土器山(430m)〜猿岳(463m)〜腰巻山(514m)


2010年(平成22年)2月7日(日曜日)   晴れ   弱風


昨日までは 『今日は阿蘇地方に行こう!』 と思っていたのだが、昨夜少し飲み過ぎて今朝起きるのが遅かったので、今朝になって急遽近くの山歩きに変更した。

去年の3月21日に 『腰巻山まで縦走しよう!』 と猿岳の少し先まで行ったのだが、その時は 『睡眠不足+気合不足+暑さ』 で疲れ、途中で引き返していたので、

今日はそのリベンジをする事にした。

コース概念図
















 この説明板は八天神社の直ぐ前に設置して

 あるものである。

























 これが八天神社の入り口で、私達は八天様に安全登山を祈願してから登り始めた。


 ここをスタートした時刻は9時40分だった。











 登り始めると直ぐ、写真のような猪避けの電気柵を巡らした竹林の横を通る。


 去年登った時には、この竹林の中で竹林主の方が筍を探してあった。


 その方の話では、『この山は猪が凄く多くて、自分が掘り出す前に猪が殆んど食べてしまう!』 と嘆いてあった。






前掲の説明板に書いてあるように、登山道は標高が上がるに連れて風化した花崗岩を削った所が多く現れて来る。

風化した花崗岩を削った登山道
削った花崗岩の登山道を歩くオバさん

 登っていると、写真のように 『榊=さかき』 の束を沢山持って下りて来る、何組もの方達に擦れ違った。

 不思議に思ったので最後の方に尋ねてみると 『今日は八天神社で神事があり、それに使う榊です!』 との事だった。


 そして、『八天神社は火の神様で、今日八天神社にお参りし、そして八天様から頂いた榊を台所の柱に飾って置くと、

 1年間は火事にならない御利益がある!』 との事だった。


 そう云えば今日は駐車場に停めてある車も多かったし、八天神社で一緒になった御婦人が枯れた榊を紙に包んで

 備えてある箱の中に入れてあるのを見掛けたが 『あれは去年の榊を返していたのだ!』 とやっと理解でき納得した。






 登り始めて40分位した所には、登山道の左側に写真のような 『〒』 マークが彫られた岩があった。


 それで、『ヘ〜!最近はこんな山の中にも郵便局を作ったのか〜!、ホ〜!郵便局もサービスが良くなったな〜!、

        ヨシ!それなら有り金全部を貯金しよう!』 と私は思った。












 そうしたらその直ぐ先にあったのは郵便局ではなく、善提寺の表札のある写真のように壊れ掛かった建物で、

 入口部には 『危険・立ち入り禁止』 の看板があった。(貯金できなくて大変残念だった〜!・・・笑)












 写真のように、岩に掘られた記号は他の場所でも見掛けた。(同じような記号は、高良山の正面参道にもある)



 これは八天神社の説明板に書いてあるように八天神社からの距離(上宮まで14丁=約1.5km)を表すようである。







善提寺から20m位進んだ所には下・左写真のような水場があった。

水場の少し上の部分からは右写真のように猪が掘り返した跡が20〜30m位続いていたが、少数では無く、かなりの大集団で掘り返している?ように思えた。

水場
猪が掘り返した跡







 その後の登山道には、写真のように狭い岩間も現れて来た。















 壊れ掛かった善提寺から10分弱登ると道が分岐していて、

 左折すると 『親不幸岩』 との道標がある。



 写真は親不幸岩の前にある説明書きである。










親不幸岩の上から写したもの
右後方は耳納連山
親不幸岩を下から写したもの
親不幸岩前の岩上から景色を眺めるオバさん
岩上の白い帯は有明海、右奥は雲仙岳

親不幸岩前の分岐で左折(=親不幸岩経由)せずに直進すると、1番狭くて深い岩間の登山道を通る事になる。

岩間は下写真のように、人一人がやっと通れる位の広さで、その高さは4m近く?ある。

私達はスマートなので難なく通れたが、ちょっと太めで貫禄の有る方達は絶対にここは通過できませんので、山頂は諦めてここで引き返した方が良いでしょう!(笑)



本当の事を言うと、優しい八天様はそんな貫禄の有る方達が通る道として、親不幸岩直前からこの狭い岩間の上部を通る道をちゃんと用意されていますので、

貫禄の有る方達もどうぞ御安心ください。(笑)

