阿蘇南外輪山(清水峠〜高森峠)


2009年(平成21年)9月20日   快晴   弱風


今朝は清水峠の車の中で6時ごろ目覚めた。

昨夜は20時位?に寝たので、実に10時間も寝た事になる。(今日のことわざ = 寝る子は育つ ・・・ 笑)

オバさんんも、昨夜は良く寝た!と言っていた。

お湯を沸かし、『コーヒー、食パン、バナナ、リンゴ』 で朝食にした。



ラジオで天気予報を聴くと、『今日の当地方は快晴で、午前中は台風14号の影響で風があるが、午後からは風が止み暑くなるでしょう!』 と言っていた。

空を見上げると、見渡す限り雲一つ無い快晴だった。(今日のような快晴は滅多に無いと思った!)

下写真の登山口(道路標識の右側にある牛止めゲート)を出発した時刻は7時15分だった。

清水峠の案内板
清水峠から高森峠への登山口

烏帽子岳 杵島岳  中岳 高岳   根子岳
    ↓ ↓      ↓  ↓      ↓



 登山口から少し進むと原野になり、その原野の中には色んな花が咲いていた。


 そして、左側には写真のように 『阿蘇五岳』 が綺麗に見えていた。


 それに、この時刻はまだ気温も低く、また爽やかな風が吹き抜けていたので、歩いていて大変気持ちが良かった。












 上の写真から10分弱進むと、写真のような牛止めゲートがあった。












 牛止めゲートから少し進むと、そこは草が刈り取られており、写真のようにまだ新しい牛の落し物があった。


 それで周りを見渡したが、落とし主の姿は見えなかったので、ホッ!として進んだ。


 尚、朝日を浴びたスマートな影は私である。(笑)









 上の写真から少し進むと、写真のように両側にカヤや熊笹等が生い茂る登山道が10分近く続いた。


 そんな所にも色々な花が咲いていたが、牛の落し物も沢山あった。


 それで、『こんな所で牛と遭遇したら逃げる場所が無いなー!』 等とオバさんと話しながら歩いていた。






  清水峠の登山口近くにある白い小屋と塔
                 ↓


 上写真のような場所を抜けた所は少し高くなっていて、そこから後方を見ると、

 清水峠登山口近くにある白い小屋と小さな塔が割と近くに見えた。


 出発してから35分ほど経っていたので、『まだ、たったこれだけしか進んでいないのかー!?』 と、少しガックリした。


 直線距離だと近くに見えるが、登山道は牧場の周囲に沿って湾曲しているようで、歩く距離は長くなるようである。











 上写真の直ぐ先には、また写真のような牛止めゲートがあった。















 その後も、写真のような笹藪が続いていた。















 上写真のような笹藪を5分ほど進むと、また写真のような牛止めゲートが現れた。











 そして少し進むと、また写真のような牛止めゲートがあったのである。


 このように牛止めゲートが次々と現れて来るので、

 途中で私は 『今度は一体、自分達は牧場の中に入ったのか?、牧場の外に出たのか?』、

 頭が混乱してまったく分からなくなっていた。(笑)












 その後は写真のように広い林道?を歩いた。









上写真のような林道を5分ほど進むと、下写真の 『長谷峠』 に着いた。

出発した 『清水峠』 から、ちょうど50分が経っていた。

長谷峠の景色
案内板のUP


 写真は 『長谷峠』 から15分ほど進んだ所にあったベンチである。


 このようなベンチは 『清水峠〜高森峠』 間には10ヶ所位?あったように思う。


 これまで歩いて来た登山道脇にも色々な花が咲いていたが、

 上写真の 『長谷峠』 からこのベンチ迄の区間は特に花の種類が多く、

 私達はそれらを全部写真に収めていたので中々前には進まなかった。




その後も下写真のような牛止めゲートやベンチ等があった。






 ハッキリした標識は無かったが、この道標のあった鞍部が 『崩土峠=くえど峠=870m』 だと思う。


 『長谷峠』 から40分が経っていた。














 その後は右側に有刺鉄線が張り巡らされた、写真のような登山道が暫く続いた。













 有刺鉄線のある登山道を登って行くと、そこはちょっとしたピークで、そこには写真のような4等三角点があった。


 長谷峠の前後にもアップダウンがあったが、この付近にも少しアップダウンがあったように思う?














