く じ ゅ う 周 回
(大曲〜坊がつる〜平治岳〜北大船山〜大船山〜立中山〜坊がつる〜扇ヶ鼻〜星生山〜大曲)


2009年(平成21年)5月31日   快晴   中風


今回の山旅も当日の午前中にバタバタと決定した。

週間天気予報を見て、『今日から山歩きに行こう!』 とは思っていたのだが、最初は違う山の予定をしていた。

しかしインターネットで花情報を調べてみると、くじゅう連山の方々でミヤマキリシマが見頃になっている事が分かった。

くじゅう連山の中にはミヤマキリシマの群生地が何ヶ所もあり、その群生地の見頃は少しずつ微妙に異なる。

ところで、わざわざくじゅうにミヤマキリシマを見に行くのなら、『今回はそのミヤマキリシマの群生地を出来るだけ多く見て回ろう!』 とオバさんと意見が一致し、

急きょ予定を立て直した。



私達が知っているくじゅう連山のミヤマキリシマの群生地は、ざっと数えても7〜8ヶ所ある。

その多くを1泊2日で見て回るのはちょっと無理のようだったので?、『2泊3日にしよう!』 との事になった。

それなら 『久し振りに坊がつるキャンプ場にテントを張り、そこをベースキャンプにして2日間で群生地を多く見て回ろう!』 と、またオバさんと意見が一致した。

それでオバさんは2泊3日分の食料の買い出しに出掛け、宴会料理等の下準備に掛かった。

当初は1日だけの車中泊の積りだったので、二人とも小ザックに山道具等を既に入れていた。

それが2泊3日のテント泊になったので、テント関係一式と2泊3日分の食料等を大ザックにパッキングし直した。

今日は 『坊がつる』 で明るい内にテントを張れば良いだけなので、自宅で昼食を食べてから1時半に出発した。


 写真は 『長者原登山口』 と 『牧ノ戸登山口』 のほぼ中間地点にある、『大曲登山口』 に着いてから写したものある。

 写真に写っている右側の山は、『星生山』 では無いが、『星生山』 の北西斜面に当たる場所である。

 その北西斜面も写真の様にピンク色になっていた。私達は明後日、その北西斜面を見ながら下りて来る予定である。

 大曲登山口には十数台分の駐車スペースしか無いので普通は朝早く行かないと駐車できず、付近に路肩駐車になる。

 しかし今日はここに着いた時刻が15時50分頃だった為に、既に下山した車が数台あり、スムーズに駐車できた。

 自宅から大曲登山口の距離は104kmで2時間20分を要しており、大曲登山口を出発した時刻は16時5分だった。




 写真は 『三俣山』 と 『硫黄山』 の鞍部にある、『すがもり小屋』である。

 ここまでの登山道などの様子は、『2009年4月12日のくじゅう周回』 で大体説明しているので今回は割愛する。

 ここまでの所要時間は35分で、『2009年4月12日のくじゅう周回』 の時に比べると1時間も早く着いていた。

 しかしその時は途中で回り道をしていた勢もあるので、実際に短縮できる時間は40分前後では?と思う。

 時間が時間だけに、登っている人は前後に一人も見掛けなかったが、下山して来る登山者とは沢山すれ違った。

 今日は二人とも普段に比べると倍近い?重量を背負っている。

 正確に計った訳では無いが、今回はオバさんが12kg位で、私が15kg位を背負っていたのでは?、と思う。



数年振りにこんなに重いザックを、体重の軽い私達が担ぐとバランスが取り難く、二人とも慣れる迄は少し前に傾くとつんのめりそうになり、

後ろに傾くとひっくり返りそうに何度もなった。(笑)

この 『すがもり小屋』 でザックを下し、汗を拭いたり喉を潤おして10分近く休憩した。

                      大船山
                       ↓




 写真はすがもり小屋から峠を下り、北千里浜を歩いてる時に写したものである。


 写真にも小さく写っているが、6〜7人のグループとすれ違った。








下・左写真は北千里浜を過ぎ、写真のような大小の岩場を下りている時に、下方に見え始めた坊がつると平治岳である。

平治岳の山頂部は写真のようにピンク色になっており、ミヤマキリシマは今年も良く咲いているようだった。

山の下側に見える平地が 『坊がつる』 だが、新緑で青々としていた。

下・中写真は 『2009年4月12日のくじゅう周回』 時に中岳山頂から写した坊がつるで、右写真も同じ日に白口谷から写した坊がつるである。

坊がつるはその日の4日前(4月8日)に野焼きが行われたばかりで、当日は写真のように真っ黒だった。

それが今日は左写真のように新芽が出て、新緑に変身していた。

平治岳   坊がつる  .
 ↓      ↓    .
    坊がつる 平治岳
        ↓   ↓.
               坊がつる   平治岳
                ↓       ↓
 