非常に狭い岩間の登山道
非常に狭い岩間を通るオバさん−1
非常に狭い岩間を通るオバさん−2

親不幸岩から15分ほど登ると、下写真の 『八天神社上宮』 に着いた。

佐賀県のパワースポット』 の一つでもある御神体岩は写真のように亀に良く似ているが、左側にハシゴがあり、恐れ多くも御神体の上に乗れるようになっている。
 
御神体岩への階段下にある、舟岩
御神体岩の説明
亀と良く似た、御神体岩

          脊振山山頂のレーダードーム
                    ↓


 上宮から更に5分弱登った所が 『土器山=どきやま 又は かわらけやま=430m』 の山頂で

 別名、八天山(はってんさん)の名称で親しまれている。


 尚、真正面に脊振山山頂のレーダードームが見えている。


 この山頂に到着した時刻は10時40分で、スタートしてからちょうど1時間が経過していた。


 山頂には私達と同年代の御夫婦がベンチに腰掛けて景色を眺められていた。


 私達はこの写真を1枚撮ったら直ぐに腰巻山に向けて出発した。









 この案内板は腰巻山への縦走路の入口部にあったものである。


 私達は知らなかったのだが、縦走路は腰巻山より先まで続いており、巨石パークまで繋がっているようである。


 私達は途中の金立山と、巨石パークから金敷城山間は歩いた事はあったが、連続してはまだ歩いた事が無いので、

 機会が有れば何時の日か挑戦してみよう!と思う。(しかし、舗装道路歩きがかなり有りそうで?、何だか辛そう!)








 土器山から縦走路を10分弱進むと登山道の直ぐ左側に写真のような岩が現れる。


 私は以前からこの岩の存在は知っていたが、この岩はウルトラマンに良く似てる!と思いませんか?


 それで、この岩には私が勝手に 『ウルトラマン岩』 と名付けていますので、こらからは皆さんもそう呼んで下さい。(笑)










 猿岳までは縦走路を歩く人が多いようで?、そこまでは迷うような所は無かったが、中小アップダウンの連続である。



 土器山から歩き始めて25分ほどした所で、写真のような 『東鹿路=ひがしろくろ』 からの登山道と合流した。











 写真は上写真から15分弱で着いた猿岳の山頂部から、これまで歩いて来た方面を写したものである。



 写真のように幾つものアップダウンがあった。














 これが 『猿岳=さるだけ=463m』 の山頂である。



 私達は誰もいない猿岳の山頂で、行動食を食べたり喉を潤したりして、5分ほど休憩した。















 猿岳以降は歩く人が少ないのか?、登山道がハッキリしない所が数ヶ所あり、

 私達は次の赤テープを探して数回ウロウロした。



 また登山道には写真のように腰以上に茂ったシダを掻き分けて進む所が何ヶ所もあり、また倒木も多かった。









 猿岳以降も中小のアップダウンが多かったが、

 そんな道を25分ほど進んだ所には写真のような巨石の岩屋があった。



 この岩屋は10人位?の人が雨宿り出来そうな広さがあった。






 上の巨石の岩屋から5分弱進んだ所には、

 写真のように上宮の 『舟岩』 より二周りほど大きくて、舟岩にそっくりな形をした岩があった。


 私は 『持って帰って、家の床の間に飾ろう!』 と思った。

 それで上に乗っている邪魔な大岩を取り除こうと、オバさんと二人掛かりで持ち上げてみたが

 ビク!ともしなかったので、大変残念ながら持って帰るのを諦めた。(笑)


 そう言う事でこの舟岩はそのままにしていますので、欲しい方はお急ぎ下さい。(笑)







 上の大きな 『舟岩』 から5分ほど進むと、写真のような植林地が現れた。



 この植林地は1度鞍部に下りて登り返すが、その両方の坂は急坂で疲れた。











 上の植林地の急坂を登り切ってからも、小さなアップダウンを15分ほど繰り返すと

 写真の腰巻山の山頂に出た。



 時刻は12時20分で、猿岳から55分を要していた。



 山頂はかなり広い原っぱで、そこには写真のようなテレビの共同アンテナが建っていた。









私達は誰もいない山頂の端に腰掛け、眼下に東鹿路集落を見ながらインスタント味噌汁で弁当を食べた。

食後のデザートとコーヒーを飲みながら双眼鏡で景色を眺めていると、東方向の遠くに由布岳の特徴である双耳峰の山容が見えたが、

あれは本当に由布岳だったのだろうか?(帰宅して地図を見ると、腰巻山から直線距離で約100km離れた東方向に由布岳がある)

