上福根山





2007年5月2日(水曜日)  快晴  微風


私達は 『旧九州百名山』 は7年前に子供と一緒に登り終えていたが、その後(2003年)に九州百名山が見直されて 『新九州百名山』 が選定された。

その見直し時には旧百名山中、実に27山が入れ替わっていた。

しかし私達は新百名山入りしたその27山中、10山位は見直される前に既に登り終えていた。

私達がまだ登っていない残りの新名山の中で、自宅から日帰り可能な山に付いては今迄に機会を見付けては登りに行っていた。

それで数年前から未登の新名山は、どの山も私達には日帰りがちょっと無理な、遠い山ばかりが残った。

私達がそれらの山に登る為には、前日からそれらの山の近くに行って泊まり、翌日の早朝から登山を開始する必要があった。

しかしこれまでは通学している子供がいる関係上、その子供をほったらかしにして私達が山登りに行く訳にはいかなかった。



それがこの4月からその子供が自宅を離れたので、

私達は心置き無く(まだ他に心配事は有るのだが、それは私達が心配してどう成る物でも無い!)出掛けられるように成った。

そう言う事で、私達に取って未登の新名山の中で、今回は熊本県にある 『上福根山』 と 『天主山』 を登りに行く事にしたのである。

連休中の天気予報を見ると、3日〜4日は晴れそう?だが、5日〜6日は雨が降りそう?との事だった。

それで私達は2日のお昼前から出掛けたのである。



2日は夕方までに 『上福根山』 の登山口に着けば良いだけなので時間も十分有り、そんなに急ぐ必要も無いので高速道路は使わずに一般道路を走る事にした。

七城町の道の駅 『メロンドーム』 の食堂で休憩を兼ねて昼食を食べた。

そして食後のデザートとして隣接するメロン売り場で、試食のメロンを二人とも5切れ位食べた。 柔らかくて甘くて、とても美味しかった♪

メロンは買わずに試食だけして申し訳なかったが、出掛ける途中なので荷物になる為に仕方がなかった。(販売員さんスミマセン!でした)

