由布岳(1584m)山開き


2005年5月8日  晴  微風



今回は少し趣向を変えて山開きの様子をメインに書いてみよう!と思う。



今日は久しぶりに 『由布岳山開き』 に行く事にした。

以前、子供が山登りに付いて来ていた頃は 『由布岳山開き』 には毎年、前日から駐車場でキャンプしながら参加していた。

当時から、前日より駐車場にテントを張ってキャンプしている人達は大勢いて、九州のキャンピングカークラブの人達も前日より10台以上集結していた。

今日は久しぶりに 『由布岳山開き』 に夫婦で参加する気になり、過去の参加記録を調べてみると、2000年5月13日の参加が最後になっており、実に5年ぶりの参加だった。



前夜から夫婦で家を空ける事は出来ないので、山開きに参加するにはどうしても早起きして出かける事になる。

『由布岳山開き』 の登山開始時間は8時半からである。

自宅から由布岳登山口までは普通2時間以上掛かる。

それでオバさんは今朝は5時位に起きて色々な準備をしていた。

オバさんの準備が終わり、家を出発できたのは6時少し前だった。



ゴールデンウイーク最後の日曜日、この時間帯の道路は非常に空いていて、湯布院まで約100kmの道路は1ヶ所の渋滞もなく快調に飛ばせた。

水分け峠を過ぎ、7時半頃に湯布院の街が眼下に見えてくると、街はスッポリと霧に被われその霧の帯の上に由布岳が見えていて、非常に絵になる光景だった。

一瞬、急停車して写真に撮ろうと思ったが、下り坂でかなりスピードが出ており、後ろは大型トラックだったのでその場所に急停車する事は出来なかった。

それに水分け峠から下る途中にはまだそのようなポイントが出て来ると思い、有ったらそこで撮影しようと思って大型トラックを先に行かせた。

しかしその後にはそのようなポイントは遂に出て来ず、とうとう湯布院の街まで下りてしまった。 残念だったが、また登り返してまで撮影する気にはなれない。


    登り坂の入り口で写した霧の帯



 湯布院の街に下りると、そこは辺り一面霧の中で薄暗かった。


 湯布院の平坦な街中を通り過ぎて反対側の登り坂に差し掛かかり、

 広くなった道路の路肩に停車して写したのが左写真である。 







 ビューポイントから写した湯布院の街と霧の帯



 そこからその登り坂を大分登った所にビューポイントが有ったので、そこに駐車して写したのが左写真である。


 先を急いでいるので短時間しか見ていないが、霧の帯は少しずつ上昇しながら薄くなっている様な気がした。


 湯布院の町は四方を山に囲まれた盆地なので、霧の発生が多いのかも知れない?






    ビューポイントから写した由布岳






 左写真は上写真と同じビューポイントから、由布院の町とは反対方向に見える由布岳で、飯盛ケ城は直ぐその前の山である。









  駐車場からの飯盛ケ城(左)と由布岳(右)


 由布岳の駐車場に着いたのは8時少し前で、自宅からちょうど2時間で到着した。

 駐車場は写真の様に、既に数百台の車で一杯だった。

 私の後からも続々と車が駐車場に入って来る。

 団体が乗ったマイクロバスも入って来た。

 急いで身支度をする。





集合場所に向かって駐車場の中を歩きながら車のナンバープレートを見て驚いた。

ナンバープレートは九州全県は勿論、四国全県、山口、姫路、京都、岐阜、横浜、多摩、春日部、習志野、土浦、そして石川のプレート等が有ったのである。

一部分しか見ていないのに色々なプレートがあるので、全部を良く見て回れば、全国のかなりの地域のプレートを見る事が出来るのではなかろうか?

『由布岳山開き』 は全国的にもかなり知られているようである。

本当に山好きな人達が多いものである。

もしかしたら全国の山開きを回って歩くようなオタクがいるのかも知れない?

そして各山の売店等で売っているバッジの収集と同様に、全国の山開き記念グッズを集めているマニアが居るのでは?と思ったりした。

キャンピングカーも一番奥の方に10台以上集まって駐車していた。


     ゲート前に集まっていた参加者

 駐車場から10分ほど歩いた所にある集合場所に行くと、写真の様に数百人の人達が既に列を作っていた。


 私達も列の最後尾に並ぶ。 私達の後ろにも続々と登山者が並ぶ。


 8時半ちょうどの打ち上げ花火と共にゲートが開かれ、入山を開始する。


 そして入場ゲートで記念の帽子とゴミ持ち帰り用のビニール袋を貰う。





  第26回の記念帽子

 今年の記念帽子は写真の様な茶色の帽子だった。

 タダで貰うのに注文を付けるのは自分でも如何なものか?と思うが、出来れば帽子の色は蛍光色の入った山中でも目立つ鮮明な色にして欲しいと思った。

 (以前は黄色、黄緑色、オレンジ色等、蛍光色の鮮明な色が数多くあったように思う)

