尾平〜天狗岩〜障子岳〜古祖母山〜尾平



2008年8月20日(水曜)  曇り  微風


宮尾登美子さんの小説、『天涯の花』 を読まれた方は多いと思う。

私も数年前に読み、それ以来 『何時の日かキレンゲショウマに逢いたい!』 と思っていた。

しかし、『キレンゲショウマに逢いに剣山まで出掛けるのは大変だなー!』 と思っていたところ、九州にもその花が咲く所が数ヶ所ある事を知った。

その1ヶ所は宮崎県の霧立越の中にある、『向坂山=むこうざかやま=1685m』 と 『白岩山=しらいわやま=1647m』 付近で、

他には祖母山の尾平登山口から近い川上渓谷等である。

その事を知った時は、『ヨシ!来年は家から近い方の川上渓谷にキレンゲショウマを見に行こう!』 と決心したのである。

しかしお互いに歳は取りたく無いもので、私はその決心した事自体をスッカリ!ここ数年間忘れていたのである。(笑)



その様な状態の時に、6月中旬発売の 『Green Walk(九州・山口の山岳専門誌)の夏号』 に、川上渓谷のキレンゲショウマの紹介記事が掲載された。

その記事を読み、『アッ!以前にキレンゲショウマに逢いに行こう!と思った事が有ったなー!?』 と、私はやっと思い出したのである。

それで、『今度は忘れないように!』 と、赤マジックで紙に大きく 『キレンゲショウマ』 と書き、それを仏壇の扉に貼った。

そうすれば今年は母の初盆なので、『絶対に忘れない!』 と思ったのである。(笑)



紹介記事によると川上渓谷のキレンゲショウマは大体お盆過ぎに咲く様だった。

それで、私は8月に入ってからインターネットで川上渓谷のキレンゲショウマ情報をチェックしていた。

その情報は中々入らなかったが、10日頃?になってようやく1件の情報をキャッチした。

その情報によると、その時点では殆んどがまだ蕾との事だった。

母の初盆は無事に済ませたが、子供が帰省中なので私達はお盆を過ぎても中々山歩きには行けなかった。

その子供が17日に戻ったので、ようやく私達は泊り掛けでの山歩きに行けるようになったのだが、今度は天気が芳しくなかった。



今年は珍しく九州への台風の上陸がまだ無い。

例年なら今の時期迄には既に1〜2個位の台風が上陸しているか、又は近くを通っている?と思うが、今年は幸いな事にまだ無い。

しかし、今年の夏は近年になく雨と雷が多い様に思う。

子供が戻った後、私はキレンゲショウマ情報と天気予報に注意していた。

キレンゲショウマ情報はその後は無く?、天気予報も2日続けて晴れる日が中々出ない状況だった。

その様な状況下で21〜22日と続けて晴れる予報が出た。

それで、21日の朝から山行の準備を始めた。(買い出しや料理等はオバさん担当なので、私の役目はガソリンを満タンにして車の簡単な内外清掃と点検位)


