今回私達は4月11日から15日に掛けて東京に行って来ました。

しかしその間に山歩きに行ったのは13日と14日だけです。

ですからその両日の分だけ、『山行記』 に掲載しました。

山に行く前の11日と12日、山を下りてからの15日の事は、山には全く関係ありませんので 『我楽苦多雑記帳』 に 『東京滞在記』 として掲載しました。

時の流れから行くと、順番はその 『東京滞在記』 が先になります。

しかし最初にお断りしておきますが、『東京滞在記』 に書いた事は山には全く関係の無い事ばかりで、私はその日の事を忘れないようにしよう!との気持ちから、

取り留めの無い事を思い出すままに書き綴ったものです。

それで、それらに興味の無い方はその 『東京滞在記』 は読まずに、下の 『奥多摩三山縦走』 だけを読まれて下さい。




 奥多摩三山縦走


2007年4月13日(金曜日)  晴れ  微風


今朝は二人とも気合いが入っていたのか?、昨夜セットした携帯電話の目覚ましベルより早く、4時少し前に起きた。

そして身支度をしてから、山に持っていかない荷物はホテルに預け、4時半過ぎにホテルを出た。

街はまだ静かで、新聞配達する少年の自転車や空車のタクシーが目に付く位だった。



飯田橋駅には余裕を持って5時前に着き、予定通り5時少し過ぎの電車に乗った。

5時を少し過ぎたばかりの時刻と云うのに、驚いた事に電車の座席はほぼ詰まっていた。

私はこんなに早い時間から皆さん何処に行くのだろう?、流石に東京だなー!等と感心していた。

目の前の座席には綺麗にお化粧して着飾った若い女性がいたので、その綺麗なお化粧ぶりをチラチラ見ながら、

この娘さんは今朝は何時に起きたのだろう?、眠たいだろうなー!等と、いらぬ心配もしていた。(笑)



立川駅で青梅線に乗り換え、暫らく走ると左手には奥多摩の山々が見えて来た。

私はもう直ぐあの山の中に入って山歩きが出来るのだなー!と思うと何だか嬉しくなり、私はずっとそちらの山ばかりを見ていた。

終点の奥多摩駅には予定通り、7時30分頃?に着いたと思う。

その駅で降りた乗客の内、山スタイルの乗客は私達の他には二人だけだった。



駅舎を出ると目の前にバスの停留所があり、そこの広場に数台のバスが待機していた。

そのバス停留所で少し待っていると、バスの中から運転手さんが降りて来たので、私は 『バスは定刻通りに出ますか?』 と、運転手さんに訊いてみた。

そうしたら何と、『昨日、崖崩れが発生し現在は道路復旧中で10時以降にならないとバスは動きません!』 との返事が返って来た。

私は頭がガーン!とした。

8時4分発のバスに乗る為に今朝は物凄く早起きして来たのに、10時以降のバスになれば今日・明日と予定している山歩きが根底から狂ってしまうのである。

それでバスの運転手さんに 『奥多摩湖の先の峰谷まで行きたいのですが、何か方法はありませんか?』 と尋ねてみた。

そうすると、『バス道路は通行止めだが旧道は通れると思うので、タクシーなら行けるかも知れない?』 との返事が返って来た。



駅の横を見るとワゴンタクシーが一台待機していた。

先程、奥多摩駅で降りた山スタイルの二人連れの方達もバス停に来ていて、私とバスの運転手さんとのやり取りを聞いていた。

その方達は私よりも少し年配の方達だったが、私はその方達に 『何処まで行かれる予定ですか?』 と訊いてみた。

そうすると、『奥多摩湖のバス停まで!』 との返事だったので私は、『バスが動かないそうですからタクシーの相乗りで行きましょうか?』 と尋ねてみた。

そうしたら 『良いですよ!』 と、あっさりした返事が返って来た。



タクシーに行くと、二人連れの方の中の一人とタクシーの運転手さんは顔見知りで、お互いに挨拶してあった。

旧道を通って奥多摩湖の先の峰谷まで行って欲しい旨を告げると、運転手さんは無線で会社?に連絡してあったが、旧道は通れるとの事だった。



タクシーは街で良く見掛けるようなセダンタイプでは無く、背の高いワゴンタイプで3列シートだった。

旧道は狭く、幹線道路が通行止めの為か対向車も結構多かった。

運悪く対向車と狭い場所で出会うと、どちらかの車が道路の広い場所までバックしてから擦れ違った。

そのような事が4〜5回あったように思う。



タクシーの中でお二人の方達と話してみると、今日は奥多摩湖から御前山に日帰りでピストンするとの事だった。

私は御前山にはカタクリの花が咲く事を知っていたのでその事を訊いてみると、その方達はカタクリの花を狙って撮影に行くとの事だった。

そう云えばその方達はザックの他に三脚やカメラバッグを持ってあった。

その方達は奥多摩の山に良く撮影に行くとの事で、『先週は違った山(鷹ノ巣山だったかな?)に登ったら積雪していました!』 と言われていた。

その方達に 『私達は九州から来たのですが、この奥多摩でお勧めの山がありますか?』 と訊いてみたところ、『雲取山はどうでしょうか?!』 との返事が返って来た。

その方達は私達が行く峰谷までの半分位の所である、奥多摩湖の入り口付近で降りられた。

その後の道路は奥多摩湖に沿ってあり、その道路は旧道ではなく幹線道路だった。

峰谷には奥多摩駅から20分位?で着いたように思う。 料金は4100円だった。



下の地図が今回歩いたコースの概念図で、歩いた登山道を赤の点線で表した。(但し、滝本駅から御岳駅まではバスに乗った)



