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2008年9月22日(月曜) 晴れ 微風
今回は久し振りに阿蘇外輪山にある、『俵山=たわらやま』 へ行く事にした。
過去の記録を調べてみると、この山を歩くのは実に11年振りで、前回は子供と一緒に
『俵山峠登山口』 から登っていた。
その時の印象としては、登り始めると俵山が凄く遠くに見えるので、『ワー!あんなに遠くまで歩くのー!?』 と皆で驚いて話していたが、
実際には短時間で山頂に着いた事と、登山道にヤマボウシとムカゴが多かった事位である。
或る山の本を読んでいると、俵山峠から登り始めた人の印象に 『俵山が凄く遠くに見える!』 との記述があったので、
俵山峠から見える景色には遠近法のような作用が自然に働いていて、俵山が凄く遠くに見えるのかも知れないなー?と思った事があった。
21日・夜の天気予報では23日は晴れとの予想だったので、22日から泊り掛けでの山歩きを計画した。
それでオバさんは22日の午前中に山歩き用の買い物を済ませ、当日の夕食や翌日の朝食・昼食等の準備をしていた。
それが22日・昼の天気予報を見ると、23日の九州北部の天気は午前中が30%、午後からは60%の降水確率に変わっていたのである。(怒!)
しかし、その時にはオバさんは既に食事の準備は殆んど終えていた。
当日の天気は下写真のように凄く晴れていたので、『もしかしたら明日の天気予報はまた変わるかも知れないなー?』 、
『もし明日が朝からドシャ降りの雨だったら山歩きは中止して温泉センターにでも行こう!』
等と話していた。
そう言う事で、昼食を済ませて自宅を出発したのは14時少し過ぎだった。
目的地の、『揺ヶ池登山口=ゆるぎがいけ』 までの所要時間は2時間強の予想だったので、そこに早く着いても仕方がないと思い、
途中では下写真のような道の駅に立ち寄り、店内を物色しながら休憩した。
買い物は明日の帰宅時にしよう!との事になり、当日は明日の為の下見と云う事になった。
それでそのように思って見比べてみると、同じ農産物でも道の駅により価格にかなりの違いが有る事が分かった。
最後に寄った 『道の駅・大津』 で、店の人に 『揺ヶ池』 までの道を尋ねたが、最初は 『揺ヶ池』 の名称が通じなかった。
『揺ヶ池』 の事は、地元では昔から皆が 『お池さん』 の名称で呼んでいるとの事で、『お池さんには揺ヶ池と言う立派な名前が有ったんですねー!』
と店の方達も笑っていた。
道の駅・鹿北
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道の駅・七城メロンドーム
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道の駅・大津
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『揺ヶ池』 の駐車場には17時半頃に着いた。
そこには 『俵山交流館・萌の里』 があったので、店内を物色しながら店の方から俵山の情報を仕入れた。
『俵山交流館・萌の里』 の直ぐ前に第一駐車場があったが、そこは18時で施錠するとの事だったので、道路の向う側にある第二駐車場に駐車する事にした。
第二駐車場もかなり広く、数十台分の駐車スペースと綺麗なトイレや東屋が完備していた。
私達はその駐車場で、道路から1番遠い列の中央部に駐車した。
ベッドメーキングや夕食の準備が済んでから東屋を見ると、何時の間にか?そこでは二人の中年男性の方達が食事をしていた。
トイレに行った帰りに話してみると、その方達は熊本市からサイクリングに来たそうで、今夜はその東屋に泊まるとの事だった。
これが当夜の宴会料理だが、何時ものように当日の午前中にオバさんが準備した物ばかりである。
宴会料理を手前の一人分で説明すると、
上段の左の容器にはオクラ・鰹節・煮卵・カボチャ、その右の容器は冷奴で、
下段の左の容器には筑前煮、その右の容器はナスの塩揉みである。
飲み物はキンキン!に冷えた缶ビールとスキットルに入れて持って来たウイスキーである。
前回の、『障子岳〜古祖母山』 の時は飲み過ぎて?翌日足がつったので、今回は絶対に飲み過ぎないように、
