犬ヶ岳 〜 求菩提山





2007年5月19日(土曜日)  晴れ  微風


今回のコースは10年前(1997年10月)に、子供と一緒に歩いた事があった。

その時に 『とても気持ちの良いコースだなー♪』 と思ったので、私達は機会があれば又同じコースを歩いてみたい!と思っていた。

しかし、その登山口である 『犬ヶ岳登山口』 に行くのには、私達が住む久留米市からは英彦山系の山脈を迂回しなくてはいけない為にかなりの時間が掛かる。

それで、日帰り登山するには少々きついので、行きたいな〜!と今迄に何回も思いながら、中々実行出来ずにいた。

子供と一緒に山登りに行っていた頃は、前日から登山口まで行ってそこに泊まり、翌日の早朝から登山を開始するのが私達の山行スタイルだった。



子供が大きくなり山登りに付いて来なくなると、私達の山歩きは日帰りばかりになり、泊り掛けで山歩きに行く事は無くなった。

しかし子供が今年の4月から家を離れたので、私達は何の気兼ねも無く、前日から泊り掛けで山歩きに行けるようになったのである。

このように前日の内に登山口まで行ってそこに泊まり、翌日の早朝から山歩きを開始する山行スタイルがやっぱり私達の気性に合うようである。

今日は自宅で昼食を食べた後、暫らくゆっくりして13時半頃に自宅を出発した。



 今日は夕方までに登山口に着けば良いので、国道210号線を走り、日田市からは国道212号線に入った。

 その国道212号線沿いには景勝地である 『耶馬溪』 を通るが、今日は 『青の洞門』 に寄ってみる事にした。

 私はここには10回近く来ているのでは?と思うが、運転の休憩を兼ねてここの駐車場に立ち寄ったのである。

 『青の洞門』 は菊池寛の有名な小説 『恩讐の彼方に』 の舞台として知られている所である。

 この写真は342mにも及ぶ青の洞門を金槌とノミだけで30年の年月を掛けてを掘った 『膳海和尚』 の銅像である。










 膳海和尚の掘った青の洞門は、写真のように現在の道路の下の部分にある。


 現在は写真の道路奥に少しだけ見えるように、自動車が通行出来る大きなトンネルが掘られている。










 この写真が禅海和尚が掘った洞門の内部である。


 写真でも分かるように横幅はあるが、天井は低い。


 現在は所々に照明がしてあり、また途中には直ぐ横を流れる山国川の川原に下りれる所もある。






     経読岳  犬ヶ岳     求菩提山
       ↓    ↓         ↓
 『青の洞門』 で暫らく休憩してから再び国道212号線を走り始め、中津市で国道10号線に入った。

