大船山(1786m)


2005年10月9日  晴れ  微風


今日はくじゅう連山の中のある 『大船山=たいせんざん』 に登る事にした。 が、今回 『大船山』 に付いて認識を新たにした事がある。

それは 『大船山』 の標高を確かめる為に国土地理院のホームページを訪れて初めて知った事だが、

私は今まで 『大船山』 の標高は 『久住山』 と同じ1787mで、九重連山の中では仲良く2位の山であると思い込んでいた。

しかし国土地理院発表の標高によると、『久住山』 は前と同じく1787mだが、『大船山』 は1786mで第3位になっていた。



ビックリ!した。 いつ変更になったのだろう? 私は全然知らなかった。 それで色々な本や地図を見てみた。

以前に発行された本や地図には 『大船山』 は1787mになっているが、最近の本や地図では1786mの表記になっていた。

技術の進歩で以前より正確な測量が出来る様になり、小数点以下が四捨五入されて発表されている様である。 ちなみに、第1位は 『中岳』 で1791mである。 

しかし、屋久島の山を入れると九州の標高順位の第1位から第8位までは皆、屋久島の山々が占め、『中岳』 は九州全体では第9位に下がる。



ところで今日登る 『大船山』 はくじゅう連山の中では 『久住山』 と人気を二分するような山で、毎年開かれるくじゅう連山の山開きも両山頂で交互に行われている。

ちなみに今年(奇数年)の山開きは 『久住山』 で行われたので、来年(偶数年)は 『大船山』 で行われる予定である。

この様に 『大船山』 は登山者に大変人気の高い山で、その登山ルートも方々からある。

私もこの 『大船山』 には数回登っているが、七里田温泉方面からのルートはまだ登った事がなかった。

七里田温泉方面からのルートは5〜6年前から登ってみたいと思っていたのだが、中々実行出来ずにいた。

私はくじゅう連山に登った後は今回自分が歩いたルートを、くじゅう連山マップに赤鉛筆で記入する事にしている。

数年前からくじゅう連山マップに点線で表記されている色々な登山ルートの大半は赤鉛筆でなぞられていた。

しかし今回の七里田温泉からのルートはまだ白色のままだったので、以前から登ってみようと思っていたのである。



前日の夜に決定した今回の登山ルートは結構時間が掛かる予想だったので、前夜は少し早寝して今朝に備えた。

そして今朝は二人とも早起きしたので、6時25分には自宅を出発できた。

出掛けに見たテレビの天気予報では大分県は濃霧注意報が出ていたが、大分県日田市に近くなった所から霧が出て来た。

そして進むに連れて霧は段々深くなり、小国町を少し過ぎた辺りでは視界30m位になり、フォグランプを点けてのゆっくり運転になった。


 そんな所を通過中に道路脇の枯れ樹に、白い大きな花が咲いている様な物が目に付いていた。

 中には風であおられてヒラヒラしている物もあり、不思議な感じだった。 何かな〜?と思いながら運転していたが

 ある所でそれは蜘蛛の巣に霧の水分が付着して写真の様に白く光っているのだと気付いた。

 そう気付く前に大きな枯れ樹全体に何百もの蜘蛛の巣が張っていて、その樹全体が白い大きな花に覆われて
 
 いる様な所を数ヶ所で見掛けていた。 それで今度そんな所が出てきたら写真に撮ろうと思い、

