂部のキスミレ
山頂部のハルリンドウ

『押戸石の丘』 の見学を1時間程で終え、再び阿蘇へと向かった。

『大観峰』 を過ぎ、阿蘇北外輪山をグングン下り、阿蘇カルデラ内の平地まで下りると、そこが 『内牧温泉』 である。

先日(2~3週間位前?)、偶然に見たテレビで 『内牧温泉』 を紹介していた。

今回山行の2番目の目的は、この 『内牧温泉』 で宝くじが当たると云う 『福の神地蔵尊』 にお参りする事と、『公衆浴場』 を探索する事である。

私達は下写真の 『福の神地蔵尊』 にお賽銭を弾み1等当選を祈願しましたので、次回のドリームジャンボでは絶対に億万長者になっていると思います。(笑)

湧水もある、福の神地蔵尊
左写真の少し上にある、福の神地蔵尊が発掘された場所




 上写真の石段を登ると、そこからは内牧温泉の町並みと阿蘇五岳等が良く見えた。


 尚、右の方にガラス張りの建物(ドーム温室)が見えるが、現在ここはバラ園等になっている。


 しかし以前のこの地にはネズミ講で悪名高い、

 あの 『天下一家の会』 の本部があった場所である。


 以前のそこには大きなピラミッド型をした異様な建物があったが、

 10年位前?に解体されて現在のバラ園やレストラン等になっている。








 また階段を登った所には社があり、そこには写真のようにシャクナゲと桜の花が咲いていた。


 それからこの高台(湯山?)一帯は公園化されていて、

 写真に写っている湯山古道(一周1km)の案内板があった。


 まだ時間も早かったので私達はその湯山古道を一周する事にした。


 湯山古道の両サイドには墓地が多く、その墓地には阿蘇五岳を眺めて建つ

 大変立派なお墓が多くあり、あの世の高級住宅のような感があった。(笑)





湯山古道を15分程?で一周した後は 『内牧温泉の公衆浴場』 の探索に行く事にした。

私は事前にインターネットで大体の場所は調べていた。

最初に行ったのは下写真の 『薬師温泉』 で、駐車場は5台分位?のスペースが建物の前にあり、入浴料は大人が200円だった。

薬師温泉の外観
入口部にあったマップと料金表

2番目は 『薬師温泉』 から2軒先にある写真の 『新穂湯』 で、下・左写真の後方に車が見えている所が上の 『薬師温泉』 である。

この温泉は最近出来たようで?、まだ新しかった。

この温泉は個人宅の庭の中にあり、その家の前を通らないと入れないような作りになっており、私が行った時は室内に中学生位?の男の子がいて、

そこのガラス戸に料金表の張り紙(大人200円)があった。

ちょっと中を覘かせて貰う事にしたが、右写真のように浴場は大変綺麗で湯船には一人の男性が入っていた。

尚、ここの駐車場は3台分位?しかなかった。

新穂湯の外観
新穂湯の浴場

次に行ったのは下写真の 『大阿蘇』 である。

ここの駐車場は広く、10台位は駐車可能な広さがあった。

浴場は見なかったが、入浴料は右写真のように大人が100円だった。

大阿蘇の外観
入口部にあったマップと料金表

次は上の 『大阿蘇』 と川を挟んで相対するような位置にある、下写真の 『七福温泉』 である。

左写真の道路は川の土手上を通る道路である。

『七福温泉』 の建物は写真のようにその道路の下にあり、駐車場は見当たらなかった。

その道路に数台が路上駐車していたが、そこに駐車して良いかどうか?は分からない。

私がそこに行った時は男の引き戸が写真のように少し開いていた。

その入口部には 『のれん』 も何も無いので、中の脱衣場は道路から丸見え状態で、その時は数人の男性の裸が見えた。

しかし女の方の引き戸は右写真のようにピッタリと閉まっていたので大変残念だった。(もし見えたとしても、お婆ちゃんばかりだと思うけどネ!・・・グェ~!・・・笑)

