金峰山(665m)


2005年2月6日


今日は熊本県の金峰山(きんぼうざん)に登りに行く事にした。

この山は2度目である。 前回は平成10年(1998年12月20日)に裏の登山口(雲巌禅寺の方)から子供と一緒に登っている。

今回は裏からではなく、正面から登ろうと思い立った。 しかしこの山に連なる二ノ岳、三ノ岳には平成15年(2003年)に登っている。



家を出発したのが9時10分。

下の写真(左)の様に金峰山が見えて来た付近で、金峰山の頂上には野鳥のヤマガラがいる事を思い出した。

それで道沿いにあったスーパーでヤマガラへのお土産として殻付きピーナッツを買った。

この付近には3〜4度来ているので道は大体知っている。 しかしその後に新しい道が出来ていたり、拡張工事等が有っていて途中で少し道を迷った。



金峰山の駐車場に着いたのが11時35分。

数十台分のスペースが有る駐車場は既に満車状態だったが、辛うじて駐車できた。 今日は日曜日なので多いのだろう。



正面登山口である鳥居(下・中写真)から登り始めたのが11時50分。

この山は熊本市民の一番身近な山で有るとの事で、私達の地元で言えば 『高良山』 の様な存在なのだろう。

であるからして、登山コースは色々有るとの事だが、私達は直登コースであるサルスベリコースで登る事にした。



サルスベリコースは猿でも滑る様な岩だらけの急坂(下・右写真)である事から名付けられたそうである。 岩が多いので雨の日は特に滑ると思う。

そのサルスベリコースは山頂に向かってほとんど一直線に登っている。 

登り始めると確かにかなりの急坂で、途中で数ヶ所に落石止めの金網が設置してあった。

しかしその直登コースとジグザグに交差する九十九折の登山道があり、ほとんどの人達はそのコースで登下山している。



その九十九折コースを登る人とある交差点で一緒になり簡単な挨拶をしていたが、その後の交差点でもその人と何度か一緒になった。

その内に交差点で顔を合わせる度にお互いに笑いながら 『また、お会いしましたね〜』 と声を掛ける様になった。

その人はかなり年配の方であり毎日登ってある様子で、ジャージ姿にスニーカーで竹の杖だけの空身である。

どうやら直登コースも九十九折コースも時間的には余り変わらない様である。



頂上近くになり、笑いながら 『次の交差点でもまた、お会いしましょうね〜』 と言って急いで登っていたら、知った顔の人が下りて来ていた。

その方も私達に直ぐ気付いた様でコース脇に立ち止まり、笑いながら奇遇の挨拶を交わす。

その方は私達より少し年配で、以前山小屋で同泊した事があり、去年も偶然にある山頂でお会いした方だった。 凄い健脚の持ち主である。

その方はこの山の麓からから車で15分位の熊本市郊外にお住まいとの事で、遠出しない時はこの山に良く登る!との事であった。

お互いに近況報告などをしてから、そこから見える景色を教えて貰う。 そしてまた何処かの山での再会を願って別れた。

行く途中で見えた 三ノ岳   二ノ岳   金峰山(一ノ岳)    .
↓     ↓      ↓
  サルスベリ登山口
サルスベリ登山道の風景


山頂に登る階段の踊り場に下・左写真の様な記録版があった。 

以前登った時、この記録板は山頂部に有ったが、この場所に新しく作り直して設置されていた。

この記録板には金峰山に登った回数の多い順番に、その人の名前と共に表示してある。



最高回数はなんと驚く無かれ 7,306 回である。 毎日登っても20年以上掛かる計算になる。

凄い人がいるものである。 以前登った時にこの方の事を頂上部にある茶屋の方から少し話を聞いた事があった。

その時の話によると、台風や落雷の日を除いては毎日登られるとの事だった。

それも山の中腹にある鳥居からの登山ではなく、麓の 『峠の茶屋』 から登られるとの事だった。



登山回数の確認は頂上部にある茶屋に日付入りのスタンプが置いてあり、それを各自の手帳に押して確認するとの事である。

記録板によると最高の人以外では、5000回以上=2人、4000回以上=3人、3000回以上=9人、2000回以上=9人、1000回以上=12人で

それ以下になると数えるのも面倒臭い人数である。



この山と決めたら他の山には目も呉れない登り方であり、さすが 『肥後もっこす』 と言う言葉がある地方の方達である。

しかし最高回数の方は前回登った時に大体覚えていた回数から余り増えていない様に思ったので、その関係者と思しき方に尋ねてみたところ、

体調の関係でここ数年は登っておられないとの事だった。



又、この山に登る会は 『あるこう会』 とか他にも幾つか有るとの事で、記録版にはその中の 『金峰会』 の方達の記録が表示されているとの事である。

山頂部に付いたのが12時25分だった。 山頂部には既に数十人の人達がいて、ベンチ等で昼食中だった。

山頂部には神社や茶屋やテレビ送信塔があり、頂上部まで車道もある。 その他にも女性更衣室やトイレも完備されている。



山頂部には2階建ての展望所があり、そこには下・右写真の様に凄い数の錠が手摺りから外れないようにロックされている。

この様な光景は瀬戸大橋の展望所を始め、方々の観光地などで良く見掛けるが、変な事が流行っているものである。(フン!、直ぐ別れるくせに!)