 茶色では猪と間違えられハンターから撃たれるかも知れないな〜?と思ったりもした。(色は個人の好みなので、落ち着いた色を好む人もいるだろうが・・・)

 記念帽子は先着1200人に贈呈となっている。 ずっと以前に係りの人に聞いたのだが、1200個目の帽子が無くなり、

 次の入場者が子供の時等は泣き出す子供もいて、可哀相と申し訳無さでいたたまれない!と言っていた事を思い出す。




登山道は新緑の中を小鳥達の鳴き声を聞きながら登って行くが、下写真の様に前後は大勢の人達と一緒である。

周りをゆっくり観察したり小鳥を探して立ち止まる事等は出来ない。

行列のペースを乱さないように、ただ黙々と登って行くだけである。

私達はこのような山歩きを好まないし、殆んどした事はない。

どうも苦手である。

が、山開きには参加したい! 我ながら困ったものである。

登山道の様子(1)
登山道の様子(2)

      合野越に着いた時の様子

 ゲートから登り始めて35分位で 『合野越』 と呼ばれ、山開きが行われる写真のような場所に着いた。


 既に山開き会場の準備は済んでいた。


 しかし、ほとんどの人達はこの場所を通過して由布岳の山頂を目指して登って行く。


 私達は由布岳には何度も登っているし、この後も大勢の人達と一緒に登る気は無いので今日はこの場所までとする。





    合野越の目の前に見える飯盛ケ城

 しかし、山開き式典の開始時間までにはまだ1時間近くの待ち時間があった。


 それで1時間近くもこの場所にじっと居ても仕方がないので、『合野越』 の目の前に見えている写真の 『飯盛ケ城』 に登る事にした。


 既にそこに向かって歩いている人達が数十人いた。


 最初はなだらかだが登り始めるとかなり急な坂道である。





   飯盛ケ城の急坂にあったエヒメアヤメ

 そんな急坂の両脇には写真のように今までに見た事の無い綺麗な花が所々に咲いていた。

 オバさんと、何の花かなー? シャガの模様に似てるねー? 等と話しながら写真を撮っていた。

 帰宅して図鑑で調べたら 『エヒメアヤメ』 と言う名前の花で、珍しいとの解説だった。

 その後、写真を見たネット友人からエヒメアヤメに付いて次のような情報を頂きました。

 (中国大陸を分布の中心とするエヒメアヤメは、氷河期に日本列島が朝鮮半島と陸続きであった事を、

  植物学的な証拠として示す貴重なものです)




 飯盛ケ城山頂と由布岳




 『合野越』 から15分程で飯盛ケ城の山頂に着いたが、そこは思ったよりも広く平坦な山頂だった。


 既に数十人の人達が居た。








     飯盛ケ城から見た、山開き会場






 飯盛ケ城の山頂から山開き会場を見てみると、写真のように先程よりかなり人が集まっているようだった。









     飯盛ケ城から見た、駐車場




 南方向の眼下には写真のように由布岳の駐車場が見える。


 尚、駐車場前の道路は別府市に通じる県道11号線である。








    飯盛ケ城から見た、湯布院の町並み




  山頂の反対側に行くと眼下には写真のように湯布院の町並みが見えた。


 霧の帯はスッカリ無くなっており、湯布院の町が四方を山に囲まれた盆地である事が良く分かって頂けると思う。








 遠くに頭を少し覗かせていた、祖母・傾の山並




 そして南西方向には九重連山が、その左手には手前の山の向こうに祖母・傾の山並が少しだけ頭を覗かせていた。


 そして南方向のはるか彼方には九州脊梁の山並が薄っすらと見えていた。








山開き開始の時刻が近づいて来たので、合野越に下りる事にした。 合野越の山開き会場には150〜200人位?の人達が集まっていた。


    快く写真を撮らせてくれた美人2人



 その会場に行くと写真のような 『ミス別府』 と 『湯布院キャンペーンレディ』 が 真っ先に目に付いたので、

 写真に撮らせてもらった。


 写真のように美人でスマートで大変愛想も良く、私がもう少し若くて独身ならアタックするところである。







それからその会場には祈願をされる御住職がおられ、そのにこやかな顔には見覚えがあった。 毎年、この御住職が祈願されるのだろう。

以前より少しお年を召されたかな?と思ったが、もし御住職が私達を知ってあれば同じ思いであろう(勿論、私達を知られる由も無いが・・・)