東鹿路集落の或る家の庭では、少年がサッカーボールを蹴って遊んでいた。


眼下に見えていた東鹿路集落

左写真の反対側の景色で
金立山              天山
↓                ↓



 誰もいない腰巻山の山頂で1時間近く昼食休憩をしたので、下山する事にした。


 復路も数ヶ所で次の赤テープを探し、また中小のアップダウンを繰り返しながら歩いて行った。


 写真はそんな風にしてが下山開始から20分程で現れた或るピークであるが、

 このピークはコース概念図で、『ポールと三角点のある485mのピーク』 である。





    485mのピーク     腰巻山
       ↓           ↓

 写真は上のピークから15分強進んだ所にあった、或るピークから後方を写したものである。


 左の山が上写真の 『ポールと三角点のある485mのピーク』 で、奥の山が 『腰巻山』 である。


 前回時は 『睡眠不足+気合不足+暑さ』 で疲れ、ここで引き返していた。


 尚、このピークから10分強で猿岳の山頂を通過した。





       土器山
        ↓




 この写真は猿岳を過ぎて10分弱進んだ所で、前方に見えていた土器山を写したものである。



 それからこの付近を歩いている時に、前方で大きな猪が逃げて行くのを見掛けた。











 その後の登山道脇では、往路時には気付かなかったのだが写真のような 『出べその樹』 を見掛けた。(笑)



 その後10分強で土器山に着いたが、私達が下りる時に単独の男性が登って来た。








 写真は八天神社上宮にある、亀に良く似た御神体岩を上から写したものである。

 オバさんは土器山に登る度にこの岩に乗っているが、私はこの岩に乗った事は1度も無い。


 オバさんは今日もまた、恐れ多くもその御神体岩の上に乗り、

 写真のように気取ったポーズで景色を眺めていた。(笑)

 だからオバさんには近い内にきっと、バチが当たると思う!(笑)


 尚、直ぐ下に見える道路は長崎自動車道で、その向う側には佐賀平野と筑紫平野が連なり、

 その平野の奥に薄く見える山が、私達の地元にある 『耳納連山』 である。 その耳納連山の

 右端近くに 『高良大社や高良山』 があり、耳納連山の最高峰 『鷹取山』 は左端の方にある。


 それから写真の右奥で、裸地のように見える所が 『吉野ヶ里遺跡』 である。




 その後は写真の八天神社まで一気に下りた。

 そして八天様には、『お陰さまで無事に下山できました!』 とお礼の報告をした。

 それから朝登る時に、写真の石灯篭横に私の好きなキンカンがちょうど熟れているのを知っていた。

 それで、お礼と一緒に 『八天様、キンカンを頂いてもよろしいでしょうか?』 とお尋ねしてみた。

 そうしたら 『どうぞ!』 と、八天様の声が聞こえた!(ような気がした・・・笑)

 そう云う事で、キンカンの前を通る時に1番大きくて熟れているキンカンを1個だけ千切って口の中にポン!と入れ、

 モグモグ!した。(独特の味がして美味しかった〜!・・・笑)



今日の山歩きをまとめると

         八天神社(9:40)〜1時間〜土器山山頂(10:40/10:45)〜35分〜猿岳山頂(11:20/11:25)〜55分〜腰巻山山頂(12:20/13:15)〜

                      50分〜猿岳(14:05)〜40分〜上宮(14:45/14:50)〜40分〜八天神社(15:30)で、万歩計は22031だった。

         尚、土器山〜腰巻山間の縦走路には中小のアップダウンが幾つもあるので、往路も復路も殆んど同じ時間が掛かると思う。



私達はそこは何度も訪れているので今日は行かなかったが、八天神社の直ぐ近くには九州北部では紅葉の名所として有名な 九年庵や仁比山神社』 があります。

そして車で10分位の所には、あの超有名な 『吉野ヶ里遺跡』 もあります。

如何ですか?、貴方も土器山に登ってその近くを観光してみませんか?

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