峰谷バス停の小さなお店の自販機でホットコーヒーを購入し、前にある椅子とテーブルをお借りして昨夜買ったパンとで朝食にした。

そしてお店の直ぐ前にある、下写真ような標識から歩き始めた時刻は8時20分だった。

写真の浮橋はお店の前から奥多摩湖を横断するように架かっていた。

プラッスチック製のタンクが浮力だが、タクシーでご一緒した方達はこの浮橋の事を 『ドラム缶橋』 と呼んであったので、以前はドラム缶が使われていたのだろう。

この浮橋は5m前後?の同じ寸法の橋げたをゴムで連結してあるだけである。

その為に私達が歩くと、各部分の橋げたが上下左右に揺れてかなり歩き辛かった。



 浮橋は5分位で渡り終えて向こう岸に着き、そのまま道なりに写真のような道を進んだ。

 しかし5分ほど歩いた所で、私はどうもこの道は奥多摩湖の周りを歩く道のようにしか思えなかった。

 九州ではこのような所でも、そこが登山道の一部であれば必ずと言って良い程、テープやリボンがある。

 それが、ここでは全く見当たらないのである。

 それに私は浮橋を渡り終えて土手を少し登った場所に気になる所があったので、そこまで引き返す事にした。





 写真が私が気になっていた所である。 少し下の方に見えるのは浮橋に出入りするゲートである。

 写真を良く見ると側溝部分から左の土手に枯葉が沢山積もっているのが分かると思う。

 私は先程その前を通った時に、それが何だか気になっていたのである。

 九州では登山口に向かう分岐には普通何らかの目印があるが、ここには写真のように何の目印も無いのである。

 九州の山ばかりを登る私達はそんな目印等にすっかり慣れてしまっているが、

 他の地区ではそんな目印は少ないと聞いていた。

 それで私達はこの踏み付け路のように見える所を登ってみる事にした。



 急坂の土手に付いている踏み付け路を1〜2分登ると、写真のような舗装道路に出た。

 どうやらこの道路が、奥多摩周遊道路のようである。

 しかしこの道路に出たのは良いけれど、この道路をどちらに行けば登山口があるのか?、何の目印も無いのである。

 それで私が左に、オバさんが右に行ってみて案内標識や目印等がないかを調べに行く事にした。

 私は時々オバさんの方に向かって大声で 『有ったー?』 と叫ぶと 『なーい!』 と言うオバさんの返事が返って来た。

 そんな事をしている内に道路工事用のような車がやって来たので手を挙げて停めた。

 停まった車の車体には 『奥多摩周遊道路清掃車』 と書かれていて、中には4〜5人ほど乗ってあった。



登山口を聞くとオバさんが行った方向に数百m下ると、左側に登山口があると教えてくれた。

お礼を言って歩き始めたが、このあと今日の内にその同じ方達と2回も会うとはその時は思いもしなかった。




 これが奥多摩周遊道路から 『三頭山=みとうさん』 に登る時の登山口である。

 三頭山の標高は1531mだが、奥多摩湖の標高は530mらしいので、これから1000mの標高差を登る事になる。

 先程、浮橋から土手を登って道路に出たが、登山口はそこから右(下り方向)に400〜500m?歩いた所にある。

 この登山口から登り始めた時刻は、8時45分だった。











 登山道はいきなりの急登で、私達は10分も登ると二人とも汗を掻き始めたので、

 早くもブラウスを脱ぎポカリスエットを飲んだ。














 その後も急坂が続いたが、そこでは写真のようにまだ真新しいイノシシが滑った跡があり、私達は少し緊張した。









登山道は下の写真のように殆んど植林の中を通っているが、その登山道は良く整備されており、小さなアップダウンを繰り返しながら登って行った。


登山口から約1時間で、下の左写真のような標識のあるピークに着いた。 時刻は9時50分だった。

標識に山頂名の記入は無かったが 『イヨ山=979m』 だと思う。 ここまで約430mの標高を稼いだ事になる。

下の方を見ると中写真のように奥多摩湖に架かる橋が2つ見えた。

又、前方を見ると樹木の間から山が見えたが、手前の山が 『ヌカザス山』 で、その左奥に薄く見える山が 『三頭山』 ではないか?と思った。

尚、この付近より少し手前辺りから植林は少なくなり、登山道の周りでは写真のように自然林が多く見受けられるようになった。

イヨ山山頂
奥多摩湖
前方に見える山









 自然林を多く見掛けるようになって暫らく歩くと、写真のように大きなイチイの木?が沢山ある所を通り過ぎた。


















 その後もアップダウンを繰り返しながら歩いていると、初めて樹に巻き付けたテープを見掛けたので写真に撮った。









そして、イヨ山から50分で下の左写真のような 『ヌカザス山=1175m』 に着いた。 時刻は10時40分だった。

イヨ山からは標高を約200m上げた事になる。 尚、中写真は下の方に見えていた奥多摩湖で、右写真は前方に見えていた三頭山である。

ヌカザス山山頂
奥多摩湖
前方に見える三頭山







 その後もアップダウンを繰り返しながら、写真のような分岐標識を通り過ぎた。















 その後に少し進むと、写真のようにロープを張った急坂が15分位?続き、ここでかなり疲れた。














 その急坂で一休みしている時に下の方を見ると、奥多摩湖の浮橋付近では前方の高い所に見えていた

 白いモスク?が写真のようにかなり下の方に見えていた。












 ロープの張ってある急坂を登り切った所が 『入小沢ノ峰=いりこざわのみね=1302m』 だった。

 ここに着いたのが11時10分で、ヌカザス山から30分掛かっていた。

 急坂で疲れたので、ここで10分近く休憩し、行動食を食べた。












 その後の登山道は写真のように広い部分が多くなり、自然林の中を歩いた。

 今は写真のように落葉しているが、新緑の季節にこの辺りを歩いたら気持ちが良いだろうなー!と思った。












 その後の途中には、写真のように平らになった場所に標識があった。

 右に行くと 『鶴峠』 と記入してあった。

 尚、この辺り以降の樹木には、写真のような小鳥の巣箱が何十となく設置してあった。













 それからこの付近の登山道では、写真のように去年の秋に落ちたと思われる山栗を沢山見掛けた。









 そんな所を暫らく歩いていると、ある急坂で写真のようにまだ真新しい動物の滑った足跡?を見掛けた。

 足跡?は、今までに良く見た事のあるイノシシの足跡に比べると、何だか足の指数?が多い。

 それで、私はこの付近で沢山見掛ける山栗から連想して 『熊?』 と、ドキーン!とした。

 そして私は、こんな東京の知らない山の中で熊に食われて死ぬのはイヤだなー!、

 死ぬなら九州の山で死にたいなー!と思った。(笑)

 しかし、この滑った跡は一体何なのだろう?

 今日このコースを歩いている人は前にはいない筈なので、その時は本当に少し怖くなって私は周りを見渡した。






 その後少し歩いていると、樹の日陰部分に写真のようなものがあった。

 その白い物を最初に見掛けた時は、触ってみるまでそれが雪だとは思わなかった。

 今朝タクシーでご一緒した方達が、先週この近くの山に登ったら積雪していました!と言うのを聞いていたので、

 この山でも積雪していたのだろうなー!とオバさんと話しながら歩いていた。










 その後暫らくは小さな雪のかけらを時々見掛けるだけだったが、

 上写真から20分ぐらい登ると、写真のように残雪が多くなって来た。

















 そんな所の登山道脇に、写真のように色も形も気持ちの悪いキノコがビッシリ付いた樹があった。















 上写真の樹から更に10分ほど登ると、その付近は写真のようにまだ5cm位の積雪状態だった。

 そしてそこは雪解けの為に少しぬかるんでいて、大変歩き辛かった。

 そこを歩いていると、時々前方から大勢の人の歓声が聞こえて来たので、

 団体の人達が下りてくるのかなー?と思っていた。






そんな所を10分ほど登った所が 『三頭山(中央峰)=みとうさん=1531m』 の山頂だった。

山頂は結構広く、広場の中央に山頂標識と三角点があり、広場の周りには写真のようにベンチが幾つも設置されていた。

そのベンチでは10人位の若者グループを始め、30人位の人達が昼食中だった。

到着時刻は12時10分で、入小沢ノ峰から50ほど掛かっていた。

この山頂部からの眺望は素晴らしい!ようだが、今日は生憎その方面は雲が多くて展望が無かった。

晴れていれば、富士山や三ツ峠山等が綺麗に見えるとの事である。

それで、晴れた日にはこんな風に見えます!と言う、大きな風景写真が山頂部にありましたので、読者の皆様もそれで我慢して下さい。(笑)