ビールは1本ずつ、ウイスキーは6オンス(約180ml)入りのスキットル分しか持って来なかった。
宴会は19時頃から始めて20時半位に終わったように?思う。
オバさんは前夜はあまり眠れなかったそうで、翌朝が早い事もあり、当夜は早く寝る事にした。
宴会の後片付け後に歯磨き等をして21時前には寝たように?思う。
寝てから暫らく経ったところで、凄いオートバイの爆音で目が覚めた。
東屋の入り口に自販機が数台設置してあるが、その前に白い乗用車とオートバイが停まっていて、4〜5人の若い男女の影と話声が聞こえていた。
そしてそのオートバイが時折、凄い低音の爆音を響かせて空ぶかしをするのである。
その音は気持ちの悪い様な低音で、何だか空ぶかし音の実験をしている感じで?、空ぶかしをした後に男女の笑い声等が聞こえていた。
そんな空ぶかしを何度も何度も繰り返すのである。
東屋の軒下で、テント無しで寝袋に入っているサイクリストの人達は、やかましくてとても寝れないようで時々ヘッドランプが点灯していた。
バカ者は暫らく空ぶかしを続けていたが、その内に今度は駐車場内を走り始めた。
私達が駐車している第二駐車場は横幅が100m近く有り?、他に車が駐車していない事もあって走り易いようで、その駐車場内を爆音を響かせて走り回るのである。
バカ者どもはそんな事を30分位?続けていたが、その内に爆音を響かせて何処かに行ってしまった。
しかし又来るといけないので何処かに移動しようかな?と思ったが、私は近くの何処に駐車場があるか知らないし、それに飲酒運転になるので移動できなかった。
連中が居なくなったのでホッ!として眠り始めたが、その眠りはそう永い事は続かずに、短時間後?にはまた爆音によって目覚めさせられた。
窓から見ると、先程と同じ連中がまた東屋の前に停まっていて、オートバイで駐車場の中や前の道路を傍若無人に走り回るのである。
警察に連絡しようかな?と思ったが、仕返しが怖いのでじっと我慢していた。
その時も30分位?爆音を響かせていたが、何時の間にか居なくなっていた。
車内で仰向けになって寝ると、窓越しの夜空には満天の星が輝いていたので、翌日の天気予報は外れたのでは?等とオバさんと話していたが、
私はアルコールの勢もあってまた直ぐ寝入ったようだった。
しかしその眠りは、今度は今迄の数倍の爆音に因って強制的に中断させられた。
その大爆音が治まって暫らくすると、大勢の若い男女の話し声や笑い声が聞こえて来た。
その時になって始めて私は起き上がって窓の外を見たのだが、星明りに見える外の光景を見て私は驚いた。
私達は道路から一番離れた奥列の中央付近に駐車していたのだが、その私の車を中心にして半円を描く様な形で50人位?の暴走族がいたのである。
前や左右を見ても、周りは暴走族の大群に取り囲まれていた。
オートバイを半円型にズラリと並べて停め、その中で幾つもの大小グループに分かれて地面の上にあぐらを掻き、飲んだり食べたりしているのである。
1番近い奴は、車から3m位の所であぐらを掻いて座っていた。
窓から覗いているのが見付かって因縁でも付けられたら大変なので、私は時々ちょっとだけ覗いていた。
何しろ奴らには暴力団予備軍的な要素があって世間の常識は全く通用しないし、反社会的な行動を繰り返しながら刺激を求めて夜中をうろつき回っている 『烏合の衆』
である。
兎に角、奴らとは関わり合いを持たず、そして付け入る隙を見せない事である。
一度でも 『烏合の衆』 を刺激したり、付け入る隙を見せたら何をされるか分からず、軽くても車をデコボコにされるのは間違いない。
そのような事が分かっているので、私達は車の中で小さな声で話しながら静かにしていた。
しかし、こちらが何もしないのに私達に手を出すようであれば、私は直ぐに110番通報する積もりでいた。
奴らはそのようにして第二駐車場で休憩していたが、30分位?するとまた物凄い大爆音を響かせ 『烏合の衆』 である暴走族は何処かに走り去っていった。
その時間を翌日オバさんに聞くと、深夜の2時を過ぎていたとの事だった。
その後は幸いにも駐車場に暴走族が現れる事は無かった。
このように夏場?の 『揺ヶ池・第二駐車場』 は暴走族の溜まり場になっているようですので、皆さん方は夜中には絶対に近寄らない方が無難だと思います。
それにしても熊本県警は一体何をしているのだろうか?(怒!)
