く じ ゅ う 周 回
(長者原〜すがもり越〜久住分れ〜久住山〜稲星山〜白口岳〜中岳〜白口谷〜坊がつる〜雨ヶ池〜長者原)


2009年(平成21年)4月11日   快晴   微風


今日は午前中に九千部山に登り、正午頃には帰宅した。

そしてすっかり冷えてしまった 『ほっともっと弁当』 を、私は電子レンジでチーン!させてから食べたが、中々美味しかった。

今朝は普段よりかなり早い5時に起きていたし、その上にお腹が一杯になったら眠くなったので、1時間ほど昼寝した。

目覚めてから私は趣味の一つである家事(今日2回目の掃除・洗濯・繕い物等)をした後、『明日はどうしようかなー?』 と考えていたが、

突然 『明日はくじゅうを歩いてみよう!』 と思った。

そう思ったら行動は早い。 山道具はザックの中に入ったままだし、あとはシュラフ(寝袋)と地図とウイスキーを追加するだけで準備OKである。



ガソリンを満タンにし、久留米を出発したのは15時半頃?だったと思う。

くじゅうに行く道はもう何十回ともなく通っているので、何処にどんな店があるかは良く知っている。

そればかりか、あの家には何と云う人が住んでいるか!や、あの家には先日女の赤ちゃんが生まれた!とか、

更には、以前から仲の悪かったあの家の夫婦はとうとう先月の半ばに離婚した!等、私は何でも知っている。(笑)

      三俣山
        ↓
 そう云う事で、くじゅうに行く途中のスーパーで今晩と明日の食料、及びビールとツマミを購入した。


 そして左写真のような、長者原の駐車場に着いた時刻は18時少し過ぎだった?と思う。


 その時刻にはこの駐車場には20台以上が駐車していて、車外で夕食中の人達も多かった。


 私は到着すると、まずベッドメーキングをし、その後に長者原内を少し散策した。


 左写真のような駐車場は他に2か所あるが、その駐車場にも今晩泊まるような車が合計で30台位?あった。



 左写真が当夜の宴会料理である。


 ウイスキー以外は途中のスーパーで買った物である。


 『握りずし』 の上の缶詰は 『鯖の味噌煮』 と 『やきとり』 であるが、それらはお湯で温めた。


 車内に明かりを点け、私の宴会は19時頃から20時半頃まで続いた。


 宴会後にほろ酔い機嫌で音楽を少し楽しみ、寝袋に潜り込んだのは21時頃だった?と思う。





2009年(平成21年)4月12日   晴れ時々曇り  弱風


コース概念図
(緑色の点線が歩いたコースで、黄色の矢印が順路)