山頂風景
晴れた日に見えると言う景色

三頭山の山頂部は人が多かったので、私は写真を数枚撮ったら直ぐ出発する事にした。 この山頂には5分も居なかったと思う。

今回の奥多摩三山縦走ではこの三頭山が1番標高が高い。

この三頭山から後の行程にも当然、大小数十回?のアップダウンがあるだろうが、しかしこれから先は基本的には下り部分が多い筈である。




 三頭山の山頂からはグングン下って行ったが、こちら側は陽が当たる方向らしく?、積雪は全く無かった。

 三頭山の山頂から15分ほど下りると、写真の様な平らな場所に倒木があった。

 私達はこの倒木に腰掛け、昨夜買ったおにぎりを2個ずつ食べて昼食にした。

 そして、この場所で15分ほど昼食休憩をした。











 昼食休憩した所から又グングン10分ほど下りると、写真のような 『見晴し小屋』 に着いた。

 小屋からは前方に山が見えたが、それが何と云う名前の山なのか?、私達は先を急ぐので確かめる事はしなかった。











 『見晴し小屋』 からも急激な下りを15分ほど下りると、写真のような 『鞘口峠=さいぐちとうげ=1142m』 に着いた。

 到着時刻は13時10分だった。

 三頭山の山頂からのこの鞘口峠までの距離は良く分からないが、その標高差389mを下るのに

 15分の昼食休憩も含めて約55分掛かっていた。






 鞘口峠からは登り坂を10分ほど登ると、正面に写真のような分岐案内があった。

 直進すると 『里山の路』 で、右は 『ひぐらしの道』 と書いてあった。

 その場所で両方の路を見てみると、『里山の路』 は急登であるが、『ひぐらしの道』 は平坦だった。

 先程から三頭山からの急激な下りと、鞘口峠からの登りで少し疲れた様子のオバさんを見て私は、

 少し遠回りになるかも知れないが、右の平坦な 『ひぐらしの路』 を歩こうと思った。

 私はここの分岐は、何処の分岐でも良くあるように、右の平坦な路は急登を避ける為の巻き道だと思い込んでいた。

 ここで分岐した道は少し先の方でまた合流する筈だから、ここは平坦な道を歩こうと思ったのである。



この思い込みが大変な間違いであったが、この時はそんな事とは思いもしなかった。





 右の 『ひぐらしの路』 は思ったように平坦で、その道脇には写真のような展望台や野鳥観察小屋等があった。

 又その 『ひぐらしの路』 から更に分岐する 『×××の路』 と云う名前の道が沢山あったが、

 私は違う道に入ったら大変!だと思い、そんな分岐標識を良く確認しながら 『ひぐらしの路』 だけを進んで行った。







 『ひぐらしの路』 は途中から急登になって来たので、おかしいなー?とオバさんと話しながら進んでいた。

 その後幾つかの案内板が出て来ても、私達の次の目標である 『風張峠』 の文字が案内板に出て来ないのである。

 それでも私達はまだもう少し進めば 『里山の路』 と合流するか 『風張峠』 の文字が出てくる筈だ!と思い込んでいた。

 しかし写真の展望台に着き、そこの展望写真の山名を見ると、『御前山』 とか 『大岳山』 の名前が無いので、

 これは何だか変だ!、兎に角、先程の分岐点まで引き返そう!と云う事になった。

 しかし、先程の分岐からは時間にしてもう25分も進んでいた。 それで、急ぎ足で2つ前の分岐写真の場所まで

 引き返した。 そこに帰り着いた時間は14時5分だった。 この 『ひぐらしの路』 で貴重な時間を45分もロスした。



 このようにして2つ前の写真の場所まで戻った私達は、今度は直進した 『里山の路』 を登り始めた。

 そうしたら5分強登った所に写真のような案内板があり、目指している 『風張峠』 の文字が見えたのである。

 その文字が見えた時に、私は本当にホッ!とした。

 ほんの先程までは、もしかしたら今日は予定を変更して、近くの山小屋泊まりになるかもしれないなー!等と

 考えていたのである。(オバさんもそんな風に考えていたとの事だった)

 お互いにホッ!として、そこにあったベンチに腰掛けて5分ほど休憩して喉を潤した。

 今回の間違いは、詳細地図やコンパスで確かめなかった自分達が1番悪いと云う事は、自分でも良く分かっている。



しかし貴重な時間を45分もロスし、肉体的にも精神的にも大変疲れて、溜まったストレスを私達は発散したかった。

それで、今回の私達のミスをこの奥多摩の山を管理している東京都の勢にして鬱憤を晴らす事にした。

その後は歩きながら、『先程の分岐案内には直進方向に風張峠の文字を入れるべきである!』 とか、『あの場所には別に分岐標識を設置すべきである!』 とか、

『この付近のコースはハイキングコースにもなっているので私達よりもっと初心者も歩く筈である、だからもっと親切に案内表示をすべきだ!』 とか、

『東京都の山岳会は一体何をしているのだ!』 等と、その他にもとてもここでは書けないような酷い事を言っては、

お互いに笑い合いながら溜飲を下げていた。(関係者の皆さん、ゴメンナサイ!)



それにしても、今回の事では 『引き返す勇気!』 が如何に大切であるか!を私は改めて認識させられた。

私達は今までの山の経験から 『ひぐらしの路』 は巻き道だと思い込んでいた。

進んでいる内に、何だかおかしいなー?と思ったが、そのまま25分も突き進んだ。

その途中で疑問が生じ、どうしようかなー?引き返そうかなー?、と思案した事はあったが、もう少し進めば合流する筈だ!と、自分の中で葛藤していたのである。

今回はそんな優柔不断のために25分も進んで、深みに落ち入ってしまった。

山の鉄則である、『迷ったら確かな所まで引き返す!』 をもっと早く実践していれば良かったのである。

読者の皆さんも改めて山の鉄則である、『迷ったら確かな所まで引き返す!』 の言葉と、 『撤退する勇気!』 を持つ事を、肝に銘じて欲しい!と思う。







 その後の登山道は写真のようにかなり広い所が多かった。














 そしてその後の登山道の分岐点には写真のような分岐標識がちゃんと設置されていたので、迷う事はなかった。

 それにしても、先程の分岐にもこのようにハッキリした分岐標識が欲しいものである。(少しくどいけど!)








先程迷った分岐点を再出発してから40分で下・左写真のような 『風張峠=かざっぱりとうげ=1146m』 に着いた。

時間は14時45だった。 直ぐ下には写真のように 『奥多摩周遊道路』 が見えていた。

尚、この峠に到着する少し前からバイクや自動車の物凄い音が聞こえていたが、私達がここに着いてからも、その道路を100km以上の猛スピードで走るのが見えた。

何処にでも若さを持て余している若者(バカ者)が多いようである。(困ったものです!)

それから、下・右写真はその付近から見えていた風景でだが、左の山が目指す 『御前山』 で、その手前にある低い山が 『月夜見山』 で、

右奥の山が 『大岳山』 ではないか?と思ったが、時間に余裕が無かったので地図と照らし合わせて調べた訳ではない。



 その後は奥多摩周遊道路の上段部分にある山道を進んだが、暫らく進むと写真のように奥多摩周遊道路に出た。

 しかし、そこから進む方向標識や目印が見当たら無い。

 それで、地図やガイド本を見ている時に奥多摩周遊道路の清掃車が通り掛かった。

 手を振って車を止め、道を尋ねに行くと、何と!中に乗っている人達は

 今朝私に三頭山の登山口を教えてくれた人達だった。

 中に乗っている人達も私を憶えていて、笑いながら道を教えてくれた。






 方向は私達が今まで歩いていた方向(道路の下り方向)で良いが、分かり辛いかも知れないので

 暫らくは道路を歩いた方が良いですよ!とのアドバイスだった。

 その後、私達は写真のような道路柵の内側を歩いたが、そんな時でもバイクや車が道路を猛スピードで

 通るのでとても怖かった。

 暫らく歩いていると、写真のような 『月夜見山』 への標識があったので、また山道に入った。









 また道路と平行している山道を少し歩くと、写真のような 『月夜見山=つきよみやま=1147m』 の山頂に着いた。

 到着時刻は3時20分で、風張峠から35分掛かっていた。

 ここでは写真を数枚撮っただけで休憩もしないで先を急いだ。













 『月夜見山』 から5分ほど下ると、写真のような標識のある奥多摩周遊道路にまた出た。









案内標識に沿って数百m進むと、下・左写真のように広い駐車場があり、その横にある樹には写真のように宿り木が沢山あった。

駐車場に着くと、そこには何と!先程の奥多摩周遊道路の清掃車が私達を待っていてくれた。

そして駐車場の奥にある 『御前山』 への登山道入り口を教えてくれた。

その方達はもしかしたら私達が遭難するかも知れない!と、とても頼りなく見えたのだろう(涙!)が、その親切心はとても嬉しかった。(感謝!)