 車をゆっくり進めていたが、その後はそんな所をトント見掛け無くなり、霧も段々薄くなってきた。 

 先を急いでいるので引き返してまで写真に撮る様な暇は無い。 

 それで慌ててその付近で車を止めて撮ったのが掲載写真の蜘蛛の巣です。




 国道442号線から広域農道に入り七里田温泉近くになって道が分からなくなり、偶然その近くにいた

 お婆さんに 『登山口』 を聞いたのが間違いの元で、その後はしばらくその付近をウロウロする事になった。

 やっと若い人を見掛けて尋ね、正しい道を走り出す。 

 目指す大船山の 『今水登山口』 へは、広域農道の右手にある写真の様な看板の場所から左折だった。






大船山と黒岳への登山口である 『今水登山口』 は舗装林道の終点部分が広くなっていて、その付近一帯に10台位の駐車が可能である。

そこより先にも未舗装林道がまだ続いているが、その広くなった場所に既に5台の車が駐車していたので、私達もそこに駐車する。

その場所への到着時刻は9時10分で、走行距離は自宅から113kmだった。

急いで身支度をし、車から歩き始めたのは9時15分だった。

歩き始めながら駐車している車のナンバーを見てみると、福岡、北九州、久留米、大分、宮崎のナンバーだった。

 未舗装林道を歩き始めたが、その林道の両脇には大きなムカゴが沢山生っていた。

 早速それを採ろうと思ったが、今日は時間が無いからダメ!とオバさんから怒られ、シュン!となる。

 しかし怒られながらも特別に大きいムカゴだけを急いで採る。

 私はそんな風に自分の好きなムカゴを見掛けると採らずにはおられず、その後の林道脇でも大きなムカゴを

 見掛けると、その都度オバさんから文句を言われながらも急いで採っていた。

 持って生まれた貧乏癖なので、自分でもどう仕様もない。

 そんな林道には写真の様に綺麗な紫色をした実があった。 『ムラサキシキブ』 とか 『ヤブムラサキ』 だろうか?









 その様な林道を数百m?歩くと、左手に写真の様な標識があり、そこから山道に入った。














 山道は植林の中ではなく、自然林の中を通っていた。

 その勢で山道を歩いていると、気持ちの良い小鳥のさえずりが絶えず聞こえて来ていた。








そんな山道には次の様な花や草の実やムカゴがあった。

ヤマシロギク
ユキザサの実
カワラボウフウ?

その先の山道の下にはアケビの実が多く落ちていた。 そんな所で上を見てみると、5m位上の高い所のツルに大きなアケビの実がまだ沢山生っていた。






 車から歩き始めて50分で写真の様に樹にくくり付けた標識のある所に着き、写真に撮る。

 しかし、後からこの標識写真を撮っておいて良かったー!と思う事になるとは、この時は思いもよらなかった。








その付近の登山道では 『モミジガサ』 が多く目に付いた。 他には次の様な花や実を見る事が出来た。

それにしても、『サラシナショウマ』 は瓶の中を掃除する道具にソックリですねー。

モミジガサ
サラシナショウマ
マムシグサ

その後の登山道では大きな 『サルナシ』 のツルが多く目に付いた。 しかしそのツルは10m位高く登っており、『サルナシ』 の実が生っているかどうか良く見え無かった。