          三俣山
            ↓
 今朝は6時15分頃に目覚めた。 すでに周りは明るかった。


 長者原の標高は1050m位だが、昨夜は寝袋だけで十分暖かく、


 夜中に寒さを感じて目覚めるような事は1度も無く、グッスリ!と良く寝た。


 昨夜、私が寝る前にも車が来ていたが、その後の夜中にも何台も来たようで、


 起きてから駐車場を見渡すと、左写真のように昨夕よりかなり車が増えていた。



 左写真が当日の食料(朝食と昼食と行動食)である。

 ゆで卵は私が前日に自宅で作って持って来たが、他の食料は全て昨日、途中のスーパーで買った物である。

 尚、写真以外の食料として、非常食は別に持って来ていた。

 ところで私は今日、くじゅうの何処を歩くか?まだ決めていなかった。

 それでコーヒーで朝食を食べながら地図を見ていたが、色んなプランが出て来て、歩くコースが決まらなかった。

 それで、まだ十分に明るい17時までには下山する事を前提条件にして、

 『あとは行き当たりばったりで、時間を計算しながら気の向くままに歩いてみよう!』 と決めた。



  三俣山          硫黄山の噴煙
   ↓                ↓



 車から歩き始めた時刻は、7時15分だった。


 まず 『タデ原』 の木道を歩く事にした。


 左写真が 『タデ原』 であるが、写真でも分かるようについ最近、野焼きが行われたようで周りは真っ黒だった。










 左写真が木道の終点部分だが、そこで周りを見ると 『自然研究路』 の標識が目に付いた。


 私は今迄にその 『自然研究路』 を歩いた事が無かったので、『今日はそこを歩いてみよう!』 と思った。












 左写真はその自然研究路の或る1場所だが、自然研究路脇には色々な樹木等の説明書きがあった。


 自然研究路には、ブナ科の樹木(クヌギ・コナラ・ミズナラ・カシワ等)が多いように思った。












 『この自然研究路は何処に出るのだろう?』 と思っていたが、約10分歩いたら左写真のような道路に出た。


 そこは長者原から 『指山』 や 『すがもり小屋』 に向う時に歩く、硫黄山道路だった。








 上掲写真のような硫黄山道路を20分ほど歩くと、左写真のような道標があり、そこから左折して山道に入る。。


 尚、ここまで歩いて来ただけで私は少し汗を掻き始めていたので、ここでブラウスを脱いでTシャツだけになった。


 まだ朝の8時前だと云うのに、陽が射すと少し暑く感じた。


 その時、突然私は 『アッ!、日焼け止めクリームを塗るのを忘れたー!』 と思った。


 そして、『日焼けして肌が荒れたら、再婚する時に不利になるかも知れないなー?』 と思ったりもした。(笑)









 上掲写真からは左写真のように、開花したアセビの中を歩く所や、虎ロープに沿って歩く所が多かった。









上掲写真のような登山道を20分ほど歩いたら、また下写真のような硫黄山道路に出た。

  硫黄山道路に出た時の景色
     三俣山
     ↓
左写真と同場所から、長者原方面を写す
             長者原
             ↓





 上掲のような硫黄山道路を10分弱歩くと左写真の場所に着き、矢印に従い左の砂防ダム側に下りる。


 尚、正面の煙は硫黄山の噴煙である。












 砂防ダムを横切ると前方には大小の岩ばかりの所になり、左写真のように黄色のペンキに沿って登って行く。


 前方に2人の登山者が見えていたが、その方達は途中で追い抜いた。








上掲写真のような大小の岩場を15分ほど登ると、下写真のような 『すがもり小屋』 に着いた。

尚、すがもり小屋にある 『愛の鐘』 や 『歌碑』 に付いては、『2006年3月5日の星生山〜中岳』 で説明していますので、ここでは省略します。

私はここのベンチに腰掛けて初めて15分近く休憩し、テルモス(魔法瓶)のお湯で作ったコーヒーを飲みながら行動食を食べた。

休憩中に先ほど追い抜いた御年輩の御夫婦が到着されたが、 『三俣山』 は初めての事で、色々と尋ねられたので知る限りを教えた。

尚 『三俣山』 に登る場合は、この小屋の正面からまず 『三俣山の西峰』 に登って行くが、私は去年の11月に登っていたので、今日は 『三俣山』 はパスする事にした。