上・左写真の岩場を過ぎると灌木が茂る岩部になるが、そこでも下山して来る数人の登山者とすれ違った。

灌木帯を過ぎて少し下ると 『法華院温泉』 に着いたが、中を覘くと凄い人数の登山者で賑わっていた。

私達は風呂場の入口にあるビールの自動販売機で、今晩の宴会時に飲む良く冷えたビールを仕入れてから坊がつるに向かった。

   大船山     避難小屋
     ↓         ↓
 写真が坊がつるキャンプ場に張った、私達のテントである。

 もう10年位前?に購入した3代目の物で、現在市販されているテントに比べるとかなり重く、一式で3.3kgもある。

 しかし室内は十分に広く(横=205cm、縦=225cm、高さ=127cm)、以前はこのテントで親子3人が寝ていた。

 しかし五年振り位?にこのテントを使用するので、組み立てるのに少しもたついた。

 張り終えてからキャンプ場の中のテントを数えたら、私達も入れて10張りだった。

 この坊がつるキャンプ場には、今迄に子供や子供の級友を連れて何度もキャンプをした事があり、

 私達にとっては色々な思い出が沢山詰まっている場所である。



 テントを張り終え、寝る準備をして室内を整理したら、もう後は何もする事が無くなった。

 それで外はまだ明るかったが宴会に入る事にした。

 しかし太陽が三俣山に隠れて、キャンプ場が日陰になると急速に温度が下がり、寒く感じるようになって来た。

 炊事場に備えてある温度計を見たら、18時頃で10℃だった。

 この坊がつるの標高が1230m〜1270m位なので、平地よりも大体8℃近く寒くなるようである。

 法華院温泉の前を通った時はまだ暑かったので冷えたビールを買ったのだが、宴会を始めた18時半頃になると

 かなり寒く感じ、二人ともブラウスと雨具を着てから良く冷えたビールで乾杯した。(笑)



しかしビールを飲んだ後はやはり寒いので、私はウイスキーや焼酎をお湯で割って飲んだ。 オバさんは持参した自家製の梅酒をホット梅酒にして飲んでいた。

写真の宴会料理を説明すると、真ん中のフライパンの上半分は(厚揚げ・コンニャク)のピリ辛煮で、下半分は(じゃがいも・にんじん・ブロッコリー・ウインナー)のホットサラダである。

左上の小皿はゴーヤのカツオ節和えで、下の小皿は(きゅうり・たまねぎ・大根)のピクルスである。

右は赤貝とサンマの缶詰で、他はソーセージが1本ずつである。

宴会は18時半頃から1時間以上?続いた。

食事の後片付けしてから洗顔・歯磨きをすると後は何もする事はなかったが、しかし寝るにはいくら何でも早すぎた。

それで私は今回は久し振りに持って来ていたハーモニカで音楽を楽しむ事にした。



子供と一緒にキャンプをしていた頃は夕食後に、子供はピアニカかリーコーダー、オバさんがオカリナかカスタネット、私がハーモニカを担当して3人で合奏を楽しんでいた。

子供が付いて来なくなってからもオバさんはオカリナを、私はハーモニカを山行時に何時も携帯していた。

そして誰も居ない山頂等では、お互いに少し離れた場所でそれぞれの楽器演奏を楽しんでいた。



私は小学生の時には音楽部にも所属していた。

その当時の音楽の先生は合唱と合奏に凄い熱意を持っておられ、大会等が近付くと放課後は毎日のように私達を熱心に指導され、

ついには九州大会で優勝する迄に導いて頂いた事があった。

その当時、男子音楽部員の殆んどはハーモニカ担当で、私もハーモニカを吹いていた。

しかし小学校を卒業してからは長い間ハーモニカとは全く無縁になり、何時の間にかハーモニカも紛失していた。

その後、学生時代から30歳位までは時々ギターを楽しんでいたが、その後は楽器演奏とは殆んど無縁になり、もっぱらカラオケだけに熱心だった。(笑)


 それが15年ほど前に?、何かのついでにハーモニカを購入していた。

 それまで40年近く?ハーモニカを手にした事が無かったので、最初は 『吹けるかな〜?』 と不安だったが、

 口に当ててみると意外に口と手が憶えていてスムーズに音階が吹けて嬉しく思った事を憶えている。

 それからは時々ハーモニカの練習をし始めたが、別にハーモニカ教室に通って習った訳では無く、

 たまにハーモニカ演奏会を聴きにいったり、CDを何枚か購入してそれを聞きながら真似事等をして練習していた。

 そう云う事で、私のハーモニカ演奏は全くの我流である。




今回の山行では重量の関係で楽譜は持って来れなかった。

私は(童謡・唱歌、歌謡曲、民謡、フォークソング、カントリー&ウエスタン、ロシア民謡、山の歌)等の曲を思い出すままに吹いていたが、楽譜が無いので時々間違う事があった。