 国道10号線を少し走ると 『道の駅・しんよしとみ』 があったので、そこにも立ち寄った。

 そこではフリーマーケットが行われていたので、少し冷やかした。

 その道の駅からは写真のような山が見えていたので、その店の方に見えている山の名前を教えて貰った。

 写真のように明日私達が登る山やその稜線が見えていたので、『明日はあの尾根道を歩けるのだなー♪』 と思うと

 私は何だか嬉しくなっていた。

 この道の駅からは他にも色々な山が見えていたので、それらの山名も教えて貰った。



 『犬ヶ岳登山口』の駐車場に着いたのは17時位だった。

 50台近く?駐車可能な駐車場には2台の車が駐車していたが、私達が車中泊の準備をしている時に、

 その2台の車の方達は下山して帰られた。 それでその広い駐車場には私達だけになってしまった。

 まだ17時半を少し過ぎた位だったので、夕食には早過ぎるし、私達はその付近を散策して来る事にした。

 色々と散策したが、写真は 『求菩提山キャンプ場』 である。 写真ように林間にバンガローが20棟位あるが、

 その日は1棟だけで車を見掛けた。 この時期は利用者が少ないようである。 キャンプ場を散策中に或る場所では

 『10年前に子供と一緒にここに来た時は、この場所にテントを張って泊まったね〜!』 と当時を懐かしく思い出した。



 薄暗くなって来たので車に帰り、宴会をする事にした。 写真が当夜の食卓である。

 説明すると左上は途中のスーパーで買ったビール、その下は家から持って来たウイスキー。

 その右はオバさんが家で作って来た、生ダイコン、ソーセージ、ゆで卵、ワラビの煮物、トマト。

 中段の左は同じくオバさんが家で作って来た、鳥のから揚げ、そら豆とグリーンピースの煮物、で

 その横は本日のメインディッシュである途中のスーパーで買った、握り寿司である。

 その右横は家で作って来た、キュウリ、ニンジン、カイワレダイコンで、1番下は貰い物のダイコンの甘酢漬けである。

 写真の物、全てが胃の中に収まったのは20時半頃?で、私はかなり良い気分になってシュラフの中に潜り込んだ。







2007年5月20日(日曜日)  快晴  微風


コース概念図

 翌朝は5時に起きる予定だったが、目覚めたのは5時半だった。 既に明るかった。

 急いで朝の身支度をした後にお湯を沸かし、コーヒーとパンで朝食を済ませた。

 そして私達が登山靴を履いているところに1台の車が来たが、その車からは誰も降りて来なかったので

 良く分からないが多分登山者ではないか?と思う。

 駐車場の直ぐ横にある写真のような 『犬ヶ岳登山口』 を出発したのは6時15分だった。

 尚、左の道を進むと 『うぐいす谷コース』 で、右の道を進むと 『恐淵コース』 で 『犬ヶ岳』 に登れる。

 私達は10年前と同じように左側の 『うぐいす谷コース』 へと進んだ。





 林道は写真のように広いが、私の大嫌いなコンクリート舗装だった。


 コンクリート舗装は歩く度に突き上げ感があり、私には歩く喜びが湧かない。


 その点、腐葉土等の上を歩く時は柔らかいクッション感が有って膝等にもとても優しく感じられ、

 着地する度に心地良いので、そんな時は私は歩きながら凄くご機嫌に成るのである。










 その林道は上写真のように両側の殆んどが樹木に覆われているのでまだ薄暗かったが

 右側の樹木が途切れた見通しの良い所からは、写真のように気持ちの良い青空の広がりが見えていた。












 コンクリート林道を15分弱歩くと林道は写真のように2つに別れていた。


 登山道は道路に赤い矢印が書いてあるように右側の林道である。









 上写真から5分強進むと、右側に作業小屋があり、その前には写真のような水場があった。


 弘法大使、源義経、豊臣秀吉等の昔の偉人がその場所で何かをすれば、

 大概の場所には 『○○○の××』 の名称と記念碑が建っている。


 私はこの水場で手と顔を洗ったが、もし私が将来 『ノーベル登山賞』 を貰ったら(そんな賞、あったっけ?)

 この水場にはきっと 『ごましおオジさんの顔洗い場』 の名称と、一際立派な記念碑が建つだろうな〜!と思った。(爆)