バレンタインデーのチョコレートメーカーの陰謀の様に、錠メーカーの語呂合わせ陰謀に乗せられているだけだろう。(バカな奴等、早く別れろ!)



しかし展望台からの眺めは大変良く、眼下には熊本平野の広がりと熊本市街が一望できる。

以前は眼下の熊本市街の中に熊本城を直ぐ確認出来たが、現在はその付近にも大きな商業ビルやマンション等が立ち並んで余り目立た無くなっており、

見つけるのに双眼鏡を取り出した程だった。

眼下に見える広大な熊本平野の右側の遥か彼方には九州脊梁の山並みがずーっと長く連なって見えている。 雄大な景色である。

山頂部にある記録版
展望所の手摺りに付けられている錠達


そして下写真の様に、左手の彼方には九重連峰が、正面の彼方には阿蘇連峰が、白く雪化粧してその姿を見せていた。

そんな景色を見ている間にも若いバカップルが手摺りに錠を付けて帰った。(フン!、本当にバカな奴等!・・・ loveに関係無くなった者のジェラシーなのかな〜?)

九重連峰の遠望
阿蘇連峰の遠望


それからこの山頂部には野鳥のヤマガラ等がいて、手に乗せた豆等を食べにやって来るのを、前回の登山時に体験していた。

それでその野鳥達の餌にと思って、ここに来る途中のスーパーで殻付きピーナッツを買って来たのである。

景色を見ている時もその小鳥達が周りの木々を飛び回っていた。

景色を堪能した後はオバさんが早速ピーナッツを手の平に乗せて腕を伸ばす。 私は小鳥を写真に収めようと後ろでデジカメ画面を見ながら構える。

しばらくすると下写真(左右)の様に野生のヤマガラが手に止まり、ピーナッツをくわえて飛んで行く。

しかしその時間はせいぜい1秒前後である。 それでシャッターを押すタイミングが非常に難しく、慌ても加わり中々タイミングが合わない。
                                                                  ほの
周りにまだいるかなー?等と、画面から目を離した時に飛んで来る事が多く、どうも小鳥は肖像権の事を暗に仄めかしているようである。(とても賢い!)

10回ほど飛んで来たのでタイミングを合わせた積もりだったが、後で見ると何と!3枚しか小鳥は写っておらず、残りはオバさんの手だけが写っていた。(苦笑)

オバさんの手に飛んで来たヤマガラ(1)
オバさんの手に飛んで来たヤマガラ(2)


小鳥達の写真を撮ったので山頂部の反対側に行き、そこにあるベンチに腰掛けて昼食を食べる事にした。

展望台の反対側は有明海の方向で、今日は下・左写真の様に眼下の有明海の向こうに雲仙普賢岳が雪化粧した姿を見せていた。



今日の昼食は雑炊である。 前回の昼食写真で蓋の中を見たい!との要望があったので今回はそのリクエストに応え、調理途中にオバさんが席を離れた僅かな隙に蓋を取り、

急いで撮影をした写真を掲載します。

但しオバさんの了解を得ていませんのでオバさんが気付いた時には、いつ撤収命令が下るかも知れませんので、その辺りは御承知置き下さい。

しかし今日の雑炊も大変味が良く、その辺りのお店で食べるより何倍も美味しかった事を付け加えておきます。(これはゴマスリではありません!)