ごましお山荘の山行記録には載せていないが、オバさんがお友達と旅行に出掛けた時等に、私はたまにテント泊や山小屋泊まりをして一人で山に行く事がある。

5〜6年前の夏にもこの坊がつるで一人でテントを張っていた。

その時、夕食後に一人でハーモニカを吹いていたら 『聴かせて欲しい!』 と言って近くのテントの人達が10人近く集まって来た事があった。

その時は楽譜を携帯していたので、私のハーモニカの演奏に合わせて皆さんが(童謡・唱歌、山の歌、歌謡曲、ロシア民謡)等の曲をかなり遅くまで歌った事もあった。



8時半頃まで?ハーモニカを楽しんでから、寝る前にトイレに行ったが、外は風が強くなっていてかなり寒かった。

そしてキャンプ場内のテントは殆んどが消灯していたので、皆さん方は明日は早起きするような気配だった。

そのようにして、久し振りの坊がつるキャンプ場での1日目の夜は過ぎて行き、私達は21時前に?寝たと思う。



今日の山歩きをまとめてみると、

         大曲登山口(16:05)〜35分〜すがもり小屋(16:40/16:50)〜50分〜坊がつる(17:40)だった。





2009年(平成21年)6月1日   晴れ   中風


コース概念図
(白色の点線=1日目、緑色の点線=2日目、紫色の点線=3日目に歩いたコース、黄色の矢印は順路)

夜中の3時半頃に強い風がフライシートをはためかせる音で目が覚めた。

外はかなり強い風が吹き荒れていて、時折 『ゴー!』 と凄い音を響かせる突風もあった。

その後、私はあまり熟睡は出来なかったが、次に目覚めたのは5時頃だった。

オバさんは3時半頃からずっと起きていたらしく、4時頃に外は明るくなり始めたと言っていた。

私は5時頃に目覚めたが外は寒そうなので、シュラフの中で暫く丸まっていた。

昨夜寝る時は山の中から 『ヒーホー』 と(私には)聞こえる、低音で抑揚の無い鳥の鳴き声がずっと聞こえていた。

今朝、シュラフの中で丸まって鳥の鳴き声を聞いていると、その鳴き声の他にも 『カッコーカッコー』 と 『テッペン駆けたか?』 の鳥の声が近くで聞こえていた。



鳥の鳴き声で思い出したのだが、12年前に四国の石鎚山近くの 『しらさキャンプ場』 で子供と一緒にテントを張っていた時に、

朝、目覚めると直ぐ近くで 『ゴジュウハチビョウ!』 と続けざまに鳴く鳥がいた。

私達はどうせ鳴くのなら 『(58秒!) と鳴かずに、一分置きに(イップン!=1分) と鳴けば良いのにね〜!』 等と言って笑って聞いていたが、一体あの鳥の名前は何なのだろうか?

そのような事を思い出しながらシュラフの中で丸まっていたが、しかし何時までも鳥の鳴き声を聞いていても仕方が無いので、5時半に意を決して起きた。(笑)

テントの中から外を覗くと炊事場には既に数人いて、法華院温泉方面からは多くの人達(単独から15人前後のパーティ迄)が、坊がつるを通って山に向かっていた。



テントの外に出たらかなり寒かった。 恐らく6〜8℃位ではなかったか?と思う。

お湯を沸かして、(コーヒー・パン・ゆで卵・バナナ)で朝食にし、洗顔等を済ませてから山歩きの準備をしていた。

そうしたら近くのテントから私と同年代の男性が、『昨夜は懐かしい(ライフルと愛馬)の曲を聴かせて頂きましてありがとうございました!』 と挨拶に見えた。(汗!)

前夜は割と近くに他のテントがあったので、私はテントの中でハーモニカを吹いていたのだが、その音は風に乗って近くのテントの中にまで聞こえていたようである。(また汗!)

そしてその男性は 『(山のけむり)の曲を聴きたかったですね〜!』 とも言って笑ってあった。

(私もその曲は好きだが半音が2か所あり、1本のハーモニカだけで吹くと調子が狂うので私には大変難しいのである)



 テントを出発した時刻は6時半だった。


 今日は夕方までにこの場所に帰って来る予定なので、荷物は二人ともナップサックに入る位の最小限にしていた。


 写真は 『平治岳』 と 『大船山』 との分岐標識で、後方の小屋は昨日のテント写真の後方にも写っている、

 『坊がつるの避難小屋』 だが、写真のように入り口部のガラス等が無かった。









 上写真から50m程?進むと、写真のような看板と石が積んであった。


 この 『 1人1石運動』 は大分前から行われていて、私はここを通る度に石を運んでいた。








 『 1人1石運動』 が始まって大分経つので、手前方の登山道にはもう十分に石が運ばれていてぬかるみは無かった。

 現在は看板にも書いてあるように、1〜3km先の登山道が写真のようにまだぬかるんでいた。

 皆様もここを通る時はせめて自分の靴より大きい石を、出来れば頑張って自分の頭より大きい石を運んで下さい。(笑)

 私達は大変頑張って自分のお尻位の大きさの石を運びました。(ウソ)

 それから上写真の少し先の所で、早くも下山してくる男性と擦れ違った。

 私は驚いたので尋ねてみると、『明るくなった4時頃から登り始めました!』 との事だった。

 私は 『気合いが入って入るなー!』 と思った。



         平治岳・南峰山頂
               ↓



 写真は 『平治岳』 と 『北大船山』 との鞍部にある、『大戸越=うとんごし』 と呼ばれる場所から

 平治岳(南峰)の南斜面を写したものである。


 この場所では10人近くの人達が三脚を構えて撮影をしていた。







 中岳  天狗ヶ城  星生崎  星生山        三俣山
  ↓   ↓        ↓     ↓           ↓

 写真は上写真の南峰・山頂部から、下方に見える坊がつる方面を写したものである。


 写真では小さくてよく分からないと思うが、坊がつるの左側に白い建物(トイレ)が写っている。


 その少し左に小さな白い点のように見えるのが私達のテントである。


 尚、その左方に小さく見えている建物が、『坊がつる避難小屋』 である。


 私はテントに空き巣狙いが入ってないか?と、双眼鏡で覗いたが無事だったのでホッ!とした。(笑)