 以前の山行記録から、自宅から尾平登山口までは170km近く有り、

 所要時間も4時間以上掛かる事は分かっていたので、昼食を食べてから2時近くに自宅を出発した。

 そして何時もの様に、幾つかの道の駅や農産物直売所で休憩を兼ねながら何か掘り出し物がないか?と物色した。

 当日のオバさんは農産物直売所でミョウガを買っていた。

 左写真は途中に通った、ミルクロード横の放牧場の風景である。

 天気が良ければ、このミルクロードからは左手には九重連山を、そして右手には阿蘇五岳等の山々を見れるのだが、

 当夕は写真の様に曇っていたので、残念ながらそれらを望む事は出来なかった。



尾平登山口に着いたのは18時半位だったと思うが、トリップメーターは166kmを表示していた。

尾平登山口には数十台が駐車可能な 『もみじ屋旅館の有料駐車場(500円)』 があるが、そこから50mほど先の広くなったカーブ部分に

数台が駐車可能なスペースがある事を知っていたのでそこに駐車した。

私達は今年の5月にもこの尾平登山口に来た事があったので、明日は晴れ予報だし、その時と同じ様に沢山の車が来ていると思っていたのだが、

驚いた事に尾平登山口には1台の車も見当たらなかった。

そう言えば、尾平登山口に来る途中にある 『建男神社前の駐車場』 にも1台の車も無かったし、建男神社の湧水も出ていなかった。

私達は 『おかしいねー?、不思議だねー?』 と話しながらベッドメーキングし、何時もの様に宴会を始めたのは19時少し過ぎではなかったか?と思う。



 これが当夜の宴会料理だが、これらは何時もの様に全てオバさんが当日の午前中に自宅で準備した物である。

 宴会料理を説明すると、中央部の上の容器には、『魚の味噌焼き と カイワレダイコン』。

 その下の容器には、『ささ身・白ネギ・ショウガ・水菜・ミョウガ・プチトマト・ゆで卵のサラダ』。

 丸い皿には、『ビーフン・金平ごぼう・切り干し大根 と 油揚げの煮物』。

 四角の容器は 『冷奴 と ミョウガ』、その横は 『ベビーチーズ』 である。

 そして発泡酒だが今回は少し奮発して2本ずつと、小ペットボトルに入れたウイスキーである。




当日は北京オリンピックの13日目で、ラジオではソフトボールの 『日本 対 オーストラリアの3位決定戦』 の様子を実況放送していた。

当日の午前中、私はソフトボールの 『日本 対 アメリカの準決勝戦』 をテレビの前で応援していた。

その試合は0対0のまま延長戦に入ったが、残念な事に9回に相手の4番バッターからスリーランホームランを打たれて、1対4で負けてしまった。

それで日本は同じ日の夜にオーストラリアと戦う破目になっていたのだが、驚いた事にアメリカ戦で完投していた上野投手がそのオーストラリア戦にも先発していた。



携帯テレビを持って来ていたのだが、全く映らないので仕方なくラジオの実況放送を聴きながら宴会をしていた。

試合は逆転したり同点にされたりと息詰まる様な熱戦で、私はかなり興奮しながら応援していたが、2対2で又もや延長戦に入った。

その頃には写真の宴会料理は全て食べ尽くしてしまい、飲み物もウイスキーに変わっていた。

オバさんが弁当箱一杯の水をガチガチに凍らせた氷を持って来ていたので、それをアイスピックで割り、オンザロックの水割りを飲んでいた。

そしてオバさんが予備(非常食兼用)に持って来ていたと云う、ビーフジャーキーとサラミをツマミにしていた。

試合の方は11回に1点を先取された時にはもうダメか!と思ったが、その裏に同点に追い着くと云った、ハラハラ!ドキドキ!の展開だった。

そして12回の裏に日本がサヨナラ勝ちした時には、私は大喜びしながらかなり興奮して大声を上げていたが、その時の時刻は21時半頃ではなかったか?と思う。

私はソフトボールの放送が終了したら、寝よう!と思っていたのだが、続けて直ぐ 『日本 対 アメリカ』 の野球放送が始まったので、私は寝る機会を逸してしまった。



それで仕方なく、私は飲みたくも無いウイスキーを又々飲まざるを得ない破目になってしまった。(笑)

その野球放送を聴きながら飲んでいたら、何時の間にかウイスキーは半分近くが無くなっていた。

その後、野球放送の途中で私はオバさんから叱られながら23時近く?に寝たのだが、私はその野球の展開を殆んど憶えていない。

そう言う事で私は3時間半近く飲んでいたので、当夜はかなり酔っ払っていたのだと思う?

このようにして、私達は誰も居ない尾平登山口での夜を過ごしたのだった。



2008年8月21日(木曜)  晴れ  微風


コース概念図


翌朝、私は5時20分頃?に起きた。 当日のその時刻には夜の帳は完全には上がっておらず、まだ少し薄暗さが残っていた。

昨夜私は1時頃に尿意を覚えて1度だけ目覚めたが、それ以外はアルコールのお陰で?熟睡したようだった。
                  ふつかよい
そのお陰か?幸いな事に私は宿酔など、昨夜の後遺症は何も無かった。




 この写真は、私達が駐車した直ぐ横にある尾平登山口である。


 ここを出発したのは5時50分だった。


 尚、写真の道路を50m程下りた所の右側に、綺麗なトイレと靴洗い場がある。






      天狗岩
       ↓
 この写真はトイレから200m位歩いた所で前方に見えていた、これから目指す天狗岩等の稜線である。


 上空の右の方には、右下が少し欠けた月が薄く残っていた。


 この写真を撮った後にふと後方を見ると、トイレの前付近をこちらに歩いてみえる1組の御夫婦の姿が見えた。


 私はその御夫婦は何処に泊まってあったのだろう?と思うと同時に、

 私達以外にも登山者がいる事が分かったので少し安堵していた。








 この写真は上掲写真から2分ほど歩いた所にあった、標高600mの標識である。


 今日登る山の最高峰は障子岳の1703mなので、これから標高差1100mを登る事になる。









 この写真は上掲写真から3分ほど歩いた所で現れた、第1吊り橋である。


 この吊り橋を渡ると、宮原経由で祖母山や大障子岩等に行く登山道が続いている。


 私達はその登山道は、今年の5月に上畑登山口から大障子岩等に登った時、下山時に歩いた事があった。


 今回歩く事になる 『黒金山尾根コース』 へは、その吊り橋を渡らずに下を通る。











 渓流(奥岳川)沿いの登山道を6分ほど歩くと、写真のように立派な第2吊り橋が現れた。


 この吊り橋を渡っていると、二人の歩調が同調した時は?吊り橋が上下に大きく揺れて少し面白かった。














 その後も渓流沿いに歩いていると、登山道の直ぐ横に写真のように真っ白で綺麗なキノコがあった。


 このキノコの名前は 『タマシロオニタケ』 で、以前にも他の場所で見た事があったが、猛毒が有るらしい。(コワ!)