 上の水場から5分弱歩くと林道の終点になり、そこからは写真のように細い山道になった。









その後は下写真のような岩部分やロープ場や鎖場等があった。

前回ここを登った時には、この付近は見晴しが良かったような?記憶があったが、あれからもう10年経つので当時植えた樹木が大きくなったのだろう!と思った。








 この写真は登る途中の開けた所で写したものだるが、先程の景観と比べるとかなり高度が上がったように思えた。















 駐車場を出発してから50分で、写真のような案内標識のある 『経読林道』 に出た。









上写真の直ぐ前には下・左写真の案内板があるが、その案内板の直ぐ下には右写真のようなギンリョウソウがあった。








 経読林道は写真のように広く、その途中の一部分にはコンクリート舗装がしてあった。















 上掲の案内板に書いてあるように540m程(時間にして10分位)進むと、写真のようなベンチとテーブルがあり、

 その横からまた山道に入る。













 その山道は写真のような新緑と小さな岩の多い登りだった。









上写真のような所を20分強登ると、下写真のような案内標識とベンチとテーブルが数台ある 『笈吊峠=おいづるとうげ』 に着いた。

ここの案内標識ではこの場所から 『犬ヶ岳』 までは1.1kmで、『経読岳』 までは2.8kmの距離とあった。

私達は去年(2006年)の7月に今回の登山口とは反対側になる耶馬溪町の 『相ノ原登山口』 からこの笈吊峠に登り、経読岳(山行記で紹介済み)まで歩いた事があった。





 犬ヶ岳への登山道には写真のように急激な(60〜70度位?)岩場が数十m続き、そこには鎖が設置されていた。


 尚、その岩場の上り口と下り口には 『危険!滑落事故多発』 の看板があった。


 確かにこの岩場は急である上に、長年にわたって多くの登山者が登り下りした為なのか?、

 岩の角が丸くなり、また表面もツルツルになっているので、大変滑り易くなっていて凄く危険である!と思った。


 この岩場を登り下りする時は、本当に十二分の注意が必要だ!と思う。






それから犬ヶ岳周辺はシャクナゲの群生地として有名で、国の天然記念物にも指定されている。

しかし、そのシャクナゲは今年は殆んど咲いていないとの情報を得ていたし、時期的にも少し遅いので今回の山歩きでは全く期待していなかった。

しかし、所々で下写真のような遅咲きのシャクナゲの花を見掛けた。 また右写真のような蕾も数個だけ見掛けた。

シャクナゲのトンネル
遅咲きのシャクナゲ
シャクナゲの蕾







 また犬ヶ岳までの登山道では、新緑の中に写真のような 『ハイノキの白色』 と 『椿の赤色』 が映えた。















 そんな登山道で、前方が開けた所では写真のように目指す 『犬ヶ岳』 の山頂が見えた。









その付近の登山道では、下写真のような白いオトコヨウゾメの花が結構あった。

また右写真のように、今が満開のシャクナゲの木が一株だけあった。

オトコヨウゾメの花

花名はミラさんより
満開のシャクナゲ








 犬ヶ岳の山頂近くになると、写真のようにクマザサが多くなって来た。













 この写真は下の山頂に着く数十m手前の開けた所から、北東方向を写したものである。


 少しモヤが掛かっていたのでハッキリ写っていないが、豊前市の宇島港や発電所、周防灘等が見えていた。










 これが 『犬ヶ岳=いぬがだけ=1131m』 の山頂である。

 山頂広場には山頂標識と三角点、ベンチや展望台等がある。

 しかし展望台に登っても周りの樹木が大きくなっているので、展望は全く無い。

 尚、展望台の下は避難室になっている。

 私達はベンチで行動食を食べて喉を潤しながら初めて5分ほど休憩した。








 犬ヶ岳山頂から下りる登山道も、写真のように気持ちの良い新緑の中だった。


 この付近で登ってみえる、御夫婦?と単独の男性と擦れ違った。


 私達もこのコースは2005年の10月に、『野峠〜一の岳〜犬ヶ岳』 をピストンして歩いた事があった。








 犬ヶ岳山頂から15分強下りると、写真のようなベンチとテーブルのある場所に着いた。


 ここが 『大竿峠=おおさお峠』 と呼ばれる場所である。


 私達は今日の最初の写真(犬ヶ岳登山口)で、左側の道である 『うぐいす谷コース』 に進んだが、