そんな所では地面を見てみると1ヶ所だけで 『サルナシ』 の実が落ちているのが確認できた。


 先程のガラン台分岐標識から15分位歩いた所で、写真の様に立派な分岐標識のある場所に出た。

 しかし、写真の様に 『黒岳・風穴』 は私達が歩いて来た今水からは右折した方向になっている。

 それでそちらの方向に少し行ってみたが道が無い。

 更に少し進めばハッキリした道が出てくるかと思い、再度その方向に行ってみたが道らしきものは出て来ない。

 私達が歩いて来た 『今水』 から直進した方向と 『岳麓寺』 の方向には立派な道がある。

 それで今度は 『今水』 から直進した方向の道を進んでみた。




そうしたら今度は5m位先の道の右側に小さな 『黒岳・風穴』 の標識があった。

しかし、それには矢印の方向をわざわざマジックインクで 『今水』 方向に書き直してある。

それでどの方向に進んで良いのか判断にハタと迷い、3つ持って来ている九重の地図を広げて方向を検討し始めた所に、中年のM御夫婦が登って見えた。

そのM御夫婦と一緒に検討して直進の道を歩き始めたが、1分も歩かぬ内にベテランらしき登山者が下りて来るのに出会った。

その方の言葉で大船山もその道で良い事が分かったが、すぐ下にある標識の表示がおかしい旨を伝えると、あの標識は無視して下さいとの返事が返ってきた。

出来れば直しておいて下さいと依頼して別れたが、後からこうしてその標識の写真を良く見てみると、そう簡単に直せる物ではない事が分かった。



写真では 『黒岳・風穴』 は 『岳麓寺』 と反対方向になっているが、それは間違いで 『今水』 と反対方向なのである。

しかし、こんな重要な事はこの標識を設置する時に誰かが気付きそうなものである。 それで、もしかしたら以前はその方向に道があったが、

その後の台風等で道が崩壊したか、または風倒木により従来の道が変更になったのかも知れないな〜?と思った。

しかし、登山時の方向標識は大変重要な意味を持つ。 行政等が設置したと思われる、この様に立派な標識の間違は大変な事である。

ほとんどの人は何も疑わずに信用するだろう。 しかし、これはヘタすると人命にかかわる問題になる可能性がある。

何はともあれ、現在は標識が示す方向には道が無いので、関係者には早急に直して貰いたいものである。

それから登山道の右側にあった小さな標識に付いては、本来は登山道の左側にあった物を誰かが右側に立て直したのかも知れない? それともイタズラか?

とにかく、それも関係者に正しく直して貰いたいと思う。



 この写真は上の標識から5分も歩かない内に出て来た 『前せり』 と呼ばれる地点の分岐標識だが

 くじゅうの地図やガイド本にも殆んどこの 『前せり』 の記載は無い。

 しかし私達はこのルートを登った人のレポをインターネットで見ていたので 『前セリ』 の地名は知っていた。

 右の道を進むと 『黒岳・風穴』 に行ける様であるが、私達は大船山への直登コースである左の道を進む。

 ここでM御夫婦と別れ、私達が先行する事になった。










 この大船山への直登コースである 『東尾根ルート』 は今迄の登山道に比べると道も細くなり、急坂が多くなった。

 そして、右手の木立ちの間からは写真の様に天狗岩?辺りの山が時々見えていた。














 しばらく歩くと写真の様に葉がまったく無い潅木の中を通る。














 上の潅木林を抜けると写真の様にススキの多い草原に出た。

 そして正面に大船山の山容が見えて来た。














 そんな草原の所々には写真の様な、季節外れの 『ミヤマキリシマ』 が咲いていた。









そして登山道脇では次の様な花を、数ヶ所で見る事が出来た。

ヤマラッキョウ
リンドウ




 その草原を抜けると今度はかなりの急坂が出て来た。

 立ち木や木の根、草などを掴んで身体を引っ張り上げながら登る。 この様な急坂がしばらく続く。 疲れる。

 そんな急坂の途中で私が1度足が滑り、思わずその辺にあった草を掴んだ。

 そうしたら運が悪い事にトゲのあるイチゴのツルを掴み、そのトゲが1個手の平に抜かり痛かった。(怒!)






     高塚山           天狗岩
      ↓              ↓






 そんな急坂の途中にある少し開けた所では、右手に黒岳の高塚山と天狗岩が綺麗に見えていた。















 急坂の左側の開けた所では九重高原辺りの景色が見えていた。















 そんな急坂の途中の日陰部分にはまだ 『ヤマアジサイ』 も咲いていた。












 この岩は急坂を登り切って、少し進んだ所の左手にある岩です。

 こうしてあとから写真を見ると、光線の具合でどちらかと云えば牛に似ている様な気がするが、

 実際にその場で見た時にはライオンの表情に見えた。 

 それで、この岩には私が勝手に 『ライオン岩』 と名付けましたので、今後は皆さんもその様に呼んで下さい。(笑)