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2008年9月23日(火曜) 曇り一時雨 微風
コース概念図
赤色は今回私達が歩いた歩いたコース 緑色はガイド本に紹介してあるコース
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翌朝は6時少し前にオバさんから起こされた。
車外に出ると駐車場内は昨夜の暴走族が捨てていった、おびただしいゴミで溢れていた。
ペットボトル、食べ物のプラスチック容器、紙袋やその他色々なゴミが駐車場の一面に散乱していた。
中には農業用のビニールハウスに使う鉄パイプも数本捨ててあった。
その鉄パイプは恐らく何処かで盗んで来た物だろうが?、私はそれを見て 『昨夜、彼等を刺激する様な事をしなくて本当に良かったー』 と、改めてホッ!とした。
空を見ると昨夜はあんなに星が出ていたのに、数時間の内に上空は薄暗い曇り空に変わっていた。
身支度をし出発したのは6時15分だった。 昨夜は二人ともあまり寝ていないのだが、私は不思議に眠たく無かった。
オバさんも眠たく無い!と言っていたので、私達は昨夜の暴走族の事でまだ少し興奮していたか?、
或いは二人とも既に登山モードに切り替わり、気合いが入っていたのだろう?
左写真は駐車場前の道路を200m位?登った右側にある、俵山の案内版とコース図である。
この案内板の前にも数台が駐車可能なスペースがあった。
周りは写真のようにまだ薄暗かったが、昨日の天気予報では午後からの降水確率が高かったので、
私達は出来れば午前中に下山して来ようと思っていたのである。
この花は出発して直ぐに目に付いた 『オオマツヨイグサ』 の花である。
背の高さは2m位?あった。
この写真は案内板から10分ほど登った所で登山口方面を写したものである。
左側の建物が 『俵山交流館・萌の里』 で、私達が泊まった第二駐車場は道路の反対側に見えている。
俵山の案内板があるのは、幹線道路(県道28号線)から入り込む細い道路の入り口部分である。
この写真は登り始めて40分位した所で写した登山道の様子である。
この途中では送電線鉄塔の下を通ったりしたが、登山道は全体的に割りと緩やかだった。
大小の露岩が点在した所を、写真のように草で覆われた細い踏み付け道を登って行った。
そんな草むらの中では下写真のような花を見掛けた。 1、2番目に掲載している 『ハギ』 と 『ヒメノボタン』 の花は特に多く見掛けた。
登り始めて1時間ほど歩いた所にちょっとしたピークがあり、そこには腰掛けるにちょうど良い露岩があった。
私達はその露岩に腰掛けて朝食を食べる事にした。
左写真はそのピーク部から下方に見えていたゴルフ場である。
私達はこの場所で周りの景色等を眺めながら15分ほど朝食休憩をした。
左写真は朝食休憩後に歩き始めて、5分弱で現われたケルンと標識である。
この写真を撮っている時に急に雨が降って来たので、私達はあわてて雨具を着た。
写真の左側等に小さな白い点が幾つも見えるが、それはカメラのレンズに着いた雨粒である。
写真はその後、前方に見えていた景色だが、周りは写真のようにガスが掛かり始めていた。
その草原の途中では 『コの字形』 に曲がった、牛止めゲートを通った。
前掲のケルンから30分ほど歩くと舗装林道に出たが、写真のように舗装部分はちょうど終わっていた。
未舗装林道を歩き始めると写真のように私の好きな 『ムカゴ』 が沢山あったので、今晩のビールのツマミにしようと
私はそれを採りながら歩いていた。 そんな風にして林道を歩いている内に何時の間にか小雨になっていた。
私はムカゴが沢山採れた勢か?、その後はルンルン気分で歩いていたが、
その時に自然と口ずさんだ曲は何故か?、コンチネンタルタンゴの名曲 『小雨降る径』 だった。
タンゴ曲は歯切れが良いので私は大好きで、時々アルフレッド・ハウゼ楽団等が演奏するCDを聴いている。
『小雨降る径』 の日本語歌詞の出だしは 『静かな雨 並木の雨・・・』 で始まるが、私はその部分しか思い出せなかった。