 その後も花やススキの多い広い登山道を30分ほど進むと、写真のような階段が現れた。









           中岳 高岳   根子岳
             ↓ ↓       ↓






 その階段を登り切り、向う側へ下りる階段の途中では写真のように 『阿蘇五岳』 が前方に綺麗に見えた。















 その後は写真のような景色の中を歩いたが、そこは牧場内か?、外か?、良く分からなかった。













 上写真のような所を暫く歩くと、写真のような舗装道に出た。


 ここが 『中坂峠=ちゅうざか峠=843m?』 である。









 上の舗装道路を左折して100m程進むと、写真のような道標があった。

 その道標を見ると 『高森峠 3.8km』 とあるので、オバさんと二人で 『エッ!、まだそんなにあるの!?』 と驚いた。

 スタートした 『清水峠』 を出発してからここまで、2時間半が経過していた。

 しかし 『高森峠』 まであと3.8kmもあるならば、あと1時間30分から2時間近く掛かるのである。

 それで地図等で調べてみると、この 『高森峠』 への距離は 『黒岩峠』 までの距離である事が分かった。

 これ以降にあった道標にも高森峠までの距離ではなく、黒岩峠までの距離が表示してあったので、

 管理当局には正しい距離表示に訂正して欲しいと思う。


 上の標識前にある牛止めゲートを入り、10分弱進むと直進する道と右折する道に分岐していた。

 その分岐点には喫煙所の標識があったが、道標は無かった。

 それでまず、直進する道を進んでみると、100mほど先に写真のような牛止めゲートがあった。


 今までの牛止めゲートは全部、丸太と丸太の間を歩いて通ったが、

 この牛止めゲートは丸太と丸太の間を有刺鉄線で封鎖して歩けないようにしてあった。


 それで、この牛止めゲートは通っては行けないのかな?と思い、分岐点まで引き返した。




 分岐点まで戻り、右折する道に入ると、そこの地面には沢山の登山靴の跡が付いていた。

 それに、右折する道の方が直進する道よりも広くてハッキリしていた。

 それで私は、その道がてっきり登山道だと思い込んで進んで行った。

 進むに従ってその道は段々下って行き、そして道は写真のように細くなっていった。

 しかし登山道だと思い込んでいる私は、その道をグングン進んで行った。

 しかし、もうそろそろ前方に見えて来て良いはずの、高森峠にある 『電波反射板』 が一向に見えて来ない。

 それに今迄の登山道脇には、沢山設置してあった道標やベンチが全く出て来ない。


既に先程の分岐点より10分以上進んでいたが、この道はおかしいと思い、また引き返す事にした。

引き返す時は登りが多く、そして暑かったので、この引き返す時に私は肉体的にも精神的にも大分疲れた。



そして分岐点まで引き返し、また直進する道を進んで、2つ前写真の牛止めゲートまで行った。

その牛止めゲートは、ゲート間を有刺鉄線で封鎖して歩けないようにしてあるので、仕方なくゲートの上を乗り越えてみた。

そうすると、そこには薄い踏み跡があり、ピンクのリボンが枝にぶら下がっていた。(そのリボンは牛止めゲートの手前からは見えなかった)