 そこを右側の道に進めば 『恐淵コース=おそろしぶち』 を通ってこの峠に出る。





その後は下写真のような景色の登り坂になるが、この付近の樹木にはイヌシデ、エゴノキ、ハウチワカエデ、ミズナラ、リョウブ等の名前があった。

それらの新緑を眺めながら歩いていると、近くの林の中から 『テッペンカケタカ?』 と、ホトトギス独特の鳴き声が聞こえて来た。

私はその鳴き声を聞きながら、ふと江戸時代の俳人・山口素堂が詠んだ 『目には青葉 山ほととぎす 初鰹』 の俳句を思い出した。

江戸時代の粋な人達は、初鰹を食べる事を珍重していたようである。

初鰹を食べたくてもお金が無い場合は、大げさであるが女房を質に入れてまで食べていた?ようである。

私はそのような事を思い出しながら、『鰹のタタキは良く食べるけど、あれは冷凍物だろうな〜?』 ・・・ 『獲りたての鰹の刺身は美味しいだろうなー〜!』 ・・・

『1度で良いから獲りたての鰹を食べてみたいな〜!』 ・・・ 『しかしとても高いだろうし、お金が無いから買えないな〜!』 ・・・

『私も江戸時代のようにオバさんを質に入れようかな〜?』 ・・・ 『しかし質屋では断られる確率の方が高いだろうな〜?』 等と順次思っては悩んでいた。(爆)


上のような事を真剣に悩みながら大竿峠から15分ほど歩くと、下写真のような 『一の岳=いちのたけ=1124m』 の山頂に着いた。

この山頂では風景写真を撮りながら5分ほど休憩した。

一の岳の山頂
南西方向の英彦山(右端)等
南〜南東方向の景色

『一の岳』 からは 『求菩提山』 への縦走路に入るが、これからは基本的に下り部分が多くなる。

そしてその縦走路は多少のアップダウンはあるが、下写真のように気持ちの良い所が多い。


上のような縦走路では、下写真の花を見掛けた。

スミレ
ギンラン(風でボケている)






 上掲写真のような縦走路を20分ほど歩くと写真のような林道に出た。
















 その林道を横切ると、登山道の右側には写真のような植林があったが、登山道はその林道とほぼ平行していた。











 上のような道を少し進むと又その林道を横切るが、その登山道には写真のようにモトクロスバイク?の跡があった。


 このように、登山道にマウンテンバイクやモトクロスバイクを乗り入れている輩を私達は良く見掛けるが、

 大変危険で有りまた違法行為でもあるので、私は直ちに止めて貰いたい!と思っている。


 又その事に対しては私は大変苦々しく思っているので、何時か機会を見付けて書いてみようかな?とも思っている。





上の林道から20分弱歩くと下写真のような 『杉の宿跡=962m』 に着いた。








 その後も写真のように、気持ちの良い自然林の新緑を眺めながら歩いた。















 『杉の宿跡』 から上写真のような自然林の中を10分強歩くと、今度は現在造成中?の林道に出た。









上の林道を横切って少し進むと、下・左写真のように台風で?倒れた木があった。

写真でも分かるように幹の方は殆んどが折れていて、下の表皮部分だけが少し残っている状態だった。

私は、枯れているだろうな〜?と思っていたのだが、先端部分の方に行くと、何と!右写真のように若葉が成長しているではないか!

それでまた幹の方に戻り、折れた部分を良く見ながら 『この状態で良く生きているな〜!、根性有るな〜!!』 と感心しながらオバさんと話していた。

そして私はその樹に対して 『頑張れ!、このオジさんが付いている!!』 と、エールを送ってやった。



私は確かにそのようなエールを送ったが、しかしもしその樹が 『このオジさんが添え木をしてやる!』 とか、『このオジさんが時々肥料をやりに来る!』 等の

期待をして貰ったら困るので、ここでハッキリ言っておくが 『飽くまでも自分の力だけで頑張って欲しい!』 のである。(爆)

以前何処かで、切られた大根が芽を出して 『ド根性大根!』 として話題になっていたが、この木も登山者が温かく見守ってあげたら良いな〜!と私は思った。

倒れた木の幹の部分
倒れた木の先端部分







 その後の登山道は写真のような植林地帯の中を歩く事が多くなった。









先程の造成中?の林道から25分ほど歩くと、下写真のような 『虎の宿跡=806m』 に着いた。

しかし写真でも分かるように、そこは杉林の中だったので先程の 『杉の宿跡』 と、名称を取り替えれば良いのに!と私は思った。(笑)