しかしメロディは良く憶えているので、思い出せない部分はハミングしながら歌っていた。
左写真は未舗装林道を20分ほど歩いた所にあった 『標高735m』 の標識である。
この付近を歩いている時は既に雨は止んでいて、その後は下山するまで雨が降る事は無かった。
しかし私はこの付近でもまだしつこく 『小雨降る径』 を口ずさんでいた。(笑)
上掲写真から時間にして1分ほど歩くと写真のような道標があり、登山道は林道から分岐した。
写真の細長い白杭には 『一の坂、二の坂、楽しんで♪』 との記入があった。
上掲写真で分岐した登山道を10分ほど進むと、前方に写真の様な急坂が見えて来た。
あの坂がどうやら先程の白杭に記入があった 『一の坂』 のようである。
しかし、『一の坂』 の登りに掛かる前には、写真のようにススキが覆い被さる所が続いていた。
ススキは先程の雨でかなり濡れていたので、そこを掻き分けて歩く時にズボンがかなり濡れた。
『一の坂』 の土は粘土質の上に先程の雨で滑り易く、かなり歩き難かった。
しかしそんな急坂の途中にも、何種類もの花が咲いていた。
『一の坂』 を登り切った所には、写真のような 『標高・865m』 の標識があった。
その後の登山道では写真のように熟れた 『ヤマボウシの実』 を見掛けたので、
1つ採って食べたが、まだ完全には熟していなかったようで、私が思っていた程は甘く無かった。
又その付近にもムカゴがあり、私はそれらも採りながら歩いていた。
今までの登山道でも沢山あったのだが、登山道には写真の様なクモの巣が多かった。
今日は前を歩く登山者が誰もいないので、特に多かった。
クモの巣を見掛けると私はストックで払い落として進んでいたのだが、光線の具合で見えない時が多々あった。
そんな時はまともに顔に掛かり、ジュワー!と行った音と共にクモの巣が顔にくっ付く。
オバさんは私の後を歩くので、そんな私の苦労は殆んど知らない様なので、私は親切心から教えて上げようと思った。
それで私は或る曲がり角を曲がって直ぐの所にあったクモの巣を、わざと落とさずにヒョイ!と下をくぐった。
そうしたら案の定、オバさんはそのクモの巣の真ん中に顔を突っ込んで、グエー!と言っていた。(爆)
この様に先頭を歩く人は大変苦労が多いので、読者の皆さんの中で後ろを歩く人は先頭を行く人の苦労を考慮して、時々は美味しい物でも差し入れたが良い!と思う。(笑)
この写真は 『標高・865m』 の標識から20分弱で現われた 『標高・926m』
の標識である。
写真で分かるようにガスが段々濃くなって来ていた。
この標識は 『頂上まで20分』 の標識である。
この付近を歩く時は、下には色々な花が咲いていて、正面にはクモの巣があり、
上にはムカゴがあるので、私はそれらを次のような順番で見て行くのに大変忙しかった。
1. 前方の登山道に、穴や石や危険物はないか?等、登山道の状況を見る。
2. 前方の左下に、花やキノコがないか?を見る。
3. 前方の左横に、ムカゴや木の実等がないか?を見る。
4. 前方の上方に、クモの巣や頭に当たるような木の枝がないか?を見る。
5. 前方の右横に、ムカゴや木の実等がないか?を見る。
6. 前方の右下に、花やキノコがないか?を見る。
私はこの順番に目の玉を動かす事を繰り返して歩いていたら、目が回ってフラフラして来た。(爆)
トンボを捕まえる時は、トンボの目の前で指をグルグル回すが、トンボもあれをやられたら目が回って飛べないと思う。(爆)
私は先程の 『頂上まで20分』 の標識から、酔っ払いの様にフラフラしながら10分ほど歩いていたら(笑)、
左写真の 『これからがキツイ、あと10分ガンバレ』 の標識が現われた。
どうやらこれから、『二の坂』 の登りに掛かる様だった。
上の 『あと10分』 標識からちょうど5分歩いたら、左写真の、『気合いを入れて、あと5分ガンバレ』
の標識が現われた。
この山の標識は私達が歩くペースにピッタリ!合わせてあるようだった。
標識に記入があるように、私は気合いを入れ直して急坂を登って行った。
この写真が 『俵山=1095m』 の山頂標識である。