 この南峰・山頂部の方々に、大きな三脚とカメラを構えた人達が大勢いた。






                                      本峰山頂
                                          ↓




 写真は南峰・山頂部にある岩の上から本峰方面を写したものである。



 去年も見事だったが、今年もまた写真のように綺麗な装いを見せてくれていた。



 今日の平治岳のミヤマキリシマの状態は、まだ蕾を付けた樹もかなりあったが、

 少し色あせ始めた花びらもあったので、全体的に今が満開の状態では?と、私は思った。















 写真が 『平治岳=ひいじだけ=1643m』 の本峰にある山頂標識である。









下・左写真は2つ前の大きい写真で、本峰山頂方面から左側方面を写したものである。

左側の先端部は撮影ポイントの一つで、そこには写真のようにカメラマンが大勢いて、風景写真等の撮影に夢中だった。

尚、下・右写真はその先端部から写したものである。

本峰の先端部
本峰先端部からの景色




 私達は平治岳の南峰と本峰の山頂部に合計で30分程いて、写真も景色も堪能したので下山する事にした。


 写真は南峰から下山専用路を下りている時に、鞍部の 『大戸越』 を写したものである。


 写真では小さくてよく分からないと思うが、大戸越には沢山の人達がいた。


 尚、右側の林の中に筋が見えるが、それが北大船山への縦走路で、私達は大戸越からはその縦走路を登る予定である。














 写真の標識が、大戸越にある北大船山等への分岐標識である。













 北大船山への登山道は写真のような溝のような所が多く、かなりな急坂の場所もあった。


 そんな登山道の両サイドにも、写真のようなミヤマキリシマが所々にあった。








又、その付近の登山道では下写真のような花達を見掛けた。 尚、マイズルソウは他の色んな場所でも沢山見掛けた。

クサボケ
マイズルソウ
チゴユリ

 写真は大戸越から登り始めて30分位した所で、後方に見えていた平治岳を写したものである。


 写真のように、山頂部と南斜面がピンク色に染まっていた。


 写真では見えないが、ここから双眼鏡で覗くと山頂部には沢山の登山者がいた。


 そして登り専用登山道は大勢の登山者が殆んど山頂まで列を成して登っているのが見えた。


 それを見ながら私は 『早い時刻に登って良かったナー!』 等とオバさんと話していた。



 上写真から更に20分ほど登ると、尾根道に出た。


 そこで私達は腰掛けて、行動食を食べながら10分近く休憩した。


 写真はその場所で写したものだが、そこのミヤマキリシマは虫害の為か?、写真のように花は殆んど無く、

 蕾のまま茶色に変色していた。


 その付近にはそのように茶色に変色したミヤマキリシマの木が結構あった。




    大船山    段原      北大船山
     ↓       ↓         ↓




 写真は上の場所から少し進んだ所で、前方の景色を写したものである。


 北大船山や大船山の山頂には大勢の登山者が動いているのが、肉眼でも小さく見えた。












 写真が 『北大船山=きたたいせんざん=1706m』 の山頂標識である。


 この山頂への途中で大勢の登山者と擦れ違ったので、私達が着いた時は誰も居なかった。








         段原     大船山
          ↓       ↓




 写真は上の北大船山から少し下りた所で、前方の景色を写したものである。


 段原と大船山に大勢の登山者がいるのが見えていた。









 写真が北大船山の山頂から5分弱で着いた、『段原=だんばる』 と呼ばれている尾根上の十字路である。


 大船山に登った後は、また段原に戻って来る人が殆んどの為、この段原の至る所には写真のように荷物がデポされていた。


 私達もナップサックとストックをこの地にデポし、空身で大船山を往復する事にした。


 尚、奥の方に薄く写っている山は、『阿蘇五岳』 である。





下・中写真が段原から20分弱で着いた、『大船山=たいせんざん=1786m』 の山頂標識である。

左写真は山頂標識の左側(西方向)の景色で、下方に見える立中山の山頂部が写真のようにピンク色になっていた。

私達はこの後、その立中山に向かう予定である。

尚、左写真の右側には坊がつるも見えていたので、私達のテントを双眼鏡で見たらまだ無事だったので、またもやホッ!としたのだった。(笑)

右写真は山頂標識の右側(北東方面)の景色で、今日は由布岳や鶴見岳等も見えていた。

      立中山            三俣山
      ↓               ↓
北大船山  平治岳
 ↓      ↓
     由布岳  鶴見岳      高崎山?
     ↓   ↓          ↓





