2009年(平成21年)10月20日 晴れ 弱風 今回の山行は当日の夕方、突然決まった。 私が夕方、インターネット情報を見ていると、『くじゅう連山の紅葉は今が見頃!』 との情報が数件ヒットした。 それで私は 『くじゅうの紅葉が見頃のようだから、今から長者原に行って泊まり、明日の早朝から紅葉登山しようか?』 と、オバさんに相談を持ち掛けてみた。 そうしたらオバさんも 『行っても良い!』 との事だったので、それから私達は急いで山行の準備を始めた。 オバさんは既に夕飯の準備は殆んど終えていたようで、それらの料理と今晩の宴会の為の追加料理等をタッパーウエアに移し替えていた。 二人とも急いで準備を終え、自宅を出発した時刻は18時半近くだった。 途中のスーパーで明日の 『朝食・昼食・行動食』 等を買い、長者原駐車場に着いたのは20時45分頃だった。 『くじゅう連山の紅葉は今が見頃!』 との事だったので、私は 『駐車場は満車状態では?』 と思っていたのだが、予想に反してガラ空きだった。 そして駐車している車の殆んどが真っ暗だったので、既に皆さん方は休んであるようだった。 写真が当夜の宴会料理である。 簡単に説明すると、左のタッパーは左上から 『大根サラダ、ブロッコリー、ソーセージ、キャベツ、ピーマン、枝豆』 、 右のタッパーは左上から 『鳥の空揚げ、ブリの照り焼き、牛肉と玉ねぎの炒め物、さつま芋の天ぷら』 、 その上の丸い容器は 『味付のり』 である。 飲み物は、公平に缶ビールを1本ずつと、オバさんは自家製梅酒、私はウイスキーである。 宴会は21時頃から22時頃まで続いた。 夜中の1時頃、オバさんがトイレに行く時にエスコートする事になったが、外はかなり寒かった。 ラジオの天気予報では、『当夜は良く晴れるので放射冷却により冷え込むでしょう!』 と言っていたが、多分?夜中は5℃前後まで気温が下がっていたのでは?と思う。 それからラジオは、『当夜はオリオン座流星群で、流れ星が良く見えるでしょう!』 とも言っていた。 それで二人で夜空を見上げたが、1個の流れ星も見る事は出来なかった。 私は流れ星を見たらお願い事をしようと思っていたので、とても残念だった。 ちなみに私は、最初の流れ星には (地球と宇宙の平和を)、2番目の流れ星には (宝くじの1等当選を)、3番目の流れ星には (今後、ボケませんように!) を お願いする予定だったが、その願いが叶えられなくなったので、現在私は悲観に暮れているところです。(涙) 2009年(平成21年)10月21日 晴れ 微風
三俣山 硫黄山の噴煙 ↓ ↓ 写真が当朝6時半頃の、1番広い長者原駐車場の様子だが、見ての通りガラ空き状態だった。 私達はお湯を沸かし、『コーヒー、パン、ゆで卵、バナナ』 で朝食にした。 朝食後は長者原駐車場から5分ほど三俣山方面に登った所にある、指山入口の駐車場に移動した。 道路の先端部に車が見えるが、そこが指山入口の駐車場で、詰めれば10台近くが駐車可能である。 尚、写真の道標には 『指山自然観察路入口』 とある。 この入口を出発した時刻は7時35分だった。 写真が 『指山自然観察路』 の様子であるが、良く整備してありアップダウンも殆んど無い。 入口から10分ほど進むと、写真のような道標があり、そこで右折すると 『指山山頂』 に至る。 その後の指山自然観察路にはドングリが沢山落ちていて、或るドングリの樹の下には 写真のように凄い密度でドングリが落ちていた。 入口から25分ほど歩くと、写真のような場所に出た。 写真の岩に 『←長者原』 との記入があり、ここで長者原からの登山道と合流した。 三俣山・北峰 ↓ 上写真から10分ほど進むと、土石流が流れた跡地に出たが、そこからは写真のように これから目指す 『三俣山・北峰』 の山腹や麓の紅葉が朝日を浴びていた。 そこから見ると、朝日の光線が紅葉を透き通したような感じで輝き、凄く綺麗だった。 その後、標高が上がって来ると登山道では写真のような霜柱も現れて来た。 ススキを束ねた赤テープ 三俣山北峰 ↓ ↓ スタートして1時間ほど歩くと 『雨ヶ池の木道』 が現れるが、その木道が現れる少し手前に 『雨ヶ池』 を経由して 『三俣山・北峰』 に行く分岐点がある。 しかしそこには分岐標識等は無いので、右側を良く注意しないと見逃してしまう。 当日はその分岐目印として、ススキを束ねた赤テープが右側にあった。 上の分岐点から5分弱歩くと写真のような池に出たが、写真のように水は全く無かった。 この付近は色々な花が沢山咲く事で知られているが、当日は残念な事に花は殆んど見る事が出来なかった。 