経ヶ岳(1076m)〜 多良岳(996m)


2005年10月16日  晴れ  涼風


今日は佐賀県と長崎県の県境にある名峰、『経ヶ岳=きょうがだけ』 と 『多良岳=たらだけ』 に登りに行く事にした。

今朝も早起きしたので、7時10分には自宅を出発できた。 筑後川河口方面へ下る筑後川沿いの道路は、久し振りに走る様な気がした。

日曜日の朝は通勤の車も営業車も少なく、ガラ空きの道路を快調に飛ばす事が出来て大変気持ちが良かった。

そして開放した車窓から入る清々しい秋の川風が大変心地良く、早起きして得した〜!と言う気分にもさせてくれた。


 途中の大川市で写真の様な 『昇開橋』 のすぐ横を通り、車の中から写真に撮る。

 ちなみに、この 『昇開橋』 は以前は国鉄の佐賀線が走っていたが廃線になり、

 現在は橋中央の可動部が下がっている時は歩いて渡れるそうである。

 橋の可動部は東京の勝鬨橋の様に両方からの撥ね上げ方式では無く上下に動く方式で、

 その方式の橋としては現存する唯一の橋らしく保存運動も起きている。 

 尚、筑後川河口に架かるこの橋の長さは506mあり、1935年の完成である。




 その後は道路の両脇に、黄金色に輝く稲穂が広がる佐賀平野の中を走っていると、

 前方の上空にバルーンが見えて来た。

 毎年、嘉瀬川の河川敷で行われる 『国際バルーンフェスタ』 の練習をしているのだ。

 佐賀平野の上空にバルーンが浮かぶこの光景は、最近ではスッカリ秋の風物詩として定着した感がある。

 もっとも近付いたと思われる道路の広くなった所に車を停めて写真を撮っていると、

 通り掛かる車が次々と停まり見物したり、写真やビデオに撮っていた。 

 ちなみに今年の 『国際バルーンフェスタ』 は11月2日〜6日に開催され、百万人以上の観客が見込まれている。



      五家原岳 多良岳 経ヶ岳
          ↓    ↓  ↓





 祐徳稲荷神社のある鹿島市に近くなると、今日登る予定の 『多良岳』 や 『経ヶ岳』 の

 山容が前方に見えて来て早く登りたい!と胸が躍るが、アセルナ!と自分に言い聞かせながら写真に撮る。








鹿島市から大村市に通じる山越えの幹線道路を前後に車がいないのをこれ幸いに、かなりのスピードを出して走っていた。

その幹線道路から登山口のある道路に曲がる時に、先の曲がり角に白バイの姿がチラッ!と見えた。

今までの所にいなくて良かった〜!、これは用心しないといけないな〜!、今日は日曜日だから白バイも休めば良いのに!等と思い、

それから先はスピードメーターを見ながら 『法定速度+10km位』 のスピードで走った。

 そして写真の様な黒木の駐車場に着いたが、既に十数台の車が駐車していた。

 時間は9時ジャストで、走行距離は89kmだった。

 私が駐車した横の車には割と若い男性の方が連れの方を待っておられた。

 その方が今日その後に色々とお世話になったH氏である。

 その方と話していると幹線道路はスピード違反の取締りが良く行われているので用心したが良いですよ!、

 今日も自分がここに来る時に曲がり角で車が白バイに捕まっていましたよ!と教えてくれた。

 私がこの道路に曲がる時にチラッと見た白バイの事だろう。

今思うと、その幹線道路を走っている時に捕まれば免許停止に近いスピード?で走っていたので、ホッ!とすると同時に、

『ラッキ〜!、今日は何かイイ事がありそうだな〜!?』 と思った。 しかし皆様もその道路を走られる時にはスピードの出し過ぎに十分注意されて下さい。

その後もH氏に今日登るルートについて質問し、色々とアドバイスを頂いた。






 身支度をして車から歩き始めたのが9時15分だった。

 この写真は駐車場から百m位歩いた所にある標識で、ここから更に細い舗装道路に入る。














 その道路の山側の土手には 『ツワブキ』 が咲いていたが、まだ蕾の方が多かった。













 その道路横の段々畑では稲刈りしてある田が数ヶ所あった。 この時期は野も山も実りの季節である。

 そんな道路を10分程歩くと左手に写真の様に小さな標識があり、そこからさらに細い道に入る。

 その付近で民家の石垣等に咲いている花を撮影していると、後から出発して来たH氏の二人連れに追い越された。










 その後も私は道路脇で見掛けた花を撮影しながらゆっくり歩いていると、写真の様な標識の所で

 H氏二人が私達を待っていてくれた。

 初めてこの道を歩く人はここで真っ直ぐの道に進む人が多いので・・・と、私達を待ってくれいた(感謝!)