 このキノコの写真を撮っている時に、先程の御夫婦に追い越された。












 第2吊り橋から渓流沿いに10分弱歩いた所で、写真の様な第3吊り橋(津上橋)が現れ、再度対岸に渡った。













 第3吊り橋から少し歩くと写真の様な分岐標識が現れたが、まず川上渓谷のキレンゲショウマを見に行く事にした。


 黒金山尾根コースはこの分岐を右の方に登って行くが、川上渓谷へは左側の渓流沿いの道である。









 その後は登山道の5m位?下を流れる渓流の両岸に目を凝らし、キレンゲショウマを探しながらゆっくり歩いた。

 しかし登山道は小さな滝に突き当たったので、今度は引き返しながら更にキレンゲショウマを探した。

 そうすると、先程の御夫婦がキレンゲショウマを見付けられたようで、渓谷に下りて対岸に渡られた。

 私達も続いて渡渉したが、渓谷の岩は写真のように表面がつるつるして滑り易い大きな一枚岩ばかりで、

 渓流をまたぐ時や一枚岩の上を歩く時は滑りそうで少し気持ちが悪かった。

 左写真は私が渓谷に下りる途中で、対岸に渡られたその御夫婦を写したものだが、

 奥の人が立ってある場所にキレンゲショウマの小群落があった。

 対岸の土手は高い岩壁で、キレンゲショウマはその岩壁の私達の身の丈位の高さの位置に、ほんの少しだけ咲いていた。





下の写真がそのキレンゲショウマだが、花は私が思っていたよりも小さかった。

しかしその色や形には、そこはかとない気品が感じられた。

私が10日前位にインターネットで見た時には、川上渓谷のキレンゲショウマは開花している花があったのだが、今日は完全に開花している花は一つも無かった。

もしかしたらキレンゲショウマは早朝はまだ眠っていて、明るくなってから開花するのかなー?と私は思った。

今回の山歩きはかなり時間が掛かる予想だったので、本当はもっと早い時間にスタートしたかったのだが、

そうすると、この川上渓谷はまだ暗くてキレンゲショウマが撮影できないのでは?と思い、今回はスタート時刻を少し遅らせるていた。

下の右側の花が当日に1番開花していた花だが、他の花はまだ小さな蕾ばかりだったので、見頃はまだ1〜2週間先位では?と思う。

私達は他の場所にもキレンゲショウマが咲いている場所がないかと?少し周りを探したが、そこ以外には見当たらなかった。



他の場所(剣山や霧立越等)のキレンゲショウマは鹿による被害が大変大きく、ネットを張って保護していると聞く。

しかし、高山植物や希少植物の被害は、獣害よりも人間による踏み荒らしや盗掘の方が大きいとも見聞する。

幸いな事に、この川上渓谷のキレンゲショウマは険しい地形(前は渓流、後ろは崖)に咲く為、そのどちらの被害も受けていないようである。

キレンゲショウマは現在の九州では咲く場所が少なく、大変貴重な植物との事なので、『これからも皆で暖かく見守って行けたら良いなー!』 と私は切に思った。

キレンゲショウマの小群落
キレンゲショウマのUP


下の花はキレンゲショウマの中に一緒に咲いていた花である。

イワタバコ



 各自写真を撮り終えたので先に進む事にした。

 川上渓谷と黒金山尾根の分岐標識へ戻る途中に、黒金山尾根に直接出る分岐標識があったので、

 その道に進んだら少し先で岩に突き当たったので、斜面を下りて元の道に戻った。

 それで帰宅してその道の事を調べてみると、黒金山尾根に出るには突き当たった岩をよじ登らなければいけないとの事だった。

 左写真は元の道を戻っている時に、御夫婦の奥様が写真に撮ってあったので、私も真似して撮ったものだが、

 花名をお尋ねすると 『ケイビラン』 との事で、残念な事に花は枯れている!との事だった。

 御夫婦の奥様は凄い望遠レンズ付きの高級一眼レフカメラを、手馴れた手付きで操作して撮影されていた。

 その御夫婦のホームページの花の写真は全て、その奥様が撮影されているとの事だった。

 『ケイビラン』 は漢字では 『鶏尾蘭』 と表すとの事で、そう云われれば葉がチャボの尾に似ているなー!と私は思った。



私達4人は前掲写真の川上渓谷と黒金山尾根コースとの分岐標識まで戻ったが、川上渓谷には合計で35分位?居た様である。

そこからは私達夫婦が先行する形になった。

分岐標識から5分ほど登った所に平らな場所があり、下写真の様に標高800mの標識と共に 『黒金八景No2』 の標識があったので、

私達はそこの岩に腰掛けて、下方に見える川上渓谷や上方に見える天狗岩から障子岳への稜線等を眺めながら、『パン・ゆで卵・バナナ』 等を食べて朝食にした。

先程の御夫婦も少し下の方で朝食を済まされたようで、私達が 『黒金八景No2』 で朝食中に追い越して行かれた。

その御夫婦の今日の行程は私達と全く同じだったのだが、その後、前方にその御夫婦の後姿を見掛ける事は全く無かったので、凄い健脚をお持ちの御夫婦である。(驚!)