下の右写真はその駐車場にあった立体地図である。







 『御前山』 への登山道入り口は駐車場の奥にあり、その登山道は写真のようにかなり広かった。

 尚、正面に写っている左の山が 『惣岳山』 で?、右が目指す 『御前山』 ではないか?と思う。









 この付近でも登山道脇の樹木には小鳥の巣箱が点在して設置してあった。

 そんな所で、私達が歩くのに合わせて数羽の小鳥達が一緒に付いて回り、しきりに囀っていた。

 私にはその囀りがまるで私達に話し掛けているように感じた。

 それで小鳥を写真に収めようとデジカメを小鳥に向けたが、その小鳥達は動きが早いので、

 適当に構えて数回シャッターを切っていたが、その中の1枚だけに写真のような小鳥が写っていた。

 小鳥の鳴き声・色・大きさから、コガラかヒガラ当たりではないか?と思う。




それから、三頭山の山頂付近からこの付近までの樹木には写真のような名札が付けてあった。

それらの名札は 都民の森付近が1番多かったように思う。 それらの名前をアイウエオ順に列記してみると、

アカシデ、アカマツ、イタヤメイゲツ、イチイ、ウリハダカエデ、オオモミジ、ケヤキ、コシアブラ、シナノキ、タンナサワフタギ、ダケカンバ、ナツツバキ、ハリギリ、ブナ、

ベニバナツクバネウツギ、ホオノキ、ホツツジ、マルバカエデ、ミズナラ、ミツバツツジ、ミヤマガマズミ、ミヤマザクラ、ヤマボウシ、リョウブ、等だった。



 写真は16時5分に通過した 『小河内峠=おごうちとうげ=1050m』 である。

 『月夜見山』 からここまで約45分掛かっていた。

 尚、後方に見えるのは奥多摩湖と 、『倉戸山=くらとやま=1169m』 辺りではないか?と思う。

 この後も幾つものアップダウンの繰り返しがあり、私達はかなり疲れていた。

 オバさんは足が少し痛くなったようで、私の方は両膝の上の筋肉がパンパン!になり、吊りそうな感じになった。

 それでエアサロンパスを吹き付けたら、何とか治まった。





 その後に前方から下りて来る20人位の団体の登山者と初めて出会った。

 挨拶を交わした後に、私は御前山のカタクリの開花状況を尋ねてみた。

 そうすると、開花にはまだ早く山頂の手前付近に数本が開花していただけです!との返事だった。

 その団体と擦れ違ってから30分ほど歩くと、写真のようにロープが張ってあって立ち入り禁止の場所に差し掛かった。

 どうやらこのロープの中がカタクリの自生地のようである。

 私達は歩きながらロープの中を注意深く見ながら歩いていたが、開花しているカタクリは1つも無かった。




上写真のような立ち入り禁止の場所はその後にも2〜3ヶ所あったが、そこを合わせても下写真のようなカタクリの蕾だけを全部で10本ほど見掛けただけだった。

もしかしたら、夕方になったので開花していたカタクリは萎んだのかも知れないねー?!等とオバさんと話していた。


ロープを張ったカタクリの自生地を過ぎると、今度は岩が多くてかなり急峻な登りになった。

そこを登る時は二人とも相当疲れていたが、私達はこれを登り切った所が 『御前山』 の山頂だと思い込んでいた。

それで二人とも途中で休み休みしながら、最後の力を振り絞るような感じでその急峻な場所を登っていた。

下の写真はそんな所を登っている時に見掛けた花達である。

スミレ−1
スミレ−2
ヤマエンゴサク?

 やっと山頂に辿り着いて山頂標識を見たら、そこは御前山ではなかった。

 そこは写真のように 『惣岳山=そうがくやま=1341m』 だったのである。

 私はそれを見てガックリ!したが、オバさんはそれを通り越して怒っていた。

 オバさんは疲れがピークに来ていて、足も相当痛いようだった。

 それで、その山頂標識を見て怒りが爆発したようである。

 『私達はもうそんなに若くないのに、どうしてこんな強行軍の山歩きをするのか!』 、

 『私はもっとゆったりとした山歩きがしたい!』 と、私に怒っていた。



それで私は、『スミマセン!スミマセン!、山小屋に着いたら脚と肩をお揉みしますので、どうか許して下さい!』 と言って、

私はオバさんのご機嫌を取っていた。(オバさんは怒ると怖いからねー!)

『惣岳山』 の山頂に着いた時刻は17時10分だった。 先程の 『小河内峠』 から1.7kmの距離に1時間5分も掛かっていた。

山頂の一角に案内標識があり、それに 『御前山』 まで、あと600mとの記載があった。

それでオバさんに 『もう少しで最後の御前山だから頑張って下さい!』 とお願いして、私達は再度歩き始めた。


 『惣岳山』 〜 『御前山』 の間にもカタクリが自生するらしく?、

 登山道の両サイドには立ち入り禁止のロープが張ってあった。

 そんなロープの中の林間には写真のようにバイケイソウ?が青々とした葉を出し始めていた。

 『惣岳山』 と 『御前山』 の標高差は64mしかないので、そんなに急激な登り坂は無いのだが、

 中々私達の足は前に進まなかった。

 そんな勢もあると思うが途中では 『もう600m位歩いたよねー?、おかしいねー!』 等と何回も言っていた。




それでも中々御前山に着かないので、ついに最後のほうでは 『東京でん、ここは田舎んほうやんけん、距離は田舎尺ば使こて測っととじゃなかろか?』 とか、

『東京は余りに人が多すぎるけん、距離の感覚も狂とっとじゃなかろか?』 等と、誰も聞いていないのをこれ幸いにして、訳の分からない事を九州弁丸出しで

東京人の悪口を散々言っては笑い合い、お互いに疲れを紛らわしていた。



 そしてこの写真がやっと辿り着いた 『御前山=ごぜんやま=1405m』 の山頂である。

 到着した時刻は17時35分で、『惣岳山』 から600mの距離を25分も掛かっていた。

 私が 『御前山』 の山頂で写した写真はこれ1枚だけで、この山頂では風景を眺める余裕も無かった。

 だから、私もオバさんもこの山頂から見える風景は何も憶えていない。

 二人とも御前山の山頂をただ通過しただけである。(笑)





『御前山』 山頂の一角に案内標識があり、それに御前山避難小屋まで350mとの記載があった。

山頂から先は当然下りであるが、その下り坂部分には余り陽が当たらないようで?、かなりぬかるんでいた。

その坂道で滑ったり転んだりしたら、折角ここまで汚れなかった衣服が台無しになってしまう。

それで二人とも歩行が慎重になり、中々山小屋に着かなかった。


 この写真が 『御前山避難小屋』 である。

 眼前にこの小屋が見えた時は、本当にホッ!とすると同時に凄く嬉しかった。

 到着時刻は17時50分に近かった。 御前山から350mの下りを15分弱も掛かっていた。

 そして今朝8時20分に峰谷の浮橋を歩き始めてから、総合計で9時間30分の所要時間だった。

 その9時間30分の間に休憩した時間は30分位かも知れない?、後の9時間近くは歩き続けていたように思う。

 早速、山小屋の中に入ると誰もいなかった。 今夜はこの山小屋は私達の貸し切りのようだった。





今日の山歩きをまとめると、

          峰谷(8:20)〜25分〜登山口(8:45)〜1時間5分〜イヨ山(9:50)〜50分〜ヌカザス山(10:40〜10:50)〜25分〜

          入小沢ノ峰(11:15)〜55分〜三頭山中央峰(12:10〜12:15)〜15分〜昼食休憩(12:30〜12:45)〜25分〜

          鞘口峠(13:10)〜10分〜ひぐらしの路分岐(13:20)〜道迷い時間〜ひぐらしの路分岐(14:05)〜40分〜風張峠(14:45)〜35分〜

          月夜見山(15:20)〜45分〜小河内峠(16:05)〜1時間5分〜惣岳山(17:10)〜25分〜御前山(17:35)〜15分〜山小屋(17:50) で、

          万歩計は36931だった。(山小屋に着いた時の数字)