 登山道はこの標識から右に下りていて、すぐ小さな沢を渡る。 そこから山道に入る。











 その後しばらく登山道は写真の様な杉林や自然林が入り混じった中を通って行く。















 そんな登山道で写真の様な花を撮影してある同年代位の方に出会った。

 花名を教えて貰い、私も写真に撮る。 尚、花名は 『ナギナタコウジュ』 である。










 この様な番号標識は最初の登山道標識の横にもあったが(400番)、

 この番号標識はその後下山するまで、登山道脇の方々のポイントで見掛けた。

 登山者等に万が一の事があった場合、この番号を言えば最短時間でその場所に行く事が出来、大変良いアイデアだと思った。

 この様に全登山道を通しての番号標識は初めて見た様な気がする。

 他の山でもこの様なシステムを真似したら良いのでは?・・・と私は思った。





 しばらく歩くと先行してあったH氏達が最後の水場と言う所で休んであるのに追い着き、

 そこから稜線に出る少し前まではH氏達と話しながら一緒に歩いた。

 最後の水場からの登山道は写真の様に枯れ沢を通る事が多く、そこは大小の岩ばかりの急登の連続で

 体力の有るH氏達のペースに合わせるには疲れた。

 H氏は先週もこの山に登ったとの事で、どうやらこの山をホームグラウンドにしてある様である。

 私達の前後にも登山者の姿が結構多い。 H氏の話ではこんなに登山者が多いのは珍しいとの事だった。

 この多良岳は九州北部では井原山と共に 『オオキツネノカミソリ』 の群生地としても名高い。

 その花の咲く時期は、見物者が大型バスで沢山来て大変賑わうそうだが、その他の時期でこんなに登山者が多い事は珍しいとの事だった。


 前掲の 『ナギナタコウジュ』 の花の少し先にも 『スズメバチ注意!』 との注意書きがあったが、

 この写真の樹にもつい最近まで穴の中にスズメバチの巣があったそうで、それを写真の様に焼き、穴をセメントで

 塞いだそうである。(か弱な私は恐くなって急いで通り過ぎた、この写真は気丈なオバさんが撮りました・・笑)