 上の岩を少し過ぎた辺りから登山道周辺は写真の様なシダが多くなった。















 そんな所の大きな岩の下には写真の様にとても綺麗な色をした 『スギゴケ』 が目に付き、写真に撮る。














 上の様な所を抜け、前が開けた所に出たら、写真の様に前方に大船山の山頂がいきなり見えた。

 山頂に大勢の人が居るのも分かった。













 そこから先は登山道と言うか踏み跡があっちっこちにあり、どの道が山頂に行く道か分からない。

 さっき見えた山頂方向に適当に歩いていると、写真の様な 『フクオウソウ』 が目に付いた。










 そこから10分位?適当に歩いたら山頂に出た。 時刻は12時半を少し過ぎていた。

 『前せり』 の少し前で出会った登山者の話では、『前せり』 から最低でも2時間半は掛かるでしょう!と

 言う事だったので1時前後の登頂時間を予想していたが、それより30分程早く着き何だか気分が良かった。

 狭い山頂やその周辺は大変人が多く、ほとんどの人が食事中だった。

 この写真は大船山の西方向で中岳や星生山が見えている。 白い噴煙が硫黄山である。





 この写真は上写真のすぐ右横に見える景色で、正面の山が三俣山である。

 その下に見える平地が 『坊がつる』 で、左の麓に法華院温泉の建物が小さく見えている。

 写真では小さくて見えないが、今日は好天が予想される3連休の中日と言う事もあり、

 『坊がつる』 のキャンプ゚場にはカラフルなテントが30〜40張り位あった。

 北北東の方向は雲が多かったが由布岳や鶴見岳が見えていた。

 雲が無く、空気の澄んだ日には東北東の方向には四国の山々が見えるそうだが、私はまだ見た事は無い。

 南南東の方向には祖母山・傾山の山並も見えていた。









 この写真は南西方向で、彼方に薄く阿蘇五岳の山容が見えている。















 この写真は南東方向の眼下に見える 『御池(おいけ)』 である。









 山頂は狭く人が多いので、山頂の少し下で 『御池』 の上にある、少し広い広場で昼食を食べる事にした。

 その広場に下り掛けた時にM御夫婦が山頂に登ってみえた。 M御夫婦とは 『前セリ』 から登る途中で、

 お互いが行動食を食べている時に2度前後し、その都度少し会話をしていた。

 左の写真は山頂の少し下にある広場で昼食を食べた所から見えた久住山、中岳、星生山、硫黄山の風景である。

 昼食を食べながら双眼鏡を取り出して眼前に見える山頂を眺めると、どの山頂にも人が大勢いるのが見えた。

 昼食中に直ぐ隣の場所に同じ職場の同僚と思える若い人達ばかりのグループ・20人程が陣取り、

 賑やかになったので、食後のコーヒーを飲んだら直ぐ 『御池』 の水辺まで下りる事にした。



『御池』 には 『ガラン台』 経由の登山道から分岐して下りる道がある。

10分位で水辺まで下りると1組のご夫婦が池の鑑賞中だった。 話してみると同県の方で、『紅葉を期待してくじゅうに来たが残念!』 と言ってあった。

私達もそこで休憩しながら風景写真を撮る。

尚、下の写真は 『九州の紅葉は御池から始まる』 と言われている御池周辺の10月9日の紅葉状態です。

今年は残暑が長く続いた為、植物達は秋の訪れをまだ感じ取っていない様で、例年より1週間〜10日ほど紅葉が遅れる様相だった。

昨年は度重なる大型台風の九州上陸で、くじゅう連山の木々からも葉っぱが吹き飛ばされて紅葉する葉っぱ自体が無くなり、綺麗な紅葉は見れなかった。

しかし、今年は今のところその様な台風の九州上陸がなかったので、時期は少し遅れそうだが紅葉は見れそうである?

御池の風景(1)
御池の風景(2)

まだその場所でゆっくりしたかったが、時刻が迫って来たので下山する事にした。 下山時は登りとはまた違った登山道を予定していた。

『ガラン台』 を経由して下りるルートであるが、その所要時間は3時間以上掛かる予想だったので、1時50分に 『御池』 を出発した。





 下山し始めて10分程歩いた所に写真の様な 『オオマルバノテンニンソウ=別名・ミカエリソウ』 の群生地があった。

 少し開花し掛けているものもあったが、ほとんどは写真の様にまだ緑色の蕾だった。

 もう少しして、それらが一斉に開花したら綺麗だろうな〜!と思いながら通り過ぎた。









 又、その付近には写真の様なモミジがあった。 

 葉は写真の様にまだ青かったがモミジの種が沢山付いていた。

 皆さんはこのモミジの種が離れ落ちる光景を見た事がありますか?

