九重連山(星生山〜中岳)



2006年3月5日  快晴  冷たい強風


今日は久し振りに山歩きに行く事にした。 膝を痛めてからは近くの山裾等を歩いたりしていたが、それはリハビリの為の歩きで、山歩きと呼ぶには程遠かった。

その間にネットフレンド等からは雪解けの様子や早春の花便り等も届いたりしていたので、最近は山に行きたくてウズウズしている処だった。

自分の膝には、『十分休養させたし、そろそろ活躍し始めても良いのではないかい?』 と、何度も問い合わせをしていた。

そうしたら膝から、『モ〜! しょうが無いな〜! 余り無理せずにゆっくり歩くなら許しても良いよ!』 との返事を貰ったので、山歩きに行く事にしたのである。

行きたい山の候補は沢山有ったが、出発可能時刻や所要時間などを考えて 『阿蘇山』 と 『九重連山』 の2つが最終候補に残った。

オバさんと前夜遅くまで協議の末、くじゅう連山でまだ歩いた事のない 『星生新道』 を通って 『星生山=1762m』 に登ってみようと言う事で意見の一致をみた。

オバさんとは他の事 (食べ物の好みや他の趣味等) に付いては中々意見が合わないが、山の事に関しては不思議に意見が合う。(大概、気弱な私が折れるからね〜!)