 この辺りの登山道脇ではツル植物も結構多く目に付き、中には 『サルナシ』 のツルもあった。

 しかし、そのツルは大木に巻き付いて高く這い上がっており、実が生っているか?は分からなかった。

 その付近で私達はH氏達のペースに付いていけず、先に行ってもらった。





 この写真は 『遠目山・郡山』 〜 『経ヶ岳』 の稜線である 『つげ尾』 と呼ばれる場所である。

 ここでは5〜6人の人達が同グループの後続の人達を待ってあった。

 この方達は長崎市の或る会社の同僚の方達(10人位の男性のみ)で、この後下山まで間にお互いが休憩して

 いる時に何度も前後して顔見知りになり、話す様になった。

 私達もここで少し休憩する。 この稜線に登った辺りから心地良い秋の涼風が吹いて来て、

 火照った身体を冷やしてくれ、歩いていて大変気持ちが良かった。









 『つげ尾』 から 『経ヶ岳』 までは600mとあり、稜線まで登って来たので後は頂上までなだらかな稜線歩きだろう?と

 舐めて掛かっていたら、その後もなだらかな部分は少なく、写真の様なロープを掴んで登る岩場が多く、疲れた。











 写真の 『経ヶ岳山頂』 には11時10分に着いた。

 先着していたH氏達は昼食の準備中だった。 私達が登頂した時も狭い頂上に20人位の人達がいて

 結構混んでいたが、H氏達が登頂した時は団体がいて歩く事が出来ない程でした〜!と言ってあった。

 尚、この 『経ヶ岳』 は佐賀県では最高峰の山である。






    多良岳        雲仙普賢岳
      ↓            ↓


 この山頂にある岩部分に上がると360度の展望である。

 この写真は南東の方向で、この後に登る予定の 『多良岳』 や遥か彼方に 『雲仙普賢岳』 の山頂部が見えていた。

 その他の方向も見えていたが、今日は写真の様に下の方は霞んでいた。 しかし肉眼で見えていた西方向の

 大村湾やその他の方向の景色等は、私のデジカメで写した写真を後から見ると鮮明に写っておらず、

 とても掲載に至らなかった。(涙!・・・某メーカーよ、写りが悪いぞ!、新しいカメラに交換しな!!)





 『経ヶ岳』 山頂部では風景を楽しみながら写真を撮り、行動食を食べた位で10分程しかいなかった。

 昼食は 『金泉寺』 で食べる積もりなので、早速 『多良岳』 への縦走に取り掛かった。 時刻は11時20分を少し過ぎていた。

 山頂部を少し下りた林の中では団体さん(20〜30人)が、シートに座って昼食してあるのが見えた。

 『経ヶ岳』 山頂部からの下山は直ぐ岩場の急坂になるが、その岩場には鎖等は無かった。 

 オバさんは以前はここに鎖があった記憶があるけど?・・・と言っていた。 岩に降りる途中に鎖を掛ける輪が数ヶ所にあったが、

 岩場を下りるまで鎖等はとうとう無かった。 山頂の反対側には鎖を設置してあるのに、どうして片方には設置してないのだろう?

 どちらかと言うと多良岳側からの方が急峻で、ここに鎖があると助かるのだが・・・と思った。

 そして岩場を下り切ったところには写真の様な注意書きがあった。 それには鎖が設置されている様な書き方がしてあるのだが?・・・







 そんな岩場を下りる途中では写真の様な 『リンドウ』 を見掛けた。









『経ヶ岳』 山頂から下りる時から、しばらくは高校生位?の男子3人とその先生と一緒だった。

しかし、その人達は岩場を下りてからは足が速く、すぐ離されてしまった。

次の花は 『平谷越』 までの縦走路で見掛けた花である。

ヒメハッカ?
モミジガサ
平谷越標識


 この写真はそんな縦走路の一部分であるが、縦走路はこの様な自然林の中を歩いて行く。

 又、この付近では秋の気持ち良い涼風が吹いていて、大変気分良く歩いていた。

 そんな所を歩いていると先ほど先行した筈の先生と高校生達?が後ろからやって来た。

 アレ〜!何処で追い越したのですかねー?と問い掛けると、途中で道を間違えました〜!と

 笑った答えが返って来た。 そう言えば私達が歩いて来た途中の下の方で、バリバリと言う小枝を踏み潰す様な

 音がしていた。 他の登山者の方と猪が歩いているのでしょうか?恐いですねー!と話していたが それは彼らが道を

 捜していた音だった様である。 私は 『猪と思っていました〜!』 と笑って言ったが、彼らも笑っていた。







 上の様な縦走路を歩いていると地面に白い花びらが沢山落ちていた。

 上を見ると写真の様な 『サザンカ』 が咲いていた。

 下の 『中山越標識』 の近くにはサザンカのトンネルが少しあった。









 この標識のある所が 『中山越』 と呼ばれる場所で、中山キャンプ場から登るとこの場所に出る。

 私達も数年前に子供と一緒にここに登って来たとオバさんが言うが、私はスッカリ忘れていて

 思い出す事が出来ない。 どうも私のアルツハイマーは思っている以上に進んでいる様である。(また涙!)