山頂に着いた時刻は9時40分で、山頂には誰も居なかった。
天気が良ければこの山頂からの展望は素晴らしく、九重連山・阿蘇五岳・雲仙等と雄大な景色が望めるのだが、
今日は写真のようにガスが立ち込め、視界は20m位しか無く大変残念だった。
私達は誰も居ない山頂の岩に腰掛けて行動食や果物等を食べた。
行動食を食べた後に山頂部を少し散策してみると、マツムシソウが方々に咲いていた。
左写真の花名は知らないが(シモツケ?)、山頂標識の裏側の石の隙間から顔を出して咲いていた。
下写真は山頂に着くまでの途中で見掛けた花達である。 サイヨウシャジン・マツムシソウ・オミナエシの花は方々で見掛けた。
私達は山頂部で20分ほど休憩してから下山する事にした。
下山する時も写真のように、ススキを掻き分けて進む所が10分ほど続いた。
しかし、そんな所にも下写真のような花が咲いていた。
アソノコギリソウ
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ツクシアザミ
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ヤマラッキョウの蕾
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山頂から20分弱歩くと植林帯に出たが、その植林帯を歩いている時がガスが1番濃く、
左写真のように視界は10m位しかなかった。
そんな植林帯の登山道にも下写真のような花が咲いていた。
薄暗い植林帯の中の登山道を20分強歩いたら、左写真のように広い林道に出た。
その広い林道には花が沢山咲いていて、下写真のような花達を見掛けた。 私達は花を探しながら、そして写真に撮りながらゆっくりと歩いていた。
又、その広い林道脇には写真のような山栗の樹が沢山あった。
当日はまだ写真のように青くて、1つも割れていなかったので採る事はしなかったが、
もう少ししたら殻が割れて、林道には沢山の山栗の実が落ちていると思う。
上掲のような写真を撮りながら広い林道をゆっくりと歩いていたが、その時間を後から見てみると1時間35分も掛かっていた。
その広い林道の出口には林道ゲートがあり、そこからは下・右写真のように舗装牧道になった。
又その位置からは下・左写真に写っているように、山裾には私達が駐車している 『俵山交流舘・萌の里』 の建物も見えていた。
それから下・左写真では小さく写っているので良く分からないと思うが、下方の牧道上には私達が嫌いな牛の群れが沢山出ているのも見えていた。
俵山交流舘・萌の里 牛の群れ .
↓ ↓ .
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舗装牧道
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舗装牧道にはアザミの花が多く、その花には沢山の蝶が群がって蜜を吸っていた。
私はそんな蝶達を 『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる!』 とばかりにバチバチ!写したが、下の掲載写真はそのほんの一部である。
この写真は蝶の姿を次々に撮っている時に、何かなー?と思いながら撮ったものである。
この昆虫?は動きがとても素早く、残念な事にこの1枚だけしか写す事は出来なかった。
しかし、後からこのようにして写真を見てみると、その姿はテレビでしか見た事がない、
ハチドリ?のように見えるので、自分でも???と思っているところである。
私はこの昆虫?をパッと見た瞬間にハチドリ?と思ったのだが、ハチドリは中南米等にしかいないと聞いている。
ひょっとしたら最近の地球温暖化により、ハチドリは日本にもいるのだろうか?(もしかして大発見かも?・・・笑)
尚、この昆虫?はハチドリのように空中で停止して蜜を吸っていたように思う。
舗装牧道ではアザミの他には、次のような花を見掛けた。
蝶や花の写真を撮りながら、ゆっくり舗装牧道を30分ほど歩いたら、T字路に突き当たった。