 大船山の山頂で、写真撮影や景色を眺めながら15分ほど休憩してから下山し始めた。


 写真の花の名前は分からないが、下山中に1輪だけ咲いていた花である。












 これは段原にある分岐標識だが、大船山からの下山時は15分弱で下りた。


 やはり空身で歩くと身体を軽く感じて、大変楽である。









 段原からは坊がつるへの登山道を下りた。


 その登山道はガレ場が多く、滑り易くて歩き難かった。


 写真はそんな道を段原から30分ほど下りた所にある、立中山への分岐標識である。


 この分岐標識は少し中の方にあるので目立たないが、手前の角に写真のような黄色やピンク色のリボンがあった。








 立中山への登山道は細く、写真のようなテープやリボンを目印にして歩く部分が殆んどである。


 去年、初めてこの道を下った時は、途中で目印を探して3回ほどウロウロした。


 しかしその後に目印が沢山付けられたようで、今回は迷う事は1回も無かった。






下写真が 『立中山=たっちゅうざん=1464m』 の山頂標識である。

大船山の山頂から見えていたように、この立中山の山頂部は満開状態だった。

南方向の景色で、後方の山は鳴子山や白口岳
北方向の景色で、後方の山は平治岳
東方向の景色で、後方は北大船山と大船山

この立中山では人の姿が見えなかったので誰も居ないと思っていたのだが、花の中に座って昼食中の御夫婦が2組おられたのでビックリ!した。

私達も花の間に座り、お湯を沸かしてコーヒーを飲みながら行動食を食べ、この山頂で35分ほど休憩した。

立中山山頂
  ↓








 写真は立中山からの下山中に山頂方面を写したものだが、

 この立中山の斜面もかなり広いミヤマキリシマの群生地を有していた。




















 写真は立中山から下り始めて10分程した所で、前方に見えていた景色である。


 前方の山は 『白口岳=しらくちだけ=1720m』 で,、鞍部が 『鉾立峠=ほこたてとうげ』 である。













 写真が鉾立峠で、白口岳と立中山との鞍部に当たる。


 この峠で左折すると、『くたみ分かれ』 を経由して沢水に下りる。


 右折すると、法華院温泉を経由して坊がつる等に下りる。














 写真は鉾立峠から右折方面を写したもので、前方の山が三俣山で、その麓に法華院温泉の赤い屋根が少し見えている。


















 法華院温泉に下る登山道にはイワカガミが沢山咲いていて、写真のような小群落もあった。














 写真が法華院温泉の入り口だが、鉾立峠から25分で着いた。



















 中をちょっと覘いたら、今日も沢山の登山者で大賑わいであった。


 写真は受付に張ってある料金表である。















    平治岳
      ↓





 写真は法華院温泉の橋の上から坊がつる方面を写したものである。










下写真は法華院温泉から坊がつるに歩いている時に見掛けた花達である。

サワオグルマ(群生していた)
ミミナグサ(群生していた)
ハルリンドウ

ジシバリ
ノハナショウブ(1輪だけ咲いていた)
キジムシロ

        平治岳
          ↓






 写真は坊がつるに着いて私達のテントを写したものだが、私達の奥の方に2張りのテントが増えていた。









今日の山歩きをまとめると、

          坊がつる(6:30)〜55分〜大戸越(7:25)〜30分〜平治岳(7:55/8:25)〜35分〜大戸越(9:00)〜1時間5分〜北大船山(10:05)〜

                       5分〜段原(10:10/10:15)〜20分〜大船山(10:35/10:50)〜段原(11:00/11:10)〜

                      30分〜立中山分岐(11:40)〜45分〜立中山(12:25/13:00)〜15分〜鉾立峠(13:15)〜

                      25分〜法華院温泉(13:40/13:45)〜20分〜坊がつる(14:05)だった。



今日は朝早くから行動した勢か、思っていたより短時間で今日の予定を終える事が出来た。

しかし余りにも早い時刻に帰り着いたので、少し時間を持て余し気味だった。

それでテントの中で少しを昼寝したり、坊がつる周辺を散策したりして時間を潰した。

そして17時頃から法華院温泉に入りに行った。

風呂場も大混雑だったが、湯船からは先程歩いて来たばかりの平治岳〜大船山〜立中山等が見え、『今日はあの稜線を歩いて来たんだなー!』 と少し感慨深いものがあった。

オバさんに聞くと、女性風呂も大変多かったそうである。

風呂から上がり、風呂場の入口にあるビールの自動販売機で今夜の宴会時に飲むビールを1本ずつ買う事にした。

私は350ml缶(300円)を買ったのだが、オバさんは500ml缶(400円)を買った。(クソー!・・・怒)

 今日の宴会も18時半近くから始まった。

 宴会料理を説明すると、真ん中のフライパン料理は持参した乾燥した野菜(人参、ごぼう、たまねぎ、キャベツ、小松菜)と

 魚の缶詰2缶を汁ごと入れて煮込み、最後に卵を落として絡ませたものである。

 上の小皿は(大根、人参、きゅうり、たまねぎ)のピクルスで、横の小皿は小豆の煮物である。

 フライパンのメイン料理は結構シャキシャキ感があり、また缶詰の汁が良く効いていたのか?