           御住職の足元

 しかし、私は御住職の足元を見て少し驚いたので話しかけてみた。


 御住職は草履を履いてあった。 しかし、お弟子さんは運動靴である。


 御住職にお尋ねすると、山に登る時は何時も草履との事で、滑らずに結構歩き易いですよと!の事である。


 1つの草履で数回の登山は大丈夫との事で、わらでは無く化学繊維で作ってあり市販してますよ!とのお言葉だった。





      御住職による祈願の様子
 10時の定刻になり写真のように御住職による 『由布・鶴見連山・山開き』 の安全祈願が始まった。

 テレビ局(OBS)も写真のように取材に来ていた。 後でスタッフに聞くと今日の17時20分からのニュースで放映するらしい。

 祈願祭の前に 『延命十句観音経』 の印刷された紙が希望者に配られていたので、

 私もその紙を見ながら御住職の声に合わせて観音経を唱える。

 観音経を唱えながら5〜6年前の山開きの日に由布岳・西峰頂上部の岩場から年配の男性が転落され、

 県警のヘリコプターが飛んで来て救助活動をしていた様子等を思い出す。





事故と言えば、今年4月29日の 『祖母山山開き』 の前日に登山ツアーで参加の大阪の中年女性が行方不明になられ、山開きの当日は自衛隊、警察、消防、山岳関係者等による

大掛かりな捜査が行われた。

しかし、当日に沢沿いで遺体で発見されると言う、実に痛ましい事故が起きたばかりだった。

御住職の観音経の読経が響く中、今年の主催である湯布院町町長、別府市市長、両議会の議長、観光協会会長、警察署長、山岳関係者・・・等の方々が

先程の美女2人から線香を手渡され、香炉に線香を立てて山の平穏祈願して行く。

私も今年一年、山での無事故を祈る。

        テープカットの様子
 その後は湯布院町町長を始め、お歴々の山開きへの祝辞等が順次続いた。

 その中で今年の10月から始まるNHKの朝の連続ドラマではこの付近が舞台らしく、

 毎朝ドラマ開始時には由布岳の姿が映し出されるとの話があった。

 そんな事の後に参加者全員による万歳三唱が行われ、最後に前記の関係者と、

 今日の登山者を代表して86歳の最年長者と8ヶ月の最年少者が前に出て

 写真の様なテープカットが行われて 『山開き式典』 は終了した。 所要時間は約30分だった。

 その後、希望者には御供え物のお神酒を紙コップに注いでくれる。 縁起物なので私達も少しだけ頂いた。



お神酒を飲んだら殆んどの人達は下山する。

私達も直ぐ下山に掛かる。 と、言うのも11時半から先着1000人に豚汁の無料サービスがあるのだ。

山開き会場から30分程で入場ゲートに着いたが、横を通り抜ける時に箱の中を覗いたらまだ少し帽子が残っていた。

翌日の新聞を見たら 『由布岳山開き』 の記事が載っていて3000人参加と書いてあったので、帽子は主催者が多く用意していたのではなかろうか?

凄い人出だが、『九重連山山開き』 になると人数の桁が1桁違い、2〜3万人と言うから驚きである。 尚、私達は九重の山開きにはまだ参加した事は無い。



駐車場に帰り着いたのは11時15分位で、既に広場には数百人の人達が待機中だった。

まだ15分ほど時間が有るので私達は車に荷物等を置きに行った。

車に着いて所要時間等を計算すると、駐車場から 『飯盛ケ城』 までの登りが45分、下りが40分で、万歩計は8830だった。

      豚汁無料サービスの行列




 車から再び広場に戻って来た時には、写真のように数百人の人達が豚汁サービスへの行列を作っていた。


 私達も最後尾に並ぶ。








         豚汁の入った大鍋






 陸上自衛隊の調理車両が来ていてそこで調理し、写真の様な大鍋に移し発泡スチロールの器に注いで渡してくれる。









      とても美味しかった豚汁






 豚汁は写真のように豚肉や色々な野菜がこれでもか!と言うほど入っており、味が良くてとても美味しかった。









  新緑を背景に自衛隊吹奏楽団の生演奏






 そして豚汁サービスと共に野原では写真のように自衛隊吹奏楽団による生演奏も始まった。









   軽快な生演奏を聴きながらの昼食風景



 私達は豚汁サービスがある事を知っていたので、オバさんはオニギリとタクアンしか持って来ていない。


 しかし上写真のように、爽やかな新緑の山を背景に軽快な生演奏を聴きながらの、豚汁とオニギリの昼食は最高に美味しく、

 主催者側の至れり尽くせりの歓待には、感謝! 感謝! の連続だった。







      正面登山口標識と由布岳






 写真は昼食後の帰り掛けに写した正面登山口標識と由布岳である。










雨乞岳(1074m)