 私は月夜にそのモミジの種が2辺のプロペラをクルクル回転させながら

 次々と風に舞い散る様子を見た事がありますが、とても綺麗で幻想的だった事を憶えています。





『御池』 から20分ほど下りた所で、割と年配者ばかりの男女の団体(15人前後)が休んであったので、私達も休憩しながら話してみると、

下山中ではなく登山中との事である。 ビックリした。 

それで当然上にある 『法華院温泉』 に泊まられるものと思って聞いてみると、そうでは無くまた下山して麓の旅館に泊まるとの返事に2度ビックリした。

しかしリーダーらしき方はパーティの方達に 『御池』 には 『大船山』 の頂上に登る前に寄りますか?、帰りに寄りますか?等と尋ねてあった。

『大船山頂上』 と 『御池』 に行けば、現在いる地点に戻るだけでも最低でも1時間は掛かる。

このまま行けば下山中には暗くなり、ヘッドランプが必要になる事は必至なので少し心配になったが、

私の様な若輩者が出しゃばって折角の気分を害されたらいけないと思い、そのまま別れて下山に掛かった。

しかしその後も気掛かりだったが、幸い何事もなかった様なのでヘッドランプを点けて無事下山されたのだろう。 年配の方達も登山者は皆さん元気である。







 写真は 『御池』 を出発してから1時間位?下りた所にある湿原(鳥居ヶ窪)である。













 その草原には群生とまではいかないが、写真の様な 『リンドウ』 と 『ヤマラッキョウ』 が

 その草原の方々に沢山咲いていた。

 そしてその草原の一角では1組の御夫婦?がシートを敷いて休憩中だった。







 その草原から1〜2分歩いた所に写真の様な分岐があった。

 そしてその分岐にはボロボロになった標識が地面に転がっていた。 どちらの道を進んで良いか分からない。

 どちらの道も同じ様にハッキリしている。 地図を開いて検討したが絶対にこの道が正しいと言う自信が無い。

 下山時間にそんなに余裕が無い事が分かっていたので、ここで間違えば明るい内には下山できないと判断し、

 先程の草原で休んであった御夫婦に私が尋ねに行く事にした。

 広場に引き返すとその方達はテントの設営中だった。 

 ご主人に問い掛けると親切な方で、その分岐場所まで一緒に来て道を教えて頂いた。

その方は私より少し若い位だったが、話すとアルコールの匂いがプーンとした。

その旨を言うと、先程の休憩していた場所で飲み過ぎたので今晩はあの場所で泊まります!との返答が返ってきた。 とても羨ましく思った。

二人で丁重にお礼を言い、ミカンが有ったので食後にどうぞ!と差し上げて別れた。


 上の分岐写真を右折すると、滝廉太郎の 『荒城の月』 で有名な竹田の岡城城主であった中山入山公の

 お墓を通る道だった。 お墓の前にある説明板によると、入山公は 『大船山』 が大変お気に入りで、自分が

 死んだ後のお墓は、『大船山』 と 『鳥居ヶ窪』 が見える場所に建てる様にとの遺言を残されたとの事である。

 そして、入山公は生前にこの 『大船山』 に数回登られたとの説明があった。

 しかし読み進むと、地元農夫の背負う人鞍?に乗っての登山した!との説明があり、この軟弱者!と憤慨する!!

 尚、樹間に見えている山が 『大船山』 の山頂である。










 そのお墓の近くの階段には、写真の様に 『イヌタデ』 が群生していた。














 またその近くには、写真の様な 『オニウコギ』 の果実が黒く熟れ始めていた。

 大きい果実は直径が4cm程もあった。












 そのお墓を通り過ぎて少し歩くと、写真の様に立派な標識があった。

 先程迷った分岐を直進すると、この場所を通る事になっていた。

 先程の分岐点にもこの様な標識を設置すれば、悩まなくて済んだものを!と、また憤慨する!!