 写真の様にくじゅう連山の山容や硫黄山の噴煙が前方に見えてくると、やはり気が急いた。

 2〜3日前の寒の戻りで、山には薄っすらと雪が積もっている様である。









 今日は大曲峠から登る積もりなので長者原を通過したが、その時に長者原の駐車場を見ると

 何時もは満杯の駐車場には数えられる程しか駐車しておらず、そんな状態を初めて見たので少し驚いた。

 牧ノ戸峠への道を登り始めたが、心配していた道路凍結は無く、路肩に2〜3cm位の雪が残っている状態だった。

 大曲峠の駐車場に着いたが、既に十数台が駐車していて満杯だった。

 仕方なくUターンして、写真の様な道路の広くなった駐車帯に駐車した。

 私達がそこに駐車した時は既に数台の車がいて其々2〜3人の人達が身支度したり歩き始めている処だった。






 私達も急いで身支度をし、歩き始めたのは9時30分だった。

  『星生新道』 の入り口は大曲峠の駐車場から道路を50m位上った所の左側に在る。

 写真の様に入り口の標識は無かったが、少し入った所に赤テープが有った。

 私達はその付近に 『星生新道』 入り口が在る事を知っていたし、今日は積雪の為に足跡が残っていたので

 直ぐ分かったが、普通はそこに 『星生新道』 の入り口があると気付く人は余りいないのでは?・・・と思う。







 『星生新道』 は他の登山道に比べると狭く、また最初から急登だった。

 その登山道は写真の様にミヤコザサを踏み付けた道で、今日はその上に積雪しているので非常に滑り易かった。

 そんな登山道の周りは葉っぱが全部落ちたウツギやネジキ、ドウダンツツジ等の潅木が多く、

 それらの幹や枝を握りながら上って行った。

 この 『星生新道』 はドウダンツツジの咲く頃は、綺麗な花のトンネルの下を歩けるのではないか?・・・と思う。









 急登を10分ほど登ると写真の様に開けた場所に出た。

 そして行く手に小ピークが見えるので、そのピーク以降は緩やかな登りになるのかな?と思ってそこまで行くと、

 何故かそこから先も急登で、そんな事が3回位?あった様に思う。







上り始めて30分位すると下・左写真の様に、今度はアセビの樹が多くなった。 右の写真は現在のアセビの蕾の状態である。








 そこで後ろを振り返ったら、下方に長者原の 『たで原湿原』 が見えていた。









 そんな所から更に20分ほど登ると 『乳首岩』 と呼ばれている大きな岩部に着いたが、

 その付近からは 『星生山』 の山頂とそこに至る登山道が見えていた。

 これまでの登山道の雪上には割と新しい登りと下りの足跡を少し見掛けていたので、

 登山者の姿を探したが1人の登山者も見えなかった。

 大曲峠に駐車した人達はどうやら 『星生新道』 は通らずに、

 硫黄山道路を歩いて 『すがもり越』 経由で登っているのだな!と思った。

 もしかしたら今日 『星生新道』 を上ったのは私達だけかも?・・・と一瞬思ったが、



私達よりずっと早い時間に上った人達がいるのだろう!・・・と思う。

『乳首岩』 付近からはミヤマキリシマが多く目に付く様になった。

下の左写真はそんなミヤマキリシマの群生地だが、後方に見えている山は 『三俣山=1745m』 である。

尚、右の写真はその日のミヤマキリシマの蕾の状態だが、まだ固く閉じていて枯れた様な色だった。







 又その付近の登山道では、日陰部分の所々に写真の様な霜柱が残っていた。

 しかし霜柱が融けた所では道がぬかるんでいて、大変歩き難かった。








それから、その付近では下写真の様な小さな檜?やコケモモの葉を数多く見掛けた。







 そんな所から北西方向を見ると、『黒岩山=1503m』 から 『泉水山=1296m』 への連なりと、

 その後方には 『湧蓋山=1500m』 の山頂部が少しだけ見えていた。








そこから更に20分ほど登った付近の樹には下の左写真の様な霧氷があった。

右写真は日なた部にあった霧氷のUPだが、枝との接着部分は薄くなって透き通り、今にも枝から剥がれ落ちそうだった。








 又、その付近から下方を見ると 大曲峠の駐車場や 『たで原湿原』、『飯田高原』 等が綺麗に見えていた。









そこから更に20分ほど登った所が下・左写真の様な 『星生山=1762m』 の山頂だった。 時刻は11時15分だったが、山頂には誰もいなかった。

尚、山頂標識の左後方に見える山が 『大船山=1786m』 で、右端に見える山が 『中岳=1791m』 である。

それから右写真の様に、山頂標識に取り付けてある温度計は2℃だったが、風が強かったので体感温度は氷点下だったと思う。







 左写真は 『星生山』 から 『星生崎』 に向かう途中に写した 『硫黄山』 の噴煙で、後方は 『三俣山』 である。

 『星生山』 から 『星生崎』 への登山道は岩場の連続で、危険な所もあり大変歩き難かった。














  『星生崎』 には11時40分位に着いたが、この写真は 『星生崎』 から 『西千里浜』 方面を写したものである。












 左の写真は 『星生崎』 から 『久住分れ』 に下りる途中にある岩であるが、

 私には親亀の背中に小亀が乗っている様に見えて面白かったので写真に撮った。

 しかし、オバさんは恐竜の頭に見えると言っていた。

 この 『星生崎』 付近ではコケモモがかなり目に付いた。








 この写真は 『久住分れ』 にある 『避難小屋』 と 『バイオトイレ』 だが、私は両方とも新しく建て直ってから

 入った事がないので、ちょっと覘いて見る事にした。

 『避難小屋』 の真ん中には大きなテーブルがあり、そのテーブルの周りでは10人位の人達が昼食中だったが、

 私は 『避難小屋』 の室内は以前の小屋より狭い様に感じた。

 『バイオトイレ』 はオバさんが利用したが、思っていたほど綺麗ではなかったと言っていた。







 『久住分れ』 から先はどのルートを歩くか決めていなかったが、『久住山』 には前回の登山時に登っているので、

 今回は 『中岳』 に登る事にオバさんと直ぐ意見の一致をみた。

 それで中岳方向に歩いていると 『天狗ヶ城』 と 『御池=みいけ』 との分岐で会った下山者の人が、

 『御池』 が凍り付いて、そこでスケートをしている人がいますよ!と教えてくれたので、急いで 『御池』 に向かった。

 『御池』 に着くとスケートをしていた人が、スケート靴をザックに仕舞っているところだった。








 早速その人に話しかけてみると年齢は私より少し若い位で、その人は 『御池』 が凍結すると良く滑りに来るそうで、

 2月にも 『御池』 で滑りました!と言ってあった。

 スケート靴を見せて貰ったがアイスホッケー用の靴との事だった。

 今日は陽が射して氷が少し融け始めたので止めたそうだが、沢登り用の靴を履いてあった。










 そしてその人はその靴を履いたまま両足を全然上げずに、左右の足を前後に滑らせる様な要領で

 器用に氷の上を歩き(滑り?)、私が写真を何枚か撮る間に池の向こう岸に辿り着いてしまった。

 私も氷の上でその動作を少し真似してみたが、コケそうになり直ぐ止めた。










 この写真は 『中岳=1791m』 の山頂標識だが、 中岳山頂に着いたのはちょうど1時だった。

 山頂には5人の人達がいたが、食事中の人もいた。

 下方に見えるのが 『坊がつる』 のキャンプ場で、その後方の山は 『平治岳=1743m』 である。

 その 『平治岳』 の左後方には薄っすらと 『由布岳=1583m』 が見えていた。






 中岳山頂は風が強かったので、少し下の斜面で風が弱い所を探し、昼食を食べる事にした。

 お湯を沸かし、インスタント味噌汁をすすりながら弁当を食べた。

 弁当を食べ終わり、前方の彼方に見える 『由布岳』 等を見ながら食後のコーヒーを飲んでいると、

 私は毎朝見ているNHKの連続ドラマ 『風のハルカ』 を思い出したので、 

 オバさんに 『ハルカは誰と結婚すると思う?』 と、訊いてみた。 

 (連続ドラマは時間を束縛される様な気がして、私は今まで見た事はなかったが、今回のドラマは 『由布岳』 が

 舞台だったので最初の2〜3回だけ!と思って見始めた処、すっかりハマッテしまい今は毎朝楽しんで見ている)