しかし、その道の駅では今晩のツマミにする 『手羽先』 を買った。


 私は砥用町から 『二本杉』 を通る国道445号線が嫌いである。

 国道445号線は 『二本杉』 まで、何十回ともなく曲がりくねった細い道を5〜6km?も走らなくてはいけない。

 私は以前その道で、離合する時に大変苦労した記憶が有るので、その道はあまり通りたくない。

 それで今回は今後の為に今迄に通った事の無い、中央町から 『氷川ダム』 を通る道を走ってみる事にした。

 そうしたらその道は途中で少しの区間だけ道幅の狭い所があったが、大部分は道幅が広くて対向車も少なかった。

 それで、久留米から 『五家荘』 や 『五木村』 に行く場合は、少し遠回りになるかも知れないが

 中央町から泉村を通った方が良さそうに思った。 写真はその道の1番高い所から泉村方面を写したものである。






 この写真はその道を下りる途中にある景勝地、『せんだん轟』 の駐車場だが、

 数十台駐車可能な駐車場には写真のように1台の車も無かった。

 尚、この駐車場の前にある食堂や土産物店も全部閉まっていた。

 ゴールデンウイークと言うのに、どうしたのだろう?と思った。












 上写真の駐車場から5分ほど走ると、道の右側に写真のように、『せんだん轟』 が見える見晴し台があった。













 その後の道路脇には 『左座家』 とか 『緒方家』 等、昔の平家の屋敷があった。

 写真は 『緒方家』 の屋敷であるが、平家がこの地に落ち延びて来た当時のお殿様のお屋敷との事である。

 しかし本来の屋敷は別な場所にあったが火事で焼けた為に、その後ここに建て替えられたそうである。







 上写真のような場所で時々休憩しながら、

 今日の目的地である 『上福根山』 の登山口に着いたのは夕方の18時半頃だった。

 少し薄暗くなり掛けていたが、登山口の少し先にある駐車場で泊まる準備していると、

 駐車場の上の方から音がするので見てみると、写真のように若い鹿が林の中から出て来ていた。

 既に薄暗く成っていたのでカメラは自動的に発光したのだが、その鹿は人間に慣れている様で

 別に怖がる様子も無く、私と5分近くにらめっこをしていた。 

 しかし、私は暗くなる前にしなくてはいけない作業があったので、途中で鹿に付き合うのを止めた。



 この写真が当夜の車中での食卓である。

 1番上が道の駅で買った手羽先で、その下がオバさんが作った、ウドの味噌漬け、タケノコの煮物、竹輪、

 そしてその両横がオバさんが今朝から家で手作りして来た、

 ニラ炒め目玉焼き、キャベツの千切り、ソーセージ、きゅうり、コロッケである。

 飲み物はウイスキーと焼酎だが、少し寒かったので右上にあるテルモスのお湯で割って飲んだ。

 尚、テーブルは私のアイデア商品で、ザックに入れて持ち運び、山小屋や車中でも使える折り畳み式である。

 当夜は車中で寝る準備を全て終えた後、19時少し過ぎ頃から飲み始めた。



二人ともグイグイ!飲み、少し酔っ払ってシュラフの中に潜り込んだのは20時半頃ではなかったか?と思う。

私は何時ものように、シュラフに潜り込んだと同時に爆睡したようだった。





2007年5月3日(木曜日)  快晴  微風


                         コース概念図



 翌朝は二人とも5時40分に起きた。 二日酔いも無く、爽やかな目覚めだった。

 歯磨きや洗顔を済ませ、お湯を沸かしてコーヒーとパンで朝食にした。

 そして写真のような登山口から登り始めたのは6時20分だった。

 登山口は 『エー!こんな所から登るのー?』 と思えるような土手だった。

 尚、奥の方に見えるのは林道工事?の現場事務所である。

 そして登山口の50m位下の方には民宿の 『久連子荘』 があったが、何だか休業している?ような感じだった。








 急坂の細い登山道を5分弱登ると大きな岩の下に写真のような物が4個あった。

 それは長さが50cm位の大きな丸太の上に写真のように其々トタンを被せてあった。

 それが何なのか?私には全く解らなかった。







登山道は自然林の中を通っているが、その後20分程は下写真のように急登の連続で、

私は歩き始めて10分もするとで汗を掻き始めたので、ブラウスを脱いで半袖1枚になった。







 そしてその急坂を登り切った所には、写真のように鳥の羽が散乱していた。

 恐らくキツネかイタチかテン等?に食べられたのだろうと思う。








その後20分程は小さなアップダウンを繰り返しながら、朝の清々しい空気の中を、下写真のように気持ちの良い新緑を見ながら歩いた。


そんな所を少し過ぎた所で、オバさんが前方を指差して 『あの花はヤマシャクヤクじゃない?』 と私に言った。

今回、この山での大きな楽しみの1つに、私達はまだ見た事が無いヤマシャクヤクとの出合いがあった。

しかしその時はヤマシャクヤクの事等をすっかり忘れて歩いていた私は、それが突然現れたものだから少し興奮した。

私は 『これがヤマシャクヤクかー!』 と言いながら眺めていた。

私はヤマシャクヤクを初めて見るので、大変珍しい花だとと思い込んでいた。

それで 『この花はこれからも滅多に見れない!』 と思い込んでいたので、初めて出合ったこのヤマシャクヤクに近付いたり離れたりして

前後左右は言うに及ばず、上下や斜めから、そして東西南北からも写真を撮りまくった。(笑)