尚、この 『七福温泉』 の入浴料は大人が100円である。

七福温泉の外観
七福温泉の入口

最後に行ったのは 『大阿蘇』 から西の方に300m位?離れた所にある下写真の 『田町温泉』 で、建物の横には写真のように広い駐車場があった。

ここに来た時の時刻は17時10分頃で、今日の最終目的地である 『道の駅・阿蘇』 に行くにはまだ少し早すぎた。

それで私達はこの 『田町温泉』 に入って少し時間を潰す事にした。

田町温泉の外観と駐車場
田町温泉の入口部


私が上・右写真のように、入口部はバラックのような感じのする建物の中に入ると1人の年配男性が着衣中で、

浴場には下・右写真のように誰も居なかったが、女性浴場からは数人の話し声が聞こえていた。

その年配男性に 『上写真の駐車場に停めて良いでしょうか?』 と尋ねると、その駐車場は近くの病院の職員駐車場なのだが、

『田町温泉に入る場合は空いている所に駐車しても良いですよ!』 との事だったので、私達はそこに駐車して入浴する事にした。

引き戸を開けて中に入ると直ぐ番台があったがそこには誰も居ず、料金箱が置かれていて一人100円の入浴料をそれに入れるシステムになっていた。



浴場は2層に分れていて、上段が熱く下段はぬるかったが、入浴マナーとして最初は必ず下の浴槽に入るように!との注意書きがあった。

私が入って5分位したところで、二人の同年代の方が入って来たので少し尋ねてみた。

そうすると 『内牧温泉』 の公衆浴場としては、この 『田町温泉』 が1番古く、50年位の歴史があるとの事である。

各家庭に風呂は当然あるが 『やはり温泉の方が良い!』 との事で、1ヶ月2000円で1日何回でも入り放題との事であった。

それから公衆浴場の他に 『地元住民しか入れない温泉も有る!』 との事だった。

田町温泉のマップと料金表
田町温泉の浴場

今回紹介した料金の安い公衆浴場以外にもあと5ヶ所あるようだが、それらは250円~500円と料金が高かったので私の調査対象にはならなかった。

『田町温泉』 に入浴後は内牧温泉街から約6km先にある 『道の駅・阿蘇』 に行った。

『道の駅・阿蘇』 の閉店時刻は18時との事で私達が着いた時は既に閉店していたが、駐車場には今夜ここで車中泊する車が既に10台位停まっていた。

しかし駐車台数は夏場や連休時等と比べると極端に少なく、ガラガラ状態だった。

駐車している方達を見ると私達と同年代位の御夫婦ばかりで、九州ナンバー以外に多摩ナンバー・名古屋ナンバー・和歌山ナンバー等の車もあり、

その中には車の横に折り畳みテーブルを組み立て、そこに腰掛けて夕食中の御夫婦もいた。



 写真が当夜の宴会料理で、簡単に説明すると、オバさんが自宅から持って来た物ばかりで

       上段の左容器は、(ホウレン草、ニンジンとモヤシの胡麻和え)、

       上段の右容器は、(鶏の唐揚、ブリのカレーパン粉焼き、

                    パセリの右横はギンナン、

                    タケノコとゴボウ天の煮物)、

       下段の左皿は、  (イカ燻、ピーナツ、バナナチップス)、

       下段の右皿は、  (キャベツ)で、

       飲み物はビールを1缶ずつの他は焼酎とウイスキーである。





宴会は18時半近くから19時半過ぎまで続き、私達は20時近くにはシュラフの中に入って寝てしまった。

僅か20日位前(3月16日)に長者原で車中泊した時は夜中は氷点下になる程冷え込んだが、当夜はシュラフだけで暖かかった。

(但し、長者原の標高は1000m~1050m位で、道の駅・阿蘇の標高は531mなので、約500mの標高差がある)



免の石、一ノ峯~二ノ峯~冠ヶ岳


2010年(平成22年)4月6日(火曜日)   晴れ   中風






 今朝は6時頃に目覚めた。


 昨夜は夜中に1回トイレに起きたが、あとは酔いも手伝って熟睡したので、

 私は実に10時間近く寝た事になる。


 朝食は 『ホットコーヒー、パン、ゆで卵、バナナ、リンゴ』 で済ませた。


 写真は7時15分に 『道の駅・阿蘇』 を発つ時、信号待ちの車内から写したものだが、

 駐車場は写真のようにガラガラ状態だった。




                                                      めん
 今日はまず 『免の石』 を見る予定だった。

 『免の石』 への途中には白水村の 『一心行の大桜』 の直ぐ横を通るので

 私はついでに見てみよう!と思った。

 私達は4年前に 『一心行の大桜』 の満開時に見た事があった。

 『一心行の大桜』 に近ずくと、遠くからでも既に葉桜の状態になっているのが分かった。

 そして公園化されているその付近一帯は全てフェンスで囲われているのも分かった。

 4年前に来た時は周囲のフェンスは無く、幾つもの駐車場から自由に大桜の所に行けた。

 しかし今回は入場口が設けられ、そこからしか入場できないような造りに成っていた。

 そしてその入場口には 『入場料300円』 の看板があり、料金係のおばさんは

 『朝早くからカモが来た!』 と思っているのか?、時々こちらを見ていた。



私達のように以前に見た事があり、そして既に花は散って葉桜の状態と分かっているのに、1人300円の入場料を払ってまでそれを見るバカがいるのだろうか?