しかし、その放送時間帯はちょうど子供の登校時間と重なるので、オバさんは毎日所々しか見ていないが、

『結論を出さずに、視聴者の判断にまかせる様な結末に成るのでは?・・・』 との予想だった。

私は 『ハルカさんは猿丸さんと結婚するのでは?』、そして 『お父さんはまたお母さん(木綿子さん)と元の鞘に納まるのでは?』 と予想しているので、

今後の展開と結末が楽しみである。(笑)

そんなバカ話で盛り上がりながら中岳山頂で45分ほど昼食休憩したので、『天狗ヶ城=1780m』 経由で下山する事にした。

下の左写真は 『天狗ヶ城』 に向かう途中に、眼下に見えていた先程の 『御池』 の全景写真である。

右の写真は 『天狗ヶ城』 の山頂標識で、そこにはちょうど2時に着いた。 尚、後方の山は 『三俣山』 である。


この後の下山ルートは 『すがもり越』 経由にするか 『牧ノ戸峠』 経由にするか、まだ決めていなかったが、 『天狗ヶ城』 から 『久住分れ』 に向かう途中で

下方に見える 『北千里浜』 を見ると、『北千里浜』 に直接下山できるのでは?と思える様な谷筋が何ヶ所かあった。

現在、『中岳』 から 『すがもり越』 経由で下山する場合は 『久住分れ』 まで一旦下り、そこから 『北千里浜』 を通る道しか地図には無い。

しかし、『中岳』 から 『久住分れ』 への下山途中に 『北千里浜』 に直接下山するルートが有れば、かなり時間が短縮出来るのでは?と思う。

しかし地図上にそのルートの記載が無いと言う事は、そこは落石し易い等、何か危険な所が有るのだろうか?

後刻 『北千里浜』 を通った時に下からも見てみたが、そんなに危険な所や急峻な所は無い様に見えたのだが?・・、知っている方には教えて欲しい!と思っています。




 そんな事を思いながら 『久住分れ』 に着き、どちらのルートにするか迷ったが、

 私の膝の事を考えて距離や所要時間も少ないと思える 『北千里浜』 〜 『すがもり越』 経由で下山する事に

 またもやオバさんと意見が一致した。

 『北千里浜』 への下山ルートには左写真の様に黄色のペンキが岩にずっと塗られているので

 初めての人でも迷う事は無いと思う。 しかし、『北千里浜』 へ下りるまではかなり歩き難い。










 『北千里浜』 に下りると、今度は写真の様なケルンが沢山作られているので、ここもまた迷う事は無いと思う。















 この写真は 『北千里浜』 から写した 『硫黄山』 の噴煙である。














  『北千里浜』 の中央部に近い所で、最も低い部分には雪が帯状になって残っていた。

 そしてその雪上には写真の様に、小さな動物の足跡?が沢山残っていた。













 その帯状の雪の先端まで歩くと、写真の様に綺麗な雪解け水が流れていた。

 手を洗うと当然の事であるが、もの凄く冷たかった。(これが温泉だったら足湯が出来て凄く嬉しい♪けどネ〜笑)













 左写真は 『すがもり越』 と 『坊がつる』 との分岐標識である。

 ここから 『すがもり小屋』 までは写真の様なガレ場の急登で歩き難く、私はそこで足に少し疲れが出た。








上の分岐標識から10分ほど登ると、下の左写真の様な 『愛の鐘』 がある 『すがもり小屋』 に着いた。

その 『愛の鐘』 の後ろには右写真の様な 『歌碑』 があるが、字を崩してあり良く読めないので、翌日 『歌碑』 や 『愛の鐘』 に付いて持っている書籍やインターネット等で調べてみた。