 ここでも長崎市の会社の方達と又一緒になり、少し話す。

 高校生達はこの分岐から中山キャンプ場に下りて行った。





『中山越』 以降も結構アップダウンがあったが、その登山道脇では次の様な花を多く見掛けた。

ヒヨドリバナ
ツクシアザミ
アキチョウジ

途中で登山道は大きな岩ばかりの所を通る。 その岩は苔むしていて滑りそうで恐いが、そこが鞍部ではないかと思えた。

その鞍部及びその前後では次の様な花を見る事が出来た。 しかし、『ウチワダイモンジソウ?』 は1ヶ所だけでしか見る事は出来なかった。

タニソバ
ウチワダイモンジソウ?(1)
ウチワダイモンジソウ?(2)

次の、『ジンジソウ』 と 『レイジンソウ』 は群生とまではいかないが鞍部付近に沢山咲いていた

ジンジソウ
ジンジソウのUP

レイジンソウ
レイジンソウのUP





 上の様な花が咲いている鞍部を過ぎ、その後も小さなアップダウンを繰り返し、
 
 『中山越』 から1時間程歩いた所で写真の様な標識が現れた。

 この標識から右の道を進むと、『西岳』 と呼ばれる山に行けるらしい。








 上の標識から200〜300m、時間にして3分ほど歩くと、『金泉寺』 と呼ばれる広い平地に着いた。

 この地には昔、金泉寺と呼ばれるお寺(弘法大師創設=江戸時代に焼失)があったそうである。

 そこの平地には写真の様な山小屋が有り、その奥には水洗トイレや水場も完備されている。

 山小屋前の大きな杉の下の木陰には椅子やテーブルが4〜5台ほど設置してあり、登山者が自由に利用できる。

 そしてその横には広場もあり、そこにはテントも張れる様になっている。

 私達はこの場所を訪れるのは3回目だった。




私達がこの山小屋に着いた時には、写真の様に各テーブルは大勢の登山者で賑わっていた。

そして、そのテーブルの横を通り掛かった時に1番手前のテーブルにいた10人近いグループの1人の方から声を掛けられた。

声を掛けた方の顔を見たが、私は最初その方がどなたか?分からなかった。 しかし顔を良く見ると、登る時ご一緒したH氏達だった。

私は暫らくの間、訳が分からなかった。 H氏達と最後に別れたのは 『経ヶ岳』 の山頂である。 その時H氏達は昼食中だった。

私達は昼食は 『金泉寺』 で食べる予定だったので、先に出発した。 そしてその後の縦走路でH氏達に追い抜かれた憶えは無い。

私は何が何だか分からなかったので質問してみたところ、『経ヶ岳』 の山頂からは急坂だがショートカットするもう1本の登山道が有る!との答えにやっと納得した。



そのテーブルにいた方達はこの山域をホームグラウンドとする、常連の方達と山小屋の管理人さんだった。

そして、そこでは花アルバムの観賞中だった。 私もこの頃はかなり野の花に興味が出て来ていた。

私は少し前まで 『山の果実』 とか 『木の実』 等、食べられる物か果実酒に出来る物にしか興味は無く、花にはほとんど興味は無かった。

しかし、この頃は花にもかなり興味を持ち始め、最近は山行の度に見掛けた花を写真に撮る様にしていた。



今日も今までの登山道脇で見掛けた花を、何種類も写真に撮っていた。

その花の中には今日初めて見る花が何種類かあったので、デジカメの液晶画面に表示して管理人さん達に花名を教えて頂いた。

中には割りと珍しい 『ウチワダイモンジソウ?』 も写しており、私は何だか嬉しくなっていた。 私達も早速そのテーブルに腰掛けて、花アルバムを見せてもらった。

その花アルバムには山小屋の管理人さんがこの多良岳山域で写された、四季折々の花の写真が収められていた。

その花アルバムに収められている写真は綺麗で見易く、写した日付と花名も記載してあった。 本屋で売っている花の本よりも大写しで大変見易かった。



そこでその花アルバムを見ながらそのグループの方達と暫らく話をしていたが、そのグループの中に私のホームページでリンクして頂いている或る方と、

同じ山の会に所属される方がおられた。

その方とも色々会話した中でインターネットの話になり、最後は恥ずかしながら私のHP名を知らせるハメになり、お互いのHPの訪問を約束した。

常連さん達との賑やかな花アルバム観賞も終わったが、私達はまだ昼食を食べていなかった。 

しかしその前に 『多良岳』 に登ってくる予定だったでそこのテーブルにザックを置き、ペットボトルだけを持って 『多良岳』 に登って来る事にした。





 『金泉寺』 から少し行った所に石段と鳥居があり、その先にはイボ取り地蔵さんもあった。

 『多良岳』 山頂への登山道は写真の様な小さな階段や鎖場等もあり、割と急坂が多かったが

 『多良岳』 山頂には 『金泉寺』 から20分弱で到着した。







 写真は山頂にある 『多良神社・上宮』 だが、この上宮は良く憶えていた。 又、以前登った時の記憶として山頂展望は

 良い様な気がしていた。しかし山頂周囲の木々はその後に生長したの?、周りの風景は写真の様に立ち木で塞がれ

 木々の間から細切れの風景が見えるだけだった。

 私達が登った時は2組の御夫婦が食事中だったが、直ぐ15人位の子供連れの団体が登って来て賑やかになった。

 尚、ここが 『多良岳山頂』 になっているが三角点はここには無く、ここから数百m奥にある 『本多良岳』 に有るとの事である。

 しかし私はまだそこに行った事は無い。 尚、私はこの山頂は佐賀県と長崎県の県境にあると思っていたが、

 国土地理院のHPを見てみると佐賀県だけに属していた。 認識を新たにした。




 これは山頂部にあった木の実だが、写真の様に真っ赤に色付いて沢山生っていた。

 低い所に生っている実を見たら、グミの様な?サクランボの様な?感じで、私は初めて見る実だった。

 翌日、本やインターネットで調べて見たところ 『サンシュウ』、又は 『サンシュユ』 の実の様である。(しかし、絶対の自信は無い)