 『虎の宿跡』 を過ぎて下りる途中では、写真のように樹木の間から目指す 『求菩提山』 の山頂が見える所があった。









『虎の宿跡』 から20分弱歩くと、下写真のような 『胎蔵界護摩場跡』 と呼ばれる場所に着いた。 この場所は 『虎の宿跡』 と 『求菩提山』 の鞍部のようである。

ここのベンチには私達と同年代の御夫婦?が休んであった。








 『胎蔵界護摩場跡』 からは写真のような岩の多い登山道が続いていた。












 『胎蔵界護摩場跡』 から上掲のような登山道を10分強登ると、

 写真のような 『求菩提山=くぼてさん=782m』 の山頂に着いた。


 尚、この山頂には他の山で見掛けるような山頂標識は無く、この上宮の裏側に小さな私標が幾つもあった。







尚、この上宮の近くには下写真のような花が咲いていた。

シソバタツナミ or ツクシタツナミソウ
イナモリソウ
キランソウ






 求菩提山山頂からは、写真のように鎖がずっと張られている急坂の石段を暫らく下った。













 その途中には写真のように色鮮やかな衣と頭巾を被ったお地蔵様があった。


 尚、このお地蔵様は大変お洒落のようで、横の方にはスペアの頭巾も置いてあった。


 どうやらTPOで着替えられるようである。(笑)