標高800m地点にある、黒金八景No2
黒金八景からの景色、右側に月が薄く写っている






 『黒金八景No2』 で15分ほど朝食休憩をしてから、私達は再び登り始めた。


 この写真は 『黒金八景No2』 から15分で現れた 『標高900m』 の標識である。














 これは 『標高900m』 から15分弱で現れた 『標高1000m』 の標識である。














 これは 『標高1000m』 から15分弱で現れた 『標高1100m』 の標識だが、

 写真の様にスズ竹を多く見掛ける様になった。








 これは 『標高1100m』 から10分強で現れた 『標高1200m』 の標識だが、

 ここには 『黒金八景No3、栂原生林』 との案内板があった。


 周りを見渡すと、この付近には大きな栂(ツガ)等の大木が多く見受けられた。


 『黒金八景』 は当然8ヶ所あると思うが、このNo3を最後にその後は 『黒金八景』 の案内板を見掛ける事は無かった。


 後の 『黒金八景』 は何処にあるのだろうか?






 この写真はその後の登山道にあった物だが、まだ割と新しかった?


 私はつい最近の山岳誌に写真紹介されていた、熊の糞の事を憶えていたので写真に撮ったのだが、

 帰宅後に写真(山と渓谷・8月号/162ページ)を見比べてみると 『やはり熊の糞に色も形も良く似ている!』 と思った。


 数年前にはこの山域で熊を見掛けた!との情報があるので、もしかしたら熊は今も本当にいるのかも知れない?










 左写真は 『標高1300m』 の標識だが、『標高1200m』 からは20分近く掛かっていた。


 それは私の左脚のふくらはぎが途中で少し痛くなり、エアーサロンパスをふくらはぎに吹き掛けていた為である。


 この黒金山尾根コースは急峻な場所が多く、その為なのか?私は急に左脚のふくらはぎが痛くなった。










下の花達はこの付近で撮影したものだが、『ママコナ』 と 『ヤマヒヨドリ』 はその後の登山道でも良く見掛けた。

ツルリンドウ
ママコナ
ヤマヒヨドリ




 左写真は 『標高1400m』 の標識だが、『標高1300m』 からはやはり20分ほど掛かっていた。


 先程は左脚のふくらはぎにエアーサロンパスを掛けたが、そのふくらはぎは少し歩いただけで再び痛み出し、

 その上に今度は右脚のふくらはぎも痛くなって来たので、私は倒木に腰掛けふくらはぎをマッサージしていた為である。


 尚、この付近は写真の様にスズ竹が高く生い茂っていた。





地図を見るとこの 『標高1400m』 付近に 『天狗の水場』 があるとの事だったので、私はそこで少し休憩して痛くなったふくらはぎをマッサージしようと思っていた。

下の写真は 『標高1400m』 標識から5分強で現れた 『天狗の水場=1420m』 である。

私達は初めからこの場所で水を補給する積もりだったので、飲料水(アクエリアス)は其々1リットルずつしか持って来ていなかった。

それでここまでに空にした容器にも水を補給して合計2リットルの水を確保した。

尚、ここまでにオバさんが約0.5リットル、私が約0.8リットルの飲料水を飲んでいた。

オバさんが水を汲んでいる間に、私は岩に腰掛けて痛くなった筋肉を10分近くマッサージしてエアーサロンパスを吹き掛けた。

天狗の水場の案内標識
天狗の水を汲むオバさん






 この大きな岩は 『天狗の水場』 の少し上にあった 『天狗の岩屋』 である。


 この大きな岩の両サイドには、合計10人位?が泊まれる広さの空洞があった。








 この写真は 『標高1500m』 の標識だが、上の 『天狗の岩屋』 から15分も掛かっていた。

 やはり両足のふくらはぎが痛み出したので途中で休憩していた為である。

 脚の筋肉が痛くなった理由として私は、この黒金山尾根コースには大きな岩も多いので、

 足を高く上げて登る大きな段差が多く、普段はあまり使わない筋肉を多用した勢?、

 或いは最近は熱中症が怖くてあまり登っていなかった為に脚の筋肉が鈍っていた勢?、

 それとも昨夜の飲み過ぎのツケが脚の筋肉に来ているのかも?、等と考えていた。

 他にはチラッ!と 『体力の衰え?』 とも思ったが、それは 『まだそんな筈は無い!』 と頭の中で強く打ち消していた。







 左写真は、その後も休んでは少し登る事を繰り返している時に左側に見えていた 『天狗岩』 の基部である。


 本当にこの付近では歩き出すと直ぐ脚の筋肉が痛み出すので、休んでいる時間の方が多かった様に思う。









 この分岐標識は 『天狗の分かれ=1580m』 と呼ばれている場所で、『祖母山〜古祖母山』 を結ぶ縦走路上にある。


 私は 『標高1500m』 の標識から、この 『天狗の分かれ』 までの標高差80mを、何と!30分も掛かっていた。


 私はこの場所で予定を変更して反対側の祖母山の方に行き、祖母山九合目小屋に泊まろうかな?と一瞬思ったが、

 以前にも筋肉痛は何回も切り抜けて来た経験があったし、時刻はまだ10時前だったので、

 イザと言う時はヘッドランプを点けて下りようと思い直し、私は古祖母山の方向に歩き始めた。







 『天狗の分かれ』 から古祖母山への縦走路は割と平坦だったので、そこでは私の脚は別に痛くならなかった。


 どうやら私の脚は急激な登りを歩くと痛み出すようだった?