 その道を少し進むと写真のような道標が出て来たので、私はやっとホッ!としたのだった。


 結局、違う道を往復で30分も歩いた事になった。


 この時刻は気温も上がり、風も止んでいたので、30分間の無駄歩きは結構身体に堪えた。











 上写真から少し進むと、前方に高森峠にある 『電波反射板』 が見えて来た。










牧場道路の終点   黒牛
        ↓     ↓


 上写真から更に少し進むと、牧場内道路の終点が見えていた。


 その道路の終点にあるゲート迄は、2週間前に高森峠から黒岩峠に歩いた時(既報)に、下見で歩いていた。


 その道を歩こうと思ったら、写真のようにその近くに大きな黒牛がいてこちらを見ていたので、

 遠回りして正規の登山道を歩く事にした。





遠回りする正規の登山道はかなりアップダウンがあり、大変疲れた。

その登山道を15分ほど進むと、下写真のように高森峠のゲートが見える高台に着いた。

そこに着いた時は、下の広場で7頭の大きな黒牛達が草を食んでいたので、困ったなー!と思いながらそこから見ていた。

そうしている内に、ゲートの前に御夫婦の姿が見えた。



どうするのかなー?と思いながら見ていると、その御夫婦は何と!、ゲートを開けて中に入って来たのである。(下・右写真)

そして先頭の御主人が黒牛の群れに向かい手で払うような動作をしながら進むと、何と!牛達が逃げたのである。

それが下・左写真だが、左右の写真で牛の位置を1頭ずつ見比べれば、牛達が逃げたのが良く解って頂けると思う。

Mさん御夫婦     .
   ↓       .
    Mさん御夫婦 高森峠のゲート
    ↓  ↓

私はこの御夫婦の勇気に敬服すると同時に、牛は人間が近づくと攻撃せずに逃げる事を初めて知った。

これを知った事が、私達の帰路中に早速役立つとはこの時は思いも依らなかった。

尚、この御夫婦が進んだ道が正規の登山道だが、ゲートを直進した牧場道路を進むと、上写真の道路終点まで行ける。

(しかし、その道路を歩いて良いかどうか?、私は良く分からない)



あと100m程で高森峠に着くのだが、私達にはあの黒牛の中を歩く勇気はとても無いので、この場所から引き返す事にした。

その御夫婦(同年代?)と一緒に歩きながら少し会話してみると、今日は 『高森峠〜清水峠』 間の中間地点位まで歩く予定との事だった。



帰路の途中で12時半になったので、私達は日陰の階段部分に腰掛けて昼食休憩をする事にした。

私達が休憩している時に、その御夫婦が追い越して行かれた。

私達は往路時に30分間も道を間違えた勢もあり、あまり休憩せずに歩き続けていたので、少し疲れていた。

それで日陰の階段に腰掛けて、40分ほどゆっくりと昼食休憩をした。



昼食を食べ、ゆっくり休憩したら、また元気が出て来たので清水峠に向かって歩き始めた。

少し歩くと、日陰のベンチで先程の御夫婦が休憩してあった。

その場所で暫く会話すると、その御夫婦は熊本県宇土市にお住まいで、御主人は何と!、山岳ガイドもしてあるとの事だった。

3枚の名刺を頂いたが、それぞれ名刺には素晴らしいカラーの風景写真(霧島のミヤマキリシマと雲海、霧島の樹氷、霧氷と霧島市の夜景)が印刷されていた。

お名前はM氏で、山岳写真も撮っておられるとの事で、福岡市でもその写真展を3回開かれたとの事だった。

そしてM氏は山岳ガイドをされているだけに山に関する色んな事に詳しく、私達は有意義な事を色々と教えて頂いた。(感謝!)



往路時は登山道に咲いている花に注意しながら歩いていたので、復路時は横や上も見て歩いた。

そうすると、下・左写真のアケビや、右写真のムカゴが沢山あった。

アケビは割れているのが1つあったので食べてみたが、まだ完全には熟れておらず、あまり甘くなかった。

ムカゴは結構大きい粒があり、私達は小さな袋に1杯採った。

アケビ
ムカゴ

その他には下写真のような実も生っていた。

マタタビの実
サンショウの実








 それから左写真のように、何ともユーモラスなイナゴも見掛けた。


 尚、写真はバッタの中の1種であるイナゴで、

 大きいのがメス、おんぶされているのはオスである。










その後、清水峠に大分近くなった所で、牧場の高い場所の登山道を歩いていると、前方の方から 『モーモー』 と大きな牛の鳴き声が聞こえて来た。

何だか嫌な予感を覚えながら進んでいると、私達が歩いている高い登山道と下の道との合流地点に向かって、3頭の大きな赤牛が歩いて来ていた。

『モーモー』 と大きな声で鳴いているのは最後の牛だった。



どうやら真ん中の牛はメスのようで、最後の牛はこちらに歩いて来ながら、後ろから真ん中の牛の背中に前足を乗せて乗り掛かろうとしているのである。

要するに、俗に言う 『盛りがついた』 状態である。

しかしメスから相手にして貰えないのでその牛は興奮し、それで大きな声を出して 『モーモー』 と鳴いていたのである。




 そんな様子を上の道から見ていたら、その3頭の牛達は私達に気付き、

 写真のように立ち止り、そして私達を睨み始めたのである。(私達にはそう見えた)