軽快な生演奏を聴きながらの昼食を終えた私達は、予定通りにこの近くでまだ登っていない山への登山に出かける事にした。

由布岳駐車場から湯布院方向に数百メートル?下った所に、左に登って行く細い舗装林道がある。

      4kmほど先にある車止め

 その林道を少し行くと倉木山の登山口があるが、その前を通り過ぎて4kmほど進むと、写真の様な車止めに突き当たる。

 その前に数台駐車出来るスペースがあるが、右の道を数十メートル進むと広い広場があり、そこなら数十台の駐車が可能である。

 私達が写真の車止めに着いた時、ゲートの少し先を私と同年代の単独男性が歩き始めたのが目に入った。

 どの山に登られるのかを尋ねる。 そうしたら私達と同じく、『雨乞岳』 との返事だった。

 私達は昼食は済ませているし、雨の心配も要らない様なのでポカリスエットと簡単な行動食だけをナップサックに入れて、

 身軽なスタイルで登る事にした。




     太平はつらつ山歩会の標識






 舗装林道を20分ほど歩き林道が左右に別れる所に、写真の様な 『太平はつらつ山歩会』 が付けた標識があった。









         山道への入り口




 そこから左の林道を5分ほど歩くと、右手に写真のような所があり、そこから山道に入る。


 山道には写真のような倒木が結構有り、最近は登山者が少ないようである。








       沢山あったホウチャクソウ






 登山道は杉林の中を通るが、登山道脇では右写真の様なホウチャクソウが沢山目に付いた。









     雨乞岳と黒岩山との分岐標識

 そんな登山道を15分ほど歩くと、写真の様な 『雨乞岳』 と 『黒岩山』 との分岐標識に突き当たった。

 私達はまず 『雨乞岳』 から登る事にした。 そこから先はかなり道が荒れていて、所々で踏み跡が消えていた。

 そんな所で先行してあった先程の男性が 『雨乞岳』 から下りて来るのに出会った。

 その方は車のプレートから宮崎の方とは分かっていたが、やはり由布岳の山開きに来たとの事だった。

 その方も山慣れしてあるようで、メモ用紙と磁石等を手にしてあったが、連れが由布岳駐車場で待っているとの事で、

 黒岩山への登山は迷ってあった。




        雨乞岳の山頂標識




 分岐標識から10分位で写真のような山頂に着いた。


 周りは樹木で展望はまったく無いので、この写真を1枚撮ったら直ぐ引き返す事にした。








黒岩山(1106m)



        黒岩山の山頂標識


 『雨乞岳』 から分岐標識に戻り、『黒岩山』 への道を進む。


 こちらの登山道は 『雨乞岳』 への道程には荒れてなく、分岐標識からは 『雨乞岳』 へと同じく10分位で

 写真のような 『黒岩山』 の山頂に着いた。


 『黒岩山』 の山頂も 『雨乞岳』 と同様に展望はまったく無い。





 ワラビやゼンマイが多かった下山時の登山道


 下山は反対方向に登山道が見えたので、その道を通って帰る事にした。

 その道は急坂部分もあったが登って来た道程には荒れてはいなかった。

 かなり下りて来た所からは右写真のように道幅も広くなり、その両脇にはワラビやゼンマイがかなり出ており、

 私達はそれらを採りながら下りて行ったが、

 林道に出るまでにはビニール袋に一杯の収穫があった。





林道へ出て来た所は 『雨乞岳』 の2番目の写真である、『太平はつらつ山歩会』 の標識写真から100m程登った所の右側だった。

よく見るとそこの立ち樹に赤テープがしてあったが、殆んど目立たず、登る時には気が付かなかったようである。

車に着き万歩計を見ると8813で、所要時間は 『雨乞岳』 までの登りが45分で、『雨乞岳』 から 『黒岩山』 までが20分、『黒岩山』 からの下山は35分だった。

       林道脇のタンポポの群生




 往路の走行時にも気付いていたが、林道の両脇には写真のようにずーっとタンポポが群生していた。


 こんなタンポポの群生は初めて見たので、車を停めて写真に撮った。








       雨乞岳(左)と黒岩山(右)