係員を大勢見掛けたので、入場料収入よりも日当の方が断然多いと思われた。(無駄な事は止めろ~!・・・怒!)

私は腹が立ったので、フェンスの前から望遠で上の写真を1枚撮ったら直ぐに駐車場から出た。



この後は 『免の石』 探しが大変だった。

その近くまで行き、付近を車でウロウロしながら見掛けた地元の人達に尋ねても 『免の石~~???』 と唸って、誰もその名前すら知らないのである。

或る人が 『役場に尋ねたら分かるかも?』 との事だったので、南阿蘇村役場・久木野庁舎の企画観光課を訪ねた。

そうしたらやっとその場所は分かったのだが、その山は或る組合の所有地でその組合が管理しており、周りは全て有刺鉄線で囲われているので

『勝手には入れない!』 との事だった。 理由は 『勝手に入られると山が荒らされる!』 との事である。

そう云う事で 『免の石』 を見るには一人2000円の料金を払い、『組合員の案内付きでないと行けない!』 との事だった。(減るもんじゃなし、見せろ~!・・・怒!)

それで 『遠くからでもその免の石は見る事は出来ないのですか?』 と尋ねたところ、大体の場所を教えてくれた。



下に掲載している 『免の石』 を見れる場所を少し説明すると、南阿蘇村役場・久木野庁舎前の県道28号線を西方向に500m位進むと駐在所がある。

その直ぐ手前の道を左折して2km程?登って行くと、山の中腹を走る旧道に出る。 

その旧道を更に2km程?進むと、県道28号線に下りる分岐道があり、その曲がり角には駐車スペースがある。(下・右写真で白く見えるのが旧道のガードレール)

その分岐道を100mほど下りると、右側に下・左写真のような樹があり、その下には 『華もみじ』 と書かれた看板があった。

その場所からだと下写真のような位置に 『免の石』 を見る事が出来るのである。

普通に写したもので
免の石の位置                     .
↓                    .
少し望遠で写したもので
免の石の位置                      .
↓                       .

かなり望遠で写した、免の石
ズームアップして写した、免の石

『免の石』 は写真のように岩の割れ目に石が挟まっているだけの事で、こんな石(チョックストーン)は何処にでもある。(フン!、地元の耳納連山にもある!)

こんな石を見る為に一人2000円の料金を払って見に行く人が果たしているのだろうか?

(日本は自由な国なので、300円で葉桜を見て、2000円で只の石コロを見たい人はそうしなさい!、私は別に止めません!・・・笑)









 ちなみにこの写真が地元の耳納連山にあり、

 誰でもタダで自由に見て触れるチョックストーンである。(私がギロチン岩と命名)












 そんな事で 『免の石』 を探すのに時間が掛かり、今日の登山口である地蔵峠駐車場に

 着いたのは10時を少し過ぎていて、予定時刻より1時間以上も遅れていた。


 写真は地蔵峠駐車場に着いた時に写したものだが、写真のような団体が出発して行った。


 ところで今日は 『地蔵峠~俵山』 を歩く予定だった。

 その往復には私達の足では7~8時間掛かる予想だったが、出発が1時間以上も遅れていた

 為に急遽予定を変更し、俵山の手前の 『一ノ峯~二ノ峯~冠ヶ岳』 を歩く事にした。


 そのコースは2006年4月9日に全く同じコースを歩いた事があった。

 その時にコースの説明をしていますので(一ノ峯~冠ヶ岳で既報)、今回は省略します。









 一ノ峯に向かう途中では、今回も写真のように前回と全く同じ事をしている、

 てんとう虫さん達を見掛けた。



 てんとう虫さん達はあれから4年経った今でも進化?(学習)していないようである。(笑)









前回時には下写真の一ノ峯山頂部ではオキナグサが幾つも咲いていたのだが、今回は右写真のような小さな蕾を1つ見掛けただけだった。(悲!)