 そしてその状態でその場から動かないのである。


 私達は5分近く?睨み合っていたが、牛に動く気配が無いので私達が少しバックし、

 草陰に身を隠しながら様子を見る事にした。


 そうしたら暫くすると、前の2頭は歩き始めた。









 しかし 『盛りがついた』 最後の牛だけはその場から動かなかった。


 そればかりか逆に、私達を通さないような態度を取ったのである。


 写真のような態勢を取ったまま、私達を睨むのだった。(コワ!)


 その赤牛は人相(牛相?)も目付きも悪く、どうやら 『牛界のならず者』 のようだった。(笑)


 メスから相手にして貰えない腹いせに、私達に嫌がらせをして

 そのうっ憤を晴らしているような感じだった。







そこで再度、私達が少しバックして草陰に5分近く?身を隠しながら見ていると、ならず者牛はようやく諦めたのか?動き始めたので、その隙に私達は急いでそこを通り過ぎた。

しかしその牛は私達の気配に気付き、10m位離れた所で私達を睨みながら2、3歩こちらに近づいて来たので、私達は速足で逃げた。



 ところがである!


 そこから少し進んだ所にあった曲がり角を過ぎると、何と!、前方にまた3頭の牛がいて

 写真のようにこちらを睨んでいたのである。


 その3頭は先程の牛達より巨体に見えた。


 『一難去ってまた一難』 とはこんな事を言うのだろう!?


 進むか?、引き返すか?、私は迷った。










 迷ったまま、取り敢えず進んでみる事にした。


 しかしその牛達は私達が近づいても、写真のようにこちらを睨んだまま

 微動だにしないのである。


 更に近づいてみると、先程の牛達よりも巨体で、牛相も目付きも更に悪く、

 どうやらこの3頭は 『牛界の極悪人』 のように見えた。(笑)


 前方には 『極悪人』、後方には 『ならず者』 と、正に 『前門の虎、後門の狼』 状態である。







窮地に立たされた私達だったが、ここで私は先ほど高森峠ゲート前で見たM氏の行動を思い出したのだった。

私はかなり怖かったのだが、クソ度胸を出して前進する事にした。

しかし牛の前を通るか?、後ろを通るか?で一瞬迷ったが、ここは思い切って正面から正々堂々と極悪牛達に勝負を挑む決心をし、前を通る事にした。





 私は極悪牛を睨みつけ、M氏がしていたように手で牛を払い除くような動作をしながら

 その極悪牛達に近づいた。


 そうすると、私の気迫に恐れをなしたのか?、

 何と!巨体の極悪牛達は写真のように道の隅に逃げたのである。


 私達はその隙に、速足でその場を通り過ぎた。










 そこから2分ほど進むと写真のような牛止めゲートがあった。

 私達はそのゲートを通り抜けてから、やっと一息ついたのだった。


 それにしても、高森峠のゲート前でM氏の行動を見ていなかったら、

 牛達が立ち去るまで私達はどこかに暫く隠れているか、ずっと遠回りして進んでいたと思う。


 そう云う事で、改めてM氏に感謝!した。




 上の牛止めゲートを過ぎると、前方には清水峠のアンテナと白い小屋や塔等が見えて来た。


 今日は歩行距離も長く(間違った道も入れると、往復で16km以上になると思う)、休憩も余りしていなかった。


 それで、牛に遭う前まではかなり疲れを感じていたのだが、牛との遭遇以降はその疲れもどこかに吹っ飛んでいた。


 逆に、あの牛相と目付きの悪い、巨体の極悪牛達を退かせた事に、私は何だか満足感?を覚えていた。


 それで私は何故か?、この付近を歩いている時はルンルン気分!だった。(笑)



下写真は、今日の山歩き中に見掛けた花達である。

この他にも違う種類の花が幾つかあったが、風等で鮮明に写っていなかったので、それらは割愛した。

サイヨウシャジン
ツメクサ(クローバー)
ノアズキ

クサフジ
ヒヨドリバナ
ヤマハッカ?

