2009年(平成21年)3月17日 快晴 弱風
今回は私達はまだ見た事の無い花を見に行く事にした。
その花の咲く時期は、例年だとまだ少し先である。
しかし今年は暖冬なので 『もしかしたら咲いているかも?』 と思い、数日前からネット情報に注意していたのだが、その情報は一向に無かった。
そうしている内に数日後から天気が崩れるとの予報を見て、ダメ元覚悟で行ってみる事にした。
その花の咲く山は 『くじゅう連山』 の中にあるので、ついでに 『今までに歩いた事の無いルートで登ってみよう!』 との事になった。
しかしそのルートはかなり時間が掛かりそうなので、『前日(17日)から出掛けて登山口で車中泊し、早朝から登ろう!』 に相談がまとまった。
そして 『前日から行くのなら、前日はその近くの山でまだ登った事の無い山にも登ってみよう!』 と両巨頭の意見が一致した。
そう言う事で、前日はくじゅう近くにあって以前からその山名が気になっていた 『熊群山=くまむれやま』 に登る事に決定した。
自宅を8時ちょうどに出発し、駐車場までの走行距離122kmに、2時間40分要していた。
コース概念図
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この写真が登山口で、右に見える舗装された熊群神社への参道を登って行く。
この場所は 『渓仙峡バス停』 になっていて、写真の道路は県道621号線である。
尚、この県道621号線を200m位?先に進むと、道が右に大きくカーブして広くなっている。
そのカーブ部分の路肩に10台近くの車が駐車可能である。
車から歩き始めた時刻は10時50分だった。
上掲写真からコンクリ道路を10分ほど登ると、左写真のような 『神楽殿』 があった。
この建物の前にも10台前後の車が駐車出来る広場があったが、
この広場を登山者が利用して良いか?は分からない。
『神楽殿』 の先にもコンクリ道路は続いていたが、途中からは未舗装になった。
それらの参道は、アキレス腱やふくらはぎが伸びるように感じる程の急坂だった。
そのような急坂で、そしてヘアピンカーブの連続した参道にもわだち跡があった。
私達はそのわだち跡を見ながら 『4WD車だったらこんな凄い坂も登れるのかなー?』 とか、
『ジープのような車でないと登れないのでは?』 等と話しながら登っていた。
そんな急坂には 『おにくずし』 とか 『見返坂 』 とか 『アクタ神』 等の標識があった。
20分程そのような急坂を登ると、左写真のように左側に登る道と、右側に下る道に分かれていた。
上掲写真で、参道は鳥居のある左側の登る道だろう?と思い、その道を進んだら行き止まりで
上掲写真の地点まで引き返した。(クソー!、5分ほど時間を損した)
再び上掲写真の地点に戻ってから周囲を良く見ると、右側の道の少し前方に
小さな標識に消え掛かった文字で 『参道』 とあった。
その右側の道を少し進むと、役行者等が祀られていると云う 『北宮』 の岩屋があり、
更に100m程?進むと、左写真のような水場があった。
上の水場から更に100mほど?進むと、左写真のような社務所があり、屋根にテレビの受信アンテナが立っていた。
今日は社務所に人が居るような気配が無かったので、私達はそこには行かなかった。
上掲写真の直ぐ手前に左に登る短い石段があるが、それが 『熊群神社上宮』 への参道である。
短い石段を登ると踊り場があった。
その踊り場を右に折れると、左側に下写真のような凄い石段が現れ 『鬼が一夜にして造った伝説がある石段』 との説明板があった。
写真ではその角度が良く分からないと思うが、仰角は50度以上ありそうで?、急斜面に大小の石を無造作に埋め込んだような感じの石段である。
あまりの急角度なので危険防止の為か?、写真のように石段全体に渡って大きなロープが張られていた。
登る時は私達はそのロープは握らなかったが、下りる時はやはり怖くなり、二人ともロープをしっかり掴んで下りた。
石段を下から見た様子
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石段を上から見た様子
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上掲の石段を登り、少しホッ!として踊り場を進むと、今度は今登ったばかりの石段よりももっと凄い石段が左側に現れた。
その石段の面も平らな物は少なく、また長い年月で少し石がズレた為か?、石面が下向きになっている所もあった。
とに角この石段を下りる時は、ロープをしっかり握らないと危険だと思った。
2番目の石段を下から見た様子
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2番目の石段を上から見た様子
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2番目の石段を登り切ると、そこには左写真のような 『熊群神社上宮』 があった。
この 『熊群神社上宮』 は、どんな御利益のある神社か?知らないが、私達は鈴を鳴らし 『安全登山』 と
『今日はこの山に熊が群れていませんように!』 と祈った。(笑)
上宮の少し上には、左写真のように 『恐竜の顔?』 にも見えるコブを持った樹があった。
上宮から数百m登ると、今度は下写真のように20m位?の高さで垂直に近い岩壁が現われ、そこには大きな鎖とロープが設置されていた。
岩壁には幾つもステップが切ってあるが、そのステップが浅いので滑りそうで怖く、またステップの間隔が広い所もあり、この岩壁を登るには少し腕力が必要だった。