三俣山北峰 ↓ その後は所々に付けてある赤テープを辿って行くと、自然に三俣山北峰への登山道に入った。 上写真で前方に赤く色付いた山モミジが小さく写っている。 左写真がその樹であるが、その近くでは写真のようにミヤマキリシマが狂い咲きしていた。 『雨ヶ池〜北峰』 の登山道は急坂部分や崖のような所が多く、岩角や樹の枝や根を掴んで登る事が多かった。 写真は雨ヶ池から30分ほど登った所で、少し開けた所から下方を写したものである。 先程、土石流の跡地から写した三俣山北峰の写真を掲載しているが、時刻からみてこの写真は 三俣山北峰の斜面を約4分の3ほど登った地点付近から写した物のようである。 上写真から10分ほど登ると、写真のような分岐標識のある尾根に出た。 この分岐標識で、左折すると 『三俣山南峰』 に、右折すると 『三俣山北峰』 に至る。 写真は 『北峰』 に行く途中にある、『小鍋』 の景色である。 大船山 小鍋 大鍋 ↓ ↓ ↓ 写真は上写真から5分ほど登った所で写した、『大鍋と小鍋』 の景色である。 上写真から5分ほど岩場を登ると、写真のような 『三俣山北峰』 に着いた。 『北峰』 から 『本峰』 に行くには、1度 『北峰〜本峰』 の鞍部に下りる。 その鞍部まで下りると、『大鍋』 の中を縦断する事もできる。 写真は 『本峰』 に登る途中の1景色だが、この登りは写真のような岩場が多く、ロープ場が何ヶ所かあった。 この写真は 『本峰』 に登る途中で写した、『大鍋・小鍋』 の景色である。 尚、『大鍋・小鍋』 とは 『北峰』 と 『本峰』 との鞍部部分(昔の火口跡)の呼称である。 それから、正面に見える山は 『平治岳=ひいじだけ=1643m』 である。 写真が 『北峰』 から25分弱で着いた、『三俣山・本峰=1745m』 である。 『本峰』には既に数十人の登山者がいて、写真のように眼下の 『大鍋・小鍋』 の景色を眺めたり 写真に撮ったりしながら休憩していた。 私達もこの山頂部に腰掛けて、コーヒーと行動食で10分ほど休憩した。 写真は休憩した場所から、眼下に見える 『大鍋・小鍋』 の景色を、 少しUPして撮ったものである。 三俣山・北峰山頂 ↓ 写真は 『本峰』 から 『南峰』 に向かう途中で写した、先程登った 『北峰』 である。 W峰 本峰 ↓ ↓ 写真が 『本峰』 から約20分で着いた 『南峰』 の山頂である。 『南峰』 で今年の3月21日に登山者のガスコンロが倒れ、山頂部が約1ヘクタールに渡って燃えた事は当時のニュース等で知っていた。 しかし実際に燃えた場所を見るのは、私達は今回が初めてだった。 『南峰』 の山頂部周辺では下写真のように、ミヤマキリシマの樹が真っ黒になったまま無残な姿で残っていた。
しかしミヤマキリシマの下には写真のように熊笹が青々と芽吹いていたし、また山頂部一帯には下写真のように沢山のリンドウの花も咲いていた。 広島や長崎の原爆跡地にはその後、数十年間は草木も生えないだろう!?と、当初は言われていたそうである。 しかし実際には、焼けただれて辛うじて残った幹だけの樹木から、翌春に芽吹いた例もあったと聞く。 それで私はこの真っ黒になったミヤマキリシマ達にも、力強い大自然の生命力を発揮して早く再生し、6月には例年のように綺麗な花を咲かせて欲しい!と、切に思った。 (ガンバレ、ミヤマキリシマ !・・・ このごましおオジさんが付いてるぞ!! ・・・ 笑)
中岳 天狗ヶ城 久住山 久住分れ 星生崎 硫黄山 星生山 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 写真は 『南峰』 で少し休憩後、『W峰』 を経由して 『西峰』 に向かう途中で写した、 前方の景色である。 写真が 『南峰』 から約25分で着いた、『西峰』 の山頂である。 三俣山は下から見上げると3峰しかないように見えるが、実際には(本峰、北峰、南峰、W峰、西峰)と5峰ある。 尚、後方に見えている山は今月の4日に登った 『涌蓋山』 である。(その時の様子は既報) 久住山 星生崎 星生山 ↓ ↓ ↓ 写真は 『西峰』 から 『すが守越』 に下りている途中に写した、前方の景色である。 白い噴煙が上がっているのが 『硫黄山』 で、その 『硫黄山』 と 『西峰』 の鞍部が 『すが守越』 になる。 その鞍部には 『すが守小屋』 が小さく写っている。 尚、この付近を下りている時刻は11時20分頃だったが、登って来る登山者が大変多かった。 写真が 『西峰』 から約15分で着いた 『すが守小屋』 である。 ここで私達は行動食を食べながら5分ほど休憩した。 