しばらく上のヤマシャクヤクを写真に撮ってから 『あれがヤマシャクヤクかー!、開いた花も見たかったなー!』 等と話しながら2〜3分ほど進むと登山道脇には

下写真のようなヤマシャクヤクが何本もあり、そのツボミは先程のより白くて綺麗でそして少し多く膨らんでいた。 それでそのツボミもアップにして撮った。







 登山口を歩き始めて約1時間で、写真のような石像のある場所に出た。

 ガイド本にはお地蔵様とあったが、私にはその姿・形と表情はモアイ像にそっくりに見えた。













 その後の登山道は写真のようにザレ場の急斜面が多く、大変歩き辛かった。

 しかしそんな急斜面の中にもかなりのヤマシャクヤクのツボミがあった。








そして、そのヤマシャクヤクは登るに連れて日当たりが良くなる勢なのか?、段々開花が進んでいるように見えた。


それから、その付近には下写真のような葉が多かった。

フクジュソウの葉?
左写真のUP







 又、この付近の急坂部分には、写真のようにイノシシか鹿?が滑った足跡が沢山あった。















 又、その付近では写真のような 『イチリンソウ』 も結構数多く見掛けた。














 その後も急坂を上っていると、樹木が伐採されて日当たりの良い所があった。

 そこには下写真のように、とても綺麗なヤマシャクヤクが沢山あった。








ヤマシャクヤクの蕾
開花中
開花したヤマシャクヤク

その後の登山道でもヤマシャクヤクは沢山見掛けた。

しかしその付近になると今迄にヤマシャクヤクを見過ぎた私は、もうその花を見ても何の感動も起きなくなっていた。

それより、最初にヤマシャクヤクを見た時に興奮して、あんなに何枚もの写真を撮った自分が少し浅はかに思えていた。

『どうしてあの時にあんなに興奮したのだろう?』、しかし、その後にこんなにヤマシャクヤクの咲く所があるのならば、

最初のヤマシャクヤクの所に、『ヤマシャクヤクはこの先の方に沢山あります!、あまり興奮しないで下さい!』 との看板でも立てて置けば良いのにー!と私は思い、

その事をオバさんと話しながら笑い合っていた。(笑)

皆さんもこの山に登った時に、最初のヤマシャクヤクを見てあまり興奮しないで下さい! その後にヤマシャクヤクはイヤ!と言うほど出て来ますので!・・・(笑)





 その後の登山道ではヤマシャクヤクと同時に、写真のような 『ヒトリシズカ』 の群生を多く見掛けるようになった。

 私はその 『ヒトリシズカ』 を見ながら、或る物静かな女性の事を思い出していた。(笑)

 その女性はN県に住んであって綺麗で優しく、とても無口な方である。 ちなみにイニシャルはMである。(爆)













 写真は鹿の糞だと思う?が、割りと新しかった。















 途中には写真のように綺麗な色のミツバツツジもあった。












 又、その後の登山道には写真のような看板が設置してあった。

 やはりここでも盗掘する人がいるのだろう!(怒)

 読者の皆さんには絶対に盗掘はしないで欲しい!と思う。

 盗掘する人は 『やはり野に置け蓮華草』 の言葉を知らないのだろうか?













 その後暫らく歩くと、写真のようにかなり大規模な崖崩れの所があった。

 しかし、そんな所にもヤマシャクヤク等の花が沢山咲いていた。












 その後には、何の動物のどの部分の骨か?私には分からなかったが、写真のような骨が岩に置いてあった。

 下山後に 『久連子古代の里』 の名産品販売所に立ち寄った時に見たのだが、

 そこでは 『鹿の頭蓋骨と角』 や 『猪の頭蓋骨』 等をイイ値段(8千円だったかなー?)で売っていた。

 私はそれを見た時に、

 あの骨もイイ値段で売れるかも知れないなー?、拾ってくれば良かったな〜!、惜しかったな〜!と思った。(笑)

 尚、ヤマシャクヤクやヒトリシズカはこの付近までは良く見掛けたが、この後にはそれらの花は全く見掛けなかった。









 上の写真からほんの少し進むと、写真のように鹿や猪避けのネットを張った横を通る登山道があった。

 そこを通る時は、身体やザックがそのネットに引っ掛かり、とても歩き辛かった。








 そして、そのネット部分の横は写真のようにスズタケで、その背丈は私達よりもかなり高く、

 そのトンネルを笹を分けながら進んで行った。

 私は去年の10月に九重の 『扇ヶ鼻〜星生山』 を歩いた時に、このようなスズタケのトンネルで笹を掻き分けて

 歩いている時にダニに脚を食われた事があった。

 今でもその喰われた跡は、シミのように黒くなって何ヶ所も残っている。(涙)