私達は誰もいない山頂部の岩に腰掛け 『コーンスープ、サンドイッチ、バナナ、リンゴ、ミカン、お菓子』 等を次々に食べ、30分ほど昼食休憩をした。

一ノ峯山頂
一ノ峯山頂部にあったオキナグサ






 『一ノ峯山頂』 で昼食休憩後は 『二ノ峯』 に向かった。



 写真が 『二ノ峯』 の山頂で、『一ノ峯』 から20分弱で着いた。



 この山頂にも誰もいなかった。








『二ノ峯』 から下山していると、思い掛けない所で下写真のようなオキナグサの小群落を2ヶ所で見掛けた。

その小群落は周りを写真のように石で囲んであったが、果たしてここに自生していたのだろうか?、私は誰かがここに移植したような気がした。

オキナグサ-1
オキナグサ-2

その後も下山を続けていると、下写真の方達と出会った。

この方達とは往路時の途中で擦れ違った時、お互いに挨拶だけはしていた。

この方達とこの時間にこの場所でまた擦れ違うと云う事は、この方達は 『一ノ峯』 の登山口から登った事になる。

私は何時かその登山口からこの付近を周回してみたいと思っていたのだが、その登山口へ行く道順を知らなかった。

それで 『その道順を教えて頂こう!』 とその方に尋ねてみた。



その方は同じ福岡県の筑豊地区在住のHさんで、自分で山の会を主宰する程の山好きで、ノートに分かりやすい地図を書いて道順を詳しく教えてくれた。(感謝!)

お二人とも話していて凄く楽しい方達で、暫らくの間その方達と山の情報交換をしながら笑った。

右写真はHさんが被っていた帽子であるが、Tシャツにも同じような 『グラウス山♥会』 の刺繍があった。

私は 『グラウス』 とは外国の山の名前かな?と思っていたので尋ねてみると、私達は知らなかったのだが 『グラウス=Grouse=雷鳥』 の事であった。

私達は暫らく談笑した後、どこかの山での再会を期して別れた。

Hさん達
Hさんが被っていた、会名を刺繍した帽子






 その後は 『冠ヶ岳』 との分岐にザック等をデポし、空身で 『冠ヶ岳』 を往復する事にした。



 写真が 『冠ヶ岳』 の山頂だが、時刻も遅かったので(15時15分)山頂には誰も居なかった。



 二人とも空身だったので、分岐からは25分程で往復した。
















 写真はその後、地蔵峠近くまで下山した所で写したものだが、

 阿蘇中核部の山々が写真のように綺麗に見えていた。



















 写真は今朝出発した地蔵峠駐車場への階段を、

 考え事(多分、晩ご飯のおかずの事だと思う!)をしながら下りて来るオバさんである。(笑)











今日の山歩きを簡単にまとめると、

         地蔵峠駐車場(10:25)~一ノ峯(12:40/13:10)~二ノ峯(13:30)~冠ヶ岳(15:15)~地蔵峠駐車場(16:30)で、万歩計は30819だった。



帰路は 『火の山トンネル』 や 『草千里ヶ浜』 等を通る、県道111号線(阿蘇南登山道)を走る事にした。

その道を坊中付近まで下りると 『夏目漱石 二百十日記念碑』 の案内板が目に付いた。

この道は今迄に何十回ともなく通っているので、そこに記念碑が有るのは以前から知っていた。

しかし、そこを通る時は何時も時間が無かったり、スピードが出ていたり、直ぐ後ろに後続車が続いていたりしてUターン等が中々出来なかった。

今日は時間が有りまた後続車も無かったので次の広場でUターンし、そこにちょっと立ち寄ってみる事にした。


 案内板から10mほど入った所に駐車場があり、

 写真の入口部から150mほど奥に記念碑等があった。


 夏目漱石は明治29年4月~明治33年6月まで、

 第五高等学校(現、熊本大学)の英語教授を務めている。


 その当時の明治32年8月29日~9月2日に漱石達は阿蘇山に旅行している。

 そして台風接近中にも関わらず阿蘇登山を敢行し(バカ!)、

 遭難し掛けている。(当然だ!・・・怒!)


 その時の実体験を基に書かれた小説が 『二百十日』 である。











 最初に現われた歌碑は、漱石がその旅行中に見た中岳噴煙の印象を詠んだ短歌で、

 『赤き煙 黒き煙の 二柱 真直に立つ 秋の大空』 が刻まれていた。











次に現われた記念碑は下の中写真である。

左写真は説明書きのUPで、右写真は遭難し掛けた時の様子を詠んだ句である。
                  
 すすき                              すすき
1句目は 『灰に濡れて 立つや薄と 萩の中』、2句目は 『行けど萩 行けど薄の 原広し』 である。

説明書きのUP
全体写真

句碑のUP






 写真が1番奥にあった記念碑で、漱石達が遭難し掛けた所はこの文学碑の後ろ部分にある

 『善五郎谷』 のようである。



 下を覘くとそこは現在、『坊中キャンプ場』 の一角になっていて、

 当日のそこにはテントが1張りあった。








今回の山行では最初に書いたように4つの目的があった。

4番目の山歩きだけが予定通りに行かなかったが、後の3つは何とか目的を達せられたので、今回の山行も 『まぁ!良し!』 として於こうと思う。


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