ガンクビソウ
コウゾリナ
ハガクレツリフネ

ワレモコウ
ミヤマヤブタバコ?
ツクシボウフウ?

サワヒヨドリ
オミナエシ
シラヤマギク or シロヨメナ?

ハギ
アザミ
マツムシソウ

キンミズヒキ
ゲンノショウコ
ツリフネソウ

シシウド
ツルイチゴ
オオバショウマ

アソタカラコウ
ツルボ
フシグロセンノウ


今日の山歩きをまとめると

          清水峠(7:15)〜50分〜長谷峠(8:05)〜40分〜崩土峠(8:45)〜55分〜中坂峠(9:40)〜10分〜道迷い(9:50/10:20)〜

                     45分〜高森峠(11:05)〜昼食休憩&M御夫婦と談笑(12:30/13:20)〜2時間20分〜清水峠(15:40)で、

          万歩計は27971だった。




 清水峠からの帰路中に、大きなザックを背負って県道319号線を歩いて下っている単独男性を見掛けた。


 凄い根性の持ち主だなー!と感心しながら通り過ぎたが、後で乗せてあげた方が良かったかな?と思った。


 県道319号線の途中にある、清水寺の入口には写真のような 『龍神名水』 が出ているので

 今晩用と明日用にペットボトルに汲んで行った。







 麓まで下りると、或る畑の一面に白いソバの花が咲いていたので、阿蘇五岳を背景にして写真に撮った。


 阿蘇大橋からは国道57号線を阿蘇方面に向かった。


 国道57号線の熊本方面に向かう車線は、阿蘇までずっと数珠つながりで渋滞している状態だったが、

 私達の反対路線はガラ空きだった。





 当夜は 『道の駅、阿蘇』 に泊まる予定にしていた。

 道の駅には18時近くに着いたが、既に満車状態に近かった。


 駐車している車のナンバーを見ると、九州以外が半分以上あり、遠くは帯広ナンバーもあった。

 ちなみに私の右隣は5人家族の神戸ナンバーで、左隣は若い夫婦だけの和泉ナンバーだった。


 私達は道の駅の近くにある写真の阿蘇坊中温泉 『夢の湯=400円』 に行ったが、ここの駐車場も満車状態だった。

 私はこの温泉の露天風呂にある打たせ湯で、肩・腰・ふくらはぎ・足裏等をゆっくりとほぐした。





 写真は翌朝に写したものだが、駐車場で隣り合わせになった神戸のTさん一家である。


 昨夕から子供達と色々と話して顔馴染みになっていた。


 子供達は明るくて元気で素直で、とても楽しい家族だった。


 長男がしんのすけ君(小2)、次男がかずま君(年長組)、長女が琴音ちゃん(10ヶ月)である。


 御主人は、若い頃はバイクツーリングをしていたと言ってあった。


 Tさん一家は既に長崎〜阿蘇と回り、明日は別府に行く予定との事だった。







 写真が当夜の宴会料理である。


 宴会料理は道の駅に来る途中のスーパーで買い、ビールは温泉帰りにローソンで買った。


 尚、上段の皿は (串カツ、カキフライ、キャベツ、カイワレ大根) である。


 当夜の宴会は20時前から21時頃?まで続いたように思う。





今日は大牛との対峙もあったが、私達は数年掛かりで少しずつ歩いて来た 『阿蘇南外輪山歩き』 の全行程が今回で完了したので、達成感や解放感があった。

それにアルコールによるホロ良い気分も相乗して、21時過ぎ?には二人とも大変機嫌良くシュラフに潜り込んだのだった。

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