 山小屋に到着した時刻は前記のように17時50分で、まだ外は明るかった。

 しかし、山中では日が暮れるのは早い。

 私達はザックを山小屋の中に降ろすと、靴を脱ぎ山小屋にあったサンダルに履き替えて、早速行動する事にした。

 明るい内にまずする事は、明日の飲料水を作っておく事である。

 水場は山小屋の目の前にあったが、写真のようにチョロチョロしか出ていなかった

 湧水なら生水でも飲めるかも知れないが?、ここの水は地表を伝わって流れて来ているので、

 煮沸して使用しないと危険である。







 写真は翌朝に撮った写真だが、生水を沸騰させながら写真のように2リットルのお茶を作り、

 容器に入れて朝まで冷やしておいたのである。

 こうして翌日の飲料水を確保した。







 他に明るい内にしておく事は寝床の確保である。

 特に今晩は私達は宴会をしたら直ぐに寝る積もりなので、酔っ払ってからでは寝床は敷けないのである。(笑)

 山小屋は建築されてからそんなに年月が経っていないのか?、室内も写真のように大変綺麗で、

 広さは20畳位?で、布団は5組位?置いてあった。 しかし、敷き布団と掛け布団は真綿を使用してあるのか?

 湿っているのか?、どちらか良く分からなかったが凄く重たかった。

 それで私達は敷き布団だけは使用したが、上には毛布だけを一人に2枚ずつ使用し、その上には写真のように軽くて

 広い掛け布団だけを使用する事にした。



そして私達はシュラフの中に入り、その2枚の毛布の間に寝る段取りにした。

先程まではあんなに疲れていたのに、山小屋に着いた途端に二人とも疲れ等はどこかに吹き飛んで元気になった。 オバさんも忙しそうに動き回っていた。



山小屋の中は寒かった。 室内にある温度計を見ると9度だった。

それで明日使用する予定のブラウスや靴下等を重ね着し、そしてその上にゴアテックスの雨具を二人とも着込んだ。

そしてシュラフを出して何時でも寝れる体制を作った上で、今晩の夕食やツマミそしてウイスキーを広げた。



それから山靴を室外に置いておいて、夜中に動物が咥えて持ち去ったら、明日は山から下りれなくなる。

それで、泥だらけになっていた山靴をビニール袋に入れてから室内に取り入れた。

ここまでの作業をし終わった頃には外は暗くなっていた。



ここまでの作業を終えれば、これ以上はもう何もする作業は無い。 後は飲んで食べて寝る作業だけである。(笑)

それで二人とも頭にヘッドランプを着け、床には小さなキャンドルライトを燈しながら宴会を始めた。

板張りの床が冷たいので敷き布団を座布団代わりにして、昨夜買った巻き寿司や色んなオツマミを床に広げた。

そして室内が寒いので、二人ともお湯で割ったホットウイスキーをグイグイ!飲みながら、今日の出来事とか明日の予定等を話していた。



途中で明日の天気予報を聞こうか!と言う事になり、二人で携帯ラジオや携帯電話のラジオを操作したが、何故か?何も聞こえて来なかった。

この時は多分二人とも既に酔っ払っていたのだろう?(笑)



私はホットウイスキーを10杯近く?飲んで食べ、眠たくなって来たのでシュラフの中に入り、毛布の中に潜り込んだ。

少し暑いなー!と思った事は憶えているが、疲れと酔いの為に私は直ぐ爆睡したようだった。

オバさんも私が寝た後に直ぐ自分のシュラフに潜り込んで寝たようである。

私は少し酔っていた?ので寝る時に時計を見ていないが、多分8時位には寝たのではなかろうか?



このようにして 『奥多摩三山縦走』 の第1日目は過ぎた。





2007年4月14日(土曜日)  快晴  微風



普段私は1度寝たら朝までトイレに起きる事はない。

しかし昨夜はホットウイスキーを10杯近く?も飲んだ勢か、夜中に尿意を覚えて目覚めた。 枕元に置いていたヘッドランプで時計を見ると、3時40分だった。

山小屋と隣接するトイレに行き用を足そうとしたが、何しろ1番外には雨具のズボン、2番目には登山用のズボン、その下にはズボン下用のタイツ、

更にその下にはパンツと、4枚もはいている。

半分寝ぼけたままでチャックを2つ下げ、そして4つの狭い隙間から大事な大事な 『お宝ちゃん』 を紆余曲折させて摘まみ出すのはとても大変な作業だった。(笑)

(男性のこんな苦労は女性には到底分からないだろうなー・・・爆)



そのように大変苦労して小便を済ませて部屋に戻っていると、下の方の彼方に左写真のような街の灯りが見えていた。

東京の街の灯かなー?と思ってカメラに収めたが、少し手ぶれしたようである。(切腹!)

尚、右写真は翌朝に殆んど同じ場所から写した同方向の写真である。

トイレから部屋に戻った時に室内の温度計を見たら6度だった。

私は再びシュラフの中に潜り込み、また寝た。


次に私が目覚めたのは5時半だった。

外は既に明るくなっていて、窓越しに空を見ると上の右写真のように雲一つ無い快晴の空が見えた。

そして隣の寝床を見るとオバさんはまだグッスリ寝ていたので私は、『朝ですよ!』 と言って優しく起こしてあげた。(本当に寝ぼたれ!オバさんである)

起きてからは二人とも忙しかった。 寝床とシュラフの片付け、着替え、トイレ、歯磨きと洗顔、等である。

 それらが済んでからお湯を沸かした。

 そしてコーヒーを飲みながら写真のような、『ちまき』 と 『酒饅頭』 で朝食にした。

 朝食の時に、オバさんが昨日の深夜は物凄い雨風になり、ガラス戸がガタガタ!して外れそうで怖かった!と話した。

 しかし私は爆睡していたので、そんな事は全く気付かなかった。

 最近私は眠りが少し浅くなったように思うが、昨日のように疲れた上に酔っ払って寝たら、まだ爆睡するようである。

 もしそんな風に爆睡している時に強盗が入ったら、私は殺されてから初めて気付くだろうなー!と思った。(笑)