 又、途中には写真のような 『中宮』 もあった。














 下る途中には写真のように、かなり大きな杉並木もあった。












 求菩提山山頂から25分ほど下ると、写真のような場所に着いた。 時刻は11時半を少し過ぎていた。 

 私は 『求菩提山』 に12時前後に着くだろう?と思っていたので、最初はそこで昼食の予定にしていた。

 しかし、求菩提山には11時に着いたので、昼食は駐車場に帰り着いてから食べよう!と言う事にしていた。

 それで、この写真の場所にあるベンチに腰掛けて簡単な行動食を食べた。

 尚、求菩提山への登山道は沢山有るようだが、私達は写真の場所からは 『阿弥陀窟』 経由で下りる事にした。










 この写真が 『阿弥陀窟』 であるが、上写真から10分程で着いた。


 本物は求菩提資料館に展示されているとの説明があったが、写真の社は後部が壊れていて中には何も無かった。


 中に展示してあった複製品?は盗まれたのかな〜?と思った。












 『阿弥陀窟』 から5分弱歩くと、写真のような分岐標識があった。


 ここで右の方に800m登ると、先程ご夫婦が休んであった 『胎蔵界護摩場跡』 に行くようである。


 私達は 『求菩提資料館』 の方向に下りた。












 上の分岐から15分弱で、写真のように石垣の上にお墓がある登山口に着いた。


 この場所からは川の向こう側に 『求菩提資料館』 の屋根が見えていた。















 この写真が昨日の夕方に散策がてらに行った求菩提キャンプ場の正面入り口である。


 尚、『求菩提資料館』 もこのキャンプ場の中にある。














 キャンプ場を少し過ぎた所でふと右横を見ると、先程登って来た 『求菩提山』 が見えていた。


 尚、この写真には2つ前の写真の登山口(向こうの道路から田んぼに下りる白い道の直ぐ上)も写っている。















 尚、駐車場に戻る道路からは正面に、写真のように 『犬ヶ岳〜一の岳〜求菩提山』 の稜線も見えていたので、

 それらの稜線をグルリと眺めながら、『私達は先程まではあの尾根道を歩いていたのだな〜、良く歩いたな〜♪』 と、

 私は何だかとても嬉しく成っていた。







駐車場までの道端には下写真のような花が咲いていたので、私はそれらを撮りながらゆっくりと歩いて行った。

カキドオシ
ユキノシタ
ハハコグサ




 『犬ヶ岳登山口』 の駐車場に着いた時間は12時半だった。

 道路に下りてから駐車場までは20分ほど掛かっていた。

 今朝、私達がこの駐車場を出発する時は2台だった車は、写真のように20台近くが駐車していた。

 中には佐賀県から団体で登りに来てある、大型の貸切バスもあった。







今日の山登りをまとめると

     駐車場(6:15)〜15分〜林道分岐(6:30)〜10分〜林道終点(6:40)〜25分〜経読林道(7:05)〜10分〜林道登山口(7:15)〜25分

               〜笈吊峠(7:40)〜50分〜犬ヶ岳山頂(8:30〜休憩5分〜8:35)〜20分〜大竿峠(8:55)〜15分

               〜一の岳山頂(9:10〜休憩5分〜9:15分)〜20分〜林道(9:35)〜15分〜杉の宿跡(9:50)〜15分〜林道(10:05)〜25分

               〜虎の宿跡(10:30)〜20分〜胎蔵界護摩場跡(10:50)〜10分〜求菩提山山頂(11:00〜休憩5分〜11:05)〜25分

               〜阿弥陀窟分岐(11:30〜休憩5分〜11:35)〜35分〜道路(12:10)〜20分〜駐車場(12:30) で、合計6時間15分、万歩計は27102だった。





私達はまだ昼食を食べていなかったので、駐車場の木陰でお湯を沸かし簡単な昼食を食べた。

昼食後は車内を片付けたりしたので、駐車場を出発した時間は13時半頃になった。

途中で 『求菩提山登山口』 の駐車場を覘いたら 『犬ヶ岳登山口』 の駐車場よりも多い、30〜40台近い車が駐車していた。

今日は日曜日なので登山者が多かったのだと思うが、『それにしても私達は朝早くから登山を開始したので良かったな〜!』 等とオバさんと話していた。



帰宅したら、私が初鰹を食べる為に質屋に入れられるかも知れない哀れな運命にあるオバさんは、そんな事とは露知らず、助手席で笑いながらお菓子を食べていた。(笑)

(しかし帰宅して反対に、オバさんから三行半(みくだりはん)を突き付けられるのは私かも知れない・・・涙)



今日のこれからの予定としては、明朝からの登山を予定している福知山の登山口に今日の夕方までに着けば良いだけなので、時間がたっぷり余っていた。

それで、福知山に向かう途中の国道10号線沿いにあった 『道の駅・おこしかけ』 に寄った。

その道の駅では私の好物の八朔が安かったので、今夜の食後のデザートにと思って1ネット買った。

その後も時間が余っていたので、行橋市の 『youmeタウン』 に立ち寄り、色々なお店を冷やかして時間をつぶした。

そして最後にそこで、今日の夕食とアルコール類、明日の朝食・昼食・飲料水等を買った。

その後は一直線に今日の宿泊予定地である、鱒淵ダムの登山口に向かった。




 この写真が今夜の宿泊予定地である、鱒淵ダムの直ぐ下にある 『鱒淵公園』 の駐車場である。

 ここに着いた時刻は18時少し前だった。 写真のように誰もいなかった。

 まだ明るかったのでその付近を散策しながら、明日の登山口を確かめたりしていた。

 そうしている間にも数人の登山者が下山して来ていた。

 私はその方達に所要時間やコースの最新情報等を尋ねた。





 今夜の宴会は19時頃から始めた。 写真が当夜の食卓だが、左上から行橋市の 『youmeタウン』 で買った、

 缶ビール(500ml=オバさん用、350ml=オジさん用・・・笑)と焼酎である。

 箸の下にあるのはチーズで、中段が焼き鳥、おにぎり弁当、イカの燻製とスルメとナッツの詰め合わせである。

 1番下がトマトとキュウリとソーセージ、そしてダイコンの甘酢漬けである。

 今晩も飲めや歌えの大宴会を催し、少し酔っ払って寝たのは20時半頃?だったと思う。

 それにしてもこのような山行スタイルの宿泊登山に出掛けると、自宅ではとても考えられないような

 『早寝早起きの良い子!』 になる二人であった。(笑)



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