すがもり小屋
歌碑のUP
愛の鐘と歌碑

             久住山 久住分れ
               ↓   ↓



 左写真は 『すがもり小屋』 から、登路とは反対側に5分ほど下りた所にある分岐標識である。


 ここで左に折れると 『法華院温泉』 や 『坊がつる』 方面に行ける。


 私はここで右に見える 『 久住山』 に登ってみようと思い、『北千里浜』 を縦断して 『久住分れ』 を目指す事にした。






 星生山          硫黄山の噴煙
  ↓                ↓






 左写真は 『北千里浜』 を縦断中に写したものである。









       久住分れにある標識
             ↓




 左写真は 『北千里浜』 を歩き始めて20位した所で、前方の景色を写したものである。


 写真では小さくて見えないが、肉眼では 『久住分れ』 にある標識が見えていた。








硫黄山の噴煙           三俣山
  ↓                  ↓


 左写真が 『久住分れ』 にある標識である。


 写真のように 『危険です・下山禁止』 とあった。


 『北千里浜』 の反対側の入口になる、先ほどの分岐地点にはそのような標識は無かったので、

 『こちら側からだけ、なぜ北千里浜には下りれないのかなー?』 と、私は不思議に思った。





                       久住山
                         ↓





 『久住分れ』 から久住山頂までは左写真のようなガレ場で、

 下の分岐標識地点までは写真のようなピンクのリボンを結んだ虎ロープが張ってあった。








  久住山
   ↓




 上掲写真のようなガレ場を10分ほど登ると、左写真のような 『久住山・中岳』 の分岐標識が現れた。


 この分岐を左に折れると 『中岳』 で、右に曲がると 『久住山』 である。








   硫黄山の噴煙       三俣山
      ↓             ↓
 左写真が 『久住山=くじゅうさん=1787m』 の山頂標識である。


 昨年位まで?この山頂標識には温度計が取り付けてあったが、今日は無かった。


 上掲写真の 『久住山・中岳』 の分岐標識から10分ほどで到着した。


 時刻は10時10分だったが、山頂部には10人位の登山者が景色等を眺めながら休憩していた。


 私も風景写真を撮りながら10分ほど休憩した。



大船山             稲星山
  ↓                ↓




 左写真は久住山の山頂から東方向に見えていた景色である。


 私はこの景色を見て、『ヨシ!、今度は 稲星山に行こう!』 と決めた。








 早速私は、稲星山に向かってなだらかな草地を歩き始めたが、左写真はその時右手に見えていた、

 久住高原等の景色である。

 生憎、春がすみ?が掛かって遠望は利かなかったが、私はこの付近を歩いている時に

 自分でも知らない内に山の歌を口ずさんでいた。

 私は気分が良い時等に、自然に歌を口ずさむ時がある。

 前後を見ると一人の登山者の姿も見えない。

 私はそれを確認すると少し大きな声で唄い始めた。(皆さんに美声をお聞かせ出来なくて残念です!・・・笑)



        稲星山.
          ↓.






 私のリサイタルはザレ場に掛かったので残念ながら終了したが、左写真はその時前方に見えていた景色である。









下・左写真は上掲写真の鞍部に設置してある分岐標識である。

標識はバラバラに壊れているが、そこから右に折れると 『南登山口』 に下り、左に曲がると 『東千里浜』 を通って 『中岳』 等に行ける。

右写真はその鞍部から稲星山方面を写したものだが、その鞍部からは稲星山の山頂は見えない。

山頂のように見える岩は上掲写真で中腹に見える岩である。

鞍部にある分岐標識
鞍部から稲星山方向の眺め

下・左写真は、上掲右写真の岩部まで登ってから、鞍部(上掲左写真の分岐標識がある所)を写したものである。

その岩部まで登ると、下・右写真のように稲星山の山頂が少し見えてくる。

岩上から鞍部を写す

             稲星山山頂
               ↓

下・左写真が 『稲星山=いなぼしやま=1774m』 の山頂標識である。

久住山の山頂から25分ほど要していた。

下・中写真は北西方向の景色で、下方には先ほど縦断した 『北千里浜』 も写っている。

下・右写真は山頂の岩陰に居られるお地蔵様である。 私は以前にこの山頂で濃い霧に巻かれた時、この岩陰で霧が晴れるのをじっと待った事があり、

このお地蔵様とは1時間以上も一緒に過ごした仲である。 私はこのお地蔵様に、『その節はお世話になりました!』 とお礼を言った。

三俣山                平治岳
↓                   ↓
 硫黄山の噴煙        三俣山
    ↓             ↓
稲星山の山頂に居られるお地蔵様


       平治岳  白口岳       大船山
         ↓     ↓          ↓


 左写真は同じ稲星山の山頂から、北東方向に見える 『白口岳』 を写したものである。


 私はこの稲星山の山頂でも風景写真を撮りながら10分近く?休憩した。


 ところで私はこの稲星山からどう歩こうか?迷っていたが、

 この景色を見て、取り敢えず 『白口岳』 方面に進もうと思った。





大船山                   鳴子山
 ↓                       ↓.