 その場所で振り返ったら、登って来たばかりの 『雨乞岳』 と 『黒岩山』 が写真のように綺麗に見えていた。










湯布院温泉



今日は下山してから時間に余裕が有るので、湯布院温泉の露天風呂入って行く事にした。

オバさんは露天風呂は余り好きではなく、私が露天風呂に入ってる間は大概付近を散策している。


          下ん湯の正面

 『湯布院温泉』 の名前は九州では 『別府温泉』 や 『黒川温泉』 の名前と共に

 全国でも常にトップクラスの人気を博しているのでどなたも御存知だと思う。

 私はその湯布院温泉では写真の 『下ん湯』 に入る事にしている。

 場所は 『金鱗湖』 に隣接しており、写真のように屋根が有って湯船は2つ有るが1つは露天風呂である。 

 料金は200円で入り口の料金箱に自分で入れるシステムになっている

 この風呂は混浴で、私はこれまでに1度だけ女性と一緒になった事があり、由布岳登山帰りの中年女性軍団だった。




混浴風呂で知らない女性と御一緒した事はこれまでに何度もあるが、その中でもまず最初に思い出すのは筋湯温泉の露天風呂の事である。

直ぐ近所同士に2つの共同風呂があって、1つは露天風呂で 『打たせ湯』 もある。 私は何時も 『打たせ湯』 が有る、露天風呂の方を利用していた。

現在はその2つの共同風呂は日替わりで男女別々になっているが、数年前まではどちらも混浴だった。



そこでは中年女性軍団とは何度も一緒した事があるが、ある時私が1人で先に入っていると、後から2人の若い女性が入って来たのである。

2人ともファッションモデルのように凄くスタイルの良い女性だった。

私は遠慮して横を向いて入っていたのだが、その2人は脱衣場から湯に入る時に前を一切隠さずに堂々と私の方に歩いて来たのである。

私はあれには本当にビックリしたが、ビックリし過ぎて自身の何処にも化学反応などが起きなかったので良かった。



あの2人は自分の身体にもの凄く自信が有ったのか?、オジさんをカラカッテやる積もりだったのか?、それともドッキリ!カメラだったのか?

今でも良く分からないのだが、あれだけ堂々と披露されるとこちらの方が目のやり場が無くてドギマギした。

が、私も見るべきところはシッカリ見ていたのである。 今でも目に焼き付いている。 本当に綺麗だった。 また是非ご一緒したい!

他にも方々の露天風呂での思い出があるが、今後機会が有れば追々書こうかな?と思っています。



話を 『下ん湯』 に戻して、私が入った時には既に6人の若い男性が入っていたが、私が入って5分程で全員上がって行き、私1人になった。

露天風呂からは 『金鱗湖』 を散策している観光客等が良く見える。

ほとんどの観光客はこの場所に露天風呂がある事は知らないだろう。

貸切りで15分程?入ってそろそろ出ようかなと思っていたところに2人の男性が続け様に入って来た。

1人は大阪から来たツアーの中年添乗員で、もう1人は長崎から来た青年だった。

添乗員の方は大変話好きで私に色々と話しかけて来るので、仕方なくまた湯の中に入り、話し相手になってあげた。



     金鱗湖の中で釣りをする子供達


 『下ん湯』 を出ると写真のように子供達が 『金鱗湖』 の中に入り、魚釣りをしていた。

 何が釣れるのか?と尋ねると、『バス』 とか 『テラピア?』 とか答えたが、こんな池で釣りをして良いのだろうか?

 一般常識ではダメだと思うが、写真のように堂々と池の真ん中付近まで行って釣っており、

 その姿は周りの店等からも丸見えなのだが、誰も注意しないので良いのだろう?

 ハッキリ分からないので私も注意はしなかった。





オバさんが既に近くで待っていたが、私は少し長く湯に入り過ぎて身体が火照っていたので 『金鱗湖』 の周りを散策して冷ます事にした。


   下ん湯の裏側と、魚釣りをする子供達




 写真は金鱗湖の周りを二人で散策しながら、『下ん湯』 の裏側を写したものです。


 露天風呂の出入り口と、魚釣りする子供達が写っています。








      観光人力車と若いカップル




 ゆっくり散策していると、向こうから若いカップルを乗せた観光人力車がやって来た。


 『写真、撮らせてー!』 と声を掛けると全員が快諾してくれ、ポーズを取ってくれたのがこの写真である。(HP掲載、承諾済み)








ほんの30〜35年前までは私達も写真のカップルの様に若くて、『絶世の美男と美女』 とまで称された二人だったが、

帰りの車中ではお互いの顔を見ながら、『絶世の美男と美女』 の称号は少し似合わなくなったかな〜?と苦笑したのであった。

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