 私達はそのダニに食われてから、山歩きをする場合には出来るだけスパッツを着けるようにしている。

 今日は朝が早かったので朝露でズボンが濡れるかも知れない?と、二重の意味で二人ともスパッツを着用していた。






 上写真のようなスズタケ部分は5分位で終わり、写真のような植林に出た。

 私達は早速お互いの身体やザックにダニが付いていないか?をチェックしながら手ではたいていた。

 そうしたら私のシャツの袖にダニが1匹付着していた。

 私は反射的に手で払い落としてしまったが、その直後に写真に撮っとけば良かったな〜!と思った。









 上の植林の写真から5分弱進んだ所の痩せ尾根に、私の知人であるW氏の立てた写真のような山頂標識があった。

 そこは、『ヘー!こんな所が山頂?』 と思うような痩せ尾根の1部分だった。

 しかしそこが 『岩宇土山=いわうどやま=1347m』 の山頂のようだった。

 尚、後方に見える山が目指す 『上福根山』 である。







 岩宇土山の山頂から下りる途中にも写真のようなスズタケのトンネル部分があった。

 このスズタケ部分を抜けた後にも二人でお互いをチェックしたら、又も私のシャツに1匹だけダニが付着していた。

 この時もオバさんが直ぐ手で払い落としたので、又も写真に撮れなかった。

 オバさんの身体等にはダニは付いていなかったので、先頭を歩く人に付着する可能性が高い?ようである。

 それで、団体等で先頭を歩く人は、特に注意された方が良いと思う。

 それから、このようなスズタケやススキ等のトンネルを歩く場合は、つば広の帽子を被られる事をお勧めします。








 その後に上の写真のようなスズタケが現れた時に、私は笹を注意深く見て歩いていた。

 そうしたら写真のように笹にへばり付いているダニを見付けたので写真に撮った。

 ダニは写真のように非常に小さくて、衣服等にくっ付くと中々見つけ辛いので、皆様も十分ご注意下さい。










 岩宇土山の山頂から10分強下りた所の鞍部に分岐標識があり、そこには注意を呼びかける写真の看板があった。

 この分岐が 『オコバ谷分岐』 だった。

 私は復路ではこのルートを歩いてみよう!と思っていたのだが、注意書きのように去年の台風で

 そのオコバ谷は大きく崩壊して危険!との事だったので、私は復路にそのルートを歩く事は断念した。










 上の分岐写真から5分ほど登った所でふと後ろを振り向くと、写真のように 『岩宇土山』 が見えていた。

 先程、山頂標識のあった所で 『ここが本当に山頂?』 と思ったのだが、

 こうして見ると、そこは1つの立派な山頂だった。(岩宇土山の山頂さん、先程は疑ってスミマセンでした!・・・笑)











 その後の登山道では写真のような 『ヒカゲツルゴケ』 を多く見掛けた。

 私はその 『ヒカゲツルゴケ』 を見ながら、何故だか?数年前に逝去した友人の奥さんの事を思い出していた。

 『あの奥さんは後家さんになってしまったな〜!、今頃どうされているのかな〜?』 等と思ったりした。(笑)












 上のような所を10分ほど歩くと、写真のように 『キヤノキ谷』 への分岐標識があった。










更に10分ほど歩くと、下写真のような林道広場に出た。

しかし、その林道には大きな岩が転がり落ちたままになっていたので、現在は使用されていないようである。

右写真はその広場からの景色だが、肉眼ではハッキリ見えていた遠くの山が、デジカメには良く写っていなかった。(某メーカーよ!、性能悪いぞ!、金返せ!)