その角には左写真のように 『標高・545m』 の標識があった。
そのT字路を右方向に曲がると、コース概念図で緑色で表したコースだが、このコースは一度鉄塔まで登ってから
『日の丸公園』 に下りるようである
私達はそのT字路を左に曲がり、コース概念図で赤色で表したコースを歩き始めた。
左方向の牧道を10分ほど下ると、牧道に子連れの牛が出ていた。
牧道の少し上の方には人相(牛相?)の悪い大きな牛が何頭もいて、私達が歩いて来るのを時々見ていた。
私達は今までに牧場の中を通っている時に、大きな牛に何度も脅されている。
或る時は十数頭の大きな牛の群れが一斉に私達に向かって歩いて来たので、私達は驚いて逃げた事があった。
頭を下げ尖った角を突き出し、あの大きな目でギョロリ!と睨みながら巨体が近付いて来たら、本当に恐怖を感じる。
今回は特に子連れでもあるし、母牛は子供を守る為であれば凶暴になる可能性がある。
先日、奥多摩で登山家の山野井泰史さんが月の輪熊に襲われて重傷を負った事が報道されたばかりだった。
その時の熊も子連れだったと聞く。
牧道に出ている牛も子連れだし、そして牧道の少し上の方では大きな牛達が時々こちらの様子を伺っている。
それで私は、その牛がいる部分を迂回して進む場所がないか?と周りを見渡したが、左の方には牛の群れがいるし、右の方は崖になっているので牧道しか通る所が無かった。
オバさんは怖がって、それまで着ていた赤系統の雨具を脱いでザックに仕舞っていた。(笑)
それで私が意を決して恐る恐る近付くと、私の気迫に恐れをなしたのか?母牛が牧道の上の方に移動し始めた。
暫らくすると仔牛も母牛の後を追って上に移動したので、私達はその隙に急いで通り抜けた。
その後も暫らくは二人とも早足で歩き、もう大丈夫!と思える所まで牛の群れから離れた。
そしてホッ!として振り返って撮ったのが上の写真である。(笑)
この写真は先程の 『標高・545m』 の標識から20分強歩いた所にあった牧場ゲートである。
このゲートは手動で開閉出来たが、写真はゲートを通り抜けてから、牧場方向を写したものである。
牧場ゲートから更に25分ほど歩くと、『俵山交流舘・萌の里』 の数百m下の県道28号線に出た。
そこの角には写真のようなコスモス畑が広がっていた。
第二駐車場に着くと満車状態で、『俵山交流舘・萌の里』 や隣接するコスモス園は大勢の人達で賑わっており、
家族連れやカップルで散策したり写真撮影等をしている姿が見受けられた。
今日の山歩きをまとめると、
駐車場(6:15)〜1時間〜朝食休憩(7:15/7:30)〜20分〜林道(7:50)〜20分〜標高735m標識(8:10)〜30分〜標高865m標識(8:40)〜
15分〜標高926m標識(8:55)〜45分〜俵山山頂(9:40/10:00)〜45分〜林道(10:45)〜1時間35分〜林道ゲート(12:20)〜
50分〜標高545m標識(13:10)〜15分〜牧場ゲート(12:20)〜40分〜駐車場(13:50)
総所要時間は7時間35分で、その内訳は歩行時間が7時間、食事休憩を含む休憩時間が35分で、万歩計は26309だった。
歩行時間が多いが今回はゆっくり歩いた上に花を探したり写真を撮る時間が多かった勢ではないか?と思う。
尚、掲載の花名は一応花図鑑と見比べてから記載していますが、自信は有りませんので予めご了解下さい。
自宅への帰路にまた道の駅に立ち寄り、写真の栗等を買って帰った。
今日の山歩き中に採ったムカゴは当日の晩酌のツマミで食べたが、ビールとムカゴは良く合う!と思う。
栗は翌日、茹でたり栗ご飯にして食べたが、今年は初物で凄く美味しく感じた。
今回のレポート写真を見て分かるように、現在山には沢山の秋の花が咲いています。
どうです!?、あなたもひとつ、弁当を持って山歩きに出掛けてみませんか?
今の季節は色とりどりの可憐な野の花を沢山見る事ができる上にムカゴや山栗もあり、
そして運が良ければ天然マツタケにも出合えるかも?知れませんよ〜(笑)
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