 左写真の花は、風の為に花が揺れて大分ボケているが、その後の登山道でも良く見掛けた 『オトギリソウ』 である。












 この写真は 『天狗の分かれ』 から5分強の所にあった 『天狗岩分岐』 の標識である。









下写真は上の 『天狗岩分岐』 から5分強で着いた天狗岩の山頂部から、各方向を写したものである。

天狗岩の山頂部から北方向の景色
鞍部が 『天狗の分かれ』 で、高い山が祖母山

天狗岩の山頂部から南東方向の景色
古祖母山            ミヤマ公園  障子岳
 ↓                  ↓     ↓   
天狗岩の山頂部から南方向の景色
 ミヤマ公園  障子岳
  ↓    ↓


尚、この天狗岩の山頂部から下を見ると、思わず後ずさりしたくなる様な深い谷がずっと下の方に見えていた。

       スズコヤ岩塔
           ↓
 天狗岩では山頂標識を少し探した。

 山頂標識を見付ける事は出来なかったが、山頂の標高は1640mの様である。

 それから、この山頂部からの遠景は少し霞んでいたが、肉眼では北北西方向に九重連山を確認出来た。

 しかし、私のデジカメは最近少し調子がおかしくなる時が多く、

 左写真の様に九重連山は殆んど写っていない。(怒!・・・しかし何しろ安かったからね〜・・・笑)

 下方に写っている露岩が 『スズコヤ岩塔=1565m』 と呼ばれている岩だが、私達には無縁の岩である。

 尚、天狗岩の山頂部では写真撮影等をしながら、私達は20分ほど休憩したようである。







 この写真は天狗岩から10分強で着いた 『ミヤマ公園=1634m』 の山頂標識である。


 尚、左の方に写っている尖ったピークが先程まで居た天狗岩である。










 ガイド本や地図等で 『ミヤマ公園』 の地名を見た時に、ミヤマ公園とは何かなー?と思ったが、

 その地名の理由はミヤマ公園から下りる時に分かった。


 左写真はミヤマ公園を下りる時に写したものだが、写真の様にこの付近は 『ミヤマキリシマ』 の樹が多いのである。


 ミヤマキリシマの開花時期は、この付近は凄く綺麗だろうなー!?と私は思った。





                ミヤマ公園   天狗岩
                   ↓       ↓





 この写真はミヤマ公園をかなり下った所でミヤマ公園を写したものだが、

 ミヤマ公園にはミヤマキリシマの樹が多い事が分かるのでは?と思う。








それからこの付近から少しの間、下・左写真の様に高さが1m位で大きな種を付けた植物が多く見掛けた。

最初に見た時は葉が無く、倒れていたので何か?良く分からなかったのだが、

少し歩いた所で左写真の様に葉と種を付けた物を見て、私は始めてそれが 『バイケイソウ』 である事が分かった。

バイケイウの種
6月に黒岳で写したバイケイソウの花


その後の障子岳までの登り道は黒金山尾根ほど険しくは無いが、登りに掛かると私の脚が痛くなるので途中で何度も休んでは脚をオバさんからマッサージして貰ったり

エアーサロンパスをシューシュー!と吹き掛けて貰ったりした。

しかし、その時は直ぐにその効果が出ず、更には両膝の内側や太ももまで痛くなって来たので、私は何度も何度も休んだ。

障子岳までの登山道では私は脚が痛くてそのような状態だったので写真を撮る様な余裕は全く無く、このレポート作成時に写真をチェックすると、上掲写真のあと、

障子岳山頂までは1枚の写真も撮っていなかった。



そのような事で上掲写真撮影後、障子岳山頂までの登山道の様子は良く覚えていない。

唯一記憶に残っているのは、、登山道が深く溝の様にえぐられ、その上をスズ竹が覆っていたので、かなり暗いトンネルの様な所が暫らく続いた事位である。

その障子岳までの登山道では、引き返して祖母山九合目小屋に泊まったが良いか?、前に進んだ方が良いか?、私は真剣に考えた事が何度もあった。

オバさんに後から聞くと、オバさんもこの時は下山の途中でヘッドランプを点けなくてはいけないかも?と思っていたそうである。

しかし脚が痛くなるのは急激な登りの時だけなので、障子岳まで登れば何とかなる?と思い、私は前進する方を選んだ。

と言うのも、障子岳山頂まで行けば、その後の古祖母山への登りは緩やかなので、痛みは出ないだろう!と思ったからである。


 この写真が 『障子岳=1703m』 の山頂である。

 この山頂に着いた時刻は11時30分で、ミヤマ公園から1時間も掛かっていたが、私は山頂に着いた時は本当に嬉しかった。

 私達はこの山頂部にある岩に腰掛け周りの景色を眺めながら、草餅やオールレーズンやリンゴ等で少し早い昼食にした。

 私は食べ終わると直ぐに脚をマッサージしたり、エアーサロンパスを吹き掛けたりをずっと繰り返していた。

 この山頂部からの眺望は良く、オバさんは私が脚をマッサージしている間に風景画を描いていた。

 尚、私達はこの山頂に立つのは2回目だが1回目は子供も一緒で、

 尾平トンネルからこの山頂を通り越して 『親父山=おやじやま=1644m』 まで歩いた事があった。



上写真の三角点の様に見える石は 『熊供養の墓碑』 で、昔はこの山域に熊が多く生息していた証しである。

風景画を書き終わったオバさんは二人のザックを整理していたが、この時に私のザックに入っていた飲料水等の重たい物を自分のザックに移していた。

オバさんはオードリーヘップバーンの様に痩せているが、この様にとても優しくて力持ちなのである。(笑)