尚、この林道に着いた時刻は8時55分だったが、右写真のように雲1つ無い青空で、そしてそよ風が吹いていて、とても気持ちが良かった。

登山道は左写真の正面の崖を登って行くのだが、私達は登った所にあった倒木に腰掛け、行動食を食べたり喉を潤したりして、初めて10分ほど休憩した。







 その後の登山道は写真のような自然林とクマザサの所が多かった。

 この付近ではそんなにアップダウンは無かった?と思う。








 上のような登山道を15分ほど歩くと、写真のように正面に大きな岩があり、登山道に平行して倒木があった。

 その倒木の小さな枝に小さな赤いテープが付いていた。

 そこまで歩くと正面の岩の下の方に皆が歩いた跡が付いているのが目に付いた。

 それで私は何の迷いも無く、その岩の上を進んだ。 しかし、1〜2分ほど進むと踏み跡が2つに分かれていた。

 まず右の道を行ってみると、滑りそうで危険に思える急坂に突き当たった。

 それで分岐まで戻って左の踏み跡も調べてみたが、どうも可笑しい。

 それで山の鉄則である 『迷ったら確かな所まで戻る!』 を実践する事にした。



上写真の倒木地点に戻ると、何と倒木の後ろの方にクマザサに覆われて見辛い登山道が見えたのである。

その登山道は往路時の道からは鋭角にバックするような角度にあり、且つクマザサに覆われている上に倒木に隠れていて目立たなかったのである。

そかし岩の方から戻って来ると、その道が見えるような角度になるのである。

それにしてもその倒木地点では岩の方に真っ直ぐ進む道がかなりハッキリ見えるので皆が間違って進み、益々踏み跡がハッキリしていく悪循環の感じだった。

それにしてもやはり 『山の鉄則』 は生きていた。







 その後の登山道は、写真のように岩部分が多い急坂が多くなって来る。









その後、山頂までの30分位はそのような登山道が続いたように思う。

そしてその登山道の周りは、写真のようなシャクナゲの樹を大変多く見掛けた。

しかし、そのようなシャクナゲの樹の多い登山道を30分近くも歩いたのに、シャクナゲの花は全く見掛けない。


その上に蕾も殆んど見掛けないのである。 下写真はそんな登山道を30分近く歩いた中で見掛けた蕾の写真である。

下写真以外にはほんの数個の蕾を見掛けた位だった。 今年は上福根山のシャクナゲは全く期待出来ない!と思う。

このように蕾が非常に少ない事に付いては、下山後に面白い話を聞いたので、あとで紹介しよう!と思う。








 山頂近くでは、写真のような 『バイケイソウ』 の葉を見掛けた。














 そしてこの写真が山頂近くで見掛けた、本日唯一の開花したシャクナゲの花である。

 下山時にも二人で気付けて見たのだが、この写真以外には開花した花を見付ける事は出来なかった。








下の左写真が 『上福根山=かみふくねやま=1645m』 の山頂だが、9時55分に到着した。

登山口を出発して3時間35分の所要時間だった。 山頂には誰も居なかった。

尚、山頂の樹木は落葉してしたので、その枝の間からは右写真のような山が見えていた。 南東方向だったので 『山犬切』 や 『白鳥山』 等ではないか?と思う。

予定では私達はこの山頂で昼食を食べる積もりでその用意もしていたが、思ったよりも早い時間に山頂に着いたので、昼食は下山してから食べよう!との事になった。

それで山頂では水分を補給しながら行動食を食べ、10分ほど休憩しただけで下山する事にした。








 下山時には、登る時に気付かなかった写真のような 『サルノコシカケ』 が頭上にあった。













 この写真は登山道にあった大きな倒木である。

 脚の長い私は、この大きな倒木も別に何の事もなく通ったのだが、しかしオバさんは何故か?、

 行きも帰りもこの倒木を通過するのに大変苦労しているようだった。(私にはその理由が良く解らなかった!・・・爆)












 この写真も下山時に撮った、谷の向こう側の地滑り跡である。

 この付近の山は傾斜が急で、石灰質部も多いらしい?ので、このような地滑りが多いのだと思う。








それから下山時にはスズタケのある所ではそのタケノコである 『ネマガリタケ』 を採りながら下りていた。

しかし、その 『ネマガリタケ』 は時期的に少し早く、大きい物はあまり無かった。

それで、これからこの上福根山に登られる方は、それらを採るのも楽しみの一つに成るのではなかろうか?