 左写真は稲星山から白口岳方面に歩いている時に、前方に見えていた景色である。


 この付近もなだらかな草地で、私はここを歩いている時も自分で知らないうちに

 先程とはまた別の山の歌を口ずさんでいた。


 この付近も景色が良くて、身体を吹き抜ける涼風が心地良く、私はルンルン気分!で歩いていた。





     硫黄山の噴煙  天狗ヶ城  中岳
            ↓    ↓     ↓
 左写真は 『稲星山』 と 『白口岳』 との鞍部で、『稲星越』 と呼ばれる場所にある分岐標識である。


 ここの標識も写真のようにバラバラに壊れていた。 管理者は何とかして欲しい!と思う。


 稲星山の山頂からこの 『稲星越』 までは10分強だった。


 この分岐を右に折れると 『鳴子山』 方面で、左に曲がると 『中岳』 方面で、真っ直ぐ進むと 『白口岳』 である。


 私はこの分岐で少し迷ったが、結局真っ直ぐ進んで 『白口岳』 に登る事にした。



白口岳           平治岳
  ↓              ↓




 左写真は上掲の 『稲星越』 から少し直進した所で、前方の景色を写したものである。


 写真の右側には 『大船山』 も見えていた。








下・左写真が 『白口岳=しらくちだけ=1720m』 の山頂で、稲星山の山頂から25分弱で着いた。

下・中写真は、白口岳山頂から稲星山の山頂と、 『稲星越』 の場所を写したものである。

私はこの山頂でコーヒーを飲み、行動食を食べながら20分程?休憩した。

そして下・右写真のように白口岳山頂から眼前に見える 『中岳』 を見ながら私は、『ヨシ!、次はあの山に登ろう!』 と思った。

 大船山
 ↓
稲星越                稲星山山頂
↓                      ↓   .
  東千里浜 久住山            中岳
     ↓     ↓              ↓

       天狗ヶ城   中岳
          ↓     ↓


 白口岳山頂で20分程の休憩後は、先程の 『稲星越』 まで戻った。


 そして 『稲星越』 からは右折して中岳方面に向かった。


 左写真は、右折した登山道を5分程進んだ所で写したものだが、

 前方に中岳を見ながら写真のような灌木帯の中を歩いて行った。





           中岳
            ↓

 『稲星越』 から上掲写真のような灌木の中を15分ほど歩くと、左写真のような分岐標識のある場所に出た。


 ここは 『中岳』 と 『稲星山』 と 『白口岳』 の鞍部に当たる場所で、また 『東千里浜』 の東端にも当たる場所である。


 尚、この場所は2つ前の白口岳山頂からの風景写真中、右写真では 『中岳』 の麓部分に当たる。


 左折すると 『東千里浜』 の中を通って、『久住山』 と 『稲星山』 との鞍部にある分岐標識(既に写真紹介済み)に出る。


 右折すると 『白口谷』 を下って 『坊がつる』 に出る。


 そして直進すると 『中岳』 なので、私はこの道に進んだ。










 左写真は上掲写真から10分ほど登った所で写したものだが、写真のように岩部が多く幾つかの鎖場があった。









                   平治岳
                     ↓

 左写真が九州本土で1番高い場所になる 『中岳=なかだけ=1791m』 の山頂である。


 ここに到着した時刻は12時20分で、『白口岳』 の山頂から40分ほど掛かっていた。


 私がこの山頂に着いた時は20人位の登山者がいて、10人位のグループが記念撮影をしていた。


 他の小グループの登山者は各々山頂部の岩に腰掛けて昼食を食べたり、風景写真を撮ったりしていた。





                  平治岳
                    ↓
 私は山頂標識の直ぐ下の岩に腰掛け、左写真のような景色を眺めながら昼食を食べた。

 景色を少し説明すると 『平治岳』 の下の黒い部分が 『坊がつる』 で、右下に見える谷が 『白口谷』 である。

 ところで私は、『中岳』 からどのルートで 『長者原』 に帰るか?、まだ決めていなかった。

 考えられる下山ルートは2つあった。

 1つは 『中岳』 から 『天狗ヶ城』 を通って 『久住別れ』 まで行き、そこからは往路と同じ道を辿るルートである。

 時間的にはそのルートが1番短時間のようである。

 しかし私は、左写真の 『白口谷』 を見て、久し振りにそこを歩いてみようと思った。



その 『白口谷』 は随分前に子供と一緒に 『坊がつる』 から 『中岳』 に登った時に通った事があったが、それ以来歩いた事が無かったので今日は久し振りにそこを下り、