 そして朝食が済んでから、全ての荷物をザックの中にパッキングし直した。



下の左写真は山小屋を裏から写したものである。 手前側の別棟がトイレである。 トイレは二人とも使用させて頂いたが、綺麗で清潔だった。

右写真は山小屋の入り口部分である。

私達はこの山小屋を無料で利用させて頂いたので、最後に一宿一飯の義理と言うより感謝の気持ちを込めて室内を綺麗に清掃し、

入り口以外を全て施錠してから山小屋を出発した。

出発した時刻は7時ジャストで、万歩計も 『0』 にリセットしてから第1歩を歩き始めた。



 写真は山小屋から5分弱ほど歩いた所にある案内標識である。

 文字が見辛いので説明すると、

          右方向には(御前山=15分、月夜見山=1時間50分、三頭山=3時間40分)、

          左方向には(鋸山=50分=3.1km、大岳山=2時間30分、御岳山=3時間40分)と書いてある。

 この案内標識を見て分かるように、この御前山の避難小屋は 『三頭山』 と 『御岳山』 とのちょうど中間地点にある。

 しかし奥多摩地区のガイド本を読むと、この山域には他にも幾つもの避難小屋があると紹介してあった。








 この付近の登山道は尾根筋にあり、グングン!下って行くのだが、山小屋から10分ぐらい歩いた所で

 ふと下の方を見るとそこには写真のように奥多摩の森から生じる水蒸気が白く立ちこもり、幻想的で凄く綺麗だった。

 私達はそんな奥多摩の森の風景を登山道の両サイドに見ながら暫らく歩いていた。












 この標識は山小屋を出発して30分歩いた所にあった標識だが、その標識には 『クロノ尾山』 との記入があった。

 後でこの山の標高を調べてみると、1170mだった。











 上の 『クロノ尾山』 から植林と自然林とが混じる登山道を更に20分ほど歩くと写真のような

 『鞘口山=さやぐちやま=1142m』 の山頂標識のある場所に着いたが、山頂と言うような雰囲気は全くなかった。

 尚、案内標識のように、ここは 『御前山』 からは1.9kmの距離で、『大ダワ』 まではあと900mである。

 ここへの到着時刻は7時50分だった。











 上の 『鞘口山』 から10分ほど歩いた所の登山道の両サイドには、写真のようにカタクリの葉が沢山あった。

 まだ蕾も全く無かったが、開花時期にここを歩けば綺麗だろうなー!と思いながら歩いていた。








『鞘口山』 から約25分で舗装林道の広くなった場所に出た。 ここが 『大ダワ』 と呼ばれている峠である。 この峠に到着した時刻は8時15分だった。

そこの広場には下・左写真のように2台の車が駐車していたが、その内の1台は林業関係者の車かなー?と思った。 尚、この広場には写真のようにトイレがあった。

そしてその広場の一角には右写真のように、この峠の 『標高=994m』 の標識と 『大岳山』 への案内標識等があった。






 私達は案内標識に従って、『大岳山』 への登りを歩き始めた。

 そして、15分ほど歩くと写真のような案内標識があった。

 記入文字が見辛いので説明すると、『大岳山=3.0km、御岳山=7.1km』 とあった。







 上の標識から2〜3分進んだ登山道を歩きながら、私は何とはなしに右の方を見た。

 そうしたら樹木やその枝の間から、遠くに白い物がチラッ!と見えた。

 一瞬、『あれは何だ?』 と思ったが、次の瞬間にはあれは 『富士山だ!』 と直ぐに理解した。

 そして理解すると同時に、私はオバさんに 『富士山が見えるー!』 と大きな声で叫んでいた。

 そこから少し歩いた所に少し大きな岩があって樹木が無い所があった。

 私はその岩に乗り、その岩から少し身を乗り出すようにして写真を何枚も撮っていた。

 その時私は少し興奮していたようで、後ろから 『興奮して岩から落ちないでよー!』 と言う

 オバさんの声が聞こえていた。(笑)

 私は久し振りに見る、冠雪した秀麗の富士山だった。

 やはり富士山には冠雪した姿が良く似合うと思う。





 その後は、前を見て3歩歩いては、次の2歩は樹木の間に見える富士山の姿を見ながら歩くような状態だった。(笑)

 そんな風にして10分ほど歩いていたら、写真のような標識があった。

 その標識を見ると 『鋸山=のこぎりやま=1109m』 は左の方にあって、私達は既に通り過ぎたようになっていた。

 地図を見ると、『大ダワ』 の少し先に 『鋸山』 があるようになっている。

 どうやら私達は右の方に見える富士山の姿ばかりを見ながら歩いていたので、

 『鋸山』 の山頂標識を見落としたようだった。

 もしかしたら、『鋸山』 の山頂標識は登山道の左側に設置してあったのかも?知れない。(笑)









 その後の登山道は写真のような風景の所が多かった。














 上のような登山道を暫らく歩いた後には、小さな岩の多い急登になりそこには写真のように鎖場があった。

 そのような場所が10分近く?続いたように思う。








 上写真のような鎖場の少し先が 『大岳山=おおだけさん=1267m』 の山頂だった。

 到着時刻は9時50分で、『大ダワ』 から1時間35分掛かっていた。

 山頂部分は結構広かったが、誰も居なかった。

 広場には壊れかけた古いベンチが1台しかなく、私達はそこに腰掛けて行動食を食べ、喉を潤した。

 この山頂部では15分ほど休憩した。 山頂部からは180度位の展望で、富士山も良く見えていた。

 しかし私達がこの山頂部にいた時間には、富士山に次々と雲が掛かった。

 私は山頂でカメラを構えながら暫らく富士山を見ていたが、先程のように綺麗に見える事は遂になかった。(涙!)



『大岳山』 から下りる時も、暫らくは岩の多い急坂だったが、そこを下りている時に初めて登って来る単独の中年男性登山者と出会った。

更に下りていると、短時間の内に夫婦連れ?の登山者や少人数のグループ等に連続して出会った。

『大岳山』 の山頂から10分ほど下りると、下・左写真のような 『大岳神社』 のある広場に着いた。

私達は今回の登山や旅行の安全等を願って参拝した。 尚、右写真は 『大岳神社』 に参拝するオバさんです。






 『大岳神社』 の広場前には古い建物があったが、それがガイド本にも紹介してある民間の 『大岳山荘』 だと思う。

 本やインターネット等で紹介してあるように、古い山荘だなー!とオバさんと話しながら少し歩いていると、

 樹木の間から古い山荘の後ろに、写真のように立派な山荘を建設中?なのが見えた。







この付近を歩いていた時刻は10時半頃だったが、次々と登って来る登山者と擦れ違った。

単独の老若男女や様々なカップル、3〜5人位の少人数グループから30人位の大人数グループまで、沢山の登山者と擦れ違った。

ガイド本にも書いてあったが、この 『大岳山』 は東京ではかなり人気の高い山のようである。

その付近の登山道は下写真のように広くて歩き易く、そんな登山道脇の日なた部分には多くの花が咲いていた。


私達はそのような緩やかな下りの登山道をルンルン気分♪で歩きながら、花を見掛けると写真に撮っていた。

下の写真がそんな登山道脇に咲いていた花達である。

尚、今回はそんな花達の花名を調べる時間が無かったので、良く分からない花名は省略する。

スミレー3
スミレー4
スミレー5

?−2
リンドウ
キケマン?

?−3
タンポポ
?−4

ところで私達は今日の天気予報をまだ知らなかった。

昨夜はラジオを聞けなかったので、私達が知っているのは山歩きに出発する前日の夜(12日)の天気予報だった

その時の天気予報では13日は晴れ後曇り(だったと思う?)で、14日は曇りで午後からは小雨が降るかも知れないと言っていた。

それで今日の天気予報を聞こうと思って、その付近で単独で登って来る中年の女性に尋ねてみた。



そうしたら今日は1日中晴れで、雨の心配は要らない!との事だった。

それから昨夜は平地でもかなりの雨が降ったとの事だった。

その女性の方も山好きで花好きのようで、5分程それらの話をした。

そしてその方は、ここから少し下りた所の土手の上の方にカタクリの花が咲いていますよ!と教えてくれた。

分れ際に、私達は九州からこの奥多摩三山を登りに来ているのですよ!と言ったら、大変驚いてあった。

その方には、東京の山も良かったけど九州の山も大変素晴らしいので是非登りに来て下さい!と言って別れた。

 カタクリはそこから10分ほど下りた所の土手の上の方に咲いていた。

 そのカタクリは最初は土手の上の方にポツンポツン!と1本ずつ離れて咲いていた。

 写真のようにかたまって咲いている所が1ヶ所だけあったが、それも土手のかなり上の方に咲いていた。

 写真は私のデジカメでは最高性能である3倍ズームにして撮ったものである。

 土手は高くて、下の方は70度近い急勾配なので、とてもその土手を登ってカタクリの近くまで行く事は出来なかった。

 しかし先程の女性から教わらなかったら、私達はその土手の上の方にカタクリが咲いているとは

 とても気付かなかっただろう。(改めて感謝!)