尚、スズタケは繁殖力が非常に強いので、そのまま放置しておけば登山道が塞がれる恐れもある。

それで、登山道部分に頭を出した 『ネマガリタケ』 を採る分に付いては別に構わないのではないか?と私は思っている。



登る時に私達も休憩した林道の直ぐ上の倒木の所では、単独行の若い男性が食事を作っていた。

その後の下山時には、上宇土山付近で親子3人の方とお会いし、其々少しずつ会話した。

どちらの方も熊本県の方達だったが、先程私達が間違った岩の部分を用心するように伝えてから別れた。

 それからこの写真は登る時にも掲載しているが、このような急斜面のザレ場を下る時は

 石を落とすな!と言っても、絶対に無理な所が多々あった。

 そんな急斜面でザレ場の登山道では、足を着地させると小石が転げ落ちるような状態だった。

 そのような所では私も十分注意して下りていたのだが、着地すると同時に大小の石が転がり落ちる。

 私の後ろから下りて来るオバさんも落とすので、そのような所では十分に二人の間隔を置いて下りる事にした。

 このように急斜面のザレ場を大勢で下りる時は、下を歩く人に落石が当たらない様に十分な間隔を置いて下りる等の

 対策が必要ではないか?と思う。



下山時には、登る時には気付かなかった下写真の花等を撮りながら歩いていた。

フデリンドウ
キツネノカミソリ?
ミヤマシキミ
カタバミ?
ジャニンジン?
イチリンソウ
イヌノフグリ
サバノオ?
キランソウ
スミレ
?2
?3







 山頂から下り始めて2時間30分で、写真のように 『久連子荘』 の赤い屋根瓦が見えて来た。









車に帰り着いたのは12時40分だった。


今日の山歩きをまとめると、

        登りが、 登山口(6:20)〜55分〜お地蔵さん(7:15)〜1時間5分〜岩宇土山山頂(8:20)〜10分〜オコバ谷分岐(8:30)〜15分〜

              キヤノキ谷分岐(8:45分)〜10分〜林道(8:55〜休憩10分〜9:05)〜50分〜上福根山山頂(9:55)で、合計3時間25分だった。

        下りは、 上福根山山頂(10:05)〜林道(10:35〜談話5分〜10:40)〜5分〜キヤノキ谷分岐(10:45)〜オコバ谷分岐(10:55)〜

              10分〜岩宇土山山頂(11:10)〜45分〜お地蔵さん(11:55)〜45分〜登山口(12:40)で、合計2時間35分、万歩計は20095だった。



以上のように、上福根山のヤマシャクヤクは5月3日の時点では全体的に見て、まだ2割位の開花率ではないか?と思われた。

それで上福根山のヤマシャクヤクを見に行かれる方は、今後暫らくの期間は楽しめるのではないか?と思う。

しかしシャクナゲについては全く期待出来ないと思います。










 下山してからは、車で5分ほど下りた所に在る、写真のような 『久連子古代の森』 に立ち寄り、

 直ぐ下を流れる久連子川の広い川原で昼食を食べた。














 その 『久連子古代の森』 には写真のような、久連子川に架かる吊り橋もあった。












 この写真のニワトリは熊本県の天然記念物に指定されている 『久連子鶏』 である。

 この鶏の飼育小屋が入り口部分にあり、10羽程が飼育されていた。

 尚、この鶏の羽根を使った飾り物を頭に被り、臼太鼓を持って踊る 『久連子古代踊り』 は

 平家落人に伝わる踊りとして結構有名である。






それからこの 『久連子古代の森』 には地元農産物などの名産品販売所があるので、ちょっと立ち寄ってみた。

そこには少し年配の女性の方がおられたのだが、その方から少し面白い話を聞いたので、皆さんにも紹介しよう。



私がその販売所に入った時はお客が誰も居なかったので、私は疑問に思っていたシャクナゲの事を訊いてみる事にした。

『私は先ほど上福根山に登って来たのですが、シャクナゲが全く咲いていませんでした。何か理由でもあるのでしょうか?』 と尋ねてみた。

そうするとその年配の女性の方は、『自分が子供の時に自分のお婆さんから良く聞かされていた話』 と前置きしてから、次のような話をしてくれた。

シャクナゲの花は5月頃に咲いて散るが、次の年に咲く蕾はその年の11月には出来るそうである。

その11月の時期に、シャクナゲの蕾が少ない時にはその冬は雪が少なく、蕾が多い時には大雪が降ると聞かされていたそうである。

昔の人達はそのように11月のシャクナゲの蕾の状態を見て、今度の冬は雪が少ないとか多いとかを、予想したり判断していたそうである。

そして大雪予想の時は、その積もりで農作物への対策や食料備蓄等、冬仕度の準備をしていたとの事であった。

このように平家一族の言い伝えによると、シャクナゲの蕾と雪は密接な関係に有るようである。 そう言われれば、今年は雪が少ない冬だった。



私はその話を聞いてすっかり感心したので、『その他にも、お婆さん達から何か聞かれた事はありますか?』 と更に尋ねてみた。

そうすると、11月の雨の日に山ミミズが物凄く大量に山から下りて来るとの事である。

それは現在でも変わらず、11月になるとその年配の女性宅も家の周りは全て、気持ちが悪くなる位に大量の山ミミズで覆い尽くされるそうである。

そして、その山ミミズが大量に山から下りて来た年の冬は大雪で、数が少ない年は雪が少ないとの事であった。

又、その下りて来た山ミミズが太っていれば翌年の農作物は豊作で、山ミミズが痩せていたら不作との事でもあった。



その他には、藪ツバキが沢山咲く年は翌年の小豆は豊作で、咲かない翌年は不作との事である。

それで、小豆の先物相場をされる方は、山に行って藪ツバキの開花状況を良く注意して見ていれば、大儲け間違い無し!だと思います。(笑)