その後の登山道では次の様な花を見掛けた。

ヨメナ(野菊)
これも アキノキリンソウ?
ツクシアザミ


 その後も登山道脇を注意しながら下りていると、写真の様な虫さん達を見つけた。

 1ヶ月位前にもテントウ虫さん達の同じ様な姿を見掛けた事があった。

 そして今朝も登山口に着く前の放牧場で、大きな黒牛さん達の同じ様な姿を見掛けたばかりだった。

 その時も写真に撮ろうと思い車を停めたが、黒牛さん達が離れてしまい写真に撮れずに残念だった。

 秋は昆虫や動物達の結婚の季節なのだろうか? 

 私は猫の鳴き声から何となくそれは春先と思っていたので、認識を新たにした。









 さらに下りると写真の様にススキの多い所を通る。

 この付近から後ろから追い着いて来た、同年代で宮崎の単独行の方と話しながら一緒に歩いていた。














 その辺の草むらの中では写真の様な 『ウメバチソウ』 がひっそりと咲いているのを見つけた。












 この花は登山中にも盛りを過ぎた物を何ヶ所かで見掛けていた。

 しかし下山中のこの場所ではまだ綺麗だったので、写真に撮った 『マツムシソウ』 である。

 尚、宮崎の方の話では他の登山道では 『トリカブト』 の花が咲いていたとの事だったが、

 私達が歩いたルートではそれは見つける事が出来ず、残念である。







 『御池』 から2時間15分歩いたところで、写真の様な標識のある十字路に出た。

 そこで休憩しながら周りを見ていると 『サルナシ』 が沢山生っているのを見つけた。

 『サルナシ』 は先週登った山で沢山採取していたので私は採る気は無く、宮崎の方に知らせると

 子供の頃に良く食べていました〜!と言って、採り始められた。

 私も採るのを少し手伝ってその方とはそこで別れ、私達は 『有氏道路』 の方向に向かった。

 ここまでの登山道は、登りの 『東尾根直登コース』 に比べると、時間は掛かるが道も分かり易く急坂も少ない。




その道では 『秋グミ』 を多く見掛けた。 『ナナカマド』 もあり、実は赤く色付いていたが、葉は写真の様にまだ青かった。

秋グミ
ナナカマド








 又、その道では 『アキノキリンソウ』 を見る事が出来た。















 先程の分岐標識から15分程で 『ガラン台』 の登山口に着いた。 ここの登山届け箱は壊れていた。














 上の写真の登山届け箱の横から少し入った所に、ちょっとした広場があった。

 その広場に行くと群生とまではいかないが、写真の様に 『ウメバチソウ』 が方々に咲いていた。










 ところで、この 『ガラン台』 には何の標識もなかった。

 前の道路を右に行けば何処に行くのか? 左に行けば何処に行くのか? 何の標識も無い。

 時間は4時半を過ぎていた。

 ここで道を間違えれば明るい内には車に帰り着かないと分かっているので、地図を広げて二人で慎重に読んだ。

 慎重に地図を読んだ結果、左が 『今水登山口』 との結論に達し、歩き始める。








 歩き始めた林道は舗装されているが最近は使われて無い様で、

 写真の様に左右から枝が伸び放題で薄暗く、気持ちが悪い。

 その林道ではもう直ぐ陽が暮れるのではないか?と心配で、二人ともかなり早足になっていたが

 私は林道の左右に 『秋グミ』 と 『サルナシ』 等の実が生っているのを見掛けていた。












 そんな林道脇では 『オタカラコウ』 を見つけた。









その他には次の様な花を見掛けたが、何の花か良く分からなかった。

スミレ?
トモエソウ?
ゲンノショウコ






 尚、その林道の途中には写真の様な登山口の標識があったが、

 私達が持っている九重の地図にはその様な道の記入は無かった。 今は余り使われていないのだろう?