 とても味が良くて美味しかった。

 それから今日は寒く無かったので、冷たいビールがとても美味しく感じた。



今夜の宴会は19時半頃には終了し、後片付けと洗顔等を済ませてから、私は寝るまでの時間を又ハーモニカを吹いて楽しむ事にした。

今夜も昨日のような曲(童謡・唱歌、歌謡曲、民謡、フォークソング、カントリー&ウエスタン、ロシア民謡、山の歌)の他に、

(ジャズ、タンゴ、ワルツ、シャンソン、カンツオーネ、ラテン系)等の曲も、思い出すままにテントの中で吹いていた。

そうしたら、『谷村新司さんの昴』 を吹き終わった時に、突然テントの外から拍手が聞こえて来た。

驚いて外を見ると、テントの前に私と同年代の男性二人が立ってあった。

その方達は私達の奥の方に昨日からあったテントの方達で、昨夜も時々ハーモニカの音色が聞こえて来ていたので、『何処で吹いているのだろう?』 と思っていたそうである。

そうしたら今夜も聞こえて来たので、『音を辿ってテントを探しました!』 との事だった。



その方達と少し会話してみると、何と!お二人とも隣の市に住む方達だった。

そしてその方達からは 『出来るだけ童謡・唱歌を演奏して欲しい!』、それから 『赤とんぼ、故郷、坊がつる讃歌』 の3曲は是非吹いて欲しい!とのリクエストがあった。

それで私は又思い出すままに童謡や唱歌の曲を吹き、20時半近くになったので最後にリクエストの3曲を吹いた。

その後は寝る前にオバさんをエスコートしながらトイレに行き、帰りに夜空を見上げたらそこには満天の星が瞬いていて、明日の好天を予感させてくれた。

当夜は少し酔っていたのと当日はかなり歩いて少し疲れていた勢か?、私はシュラフに潜り込んだら直ぐ寝入り翌朝まで熟睡した。

このようにして、坊がつるでの2日目の夜は過ぎて行った。





2009年(平成21年)6月2日   晴れ   中風


今朝も5時半頃に起きた。

外に出ると、もう既に法華院温泉の方から大・小グループの登山者が、坊がつるの中を次々に通り過ぎていた。

私達も早速お湯を沸かし、コーヒーとパンとバナナで朝食にした。

その後は洗顔等を済ませ、テントを撤収をしている時に昨夜のお二人が見えてお礼を言われた。

私は演奏している途中で風向きが変わったりして、『もしかしたら聞こえ無かったのでは?』 と思っていたが、『良く聞こえました!』 の事だったので安心した。



私は音楽好きなので、大概の所でも音楽を聴くと気分が良くなる方である。

しかし大自然の中では人工音を嫌う人もいるので、ハーモニカ演奏をする時は私は自分なりに気を付けている積りである。

でも今回は周りの人達も音楽好きの人達が多かったようなので、『良かった〜♪(ホッ!)』 と私は思った。

        中岳  法華院温泉
         ↓   ↓
 坊がつるを出発した時刻は6時55分だった。


 坊がつるの中を歩きながらテントを数えたら、今朝は19張りに増えていた。


 写真は鳴子川を渡り、木道の少し手前で前方の景色を写したものである。


 山の麓には法華院温泉の赤い屋根が、そしてその上方には中岳の山頂が少しだけ見えていた。


 写真に写っているように、この時刻でも法華院温泉の方からは続々と登山者が歩いて来ていた。



下写真は法華院温泉を通る時に写したものだが、まだまだ沢山の登山者がいるようだった。

ちょうど出発し始めたグループ
出発前の準備体操をしていたグループ







 写真は法華院温泉を少し通り過ぎた所から、法華院温泉の裏側を写したものである。














 法華院温泉から10分ほど登ると、登山道は写真のような灌木帯の岩場になる。














 登山道の直ぐ横は谷になっているが、その谷の向こう側の岩壁にも写真のようにミヤマキリシマが沢山咲いていた。


 その付近は人が行くような場所では無いので、将来この付近はミヤマキリシマの大群生地になるのでは?と思った。








下・左写真は法華院温泉から40分ほど登った場所で、下方に見えていた坊がつるを写したものであるが、この場所から上では坊がつるを望む事は出来なかった。

右写真は、左写真の少し先から前方の景色を写したものである。

平治岳    坊がつる          .
↓       ↓           .
前方の景色








 上写真から5分ほど登ると、写真のような北千里浜の北端に出た。












 上写真のような北千里浜の砂地を5分ほど進むと、右手に写真のような分岐標識が現れた。


 この分岐標識から右折して登ると、1日目に休憩した 『すがもり小屋』 を経由して、大曲登山口や長者原に下りる。


 私達は 『久住分れ』 を目指しているので、この分岐地点では直進した。






           久住分れ
              ↓






 写真は分岐地点の少し先で、前方の景色を写したものである。












 写真は上写真から更に5分ほど歩いた所で、右横に見えていた硫黄山の噴煙を写したものである。


 携帯ニュースによると、5月31日に櫻島が大爆発してその噴煙が3700mまで達したとの事だった。


 しかしここの噴煙は写真のように少なく、爆発の危険性は少ないようなので、私はホッ!とした。(笑)