岩壁を下から見た様子
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左の岩壁を登って来るオバさん
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その後は上掲写真のような大きな岩壁は無かったが、ロープが設置してある岩場は何ヶ所も現れた。
そのような登山道を15分ほど登ると、左写真のような石祠のある場所に出た。
この石祠にも 『熊達は、今日は他の山で群れていますように!』 と祈った。(笑)
その後は急激なアップダウンは無く、写真のような木立の中をテープ等探しながら進んで行った。
上掲写真のような平坦な場所が続くので、私は今度登る場所が現れたら、その上が山頂だろう?と思っていた。
しかし、上掲写真のように割と平坦な所を10分強進んだら、下・左写真のような山頂標識が突然目の前に現れたので、いささか拍子抜けの感じだった。
その時刻は12時20分で、登り始めてちょうど1時間30分だった。
この山頂部は下写真のように樹木に覆われているので、普段は展望は全く無いのでは?と思うが、今の時期は落葉樹の隙間から一部方向の山影が見えていた。
この山頂は見晴らしが良くないので、この山頂では下写真を3枚撮ると、10分ほど戻った場所にある石祠まで引き返して昼食を食べる事にした。
山頂標識
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西南西方向に見えていた 『花牟礼山?』
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北西方向に見えていた 『時山?』
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石祠に戻る時に、左写真のような 『雉の羽根?』 が落ちているのを見掛けた。
倉木山? 由布岳 雨乞岳?
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山頂から10分ほど戻ると石祠の場所に着き、そこは片面が開けていて北方向の景色が良かった。
私達はそこの岩に腰掛けて、左写真のような景色を見ながら昼食とデザートを食べ、食後のコーヒーを飲んだ。
左写真は復路に、大きな鎖を握りながら垂直に近い岩壁を下りて来るオバさんである。
その後の鬼が一夜で造った石段は、私達は両方ともロープを掴みながら慎重に下りたが、
やはりこの石段はロープを握らないと危険だと思った。
その後、コンクリートで舗装した急坂部分では普通に歩くと駆け出してしまうので、私達は身体を後方に倒して
後ろに体重を掛けながら歩いていた。
それでも何かの拍子に体重が前に掛かると、自然にかなりのスピードで駆け出してしまい、
二人とも笑いながらストックでブレーキを掛けながら止まっていた。
車に帰り着いた時刻は14時25分で、今日はとうとう誰にも会わなかった。
今日の山歩きをまとめると
車(10:50)〜15分〜神楽殿(11:05)〜25分〜社務所(11:30)〜15分〜上宮(11:45)〜25分〜石祠(12:10)〜10分〜山頂(12:20/12:25)〜
10分〜石祠で昼食休憩(12:35/13:25)〜1時間〜車(14:25)で、万歩計は11276だった。
今日の山歩き中に見掛けた花は少なく、左写真は或る場所だけに小群落があった花である。
帰宅して 『九州の野の花(春)』 で調べてみると、花名は 『サバノオ』 で、
『山地の谷間の落葉樹林の中に稀』 との説明があったので、私はそれを読んで何だか?少し嬉しくなった。
黒岳 大船山 平治岳
↓ ↓ ↓
今日の山歩きは思っていたよりも短時間で済んだので、時間が余った。
それで県道621号線をそのまま進んで、長者原まで行った。
長者原には観光バスも来ていて、やはりかなりの人達が居た。
そして幾つかある駐車場には、今晩そこに泊まるような車が?合計で二十台近くあった。
私達は長者原を散策したり、ビジターセンターに寄ったりして時間を潰した。
そのようにして1時間以上は長者原に居たと思うが、5時半近くになったので今晩泊まる予定の 『男池』 に向かった。
左写真はその途中で、前方に明日登る予定の 『大船山』 等が綺麗に見えていたので写したものである。
『男池駐車場』 に着くと、驚いた事に数十台が駐車可能な広い駐車場には1台の車も無かった。
私達は早速ベッドメーキングして夕食の準備に取り掛かった。
ベッドメーキングが終わると、もう後はする事が無いので、普段より1時間近く早い18時20分頃から宴会に入った。
左写真が当夜の宴会料理で、すべてオバさんが自宅から持って来た物である。
宴会料理を時計回りに説明すると、上はカワハギ・小魚の干物・ピスタチオ、右は私が掘り出した筍と豚肉の煮物、
下はソーセージ・ほうれん草・トマト・ブロッコリー・セロリ、左はニンジン・里芋・鶏肉の煮物である。
当夜は写真の全ての料理やウイスキーが無くなるのに、1時間半近くを要した。
寝る前に歯磨きしながら上を見たら、そこには満天の星空が広がっていて、明日の晴天を約束していた。
『今晩中にはこの駐車場にも1台位は来るだろうなー?』 等と話しながら、二人とも少し酔っ払った状態でシュラフに潜り込んだのは8時少し前だったと思う。
このようにして今回の山行1日目は過ぎて行った。
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