そんな誰も通らない林道を20分位?歩くと舗装が切れ、うっそうとした山中に入り込んだ。

しかし、それからが問題だった。 その辺は樹がうっそうと茂っている上に山の日陰に当たる為、かなり暗い。

そしてこのルートはほとんど人が通らない為か、踏み跡も赤テープも見つからない。 あせった。 それでオバさんと色々な方向へ入り込んでみた。

しかし二人とも踏み跡も赤テープ等の目印も見つける事が出来ない。 私はあせって身体が熱くなり脂汗が出て来た。

薄暗い山の中でオバさんの行った方向に向かって 『有るかー!』 と大声で叫ぶ。 そうすると 『ナーイ!』 とオバさんの大声が返ってくる。

今思うと道を探している時間は10分位ではなかったか?と思われるが、その時は凄く長く感じた。

そしてその時は正直言ってこれは遭難するかも知れない!と思った。

今日はツェルトも寝袋も車に入れたままで持って来ていない。 それで暗くなるのを覚悟でヘッドランプを点けて 『ガラン台』 まで引き返し、

そこから右の方向にある 『有氏ゲート』 を通り車道を歩いて 『今水登山口』 に帰ろうか?等と次善の策を考えながら、その付近の山中を脂汗を垂らしながら

色々な方向を必死で道を探していた。 そして遂に小さな立ち木に赤テープが巻きつけられているのを私が発見した。 

この時は本当にホッ!とした。 そして大声を出してオバさんを呼び戻した。

その後も次の赤テープを見つけるのに少し時間が掛かったが、なんとか踏み跡らしき物も見つける事が出来た。


 そして写真の様に、今朝登る時に見た記憶のある標識を見つけた時は本当に凄く嬉しかった。

 念の為に、登る時に見た標識に間違いが無いか、デジカメの液晶画面で確かめてみた。

 そうすると今日の写真の最初の方でこの標識画面が現れたので、間違い無く正しい道に出た事が分かった。

 そして登る時は車からこの標識まで50分掛かっている事も分かった。

 何事も無く無事に下山したから今は笑いながら話せるが、普段は余り汗を掻かないオバさんもその時だけは

 これは遭難するかも知れない!と思って、身体が熱くなり脂汗が出たそうである。




そこからは二人とも早足で下り、30分も掛からずに?駐車場に帰り着いた。

駐車場には私達の車の他にもう1台の車が残っていた。 そしてそこには御夫婦がおられたが、帽子等を取ってあったので最初は誰か分からなかった。

しかし、良く見ると登る時にご一緒になったM御夫婦だった。 話してみるとM御夫婦は下山時には段原〜風穴を通ったとの事だった。

車に帰り着いた時は5時25分になっていた。 少し薄暗くなり掛けていたが、何とか明るい内に車に辿り着けてホッ!とした。



今日の山歩きをまとめると、登山時は(今水駐車場)〜15分〜(林道分岐標識)〜35分〜(ガラン台分岐)〜15分〜(岳麓寺分岐標識)〜20分〜(前せり)

                                   〜40分〜(ライオン岩)〜15分〜(大船山頂上) で合計3時間20分

                 下山時は(御池)〜2時間15分〜(岳麓寺、有氏道路分岐標識)〜25分〜(ガラン台)〜55分〜(今水登山口)で合計3時間35分。

                 万歩計は26152だった。 尚、途中の所要時間には休憩時間やルート検討時間等も含みます。




 事前のインターネット検索で 『今水駐車場』 の近くに炭酸水の湧出地が有る事を知っていた。

 それで登山の帰りにその炭酸水を汲もうと、車に容器を数本入れていた。

 『今水駐車場』 から数百m戻った道路に、写真の様に黄色の文字で 『炭酸水』 と書かれた所がある。

 そこに車を停めると先程別れたM御夫婦が炭酸水を汲んで来たばかりのところだった。

 又そこで少し会話を交わすと、お互いが知っているホームページの事が話題に上った。










 上写真から30m位下った所が炭酸水の湧出地だった。

 写真の様に勢い良く噴出していて、10リットルの容器等はアッと言う間も無く満タンになる程の湧出量である。













 尚、湧出口のすぐ横には写真の様な立て札があったが、祝詞は何だかイタズラ書きの様に思えない事もない。

 しかし、もしかしたら何らかの御利益が有るかも知れないと思い、私は笑いながらも3回唱えてから水を汲んだ。













 水を汲み終えて林道を車を走らせながら山の方を見ると、山好きだった江戸時代のお殿様・中川入山公が
                              とばり
 愛された大船山(左の山、右は黒岳)が、夜の帳が降り掛かった空にそのシルエットを見せていた。








inserted by FC2 system