北千里浜を20分程で縦断し、下写真のような岩場を少し登った所で初めて休憩する事にした。

テント等が入って満タンに膨らんだ重いザックを下すと、ホッ!した気持ちになった。

写真の場所で行動食を食べながら喉を潤おし、10分程休憩した。

尚、左写真はその休憩した場所から、今縦断して来たばかりの北千里浜を写したものである。

その写真の後方に写っている山は三俣山だが、三俣山の南東斜面にもミヤマキリシマの大群生地があり、その南東斜面も綺麗なピンク色になっていた。

しかしこの時刻は逆光の為に、鮮明に写っていなので大変残念である。

右写真は左写真と同じ場所から、前方の景色を写したものである。

             三俣山
              ↓
 久住分れ       .
 ↓       .
       三俣山
         ↓




 写真は上・右写真の前方に見えていた 『久住分れ』 に着き、登って来た岩場や北千里浜方面を写したものである。


 上の休憩した場所からは、上・右写真のような岩場を25分ほど掛けて登って来た。








               星生崎
                ↓




 写真は上の久住分れから2〜3分の場所にある、避難小屋と有料トイレである。


 広場の上の岩場が星生崎でこの広場からも登れ、その後は岩尾根を通って星生山に行ける。








                         星生山
                           ↓




 私達は上写真の広場を横切り、星生崎下方の岩場を歩いて行った。


 写真は星生崎下方の岩場を過ぎ、前方に見え始めた西千里浜を写したものである。








               扇ヶ鼻山頂
                ↓

 写真は上写真の西千里浜を縦断し終わり、前方に見えて来た 『扇ヶ鼻』 を写したものである。


 写真のように 『扇ヶ鼻』 の手前の斜面はかなりピンク色になっていた。


 それから去年の11月にここを歩いた時は、テント小屋を設置して大勢の人達が登山道の整備工事をしていた。


 その工事は既に終わったようで、写真のような綺麗な登山道になっていた。





 星生山山頂
    ↓



 写真は 『にたの窪』 の東端部分にある、星生山への分岐標識である。


 私達のこの後の行程は、まず 『扇ヶ鼻』 に登ってからこの分岐に引き返し、その後 『星生山』 に登る事にしていた。


 それで、この地点に重いザックをデポし、飲み物と行動食だけを持って 『扇ヶ鼻』 を往復して来る事にした。






私は扇ヶ鼻のミヤマキリシマにも期待していたのだが、扇ヶ鼻のすそ野に着いてガックリ!した。

扇ヶ鼻のミヤマキリシマはまだ早かったのである。

下・左写真が当日(6月2日)の景色だが、まだ2〜3分咲きだった。

下・右写真は、2005年6月15日にほぼ同じ場所から写した満開時の写真である。

しかし扇ヶ鼻のミヤマキリシマは 『まだ時期が早かった!』 と云うだけで、蕾は沢山付いており、あと1週間〜10日先位には満開になるのでは?と思う。

2009年6月2日の景色
2005年6月15日の景色



 写真が 『扇ヶ鼻=おうぎがはな=1698m』 の山頂標識である。


 時刻は9時40分だった。


 左奥の方にも小さく人が見えるが、当時刻はこの山頂部には既に30〜40人位?の登山者がいて

 岩場に腰掛けて景色を眺めたり、風景写真等を撮っていた。





    湧蓋山 黒岩山     泉水山
     ↓   ↓         ↓



 写真は、上写真の左奥に行った時に写したものだが、

 そこからどの方向を眺めても至る所に写真のようなピンク色があった。


 私達はそこの岩に腰掛けて四方の景色を眺めたり写真を撮ったりしながら行動食を食べ、10分ほど休憩した。







       星生山  星生山分岐   星生崎
          ↓    ↓        ↓




 写真は扇ヶ鼻の山頂部から、ザックをデポしている方面を写したものである。


 ザックをデポしている場所は、広い登山道から星生山に登る1本の道が見えるが、その星生山分岐地点である。








下・左写真は、扇ヶ鼻からの下山時に写した景色である。 右写真は、2005年6月15日にほぼ同じ場所から写した満開時の写真である。

2009年6月2日の景色
 星生山     .
↓    .
2005年6月15日の景色
星生山            星生崎        .
 ↓               ↓         . 

                      星生山
                       ↓

 この写真も扇ヶ鼻からの下山時に、下方に見えていた登山道の様子を写したものである。

 写真では小さくて良く分からないと思うが、沢山の登山者が歩いていた。

 今回の登山は平日(月・火曜日)なので登山者は少ないのでは?と、私は思っていた。

 しかし私がこれまでに平治岳や大船山や法華院温泉等で会った方達だけでも、関東・中部・関西方面から見えている

 山の会のグループや、ミヤマキリシマ鑑賞登山ツアー等が多かった。

 このミヤマキリシマの時期は、曜日や天気等はあまり関係無く、大変多くなるようである。




         扇ヶ鼻山頂
           ↓



 この写真は、扇ヶ鼻から星生山への分岐標識(9枚前の写真)まで戻り、そこから星生山に向かって5分強登った所で

 左側に見えていた景色を写したものである。


 下に見えているのは 『にたの窪』 と呼ばれている湿地で、池塘(ちとう)が幾つか見えていた。







下の岩は山頂部の少し下に、登山道の右側に見えていた岩である。

登る時は左写真のように、『鷹』 のように見える場所があった。

その場所から5分ほど登ると山頂部に着いたが、『鷹』 のように見える岩を上から写したものが右写真である。

写真を見比べて貰えば分かるように、同じ岩なのに見る角度により全く形が違うのである。

上から見えた形は、『どこかで見た事のあるような気がするのだが・・・?』、今は何故か?、私は思い出せないのだった。(爆)