そうすると現在の 『愛の鐘』 は3代目で、初代の 『愛の鐘』 は昭和37年(1962年)に初日の出登山で大遭難事故 (2パーティの9人が遭難し、7人が死亡) が

発生した後に 『月星ゴム』 の元副社長婦人の倉田さんが遭難再発防止の祈りを込めて寄贈されたとの事だった。

又、倉田さんは与謝野鉄幹・晶子夫妻に短歌の指導を受けられていたとの事で、『歌碑』 には倉田さんの詠まれた短歌で

『大いなる 九重の山に 若人の ゆめまもりてと いのる鐘なる』 と刻まれているそうである。 私もその 『愛の鐘』 を鳴らしてから 『すがもり小屋』 を後にした。






 『すがもり小屋』 を過ぎると、その後の登山道は下りだけで、もう登りは無い。

 そして 『すがもり小屋』 からしばらくの間は大小の岩ばかりの下りであるが、

 左の写真はそんな岩場から 『硫黄山』 の北面を写したものである。 尚、右側の山は 『星生山』 である。












 『すがもり小屋』 から岩場を20分ほど下りると、広い硫黄山道路に出る。

 その道路脇には写真の様な注意書きがあった。








その道路を少し歩くと、下・左写真の様な大きな岩が道路に沢山落ちていた。 そこで上を見ると頭上は右写真の様に大きな岩だらけの崖だった。

もし今、地震でもあればそれらの岩が落ちて来そうに思え、大変恐ろしくなった。

それで、もし落石があってもどちらかは助かる様にと(笑)、お互いに少し離れてその危険区域を早足で通り過ぎた。






 ラッキー!な事に私達が危険区域を通り過ぎる間には落石が無かったので、

 ホッ!として(笑)後ろを振り返って撮ったのが左写真です。

 写真の様に砂防ダムが何段も並び、その向こうに 『硫黄山』 の噴煙が見えていた。











 その後は硫黄山道路を15分ほど歩いた所にある 『長者原』 と 『大曲峠』 との

 分岐点 (小さなケルンがある) を左折して 『大曲峠』 へと下り始めた。

 その分岐点から少し下りた所からは 『大曲峠』 の駐車場が見えていたが、もう1台の車も見えなかった。









 今日はもしかしたらマンサクの花が見れるかも知れないと思い、これまでの登山道では樹木があると

 オバさんと二人で注意しながら見て歩いていたが、とうとうここ迄マンサクの花を見掛ける事は無かった。

 今回の山行では花を見掛ける事は全く無く、アセビの蕾を見ただけだった。

 しかし 『大曲峠』 へ5分ほど下りた所で、今度は写真の様な 『ネコヤナギ』 の蕾を見つけた。

 春はもう、直ぐそこまで来ていると思う。






 『大曲峠』 に近くなると写真の様にアセビの樹が多くなったが、そのアセビの樹の間にある登山道は

 非常にぬかるんでいて、方々に滑った跡があった。

 私達も滑らない様に注意しながらゆっくり下りたのだが、それでも2人とも何回か少し滑った。

 私が途中で1度だけ大きく滑り、もう少しで危うく尻餅を着きそうになったが、ちょうどそこに有った樹を掴んだので

 尻餅ギリギリのところで止まり、辛うじて泥んこになるのだけは免れた。 しかし靴が泥だらけになった。

 そんな様子をオバさんが上から笑いながら見ていた。(クソ〜!)




『大曲峠』 に着いたが、駐車場は空っぽで私が駐車していた駐車帯にも私の車しかなかった。 車に帰り着いた時刻は4時35分だった。



今日の山歩きをまとめると、

    大曲駐車地〜1時間45分〜星生山頂上〜25分〜星生崎〜15分〜久住分れ〜35分〜御池〜30分〜中岳頂上〜45分(昼食休憩)〜中岳頂上〜15分〜

    天狗ヶ城〜30分〜久住分れ〜55分〜スガモリ小屋〜1時間5分〜大曲駐車地 で合計6時間15分(昼食休憩は含まず)で、万歩計は23289だった。



靴が余りにも泥んこだったので、二人とも長者原の靴洗い場で靴を洗った。

その後、長者原でもマンサクの花を少し探したが見つける事は出来なかった。 今日はマンサクの花が見れなかった事が残念だった。

しかし、今回の主目的である膝の回復具合は確かめる事が出来た。 私は膝を痛めてから久し振りに山歩きをした。

それで今日は膝に負担の掛からない様にと、用心しながらゆっくり歩いた勢もあるだろうが、ふくらはぎが少し凝っただけで、膝は1回も痛くならなかった。

この様に1番心配していた膝の痛みが1回も起きなかったからと言って、今回の山行だけで完治した!と断定は出来ないと思っている。

しかし、今日の膝達は本当に良く頑張って活躍してくれたと思う。

それで今日の膝達の頑張りや活躍に対して、今晩はご褒美を沢山やらねば成るまいナ〜!と思いながら、気分良く帰路に着いたのだった。

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