私達が休んでいる間にも大勢の登山者が通ったが、写真の 『愛の鐘』 を鳴らしてから登って行く人が多かった。 久住山 久住分れ 星生崎 硫黄山の噴煙 ↓ ↓ ↓ ↓ 『すが守小屋』 で休憩後は、写真の 『北千里浜』 の中を 『久住分れ』 を目指して歩いて行った。 久住分れ 星生崎 ↓ ↓ 『北千里浜』 の中を縦断し、登りの岩場に差し掛かった所で12時になったので 私達は近くの大岩に腰掛けて昼食を食べる事にした。 『コーヒー、パン、ゆで卵、梨、柿』 等で15分ほど昼食休憩した。 写真は昼食休憩した場所から前方に見えていた、『久住分れ』 を写したものである。 三俣山 平治岳 ↓ ↓ 写真が上写真で前方に見えていた 『久住分れ』 の標識である。 『久住分れ』 からは真っ直ぐ 『星生崎』 を目指したが、15分程で 『星生崎』 に着いた。 下写真はその 『星生崎』 から写した景色である。
下写真は 『星生崎』 から 『星生山』 に向かう途中で写したものだが、この部分の登山道は岩尾根が多く、少し危険な部分もある。
下の真は 『星生崎』 から約25分で着いた、『星生山=ほっしょうざん=1762m』 の山頂である。
泉水山 長者原 タデ原湿原 崩平山 指山 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 私達は星生山山頂部の岩に腰掛けて、眼下に左写真のような景色を眺めながら 『コーヒー、みたらし団子、ゆで栗』 等で20分ほど休憩した。 それからこの山頂部には写真のように大きなカラスが2羽いて、登山者の直ぐ近くでずっと待機していた。 どうやらこのカラス達は登山者が落としたり捨てたりした食料を専門に食べているようで、 登山者が立ち去ると直ぐその場所に行き、食料を探し出しては食べていた。 『星生山』 からは 『星生新道』 で下りる事にしていた。 下写真は、その 『星生新道』 の途中で見掛けた花である。
それから 『星生新道』 の途中には通称 『乳首岩』 と呼ばれている、左写真の岩がある。 しかし私は近年その実物を見た事が無いので、それが果たして 『乳首』 に似ているのかどうか?、 良く分からないのだった。(爆) 下・左写真は当日の 『星生山・北斜面』 を写したものだが、今年の6月2日(既報)にも大体同じ場所を写した写真があったので、並べて掲載してみる。
6月2日に下りた時はそんな事は無かったのだが、今日の登山道は写真のように熊笹に覆われている所が多くて 大変歩き辛く、また途中では道が良く判らないほど茂っている所もあった。 写真は1度 『大曲』 に下り、そこから反対側に少し登り返した所で、 『大曲』 方面を写したものである。 写真のように、かなり上下の路肩部分にもまだ駐車していたので、今日はここからかなりの人が登ったようである。 『大曲』 から15分ほど登り返すと、舗装林道(硫黄山道路)に出る。 そこからは左折してその硫黄山道路を歩いて行った。 その硫黄山道路脇には秋グミの樹が沢山あるが、時期が少し遅いようで、写真のように少ししか生っていなかった。 10年前の9月29日に子供と一緒にここを歩いた時は、秋グミが鈴生りだったので皆で採取し、 それを焼酎漬けにしたのが、今でも残っている。 駐車していた 『指山入口駐車場』 に着いた時刻は15時35分だった。 今日の山歩きをまとめると、 指山入口駐車場(7:35)〜1時間5分〜雨ヶ池(8:40)〜1時間5分〜北峰(9:45)〜25分〜本峰(10:10/10:20)〜 15分〜南峰(10:35/10:40)〜10分〜W峰(10:50)〜20分〜西峰(11:10)〜 15分〜すが守小屋(11:25/11:30)〜30分〜昼食休憩(12:00/12:15)〜20分〜久住分れ(12:35)〜 15分〜星生崎(12:50)〜25分〜星生山(13:15/13:35)〜1時間10分〜大曲(14:45)〜 50分〜指山入口駐車場(15:35)で、総所要時間は8時間ジャストで、万歩計は39393だった。 北峰 本峰 西峰 硫黄山の噴煙 星生山 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 写真は下山後に、長者原の駐車場から今日登った山々を写したものである。 写真のような秋晴れの中、綺麗な紅葉景色を眺めながら、今日も気持ちの良い山歩きが出来た。 こうして下山後に、改めて今日歩いて来た山々を眺めると、 そこでの景色や出来事等が思い浮かび、より一層感慨深いものになりますねー! これから九州の山々は本格的な紅葉シーズンを迎えます。 次回はどの山へ紅葉観賞に行こうか?と、現在私達は大変迷っているところです。 |