 この赤い実は別名 『秋珊瑚』 と呼ばれ果実酒に出来るそうである。

 その時分かっていれば少し採って帰るところであったが、残念だった。









 『多良岳山頂』 は展望も無いので、5分程いただけですぐ下山する事にした。

 この標識は登る時も目にしていたが、山頂から5分弱下りた所にある標識である。

 オバさんがその 『国見岳』 には、以前子供と登った時に行った事があると言うので寄ってみる事にした。

 標識には 『国見岳』 とあるが、この標識から30秒足らずの所にある絶壁岩の展望所である。






しかし、そこから南面の展望は素晴らしかった。

下の左写真は、南東方向で彼方に見えている山が 『雲仙普賢岳』 で、手前の海が有明海の諫早湾になり、その海の中に橋の様に見えるのが、

有明海の漁業補償問題に発展している 『諫早湾潮受け堤防』 で、右の方に干拓地が薄く見えている。

下の右写真は南西方向に見えていた 『五家原岳』 で、 『多良岳』 からは3時間位で往復できるようである。

雲仙普賢岳と諫早湾
五家原岳

『金泉寺』 に帰ると、先程の 『金泉寺常連さんグループ』 は誰もいなかった。

しかし、隣のテーブルに登る時に何度も前後した長崎市の会社で男性だけのグループが、まだ生ビール等を飲んでいた。

このグループは私達が 『多良岳』 に登りに行く時から飲んでいた様な気がする。

私達もそこのテーブルで昼食にする事にした。 時間は2時40分になっていた。

食べながらまた花アルバムを見ようと思い、山小屋から3冊の花アルバムを借りてきて、二人ともそれを見ながら食事をした。

3冊全部を見終わるには食後のコーヒータイムまで掛かったが、大変参考になりそのアルバムで私達は新しい花名を幾つか憶えた。

これから 『多良岳』 登る方で花に興味の有る方は、山小屋にお願いしてその花アルバムを見せて頂く事をお薦めします。

その花アルバムを返しに行った時に管理人さん達と少し話してみた。



山小屋は何時も開けている訳ではなく、土・日・祭等と泊り客がある時だけ開けるそうである。

尚、山小屋だけは長崎県側に建っていて長崎県の経営であるが、『金泉寺』 は佐賀県側に属し、テント場は 『金泉寺』 の敷地内になるそうである。

それから、山小屋の宿泊料は1060円と何とも中途半端な値段だったが、百名近くが宿泊可能の様である。

それから私はこの山小屋を建てる時の建築資材はヘリコプターで運んだのかな〜?と疑問があったので、聞いてみたところ、建てる前にケーブルを設置してから

建築資材を持ち上げたとの事であった。 納得!  しかし工事期間とか、その工事期間中は大工さん達はずっと山中に泊まってあったのか?等を聞き忘れたので

今度登った時にでもまた聞いてみようと思っている。

『金泉寺』 でゆっくりしていたら3時40になったので下山する事にした。 呑み助さんグループはいつの間にかいなくなっていた。







 この標識は下山始めて7分で着いた、『西野分岐』 である。









そこから20分位?下りた所に枯れ沢があった。 そこでは先程の呑み助さんグループが岩の上に座って今度は日本酒を飲んでいた。

私達がそこに着く前から笑いながら叫んでいたが、私達がそこに着くと一緒に飲んで行きませんか〜?と日本酒を差し出して来た。

私達は笑いながら断り、お互いに冗談を言って分かれた。 

この呑み助さんグループは山から下りてからもきっと飲み屋で打ち上げをすると思うので、酒漬しの1日だろう! 羨ましい限りである!!