今日は日曜日の勢か、昼食中にも多くの人達が登って来る。 家族連れも結構多い。 さすが熊本市民の憩いの山である。

眼下の有明海の向こうに見えていた雲仙普賢岳
  調理途中の雑炊


昼食と食後のコーヒーを終えたら、今日は帰路に寄りたい場所が2ヶ所あるので直ぐ下りる事にした。

帰りもサルスベリコースで下りる事にした。 急坂で滑り易く、用心しながら下りたが短時間で車に帰り付いた。

所要時間は登りが知人との立ち話時間を入れても35分、下りはノンストップで20分、万歩計は5094だった。

今日は片道・約90kmを2時間半近く掛けて当山まで訪れ、実際の登下山に要した総時間は片道の半分にも遥か及ばない55分だった。



車での帰り道、夏目漱石の 『草枕』 に出て来る麓の 『峠の茶屋』 を写真に撮ろうと思い駐車場に車を入れた。

『峠の茶屋』 は建て直されていて、現在はごく普通のお土産店で、バス停になっている。

そのバス停にビシッと決まった登山スタイルでバスを待っている、かなり年配の二人のお婆さんがいたので話しかけてみた。



このバス停から金峰山に登って来たとの事で、私達よりも1.5Kmも手前から歩き始めた上に、麓を大回りするコースで登って、また下りて来たとの事である。

そしてこのバス停から登らないと、金峰山に登った気がしないと言われ、私達は少し恥ずかしかった。

お歳を尋ねると、一人の方が77歳でもう一人の方はなんと90歳だった。 お二人とも背筋がピンと伸び、カクシャクとして会話も若々しい。

77歳の方はザックの後ろに全国の山の御守りをかなりの数ぶら下げてあり、富士山は去年登ったが今までの登山では一番楽だったと笑って話される。

その方達は金峰山だけでなく、全国の色々な山も登るとの事だったが、金峰山への登山回数を尋ねると77歳の方がもう直ぐ500回で、

90歳の方が600回位でしょう!と、お二人とも軽く言われる。(驚嘆と尊敬のまなざしで見つめる!)



一人の方が金峰山手帳なる物を持ってあったので見せて貰い写真に収めた。(下・右写真) 

その手帳の中には今までに登った日の出来事などが綺麗な字で書いてあり、今日の日付が入った頂上印もスタンプされていた。

もう少し話を聞きたかったのだがバスが来たので別れた。 お二人の写真を撮るのを忘れ、残念だった。

峠の茶屋バス停
金峰山手帳


帰路に寄りたかった所の一つは金峰山の裏手の麓にある、雲巌禅寺である。

ここには前回こちらの方から金峰山に登った時にも訪れていたが、その時は子供と子供の友達が一緒だったので、ゆっくり見れなかった。

それで今回は夫婦だけでゆっくり訪れたかったのである。

駐車場に着いたら、以前には無かった大きな武蔵像が出来ていた。 

また、その辺りは綺麗に整備されており、黒岩展望所からは有明海や雲仙普賢岳を見事に望む事が出来た。

武蔵像にお参りするオバさん
武蔵記念碑と今日登った金峰山


雲巌禅寺は古く平安時代からの歴史有る修験の場らしいが、剣聖・宮本武蔵がこの奥にある洞窟に籠り 『五輪書』 を書いた事で知られている。

入場(入場料=200円)すると直ぐ宝物館があり、下写真の様に宮本武蔵に関連する物が多数展示されている。

宮元武蔵の使用した木剣
左写真のアップ
自画像等の掛け軸


途中、十六羅漢・五百羅漢などを見ながら一番奥にある霊巌洞に向かう。

霊巌洞は前記したように宮本武蔵が晩年にこの洞窟に2年近く籠り、世界的にも有名な 『五輪書』 を書いた事で知られている。

尚、帰り際に入場口の係りの方にお尋ねしたところ、木剣だけは巌流島で宮本武蔵が佐々木小次郎と決闘した時に使用した本物である!との事であった。

五百羅漢

宮本武蔵が籠った霊巌洞


雲巌禅寺を後にし、次はもう一ヶ所の訪れたい場所である天水町の 『漱石館』 に向かう。

今朝、金峰山に向かう往路で、道の上に 『漱石館』 の案内板が有るのに初めて気付き、復路時にそこを訪れてみようと思っていたのである。

国道501号線から数百m入った所に 『漱石館』 はあった。 しかし、入り口が工事中で入る事が出来ない。

それでその前の家の庭先で焚き火をしてある主婦の方がおられたので、その方にお尋ねして色々な事を教えて貰った。

その方から裏からの入り口も教えて貰い、崖の様な所をよじ登り邸内に入り込む。 今日は日曜日の為、工事も休みのようで邸内には誰もいない。

ここは当時、当地の名士である前田家の別邸で夏目漱石が五校(現熊本大学)の英語教授時代に宿泊し、その様子が 『草枕』 に描かれている所である。

しかし下・右写真の様に当時の別邸や庭なども、天水町によって復元工事中だった。

入り口にある説明版
別邸復元工事の様子


漱石が宿泊した離れ家なども工事中で、『2005年4月にリニューアル オープン』 との事であった。

別邸復元工事の様子
庭にあった句碑


『漱石館』 を後にしたのは5時近くで、まもなく薄暗くなる時刻だった。



帰路では、今日の金峰山・山頂で見た登山回数の記録や、峠の茶屋で会ったお婆さん達の事、それから以前九重連峰でお会いした90歳の御夫婦の事等を思い出し、

そして私達の老後を想像してそれらに重ね合わせ、話が盛り上がった車中であった。

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