そしてオバさんは、山内一豊の妻(千代)と孟母を足した様な良妻賢母なのである。(感謝の気持ちを込めて大ゴマ!・・・爆)

しかしオバさんは帰宅してからは、『あの時以降に脚が痛くならなかったのは、私が荷物を持ってあげたお陰だからね!、私のザックは凄く重たかったんだからね!、

                      解ってる!?、感謝してる?』 と、恩を着せるのである。(怒!・・・先程の良妻賢母は取り消し!・・・笑)

障子岳の山頂部で30分ほど休憩し、私の脚の痛みは殆んど無くなったので、古祖母山に向けて出発した。



下写真は障子岳から5分強歩いた見晴しの良い所から撮った物だが、左写真が先程まで居た障子岳で、右写真が前方に見えていたこれから目指す古祖母山である。

障子岳山頂

古祖母山






 障子岳からの下りでは急激なアップダウンが無かった勢なのか?、脚の痛みは全く生じなかった。


 左写真は障子岳山頂から20分弱で現れた、『土呂久登山口』 への分岐標識である。














 その後の登山道では写真の様に、左側の樹間から祖母山や天狗岩〜ミヤマ公園等が見えていた。









下りている途中に 『第三展望台』 との案内標識があったので、そこにちょっと寄ってみる事にした。

下写真はその第三展望台から写したものだが、これまでに歩いて来た、『天狗岩〜障子岳』 や、これから目指す 『古祖母山』 等が綺麗に見えていた。

     障子岳             ミヤマ公園
     ↓                  ↓ 
古祖母山   緩やかな傾斜の稜線  .
↓           ↓       .




 更に下りる途中には 『第二展望台』 や、左写真の様な 『第一展望台』 の案内標識があったが、

 そこからの眺めは先程の 『第三展望台』 とあまり変わらないだろう?と思い、行かなかった。


 尚、この 『第一展望台』 の案内標識付近が障子岳と古祖母山の鞍部に当たる様だった。


 それから写真に写っているように、 『第一展望台』 に行く途中には水場があるようである。










 この写真は上写真の鞍部から古祖母山への登路の様子だが、

 前掲写真で古祖母山の稜線を見て分かるように、緩やかな登りの連続である。










 古祖母山に着く15分位前には、写真のように沢山の樹が枯れて倒れている所があった。


 障子岳の山頂で脚を良くマッサージした勢なのか?、或いはエアーサロンパスが効いて来たのか?、

 又は登路が緩やかな上にゆっくり歩いた勢なのか?、それともオバさんが私のザックを軽くしてくれたお陰なのか?、

 理由は分からないが、古祖母山の登路では以前の様に歩くのを止めてマッサージする程の痛みは全く生じなかった。









 この写真が 『古祖母山=ふるそぼさん=1633m』 の山頂標識である。


 誰もいない山頂で私達は、周りの景色を見たり行動食を食べたりして、20分ほど休憩した。


 ガイド本によると古祖母山の山頂は二つ有るとの事だったので、もう一つの山頂を少し探したが分からなかった。






それから、この山頂には下写真のようなトンボがいた。

ここのトンボは人馴れしているのか?、或いは頭か目が悪いのか?、それとも私が無害な人と本能的に分かるのか?、いずれの理由かは分からないが、

とに角私がかなり近付いても中々逃げないのである。

私は昆虫の名前はあまり知らず、蝶は 『アゲハチョウ、モンシロチョウ、夜の蝶』 位、トンボに至っては 『鬼ヤンマ、赤トンボ、極楽トンボ』 位しか分からない。(爆)

それで下写真のトンボ名は分からないが、私が近付いても中々逃げないので多分、極楽トンボの一種だと思う。(笑)

極楽トンボ-A
極楽トンボ-B


それからこの山域で今の季節には、祖母山の別名である姥岳(ウバタケ)の名前を冠した、『ウバタケニンジン』 の花が咲く事を知っていた。

今回はそのウバタケニンジンも見てみたい!と思っていたのだが、幸運な事にここまでの道中で下写真の様なウバタケニンジンを見る事が出来た。

このウバタケニンジンも希少種との事なので、盗掘等を免れてもっと増えれば良いなー!と思う。

或る岩場に咲いていたウバタケニンジン
凄い断崖絶壁に咲いていたウバタケニンジン
或る岩場に咲いていたウバタケニンジン





 古祖母山を過ぎれば後は基本的に下りであり、もう脚が痛くなる心配は無い!と思うと、

 私は何だか嬉しくなってハミングでもしたい気持ちになっていた。


 下り道は写真の様に割りとなだらかな所が多く、私はそんな道をルンルン気分(♪)で歩いていた。













 その後の登山道では写真の様に、大きな岩の間を連結した梯子を下りる所もあった。


 写真はその梯子を下りる、オバさんのスマートで可愛いお尻である。(笑)