 カタクリ自生地から20分ほど下りると、写真のように大きな杉があり、その杉には 『天狗の腰掛け杉』 との説明版があった。

 尚、この場所で登山道は分岐しており、この杉の後ろ側を通る登山道を辿ると、

 『御岳神社・奥の院』 経由で 『大岳山』 に登れるようだ。










上の杉から更に10分ほど歩くと、『御岳長尾平園地』 との案内標識がある場所に着いた。 ここに到着した時刻は11時45分だった。

ここの入り口部には小さな茶店があり、その茶店の年配の女性の方が現在小鳥に餌付け中らしかった?

その年配の女性は餌を手に乗せて小鳥を呼び寄せてあったが、私達が見ている間には小鳥は1匹も飛んで来なかった。(残念!)

『御岳長尾平園地』 は下・左写真のように奥に細長く続いていた。 私達はその1番奥まで歩いてみる事にした。

1番奥まで200m位?有ったように思うが、その両脇には写真のようなベンチとテーブルが幾つも設置してあり、そこでは沢山のハイカー達が昼食中だった。

1番奥には右写真のような東屋があり、そこでも数人の人達が昼食中だった。

そこで昼食中で私と同年代の男性の方に、そこから見える景色を教えて頂いた。



それによると、東屋の先の方に見える方向が東京との事だったが、その時は写真のように少し霞んでいたので、ハッキリとは見えなかった。

私達もその近くのテーブルに陣取り、昼食を食べる事にした。

お湯を沸かし、コーヒーを飲みながら、残っていた 『酒饅頭』 や 『パン』 を全て平らげて昼食にした。






 『御岳長尾平園地』 で45分ほど昼食休憩して再び下り始めたが、

 5分ほど歩くと写真のような階段があり、そこを登る人達が多かった。

 それで、好奇心旺盛な私はそこにも立ち寄る事にした。







上のような階段を幾つか登ると、下・左写真のような神社があった。 そこは 『武蔵御嶽神社』 だった。 

境内には結構人がいて皆さんが参拝していたので、私達もそれに習って参拝した。

境内の一角に晴れた日には、ここからはこんな景色が見えますよ!と、右写真のように大きな風景写真があった。

その中で、私が知っている山名は 『男体山』 と 『日光白根山』 だった。




 『武蔵御嶽神社』 に20分ほど寄り道してから、舗装された参道を歩いていたが、

 その参道沿いには写真のような宿坊、旅館、民宿、土産物店等が数十軒、軒を連ねていた。

 この 『御岳山』 は、昔は山岳信仰の霊山として栄えたようである。

 そして現在はケーブルカーで誰でも簡単に登れるようになり、かなり観光地化しているようだった。

 私は福岡県にある 『英彦山=ひこさん=1200m』 に良く似てるなーと思った。





その後も狭い参道を歩いていると、その参道の石垣部分に下写真のような花が咲いていた。

私達は初めて見た花だったので、何と云う花かなー?と話しながら歩いていた。

そうしたらビジターセンターがあったのでそこに寄り、花名を教えて貰う事にした。

職員の方に先程撮ったデジカメ画面を見せると、直ぐに両方の花名が返って来た。

左の花は 『ショカッサイ』 で、この花は中国からの帰化植物で、江戸時代には各家庭で栽培され、その後にその花は全国に広がった!との説明もして貰った。

そして青梅線の各駅や沿線には現在沢山咲いていますよ!と云う事だったので、帰りの青梅線の電車に乗った時に気を付けて見ていると、

沿線にこの花が群生している所が何ヶ所もあった。

右写真の 『アズマイチゲ』 の花名は良く聞くし、本やテレビ等でも見た事は有ったのだが全く記憶には残っておらず、実物を見たのは勿論初めてだった。

ショカッサイ
アズマイチゲ

そしてその職員の方は、このビジターセンターから少し登った所に現在カタクリの花が沢山咲いていますよ!と教えてくれた。

私達は早速そこに行ってみる事にした。 そこはビジターセンターから5分ほど登った所にあった。

小高い所に東屋があり、その東屋の前にカタクリが群生していた。

そこには一眼レフの高級デジカメを持った方が既に二人いて、その二人とも地面に腹這いになってカタクリの花を接写していた。

私も格好だけはその方達に負けないように腹這いになり、私の場合は安物のコンパクトデジカメでパチリ!パチリ!と撮りまくった。(笑)

『大岳山』 から下りて来る時にもカタクリの花は見たが、その時は土手の上の方にあったので近付く事が出来なかった。

しかしここでは直ぐ間近かに見る事が出来たのである。 私はカタクリの花が好きな事もあってとても嬉しかった。

カタクリの花の群生
カタクリの花と蕾
カタクリの花のアップ


 カタクリの花の撮影の為に20分ほど寄り道をしたが、私達は予定通りに御岳駅まで歩く事にした。

 御岳山・山頂部から麓の滝本まではケーブルカーがあり、それに乗れば6分で下りれる事は知っていた。

 しかしその時も私達はまだ、今回計画した全行程を自力で歩く積もりでいた。

 写真がケーブルカーの乗車駅である 『御岳山駅』 へ向かう道と歩道(車道)との分岐点である。

 標識の文字が小さくて見辛いが 『滝本駅=2.9km、JR御岳駅=5.7km』 と書いてあった?

 この分岐点を歩き始めたのは13時40分だった。






 歩く道路は写真のように狭いが、コンクリートで舗装してあった。

 そして道路の両脇には樹齢数百年と思われるような大きな杉があり、その杉には1番から番号札が付けてあった。

 その道は車道でもある。 先程 『武蔵御嶽神社』 の参道を下りて来る時に途中で道路工事をしていた。

 それでその工事現場にセメントを運ぶ為に、それを積んだ軽トラックが引っ切り無しに往復していた。

 その軽トラックが通る度に、私達は道路脇に避けていた。








 そんな道路の途中で、写真のように青々とした 『シャガ or キツネノカミソリ?』 の葉を数ヶ所で見掛けた。

 私達は、それらの花が咲くのは何時頃だろうねー?等と、話しながら歩いていた。

 それからこの付近を下りている途中で、ザックを背負って歩いて登る数人の登山者に出合った。

 私達は下りだからまだ楽であるが、このダラダラ坂を登るのは大変だろうなー!と思った。











 それから、下りる途中では写真のようにケーブルーカーの線路近くを通る事があった。

 写真はそんな時に写したものだが、ミツバツツジがちょうど満開で綺麗だった。











 ここが歩道の終点(登る時は始点)である。

 この写真の直ぐ前は、ケーブルカーの始発駅の 『滝本駅』 である。

 ここに到着した時刻は14時半だったので、2.9kmの下りを50分も掛かっていた。

 尚、大きな杉に付けてあった番号札はこの杉が最後のようだったが?、787番だった。






下の左写真が 『滝本駅』 だが、この時は観光バスも来ていた。

右写真はケーブルカーの運賃表だが、約1100mの距離を6分で登るそうである。

ケーブルカー滝本駅
ケーブルカー運賃表


 私達は御岳山から滝本駅まで舗装道路を50分歩いて来て、これ以上舗装道路を歩く事にウンザリしていた。

 それで滝本駅のベンチに座って、緊急のサミット会議を開いた。

 計画では御岳駅まで歩く積もりだったが、『ここは臨機応変に対応しようではないか!』 と言う事になった。

 そして両首脳と云うか軟弱登山隊の考えは直ぐ一致し、『予定を急遽変更して御岳駅までバスに乗る!』 との

 結論が出た。 歳を取ると一度決めた事を頑なに実行する人がいるが、

 読者の皆さんは私達を見習って柔軟な考えを持って欲しい!と思う。(爆)





そう云う事で、今日の山歩きはこのバス停留所で終了したので、本日のまとめをしてみる。

         山小屋(7:00)〜35分〜クロノ尾山(7:35)〜15分〜鞘口山(7:50)〜25分〜大ダワ(8:15)〜1時間35分〜大岳山(9:50〜10:05)〜10分〜