鷹岩
?ン?岩

   三俣山    平治岳          大船山
     ↓       ↓              ↓
 写真が 『星生山=ほっしょうざん=1762m』 の山頂標識である。


 標識の左側に少し白い物が見えているが、それは硫黄山の噴煙である。


 それから後方に見える三俣山の麓から続いている裸地が、私達が歩いて来た北千里浜である。


 この山頂からも肉眼では、三俣山・南東斜面のミヤマキリシマは綺麗なピンク色に見えていたのだが、

 逆光の為に写真には鮮明に写っておらず、大変残念である。




       泉水山   長者原  タデ原
         ↓      ↓    ↓



 この写真も星生山の山頂から、北方向の景色を写したものである。


 星生山の山頂部にも大勢の登山者がいて、方々で休んでいた。


 私が今年の4月12日に長者原に来た時は、タデ原も野焼きの後で真っ黒だったのだが、今日は緑色になっていた。






                     星生山山頂
                        ↓
 星生山の山頂部は風が強くて寒かったので、私達は早々に山頂を後にした。


 星生山からは 『星生新道』 を下りる事にしていた。


 インターネットで、星生山・北西斜面のミヤマキリシマが良く咲いているとの情報を得ていたからである。


 左写真が 『星生新道』 への分岐地点である。 


 まだ分岐標識は無いが写真のようなケルンの場所から星生新道に入る。






 私達はその星生新道を5分ほど下り、風当たりの少ない場所で休憩する事にした。


 ザックを下ろし岩に腰掛けて行動食を食べながら喉を潤おし、15分ほど休憩した。


 左写真はその後、星生新道を下りている時に写した、前方の景色である。






下写真は2枚とも星生新道を下りている時に写した、星生山・北西斜面のミヤマキリシマの大群生地である。

私は星生山・北西斜面にこのようなミヤマキリシマの大群生地がある事を知らなかったので、驚きながら撮影していた。

三俣山

星生山・北西斜面のミヤマキリシマ



 写真は大曲駐車場に着いて、星生山・北西斜面のミヤマキリシマの大群生地を写したものである。


 右に見える山は星生山の山頂では無く、途中のピークである。


 ちなみに、この大曲駐車場からは星生山の山頂は見えない。


 大曲駐車場に着くと駐車場は満車で、多くの車が近くの路肩に列を成して駐車していた。





今日の山歩きをまとめると、

          坊がつる(6:55)〜1時間〜すがもり越分岐(7:55)〜55分〜久住分れ(8:50)〜35分〜扇山(9:40/10:00)〜

                       1時間〜星生山(11:00)〜1時間30分〜大曲駐車場(12:30)で、万歩計は60734だった。

        ※ 但し、万歩計の数値は3日間の合計で、私は風呂に入る時以外は常に万歩計をベルトに付けたままだったので、山歩き以外の歩数も含まれている。



これまで写真紹介したように、私達は2日間に渡ってくじゅうのミヤマキリシマの群生地を見て回った。

それで今回、私達が見た場所の番付表を作ってみようと思う。

しかし、これはあくまでも6月1日〜2日時の開花状況を基にしており、また番付は私の独断と偏見によるものである事をお断りしておきます。



ジャンジャカジャ〜ン、ジャジャジャジャ〜ン!』、それでは2009年の番付表を発表しま〜す!(笑)

2009年・くじゅうミヤマキリシマ開花番付表 
西
番 付 場  所 番 付 場  所
横 綱 平治岳 横 綱 星生山・北西斜面
大 関 立中山 大 関 三俣山・南東斜面
関 脇 北大船山     . 関 脇 扇ヶ鼻

扇ヶ鼻はまだ2〜3分咲きだった為に、今回の番付表では西の関脇の地位に甘んじているが、満開になれば西の横綱としての実力は十分にあると思います。



帰路、『梅を作ってハワイに行こう!』 のキャッチフレーズと、『パスポート普及率・日本一』 で有名になった、梅の生産地・大山町の 『木の花ガルテン=農協経営』 に立ち寄った。

そうしたら大きくて綺麗な梅が安価で売っていたので、酒好きオバさんが来年の夏に飲む梅酒用として2kg買った。

そして自宅近くのスーパーでホワイトリカー(3.6リットル)と氷砂糖(1kg)を買い、当夜の内に果実酒用瓶に漬けた。

しかし、その位の量ではアル中気味のオバさんが1週間位で全部飲んで仕舞い、私には全然回って来ないのでは?と、少し心配しているところです。(笑)

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