その後の登山道では下写真の様に綺麗な色をしたキノコや、グロテスクな色と形をしたツチアケビを見掛けた。

綺麗な色のキノコ
先端に小さな黄色い花が咲いていたツチアケビ


 障子岳   ミヤマ公園 天狗岩  祖母山
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 古祖母山から40分ほど歩いた所に見晴しの良い 『露岩=1426m』 があった。


 私達はその場所に腰掛けて行動食を食べたり、写真を撮りながら15分ほど休憩した。


 この露岩からは写真の様に、数時間前に歩いた稜線が綺麗に見えていた。






下写真の左は露岩付近の登山道風景だが、写真の様に樹木の中を歩く平坦な所が割りと多かった。

今日は風が殆んど無かったのだが、この樹間の道を歩いていると、時折気持ちの良い風が吹き抜ける時があった。

その風は今迄の夏山で感じた夏の風とは一味違い、かなりひんやりとした秋の風だった。

そして右の写真はその付近に落ちていた紅葉を岩の上に置いて写したものである。

この様に山では秋はもう始まっていますので、まもなく皆さんが住む里にも下りて来ると思います。

露岩近くの気持ちの良い登山道
登山道に落ちていた、紅葉した葉




 この写真は 『尾平越=1214m』 と呼ばれる場所で、私達は写真の手前側から歩いて来たが、

 そのまま真っ直ぐ進むと 『本谷山〜傾山』 の方向で、道標から左折する道を下ると尾平トンネルに出る。


 私達はこの場所は過去に4回ほど通っているので、ここの景色は良く覚えていた。


 古祖母山からこの尾平越までは、露岩での休憩時間(15分)も入れて1時間25分掛かっていた。










 この写真は尾平越から尾平トンネルに下りる途中にあった、小さな湧水である。


 尾平トンネルに下りる道は、細くて滑り易い粘土質部分や、ガレ場や急坂の多い難路だった。


 この道を下る時に私達は少し汗を掻いたので、かなり手足を動かしたようである。









下の左写真が 『尾平越トンネル登山口=978m』 で、その直ぐ前の道路の様子が中写真と右写真だが、尾平越からはここまで30分強掛かっていた。

以前、子供と一緒にこの駐車場に2泊し、近くの色々な山に登った事があった。

現在この駐車場には、宮崎県側の高千穂町からは車で来れるが、大分県側で緒方町の尾平集落以降は去年の土石流による道路崩壊の為に通行止めになっていた。

尾平越トンネル登山口と駐車場
尾平トンネル(宮崎県側)
大分県側は通行止め






 私達は尾平越トンネル登山口からは、県道7号線を尾平登山口に向かって下り始めた。


 左写真はそこを歩いている時に写したものだが、

 大きな岩が落下して来たのか?、ガードーレールが写真のように崖に垂れ下がっていた。













 県道7号線を10分程下ると、写真のように通行止めになっている所があった。


 看板に崩落個所の写真があったが、それを見ると大規模な土石流の為に道路が完全に無くなっていた。


 左側のカーブミラーの所に、尾平に下りる登山道の入り口があった。











 そこからの登山道は尾平越〜尾平トンネル間程の難路ではなかったが、写真の様に道が細くて急坂が多い登山道だった。


 この登山道は尾平トンネルや県道7号線が開通する前に、

 熊本県側の尾平と宮崎県側の高千穂間を往来する時に使用された、昔の峠越え道だったのでは?と私は思った。













 その峠越え道?を下る途中では、何の鉱石を掘り出していたか?知らないが、写真の様に立入禁止の廃坑があった。


 私はこの廃坑は昔は金鉱で、もしかしたら近くに金塊が落ちているかも知れない?と思い、辺りを少し探した。


 しかし残念な事に金塊は落ちて無かった。(どうやら先行の御夫婦に先に拾われてしまった様である。残念!・・・爆)










 峠越え道?を25分ほど下りると、写真のような舗装林道に出た。


 そこには案内標識が2ヶ所に設置してあった。












 舗装林道を下りていると、右側に写真のような建男社の鳥居があった。


 境内まで行ってみようかな?と一瞬思ったが、そこまでは階段をかなり登らなくてはならないようだし、

 また脚が痛くなるといけないので断念した。


 もし境内に金塊でも落ちている事が分かっていれば、私は脚が少々痛くなっても登るのだが・・・。(笑)








 左の花も舗装林道を下りている途中で見掛けた花である。

 この花の名称は、ある図鑑では 『ヤイトバナ』 が正式名称で、別名が 『ヘクソカズラ』 と紹介した物と、

 それとは全く逆を紹介している図鑑があるので、どちらが正式名称なのか?私には分からない。

 『ヤイト』 とは 『お灸』 の事だが、花の色や形が 『お灸』 に似ている事から名付けられたようである。

 この花に近付くと臭いとの事だが、私はそんなに臭いとは感じなかった。

 それにしても何処の誰が付けたか知らないが、この花に 『ヘクソ』 等と、そんな名前を付けるのは失礼である。

 『屁』 だけでも臭いのに、そのにおいの元である 『糞』 まで重ねて付けられ、この花は可哀相だと思う。



その上に、この花にはもう一つ 『サオトメバナ』 の別名があるのである。

『サオトメ=早乙女』 であるが、同じ花なのに 『屁糞 と 早乙女』 と両極端の名称を付けられいる事を、この花は知っているのだろうか?