私が話を聞いたその年配の女性の方も、『自分が子供の時に祖父母から聞いていた、そのような話は今でも良く当たる!』 と、言ってあった。

『昔の人は暇だったから、そのような事ばかりを記録したり憶えたりしていたのだろう!』 と、言ってしまえば御仕舞いだが(笑)、

それにしても、『いにしえの人達の自然に対する観察力は凄いものだな〜!』 と、私は思った。

その年配の女性の方も平家の子孫に当たるとの事だったが、『さすがに平家一族の伝承は凄いな〜!』 と、私は感心した。

それなのに、どうして源氏に負けたのだろうか?、私は不思議でならない!、源氏の言い伝えはもっと凄いのだろうか?(笑)



今日の山歩きの予定は全て終了したので、私達は明日登る予定の 『天主山』 の登山口に向かって移動を始めた。

しかし今日は十分に時間が余っていたので、移動中に通る観光地等に立ち寄りながら、ゆったりと走行して行った。

下の写真はそんな途中にあった、梅の木轟公園の風景である。

梅の木轟に架かる橋
梅の木轟

その後は通りたくはなかったのだが、仕方なしに国道445号線を通った。

二本杉を過ぎ、私はあの狭い曲がりくねった道を慎重に運転していたが、対向車とは運良く道幅の広い所ばかりで出合ったので、大変スムーズに走行していた。

今日はツイテルな〜!、と思いながら下っていると、もう直ぐ広い道路に出ると云う少し手前の狭い所で、登って来るロングボディの1ボックスカーと向き合った。

その車とは少し広くなった曲がり角部分で何とか擦れ違おうとしていたのだが、私の後ろからやって来たバカ車!が後方の広い所で待っていれば良いのに

私の車の直ぐ後ろまで突っ込んで来た。

それでロングボディの車と私の車とはやっと半分ほど擦れ違ったのに、その車のお陰で身動きが取れなくなった。



その内に私の車の後ろの方には次々にバカ車!が突っ込んで来て、にっちもさっちも行かなくなった。

その内に下の方で待機してしていた車からその状況を見兼ねたドライバーが出て来て、色々と誘導してくれたので何とか通過する事が出来た。(感謝!)

その場所から私が下りていると、登って来る車達は広くなった所で10台位も待っていた。

私はやっぱりこの国道445号線は嫌いである。

ヤイ!、阿部君よ、『美しい国、日本』 のスローガンも良いけれど、その前にこの国道445号線を早く何とかしろ!!(怒)



その後は途中に通る矢部町のスーパーマーケットに寄り、今晩の食料等を調達した。

下の橋は矢部町から天主山の登山口に向かう途中にあった 『鮎の瀬大橋』 である。


 天主山の登山口は、上の 『鮎の瀬大橋』 を渡って左折し、1分ほど走行すると

 写真のように右側にUターンするような林道がある。

 その林道は途中で未舗装になるが、その砂利道を5km位(道が悪いので、時間にして20分程)直進すると、

 天主山登山口の標識がある広場に出た。 私達がそこに到着した時刻は18時位だった。

 そこには既に1台の車が駐車していて、既に泊まる準備も完了していた。

 その車の方達は私達と同年代のご夫婦で、九州百名山を登られているとの事で、現在70以上登ったとの事だった。

 そして驚いた事には、何と!そのご夫婦も久留米在住との事で、明日の早朝から 『天主山』 に登るとの事だった。



 私達も早速、車中泊する準備をした。 そして暗くなる前には準備を完了し、オバさんと宴会に入ったのは

 19時少し過ぎではなかったか?と思う。 写真が当夜の食卓だが、左上から先程スーパーマーケットで買って来た

 缶ビール、焼酎、ウイスキー、握り寿司、焼き鳥、上の皿にはキュウリとソーセージとハリハリ漬け、

 下の皿にはチーズとイカの燻製、と超豪華版だった。(少し見栄を張り、ちょっと無理をしました〜!・・・笑)

 宴会の途中で明日の天気予報を聞くと、午前中は曇りだが午後からは雨が降り、夕方からは雷を伴うとの事だった。

 それで明日は4時半には起きよう!と言う事に決め、二人ともグイグイ!飲んだ。 

 私は何時ものように、大分酔っ払ってからシュラフに潜り込んだのは20時半頃だったと思う。



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