その後は 『坊がつる〜雨ヶ池』 経由で 『長者原』 に戻ろう!と思ったのである。

所要時間を概算してみると、17時までには十分余裕をもって 『長者原』 に戻れるようだった。



私が昼食を食べていると、大きなザックを担いだ30代位?の単独男性が登って来て、私の近くで昼食を始めた。

彼と話してみると、九州の山を登りに1週間の休暇を取って、大阪から来たとの事だった。

ザックの中にはテントが入っていて、今晩は 『坊がつる』 でキャンプし、明日 『大船山』 等に登る予定との事だった。

関西の山の話をしていたら、『六甲山・全山(55km)1日縦走』 にも参加するとの事で驚いた。

それから彼は(ETC・高速道路=千円)を利用して九州に来たと言っていた。



私は昼食後に周りの景色を撮ったので、下にその中の幾つかを紹介する。

北西方向の景色で、硫黄山噴煙の後方に
     涌蓋山
      ↓
北方向の景色で
    三俣山               坊がつる
    ↓                   ↓
北東方向の景色で
平治岳               大船山     .
↓                    ↓      .

池の小屋   久住山      星生山
 ↓        ↓         ↓

 中岳山頂で暫く昼食休憩して、時計を見ると13時を少し過ぎていたので、下山する事にした。


 左写真は下山し始めた直後に、天狗ヶ城の下に見える 『御池=みいけ』 を写したものである。


 この池は冬場はガチガチに凍り付き、『御神(おみ)渡り現象』 を見る事が出来る。


 又この氷上でアイススケートを楽しむ人もいる。(2006年3月5日の星生山〜中岳で紹介済み





        平治岳
          ↓




 中岳山頂からは登って来た同じ道を辿って、前掲の分岐標識(岩に、坊がつる・久住山と書いてある所)まで下り、


 そこから左折して 『白口谷』 に下りた。


 左写真は分岐標識から15分ほど下りた所で前方の景色を写したものである。


 写真のような灌木の中を下って行くが、正面には暫く 『平治岳』 の山頂部が見えていた。







下写真は上掲写真より更に20分ほど下りた所で、崩壊場所の迂回ルートを下りている時に写したものである。

前方の景色で
平治岳       .
↓       .

左写真と同場所から、後方を写す


法華院温泉         坊がつる   平治岳
↓                 ↓       ↓





 左写真は上掲写真から更に15分ほど下りた所で、

 眼下に 『法華院温泉』 と 『坊がつる』 が綺麗に見える、開けた場所があったので写したものである












 上掲写真から更に10分ほど下りると、左写真のような標識のある登山口に下りた。


 ここが 『坊がつる』 側から 『中岳』 に登る場合の入口となる 『白口谷登山口』 である。












 上の 『白口谷登山口』 から左に5分ほど下りると、左写真のような 『法華院温泉』 の入口に出る。


 尚、上の 『白口谷登山口』 から右に登って行くと 『鉾立峠=ほこたてとうげ』 に着く。












 左写真は上掲写真にも写っているが、法華院温泉の入口に設置してある説明板である。


 ところで今日、私は飲料水を合計で1500ml (お湯、スポーツ飲料、真水を各500mlずつ)