『早乙女』 の漢字からは、爽やかな乙女を連想させるので、その事を知ればニッコリするだろう!

しかし、それを知った後に自分には他に 『屁糞』 の名前が付けられていると知れば、この花はどう思うだろうか?

『早乙女 と 屁糞』 の違いは 『ビーナス と ブス』 以上に有ると思う。

例えば、『天国に住んで居たのに、突然地獄に突き落とされた気持ち!』、或いは 『お姫様だったのに、お家が潰れて女中奉公に出された気持ち!』、それらに匹敵すると思う。



そのような事を想うと、私はこの花が本当に可哀相でならないのである。

多感な早乙女が、自分に付けられた別名に悲観して自殺したらどうなる!

全ての 『ヘクソカズラ』 が真実を知り、悲観の余り自殺してこの世からいなくなったら、名前を付けた植物学者達はどうする積もりだろうか?(ン!、責任取れるか!?、ン!)

もし責任を取れないようであれば、今度から名前を付ける時はもう少し慎重に考えて貰いたいものである。(爆)



更に舗装林道を下りていると、通行止めのゲートを開いて通る作業員の方に出会った。

それで、道路復旧工事の進捗状況を尋ねてみた。

そうすると、復旧工事は去年の12月から今年の9月12日までの予定だったが、実際には今でも本格的な復旧工事にはまだ入っていないとの事だった。

それにもう直ぐ台風シーズンになるが、新たに土石流が懸念される場所が数ヶ所有り、県道7号線の通行止め解除は現時点では全く予想が付かない!との事だった。

          天狗岩        祖母山
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 尾平登山口に停めていた車に着いたのは、16時25分だった。

 15時位には下山する予定だったが、途中で私の脚にアクシデントが起きた為、予定よりかなり遅れてしまった。

 しかし途中では一時ヘッドランプを点けての下山を覚悟した位なので、明るい内に下山でき 『マァ良し!』 として於こう。


 稜線を見ると祖母山には写真の様に雲が掛かっていた。

 その稜線を見ながら 『今日はあのノコギリ歯のような所を歩いて来たんだなー!』 と、少し感慨深いものが有った。

 そして、今回の山歩きでは念願のキレンゲショウマにも逢う事もでき、満足感や充実感をも感じていた。




今日の山歩きをまとめると、

        尾平登山口(5:50)〜40分〜川上渓谷(6:30/7:05)〜5分〜朝食休憩(7:10/7:25)〜1時間40分〜天狗の水場(9:05/9:15)〜

                       40分〜天狗の分かれ(9:55)〜10分〜天狗岩(10:05/10:25)〜10分〜ミヤマ公園(10:35)〜

                       55分〜障子岳(11:30/12:05)〜15分〜土呂久分岐(12:20)〜40分〜古祖母山(13:00/13:25)〜

                       40分〜露岩(14:05/14:20)〜30分〜尾平越(14:50)〜30分〜尾平トンネル(15:20/15:25)〜

                       10分〜旧道入り口(15:35)〜25分〜林道(16:00)〜25分〜尾平登山口(16:25)で、

        総所要時間は10時間35分で、その内訳は歩行時間が8時間30分、食事休憩を含む休憩時間が2時間5分で、万歩計は34311だった。

        但し、私の万歩計は電池切れの為に?おかしな数値が表示されていたので、今回はオバさんの万歩計数値を採用している。

        その為に、その数値はかなり多くなっている?可能性が高い。(何しろオバさんの脚の長さは、私の半分位しかないからね〜・・・爆)



それから今回の山行で二人が飲んだ飲料水は、私が1.5リットル強で、オバさんは1リットル弱だった。

携帯電話は 『黒金山尾根』 では殆んど圏外だったが、『天狗の分かれ』 以降の感度は良かった!そうである。



自宅へ帰る途中にトウモロコシ直売所に立ち寄った。

そこには私の大好きな 『モチトウキビ』 や 『地トウキビ』 は無く、『生でも食べられる』 と云う 『フルーツコーン』 しか売っていなかった。

そのフルーツコーンは柔らかくて歯応えが無く、私には甘過ぎるので、買わずに帰ろうかな!と思ったが、

若い女性が 『もう直ぐ閉店しますので、お安くしときますよ!』 とニッコリして言うので、私はその言葉についコロリ!と騙され、フルーツコーンを15本も買ってしまった。(笑)



その翌日から私の朝食・昼食・夕食には、皮を無造作に剥いただけで、

まだかなりのヒゲがくっ付いている 『生のフルーツコーン』 が1本だけ目の前に転がっている日々が続いています。(涙)

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