その後下山していると、呑み助さんグループの中の1人が駆け足で追い着いて来た。 その人と少し一緒に歩きながら話を聞くと、その人は呑み助さんグループの

運転役で黒木の駐車場まで車を取りに行き、呑み助さん達が下りて来る林道の最上部まで車で迎えに行く役との事で、又駆け足で下りていった。ご苦労様である!

次の花はその下山中に見かけた花々である。

シロヨメナ
マルバノテンニンソウ
アケボノソウ

次の写真は今日の山行中に見掛けた草の実や木の実である。

フユイチゴ
マムシグサ
テンナンショウ

ヤブコウジ?
ナルコユリ
ミヤマシキミ






 上記の 『西野』 分岐から下りて来ると、この 『八丁谷』 の分岐標識のある林道に下りて来た。

 ここからは舗装林道歩きになった。








その舗装林道を歩いていると、道路脇では次の様な花を見掛ける事が出来た。

ダイコンソウ
4花弁のダイコンソウ?
ヤクシソウ?






 
 上の様な花が咲いている舗装林道を写真を撮りながらゆっくり歩いていると、写真の様な車止めの場所に出た。

 この車止めの両側やその下段には20〜30台駐車できる駐車場があり、そこにはまだ5〜6台が駐車していた。












 尚、この注意書きはその駐車場の掲示板に張り出してあったものである。

 どこにもマナーの悪い奴はいるものだが、そんな奴に山に登る資格は無い! そんな奴は山に近付くな!! 












 その後の舗装林道の左側に水場があったが、

 この写真はその近くの土手の上に沢山咲いていた 『マツカゼソウ』 である。

 その付近を歩いている時に先程の呑み助グループの運転役さんが、軽くクラクションを鳴らして上って行った。







その後は民家の点在する舗装道路を歩いて黒木の駐車場に帰った。 ここの駐車場にもまだ3〜4台の車が駐車していた。



今日の山歩きをまとめると、登りは (駐車場)〜1時間25分〜(つげ尾)〜30分〜(経ヶ岳頂上)〜20分〜(平谷越分岐)〜30分〜(中山越分岐)〜

                              1時間5分〜(金泉寺)〜20分〜(多良岳頂上)〜20分〜(金泉寺) で合計4時間30分,、

                 下りは (金泉寺)〜50分〜(八丁谷分岐)〜15分〜(車止め)〜25分〜(駐車場) で合計1時間30分、万歩計は25071だった。







 オバさんが車の中の後片付けをしている間に、私は駐車場の近くをブラブラしながら花等を見つけていると

 駐車場の上で写真の様な 『マルバルコウ』 が沢山咲いているのを見つけ、早速写真に撮った。













 この写真は駐車場付近から写したものであるが、今日登った 『多良岳』 の姿が見えていた。

 写真の様に山影が、見る間に長く伸びて行くのが分かる様な時刻だった。








黒木の駐車場を後にした時は、5時半を少し過ぎていた。

今朝は白バイにも掴まらず、何かイイ事が起きそうな予感がしていたが、予感は当った。

『ウチワダイモンジソウ?』、『ジンジソウ』、『レイジンソウ』・・・等、初めての花にも出合えた。

その上に多くの素晴らしい方達に出会え、そしてその方達と楽しい時間を過ごす事ができ、今日も楽しい山行をする事が出来た。

自宅に帰る道中で暗くなり、正面の空に月が昇ったが、当夜の月は金色に大きく輝く満月(スーパームーン)だった。

その満月は、まるで私の胸の中を象徴するかの様であった。

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