         大岳神社(10:15)〜1時間30分〜御岳長尾平園地(11:45〜昼食休憩〜12:30)〜5分〜御嶽神社(12:35〜12:55)〜5分〜

         ビジターセンターとカタクリ自生地(13:00〜13:35)〜5分〜ケーブル駅との分岐点(13:40)〜滝本駅(14:30)〜5分〜バス停留所(14:35) 、

         万歩計は32328だった。(バス停留所に着いた時の数字)



今回、私達の山歩きの出発地である峰谷から、終点である御岳駅までの距離は約30km有ると思う。

ここまで書いて来たように、私達はその距離を2日間掛けて縦走した。

しかしこの 『奥多摩三山縦走』 を事前にインターネットで調べていると、その全行程を1日で歩き通した人もいた。 凄い健脚の人達である。(驚)





初めて東京の山歩きをしてみて、九州の山と少し異なる点に気付いたので、その事を少し書いてみようと思う。

まずビニールテープやリボン等を殆んど見掛けなかった事が印象に残っていた。

この2日間で私達は30km近く?の山道を歩いたと思うが、その間に見掛けたテープやリボンは3〜4ヶ所位?だったと思う。

登山道は良く整備されていたので、途中で登山道が分からずに道を探すような所は1ヶ所も無かった。

その様に登山道が良く整備されている勢もあるが、要所要所には案内標識が完備されていたのでこちらの山ではテープやリボンを付ける必要が無いのかも知れない?



しかし、それにしても九州の山では余りにもテープやリボンが多すぎると思う。

九州の山の酷い所では同じ場所に幾つものテープやリボン等の目印が付いている。

私はそんな場所に出くわすと、『汚いなー!、九州の恥だなー!』 とさえ思う事がある。

前の目印がまだ見えているのに、もう次の目印があると言う所も余り珍しくはない。

そして1本道なので絶対に間違えようのない所や案内標識が設置されている所にさえも、幾つもの目印を見掛ける時がある。

そんな幾つもの目印は濃霧の時であれば少しは役に立つ時が有るかもしれないが、しかしそんな濃霧の時は霧が晴れるまで動き回らない方が良いのである。

余りにも目印が目に余る時に私は、いっその事目印をやめて登山道全体に1本のロープを張った方が見た目もスッキリするし、また道迷いも無くなるので、

そちらの方が返って良いのではないか!と思う事すらある。



そのような九州の山の過剰な目印の数に比べると、東京の山はスッキリしていた。

しかし山道から道路に出て、どっちの方向に進めば良いか?迷う所が数ヶ所あったので、そのような案内標識の無い所だけには逆に目印を付けて欲しいと思った。

誤解が生じるといけないので念の為に書いておくと、上記九州の目印の事は登山道がハッキリしている所や案内標識が設置してある場所に関して言っているのである。

ブッシュ化して登山道がハッキリしていない所や、分岐している道があるのに案内標識が無い場所等はまた別である。

私もそのような所ではテープ等の目印に何度お世話になったか分からない。(感謝!)



その他に東京の山で気付いた事は、山頂で私標を全く見掛けなかった事である。

私は九州の山頂には私標も多すぎると思っている。

九州では樹の幹や枝に登山した日付や名前を記入したプレートが幾つもぶら下がっていて、見苦しく思う。

酷い所では行政等が立てた立派な山頂標識があるのに、その根元に小さな私標を立てていたり、その山頂標識に私標を付けている所もある。

また目に余るのは学校行事で登った時に、その記念として全員の名前を記入している大きな記念プレートである。

記念プレートや私標を立てたい気持ちは私も分からないではないが、止めて貰いたいと思っている。



私は何ヶ所かの山で見た事があるが、そのような私標を設置する場所を行政等が整備した上で指定すれば良いと思う。

私標を設置する場所を1ヶ所に指定してまとめるのである。 それは神社で、おみくじや絵馬を結び付ける場所を指定しているのと全く同じである。

私標を設置する人は、どの山頂にも登った人全員が私標を設置すれば、どうなるかを考えて欲しいと思う。

私は物事の良し悪しを判断する場合に、皆がそれをすればどうなるか?、逆に皆がそれをしなければどうなるか?、を判断要素の一つにしている。

勿論、それだけで全てを判断する訳ではないが、判断基準の一つになるのでは?と思っている。

しかし山頂標識が無い山頂に私標を設置する事は構わないと思う。(但し、既に私標がある場合は、後の人は最初の人に敬意を払って設置する事を遠慮して欲しい!)

以上が今回東京の山を初めて歩いてみて、私が気付いた事と思った事である。



それにしても今回は東京でお天気に恵まれた。

全くの偶然と幸運以外に何も無いとは分かっているが、もしかしたら私は本当に晴れ男ではないか?と思った。(笑)

上京する3日位前から東京の天気予報はあまり良くなかった。

上京する前日の天気予報では11日〜15日間は全部の日の午前か午後のどちらかに傘マークが付いていた。

東京で私達が山歩き出来る日は子供の授業の関係で、13日〜14日しかなかった。

それでホテルを予約する場合に、13日だけは宿泊の予約をしていなかった。

13日〜14日に山歩きが出来た場合は、山小屋に泊まる積もりだったからである。



しかし13日〜14日が雨予報で山歩きが出来ない場合には、観光バスで東京近郊へ1泊2日のミニツアーに切り替えよう!とのサブプランを持っていた。

しかし東京のホテルで見た12日夜の天気予報で、13日は晴れ後曇りで14日は午前中は曇りで午後から小雨が降るかも知れない!との事だったので、

山歩きを実行する事にしたのである。

しかし幸運な事に14日の天気予報は外れて、当日は朝から雲一つ無い快晴になった。

結局、東京滞在中の雨は上京した当日(11日)の夕方にほんの少しの時間だけ小雨が降っただけだった。 本当にお天気に恵まれ、ラッキー♪だった。



今回の山歩きは私達にとっては少し強行軍のところもあったが、前記したようにお天気にも恵まれたお陰もあり、ほぼ計画通り無事に歩き通す事が出来た。

そして思いがけずに、冠雪した美しい富士山の姿を見る事が出来た。

そしてその上に私の好きな花の一つである、カタクリの花に初めて出合う事も出来た。

このように今回の山歩きは大変充実していて内容の濃いものになり、私達にとっては記憶に強く残る山歩きになった。







 ケーブル下停留所から青梅線の 『JR御岳駅』 まで、2.8km間をバスは約10分で走った。 料金は270円だった。

 この写真が 『JR御岳駅』 である。 この駅から乗る登山者は10人近くいた。

 その中に大きなマットレスのような物を背負っている若者がいたので、それは何ですか?と訊いてみた。

 そうしたらそのマットレスのような物は岩場の下に敷き、岩登り中に万一落ちた時の緩衝物との事だった。

 この御岳駅の前に多摩川が流れているが、その一角にフリークライミングに適した岩場がある!との事だった。





滝本駅を15時23分に発車する電車に乗った。

その時間帯には立川駅から快速電車が走っていたので、割りと早い時刻に飯田橋に着いた。

私達は今日も少し疲れていたし、ホテルで風呂に入った後に着替えて外に食事には行きたくなかった。

それでホテルに着く前にスーパーマーケットに寄り、握り寿司とツマミ類と缶ビールを買ってからホテルに帰った。

そして入浴後にテーブルにそれらを並べ、『奥多摩三山縦走』 を計画通り無事に終えれた事を祝って二人で乾杯した。

少し疲れていたのと酔いの為に、二人とも9時前には其々のベッドに入って爆睡した。

このようにして、上京4日目である14日は過ぎて行った。

 
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