 持って来ていたが、ここでその全部がちょうど無くなってしまった。


 それで法華院温泉に出ている飲料水を500ml だけ補充させて貰う事にし、

 そのついでにベンチに腰掛けて10分ほど休憩した。









平治岳
 ↓




 左写真は野焼きをした跡の 『坊がつる』 の景色であるが、野焼きは4日前の4月8日に行われたとの事だった。


 写真では良く見えないが、『坊がつるキャンプ場』 には黄色のテントが1張りだけあった。








          白口岳           中岳
            ↓              ↓






 左写真は 『大船林道』 と 『雨ヶ池』 との分岐地点で、『坊がつる』 方面を写したものである。















 上の分岐から 『雨ヶ池峠』 までは急坂部分は少なく、当日は写真のように芽吹き直前の林の中を登って行った。



















 この写真は、登山道脇にあった説明板である。













   平治岳                 大船山
     ↓                    ↓






 その後の登山道脇では左写真のように、アセビの花が満開の所もあった。















 また 『雨ヶ池』 の少し手前では、左写真のような 『フキノトウ』 も見掛けた。















 左写真が 『雨ヶ池』 と呼ばれる湿原で、貴重な植物や昆虫等の宝庫である。









 『雨ヶ池』 で写真を撮っている時に、 『法華院温泉』 で挨拶を交わしていた同年代の御夫婦が歩いてみえた。

 そこから一緒に歩きながら話してみると、この御夫婦は名古屋在住で 『ETC・高速道路=千円』 を利用して

 九州の山を登りに来たとの事だった。 この御夫婦も山歩きが大好きなようで 『近くの日本アルプスにも良く登る!』

 との事だったので、私は歩きながら日本アルプスの事を色々と教えて貰った。

 その御夫婦は今回は 『阿蘇山・祖母山・霧島山・開聞岳』 を登る予定との事で、それらの山に付いて

 色々なアドバイスを求められたので、私は持って来ていた地図を開いたりして、知る限りの事を詳しく教えた。

 長者原に着くまで、その御夫婦とずっと山の話をしながら下りたので、その途中では写真を撮る暇が無かった。







 左写真は今朝の出発時にも歩いた、長者原にある 『タデ原』 の木道である。


 名古屋の御夫婦とはこの木道の終点で、お互いの山での健闘と再会を願いながら別れた。








              三俣山
                ↓

 左写真は長者原のヘルスセンター横にある、山のガイド犬 『平治号』 の銅像である。

  『平治号』 は、くじゅうの名ガイド犬として大活躍し、1988年8月3日に息を引き取った。

 『平治岳』 は 『ひいじだけ』 と読むが、このガイド犬は同じ漢字を書いて 『へいじ』 と呼ばれていたようである。

 尚、『へいじ』 の仔犬時代から、ガイド犬として活躍した時代、そして死去する迄の様子は、角川文庫・坂井ひろ子著

 『ありがとう!山のガイド犬・平治』 に詳しく書いてありますので、興味ある方は読まれてみて下さい。

 それから私は見た事は無いが、その本を元にして 『奇跡の山』 のタイトルで映画化されたとの事である。





長者原の駐車場に帰り着いた時刻は16時45分で、自分に課した前提条件(17時までの下山)は、見事にクリアしていた。



今日の山歩きをまとめると、

      長者原(7:15)〜1時間35分〜すがもり小屋(8:50/9:05)〜40分〜久住別れ(9:45)〜25分〜久住山(10:10/10:20)〜

                     25分〜稲星山(10:45/10:55)〜25分〜白口岳(11:20/11:40)〜40分〜中岳(12:20/13:05)〜

                 1時間20分〜法華院温泉(14:25/14:40)〜55分〜雨ヶ池(15:35)〜1時間10分〜長者原(16:45)で、万歩計は35412だった。



今日は予定を立てずに、足の向くまま・気の向くまま、勝手気ままにくじゅうの山々を歩き回った。

今日はお天気も爽やかだったので、適当に汗を掻いた。

そして各山頂からの眺望や、尾根歩きしながらの景色も大変良く、特に尾根歩き中の私は山の歌を口ずさむほど気分が良かった。

長者原に予定時間内に帰り着いた時は、心地良い疲労感と満足感があった。

このようにくじゅうの山々は、私を1日中楽しく遊ばせて呉れた上に、心身ともにリフレッシュ!させて呉れた。

私はくじゅうの山々を眺めながら、心の中で 『ありがとう!』 とお礼を言った。

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